脱出
2
ティナの研究棟を出た。
置いてきた物、戻れない可能性が頭をよぎるが、今更引き返しても荷物が増えるばかりだろう。それに隣に立つティナは真っ直ぐ前を見つめている。後戻りをする時は過ぎたという事だ。
「――と言ってもな…」
ハルは手のひらの上で浮遊する光球を掲げ、辺りを照らす。見えてきたものは、地肌が露出した洞窟のような場所だった。
湿気を含んだ空気は、土の匂いにカビ臭さも相まって、良い気分ではない。完全な闇と静寂が支配しており、手元の明かりが届かないその先に、何が潜んでいるかわからない不安から、なかなか踏み出せずにいた。
少し考えた後、ティナの手を引き入口横の手摺りを背にして座る。ゴーレムを壁のように配置すれば、多少は安心感が増した。
「ちょっと休憩にしよう。この先いつ休めるかわからないから」
ティナを隣に座らせ、マジックバッグからフリーザーと水が湧き出る容器を取り出す。粉と種、水のみの、食事とも言えない内容。しかし今は贅沢を言える状況ではなく、食べ方を調べる。
乳白色の粉は袋の表面に描かれた絵からして、水に溶かして食べる物だとわかる。小さな種、元の世界の記憶によれば、ゴマはそのままでも食べられるようだ。
水で満たされた容器の蓋を空ける。蓋の裏側には何かの結晶が埋め込まれており、側面の突起を押さえると、結晶から水が滲み出した。そして容器の底蓋にも二つの結晶が付いており、容器を回す方向で内容物を冷却したり加熱したりできるらしい。
(この結晶は大事にしないとな。スノードームの照明装置も裏蓋の結晶が無色透明になったら光が消えてしまった。という事は光源に限りがあるという…いや、焦るな!何か食べて…冷静になろう)
焦る気持ちを抑えて容器の水へ粉を溶かし込む。その見た目に物足りなさを感じてゴマも入れた。しかしゴマは乳白色の液体の表面に張り付いたまま沈む事はなかった。
(しまった。掻き混ぜるものがないや…このまま飲める、かな?)
それを見ているとティナがカップに手を添えて、ゆっくりと揺すり始める。
「加熱?そのまま飲む物じゃないの?」
そのまま待っていると、液体はどんどん泡立ち膨らんでいく。ティナが手を止める頃には、カップから溢れる程に膨らんだ白いパンができていた。
「なるほど…こうやって食べるのか」
ティナは受け取らずに手を引っ込めたが、チラチラと盗み見ている。その姿に苦笑しながら、半分にして片方を手渡した。
「食べれるよね?一緒に食べよう」
しかしティナは手の中のパンを見つめたままで、代わりにハルが一口食べてみせる。ゴマミルク味のパンは思った以上に美味しかった。
その様子を見ていたティナも、一口食べて目を細める。気に入ったのか、彼女の方が先に食べ終わっていた。
「…ティナさん。ハルって呼んでみてよ。ハル。」
今まで一言も話さなかった彼女に対し、会話を試みる。しかし上目遣いで様子を見てきた後、地面の一点を見つめたまま答えてはくれなかった。
(ま、まぁいいか。今はここを脱出するのが先だ)
先を行くゴーレム達。名前が無くては不便だと思い、最初に見つけた方をビッグス。後のをウェッジと名付けた。
ビッグスは体高二メートル程の、厚い胸板に太い腕をしたゴリラタイプのゴーレムだ。身体に比べて小さな頭はそれっぽい凹凸があるだけだったが、段差に躓く事なく進んでいる。
ウェッジは二メートル三十はある、曲線美が美しい身体に長い手足をしたモンキータイプ。頭は菱形で前後の区別がつかない。重量を感じさせない、ステップを踏むような独特な步行をするのが特徴だ。
どちらも艶のある白いボディは材質不明で、今は変えがきかない貴重なものだ。
(武装がないけど、ゴーレムはそういうものなのだろうか?何か持たせる?)
ウェッジの頭上を浮遊する光球を見つめながら思案する。マジックバッグの中にある物で、識別出来ている物ならスキルによって手を加えられたが、それはあくまでもゴーレムコアやボディに関する形状加工であり、剣の形を形成出来でも刃が付いている訳ではなかった。
スリングバッグを弄っていると、ティナに腕を引かれてよろめく。
「どうした――ん!?」
走り出した彼女に続いてウェッジを追い越すと、ウェッジは振り向きざまに拳を振り下ろし、何かを叩き潰す。背後から覗き込めば、頭ない大きな動物が脚を痙攣させていた。
「ネズミ?こんなに大きいのか…」
地に伏した状態でも、ハルの腰の高さはあるネズミ。ひどい匂いが辺りに広がり始めた為、たいして調べないまま、その場を離れた。
ウェッジの汚れた拳を洗い流す。その際ゴーレムコアに備わった未開放の機能について知る。今はまだスキルレベルが低くて使えないようだ。
(急だな…何が影響してわかるようになった?ネズミを倒したから?なんにしろ武装はゴーレムコアに記録されていて、ボディを変化させて使うのか)
今できない事は後回しにして、教訓を生かし隊列を変える。ビッグスを先頭に、その後ろをティナと並んで続き、最後尾をウェッジに追従させた。
それでも不安が残り、遠慮気味に手を差し出すと、少ししてから手を繋いでもらえた。
(はいはい、ビビリですよ。どうぞ笑ってやってください)
そう自虐的になりながらティナの様子を窺うも、彼女は特に気にした風もなく、笑顔を見せてくれた。
ひんやりした手に伝わった温もりに安心する。自動人形だというが、その手は人と変わりない。
しかし今は微笑んでくれているが、研究棟を出る前に、彼女の動力源を探ろうとスキルを試みて、間もなく手を離されてしまった事があった。
無表情だが明確な拒否の意思を感じ、それ以来していない。ただ刹那にわかった事は、ゴーレム達と同じく、スキルを介して何かしら影響を受けているという事だった。
(俺から力を得ているのかな?俺が死んだら彼女もいずれ動けなくなるとか?まさかそんな致命的な弱点はない…よね?)
そんな事を考えながら歩いていると、通路は広くなったり狭くなったり、カーブしたりと一定ではなくなり、ハルは自分がどの方向にどれだけ進んだか、わからなくなっていた。
時々見つかる人工物の残骸も、数が増している。ティナの研究棟と同じ灰白色の瓦礫もあれば、幾何学模様の彫刻が施された壁があったり、何本もの金属の棒が捻じれて密集したような物もあった。
(これは…どういう事だ?)
ハルが手にした金属板には、石の破片が貫通している。穴が空いているというよりは、一体化しているようだった。
「何が起こればこんな事になる?スキルで調べようにも何かが影響して識別できない」
ノイズが走ったように視界の中のポップ画面が乱れる。気分が悪くなりスキルを解除すると、武器の代わりになる物がないか調べ始めた。
ビッグスに捻じれた金属の棒を引っ張らせてみるが、びくともせず、その振動で天井の土が降り注いだ。生き埋めの可能性に慌てて離れる。
唯一、使えそうだったワイヤーが絡まった金属塊をビッグスに持たせてみたが、上手く振るえず腕に何度もぶつけている。そのうちバラバラになってしまい、放置して先を急いだ。
(下手に物を持たせるより、素手の方がいいか…)
しばらく進むと一部地面が崩落している場所に出た。足場が脆くなった先の壁に、白い物体が顔を出しているのを発見する。スキルを使って調べてみれば、機能しているマーダーゴーレムだった。
「コアの反応があるな。んー…出来れば回収したいけど、ビッグスは危険か」
身軽なウェッジを壁伝いに向かわせ、手刀による採掘を試みる。意外にも最初の一撃で剥がれ落ちたそれを、ウェッジが穴を飛び越えながらキャッチした。直後に崩落範囲が広がり始め、その場を急いで離れる。
「見えていた部分しかなかったか…しかし無傷のゴーレムコアと素材を回収したぞ――ん?」
鋭利な刃物で切断されたかのような断面には、年輪のような模様と、光の筋が幾つも流れている。ゴーレムコアを表面まで引き出し、ゆっくり取り外していくと、細かな繊維質の何かが纏わりついており、限界まで伸びると切り離された。すると断面に流れていた光が消え、年輪模様も消える。その様子からコアが未知の素材に入ってから、フレームと回路が構築されているとわかった。
「この素材自体はどの部位にも使えるのか」
コアと素材に対する理解が深まり、ゴーレムクリエイトの力が増した気がした。
さらに道なりに進んでいくと左右に開けた場所。中央は寸断されていて、対岸に複数の道が続いている。ハルとティナはそれぞれゴーレムにしがみつき、飛び越えて進む。その先で引っ掻き傷の付いた残骸に、地面に消えていく血痕、黒い靄を見た。
(さっきまでここに何かがいた?まるで地面が血を吸ってるようだ…この黒いの…嫌な感じがする)
広大な空間に出た途端、先頭のビッグスが膝を着き動かなくなった。スキルを使おうとするも、中央の天井付近から謎の力場を感じ、上手く働かない。ウェッジを慎重に近づけ、ビッグスを引き寄せる。その時、奥の通路に大勢の人影を見た気がした。
(何か変だ。ティナの父親の話やメモリーコアの情報と根本的に何かが違う気がする)
迂回路を進む間も、宙に浮いた岩、遡っていく水滴を目にする。その他にもまったく同じ見た目の石柱がダブって見え、巨大な顔のような建造物が歪んでいくのを、ただ呆然と眺めた。すると珍しく焦った様子のティナに、強く手を引かれてその場から離れる。
(な、なにが起きてるんだ?あの歪みの先に、どこかの街が見えた気がする…)
理解の及ばない現象に恐怖して、ティナの手を強く握る。しばらくその場に座り込み、気を落ち着かせていると、目の前に下へ続く道がある事に気付いた。
(下りか…地上に出たいんだけどな)
しかしティナはそちらへ行きたいようで、震える膝を抑えて立ち上がり、手を引かれて進んだ。
壁から滲み出た地下水が足元を流れていく。岩陰で巨大なナメクジをやり過ごし、曲がり角で何者かの足音を聞く。
下り坂を進んでからというもの、度々生き物の気配を感じるようになった。それだけではなく、通路も分岐が増えて完全に迷路のようだ。
「ティナさん、道わかるの?」
何も答えないティナに手を引かれて足早に進む。その足取りに迷いはなく、大人しくついて行く。
しばらく進むとティナは突然立ち止まり、奥を見つめる。ハルも彼女の背中越しに覗き込むと、子供が一人座り込んでいた。
「こんなところに子供?あの肌…って角?」
警戒するティナの姿を見て、ビッグスを送り出す。すると子供はこちらに気付き、狂ったように喚き、何かを振り回しながら走ってきた。
(おいおい…嘘だろ…)
ビッグスが子供の身体を掴み上げると、子供は大きな骨でビッグスの頭を何度も強打し始めた。
その音は通路に響き渡り、焦ったハルはウェッジを送り出す。その手刀が骨を払うも砕けず、壁まで飛んで転がった。
ビッグスが壁に叩きつけるもギャーギャーと喚き続け、頭を抑えつけても暴れるのをやめない。終いには頭が潰れて、黒い靄となって消えていった。
後には小さな黒い石と、ウェッジの一撃を耐えた大きな骨だけが残された。
「なんなんだあれは!?聞いてないぞ?」
二メートル越えのゴーレム達に押さえ込まれても暴れ続ける生き物に、言い知れぬ恐怖を覚える。足元に転がった石は、スキルでは特定できなかった。
(装置の結晶に似てる気がする。けど大きさも明るさも違う)
骨を拾い上げる際、強い疲労を感じて、見通しがいい場所まで進んでから休憩にする。一メートル以上の長さがある赤味を帯びた骨は、ガラスのような高音質の音を響かせ、ビッグスの拳を受けても砕けなかった。
(骨もダメか…わからない事だらけだな。誰か情報をくれる人はいないものか…おわっ!?)
寄りかかっていた壁が急に抜けて、隠された部屋へ倒れ込む。狭い部屋の中央には、地面に半分埋まった状態の石棺のような物があった。
「棺桶?死体が入っているのか?」
石棺自体はただの石のようだが、何度掘り返しても埋まってしまう。ビッグスに蓋を砕かせて中身を確認する。中に入っていた物は、既に馴染みのあるゴーレム素材だった。
(ん?宝箱?いやどっちかというと棺だが?)
曖昧な記憶、知らない知識に困惑する。素材を集めてマジックバッグへ収納すれば、ウェッジの胴体程度は賄える量が集まっていた。
(3体目を製作するか?いや手足を貧弱な素材で作っては、まとめて失う可能性もある…修復用に取っておくのもいいだろう)
小休憩後、ティナの案内でさらに進む。彼女は疲労を感じないのか、出会ってから今の今まで変わった様子はなかった。
唯一ふわりとした薄緑色の髪に、浮き毛ができた事だろうか。しかしそれもあの謎空間に近づいた後からだと思えば、体調とは関係ないだろう。
揺れるティナの髪を見ていると、前方の暗闇からドタバタとした足音が接近してくる。再び現れた角付き子供を、今度は落ち着いて観察してみる事にした。
(人ではない?肌は緑で頭に小さな角が生えてる。言葉が通じる感じもしない。そもそも死体が消えるってのは――)
ビッグスが振るった拳によって、その生物の頭が弾ける。今回は何も持っていなかったので、簡単に倒す事ができた。
転がり落ちた黒い石は、前の物より小さく、輝度も低いものだった。
(個体差があるのか。さっきのはしぶとかった分、質が良いのだろう)
石を眺めていると、妙な風斬り音を耳にする。顔を上げた直後ティナが覆い被さってきて、共に倒れてしまう。すると間もなく頭上を通過する影を視界に捉える。目で追っていけば、暗闇にコウモリの群れが集まっていた。
(蝙蝠…病気だって!?どうする!?)
頭上を飛び交う蝙蝠を、ゴーレムらは一匹として捕まえられずにいる。頭目掛けて飛んできた蝙蝠を、ティナは素手ではたき落とした。
劣勢と判断したハルは、ティナの手を掴み走って逃げ出した。
「手を見せて!」
しばらく進んだ場所で身を隠したハル。ティナの手を確認してみるが、傷らしい傷は見当たらなかった。
(大丈夫そうだ…ウェッジは付いて来たが、ビッグスの姿がない。いや、この感じは?)
少し離れた場所に気配を感じる。それが徐々に近づいてきて、姿を現したのはビッグスだった。遅れてやって来たビッグスは、両手に小さな石を掴んでいた。蝙蝠の標的が絞られた事により、捉え易くなったようだ。
(これは小さ過ぎだな…いやそれよりも、ある程度距離が離れていても、場所を特定できるみたいだ)
ゴーレムにも傷がない事を確認すると、通路の先を見る。少し先には土砂が積もっていて、その近くに人の姿があった。
「崩落に巻き込まれたのか?生きては…いないようだ」
ひどい腐臭を我慢して近づく。ティナは近づきたくないのだろう、少し離れた場所から見ており、ウェッジを傍に待機させた。
ボロボロの皮服を着た男の死体。側に折れた剣と破けたリュックサック、そこから溢れた物が散乱している。
見た事もない硬貨が入った袋と色とりどりの石、走り書きの地図らしき物は当てにできそうもない。空っぽの水袋や腐った食料、傷んだロープに錆びの浮いた数本の鉄杭もダメそうだった。
リュックサックの底には、なぜか鉱石の塊が麻布で厳重に包まれていた。
(ただの鉄鉱石ではない?何処かの通貨と石は貰っていこう。後は…)
死体は不思議な魅力を持つ腰ベルトを着けており、錆びたナイフが飛び出した鞘と、小さな片手ピッケルを革紐で繋いでいた。
無視出来ない物を前にビッグスを使い死体を傾ける。すると内臓の一部が溢れだして地面へ落ちた。
(おぇ…気持ち悪い。けど貴重な物の気がする)
腰ベルトを取り外して水でよく洗う。なんの変哲もない厚革のベルトは、見た目通りの重さだったが、それに吊るされた鞘や片手ピッケルは見た目よりも軽かった。
(魔法だって?どんな仕組みなんだ?結晶が付いているようには見えないが…ナイフは今にも折れてしまいそうだ)
錆びたナイフを鞘に収める。死体から得られた物に内心喜んでいたが、改めてその様子を見ると、自分もそうなっていたかもしれない姿に、恐れと悲しみが込み上げてきた。
(…落ちてすぐ死ねたのだろうか?この闇の中で蹲り、耐え難い苦痛を感じながら死んだのかも)
ティナの方へ振り返ると丁度目が合った。特に感情を表している訳ではなかったが、ハルには推し量られている気がした。
ビッグスに命じて周囲の土砂を集めさせる。ハルの中にある記憶を元に、男の死体を埋めて折れた剣を刺しておいた。
(これくらいしかできないよ。ゆっくり眠ってくれ)
目を閉じて冥福を祈る。気が付くと隣までティナがやって来ていた。
(ティナがいなかったら、そのまま進んでいたかもしれない。人目のない状況で、俺は良識ある行動がとれるだろうか…)
ティナが手を繋いでくる。そのまま何も言わずに先に進んだ。
幾つかの分岐を経て、緩やかな登り坂に辿り着く。闇から飛び掛かってきたゲジゲジ虫を追い払い、走って逃げた。
さらに急な登り道。今までとは違う人工物に壊れた台車、柄の折れたツルハシと蜘蛛糸が絡んだ燭台を見つける。
(燭台?急にローテクになったな…ローテクてなんだ?)
腐った柄のツルハシを拾い上げながら頭を振るう。その拍子に柄は崩れ落ち、錆びた金属部分だけが残った。
(質の悪い銑鉄だ。投げ捨てても惜しくはないな)
それを腕の長いウェッジに持たせる。後方からビッグスを援護するのに良さそうだと考えた。
壁沿いの腐ったロープを辿った先で、崩落現場に行き当たる。男が落ちた場所なのかもしれない。それ以上は進めず引き返した。
(たぶん2階層分は落ちたんだ。苦しまなかったと思いたい…ん?風の流れがある!)
頬に当たる空気の質が僅かに変わった。進行方向を見れば、薄っすらとした明かりが見える。早る気持ちを抑えて、慎重に暗闇を確認しながら進む。
足元の小石を蹴った瞬間、頭上で音がして何かが飛び立つ。
「鳥だ…ビッグス!追って!」
先頭のビッグスが小鳥を追いかけて行く。遅れて後を追えば、出口の眩しい光の中で、ビッグスが何かに突き飛ばされて消えた。
(しまった!?何も見えない!)
誰かに背中を押されて外に出る。少しずつ慣れてきた目に、ウェッジと取っ組み合う大きな山猫の姿が映った。
(いきなりかよ!いや待ち伏せされた?わからないけど――ビッグス!)
ウェッジが倒される。出口脇に倒れていたビッグスが立ち上がると、ウェッジが落としたツルハシを拾って投げつけた。だがツルハシは見当違いな方向へ飛んでいき、地面に当たると二つに割れてしまう。
ゴーレム達と変わらない体格をした山猫は、ハルとその背後にいるティナを一睨みした後、再びビッグスへ襲い掛かる。その目は洞窟にいた生き物達と違い、血のように真っ赤に染まっていた。
山猫と共に壁に激突したビッグスが尻もちを着く。すると洞窟が崩落しはじめ、目下の森の木々から複数の鳥が飛び立つ。ウェッジが背後から山猫へ飛び掛かり、その首に腕を回すと締め上げる。それでも山猫は怯まず、後ろ足で立ち上がると、崖に向かって後退して行く。
「不味い!そっち行くな!」
ハルの声も虚しく、山猫はウェッジを背負ったまま崖から転落して、姿を消してしまった。
(この高さの落下はゴーレムでも致命的だぞ!)
慌てて崖下を覗き込むが、張り出した岩棚があり、たいして高さはなかったようだ。山猫を下敷きにしたウェッジにダメージはない様子。ビッグスも立ち上がり山猫を引き上げさせた。
「危なかった…暗闇から光の中へ出ると何も見えないんだな。こいつはこの洞窟を住処にしていたのか?死体は消えないが、石も出さないか――っ!」
山猫の死骸の先、崖下に広がる森から新鮮な空気が吹き上がる。多くの生き物の気配を感じ、丁度真上にきた太陽の光を浴びて、ハルは身体を震わせる。
「そうだ…そうだ!脱出できた!生きて抜け出せたぞ!――ティナ!俺達助かったんだよ!」
湧き上がる感情に任せてティナと喜び合う。彼女も今まで以上に感情のこもった反応見せ、溢れんばかりの笑顔を見せていた。
あれから少し経って、ハルは巨大な山猫の死骸から毛皮剥ぎを試みている。太陽光はあるものの、気温は洞窟内とそう変わらなかったからだ。
今いる場所も、辺りを見渡してみた限り、標高の高い山地にいる為、余計寒いのだと思われた。
「全然上手くいかないな…ボロボロだし、匂いがキツいし、ダメかも…」
錆びたナイフは早々に欠け、僅かに残った根元を使い、皮から肉を剥がしていく。結局半分穴だらけの臭い毛皮を手に入れたが、なぜか持っていく事をティナが許さず、崖下に捨てられてしまった。
「なっ!?…なぜ?ティナ?」
無表情のままの彼女は、両手を払うと崖を下る坂へ一人向かっていってしまう。脱出の喜びに任せて呼び捨てにしたのが気に障ったのかとも思われたが、山猫の死骸から立ち昇る黒い靄を見て察する。
(なんだ?何かに汚染されてるのか?)
取り残されたハルは山猫の死骸をそのままに、ティナの後を追って、ゴーレムらと共に坂を下る。
しばらく経ってから、残された死骸は急速に腐敗が進み、より濃い黒い靄を発生させると、骨と僅かな腐肉だけになって震え始めた。そして眼窩の奥に赤い光が灯ると、忽然と姿を消してしまった。