やすらぎ
癒し系小説を書こうと試みました。
白い石造りの町の入り組んだ裏路地を歩く。陽射しが強く、人通りは少ない。白い四、五階建てのアパートメントが建ち並ぶ路地裏の空気はそこに住む人々の心の温もりが感じられる。建物の何階かで怒声が上がっても、ここにある平和は賑やかさを増すばかりだ。
長い階段を上り、展望所の高台に上り詰める。汗ばんだ背中に涼風が吹きつける。展望所の広場の離れたところに白いTシャツにベイジのチノパンを着た画家がカンヴァスを立ててベンチに腰かけ、大きく丸い背中をこちらに向けている。私は画家に近づき、その傍らに立つ。カンヴァスには海の風景が描かれている。私は眼下に広がる青い海を見渡す。背後に車の音がする。振り返ると、林の入口の眩しい陽の中に白い日本車が入っていく。
画家のところから少し離れたところにある望遠鏡の脇に露店商が台に古書を並べている。私は露店商の方に歩いていく。私は休みの日に露店の古書を見て歩くのを楽しみにしている。珍しい画集や外国の翻訳漫画を好んで買う。露店の古書の中には中国の挿絵入りの薬草図鑑や日本の仏像の写真集などがある。私は露店商からオランダのガラス細工の写真集を買う。私は本を脇に抱え、林を散歩する。
美しい木漏れ日を空中に模写し、頭の中ではマルチな音楽を即興で演奏する。言葉で何かを書き留めたい。シャツの胸ポケットから詩作の手帳を出す。路肩に腰を下ろし、光と風を全身に受けながら、感覚を研ぎ澄ませて慎重に活字を選び取り、手帳に詩を書きつける。
書いた詩を読み返す。もっと感性を新しくしなければいけない。私は青年期より画業や詩作を感性の記録として行ってきた。
スマートフォンを開き、フェイスブックのオンラインをチェックする。私のフェイスブックの友達は各国最高の芸術家揃いだ。皆、活発に絵を描いては投稿している。早速、出来立ての詩をツイートする。
路肩から腰を上げ、ゆっくりと林の中を歩く。金色の木漏れ日の射す木陰の蔓草や木の根を観察する。音や匂いまで絵にする幼児の絵を想う。幼児の絵には人物と同じ大きさで蟻が描かれたりする。熱や空気や風と、絵の中に描くべきものは他にもまだある。
海水浴をしたい。登山をしたい。惚れ惚れするような美しい詩を読みたい。アパートメントに戻れば、美しきイザベル嬢との楽しい語らいがある。読書は日々の暮らしに欠かせない。好きな音楽をじっくりと味わい、美しい映画や絵画を沢山観なければいけない。
風が妙に気持ちの良い場所がある。光線の加減により風景の見え方が大きく変わる。それらを写真に記録し、絵画に応用する。
自分の住む町をどう把握するか。陰影や色彩だけが町並みではない。風が吹き、雨が降り、太陽が照り輝き、夜空には聖なる月が浮かぶ。時には雷や地震や火事も起きる。霊感ある者には見知らぬ霊の声が不意に話しかけるような事もある。カルマの法則で自分の身に起きた事を解釈する。幸運な出来事の後には必ず神様に感謝の祈りを捧げる。幸運を神様に感謝すると、もっと良い事が起きるというとても素敵な教えが宗教にはある。
人にはそれぞれ社会的な役割りがある。個人的な生活面には環境的な人間関係が出来上がる。煙草屋の店主やレストランのウェイトレスやCDショップの店員と親しくなるような事が日々の孤独感を紛らわす。人間は幾らでもいる。その中で親しくなれる人間は極限られている。都会では特にその環境特徴に苦しむ。人の少ない田舎町においては同じ人との親密さを深めるしかない。
この林道の木漏れ日を見るのが好きで、晴れた休みの日の午前中によく足を運ぶ。海岸に降りる長い坂の途中に私の好きな庭園がある。
林を抜け、庭園を眺めながら、坂道を下り、海岸へと下りていく。私はそれとなく背後を振り返り、浜辺に踏み込む。私は浜辺の砂の上で立ち止まり、背中に受ける風の感触を楽しむ。母親の柔らかな体の感触を楽しむ赤ん坊のような気持ちで風の形を感じ取る。強い風が背中に吹きつける。靴を脱ぎ、靴下を靴の中に入れると、ズボンの裾を上げ、海水に足を踏み入れる。誰もいない浜辺をぐるりと見回す。靴のある浜辺に戻り、半袖のシャツを脱ぎ、ズボンを脱ぐと、パンツ一枚で海に入る。足のつかない沖に泳いでいき、海水に体を浮かべる。青い大空を見上げ、海水に浸した耳で波音を聞く。海水に沈む脚を斜めに伸ばす。この広い世界の一点として裸の心を投げ出すような機会があると、自分の関心が余りに知的な物事に偏り過ぎている事に気づく。
最近、パン屋で働く或若い娘の事をよく想う。彼女はまだ二十歳そこそこだろう。彼女の眼には読書を嗜むような知的な輝きがある。彼女の眼の奥に輝く神秘的な光に見蕩れていると、私は決まって自分の心の動きが見られている事に尻込みする。彼女は五十を過ぎても未だに女性を知らない私をどう思うだろう。私はセックスが恐くて、女性には手の出しようがない。女性自体はとても好きなのだ。セックスに対する強い憧れもある。私のような者は一度娼婦でも買って、身を任せれば良いのか。私には初体験に対する理想がある。若い頃から結婚した女性との美しい初夜を想っている。単に童貞を捨て去るだけの婚前交渉には全く興味が持てない。
海面に顔を出して浮かんでいると、空の広さに恐れを抱く。海に身を任せ、ゆったりとした気持ちで海面に浮かぶと、胎児のように安らかな気分になる。もっと日常に癒しのある和やかな時間を取り入れなければいけない。都会に生まれ育った私には真に田舎の良さを理解する事はないと思っていた。色んな事がぎこちなく為されていく。一体私は何を勝ち取れば良いのか。PCやスマートフォンを通じて幾ら世界を眺めても、それは所詮インターネットや電気通信の世界でしかない。そんな物が万能である筈がない。生活の一端を捉えて全てと見做すような世界観は何れも偏っている。都会の生活で物欲を満たし、田舎に大量に持ち込んだ表現物は田舎に移り住んで早々に処分した。パン屋で働く若い娘の魅力はまたしても知的な眼差しにある。本など読まなくても良いとは断言出来ない。読書に関心が失せても、無教養な人間の話には興味が湧かない。親しく付き合う相手が読書家ならば、私も喜んで読書に浸りたい。人の魅力を見定める尺度が文学や芸術の表現活動や信仰や読書や芸術鑑賞にしかない。人間の魅力を見出す物事が他にあるだろうか。学問か。商売か。
人生を無駄にしようとして無駄にする人はいない。やるべき事が何も出来ずに終える人生は多い。商売で大儲けする事ばかり考え、立ち上げるべき店や会社が具体的に浮かばない人生もある。それは心に強烈な不満を募らせる。不完全燃焼に終わる人生だ。何故、人生の目的が商売で大儲けをする事なのか。その人が生きている裡にその人を導いたり、判断の過りに気づかせようと、守護霊様は多くの人の口を通じてその人に気づかせようとする。
豊かな人生観は貧しい生活を通じて養われる事が多い。画業や詩作ばかりの美的な生活だけではなかなか満足しない。もっと全身で精一杯何かをしたいと思う。それを激しい恋のセックスで解消させるぐらいなら、畑を借りて農業をやりたい。農業とは大地との格闘なのか。何故私はこんなにも性愛に対して否定的なのか。愛する女性の体を汗だくになって愛する自分が何故こんなにも醜い姿に映るのか。
浜辺に上がり、服を着ると、海岸線を辿って帰宅する。アパートメントの奥の階段に向かうと、一階のイザベル嬢の部屋のドアーが風通し良く開けられ、白い下着姿のイザベル嬢が窓辺で居眠りをしている。私は眠っているイザベル嬢の淫らな姿を無遠慮に眺める事を自らに禁じ、ゆっくりと階段を上っていく。
自分の部屋のドアーの前に立ち、鍵穴に鍵を差し込む。私は自分の部屋に入る。私はソファーに横になり、気持ちの良い春の風に吹かれながら、目を閉じる。
玄関のドアーをノックする音が聞こえる。私はソファーに寝そべった体を起こし、玄関の方へと向かう。ドアーの外に立つイザベル嬢の姿が目に浮かぶ。ドアーを開けると、そこにはやはりイザベル嬢が立っている。
「昼食を一緒に如何かしら?」とイザベル嬢が笑顔で言う。イザベル嬢は胸にパンやソーセージの入った籠を抱えている。
「丁度お腹が空いていたところです。どうぞ、中にお入りください」
「あたしのような娼婦にそんな畏まった言葉使いは不要ですよ」
「あなたの前世はとても高貴な女性で、私はあなたに仕えるべき下男のように純粋な気持ちであなたに恋をしていたんです」
「あなたって本当に不思議な話を為さる方ね。あたしが昼食の準備をする間、あなたはテーブルの席に座ってらして」
私は日当たりの悪い居間のダイニング・テーブルの席に腰かけ、イザベル嬢がキッチンに籠を置き、食器棚から皿を出す姿を幸せな気持ちで眺めている。
生まれ変わりとは本当に不思議な存在認識だ。『聖書』にも原初には生まれ変わりに関する記述があったらしい。その記述は多くの聖者が語り継ぐキリスト教の深奥であり、キリスト教と言う一神教の持つ他宗教との神秘的な融合を齎す鍵にもなっている。
イザベル嬢の姿の美しさには毎回眼を奪われる。彼女を見てセックスと言う行為を男女の愛の究極の形として想い描くと、とても美しい行為であるように思う。私のような人間はセックスと言う愛の行為を唯美しく思い浮かべるばかりで、セックスの実現からは一番遠く隔たっている。セックスと言う行為が肛門を背後に晒し、動物の性愛同然に女性器に男性器を挿入するピストン運動である事を想うと、羞恥心が強く、美意識が高過ぎて、冷静になればなる程心から望み得る行為ではなくなってしまう。私は決して不能者や同性愛者である訳ではない。中学校に上がる頃には心身の潔白を重んじる余り自慰行為すら止めてしまった。男女の恋に関してはずっと美しい夢を想い描いてきた。女性的な世界観のように常に異性の存在を意識に入れて物事を突き詰める事を、私はふざけた考え方だと思ってしまう。人類とは男性と女性が大凡半分ずつ存在するのが実態である。その事を深く自覚するならば、男はもっと女性的な世界観に耳を傾け、学ぼうとする気持ちが必要かと思う。その事で男の男らしさが失われるのならば、異性の実在認識を交えない男性本来の判断力で社会に参加すれば良い。生命原理から男を判断するならば、男とは単に女を助ける存在でしかない。女もまた男を助ける存在なのだ。女は男よりこの自覚がよりはっきりしている。男は尚色恋のない男だけの世界を必要とする。それは飽く迄男の想像上に儲けた仮想世界に過ぎない。男性本位に簡略化した遊戯的な世界である。そんな不完全で偏った考えが家庭や社会や国家を形成したなら、現代の女性達はたちまち窒息してしまうだろう。歴史的にはそんな女性達の生き辛い時代が本当に長く続いてきた。私がイザベル嬢の職業を何ら咎めない理由は女性の社会的な立場を気の毒に思うからかもしれない。
イザベル嬢は肉やパンに付けるソースを幾つか作り、ダイニング・テイブルの席に着く。私はイザベル嬢が振舞う昼食の席で、神に食前の祈りを捧げると、「イザベル、あなたとの楽しい昼食に深く感謝します」とイザベルに言う。
「お腹一杯召し上がれ」とイザベル嬢は笑顔で言う。私は赤いルージュを付けたイザベル嬢の美しい唇に見蕩れる。
美しい者は美しいだけで人々の心を楽しませる。私はハムに葫の効いた豆のソースをかける。イザベル嬢は同じソースをパンにかけてパンを齧る。美味しい物を口にしたイザベル嬢の青い目が一層美しく輝く。イザベル嬢のパンを齧る白い歯が野性的な魅力を放つ。「そんなに見つめられると食べられないわ」とイザベル嬢が困った顔をして言う。
「ああ、私の無礼を御赦しください!無遠慮に見蕩れ過ぎました」
「そんなに私が好きでいらっしゃるなら、私の客になれば宜しいのに。私には絵のモデルになる事もベッドを共にするのも同じ事です」
「あなたを妻にしたいとは願っていますが、あなたとの一時を金で買う客にはなりたくありません」
「あなたに相応しい女性は他に沢山いますわ」とイザベル嬢は笑顔で言って、アボカドにマーマレイドを塗る。「実はあたし、セックスの時には、頭の中から特別な音楽が聴こえますの。官能の最中に聴くその音楽がほんとに美しくて。ああ!もしも、あたしがピアニストだったならば、あなたにそこのピアノで再現して差し上げられるのに!」とイザベル嬢が青い眼で宙を見上げ、トーン記号を描くように両手を振って言う。
「通りで!そんな事が御有りなんですか!」
「いえいえ、セックスはセックスで素晴らしいものですわ」
「そうなんでしょうね。私にはセックスの経験はありませんが、ポップ・ミュージックを聴いては素敵な女性と愛し合う一時に憧れます」
「あなたにとってセックスはロマンティックな行為なのね。娼婦って燃え上がるような激しい夜の連続よ。あたしはセックスの後の体が軽くなった者同士の会話が好きなの」とイザベル嬢がクラッカーにチーズ・クリームを塗りながら言う。
私はチリ・ソースをかけたソーセイジを食べ、グラスに入ったワインを口に含む。
「あなたはイエス・キリストとマグダラのマリアが肉体関係にあったと信じますか?」
「ああ、それは若い頃に聖書を読んだ時に思ったの。でも、今は一寸違うかな。特にあなたといると心の奥の幸福な静けさに導かれて、安らぎが得られるの。況してやマグダラのマリアの御相手はイエス様でしょ?彼女は娼婦よ?イエス様のように自分の知らない神聖な世界の事を一杯経験させてくれるような方にセックスなんて求めるかしら」
「そうですよね。その通りです。神と言う一思想家が自分の教えに反する生き方を選ぶ事もありません。あなたの古い考えの中にその事に関する疑いがあったんです」
「まあ!あなたって不思議な方ね!」
「それが私の取り得です。人には一人一人役割りがあるんです。神様は神としての役割りを周囲の人間からも求められます」
「私は娼婦であり続ける事が役割りなのかしら?」
「そんな事はありません。あなたもマグダラのマリアのように必ず改心するんです」と私はイザベル嬢の目を見て言い、「ここです。ここの神はいつもあなたに何と訴えていますか?」と私は自分の良心の胸に触れてイザベル嬢に確認する。イザベル嬢は胸に手を当て、眼光を曇らせる。彼女は右掌で良心の胸に優しく何度も触れ、自分が常に神とあった事に気づく。一体何時神様は私に妻を与えてくださるのか。私はクラッカーに磨り潰した鰯を盛って齧る。
「あたし、あなたとの大切な時間を何て無益な事に費やしてきたんでしょう。あなたは神様?」
「あなたに神性があるように、私にも神性があります。私は唯自分の神性に相応しい生き方をしようと努めているだけです」
「どうしたら、あなたのような能力に目覚めるのかしら?あたし、あなたからそれを教わったら、一生懸命修行に専念します」
「私は毎日欠かさず『聖書』を読みます。元気である事を第一とし、少年のように貪欲に経験を積もうと、忙しく日々を生きるようにしています。その生活の中に豊かな祈りの時間がそこかしこにあり、幸せになるための自主的な奉仕活動の時間があります。雨の日の昼寝や湯疲れした後のうたた寝からの目覚めは人を幸せな気持ちにさせます。そういった事を詩や絵画に表現する事が神様から私に与えられた仕事なのです」
「随分と整理された日常を過ごされてるのね」
「人生に無駄な事は何もありません。人には同じ人生で何度も生まれ変わってきたような人生時期の区切りがあります」
「そうね。人生時期は確かにあるわね」
「この世は夢のようなものです。よく注意し、繰り返し神の御教えに立ち返らねば、肝心な事は何も見えてきません」
「何だか恐いわ」
「そうでしょう。だからこそ片時も神を忘れてはいけないのです」
イザベルの母親はドイツの田舎町にいる。イザベルの父親はイザベルが小学六年生の時に他界している。イザベルは十六歳まで母親の下で育てられた。それ以後、イザベルの母親はイザベルを残して行方不明になった。イザベルの母親は三度再婚し、子供はイザベルを含め、十一人いるらしい。現在はドイツ人の亭主と幸せな結婚生活をし、その家族だけを自分の家族として大切にしているらしい。 子供の頃のイザベルはポルノ映画の裏の世界では伝説的に有名な美少女女優として知られていたようだ。その彼女が十六歳で母親に捨てられると、彼女は当然のように性を売って生活費を稼いだ。世の中には本当に酷い親がいるものだ。彼女の少女の眼は一体どんな世界を見てきたのか。良識のない大人の世界を間近に見て、彼女の心と体が玩具にされたのだ。私はもっと彼女に美しい世界を知ってもらいたい。
私は信仰の生活を望む彼女に、「自分の神様を奉った祭壇を自由に作ってごらん」と提案する。
「自分の神様を奉った祭壇!あたし、インドの人達の祭壇が大好きなの」
「クリシュナやガネーシャの神像が置かれた祭壇ですね。私も大好きです」
「それではそろそろお暇して、早速祭壇作りに必要な物を買いに出かけます」
「御馳走様でした。とても楽しく美味しい昼食でした」
「それじゃあ、また!」
満腹になり、眠気が襲ってきた。私は窓辺のソファーに横になり、仮眠を取る。毎日が幸せの裡に過ぎていく。瞼を閉じ、大気に満ちた光り輝くイエス様を想う。「イエス様の御国にある幸せに感謝致します。人類同胞に幸せの輪を広げる事を喜びを以て行います。アーメン」とイエス様に祈りを捧げる。
雨雲が陽を隠し、雨が降り出す。私は窓辺のソファーに横たわり、ゆっくりと目覚める。雨音が安らかな眠りの中に細やかな音を刻み、ハートを潤す。私はソファーに横たわったまま雨空を見上げ、透明な無数の雨の線が陽に煌く様を見つめる。アパートメントの外階段を打ち付ける雨音が心地好い。窓から降り込む水飛沫がひんやりと顔を濡らす。私はお清めの雨に感謝する。自然神の中でも雨の神と風の神とはよく戯れる。出かける寸前に雨が止み、帰宅して軒下に入ると大雨が降ったり、クタクタに疲れた体で歩いていると背後から風に押されるような事をよく経験する。自転車に乗って走行している時に突風で帽子が吹き飛ばされるのを素早く手で掴む者は何者なのか。最近は深見東州の本で日本神道の勉強をし、一霊四魂や御本霊や元津御魂や腹霊について学んでいる。
夕暮れまでにはまだ時間がある。イーゼルの上のカンヴァスの前に立ち、雲の裏の空の奥行きを描き込む。白い田舎の教会が描かれたカンヴァスの手前に鶏を三羽描く。これで絵が一枚仕上がる。カンヴァスをイーゼルから降ろし、風通しの良い壁際に立てかける。
次なる絵の構想を考えながら、再びソファーに腰かけ、手帳やスマートフォンに書き付けた詩をPCの詩集のファイルに移す。
クラッシック・ギターを手にし、風の神の音楽を作曲する。スマートフォンのMTRにその音源を録音し、歌詞のコピーを譜面台に載せ、メロディーを作る。亡くなった父の遺言に、歌のメロディーは気に入ったフレイズだけで作るようにと言う教えがある。私は作曲の際にいつもその父の教えを念頭に置いている。
ヴォーカルの吹き込みに成功すると、今度は風の神の音楽のギター・パートに重奏性を持たせるために、もう一本ギター・パートをエレクトリック・ギターで加える。その後に風の轟音や大気が軋むような音をイメージしたベース・ラインを入れ、一曲完成する。
気づくと夕暮れ時になっている。今夜は雑貨屋のアイザックにお好み焼きを御馳走しに行く。アイザックは今年で七十二歳になる。アイザックの妻は五年前に癌で他界している。アイザックの雑貨屋には毎日新聞や煙草を買いに訪れる。アイザックとは雑貨屋を訪れる度に音楽の話をする。若い頃のアイザックは映画の脚本家だった。それ以後、アイザックは四十年近く雑貨屋を経営し、その傍ら漫画を描いてきた。アイザックはソロ・アルバムを三枚も制作したような素晴らしいトランペッターでもある。私のアルバムにも何曲かトランペットで参加している。
私は夜の七時にアイザックの店に行く。途中、マーケットで今夜の夕食の食材を買い込む。アイザックの店のシャッターが半分下りて、路上に店内の灯りが漏れている。私はシャッターを潜って店内に入ると、「今晩は」とアイザックに声をかける。
「よう!光則!待ってたぞ!」とアイザックが店内の奥の自宅から返事をする。「遠慮せずに上がれよ!」
私は奥の部屋に上がる。アイザックはレコードの埃をクリーナーで拭きながら、「たまには男だけの夕食会も悪くないな」と言って、笑顔を見せる。
「それじゃあ、早速、台所をお借りするよ」
「ああ、悪いね。態々来てくれたのにお前の方が料理を振舞うなんてな。まあ、このシャンパンでもちびちび飲みながらやってくれよ」とアイザックがグラスにシャンパンを注ぎながら言うと、私にグラスを手渡す。
「何か良い音楽があったら聴いてみたいね」
「ケルト音楽の良いオムニバスを手に入れたんだ。透明感のある声の女性歌手陣によるとても美しいアルバムなんだよ。讃美歌も入ってるし、アレンジは非常にシンプルで美的だ」
小麦粉を水で溶き、そこにぶつ切りにしたイカと刻んだキャベツと長葱を入れると、フライパンで生地を焼き、生地の上に豚のばら肉を載せる。焼き上がるまでにとんかつソースを小さな器に入れ、マヨネイズを入れて、搔き混ぜる。
「このアルバムは良いな」
「良いだろう!掘り出し物だよ」とアイザックが酔っ払って真っ赤になった眼で言う。
「今日は絵一枚と音楽が一曲完成したよ」
「ほう!俺は残り三枚で漫画が完成するよ」とアイザックが私の傍らに立って、フライパンを見下ろしながら言う。
「アイザック!入るわよ!」と店の中から女性の声がする。「マンゴー・ケイクを作ったのよ」と女性が家に上がってきて言う。「あら、光則、来てたの!」とサンディーが言う。「絵は描いてる?」
サンディーは今年七十二歳になる現役のジャズ・シンガーだ。
「今日、一枚仕上がりました。今夜はアイザックにお好み焼きを御馳走しに来たんです」
「お好み焼きって、美味しいの?」とサンディーがフライパンに鼻を近づけ、匂いを嗅ぐ。「このソースが良い匂いね」
「あなたもお好み焼き食べますか?」
「ああ、折角誘ってくれたのに悪いけど、夕食はもう済ませてきたのよ。もうこれ以上お腹に食べ物は入らないわ。無理して食べたら、全部脂肪になって、カロリー・オーヴァーにもなるしね。あたしも糖尿病だから、カロリーに気をつけないと大変な事になるのよ」とサンディはフライパンを見下ろしながら言う。「じゃあ、アイザック、テーブルの上にマンゴー・ケイクを置いていくわよ!お休み!」とサンディーは言って、早々に去っていく。
アイザックがレストルームから出てきて、「おお、サンディーのマンゴー・ケイクか!」と食卓の前に立って言うと、マンゴー・ケイクを手で掴み、立ったままケイクを齧る。「うん。美味い美味い!」
「お好み焼きは普通鉄板プレイトて焼いて作るんだが、今日はフライパンで焼く事にするよ」
「ああ、腹へったあ!」
「直ぐに出来るよ。もう少し辛抱していてくれ」
近頃は外国の田舎町にも日本食の食材店があり、とんかつソースや紅生姜や青海苔や和がらしや生山葵なども手に入る。
「音楽、良いアルバムだな。俺も買いたいな」
「こう言うCDジャケットだよ」とアイザックがCDケイスを見せる。「〇年代に入って以後は碌に新しい音楽を聴いてないよ」
「俺も六〇年代や七〇年代の音楽の探索をしていて、新しい時代の音楽は聴いてないな」
「映画や漫画や小説は時代に追い着いてるんだがな」とアイザックがフライパンの上のお好み焼きを見下ろして言う。
「俺は欲しい映画のDVDは大概持ってるから、新しいのはやはり映画の場合も観てないな。漫画や小説となると、新しいのは全く読んでない」
「この味付けピーナッツを食ってみろ!」
私は味付けピーナッツを一つまみ手に取り、口の中に放り込む。
「ああ!美味しいな!」
「そうだろ。マーケットで売ってるよ」
俺は味付けピーナッツを齧り、シャンパンを口に含む。
「ようし!お前の分は焼けたぞ!」
私はフライパンのお好み焼きを大皿に盛り、マヨネイズととんかつソースを混ぜたソースを塗り、紅生姜と青海苔をかける。
「先に食べてて良いよ。俺のはのんびり焼くから」
「これは美味そうだ!イタダキマアス!」とアイザックが合掌して日本語で言う。
俺はフライパンにお好み焼きの生地を流し込む。その間にまた味付けピーナッツを食べる。
「この味付けピーナッツ、美味しいな」
「そうだろ!」
「お好み焼き、美味いな」
「それだけ大きいと二枚は食べられないだろ。食べ過ぎると気分も悪くなるしな。明日、お前がレンジで温めて食べられるようにもう一枚余分に焼いておくよ」
「ああ、それは有り難い」
「お好み焼きは家庭料理だが、日本食の御馳走の一つだよ。我々日本人は鉄板プレイトを大勢で囲んで、ちょっとしたパーティー気分で楽しく食べるんだよ」
「そんな感じだな」
俺は焼き上がったお好み焼きを大皿に盛り、もう一度フライパンにお好み焼きの生地を流し込む。俺はアイザックの座るテーブルの方にお好み焼きを盛った皿を持っていき、お好み焼きにマヨネイズととんかつソースを混ぜたソースを塗り、紅生姜と青海苔と和がらしをかける。俺はアイザックの向かいの席に腰かけ、「戴きまあす」と合掌して日本語で言う。「うん。美味いな」
「美味いよ。ほんとに」とアイザックが言う。「日本食ってえのは種類が豊富だな。麺にも色々あるし、丼物やら、肉料理やら、寿司みたいな御馳走もある。一度日本に行ってみたいよ」
「俺が国に帰る時に一緒に行くかい?」
「何だよ、おい、お前、日本に帰る予定でいるのか?」
「死ぬまでイタリアにいるつもりはないよ」
「で、何時帰るんだ?」
「来年の春かな」
「それは急だな。お前はイタリアが好きか?」
「嫌いなら五年も住まないよ。ああ、そろそろ片面焼けたな」と言って、再び台所に向かう。お好み焼きを裏返して、更に裏を焼く。再びテーブルに戻り、お好み焼きの残りを食べる。テーブルの真ん中に缶ビールが六本置いてある。「ビールもらうぞ」
「どうぞ」
俺は缶ビールの栓を開け、よく冷えたビールを喉に流し込む。
「ビールは良いな」とアイザックが言う。
「よく冷えたビールは格別美味いよ」
「今夜は食後に俺の新曲を御披露しよう。四枚目のアルバムの中の一曲なんだ」
「タイトルは?」
「『ポップ・コーン』だ」
「ほう!前衛音楽かい?」
「まあね。なかなか面白い曲に仕上がったよ。先にテーマとしてのポップコーンがあって作曲したんだ」
「漫画の新作はどんな作品なんだ?」
「賭けをするカー・チェイスの場面が冒頭にあって、主人公が勝つところから始まるんだ」
「クールな男の話かい?」
「クールな恋愛モノなんだ。ああ、美味しかったよ」
「そろそろ焼けたな」と私は言って、台所に向かう。お好み焼きは焼けている。大皿に盛って、ラップをかける。その大皿をテーブルに運び、「じゃあ、これ、明日にでも食べてくれ」
「おお、ありがとう。それじゃ、俺の新曲を御披露しようかね」
アイザックがトランペットをケースから出し、「それでは新曲『ポップコーン』です」と言って、早速トランペットを演奏する。前奏は夏の日差しのように明るい調子で、メロディー・ラインは陽気でユーモラスだ。トランペッターがこれからまだまだ新しい奏法を生み出しそうな期待をさせる一曲に仕上がっている。最後は日没の夕焼けのようなしっとりとした終わり方だ。
「おお、良かったよ」と私は感想を言って、アイザックに拍手を贈る。「それじゃ、そろそろ帰るかな」
「おお、それじゃ、また明日な!」
「今度、日本食作る時は麺類を御馳走するよ」
「うどんと蕎麦とラーメンは食べた事あるよ」
「じゃあ、締めはちゃんぽんだな」
「それ美味しいのか?」
「ラーメンの上を行く美味さだよ。スープに色んなダシが効いてて、好きな人は豚骨ラーメンよりちゃんぽんを好むよ。本場の長崎の人達は豚骨ラーメンは豚骨ラーメンで美味しいって言うんだけどね」
「へええ、食べてみたいな」
「ちゃんと御馳走するよ。じゃっ、また明日、新聞と煙草買いに来るよ」
「うん。お休み!」
「お休み」
店の半分仕舞ったシャッターを潜り、夜のストリートを歩く。街灯の下を点々と通り、行き交う車のライトを眺める。真夏の夜の神秘的な闇の透明感が大気を満たす。涼風が吹き、額の上の玉のような汗が滴る。若い女性達を連れた若い男達が車のボディーに凭れかかって、大音量で新時代のテクノを流している。若い男女が私の姿を見て薄笑いを浮かべ、「おじさん、こんばんわ」と言って笑い合う。
私ももう若くはない。若者を見ると怖いような気持ちにもなる。私には夜のストリートに車を停めて、若い女性と夜明かしした若かりし思い出はない。私は若い頃より信仰に生き、自分の霊感をコントロールするような気がかりが常にあった。若い女性の体に性的な魅力を感じながらも、自分の霊感の体で人間に触れる事が躊躇われた。私は聖職者になりたいとは思わなかった。多神教の神々のように文学芸術の神になりたいと、守護霊様がくださるインスピレイションを次々に作品化する事を繰り返していた。私は今でもあんな不良学生の夜更かしのような遊びには興味がない。折角楽しい夕食をアイザックと共有したのに、再び五十代の肉体的な老いに向き合わされる。
アパートメントに着き、イザベル嬢の部屋の閉まったドアーを見やり、階段を上っていく。さあ、イザベル嬢はこれで売春を廃業したのか。私の妻になってくだされば良いのに。私はあなたを心から愛しています。あなたが望むなら、私は月明かりの庭に跪き、あなたに愛の告白を捧げるでしょう。
二階の自分の部屋の鍵を開け、電気を点ける。私はバスルームに直行し、シャワーの水が湯に変わる事を手先で確認し、バスタブに湯を溜める。私はスマートフォンに入れたシャルロット・チャーチの全アルバムを連続して聴けるように取り込んだ音源をスマートフォンから直出しして流す。私は手早く服を脱ぎ、バスタブの中で体を洗う。シャルロット・チャーチの澄んだ歌声が惚れ惚れする程美しい。頭にシャンプー・アンド・リンスをかけ、髪を洗う。髪の汚い脂を落とし、香りの良いシャンプーの匂いを漂わせる美青年の自分を夢想する。熱い湯の中に温もり、汗を出し、全身の毛穴の汚れを湯の中に出す。ああ、イザベル嬢の事を思い出すと胸の辺りがヒリヒリする程切ない気持ちになる。あの方の少女時代のポルノ・ヴィデオを観てみたい。一度借りに行こうかとレンタル・ヴィデオ・ショップまで出かけた事がある。結局、私はアダルト・ヴィデオのコーナーに群がる悪霊の臭いに鼻をおかしくしそうで、イザベル嬢のヴィデオを借りる事を諦めたのだった。ああ言う諦めが潔癖な性格を表わしているのだろう。普通、男はあそこでお目当てのポルノ・ヴィデオを何としても手に入れる事を為し遂げるのだろう。いいや、霊感が研ぎ澄まされた者は皆、ああ言うところには入っていけないのだ。液体石鹸で顔を洗い、糸瓜タオルで念入りに体を洗う。入浴は幼い頃より一日と欠かした事がない。私は風邪で熱を出した夜も必ず入浴をするような家の習慣に親しんだ。
明日の朝はアイザックの店への買い物の帰りにイザベル嬢の祭壇を見てこよう。シャワーの湯を顔面に受けながら、目を閉じ、心を静かに落ち着かせる。ああ、嫌な気持ちが湯の温もりに癒されていく。いやあ、夏の入浴は程々にしないと逆上せ上がってしまう。私は湯船の栓を開け、浴槽から出ると、脱衣所で濡れた温かい体をタオルで拭く。
チョコレイトとナッツのかかったラクトアイスを冷蔵庫から出し、居間のソファーに腰かけ、アイス・クリームを食べる。テーブルの上のエアコンディショナーのリモート・コントロールで冷房を点ける。TVを点け、MTVにチャンネルを合わせる。ルナシーの懐かしいPVが流れている。このMTVに自分のPVが流れるようになれば、我が人生も成功した事になる。なかなか新感覚の音楽が出来上がらない。作る曲作る曲どれも在り来たりで、自分が如何に凡人かが判る。インドでは青い体で描かれるクリシュナ様と言う音楽を愛する美貌の神が崇められている。インドの音楽の無個性な音楽性を想うと、祈りによってクリシュナ様から音楽を授かる信者の音楽的感性が如何に低いかが判る。インドにはサイババと言うブラフマンの化身が現われ、彼は世界中に熱狂的な信者を持つ。彼は彼の行う物質化現象が手品であったり、少年に性的な悪戯をした事などで、世界中から信者が離れ、詐欺師だと囁かれるようになった。彼の教え風にクリシュナ様に音楽を授けてくださるように祈るなら、『オーム・シュリ・クリシュナ』と呼びかける祈りを行うのが良いのだろう。ラクト・アイスを食べ、ギターを脇に置くと、カーペットに平伏し、『オーム・シュリ・クリシュナ』と祈る。それが済むと、クラッシック・ギターを手にし、クリシュナ様の霊の導きに任せるように手の動きをクリシュナ様に解放する。体が微動だにも動かないので、ギターを弾くような動作を始めると、指が勝手に動き出し、ギターが神を音で表現する。その奏法の複雑でテクニカルな事と言ったらない。二曲続けて音楽のインスピレイションを受け、忘れないようにもう一度再現してスマートフォンのMTRにレコーディングする。これはかなり応用の利く音源だ。ギターで表現された神は日本的な神である。これなら雨の神や風の神や雷の神など、自然神を神々しく表現してみたい。インドのクリシュナ様が軽やかに美しく森を歩かれる時の場面などを音楽に出来たら、どんなに素敵な事だろう。いやあ、思いがけぬ神の恵みを得た。私はクリシュナ様に感謝の祈りを捧げる。
絵画の方でも日本の古代の神を空想的に描く事を試みている。そう言う絵を描いていると、自分の日本人としての魂が奮い起こされる。私は多神教的に色々な神々に想いがある。どちらかと言うと私は特定の宗教に入信するよりユング心理学的に世界中の神々を崇拝するような傾向にある。信仰対象こそオーソドックスにお釈迦様やイエス様を崇めるが、先程もクリシュナ様にお祈りしたように、多くの宗教と神仏を等しく愛し、大切にしている。私も日本人であるから、自然と日本神道的な信仰が特徴的に根付いているのだろう。
翌朝、六時に目覚めると、洗面、歯磨き、髭剃りを済ませ、朝食を作る。ハム・アンド・チーズ・トーストとスクランブル・エッグとインスタントのポタージュを作り、食卓に運ぶ。今日の朝食の感謝の祈りを守護霊様に捧げ、スマートフォンのニュースをチェックしながら、トーストを食べる。
朝食を済ませると、朝の読書メニュー、漫画、小説、詩集、宗教聖典を数ページずつ並行読みし、新聞と煙草を買いにアイザックの店に向かう。夏の朝方はまだ涼しい。昨晩の不良学生らの車はもうない。向こうから大きな黒いシェパードを連れた中年女性が近づいてくる。私は犬が苦手なので、道の端に寄る。
「この子は嚙んだりしないわよ」とその女性が笑顔で私に言う。
「私は犬が怖いんです」と言って、犬を連れた女性と擦れ違う。大きな犬だ。立ち上がったら、大人並の相当な身長になるだろう。
アイザックの店はもう開店している。新聞を持った老人が店から出てきて、「おはよう」と日本語で私に挨拶をする。
「おはようございます」と私も日本語で挨拶を返す。
私は店に入り、「おはよう」とアイザックに呼びかける。
「近頃はお前の『セヴンスターズ』や『ピース』に関心を持つ客が多くて、正式に日本の煙草を仕入れようかと思ってるんだ。どう思う?」
「俺が買うから在庫が溜まる心配はないだろうけど、注文販売にしたら、どうだ?」
「意外とワン・パックずつなら売れるかなと思ってるんだ」
「日本の煙草は安いしな」
「うん」とアイザックは言い、「煙草と新聞だな?」と確認する。
私は代金をレジスターのテーブルの上に置き、アイザックからお釣りを受け取る。店内には日本の漫画の翻訳本が沢山置かれている。
日本人の外国暮らしで日本の漫画を読もうとは思わない。近頃はこっちの漫画にもホラー漫画が多い。絵画の世界にもモンスターや悪魔を描く画家が多発している。私はそれを余り良くは思わない。私も悪魔の絵を描かせたら、超一流だと自負している。何で悪魔を崇める人間がいるのだろう。困った時に直ぐに裏切るような存在を信じて何の得があるのだろう。救って欲しい者を救ってもらうのに交換条件として大切なものを失うような残酷な信仰の何が良いのだろう。もっと純粋な信仰心を持つ人々で一杯になって欲しい。
アパートメントに着き、イザベル嬢の部屋の方を見ると、またドアーが開いている。私は祭壇を見せてもらおうと、ドアーをノックし、「ハイ!イザベル!」と呼ぶ。
「はい!どなた?」と言いながら、イザベル嬢が玄関に出てくる。
「祭壇は出来上がりましたか?」
「出来たわよ。あたしのお気に入りなの。どうぞ、中にお入りになって」とイザベルは言い、部屋の奥に入っていく。私もその後に続き、部屋に入る。祭壇のある寝室に入ると、二段式の祭壇に白い布が敷かれ、最上段に花を活けた花瓶を両脇に置き、真ん中にクリシュナ像が置かれ、その下の段の真ん中に線香を炊く器が置かれ、その右側に蝋燭立てが置かれ、左側にお水を入れたグラスが置かれている。
「素敵な祭壇が出来上がりましたね」
「そうでしょ!我ながら、上出来よ!」とイザベル嬢が腕を組んで満足そうに言う。
「私は昨晩、クリシュナ様に新しい音楽を授かりたくて祈ったら、素晴らしいギター・フレイズを二つ戴きました」
「あたしもそう言う風に神様から何かもらいたいわ」
「なるほど。信仰の生活をしていると、神様からの贈り物は沢山あるものですよ。お釈迦様にもイエス様にもお祈りすると良いですよ。クリシュナ様を崇めるヒンドゥーも元々は多神教です」
「ラーマ様やガネーシャ様かしらね」
「女神様もいらっしゃいますよ。『リグ・ヴェーダ』にはもっと沢山の神々の事が書かれています」
「神像を幾つも置くの?」
「神像はお好きな神のを一つ置けば良いですよ。信仰が上手く定まらないような困難を感じるなら、一神教のようにクリシュナ様を崇めれば良い」
「あたしはどちらかと言うと一神教かな」
「それで良いんですよ。我々日本人が多神教の極みのような信仰が得意なんです」
「そんなに沢山の神仏を崇めて、気が散らないの?」
「それが我々日本人の自然な信仰心なんです。まあ、一部の日本人は頑なにキリスト教の教えだけを信じようとしますがね」
「あなたはイエス様のためにも働く?」
「ええ、働きます。感謝の祈りを捧げる時もありますし、話しかけるように祈る事もあります」
「随分と神様が近くにいるのね」
「ええ。神様あっての世界だと信じています。私はよく世界平和をイエス様にお祈りします。キリスト教より大きな宗教はありませんからね」
「あたしはイエス様は弱々しくてダメ。磔に合う前に十分逃げる時間があったでしょ?ああ言う風に訳の判らない理由で磔に遭うような御覚悟が嫌いなの。あたし、これでも、若い頃は毎日曜日に教会に通うような敬虔なクリスチャンだったの。でも、世界の宗教を知る裡に、神様ってイエス様お一人じゃない、もっと選べる程沢山神様がいるんだって判ったの。仏教が取っかかりは判り易かったけど、音楽を愛する美貌の神とされるクリシュナ様に一目惚れしちゃってね」
「男性信者にも美しい女神様を信仰する人が大勢います」
「日本人って、仏教徒が多いんでしょ?」
「多いです。日本にはお寺と同じくらい神社が沢山あって、神道の信仰が合わさっているんです」
「神道には美貌の神様はいるの?」
「います。ユーロピアンはギリシャ・ローマ神話が生きた宗教なんですよね?」
「ええ。普通に神話として人生に寄り添うように親しまれているわ。ユーロープの宗教はキリスト教だけだと思われているけれど、キリスト教はあたし達の心の自由になる宗教ではないの。でも、心の片隅にもイエス様への信仰心のないユーロピアンはいない筈よ。信仰に夢中になれるお国柄としてのエイジアはとても魅力的ね」
「それはあなたが信仰に生きたいからですね」
「ええ」
「日本には無知、無学と言っても良いぐらいの無宗教、無神論者が大勢います」
「それは日本でも相当に野蛮な人種ね」
「ええ、まあ、野蛮と言うか、そうですね」
イザベルは自分の部屋に自分の好きなように祭壇を拵え、神との時間を楽しむ準備が整った。彼女の信仰に対する態度は非常に純粋で、目に見えぬ神との生活に没頭出来る資質がある。彼女は本当に愛情豊かな優しい女性で、気高く透き通るように美しい心を持っている。
「私は来年の春に日本に帰ろうと思っています」
「あら、どうしてまた?」
「元々ずっとこっちにいようとは考えていなかったんです」
「日本って、どんな国?」
「日本って言うと、非常に広範囲な規模になりますが、東京は非常に治安の良い、楽しい街です」と私は言い、イザベル嬢の気持ちを探ろうと彼女の顔を見つめる。彼女は私に一緒に東京に連れていってとは言わない。「私と一緒に日本に行きませんか?」
彼女は自分の足下を見下ろし、黙り込む。
「私と結婚してもらえませんか?」
「本当に申し訳ないんですが、実はあたし、婚約者がいるんです。その人は結婚している男性なんですが、必ず奥さんと別れて私を迎えにくると、結婚を約束してくれているんです」
「あなたはその方が本当にお好きなんですね。そうですよね。日本人の男などと結婚したい訳ありませんよね」
彼女は黙り込む。出来る事なら否定して欲しかった。ほんの少しの愛で良いから、彼女の愛を自分にも分け与えてもらいたかった。思わせぶりな態度で良いのに、彼女はそれをしない。私の愛ははっきりと拒まれた。
「それでは私は絵を描きに自分の部屋に戻ります」
「はい。描き終わったら、また見せてください」
「ええ、頑張って良い絵を描きます」
私はイザベル嬢の部屋を出る。私は階段を上り、自分の部屋に戻ると、ソファーに腰を下ろす。これで恋の告白を経験した。これからは好きな女性が出来たら、気軽に恋の告白が出来る。彼女の守護霊様にお祈りしてから告白すれば良かったかな・・・・。いいや、良いんだ。彼女には婚約者がいるのだ。そう言う事も探らなかったんだ。振られて酷く落ち込む事のないように、これからはもっと相手の事を事前によく訊き出そう。正直なところ、少し自信があった。彼女を娼婦の生活から救い上げられるのは自分だけだと慢心していた。私は本当に恥ずかしい人間だ。彼女には一流の娼婦としてのプライドがある。彼女は自分の事を何も卑下してはいないのだ。
今日描ける絵を今日は描く。自分の模倣をなるべくせずに、新しい試みで絵を描く事を続けている。風景を写生したり、静物画を描く事は余りない。絵画はなるべく想像力で描く事にしている。今日は昨日行った展望台の風景をヒントに絵を描こうと思う。単なる写実的な風景画にはせず、展望台の広がりを活かした亜空間的な特徴を中心に神秘的な絵を描こうと思う。空中に浮かんだような展望台が土台もなしに光を浴び、そこに私とあの画家が向かい合って絵を描いている。展望台の背景は銀色の宇宙の光に満ちている。展望台は宇宙から孤立した島のように描く。本来なら、そこにイザベル嬢を描きたい。残念ながら、私は彼女に振られた。彼女は私のものにはならなかった。あの画家と向き合って絵を描くような風景が私の画家としての世界になる。画家は世界にあって私一人ではない。私と彼は別々の絵を描き、彼は私の被写体となり、私は彼の被写体となる。私と彼はあの展望台で出会い、今生の接触を果たした。絵を描き終えた彼はもう展望台には現われないかもしれない。再び再会するかもしれない。私はあの場の劇的な邂逅を絵にするのだ。
キャンヴァスに向かってその絵を描く。絵画においては大分自分の色を出せるようになった。暗い絵にならないように注意していたら、原色の絵ばかり描くようになり、絵画の研究には随分と遅れを取った。今では描きたい絵を描きたいように描ける。
私は三時間没頭して展望台の絵を描き上げる。
私は霊感を得て、人の未来が見えたり、自分との前世の縁を知ったり、人の事故や死を事前に予知する能力を得た。私の本当の楽しみはそのような霊感ではなく、美味しい食べ物を食べたり、好きな音楽を繰り返し聴く事である。私は悪霊に関わらず、人の悪い未来を見ようとする事を避けてきた。私は神様を信じてきたし、不幸な人々を見ては心を籠めてその人達の幸福を祈ってきた。この世は神様あっての世界だと知ってからは、神様のために生きてきた。
近頃、結婚を想うようになったのは自分に幸せが足りない事に気付いたからだ。人生は幸せであるに越した事はない。あの世ばかり良ければ、今生の幸せがどうでも良いと言う訳ではない。私もここで本当に自分の幸せを追求しないと、神様に不幸が見過ごされてしまうと思った。天国は素晴らしいところだけど、この世の幸せを叶えない事には死ぬに死ねない。もう自分を誤魔化せなくなったのだ。
私は出来上がった作品をじっくりと眺める。何か物足りないので、画面全体にメタリックな色を少々加えてみる。
私の思いはイザベル嬢への恋心で一杯だ。これでは画家としての活動にも影響してくる。何処かでこの恋に歯止めをかけなければいけない。私は思い切って彼女を買おうかと考える。恋の成就をお金で叶えるのか。私は彼女と結婚してセックスをする事を夢見ている。その結婚における特別なセックスをお金で買うのか。何でこんなに好きな彼女と結婚出来ないんだ。私は自分を特別な男だと思い込んでいるのか。そんな事はない。跪くような気持ちでプロポーズをしたのだ。その彼女に対して彼女の愛をお金で買うのか。もうこの思い煩いを終わらせないといけないのか。やるべき事はやって、彼女との交友を続ければ良いのか。良し。ここは思い切って彼女を買おう。
私は花屋で赤い薔薇の花束を購入し、イザベル嬢の部屋のドアーをノックする。
「イザベル!いるかい?」
「はあい!」とイザベル嬢が赤いバスローブ姿で玄関に現われ、「あら、光則、何か御用?」と訊く。私は背後に隠した薔薇の花束を彼女に差し出し、「今日一日、あなたを客として買いたいんです」と真剣な眼で彼女の美しい顔を見て言う。
「漸く決心が着いたのね。随分と私はあなたに買われるのを待っていたのよ」
「私は・・・・」と私は言いかけ、泣き出してしまう。
「あらあら、大きな坊やが泣いたりして」と彼女は私の背に手を回して、優しく撫ぜながら言う。「さあ!私の部屋に入って!あなたは私の大切なお客様よ。あたしがどれだけあなたとしたかった事か」
私はハンカチーフで涙を拭き、愈々彼女が単なる娼婦であった事に気づく。彼女は常に娼婦として私に接していたのだ。彼女がセックスに関して非常に自由な考えを持っている事もよく判った。彼女は私の左腕を抱き締め、「その居間の右隣が私の寝室よ」と部屋の中を歩きながら言う。彼女の寝室に入り、心の動揺を抑えていると、
「何から何まで言わせる人かしら?」とイザベル嬢が苛立ったように言う。
「何から何までって?私は何も知らないんだ」
「服を着たままセックスをする人はいないのよ」とイザベル嬢が皮肉な口調で言う。
「いきなり服を脱ぐのかい?何か話さないのかい?」
「お話をしに来たなら、あなたの部屋に行きましょう」
「いいえ、私を男にして欲しいんです」
「私は本当はあなたとするとは思ってなかったの。あなたとは善き友人でありたかったの」とイザベル嬢が涙目で私を見つめて言う。「あなたはセックスなんてしなくても立派な男性よ」
「私が嫌いなんですか?」
イザベル嬢が涙目に笑みを浮かべ、「嫌いだなんて、あなた、誰の事を訊いていらっしゃるの?」と言う。
「私は女性が怖いんです」
イザベル嬢がきょとんとした眼で黙り込む。イザベル嬢は生唾を飲む。
「誰でも最初は怖いものよ」とイザベル嬢が優しい眼で言う。「あなたもセックスを経験したなら、女性を怖いだなんて思わなくなる。今のあなたは純粋な男性よ。女性と対等な立場にあるの」
「私はセックスをしたら、変わるんですか?」
「あなた自身は何も変わらないけれど、女性を見た目に美化する気持ちが段々となくなるわ。でも、あなたは女性を性の玩具にはしない。愛する対象として女性を見る確かな心がある」とイザヘル嬢が真剣な眼差しで言う。彼女は私に何かを託しているのか。それとも彼女は私が変わる事を恐れているのか。
「そうしてお話をしてくれると安心する」
「私の相手は皆、お話なんて抜きで、さっさとしたいお客ばかりよ」
と私を恨むような眼で言う。いいや、私を恨んでいるのではない。私を見て他の男の事を投影しているのだ。私は人間の綺麗な心の面ばかり見てきたのか。これが女性を見た目に美化しなくなる前兆なのか。イザベル嬢が私の心を探るような心配そうな顔で見ている。ああ。心の動き・・・・。ロマンスは相手の心の動きも確認するのか。イザベル嬢がにっこりと微笑む。私は神を見ているのか。イザベル嬢の顔が光を放ったように明るくなり、「心の美しい方!私の何をごらんになっているの?」と私に問う。これが彼女なのか。私はこんなにも美しい人を前にして、この人を恐れていたのか。
「あるがままのあなたを見ているんです」
「あたし、綺麗?」とイザベル嬢が挑発的な眼で訊く。
「ええ、とても美しいです」
「そう」とイザベル嬢が満足気に言う。
私は両手を広げ、「さあ!どうか、私の胸に飛び込んできてください!」と言う。イザベル嬢は咄嗟に私との距離を縮め、私に口付けをする。ああ、彼女の唇が・・・・。何て柔らかい唇だろう。花のような香水の匂いが私の鼻先を蔽う。私は口付けされたまま上着を脱ぎ、ズボンのベルトを外す。どんな者の力でも良い。私は彼女の心と体を征服したい。私は彼女の唇に迫る。私は彼女の赤いバスローブの尻に手を回し、彼女の尻を揉む。私は彼女のバスローブの紐を解き、彼女の左胸を右の掌で揉む。掌から溢れる程に豊かな胸をしているのが掌の感覚で判る。私が彼女の胸を見ようとすると、彼女の唇が私の唇に吸い付いてくる。私は彼女の赤いバスロープを脱がす。私は彼女の唇から唇を離し、彼女を抱え、ベッドの上に降ろす。私は下着を脱ぎ、靴下を脱ぎ、シャツを脱いで、素っ裸になる。私はベッドに乗り、裸の彼女の上に乗る。私は両手で彼女の両胸を掴み、彼女の左の乳首を吸う。私の心の中にこんな積極的な性的本能があったのかと少し驚いている。彼女は下着を着けていない。私は彼女の股の方に近付くように体をズラす。彼女の陰毛は髪の色と同じく黒い。私は彼女の陰毛に顔を埋め、彼女の両脚を開いて、膝を立てる。女性の陰毛がこんなにも美しく見えるのを私は知らなかった。彼女の陰毛を右手で掻き分け、彼女の割れ目を見る。これだ!私が少年の日に目撃した衝撃的な少女の性器は!私は彼女の割れ目にキッスをし、クリトリスを何度も何度も嘗める。私は彼女の濡れた膣が開いたり閉じたりするのを見る。まるでイザベル嬢が股の間で呼吸しているみたいだ。私はイザベル嬢の柔らかな白い内腿に舌を這わす。私も若い頃はポルノグラフィーを時々観て、こんな白い内腿に性的な魅力を感じたものだった。内腿の柔らかさを手で揉んでみる。とても大切な命に手で触れているような喜びを感じる。モノは限界まで勃起し、そそり立っている。
「中に入れても良いでしょうか?」
イザベル嬢は閉じた目を開け、にっこりと微笑んで頷く。私はモノをイザベル嬢の膣の中に挿入する。イザベル嬢が「ああ」と短い声を漏らす。私はゆっくりと腰を前後に動かす。足の置き場が何だか悪く、正確な体位を探るように自分の膝位置をイザベル嬢の体との間合いで調整する。アダルト動画では物凄い速さで腰を動かし始めると、最後に射精を実現する。それまではゆっくりと腰を動かしていた。私もそれに倣い、ゆっくりと腰を動かし、竿の長さを活かして腰を動かす。
「そう。上手よ」とイザベル嬢が潤んだ眼で私を見て言う。「引いたら、グッと根元まで入れるの」
「こうかな・・・・」
「そうよ!良いわ!もっと奥を激しく突いて!」
「こうかな?」と私は確認して、力強く腰を振る。モノの方はまだマックスに達してない。私は激しく腰を振る。
「もっとペニスの長さを活かして、大きく腰を動かして!違うの!根元まで入れて押し続けても、穴の中でペニスが動かないから気持ち良くないの」
「こうかな?」
「そう!そう!上手いわ!」
イザベル嬢に親しみが湧いてきた。セックスとは非常に楽しいコミュニケイションだ。私は腰の動かし方が判り、目を閉じて、イザベル嬢の穴の中の温もりを味わう。
「もっと激しくしないとあなたがイカないわよ」
私は眼を開け、「ああ、そうか。あなたの声を聴いている事が嬉しくて、自分の射精を思わなかった」と言う。イザベル嬢が目を閉じて薄笑いしている。私は何だか暴力的なセックスを望み始めて、激しく大きく前後に腰を動かす。イザベルの理性の壁を壊してしまいたくなったのだ。
「ああ・・・・」
私はイザヘル嬢の中で破裂する。
イザベル嬢が眼を開けて、「イッたわね」と楽しそうに言う。
「ええ。私は自分の子があなたの中に宿るように中で射精しました」と私は言い、モノをイザベル嬢の穴の中から抜く。イザベル嬢が半身を起こし、「あたし達のベイビーが出来たら良いわね」と笑顔で言う。
「私を夫にして戴けませんか?」
「前も言ったけど、私は婚約者がいるの」とイザベル嬢が眼を輝かせて言う。
「私はあなたを愛しています」
「あたしもあなたの事をとても愛してるわ」とイザベル嬢が明るい笑顔で言う。
「ならば、覚悟して私と結婚してください」
「プロポーズね。申し訳ないけど、あたし、本当に婚約者に恋をしてるの」
「そうですか。ところで、お幾らでしょうか?」
「あらっ、ちゃんとお金を払いたいのね。あなたとはあたしがしたかったのよ。お代金はサーヴィスしておくから、正午に一緒にお食事をしましょう。私の得意なスペアリブを御馳走するわ」
「そうですか。ありがとうございます。それでは自分の部屋でお待ちしております」
私は自分の部屋に戻り、死に化粧をしたイザベル嬢が棺桶の中に横たわり、色とりどりの花に体を埋められた絵の下絵を空想で描き、セックスの時に悶える悲痛な顔をしたイザベル嬢の裸婦像の下絵を空想で描く。絵にしたいモチーフはイザベル嬢の姿ばかりだ。私は棺桶の方のイザベル嬢の絵に着色する。筆捌きは素早く、一時間で描き上げる。私は続け様にイザベル嬢の裸婦像に着色する。私はこう言う多作の画業に憧れていた。私は続いて、フラメンコを踊るイザベル嬢の魅惑的な絵の下書きをし、白いウエディング・ドレスで床にしゃがみ込むイザベル嬢の絵の下書きをする。
イザベル!イザベル!私の愛おしき人よ!
「美味しそうなスペアリブが出来たわよ!」とイザベルが部屋に入ってくる。「あら、棺桶で眠っているのは私かしら。こっちのセックスの最中の絵も私よね?こっちの下絵二枚も私の絵ね」
「私の絵は空想画なんで、色んなイザベルが描けるんだ」
「あたしにそっくりよ。あたし、この棺桶の絵が好き」
「これからもあなたをモデルに絵を描いても良いかな?」
「どうぞ、御自由に!」とイザベルがダイニング・テーブルに料理を並べながら、笑顔で言う。「お皿出すわよ」
「ああ、どうぞどうぞ」
私はテーブルの上の御馳走を眺める。
「あなたは画家として食べてるのよね」とイザベルがナイフとフォークで私の皿にスペアリブを盛りながら言う。
「何とかね」と私はイザベルの瞼の形を眺めながら言う。
「それは立派な事だと思うわ」とイザベルが自分の皿にもスペアリブを盛りながら言う。
「なかなかお金持ちにはなれないけれどね」
「お金持ちになんてなれないわよ。皆、細々と生活に足りる分で生きてるのよ」
「そうかもね」
イザベルは食前の祈りに入る。私も守護霊様に食前の感謝の祈りを捧げる。
「それじゃ、戴きましょうか」とイザベルが明るい声で言う。
「戴きます!」と私は食事を作ってくれたイザベルに感謝する。
「牛肉の干し肉やサラダもあるから、食べたい物を自由にお皿に取って食べてね」
「うん」と私はスペアリブを齧りながら返事をする。「ヒンドゥーは牛肉を食べないんだよ」
「へええ、そうなんだ。あたしもこれから牛肉を控えようかしら」とイザベルがスペアリブを嚙みながら言う。
「私は何でも食べるよ。キリスト教も仏教も神道も食べてはいけない食べ物はないんでね」
「あたし、全くクリシュナ様の教えを知らないの」
「音楽を愛する美貌の神と称されているよね。インドの宗教画で見る限り、青い体の美しい神様だよね」
「そうなの」とイザベルが胸の前に手を組んで、嬉しそうに言う。
「『マハーバーラタ』だったかな。インド最古の長編叙事詩なんだけど、クリシュナ様の事が描かれているんだ。ラーマ様って言うブラフマンの事は『ラーマーヤナ』に書いてあるらしい」
「じゃあ、両方とも読んでみるわ」
「うん。その方が良いよ」
「日本の神様って、沢山いるらしいわね」
「日本にも神話があるんだけれど、日本の神は外国の神の日本名だったりもするんだ」
「多神教らしいわね」
「うん。基本的には守護霊様の御導きで生きるのが神道の信仰なんだ。何かって言うと守護霊様信仰の基礎に帰り、人の内外から送られてくる守護霊様のメッセージをイメージの塊のようなもので受け取るんだ」
「声や言葉じゃないの?」
「瞬間的に受ける閃きのような直接的なメッセージは声や言葉じゃないんだ。他者の口を通じて守護霊様のメッセージを外から受け取る事も出来るんだ。外からのメッセージは本当に自分の相手の言葉なんだよ」
「誰にでも判るの?」
「よく注意して生活していれば、誰にでも判るよ」
「守護霊様って、日本人?」
「外国人の守護霊様は神霊になった外国人の御先祖様である事が多いから、普通は同一人種だよ」
「世界には色んな宗教があるのね」
「うん。このスペアリブ、物凄く濃厚な味で美味しいよ」
「そう。嬉しいわ」
「普段、私の食事は本当に質素な物だから、御馳走を授かる時は神様の御褒美だと思ってるんだ」
「じゃあ、毎日御馳走を作って、あたしが作っている事に気付いてもらうわ」とイザベルが私の眼の奥の心に訴えかけるように言う。
「それでも神様を想い、感謝するのが信仰者さ」とサラダを皿に盛りながら言う。
「一寸あなたの信仰心に嫉妬しただけよ」とイザベルが茶目っ気ある顔付きで言う。
「私はタゴールの『詩集』を読んで嫉妬したよ」と干し肉を皿に盛りながら言う。
「人の深い信仰心には嫉妬するものなのね」とイザベルがサラダを皿に盛りながら言う。
私はフランスパンにアンチョビ・ソースをかけて齧る。
「あなたは太らないですね」
「料理にはちゃんとカロリー計算を取り入れてるの。あたしは娼婦だから、体が資本でしょ?」
「結婚したら、娼婦を辞めるんですよね?」
「勿論辞めるわよ」とイザベルが言う。「ねえ、光則、日本や中国の書道って、何で文字を見事な筆捌きで描く事に意味を持たせたの?」
「難しい質問だね。書の道には書の心があるんだよ」
「野球をやるには野球の面白みが判らなければ、野球をやる気にはならないのと同じね」
「書の味わいみたいなものを書の鑑賞者は経験するんだけど、弱冠文字の意味が判らない外国人には飛躍したレタリング文字のようにも感じるだろうね。大体漢字は象形文字を原点とするんだ」
「元々は説明的な絵みたいな文字なのよね?」
「うん」
「あたしは書には人間の深い精神性を感じるわ。サンスクリット文字とはまた違った魅力があるのよね」
「詳しいね」
「あたし、東洋の文化に幅広く関心があるの」
「最近は日本に訪れる外国人が日本文化を本当によく勉強してくるんです」
「昔の西洋人にも日本文化を深く研究して本にした人達がいるわ」
「私もその辺の外国人の本は二、三冊読みました」
「で、どう思ったの?」
「その人達なりの真剣さを感じて、素晴らしい日本文化の紹介文だと思いましたよ。でも、彼らの本を手本に日本文化を追究しようとは思いませんでした」
「日本にいる日本人って、西洋人を差別するって、知り合いが言ってたわ」
「我々は外国人に対する差別心より、外国人に対する異常な緊張感にプレッシャーを感じるんです。日本は島国で、大陸のように異人種の数がそんなに多くないんです。あなたを気軽に自分の家の夕食に誘えるような日本人は相当に英語やあなたの国の言葉が堪能な日本人だけです」
「何だか緊張して手に汗を搔いてきたわ」
「そう言う繊細さは日本人の心にも通じます」
「日本人の心って表現には何かとても違和感を感じるわ。心はどの人種の心も同じじゃない」
「それは違います。エイジアの国々は特に生活習慣や物の感じ方が他と異なるんです」
「何だか難しい事が目の前に立ち塞がるようね。ほらっ、触ってみて」とイザベルが私の左手に自分の右手の汗に触らせる。
「本当だ。本当に緊張しているんですね」
私はイザベルが自分の汗に触れさせてくれた事に親しみを感じる。
私はセックスを体によるコミュニケイションなのだと知る。私は彼女の常連客が彼女との関係に満足している様を理解する。彼女の愛がもっと欲しければ、彼女にお金を払って愛を得れば良いのだ。娼婦の愛はそれだけのルールを受け入れるだけで勝ち取れるのだ。ビジネスとしてお金で成立した肉体関係にもちゃんと愛が存在する。私はたまたま娼婦に恋をし、娼婦の愛を得るために娼婦とのルールを受け入れたのだ。私は再び彼女を買う事はしないだろう。その代わり、男になった新しい自分の心で神様から自分に与えられる恋人や妻を探すのだ。私はイザベルとのセックスを経験し、自分に自信を得た。セックスなど神秘的な行為でも何でもない。人間同士の身体的なコミュニケイション手段だ。セックスをした事で自分に穢れが出来た訳でもない。私は男としての自信までも得た。その上、私のハートは真新しく生まれ変わった者のように爽やかな心で満ちている。娼婦も例外なく神の使者だ。娼婦とは母親の代わりに男を真に男にする役割りを担った天使なのだ。私はイザベルにプロポーズして振られ、イザベルとは結婚出来ないと諦めた自分に恋の自由意思を感じている。若い頃は自分の妻は処女であるべきだと思っていた。そのような拘りも今はない。一方、処女を相手にセックスをする自信も得られた。次のセックスは必ず恋愛関係により実現させたい。イザベルとは親しい友達で良い。私は彼女の婚約や結婚を心から祝福したい。
イザベルとの昼食を終え、「また明日ね」とイザベルは言って、私の部屋を去る。
また明日か。私は切りの良いところでこの地を離れたい。振られた女性と何時までも交遊を続けるなんて余りにも女々しい。私は本当にイザベルに恋をしているのだな。割り切れない想いは繰り返し彼女の客になれば良いのか。それが人気娼婦との付き合いなのか。遊郭に通う旦那方とはそう言う恋心を遊び心にしていたのか。叶わぬ恋。何が叶わぬ。彼女と結婚出来ない事がか。彼女は毎夜複数の男と平気で寝ているのだぞ。私とだけではない。私との事は彼女がビジネスとして割り切って行った事なのだ。私は純粋なだけで人の心の裏を読む事をまるで知らない。作家や画家は大概女遊びをする。女遊びを芸の肥やしにするのだ。芸の肥やしとは私が今日描いたような絵の題材の事ではないか。私は馬鹿なのか。どうこの気持ちを解消すれば良いんだ。私は人気娼婦に夢中になっているだけではないか。私はここを去りたい。これでは余りに男として虚しい。私は彼女との結婚を諦めたのではないのか。今、ここで現実から逃避する事が自分にとって一番良いのか。もう少し大人になった方が良いのではないか。体の関係になった女性との昼食会は家族との付き合いのように温もりがあるではないか。ダラダラと割り切れない恋心を遊び心にするのか。神様はこの五十過ぎの男にそんな遊び心を覚えさせようとしているのか。良心すら咎めない。私が清らかな憧れの気持ちでイザベルとセックスをしたからか。私がこのまま放蕩を繰り返したなら、地獄に落ちるだろう。違うのか。守護霊様は私が地獄に落ちる事を御存知だから、生きている間に良い思いをさせてくださっているのか。お釈迦様は両親のセックスにより両親の精子と卵子が受精してお生まれになった。イエス様は聖母マリア様の処女受胎によってお生まれになった救世主とされ、聖母マリアはその後夫とのセックスによってイエス様の御兄弟を御生みになった。そのマリア様を聖母マリアと称する。『聖書』にはイエス様がマグダラのマリアとの一夜でセックスをしたとは書かれていない。私は救世主ではないけれど、信仰ある者として愛おしき娼婦とセックスをした。私は娼婦マリアならぬイザベルとセックスをし、セックスの実態を知っただけでなく、愛あるセックスをこの心と体で経験した。私は正式にはクリスチャンではないけれど、精神的にはイエス様をお釈迦様同様に偉大なる聖者として崇め、敬虔なクリスチャンだと思って生きてきた。何時も性について悩むのが『聖書』に関する記述だった。私はキリスト教やイエス様の教えによる精神の支配から抜け出すべきではないだろうか。私は聖者の性体験に関する事を必ず心から排する。何故か。それでは何時まで経っても、自分が両親のセックスにより生まれてきた事を神聖な気持ちで肯定出来ない。私の神はユングのように世界最大の宗教であるキリスト教を否定するように望まれているのか。私は神道の信者でもあるから、多神教を信仰している。一神教的な教えと多神教的な教えが自然に自分の信仰心に同居している。各宗教の教えの違いを正そうものなら、一つの宗教的な真理で宗教を統括する事などとても出来ない。十字架に磔に遭ったイエス様の痛々しい御姿を思うと、イエス様を捨て去るのは非常に難しい。私は何も穢れた事をしていない。この判断が悪魔的なのか。自分の存在を罪深い者として捉える事だけが正しいのか。私の性体験の言葉は悪魔に翻弄されているのか。そんな筈はない。良心は何故主張しない。私の気持ちが舞い上がっていて良心の判断を捉えられずにいるのか。いいや、そんな筈はない。私は守護霊様の存在も忘れてはいない。セックスを経験して私の信仰上の志しに揺らぎが生じた点はない。この高揚感。この健全なる充足感。男としての自己肯定感。私にはこの心地好さを否定する理由が何もない。セックスとは間違いなく愛の行為である。愛し合う男女の微笑ましいコミュニケイション手段である。私の中の罪の意識こそが悪魔の悪戯なのではないか。天国と地獄の狭間に立たされたような心の揺らぎ。空を飛ぶ事が出来なくなった鳥のような悲しい気持ち。間違いない。私は悪魔により自分の性体験を穢されているんだ。自慰行為に罪の意識を感じ続けてきた人生にいつも関わってきた悪魔。その同じ悪魔がまた表われただけなのだ。自慰行為による愛はこの宇宙のエナジーを愛のエナジーに転換する。人妻への叶わぬ恋心も自慰行為の世界では十分に満足させてもらえる。
私はここを去らない。今、この地を去る事は間違った判断だ。私は正確に守護霊様に導かれている。私は正確にセックスの実態を知ったのだ。そのチャンスは悪魔が齎したのではない。この高揚感は間違いなく神様の祝福である。神様から与えられた私のペニスはイザベルを前にして見事に勃起した。私は射精も果たした。或人妻が手淫ばかりで射精する習慣のある男性はセックスをしても射精しないのよと言っていた。ああ言う女性が守護霊様の重要なメッセンジャーだったのだ。その真実を知らなければ、私はセックスで射精しない者は神様の祝福を受けていないと判断するところだった。性に纏わる罪の意識は良心の咎めではない。悪魔の囁きなのだ。シャドーと言う悪魔の元型はセルフと言う仏性の元型のところにもいるとユングは言う。ゲーテの『ファウスト』にも書かれているように、悪魔は常に神の直ぐ傍に存在するのだ。
私は学校の歴史の教科書で隠れキリシタンの弾圧手段に用いられた踏み絵の歴史を知った時に、自分だったら踏むかどうかをよく考えた。私は心の中でごめんなさいとも言わず、イエス様の肖像画をどのように踏んでも心の広いイエス様なら許してくださると、日本人のキリスト教徒的な問題を楽にクリアーした。『聖書』にも悪魔は登場する。私は踏み絵の問題にも踏み絵を踏む事を思い悩ませる悪魔が関係しているように思う。
私はソファーに腰かけ、イザベルを描いた描きかけの絵二点を遠目に眺める。私はイザベルと愛し合った事がとても嬉しかったのだ。遊びを芸の肥やしにするとはああ言う絵の事なのだなと思うと、私の気持ちは複雑である。私の眼から涙が零れる。私はしゃくり上げるように泣き始める。私はやはり真剣にプロポーズをして振られた事がとても悲しかったのだ。もっと自分の気持ちを大切にしなければいけない。子供のように声に出して大泣きしたら、何だか妙に心が澄み切ったような晴れやかな気持ちになる。何しろ初めて女性に恋の告白をしたのだ。そう言う事を五十過ぎまで一度も経験していないと言う事自体がおかしいのだ。人気娼婦のイザベルに一時夢中になって愛の行為を重ねるのも良いじゃないか。大好きな女性と何度も寝て、好きな人からの愛を貪るのだ。プライドなんてどうでも良いじゃないか。結婚してくれなくとも、婚約者の決まった女性と好きなだけ自由に愛し合えるのなら、それで良いじゃないか。それは彼女の同意ある合法的な愛の行為なのだ。彼女は娼婦なのだ。客からお金を取ってセックスをするのが彼女の仕事なのだ。彼女が結婚して娼婦を止めるまでは何度彼女との一時をお金で買っても良いのだ。彼女とは彼女の手料理を楽しむ昼食会もある。そう言う関係をセックス・フレンドと言うのか。セックス・フレンドなんて自分には全く関係のない女性関係だと思っていた。彼女は私からお金を受け取らなかった。次は必ずお金を払おう。その方が判り易いではないか。またしても彼女がお金を受け取らなかったら、正しくセックス・フレンドだ。私は不良中年なんだろうか。そんな事を考えていたら、とても愉快な気持ちになってきた。さあ!気分転換に街のカフェにでも行って、クロワッサンとホット・ココアでも楽しもうか!
完
純文学らしい仕上がりになりました。