65 侯爵と伯爵
落ちついた調度でまとめられたオールド伯爵家の応接間で、その伯爵本人が絨毯の上に額を擦りつけている。
椅子に座っている客人、ウルグレン侯爵に向かって。
「このたびは、本当に、本っ当に申し訳ないことをしたっ……!! 詫びのしようもない……!!」
貴族としてはもとより、領地を与る領主としては非常にみっともない姿だ。
正直、ここまでさせるつもりなどはなかったのだが、しかし謝罪を受けているウルグレン侯爵は、彼の行為を、ひとまずは止めなかった。
それが最大限の謝意だと理解しているし、彼とは気心の知れた仲である。みっともないとも思わない。
ひととおり友人の好きにさせたあとで、椅子に座ったまま、ウルグレン侯爵はようやくその口を開いた。
「その謝罪を受け入れるよ。だから、そろそろ顔を上げて、普通に話をしようじゃないか、親愛なる友よ」
「だが、それではとても私の気がおさまらんっ……!」
「君は、謝罪をしている相手を心苦しくさせる気かい?」
「そんなつもりはない!!」
「それじゃあ座って、お茶でも飲もうよ」
これではどちらが屋敷の主人かわからないが、謝罪相手が言うのだ。オールド伯爵は仕方なく椅子に座った。
使用人が紅茶を入れ直し、二人の前に置く。
しばし黙ってカップをかたむけ、オールド伯爵の表情がわずかに緩んだのを見計らってウルグレン侯爵が声をかける。
「少しは落ち着いたかい?」
「……あぁ」
「それはよかった」
オールド伯爵がカップをソーサーに戻し、膝の上でぐっと拳を握りしめる。
「……あれほどの規模の犯罪を、私は、愚かにも見逃していたんだ。それも、レーナ嬢まで危険にさらしてしまった」
ウルグレン侯爵が、己の治める領地に隣接する領地の主、オールド伯爵のもとへやってきたのは、闇オークション会場の件で話をするためだった。
闇オークションが行われていたのは、オールド伯爵の領地内。そして自ら捕まりにいったとはいえ、奴隷としてオークションにかけられる予定だったレーナは、ウルグレン侯爵の一人娘なのだ。
「金や物で済むとはまったく思ってはいないが……提示された賠償内容は、すべて呑むつもりだ」
オールド伯爵のその発言は、貴族にとってあまりにも致命的なものだ。
いくら領主の責任であったとしても、賠償とて交渉はするもの。言われたものをすべて差し出すなど、家を潰してくれと言っているようなものである。
だがそれも、この二人が旧知の仲であるからこそなのだろう。
「ほかはともかく、レーナの件は僕の責任だから気にしないで。まさか自分を囮にすることで場所を暴こうとするなんて、思いもよらなかったよ」
ウルグレン侯爵は苦笑をこぼす。
きっかけは、屋敷を抜け出すたびに一緒に遊んでいたという城下の子供がさらわれたことらしいが、それでそんな行動に出るなど予想外もいいところだ。
そんな風に育てたつもりは毛頭ないのだが、ずいぶんとおてんばな娘になってしまった。
生来の気質なのだろう。いまは亡き妻も、成人するまではずいぶんとおてんばだったらしいので、母親ゆずりといったところか。
「貴族には面倒な体裁や面子といったものがあるからね、一応、かたちばかりの請求はするけど、君を責めるつもりなんてないよ」
「だが、あのような犯罪組織の活動を許していたんだ。隣にある、おまえの領地にだって、少なからず被害や損失が出ているはず」
「それはお互い様だろう。本物の悪党は狡猾だ。隠すのも隠れるのも巧い。僕の領地にだって、隠れ潜み逃れている者がいる。ともすれば、君の領地にまでその汚い手を伸ばしたり、追い詰められて流れていく者もいるはずだ。だから、うちに支払う余裕があるのなら、無辜の民が悪党の食い物にされないよう、そちらに回してほしいかな」
わざと冗談めかして片目をつむるウルグレン侯爵に、オールド伯爵はこみ上げてくるものを飲み込むようにぎゅっと唇を噛んだ。
そして震える喉から、言葉を絞り出す。
「……ありがとう。本当に、ありがとう」
「礼を言われることでもないと思うけどなぁ」
オールド伯爵は泣きそうな顔で、ウルグレン侯爵はすまし顔で、二人は小さく笑み交わし、再びカップに口をつける。
「それに僕らのほうも、君の領地に許可なく騎士を侵入させているからね」
自領内ならまだしも、ここは他領。本来であれば、ウルグレン侯爵の騎士の一団が勝手に入るなど許されない。
敵意ありとみなされてもおかしくはないのだ。そもそも、その領地の騎士に任せるべきなのである。
しかしながら、自分の娘が関わっていること、あまり時間をかけたくなかったことから、ウルグレン侯爵は騎士たちに冒険者のような恰好をさせて偽装し、無断でこの領地へ入った。
そうして現在、事後報告に来ているというわけなのだった。
まぁ、概要はすでにオールド伯爵にも報告が入っているのだが。
「デーモンと悪魔が出現し、客のほとんどが殺害された、という話だったな」
「うん。あれはひどいものだった」
今回、騎士たちを率いて侵入させたのは、ウルグレン侯爵当人だ。
ゆえに、あの凄惨な会場内のさまをその目で見ている。
「オークションで落札された商品の中に、召喚アイテムがあったみたいだよ。それをおそらく、運んだ人間が作動させてしまった。あるいは故意だったのかもしれないけれど、幸い、そのアイテムは使い捨てだったようで、見つけたときには粉々になっていたよ。ただの残骸だ」
オールド伯爵の視線が鋭くなる。
「競り落とした奴がいたんだよな?」
「確認したら、殺されていたよ」
「そうか……」
いったい何に使うつもりだったのか、と眉をひそめるオールド伯爵。
落札者が死んだ以上、その真相は闇の中に葬られてしまったかたちになるが、ものがものだ。ろくなことではあるまい。
「身元や背後関係なんかの調査は君に任せるよ。といっても、たぶん個人的なものだろうけどね」
「根拠はあるのか?」
「ないよ。僕の勘だ」
「……そうか。一応、調査はしておく」
「うん。けどまぁ、どちらも表に出る前に消えてくれたのは僥倖だったね」
「違いない。しかし、悪魔か……レーナ嬢の従者が戦ったと聞いたが」
「戦ったというのは間違いないみたいだけど、倒したのは別の子だ」
「ひとりで、か?」
「うん、ひとりで。しかも、まだ十代半ばくらいの少女だったそうだよ。レーナが言うには一緒に捕まっていた子だって。それはもう、すごい戦いだったみたい」
「なんと……」
魔界に住むとされる悪魔など、そうそうお目にかかれる存在ではないが、基本的な情報はオールド伯爵も持っている。
デーモンも大概だが、悪魔は格が違う。ランクをつけるとすれば、一番下をFとして、Aは堅いとされている。それをひとりで倒したというのだから、とんでもない話だ。それも、まだ十代半ばの少女が。
「なんにせよ、その子は娘の命の恩人だ。相応の礼をしないとね。ただ……」
「どうした? 何か問題が?」
「現場からいなくなってしまったんだよねぇ」
騎士の隊を実質、率いていたウルグレン侯爵だが、仮にも家の当主。危険な場所へ先頭を切って突入などさせられない。
ということで、安全が確保できるまで会場の外で待っていたのだが、レーナが騎士と話しているあいだにどこかへ消えてしまったらしいのだ。
ゆえに、ウルグレン侯爵もその少女を見ていない。
「なるほど。しかし、この辺りからさらってこられたのなら、うちの領民か、おまえのところの領民だろうが……それほどに強い少女がいるという話は、聞いたことがないな」
「うちの領民ではないみたいんだよね。ストロベリーブロンドの長い髪に紫紺の瞳を持つ、寝巻きみたいな恰好をした美しい少女、ということなのだけど、何か知らないかい?」
「寝巻き……? いや、私は知らないな。そのような人物がいれば、多少なり耳に入ってきていてもおかしくはないが……こちらでも情報を集めてみよう」
「よろしく頼むよ。こっちはこっちで、唯一の手がかりをあたってみる」
「ほう、手がかりがあるのか。それでもし見つけられたのなら、そのときは私にも知らせてほしい。こちらとしても、迷惑をかけたことへの謝罪と、悪魔を倒してくれたことへの礼がしたい」
最悪、倒せなければ、そのまま会場外に出た悪魔によって、多くの領民たちが犠牲となっていたかもしれないのだ。
外へ出る前に仕留めてくれたことには、もはや感謝してもし足りない。
「わかった。そのときはちゃんと連絡するよ」
「頼む」




