第4話 勘冴えて
「やっぱりね、詞くんだ」
展望所を見上げると、黒い髪の女性が手すりから身を乗り出して、こちらを見下ろしていた。固まっている僕を、からかうように笑っている。
「こっち、おいでよ」
言われるがままというやつだ。僕は展望所への階段を上がっていく。一番恐れていた、先輩に僕だと認識されるということが起こってしまった。何をミスった?意味が分からない。
――いつからだ、いつからバレていたんだ?なぜ、先輩は僕だと分かったんだ?
答えは出ないまま、展望所に着いてしまった。『生限時間』が示した通り、全身黒ずくめの女性は、巌佐あやめ先輩だった。化粧なのか、眉毛やまつげも黒い。先輩は、恰好ではなく表情が、学校での先輩とは異なっていた。
「驚くかなって声かけたんだけど、ちょっと驚きすぎじゃない?」
「あの、いつから、気づいてたんですか?それに、なんで僕だって……」
「……うーん、勘!」
眼は、昼間と同じ色だった。青みがかった、灰色と紫の間のような、きれいな色だ。それと、不思議ないい匂いがする。
「私ね、アルビノだから、ほら、よく見られるでしょ?人の視線や気配にはね、敏感なの。だから、最初から、かな。つけてきてる人がいるのは分かってて、ここから広場にいるのを見て、詞くんだって分かった」
「あの距離でも見えるんですか?」
「ううん、だから、勘。学校で会った時と同じ、制服のまんまだったから分かったけど、私服だったら分かんなかったかもね」
「……すみませんでした!」
生まれて初めて、土下座した。
「あはは、そうだよ、女の子つけ回すなんてサイテーだからね。要反省!!」
先輩は、僕の前まで来て屈んだ。
「こっちも聞きたいことあるんだけど、いいかな?」
はい、と土下座したまま返事をすると、先輩は僕の顔を両手で持ち上げ、自分の顔に近づけた。
――眼を、のぞき込まれる。
「ねえ、どうして、私って分かったの?分かってつけてきたんでしょ?」
それは反射的に出た言葉だった。広く捉えれば、あながち嘘でもない。
「……勘です。駅前で見かけて、先輩だと思って、それを確かめようとして……」
「ふーん、そっちも勘かあ。……勘は偉大だね」
先輩は僕の顔から手を離すと、立ち上がって手招きした。
「こっち、おいでよ」
きたさらずタワーの展望所からは、北更津駅前とその周辺を一望できる。夜に来たのは初めてだった。
「……きれいですね」
思わず口にした。先輩の方を見ると、先輩は笑顔で僕を見ていた。
「そうなんだー。私はね、ほとんどなんにも見えない!」
――今日は心臓がよく止まる。
失礼ついでに、もう聞いてしまおう。
「なんで、先輩はその格好をしているんですか?」
「お、聞くねえ。いいよ、答えたげる。」
先輩は肩にかかる黒い髪に指を通した。
「金曜日の夜はね、この姿で過ごしてるの。メイクしてー、ウィッグしてー、ほら、爪も黒!」
真っ白な指と対照的に、黒いネイルが輝いている。とても丁寧に塗られている。
「別人みたいでしょ。もし、普通に生まれてたら、こんな感じだったのかなって。けっこう可愛いでしょ?」
何を言っても無責任になると思った。秀也に死なないと言うのとは、まるで違う。
「でもね、さっき、ちょっとだけ嬉しかった。この姿でも、私って気づく人いるんだーって」
先輩は手すりから身を乗り出して、広場を見下ろした。黒く長い髪が、その表情を隠す。
「ねえ、ここから落ちたら死ねるかなあ」
「……え?」
「でも死ねなかったらやだよね、絶対痛いよー」
急に何を言っているんだこの人は。声のトーンは変わらないが、顔は見えない。
「私、死ぬの。一年後に、自殺しようと思ってるんだ」
先輩は――、長生きはしたくないみたいだ。