第11話 タコの庭
水槽はなく、モニターと解説のパネルのみが置かれた展示に来た。『実在する!?オクトパスガーデン』と書かれている。今日はすべて僕が読んで内容を伝えていたが、自分で読みたいのか、先輩は辺りを一度見てからパネルに顔を近づけた。
「……深さ3000m以上の深海に……タコたちの温泉が……。へー、面白いこれ!」
先輩は僕を手招きしたが、先輩がパネルにかじりついているため読めない。横のモニターにはたくさんのタコが集まった海底?の映像が映っている。そういう場所があるのか。
「ふーん、でも2018年に発見か。じゃあ元ネタじゃないんだ」
先輩はそう呟いてパネルから離れた。
「うわ!ほんとにいっぱいいるじゃん、すごー」
モニターには再び、海の底を埋め尽くすかのようなタコの群れが映し出されている。先輩の目は、タコ以外も見ていた。
「……いいね、深海。太陽とかいうやつもいない」
深海という光の届かぬ世界に、思いを馳せているのだろうか。太陽はアルビノである先輩の敵だ。あまり気の利いた相槌は思いつかなかったから、僕は黙っておいた。
「そこに書いてあったんだけどさ、このタコは繁殖のためにここに来るんだって。……温泉なんていうけど、案外必死なのかもね」
「……そうですね」
とても先輩らしい解釈だと思う。生きる場所と死ぬ場所、その両方のことを、ずっと考えているのだろう。
十七時前になって、出張水族館は終わりの雰囲気に包まれていた。僕と先輩はグッズコーナーでタコのストラップを買った。先輩は口から墨を吐き出しているやつ、僕は頭に鉢巻を巻いているやつを選んだ。頭と言っても、僕らの思い浮かべるタコの頭は、厳密には腹部に当たるそうだ。そう書いてあった。
「さーてと、たこ焼き食べて帰りますかねー」
少し早いな、とも思ったが、今日は日曜日。明日は学校だ。
展示の片付けが始まった広場を後にし、向かいの「金だこ」へ向かった。全国区の有名チェーンだ。金だこのたこ焼きは揚げるタイプで、いわゆるカリカリ系というやつ。昔大阪に行ったとき、「金だこのとはちゃうやろ?」と言われたことがある。僕はこっちも好きだ。
「あれ、たこ焼きってこんな感じだったっけ、この前のコンビニのやつとちょっと違うね」
「なんか派閥みたいなのあるらしいですよ。どっちの方が好きですか?」
「うーむ、難しい質問ですなー」
先輩は少し考えるような素振りを見せた後、いたずらっぽく笑って答えた。
「タコ見た後だから、こっちのほうがおいしい」
金だこを出ると、特設されていた屋根とライトの撤去が進められ、水族館を切り取ってきたようだったあの空間は、既に姿を変えていた。作業する人々を横目に、出口へと歩いていく。
「あらー、一気に終わりだねー」
「どうでした?オクトパスガーデンは」
「そうだねー、意外とかわいいもんだね、タコ。……ちょっと羨ましいな。自分の色も変えられて……深海ってどんなとこだろ。生まれ変わるなら、タコでもいいかな」
「はは、そんなにですか。じゃあ今日来れてよかったですね、多分もうしばらく開催されないでしょうし」
「うん。海って日差しのイメージで嫌いだったけど、深海なら好きだなー」
「……長生きしたら、いつか行けるかもしれないですよ。宇宙旅行だってもうすぐって言うじゃないですか。それなら深海だって……」
歩きながら話していたから、それまでは前を見ていた。急に黙った先輩の方を見ると、珍しく驚いたような表情で僕の方を見ている。僕が気付いたことに気づいて、いつもの笑顔に戻った。
「……いいね、それ」
帰りのバスでは先輩は寝なかった。理由は分からない。行きで寝ていた理由も分からない、そんなもんだ。
駅に着くころには十八時を過ぎていた。まだ日は沈み切っておらず、夏の兆しを感じる。先輩はバスから降りる前に日傘を取り出していた。
日曜の夕方、国道沿いは車通りが多く、そしてこの人通りの無さでは先輩の歌声も僕にしか聴こえない。
あの日のように先輩が前を歩く。あの日よりも、ずっと近く。
好きになる理由を探していたけれど、もしかしたら、理由を言える必要はないのかもしれない。「分からないままでいい」ってことだ。好きかどうかだけ分かればいい、そう言うものかもしれない。いや、まだ諦めるのは早いか――?
……この歌は前歌ってたやつだ。今度はいくつか聴き取れた。間違っているかもしれないけど、最後はこう言ってたと思う、
――with you?
読んでいただきありがとうございました。
第2章Octopus's Gardenはこれで終わりです。
次章はまだ考え中です。初期構想では文化祭をスキップするつもりでしたが、書けそうな気もしています。
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