62 いやいや、私じゃないですよ
しかし……思いのほか、事情が重かった。
これは説得しづらいし、何より、とても他人が説得できるようなものではないだろう。
だって、子を持ったことがない私にだって、気持ちがわかってしまったから。
自分の妻が、自分の子の母が、そんな最期を迎えてしまったのなら、その危険がある場所へ送り出すなんて、到底できやしない。
(――けど)
私がよそ者であり、かつ子を持ったことがないからこそ、思うこと、言えることもあった。
説得ではなく、ただ、私の思うところを。
余計なお世話かもしれない。無責任かもしれない。
でも……それでも。
「リューリの人生は、夢は、彼女自身のものだよ。誰にも、たとえ親にだって、その道を邪魔する権利なんてないし、その夢を奪う権利もない」
「っ」
「親というのは、子供の夢を応援して、支えてあげるものなんじゃないかって、私は思うよ。別に非行に走ったわけでもないんだし。今後がどうなるかはわからないけど、少なくとも現時点では、リューリは本気だよ」
本気だからこそ、またきっと同じことが起こる。
たとえ戦い方を教えてもらえなくても、我流でどうにかして、彼女はまた外に出ようとする。
自分が本当にしたいことというのは、言葉や理屈で止められるようなものではないのだ。
そのことは、ゼストもたぶんわかっている。
しかし、彼の口が是と言うことはなく――されど、否と言うわけでもない。
唇をきつく噛みしめ、握った拳を小刻みに震わせながら、ひたすら口をつぐむ。
その胸の内には、いろんな感情がせめぎ合っているのだろう。そんな彼の懊悩もまた、理屈ではないのだ。……人って難しいな。
ともあれ、私に言えるのはこのくらいだ。本当に無責任で偉そうなことを言った自覚はあるが、言ったことへの後悔はない。
あとはゼスト次第。
ただでさえお墓参りを邪魔したのだ、ここらでお暇しよう。
「それじゃあ、ゼストさん。時間をくれてありがとう。私はこれで――」
と腰を上げかけたところで、私は動きを止める。
「どうした、トア? 何か――」
突然フリーズした私の様子を訝しみ、私の視線の先へ目を向けたゼストもまた、途中で言葉を止めた。
「なん、だ……?」
リトリアの墓石が、淡く輝いているのだ。かと思えば、そこから蛍火のような光の球がふわふわといくつも浮かび上がり、それが一か所へと集まって、一つの形を作り出す。
それは、人の形をしていた。徐々に輝きが収まってくると、細かな造形が見えてくる。
茶色の三角耳としっぽを生やし、背は低めで、体格はどちらかといえば華奢。小さな顔にやや垂れた目元の、とても可愛らしい狼人の女性だ。
だが、その女性がまっとうな人じゃないことは、わずかに透けた体と、淡く発光する輪郭から明白だった。
「リト、リア……なのか?」
『そうよ。あたし以外の、何かに見える?』
後ろ手を組み、いたずらっぽく笑むその姿は、そんな年齢ではないはずなのに少女のようで、聞いていたとおり満開の花畑が似合いそうだ。
そうか、この人がゼストの奥さんで、リューリのお母さんか。たしかに、リューリとよく似ている。色は父親ゆずりで、容姿は母親ゆずりのようだ。
よかったねリューリ。将来は美人になるよ。
まぁ、いまでもじゅうぶんに可愛いけれど。
「いや……だが、なぜ……」
『んー。いまのあなたが見てられなくて、戻ってきちゃった。まぁ、あんまり時間はないんだけどね』
旅をしていたとあって流暢に言葉をつむぐリトリアの視線が、私へと向いた。
いやいや、私じゃないですよ。
何かするとしたら、邪神以外にありえない。
(あんたの仕業? いったい何したの)
『別に、大したコトはしテいナイ。墓石に残留思念が残ッテいて、何か話したソウにしテいたカラ、少しばかり力を与えテやッタだけダ』
だけ、って……なんかもう、よくわからないけど、でも、そうだった。こいつって一応、神サマなんだった。神サマならまぁ、こんなことができても不思議ではないか。
つまりは、リトリアの幽霊ってことだ。
怖くない部類の。どちらかと言えば、感動的な部類の。
◇
「っ、リトリア……」
もう二度と会えないはずだった愛する妻、リトリアが、生前の姿のまま目の前にいるという現実に、ゼストはこみ上げるものを抑えられない。
目の奥が熱くなり、流れ出そうになるそれを、けれども必死に堪える。
そんな彼の様子を見るリトリアもまた、同じような表情をしていた。
『ごめんね、ゼスト。あたしがあんな死に方をしたせいで、あなたのこと、すごく傷つけて、苦しめてしまったわね』
「……何を、言ってる。傷ついたのも、苦しんだのも、おまえ、だろう」
あのとき――負傷した戦士たちが戻ってきて、リトリアのことを聞いてすぐ、ゼストは集落を飛び出した。
ゼストは狼の獣人の中でも、特に優れた嗅覚を持つ。そんな彼の鼻は、それからほどなくして、リトリアを見つけた。
だが……そこにあったのは、変わり果てた彼女の姿で。
それはいまなお、瞼の裏に焼きついて離れてはくれない。そのときのことは、七年経ったいまでもたびたび夢にも見る。そのたびにゼストは、己の無力さを叩きつけられるのだ。
眉を下げて微笑んだあと、リトリアが表情を明るいものへと変えた。
『リューリは、元気?』
「……あぁ。元気すぎて、困る、くらいだ」
『外に出たいって、言い出した?』
ピクリと、ゼストの眉が小さく跳ねる。
先ほどまで、まさにトアとその話をしていたのだ。
リトリアが現れたことで、いっとき頭から飛んでいたトアの言葉が甦り、再び胸の内にいろんなものが渦巻き始める。
「……おまえは、なんでも、お見通し、だな」
『知らなかった? あなたって、すごーく顔に出やすいのよ?』
苦い顔をするゼストに対し、リトリアはころころとおかしそうに笑う。
『なんて。それもたしかにあるけど、聞いてたの、あなたたちの話』
「そう、か……」
考えてみれば、それも当然だろう。ここは彼女の墓であり、彼女はそこから現れたのだ。
そういった知識のないゼストには、何がどうなって死後の彼女と再会できたのかはわからないが、なんらかのかたちでずっとここにいたのなら、最初からトアとの話を聞かれていてもおかしくはない。




