第10話 本当の
入口や出口は特になく、広場にいくつかの水槽とモニター、それに解説の書かれたパネルが並んでいるといった具合だ。グッズも売ってるようだ。レジのスタッフさんの他には、展示をまわりながら解説をしているようなスタッフさんもいる。
「見て、この子かわいい!」
僕らが最初に見に来た展示は『タコはフタを開けられる!?』という題がついていた。水槽の横のモニターには実際にタコがビンのふたを開け、中の餌を食べる映像が流れている。水槽の中のビンはすでにすべて開けられていた。
「ほら、この子、ビンの蓋ずっと持ってる!」
「ほんとですね。あ、ここに書いてありますよ。……「はちごう」くんはビンのフタがお気に入り……、へー」
マダコの「はちごう」くんはビンの蓋を器用に持ちながら泳いでいる。確かにお気に入りのようだ。マダコは意外と大きくないみたいで、体の大きさは触手を除けば持っている蓋と同じくらいだ。
次の展示は『タコは目がいい!!』と書いてある。シンプルでいいな。さっきのもそうだが、解説やタコたちのプロフィールはすべて手書きで書かれている。文面からでも、タコに対する相当な愛を感じ取れる。
「詞くん読んで」
「えーっと、……タコの視力は0.7~1.0ほどあると言われています……タコは色が見えません、白黒の世界です……でも、『偏光』というものが見えて、『光の違い』を見ることができます!……だそうです」
「へー、私より目いいじゃん。私は色も見えるけどねー」
……先輩はこの手の触れづらいジョークが多いな。タコは体の色を変えて擬態するはずだが、色が分からないのにそんなことができるのだろうか。不思議だ。
ここの水槽のタコは、土管のようなものの中でじっとしていた。知らないところで、知らないやつらに見られて、お疲れ様と言ったところだろうか。
あっち行こっか、と言って先輩は向こうの水槽を指差した。その水槽のタコは水面ギリギリにいて、触手を一本水面の上に出していた。床には小さな水たまりがいくつか見える。……嫌な予感がするなあ。
「この子は元気ですなー」
先輩が水槽に顔を近づけたその時だった。タコは水槽の外目掛けて勢いよく水を吹いた。きゃっ、という先輩の小さな悲鳴を聞いて、スタッフさんがこちらまで来た。
「先輩、大丈夫ですか?」
「すみませんお客様、お召し物濡れていませんか?」
「あー、大丈夫です、多分濡れてない……です。はい」
先輩に直接かかりはしなかったようだ。床にある水たまりはこいつのせいか。
「すみません、この子は気に入った人に水をかけるんですよー、なんでか女の子ばっかりで……」
と言ってるそばからスタッフさんに向けて水が放たれた。このスタッフさんも気に入られてるらしい。肩に思いっ切りかかったが、まるで気にしていない。この人はそこそこ長生きする。
「あはは、変態だねえキミは」
先輩はそう笑ってこの水槽を後にした。またあのタコの触手が水面から出ている。手を振っているようにも見えた。
「あれ、この水槽、鏡置いてある」
「えっと、……タコは鏡に映る自分を認識できるかも……だそうです、まだ研究中みたいですね」
へー、と言うと先輩はポーチから手鏡を取り出した。水槽の中のタコに向ける。
「ほら、こっちみろー。これがお前の本当の姿じゃ!」
水槽の中の鏡には見向きもしていなかったタコが、興味を持ったのか近づいてきた。触手で触ろうとして、水槽のガラスをなでる。鏡に、というより、単純に目の前のモノに興味があって近づいてきたように見えた。
鏡と言えば、先輩の『生限時間』の鏡文字の謎が思い浮かぶ。鏡は本当の姿を映す?なら、この謎はいったい何を表している?
水槽の中の鏡に映る自分の顔を見ながら、そんなことを考えていた。