16 リアルだからこその
かつてない命の危機――私は、何よりも我が身が可愛く、死を恐れる。
だから、だからこそ、絶対的な命の危機に反して神経は研ぎ澄まされ、頭から雑念が消えていく。
生き残るためにあらゆる感覚が鋭敏となり、一挙手一投足から余分なものが排除されていき、動きが相手のそれに合わせて最適化されていく。
それでも――足りない。相手の姿が見えない。
目が追えない。気配だけでは逆に惑わされる。
いや……落ち着け、私。
集中しろ。もっと、深く、集中しろ。
目だけで見ようとするから駄目なんだ。
ここはゲームの世界じゃない。
私はいま、リアルに生きている。
リアルの戦闘をしている。
現実の世界は、ゲームの世界とは違う。
さまざまなものを、鮮明に捉えることができるんだ。
気配だけでなく、音、匂い、空気の流れ――リアルだからこそ得られるあらゆる情報をもって、相手の動きを読み取れ。
私なら、いまの私になら、それができる。
そうして私は――視覚を閉ざした。
◇
攻撃は続く。
時間が経てば経つほど、より苛烈に。
床が破砕される音がする。
かぎ爪が鋭く風を切る音がする。
相手の呼吸が聞こえる。
刃とかぎ爪が交差する音。弾け散る火花のかすかな明滅。
自分の鼓動が耳の奥にあり、流れる生命の源を補填すべく静かに動いている。
皮膚を斬り裂かれる感触。不思議ともう痛みは感じない。
アウルベアブレードを振るい、致命傷だけは辛うじて防ぐ。
だが、それ以外の傷は増えていく。一つ、また一つと増えていっては、端からポーションの効果が塞ごうとしているのがわかる。
視覚以外からいろんな情報が入ってくる。自分の、相手の、周囲のあらゆる情報が脳へと取り込まれ、処理されていく。
そして――何かが、見えた。
うっすらと、何かが。
それは紛れもない、周囲の光景。
敵の、スロウス・アーマファオルの姿。
目を閉じているのに、視界を閉ざしているのに、瞼の裏にその姿がはっきりと、鮮やかに浮かび上がる。
そして、その動きが――見える。
だが、しかし。
見えたところで、依然としてこちらの動きが追いつかない。物理的についていけない。攻撃のすべてには対応できない。
だから私が狙うのは、ただ一点のみ。
攻撃への対処の際、わずかに体勢が崩れた。
その瞬間、敵が背後へと回る。
空を斬り裂く爪の軌道上にあるのは――首だ。
首を落とされれば、どんな生物だって死ぬ。
頸動脈を切られれば、ポーションの効果も間に合わずに死ぬ。
敵を仕留めるのに、一番手っ取り早い急所だ。
一秒でも早く私を排除したいスロウス・アーマファオルにとって、ここを狙わない手はない。
ここまでに何度も狙われた。そのつど、私の生き汚さが、執念が、奇跡的な反射でギリギリ回避していた。
そして、わかった。
ヒット&アウェイで相手の体勢をまず崩しにかかり、そうして相手の体勢が崩れたところで、あらためて首を狙う――それこそが、相手の戦法なのだと。
それが一番、確実だからだろう。
絶大な隙だ。仮に狙いがわかったところで、体勢が崩れているのだから対応だって難しい。
効率的で無駄のない、厭らしくもあるが堅実な戦法だ。
私の対応が本当にギリギリ、ヒビの入った薄氷を踏むようなものだから、余計にだろう。
現に一度、薄皮を斬られてるし。
あれは本当に死んだと思った。
私がしっかりと相手の姿を捉えたうえで対応できているわけじゃないと、敵もわかっているから。
だからこそ――いまの私には、つけ入れる。狙える。
ここだ、と、私はわざと体勢を崩した。
いままで反応していたのは本能だ。
私の知覚はそれを捉えられなかった。
しかし、その動きを初動から捉えられたのなら、追えたのなら。そして相手の狙う場所がわかっているのなら――タイミングを合わせてパリィすることだって、不可能じゃない!
ギィィンッ、と快音が響く。
右前肢が跳ね上げられ、半身が無防備な腹をさらす。
装甲があるのは背中側だけで、腹側にはない。だが知っている。装甲はより硬いが、その毛皮もたやすく刃を通さないことを。
だから、私が狙うのは――目玉。
剛毛にも装甲にも覆われていないそこが、唯一の弱点だ。
すかさず動かされかけた逆の前肢を踏みつけ、妨害するかたちで踏み込み、にわかに見開かれた右目にアウルベアブレードの切っ先を突きこむ。
「っ――!?」
暴れ、振り払おうとするが、私はがむしゃらに柄にしがみついて踏ん張り、渾身の力でもって刃を押し込んでいく。
振り払うのをやめ、攻撃に転じるスロウス・アーマファオル。
繰り出されたかぎ爪が、私の脇腹を大きく抉った。
ぐっと奥歯を割れるほどに噛みしめる。気合と根性で耐える。
ここが正念場なのだ。ラストチャンスなのだ。絶対に引くわけにはいかない。
汗が噴き出る。手から力が抜けそうになる。だがありったけの力を振り絞り、さらに押し込む、押し込む、押し込む――そして。
「――――っ!!!!」
ブレードの切っ先が、ついにその先の脳幹を貫いた。