第1話 保健室の天使
あなたは、幽霊の存在を信じますか?
僕は信じていません。見えないからです。
では、幽霊が見えるという人を信じることはどうでしょう。
――こっちは、難しい。
幽霊ではありませんが、僕にも「見える」モノがあるからです。
幽霊と何か共通点があるとすれば、そうですね、見えない方が幸せかもしれません。
◆
きっかけは覚えていない。多分、そんなものはなくて、生まれたときから見えていたんだと思う。僕は、『他人の寿命』を見ることができる。正確には、『死までの残り時間』というべきだろうか、額の少し上あたりに、カウンターのようなものが浮かんでいるのが見える。
『それ』は時間とともに減っていき、《《0のようなもの》》を示した後、消える。死体は『それ』を持たないらしい。僕はこれまでに二度、その瞬間を目にしている。祖母が亡くなる時と、……思い出したくないが、駅のホームで。
『それ』は僕の知っている数字ではなく、文字でもない。確かに何かの記号の列ではあるのだが、例えるなら、砂時計の砂を見ている感覚に近い。『それ』は絶え間なく変化し、何故か僕はその変化を量として、減っている、と認識できるのだ。どこかの言語かもしれないが、これに関しては分からないままでもいいと思っている。
中学一年の春、つまり今から三年前、『それ』に名前を付けた。自分だけに宿る秘密のチカラ、という存在に対する、中学生男子として尤もらしい行動とも言える。今となっては少し、その、恥ずかしいが、僕は『それ』を『生限時間』と呼ぶことにした。これに関してはまあ、そういう時期だったのだと思いたい。
弓那川沿いに植えられた桜は、今年も役目を終えた。川沿いの道は車通りも多く、飛ばされた花びらたちが側溝を覆っている。北更津高校では、新年度の慌ただしさも一段落し、六月の文化祭準備が始まるまでの、穏やかな日々を迎えていた。
金曜日、北更津高校では放課後の部活動が禁止されている。代わりに、委員会活動などは金曜日に集中しており、僕、水城詞は、所属する保健委員会のとある作業に追われていた。
「12R終わりました」
「うい~ないす~」
養護教諭の長谷川先生は全く気のこもっていない相槌を打つと、もう冷め始めたコーヒーを飲みほした。この人は長生きする。
二週間後に控える歯科検診に先立ち、今朝、歯科アンケートが行われた。現在はその集計中だ。先生と僕と、もう一人の三人で集計するはずだったのだが、そのバカが仕事を忘れて帰ったせいで、二年生の巌佐あやめ先輩が手伝ってくれている。この人は……、
「22R終わりましたー」
「あやめないす~」
「すみません、先輩、手伝ってもらっちゃって」
「ううん、いいよ。暇だったしね」
先輩は、国の指定難病のひとつ、『眼皮膚白皮症』を患っている。より有名な言い方をすれば、『アルビノ』だ。先天性の遺伝子病で、生まれつきメラニン色素が少なく、青みがかった灰色の瞳に加え、髪や眉毛、まつげまで真っ白だ。
また、弱視を伴うことが多く、先輩もルーペを用いながら集計をしている。日光を直接浴びることは危険で、常に日焼け止めと日傘は欠かせないらしい。放課後はこうやって、日が暮れ始めるまで保健室で過ごしているそうだ。そんなことから、先輩は「保健室の天使」として、校内で最も有名な生徒だ。
――先輩と出会い、僕の脳内を駆け巡ったものが三つあった。
一つ目、あやめ先輩は可愛かった。まあ、言ってもよかったのかもしれないが、アルビノである先輩の容姿に言及するのは、褒めているかどうかに関わらず、傷つけることになりかねないと脳内に留めておいた。
二つ目、先輩の『生限時間』は、残り一年ほどだった。十代では確かに珍しいが、街を歩けば、『生限時間』が一年未満の人なんて、それなりに目に入る。問題なのは次だ。
三つ目、先輩の『生限時間』は、《《見たことのない向きだった》》。読みにくいが、先輩の頭上には、他の人とは違う向きで記号の列が浮かんでいる。鏡文字だろうか、強烈な違和感がある。そう見える理由は、見当もつかない。
僕の中で、『生限時間』は「分からない部分は分からないまま」でいい、もう終わった謎だった。経験則で言えば、『生限時間』に関しては、考えてどうにかなった試しがない。答えが向こうからやってくるまで、謎は解明しない。気にならないと言えば嘘になるけれど、諦めるという言葉を使うほど、熱心に追いかけてもいない。
僕にできることは、ただ生きることだろう。そう、もう四クラス目も数え終わる。
「14R終わりました。あやめ先輩、24R僕がやりますよ」
「ふふ、ありがとう、《《詞くん》》」
先輩は、少し意味ありげに僕の名前を強調した。すぐに気が付いた。
――ああ、僕は今日会ったばかりの女子の先輩を、下の名前で呼んだのか。
顔が熱を帯びる。僕らしくないミスだ。先生が、あやめあやめ言うから、僕もすっかり釣られてしまった――。
初作品、初投稿です。第1章(全6話)まとめて今日中に投稿します。