前世の推しと現世の彼女
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・地名とは一切関係ありません
「これで足りる?」
ドンっという重低音とともに粗末な机が軋む音が重なる。机の上に置かれたアタッシュケースを一瞥すると、がたいの良い男がそのケースを開けた。中に詰められていたのは純度の高い金塊。机を挟んで椅子とも呼べない何かに座る男は下卑た笑みを浮かべた。
「あぁ、十分だ」
男が手を伸ばす直前、勢いよくケースが閉められまた机が悲鳴を上げる。
「あら、まだ証書を貰ってないのだけれど?」
「ちっ、ほらよ。奴隷商の職業証と今ここに所属している奴隷たちの名簿だ」
アタッシュケースを守る男とは別にいた細い男がその書類を受け取り間違いがないことを確認するとその二人の背後、黒い帽子に長いベールをかぶった女性に頷いた。
「……確かに」
女性の手にその書類が渡ると赤い光がその手に灯り、反対に奴隷商の男の手には青い光が灯って消える。
「毎度あり」
ひったくるようにアタッシュケースを持った男は逃げるように走っていく。その足音が完全に聞こえなくなったのを確認し女性は長い溜息を吐いた。
「ったく、何で奴隷商ってどこもかしこも汚いのよ……今回は上客相手って聞いてたからちょっといい恰好してきたのに」
「どうやら相当のケチだったらしく、商売する時だけ短期で場所を借り小綺麗装ってたようです」
女性の問いに反応したのは細身の男。名前はレイ。灰色の髪に眼鏡の奥は深い緑色の瞳をしている青年だ。レイは再び女性から書類を受け取ると、確認してきます、と奴隷たちが保管されている部屋へと歩き出した。
「お嬢、外で待ってようよ」
「そうね、行きましょ……!って、こらっ!」
先程アタッシュケースを持っていたがたいの良い男、名前はデュー。レイと同じく灰色の髪に深い青の瞳を持つ。デューは女性を横抱きに抱えると外へ出るための階段へと向かった。
「重いからやめなさいといつも……!」
「筋トレには丁度いいって言ってるでしょ、それにふにふに柔らブッ」
「それ以上言ってみなさい」
「ごめんなさい……」
両手で女性に頬を思いっきり挟まれ、ベール越しにでも分かる笑っていない目をみてデューは大人しく従わざるを得なかった。軽い足取りで階段を上り切ると薄暗い外灯に照らされた路地へと出る。そこにもまた長身の男がいた。
「おかえりなさい」
「ウノ兄ただいま~」
「見張りご苦労様、問題は無かったみたいね」
「はい」
「まぁ別に悪いことしてるわけじゃないんだけど……念のため、ね」
ウノと呼ばれた長身の男は先程の二人と同じ灰色の髪にその二人の瞳の色を混ぜたような青緑色、この三人は血の繋がった兄弟で女性と契約している奴隷である。
この国の奴隷には色々と制約と規程がある。
先ずは人権の保障。衣食住は最低限保証され、買った後も買われる前もむやみやたらと虐げられることはない。他の国と違いその命は軽んじられないのである。余りにも横暴な扱いをしていると職業証が剝奪され、同時に国へ通報が入るからだ。奴隷の売買というのは奴隷商という職業証を持つ人間にしか出来ず、その数と所有者は国で徹底的に管理されている。先程の取引で女性に赤い光が灯ったのは新しい奴隷商として認められた証。反対に男性の青い光は奴隷商の職業証が無くなったことを意味し、今後勝手に奴隷商を始めようものならすぐに国が把握し捕らえられることとなる。
次に身分。基本的に奴隷契約書にサインをした時点でその者の身分は白紙となる。ただし元が貴族であった場合は白紙とはなるものの記録は残り、万が一のための救済措置を可能としている。例えば脅され無理矢理サインを書かされた、何らかの事件の後遺症で本人の記憶が無かった、等である。本人が貴族の暮らしが嫌になり自ら、というケースも多いらしく(主に虐げられてきた令嬢、令息が多い)記録が残っていることは奴隷商としてもその扱いを考える上で重要な情報となる。主に奴隷は労働力として使われることが多いが、知識のあるものはその知識を、見目麗しいものはそういった相手を、身分があったものはそれなりの地位のある仕事を、と奴隷個人の特性を生かした売買をすることが出来るからだ。
他にも細々とした決まりはあるが一先ず置いておき、三人が他愛もない雑談をして暫く、レイが保管されていた奴隷たちとともに上がってきた。
女性の前に並ばせると書類を手渡す。
「これで全部?」
「はい」
「女性は?」
「ゼロです」
「そう……さて、皆様初めまして、この度新しく皆様の主となったオリヴィアと申します」
女性が名乗ると同時に一部の奴隷がザワリと反応する。その様子にあら、と彼女、オリヴィアは微笑んだ。
「私のことをご存じの方もいらっしゃるようですね、では知っている方もそうでない方にもお伝えしますと、私が皆様に求めるのは一つだけ……優しさですわ」
シン、とした不思議な空気が辺りを包むがそんなことを気にせずオリヴィアは続ける。そして不意にそのヴェールを取った。
身長は平均的な女性より高く、お世辞にも痩せているとは言えない体型。シルバーブルーの髪は艶やかで暗闇でも光っているように見える金色の瞳は美しい、が全体的にみると垂れ目や眉、口のバランスが悪く、世間一般で言う美しさとは離れていた。
「皆様も見てわかるとは思いますが、私は見た目が非常に宜しくありません。そして皆様が想像した通りの扱いを受けてきました。だから私は、優しさを持った人たちが私を見ても普通に接してくれる環境が欲しいのです。ただそういった環境は何かの縛りが無いと成立しないということも分かっています。ですので手っ取り早く自分で再現しようと思って立ち上げたのがサマーズキル商団、私の持つ商団の名前です」
勿論、と彼女は指を指すように人差し指を立てて前に出す。
「無理強いは致しません。商団に戻った後詳しく説明はしますが、一番は皆様のお心が大切ですし、私も嫌々何かをされたくもありません……私の商団にはいくつかの部門があり、皆様が希望する職種へとつけるよう支援しています。私の顔を見るのも嫌であれば、手続きをして別の奴隷商や求めている方へ紹介状を書くことも出来ますので遠慮なくおっしゃってください。私が求める優しさとはその生活の中で少しでも私に寄り添ってくれること、私はそれ以上を望みません」
要は、とオリヴィアはこてんと首を傾げながら手を叩いた。
「私はただ、私を一人の女性として扱っていただきたいのです。愛の言葉を必要としているわけでも、お姫様のような扱いを求めているわけでもありません。さりげなく荷物を持ってくれる、人通りの多い方を歩いてくれる、エスコートを嫌がらない……そういった当たり前を私は求めているのです」
裏を返せばそういった扱いをされたことが無いということ。年頃の令嬢なら息をするように当たり前のことを、オリヴィアはされてこなかった。
「私は私の行動に責任を持っていますし、無いとは思いますが万が一にも不貞行為がないように徹底しております。戯言だと、頭がイかれてるとでもおっしゃっていただいて結構ですが、私は真剣ですので……っと、長話してしまいましたね。レイ、皆様を商団へ」
「畏まりました」
ぼそぼそと戸惑いを含んだ話し声も気に留めないまま、オリヴィアはウノとデューを引き連れ馬車へと戻った。その背を熱心に見つめる双眸には気づかないまま。
………
「お嬢様~朝ですよ!」
シャッ、という音とともに陽の光がオリヴィアの顔へと降り注ぐ。身悶えして反対を向くもののそれを阻止するように侍女が毛布を奪い取った。失った温もりを少しでも逃さないよう丸まるとジトリと彼女を睨む。
「……アニス……」
「そんな目で見られても自業自得ですよ、昨日の夜にまた買い付けに行きましたね?」
「……バレてた?」
「いえ、分かりませんでした……今朝までは」
「……?」
「昨日買った奴隷の一人と思われる男性が朝から屋敷の外で待ってるんですよ」
「……………………え?」
そこからのオリヴィアの行動は早かった。洗顔、入浴、身支度までを驚きの速さでこなし、朝食どころか両親への挨拶よりも先に玄関へと走った。
「あの三兄弟は何をやってんのよ!管理体制見直さなきゃダメじゃない!」
奴隷は決められた場所に居なければならない。奴隷商の敷地、仕事場が基本であり、外を出歩くときには主の首輪(魔法によるもので見た目には見えず、必ずしも首輪でなければならないわけではない)が必要なのだ。
何故そこまで徹底しているのかといえば、勝手な行動をした奴隷がやらかしたことの責任は主へ向かうからであり、それはすなわち商団の信用にも関わってくるのである。
息も整わないまま玄関についたオリヴィアは交代の為準備をしていた門番に事情を話し、同行してもらうと門の外で突っ立ている男性と戸惑う門番の姿があった。目の前の事実に頭を抱えながらオリヴィアは門番に声をかける。
「悪かったわね、私の管理不行き届きだわ」
「オリヴィア様、おはようござ」
「オリヴィア!!わぁ、やった!同い年くらいだ!!」
門番が安堵の表情でオリヴィアに挨拶するのを遮るように奴隷の男の嬉しそうな声と門の鉄が鳴る音が重なる。
オリヴィアも門番も驚き、次の間には門番が男を取り押さえていた。
男の体格は程よい筋肉がついておりとても健康的である。顔は整っており、髪はブルーブラック、ずれた眼鏡の奥に見える瞳は澄んだ空色。上客相手だったこともありよい待遇を受けていたらしいその男は捕らえられているというのに何故かキラキラとした視線を私に向けている。
「……手荒にはしないで、身元は分かっているから」
「はい……ですが……お知合いですか?」
「……私が人の顔をすぐに覚えられないのを知ってて聞いてる?」
「いえ、申し訳ありません……ただ」
「そうよねぇ……完全にあちらは私のこと分かっているのよねぇ……」
男の傍に立ち手をかざす。浮かび上がった文字には奴隷契約書に書かれたデータが反映されており、元の名前、貴族か否か、年齢や身体的データ等が分かるようになっている。
(オリバー・シュナイダー、十八歳、元公爵令息……は?)
「は?」
余りにも衝撃的な内容に思わず口から漏れ出てしまい、門番が不思議そうにこちらを見る。しかし奴隷の情報は主のみが知ることが許されているためオリヴィアは何とかその後の言葉を飲み込んだ。
「……拘束を解いて、父と母に商団に行ったって伝えてくれる?」
「しかし……」
「大丈夫よ、契約がある以上この者は私に逆らえないわ」
手の甲に契約印を浮かび上がらせ見せるがそれでも僅かに渋った後、漸く門番は拘束を解き交代とともに屋敷に戻っていった。
「……レイ、いるんでしょ、出てきなさい」
「……大変申し訳ございませんご主人様」
門の外の茂みに向かって呟けばがさりと茂みが揺れた後レイが現れる。普段なら考えられないが身支度が完璧でない所を見ると彼にとっても予想外のことだったらしい。
「貴方が気づかないなんて余程のことだと思うから別に責めはしないけど……何があったの?」
「何も誇張せず、起こったことをそのまま話しますと、この者が急に消えました」
「消えたって言ったって……セキュリティでもやられたの?」
「いえ、文字通り消えたのです。部屋の中から突然」
「それって……」
レイとともにオリバーを見る。先程念のため口と動きを封じる緊急措置をとったおかげで微動だにしないが、彼はオリヴィアと視線が合うとニコリと微笑んだ。
「……とりあえず商団に行きましょう」
パチンと指を鳴らしオリバーの動きだけ解除した瞬間まるで大型犬が飛びついてくるように目の前に彼の影が迫る。咄嗟のことに動けないでいると、すんでの所でレイに捕らえられたオリバーは心底悲しそうな顔をした。
「……私だってハグはまだ許されていないというのに……」
「びっっくりした、レイありがとう」
「いえ、それにしてもこの者には躾が必要ですね」
レイに頼まれもう一度動きを封じると彼はオリバーを担いで歩き出した。
………
「ご主人様……!レイ兄さん……!!」
「あーー!!!いたぁーーー!!!」
商団に入るや否や慌てふためくウノとデューが迎える。レイが抱えたオリバーをみて二人はホッとしたように顔を緩めた。オリバーを手近なソファにおろすとレイを筆頭に三人が並び頭を下げる。
「この度は大変申し訳ありませんでした、弁解の余地もありません」
「今回は仕方がないわ、私もこれは想定外よ」
「しかし……」
「セキュリティの再確認だけしてちょうだい、今日のことは不問にするわ」
そういって下げているレイの頭を優しく叩き髪を撫でるように梳いていくとびくりとその身体が揺れた。
「……っ、ありがとうございます」
「れ、レイ兄ばかりずるい!!!!俺にも!!!」
「……本当に貴方たちは変わっているわね……」
レイの後にデュー、その後視線を送ったウノも近づいてきたので同じように撫でる。普段表情を崩さないウノがどうやら照れているように見えて私も温かい気持ちになった。
この三兄弟は唯一、商団ではなく私についた奴隷だった。優しさが欲しいという私に懐くように三人は傍にいてくれた。最初は無理しているのではないか、褒美が欲しいために我慢しているのではないかといった疑心を持ち素直にその気持ちを受け取ることが出来なかったが、本当のことしか言えない彼らの言葉と態度に少しずつ距離を縮めている。
ひとしきり撫でた後、さて、と先程からひしひしと感じている視線に向き合うように身体をくるりと反転させると、オリバーが睨むような悔しむような顔でこちらをみていた。
改めて動きを解除するとオリバーが私に近づいてくるが、先程のことがあるせいか不審な動きはしなかった。
「応接室使うわ、三人は新しく入った人たちの準備を整えて、お昼過ぎに順次契約していくから」
「……二人で、ですか?」
「個人情報で確かめたいことがあるの、防音魔法使って部屋の扉は開けておくから大丈夫よ」
「……畏まりました」
渋々といったようにレイが頷くと私はオリバーを連れだって応接室へ向かう。
商団で買った奴隷は先ず契約書にサインしなければならない。契約書を書く前にもその効力は発揮するが、より強い拘束力を持つのはサインをした後からだ。奴隷契約書という国が定めたものに買った個人や商団が追加でルールを指定し合意するとそこで初めて主人と奴隷という関係性が成立する。だからその前に、主人となる側は奴隷を見極める必要があるのだ。先程も言ったように奴隷の行動の責任は全て主人に降りかかる。好き勝手やるような者や問題行動、前科がある者などが居ても困るだけなのでそのあたりは慎重に見極めなければならない。そして元貴族の奴隷にも注意しなければならない。已むに已まれず奴隷になったのなら仕方がないが、幼いころに誘拐されて、お家騒動から逃げるために、等の理由があってはこちらが何もせずとも厄介ごとが向こうからくる場合もあるからだ。
(公爵家だなんて、なんでそんな人が奴隷に……?)
伯爵以上の爵位を持つ奴隷は滅多に居ない。だからこそ何か裏があるのではと疑う気持ちが大きくなった。
応接室に入り扉は開かれたまま防音魔法をかける。向かい合うようにソファに座ると一つ深呼吸をした。
「……単刀直入に聞くわ、これは【命令】よ、貴方の出自を嘘偽りなく教えなさい」
命令、これは奴隷の主人だけが使える最も強い権限であり使える範囲が決まっているもので、命に関わるものや肉体的、精神的強制服従には使えない。緊急かつ奴隷が危険に犯されない命令は相手の意志に限らず絶対履行され、主人が解除しない限り奴隷は嘘を吐けなくなる。命令という言葉に待ってましたと言わんばかりの笑顔が返ってきたので非常に反応に困るがどうにか顔は崩さずにいられた。
「シュナイダー公爵家次男、国立魔法研究学校卒業後ハイド商団に買われ、その後今の奴隷商に来ました」
(ハイド商団……国有数の奴隷商ね、貴族の相手しかしないからそこにいたのは納得できなくはない……シュナイダー家は代々魔法の才能が頭一つ分抜けているから、今回の脱走も転移魔法か何かね……それにしても)
「買われた……?売られた訳じゃないんですね?」
「はい、自らを売り込みました」
「それは……何故?」
「オリヴィア様に出会うためです」
「はい????」
「管理体制の良くない奴隷商から権利を買い取り、適切な扱いをしてくださる女神がいると噂で聞きました。その方にどうしても僕は会いたかったのです」
「私の商団、そんな噂が流れてるの……!?いや、そこはいいわ……何故公爵のご子息ともあろう方がこんな私なんかを……失礼ですが貴方とはお会いしたことはありませんよね?」
「そうですね」
「なおさら何故……!?」
よく分からない理由を大真面目に答える彼に頭を抱える。命令の権限がきいている以上嘘ではないことが余計私を混乱させた。
「……私に会いたいと言う貴方の願いは叶いましたよね?」
「はい」
「では、今解約の契約書をお持ちいたします。よくは分かりませんが差し迫った理由もなさそうですし、こんな身分でいて良いわけありません。シュナイダー公爵家にはこちらから連絡をいれておきます」
「えっ!何故ですか!?僕は貴女の奴隷になりに来たと言うのに!!」
「はぁ?」
この話はお終いだと契約書を取りに立とうとした瞬間オリバーが悲痛な声で待ったをかける。
「僕は貴女の奴隷になりたいんです!」
「いや、二回言われても……」
「大事なことなので何度でも言います!!」
「えぇ……」
困惑している私の傍に寄ったオリバーはソファと机の間に跪いて退路を塞ぐと、では、と優しく私の手を取った。先程までとは打って変わってゆとりのある大人のような笑みに思わず口を閉ざしてしまう。
「婚約者を探していると言いましたよね、僕が相手では不足でしょうか?」
「いや、何言って……」
「貴女の奴隷として契約書にサインするか、元の身分に戻った僕と婚約するか、どちらかを選んでください。因みに商団に所属するつもりはありません」
「なんで貴方が話を進めてるのよ!」
「契約書にサインするか否かは僕の権利ですからね、どちらにせよオリヴィア様には不利がないはずですが?」
何か問題が?とでも言いたそうな満面の笑みにグッと言葉を飲み込む。理由もなく公爵令息を奴隷にするのはあまりにも気が引けるが、出来ないわけではない。婚約者となれば公爵家との太いパイプが出来、玉の輿に乗ることを意味している。どちらも私にとって不利益はなく、後者に限っては大幅にプラスとなる。しかし、どちらにしても重要なのは……。
「……今日初めて会った貴方が私を想っているだなんて、本当だとしても信じられないわ」
「えぇ、そうですね……でもそれはこれから沢山伝えていく予定ですから心配しないでください」
公爵家の彼が伯爵家の私と結婚したところで彼に何の得もなく、政に影響するかといわれたらどちらの家門も中立の為変化はない。なによりも、必死に私を望む理由を語る彼の笑顔が、言葉が、嘘ではないという事実が一番私をぐらつかせた。
「……はぁ」
受け止めきれない事実が多すぎて思わずソファに座り込む。心配そうに近寄るオリバーが握る手を上から叩いた。
「……分かりました、奴隷契約は解除し貴方には元の身分に戻ってもらいます」
「それじゃあ……!」
「ただし、貴方との婚約はまた別の話です……これは私だけで決めれることではないですからね。次の機会、奴隷ではなく公爵令息としての貴方に会った時にまた考えさせてください」
「!!!待っててください、すぐにまた会いに来ますから!!」
一段と輝く笑顔と溢れんばかりの喜びに一瞬犬の耳と尻尾のようなものが見えて今までの疲れからか思わず小さな笑いがこぼれる。オリバー……オリバー様は大型犬に似ているのだと、そのふわふわとしたブルーブラックの髪に手を伸ばそうとしたところで我に返った。
「えっ」
「……失礼しました、契約書取りに行ってきますね」
どうやら撫でられ待ちをしていたらしい彼は名残惜しそうに私の手を視線で追う。その視線には気づかないふりをして今度こそ席を立った。
奴隷契約を解約した後はそれはもう大変だった。先ず父にシュナイダー公爵家に魔法便を送るよう頼もうとするがオリバー様が任せてくださいと指を鳴らすと現れた小さな鳥があっという間にご実家に連絡し、シュナイダー公爵夫妻が転移魔法を使って商団にやって来た。おかげで先程見直したセキュリティが発動して公爵夫妻を警備が取り囲む事態になってしまい、私はただただ頭を下げると、こちらにも誹があると反対に謝られた。その後公爵はオリバー様を見つけると思いっきり彼の頭を叩き、気持ち良いほどの音が響き渡った後今度は夫人が強化した細腕でアッパーをかまし見事にオリバー様はダウンした。遅れて地面に音を立てて落ちた眼鏡まで、まるで流れるような一連の動きに思わず放心してしまう。
「連絡ありがとう、キャンベル伯爵のお嬢さん。愚息が何か迷惑をかけなかったかね?」
「はっ……えと、はじめましてシュナイダー公爵様。キャンベル家長女オリヴィアと申します。ご子息様は……えっと……」
「……どうやらすでに迷惑をかけた後のようだ」
「いえ、その」
「父上、僕オリヴィア様と婚約します」
「お黙り」
意識が戻ったオリバー様が一言話すとすぐに夫人がその口を魔法で塞いでしまった。あまりにもカオスな空間から私はすぐに逃げ出したくなり口を開く。
「あの、良ければ順を追って話しますので家の方へ……」
………
(オリヴィア)
(はい、お父様)
(これは一体何事だ……!!)
視線だけで父からの抗議を受け流す。そんなことは私の方が知りたい。
目の前には魔法使いの名門シュナイダー家、片や細々とした商売で成り立つ我が伯爵家。応接室には異様な雰囲気が流れていた。母に至っては緊張のあまり扇を握る手が白くなっている。
「初めに我が愚息について説明致します」
シュナイダー公爵はこちらを緊張させないためか、にこやかに笑って説明を始めた。
オリバー様は幼少の時から【奴隷商をしている女性】を探していたこと、その理由は本人しか分からないということ、学校を卒業後書置きをして急に姿を消したこと、その身に危険が及ばない限り定期連絡と引き換えに干渉してこなかったこと。
「まさか奴隷になっていたとは……そして今日連絡が入り、内容が内容だけに押し掛けるように来てしまって大変申し訳ない」
「ご子息については大方理解しました。ではその、内容というのは……」
「『オリヴィア・キャンベル嬢と婚約します』と」
父と母がもの凄い勢いで私を見るが、私も慌ててオリバー様の顔を見た。この人は先程までの私の話を聞いていなかったのだろうか。お得意の魔法を使い小綺麗になったオリバー様は涼しい顔をして紅茶を飲んでいる。その様子を見てシュナイダー公爵は溜息を吐いた。
「その様子ですとオリバーが勝手に言っているようですね」
「お言葉ですが父上、公爵令息としての僕に会った時にオリヴィア様はちゃんと考えてくれると約束をしています」
「……それは本当なの?」
「それはその……はい……確かに言いました……」
間髪入れずに夫人がこちらに問いかけてくると、その圧に押されながらどうにか答える。こればかりは事実なのでしょうがない。こんなに早くその機会が訪れるどころか実現するとは思わなかったけれど。
恐縮しきっている私の様子を見て夫人はパチンと扇を閉じるとオリバー、と息子の名を呼ぶ。
「正式な手続きにしたいならオリヴィアさんときちんとお話しなさい」
「流石母上、ありがとうございます」
「おい、リフィア……?!」
慌てたように公爵が腰を上げようとするがそれよりも早く持っていたティーカップを優雅な仕草で置くとオリバー様は真っすぐに私の前へと進み手を差し出した。
「少し散歩でもいかがでしょう」
視線だけで父と母を見ると無言で頷きが返された。拒否権がないことを悟りながらその手に自分の手を重ねる。
「……喜んで」
手が触れた瞬間、ふわりとした風を感じた後目の前が一変していることに気づいた。先程まで屋敷に居たのに今は花に囲まれたガゼボの椅子に座っているのだ。見慣れた景色から屋敷の庭にあるものだと気づくがあまりにも予備動作のない移動に唖然とする。
「……転移魔法……」
「ご気分は如何ですか?」
「あ、大丈夫です……」
彼らが余りにも簡単に使うので忘れがちだが、この魔法を使える人はそうそういない。この国の人々は身分関係なくほぼ全員が魔法が使える。ただし、魔力量はその生まれに由来することが多く、多ければ多いほど良い血筋であることが推測される。そしてこの転移魔法は莫大な魔力を消費するのだ。だから一般市民どころか貴族でさえ使える者は一握りなのである。
「……本当に公爵様だったんですね」
目の前の現実に一気に頭がさえてくる。おかげでオリバー様がいそいそと私の足元に跪こうとしているのに気づくことが出来た。
「……一応お聞きしますが、何をしていらっしゃるんです?」
「(奴隷の)定位置につこうとしてるだけですが……」
そうあることが当然のように行動する彼に頭を抱えつつ、急いでその場から立ち上がると反対側の椅子を指さした。
「オリバー様にそのようなことをさせては私の家は跡形もなく無くなってしまいます。どうか私の為にもそちらに座ってくださいませ。因みに私は奴隷たちにそのような扱いをしませんのでご理解ください」
「では椅子に座る代わりに、僕と過ごす間は敬語を止めて普段通りにしてください」
「……そんなことはできません、オリバー様とは」
「その敬称もやめてください」
「……身分の差があり過ぎます」
「……」
「……そんな子犬のような顔をしてもダメなものはダメです」
「でもオリヴィア様、この顔嫌いではないですよね」
「ぐっ……犬が好きなだけで……ではなく、話は変わりますが私のことはどうかオリヴィアと呼び捨てで」
「嫌です」
「っ……では二人の時は一人称を戻し敬称は取りますので……お願いします、オリバー」
「出来ればもう一声、と言いたいところですがこのままだと話も進まないので妥協しましょう」
当たり前のことを当たり前に振舞うために何故こんなにも労力が必要なのかと、気を抜けば椅子にもたれかかりそうになるのを必死に堪えながらようやく椅子に座ったオリバーを見やる。
皴一つない高級そうな生地で作られた服に身を包んだ彼が、とても今朝がた門の前で拘束されていた奴隷の男と同じだとは想像もつかない。公爵夫妻の反応からしてだいぶ、いや、かなり奔放な性格なのは理解できたがそれを踏まえても何故私にここまで執着するのかが理解できない。わざわざ奴隷となってまで【奴隷商をしている女性】を探す理由とは……ん?
「オリバーは【奴隷商をしている女性】を探していたんですよね?」
「はい」
「私以外にも該当する女性がいると思うのですが……」
「いえ、オリヴィア様……オリヴィアで間違いないです、断言できます」
「何を根拠に……いや、それでその女性を探して本当はどうするつもりだったんですか?」
「何度も言っている通り、オリヴィアに仕える奴隷に……」
「……」
「うーん、中々信じてくれないですね……命令された時にも答えてるんですが……これでは僕が貴女に一目惚れしたと言っても信じてはくれないですよね」
「それこそ信じられませんね」
唸るオリバーから俯いて視線を落とす。一目惚れなど私に一番縁のない言葉だ。ましてや昨日会ったばかりの男性になど、裏があるとしか思えない。
「では、おまけの方の理由を話しましょう」
一度落とした視線を再び上げると頬杖を突くオリバーがあまり興味がなさそうに口を開く。
「オリヴィアがこの前買い取った奴隷の中にこどもが何人かいたでしょう?」
「はい、三人ほど」
「その中で瞳がルビーのように赤い者がいます。そうですね……今から約五か月後に女神の生まれ変わりである女性が現れるので、その人にその男の子を渡してください」
「は……い……?」
「渡す、というよりおそらくその女性が訪ねてくるはずですから……」
「ちょ、ちょっと、待ってください!」
ここ最近の日常を話すように軽く話す彼はこの話の深刻さが分かっていないのか、立ち上がって慌てる私を不思議そうに見つめてくる。
「女神の生まれ変わりが何故今世にいると分かって……いや、それよりもその話が本当かどうか……」
この国の成り立ちには女神と魔王という存在が不可欠である。はるか昔、いがみ合っていた天と地、それぞれの神たちとの戦いの場はその間にあった地上で行われた。戦力が拮抗していたため戦いが長期にわたると二柱の若い神を中心に停戦が話し合われ、天と地は共に応じた。その停戦を不可侵のものとするため地上に天と地、それぞれから停戦を持ち掛けた二柱を住まわせその二柱を後に夫婦とした。夫婦は生み出したヒトを育て、この土地を国と成り立たせると、一人の聖君を王とし自らは天にも地にも戻らず地上へとその身を捨てたという。その際夫婦はこの国に加護をかけ、その加護の力が弱まった時再び地上へその身を宿すと言われている。
その最初の夫婦になぞらえ、天の女神、地の魔王という呼び名が生まれ変わりの名として使われているのだ。そしてその生まれ変わりがいつ現れるのかは昔聖君と言われた王の直系、その中でも国王しか分からないはずなのである。国王は女神、もしくは魔王が15歳になった時に初めて生まれ変わりの存在を知ると言われている。
(でもまだそんな通達はないし、国王陛下以外には分からないはずなのに……下手したら虚偽報告で捕まるわ!)
「オリヴィア、落ち着いて」
テーブルの上に置いた手をオリバーが優しく重ねる。そのぬくもりに少しだけ落ち着きを取り戻すと小さく謝って再び席に着いた。重ねられた手はそのままに彼は申し訳なさそうに続ける。
「ごめんなさい、気軽に話していい内容ではなかったのですね。事後報告となってしまいますがこのガゼボの周りには防音と人払いの魔法がかけてありますし、オリヴィアが望むなら契約したうえで忘却魔法をかけさせてもらいます」
「……私の方こそ取り乱してしまい申し訳ありません……その、何故オリバーは女神の生まれ変わりが現れると思っているのですか?」
「……これは出来れば秘密にしてもらいたいのですが、僕が小さいときにお遊びで予知魔法を使ってしまいまして」
「……!」
予知魔法、未来を見通すことが出来ると言われている未完成の魔法だ。これまでも数多くの国民が試しては一度も成功しなかったと言われている。今まで成功したという報告は全部無理矢理こじつけたものや、自作自演のものであり、二度目にその魔法を使って未来を予知したものはいなかった。それを目の前にいる彼は成功したというのか。
「その時に僕が十八……いや、確か……その二年後、二十歳になるまでのこの国の歴史を見ることが出来ました。だからこの年に女神の生まれ変わりが現れることも、魔王の生まれ変わりが奴隷商にいることも知っていたんです」
「そんな、嘘みたいな話……」
「証明のしようがないので信じてもらえなくても構いません。それにそれからは予知魔法も使えなくなりましたからね」
「……」
「ですが五か月後、国王陛下が女神の生まれ変わりの存在を公表し、奴隷のこどもを迎えに来たら……その時は信じていただけますか?」
「それは……そうですね、信じます」
「僕がオリヴィアに一目ぼれしたことも認めてもらいますからね」
「……何故そんな話になって……」
「言ったでしょう?この話は僕にとっておまけでしかないと。予知の時にみた名前も知らない貴女に僕は恋に落ちたんです」
重ねられていた手が気づいたら持ち上げられ、その指先にオリバーが唇を寄せる。柔らかい感覚を感じて一気に顔に熱が集まった。
「確かめるまで婚約の話は保留にしておきます。もちろんその間もアピールはさせていただきますからそのつもりで」
余りにも慣れないことに思考も動きも止まってしまい、甘く微笑むオリバーに何も返事が返せなかった。
………
「つかれた……」
衝撃的な内容を告白された後オリバーとともに応接室に戻ると、いつの間にか私たちの婚約話がまとまっていたが、約束通り五か月後まで保留にすることをオリバーが伝えてくれた。とはいえ公爵家からの縁談を伯爵家が断れるわけがなく、余程の理由がない限りこの婚約は成立するだろう。盗み見るように彼を見つめればしっかりと視線がかち合ってしまい先程のように微笑まれ私は急いで視線を逸らした。
その様子をそれぞれの両親が生暖かく見守っているとは知らず。
公爵夫妻とオリバーが帰った後、私たち家族は応接室で屍のようにソファに身体を埋めていた。
「オリヴィア……正直に答えなさい……あの方とはいつ知り合ったんだ」
「正直に何回も言ってるじゃないですか……昨日買い付けに行った奴隷商で初めて……会ったのは今朝ですけど」
「ヴィアちゃんのことあんなに慕っているのに……?」
「私だってよく分からないんです……ほぼ初めましての私なんかを……なんであんなに……」
「……本当に嫌なら断わることもできる」
ゆっくりと身体を起こした父が真剣な眼差しで私を見つめた。その中には優しい光も混じっている。私も母も体を起こし姿勢を正した。
「……でも公爵家からの縁談を断るなんて……」
「家柄を考えると確かに断りにくいが、今日話した様子では私たちの意見を無下にするような方ではないと感じている……それに、認めたくはないがオリバー殿の本気もな……」
ぎりっという歯を噛みしめる音で最後の方に何を言ったのか聞き取れず、聞き直そうとしたところで母が私の手を握った。父と同じ優しい光、本当に私のことを想ってくれているそういう瞳で。
「ヴィアちゃん、家のことも私たちのことも考えないであなたの気持ちをゆっくりと考えなさい。そしてオリバーさんの気持ちも、素直に受け止めてあげて。これから多少なりとも交流は増えるでしょうからしっかりと見極めなさい。そして最終的に嫌だというならお断りするわ……勿論是というならそれはそれで大歓迎よ」
「……素直に受け止めていいんでしょうか」
「大丈夫よ、これは女の勘だけどオリバーさんはヴィアちゃんを傷つけるようなことはしないわ」
「少しでも怪しい動きがあれば必ず私にいいなさい、これでも情報網は細かく張ってあるからな」
「……お母様、お父様……ありがとう、ございます」
愛されているな、と改めて感じる。結婚適齢期を迎えても中々縁談が決まらない私がこんな邪な想いを抱いて始めた事業にも父も母も何も言わなかった。奴隷は嘘がつけないから、レイ、ウノ、デューに慰めてもらっていたこともきっと知っているだろう。それでも両親は寧ろ相手の見る目が無いと愚痴を言うほどで、私には惜しみない愛情が降り注がれた。それをいつからか素直に受け止めれなくなったのは私の方だ。傷つきたくなくて、しょうがないと諦めて自分の価値を下げた。そうすれば断られても悲しくなかったから。
(もう一度だけ、信じてみよう)
まだ恋は出来ない、でも相手の言葉を、そして自分を受け止めてみよう。
そう静かに決意した。
………
「オリヴィア、おはようございます」
「……何故、ここにオリバー様が……」
「おや、もうお忘れですか?オリバーと呼ぶ約束では?」
色々なことが起こり過ぎた昨日のことをどこか遠い日のように感じていたのか、家族全員同じような顔をしながら朝食を食べた後、奴隷商へと向かう。昨日どうにか全員の身元確認と契約を終え希望するところへ手紙を出したのでその返事の確認作業をするためだ。因みにオリバーが言っていた赤い目の男の子は奴隷の身分を返上し家の使用人として契約させた後に私の傍に置くことにした。本当に魔王の生まれ変わりだというのなら下手な仕事はやらせない方がいいだろう。表向きにはフットマン見習いとして色々教えていくつもりだ。今日は家の方で文字の読み書きなどを教えてもらっている。
そうして来た奴隷商の入り口に何故か見覚えのあり過ぎるシルエットが見え私は思わず二度見した。
「……オリバー、何故ここに居るんです?」
「それは勿論オリヴィアに会いたくて」
「昨日の今日なのに……」
「毎日でもお会いしたいので、あ、ちゃんと伯爵には手紙出してありますからご心配なく」
「公爵様には……」
「迷惑さえかけなければ好きにしていいと言われてますから」
(甘やかされてるのか……呆れられてるのか……)
にこにこと眩しい笑顔を直視できないまま一つ息を吐くと僅かに足を下げ頭を下げる。
「来ていただいたことは素直に嬉しく思います、しかし今日は立て込んでおりオリバーと共に過ごすには時間が足りず……」
「そんな、頭を上げてください!ここまで押しかけといて信じられないかもしれませんがオリヴィアの邪魔をする気はないんです。大人しく部屋の隅に居ますから、オリヴィアの仕事をしている姿をみさせていただけませんか?」
「本当にお構いできないんですが……」
「大丈夫です、僕のことは花瓶かなんかだと思ってください」
「……わかりました、ではこちらへどうぞ」
本当に端の方で嬉々として立ってそうだと思いながら仕方が無く一緒に商団へ入る。昨日今日で分かったことは、私はオリバーの笑みに弱いということである。どうしてだかあの笑顔には気が緩んでしまい強く出られない。何故だろうと考えながら中へ入るとレイが迎えてくれる。レイがオリバーの方を見て僅かに顔をしかめるのをみて驚いた。彼がここまであからさまな表情を作ることは今までなかったことだから。
「レイ……?」
「はい、ご主人様」
「あ……いや、何でもないわ。手紙の確認するから持って来てくれる?あとティーセットも一人分」
「畏まりました」
私の問いかけに応える時はすでにいつものように戻っており聞くことは躊躇われた。後ろ髪を引かれながらも仕事部屋へ向かいオリバーが真っすぐ部屋の隅に行こうとしたため備え付けのソファを進めてどうにか座らせた。レイが手紙とティーセットを持ってくるとオリバーに断ってプライバシー配慮のために私の周りだけ簡易な防音・視覚遮断魔法をかけ手紙を確認する。その間レイはオリバーの前にセットしていた。
………
一式を準備し終えるとポットにお湯を注ぐ。その間、いや、ここにこの男がオリヴィア様とともに来たのを見た瞬間からずっと、黒いものが腹のうちに渦巻いていた。
「……気にくわなそうだね、オリヴィアの奴隷くん」
眼鏡を外し優雅に足を組み替えたその男はオリヴィア様と一緒にいる時とは口調も雰囲気も表情の作り方さえ大きく違った。奴隷相手だからと見下しているわけではなく、ただ、この男の素が庶民の所作に近いのだろう。
「……そう見えたのでしたら申し訳ございません、いかんせん良い育ちではないもので」
「別にいいよ、僕も君が気に入らないからね……正確には君たちが、かな」
「俺たちをどこに飛ばすおつもりで?」
「そんなことしないよ、今のオリヴィアには君たちが必要だ。勿論今後もその存在は必要だろう。でも近いうちに精神的にも……身体的にもオリヴィアは僕のものになるし、それをそばで見守る覚悟は持っていた方がいいんじゃないかな」
「……」
「おっと、他の二人もいたんだ、気配消すの上手いね」
出入り口近くに居て様子を窺っていたウノとデューが隠し切れない殺気を漏らしたため流石にこの男も気づいたようだ。首を振って離れるよう指示を出し俺自身も両手から力を抜いた。
そんなことは言われなくても分かっている。いくら俺たちがオリヴィア様を想っていても身分の差というものは思った以上に壁が高い。この男のように、元が貴族というならば何かしらの方法があったのかもしれないが、俺たちはどこの何者かも分からない平民だ。ならばせめて一番近くで見守っていたかった。見る目のない男どもに縁談を断られ、辛いはずなのにそれを見せまいとするその姿勢に何度手を伸ばそうとしたことか。だからこそオリヴィア様を慕っているというこの男を見極めなければならない。もう二度と俺たちはオリヴィア様の悲しい顔を見たくはない。俺たちが見極めて、オリヴィア様が受け入れたのなら……その現実を受け止めるしかない。
「……こんな安い挑発などして……何が目的なんです?」
「君たちが僕を見極めようとしてるように、僕も君たちを見極めようかなと思って」
「貴方が俺たちを見極める……?そんなことしていったい何になるというのです。俺たちの主は今後もオリヴィア様だけ……!」
「知ってる、だから伯爵令嬢としてのオリヴィアに影響がないか見極めたくてね」
「……っ」
男の言葉に小さく息を飲んだ。仮という形でもこの男はオリヴィア様の婚約者候補だ。実態はどうであれオリヴィア様の商団の噂は良いものもあれば悪いものも多い。仮に奴隷にその身を許した等の噂が出れば婚約どころか伯爵家もオリヴィア様も社交界では居場所がなくなってしまう。けれどもそのあたりはこちらも弁えていたし、オリヴィア様も徹底して決めた線を踏ませなかった。でもそれは俺たちだから分かることで外部から来た人間には分からない。それでもその質問は俺たちの忠誠とオリヴィア様の努力をいくらか踏みにじるものだ。
「……俺たちのこともオリヴィア様のことも侮辱しているんですか」
「そんなことないさ、徹底して間違いがないようにしていたのは伯爵からも聞いているし、オリヴィアのことも君たちのことも疑ってないよ……ただ面倒くさいけれど世の中に見せるためのパフォーマンスは必要なんだよね」
「パフォーマンス……」
「そう、オリヴィアは奴隷を囲っているわけではないというね」
だから手始めに、と再びその眼鏡をかけ直しにこやかに手を叩く男の姿を見て嫌な予感がした。
「君たちの契約主をオリヴィアから商団に移さないとね」
………
手紙を読み終え魔法を解くと険しい顔をしたレイと紅茶を啜るオリバーが目に入る。僅かに感じる緊張感にこの二人は相性が悪いのではないかと悟った。
「何かありました?」
「いいえ、彼が相手をしてくれたので有意義な時間を過ごせましたよ」
「そう、ですか……レイ、手紙の返事を書いたから届けてきてくれる?」
「……畏まりました」
近くに寄ったレイから思いつめたような苛立っているような気配を感じて思わず手紙を持つ手に力を入れて引き留める。どうしたのかと視線で問えば一度視線を逸らしてから真っすぐに私を見つめ返した。
「オリヴィア様、本日業務終わりにお話ししたいことがあります」
「……わかったわ、終わったら声かけるわね」
レイは少しだけ微笑んで私の手から手紙を抜き取った。その笑みに僅かな寂しさを感じ取り思わず引き留めようとするも、彼は静かに私から離れ扉の方へ向かった。先程の笑みが離れず去っていく彼を見つめているとパチンという音とともに一輪の花が差し出される。急に目の前に現れた花に身体を引くとにこやかな笑顔を携えたオリバーと目が合った。
「お疲れさまでした」
こちらをどうぞ、と差し出された花はオレンジ色の薔薇で反射的にそれを受け取るとまたにこりと笑って席に戻っていく。
「あ、ありがとうございます……」
オリバーの行動に意味が見いだせず戸惑いながらお礼の言葉を発せば、良ければどうぞ、と言って指を鳴らし机の上に一輪挿しの花瓶を出した。もちろん水まで入っており魔力量に余裕のある人は何でもやりたい放題だな、と少しだけ羨ましさを感じる。
花は好きだ。残念ながら育てる才能はないのか、幼い頃に庭の一角を枯らしてしまい庭師にやんわりと禁止令が出されてからはもっぱら見る専門である。その華やかさも、甘い匂いも、一つ一つが持つ意味も含め見ていて飽きない。
(一度くらい男性から花を贈ってもらいたいと思っていたけど……まさかこんなあっけなくそれが叶うなんて……)
そんなことを思いながら花瓶に花を挿すと自嘲めいた笑いが漏れていたのかオリバーがこちらを見た。
「初めて男性から花をいただきました……ずっと憧れていたものなので何やらくすぐったくて……って、どうかしましたかオリバー……顔色が……?」
「なんっ、そんな……ダメ、待って、やり直しさせて!!!!」
私の話を聞いているうちに顔から血の気が無くなり取り乱したように立ち上がると、待ってて!と言い残して彼は姿を消した。しかしまたすぐに現れ私の方へ走ってくるとばっとその後ろ手に持ったものを目の前に差し出す。
「オリヴィア、さっきの一本も加えて受け取ってください……!!」
目の前に広がる赤、そして甘い香り。オリバーが差し出したのは大量の赤い薔薇の花束だった。
今の一瞬の間に一体どこから持ってきたのだろう。世の中の令嬢たちが一度は憧れるであろうシチュエーションを目の前にしているというのに私の口から出た言葉は甘い雰囲気も何もなく。
「いや、勿体なくないですか……?」
「これから毎日花を贈らせてもらいますね!僕がオリヴィアにとって初めての男になれて大変嬉しいです!!」
「言い方に気を付けてください、あと毎日は結構です。その花も……」
戻して、という言葉が出かかって喉で詰まった。驚きの方が強くどこか冷静でいられるが嬉しい気持ちが無いわけではないのだ。オリバーが何故私に固執するのかは分からないし、その気持ちの根底にどんな思惑があるのかも分からない。けれど、少しだけ、本当に少しだけ、彼からの好意を素直に受け止めてもいいだろうか。信じた分裏切られた時はきっと立ち直れないほど傷つくだろう。それでも、今この瞬間だけはうぬぼれてもいいだろうか。
「……その花、は……頂戴いたします……ありがとうございます」
両手に抱えて余るほどの花束をオリバーから受け取る。量が量だけにかなりの重さがあったがどうにか抱えてその視界が赤一色になると勝手に頬が緩んだ。オリバーの気持ちも、今私が感じている気持ちも、大事にしたいと、そう思った。
そんな私を見つめる彼の瞳がどこまでも優しいことには気づかなかった。
……
オリバーは午後から用事があるようで名残惜しそうに帰っていくと私は昼食を食べる為に自宅へと戻った。昼食後そのまま自室へ向かうと、丁度アニスが部屋に数本の薔薇を飾るところだった。独特な甘い香りに先程のやり取りを思い出しベッドへと身を投げ出す。勿論アニスには小言を言われたが枕を抱き込み聞こえないふりをする。
「……アニス、オリバー様からもらった花束……全部で何本あった?」
「凄かったですねぇ、あれ……確か99本だったかと」
「……そう……」
99本の赤い薔薇の花束、そして机の上に飾ったままの1本、あわせて100本の薔薇。
意味は永遠の愛、そして完璧な愛。
意味はないのかもしれない。誰からも貰えなかった私を哀れに思った彼が気を遣ったのかもしれない。
いや、分かっている。そんなことしてもオリバーには何の得もない。けれどその行動に意味を求めようとするとどうしても自分の良いように解釈してしまう。そんなことがあるのだろうか。私なんかに、そう、私みたいな者に。
「……はぁ」
一旦オリバーのことを考えるのを止めよう。なんならこの時間すらも計算されているようで腹が立ってきた。それに今日はもう一つ気がかりなことがある。
(レイの話って……何かしら……)
オリバーとレイの間にあった何とも言えない雰囲気を思い出す。流石に他人の関係性に疎い私でも気を遣ってしまうくらいのものだった。今後はウノかデューに対応させた方がいいだろう。
「昨日、今日と……なんでこんなに疲れるのかしら……」
「いいじゃないですか、私たちは楽しいですよ」
「それはそうでしょうよ……知ってるんだからね、私たちの婚約がどうなるか賭けてること」
「えっ」
「しかも全員が【婚約する】に賭けて勝負にならないからって婚約の日や結婚式の会場とかで細かく賭けてることも」
「……お嬢様、それは誰から……」
「秘密よ……で?アニスは何に賭けたの?」
「言ったらお嬢様その通りに行動してくれます?」
作業の手を完全に止めたアニスが恐る恐る問いかける。その目の奥に金の匂いを感じ取った私はにっこりと笑って拒否してあげた。
………
「お時間を取っていただきありがとうございます」
昼食を終え午後の仕事を終わらせた私は仕事部屋のソファに座っていた。
目の前には頭を下げたレイ、ウノ、デューが並んでおり、私は声をかけ反対側のソファに座ってもらった。
「構わないわ、でも改まってどうしたの?」
「……先に許可をいただいてもよろしいですか?俺たちが今から話すことは嘘偽りのない本心であること、それと……多少崩した言葉遣いも」
「ええ、勿論」
「ありがとうございます……ご主人様……ご主人様はあの男をどう思っておられますか?」
「あの男……?」
「あのいけ好かない公爵令息ですよ」
「……!?レイ、貴方どうしたの……??!」
「大事なことなんだよ!俺たちにとっても、お嬢にとっても!」
「……」
急に辛辣になったレイの口調に驚いていると、デューが眉を下げながら必死な形相で身体を少し乗り出し、ウノは静かに頷いた。その様子に今回の話し合いがどういったものなのかをうっすら予測する。自分の中でもいずれは、とは思っていたがまさかこんなに早く、しかもレイたちの方から持ち掛けたのは予想外だった。一度目を閉じ問われたことを考える。それでもやはり現状は自分でも分からないのだ。
「……分からない、というのが答えになるか分からないけど……まだ何とも言えないわ」
「けれども、好きか嫌いかで言えば好きですよね」
「えっ、まぁ……人としては好きよ、行動は読めないけど」
「俺たちのことは?」
「勿論好きよ」
「俺たちもです」
ハッキリと告げたウノの声に思わず顔を上げる。
一度も見たことのない真っすぐで、それでいてどこか柔らかさを感じる視線が三人から注がれた。
その視線が落ち着かなくてすぐに目を逸らしてしまう。
「俺たちは、ご主人様が……オリヴィア様が好きです。雇用主だからではなく、一人の女性として」
「……勿論、この感情がふさわしくないことも……身分の違いも理解している……だからどうこうしようという気はさらさらない」
「でもどうしても伝えたかった!だから返事はいらない!俺たちの自己満足もあるけど!!」
私は逸らしていた視線を再び三人へと向け、確認するように小さくその名前を呼ぶと三人とも笑顔で返事をくれる。本人たちが望むような答えも発していないのに、全て分かっているとでも言うようなその笑みに、何故だか胸の奥が締め付けられるように痛む。
「……っ……ありがとう……」
「はい……そのお言葉だけで十分です」
どうにかそれだけを呟き両手で顔を隠した私にレイは優しくそう答えた。
知らなかった、こんなに優しい好意があったということも、その気持ちに応えられないのがこんなに心を砕くということも。
彼らの気持ちを受け止め、忘れないように心の奥に大事にしまう。少し強引に手で涙を拭いもう一度ありがとうと呟いた。今度はしっかりと、三人の目を見て。
「……契約書の変更、よね」
「……はい、今後どうなるかはまだ、本当に、何があるかわかりませんが、ご主人様のことを考えると雇用主を変えた方がいいでしょう」
「……随分強調するのね……」
「あの男嫌い……」
「俺もー!あーあ、奴隷のままだったら色々文句も言えたのにー!!」
「こら、デュー、思ってても言うものではないですよ」
「……ごめんなさいレイ兄」
いつもよりくだけた口調だからか雰囲気の違う兄弟の様子に笑みがこぼれる。
私は一度変更届を取りに席を立ちもう一度座ると、目の前に置いた書類に三人は大きく目を開いた。
「解雇届……!?」
「ご主人様……っ!?」
「えっ、なんで!?」
悲痛な表情を浮かべる三人に私は次の書類を差し出す。
いつの日か三人がここを辞めたいという日が来た時の為にこっそりと用意をしていたものだ。
「貴方たちには奴隷ではなく平民としての資格を与えるわ」
二枚目の書類は身分証、そして三枚目の書類は雇用届。ずっと三人にお礼がしたかった。私の寂しさを埋めて、共に過ごしてきてくれたこと、純粋な好意と、その優しさに。もしかしたら彼らにとってそれは感謝されるようなことではないのだろう、けれど、気持ちに応えることのできない私から贈れるたった一つのものだった。
「そして、正式にキャンベル家の使用人として雇用する……貴方たちさえよければね、勿論他の所で働きたいのなら紹介状もキャンベル家の名前でだしてあげるけど……どう……?」
反応のない三人に尻つぼみになっていく言葉をどうにか言い切って視線を上げる。
呆気にとられたその顔が三人とも同じで、やはり兄弟なんだなと再認識した。
「……俺は、ありがたくこの話を受けたいと思います」
最初に口を開いたのはレイだった。受け入れてくれたことにホッとしていると、ウノとデューもそれに続くように頷いた。
「……ありがとう……提案しておいてなんだけど貴方たちと離れるのはやっぱり寂しかったから」
「ご主人様……」
「貴方たちから切り出させて申し訳ないわね……今後はキャンベル家をよろしく頼むわ」
「「「はいっ」」」
話に区切りがつくとそれぞれが書類を手に持ち退席する。ふと、レイを呼び止めて気になっていたことをきいてみた。
「貴方、オリバー様のこと最初から嫌っていたの?」
「ええ、まぁ……よからぬ予感がしたもので」
「もしかしてあの時このことについて話でもされた……?」
「……確かにされました、が、決してあの男に言われたからではありません……丁度良い時期だったのです」
「そう……でも今後は少し態度に気をつけなさいね」
「…………………はい」
「随分渋るわね……」
不服そうなレイをみて、使用人になった暁にはなるべく兄弟たちをオリバーから遠ざけようと静かに決心した。
………
少し月日は流れ、兄弟はそれぞれ執事、シェフ、庭師の見習いとして屋敷を駆け回っている。もともと顔見知りだった屋敷の人たちとはすぐに打ち解けれたようで特に問題もなく過ごしているようだ。
魔王の生まれ変わりだというこどもは、やはり何かが違うのかあっという間に読み書き、礼儀作法、更には初等教育並みの教養を吸収し、すくすくと育っている。名前が無いというので当たり障りのないアダムという名前を付けた。本当に生まれ変わりというのならば、女神の生まれ変わりにあった時に真の名前が授けられるはずなので問題は無い。
そしてオリバーとの関係はと言えば、少なくとも友達くらいの距離にはなったのではないかと思う。相変わらず変なことを言ってくるが、それを流せるくらいには私たちの間に何らかの情は芽生えたのだと思う。友情というにはあまりに近く、愛情というには余所余所しい。
彼が私に対して本当にマイナスの感情を持っていないと確信できたのも最近のことだ。
これに関しては美的感覚が狂っているんだな、という結論に至りどうにか受け入れることにした。
人目を気にする私の為に無理矢理外に連れ出すこともせず、キャンベル家か奴隷商の中での逢瀬のみだというのに何の文句も言わず来てくれる。そんな優しい人はそうそういない。
好きか嫌いかという前に、人として出来過ぎている彼となら今後流れのまま婚約しても上手くいくかもしれない。そんな未来のことを考えるほどにはオリバーのことを信頼するようになっていた。
そんな中恐れていたことが起きてしまった。
パートナー同伴のパーティーに招待されたのだ。
大切な友人の婚約発表パーティーとなれば行くしかない。例年ならすでに結婚している従兄弟にパートナーを頼んでいたが、その従兄弟も奥方が臨月となり動くのは厳しいだろう。そして保留期間中とはいえ婚約者となる予定の人がいるこの状況では彼に頼まないわけにもいかない。
いつも通り遊びに来たオリバーに招待状を見せ、恐る恐るパートナーの打診をしたら食い気味に二つ返事をもらった。
「是非ともお願いします!」
「え……でもいいんですか……?人前に二人で出れば事実関係はともかくそういう目で見られることになりますよ……?」
「願ったりかなったりですね。寧ろ牽制出来て一石二鳥……オリヴィア、忘れているようですが僕は貴女に求婚している身ですよ?ここで貴女が他の男に頼んだなんて聞いたら……悲しくて何をするか分かりませんね」
「……分かりました、ありがとうございます。詳細は追って連絡します」
覚悟を決めなければ、と返してもらった招待状を強く握りしめた。
………
オリヴィアからパートナーの打診が来た時、漸く一歩前に進めたと喜んだ。
だから気づかなかった、彼女を取り巻く環境と彼女の振り絞った勇気がどれほどのものだったかを。
パーティー当日、公爵家の馬車をキャンベル家の門前につけてオリヴィアを待っていた。
流石に転移魔法を使ってというのは憚られ、オリヴィアの準備したプレゼントも詰め込まなければならないということに思い至ったからだ。詰め込みも終わり、今か今かと着飾ったオリヴィアを待っている僕は非常に落ち着きが無かったのだろう。御者への伝言に来た奴隷くん……もとい執事見習くんに鼻で笑われた。相変わらず僕にだけは敵意むき出しだが不思議と悪い気はしない。さっぱりとした態度も、辛辣な口調も話しやすくて寧ろ良い。同じ女性を好きになったよしみだろうか。
「もう少し落ち着いたらどうです、みっともない……今からそんなではオリヴィア様がいらっしゃったらどうするんです」
「えー、無理じゃない?どうしよう、絶対きれいだよね……」
「ええ、いつも以上にお綺麗でしたよ」
「はっ?見たの??僕より先に???」
「当然でしょう、それにしても何なんですかあの独占欲丸出しのドレスは」
「あ、ちゃんと着てくれたんだ!嬉しいなぁ……ちょっとだけ心配だったから他の色のも入れてたんだけど……そうとなれば少し色味を変えるか」
今回のパーティーのために、オリヴィアには数点のドレスを贈っている。どのドレスを着るか分からなかったので無難な色合いの服にしたが、あのドレスを着るならばこちらの差し色を変えておこう。
指を鳴らしタイとポケットチーフ、そしてカフスの色をオリヴィアの色に変え、満足げに襟を正した。
「言っておきますがメイドがごり押しでそのドレスを着せたのでオリヴィア様の意思ではないですよ」
「なんか腹立つなぁ……いいよ、着てくれたという事実が大事だし」
「……それより、今日はオリヴィア様のことを頼みますね」
「……?当たり前でしょ、こんなだけど一応マナーとかは……」
「違います、流石にそこは心配してません……そうではなく、オリヴィア様の」
「お待たせしました」
控えめに響いた声にパッと顔を向ければ、白の細やかなレースで作られたショールを羽織り、露出の少ない紺色のドレスを身に纏ったオリヴィアがいた。独占欲丸出しのドレス……それは僕の瞳と髪の色に寄せたもの。彼女のシルバーブルーの髪が煌めいて紺色の生地の上で揺らめいている。余りにも綺麗で言葉を失っていると見習くんの咳払いで現実へと戻ってくる。
「オリヴィア、そのドレスを着てくれてありがとうございます……とても似合っていて、素敵です」
近づいてその手を取り恭しくキスをする。この程度の接触には多少慣れてくれたらしい彼女は控えめにお礼を言った。そのまま手を取り馬車へ進む。緊張しているのかオリヴィアの手はとても冷たかった。
「じゃあ行ってくるわ」
「いってらっしゃいませ、オリヴィア様」
丁寧に頭を下げた見習くんに見送られ馬車は今日の会場、ヘルナンデス伯爵邸へと向かった。
会場に着くまでの間は少しでもオリヴィアの緊張を解かそうと今日のパーティーの主役であるマイラ・ヘルナンデス嬢との関係性を聞いてみた。非常に仲がいいようで、最初の内は明るく話していたのだが会場が近づくにつれ静かになる馬車内にどうしようかと思考する。居心地が悪いわけではないのだが、オリヴィアは何にそんなに怯えているのだろうか。
「オリヴィア、そろそろ着きますよ」
「……はい」
一度目を瞑った彼女は深呼吸して凛とした空気を醸し出す。それを綺麗だと思いながら対面に座る彼女の手を取った。
「オリヴィア、今日は貴女が一番綺麗だと思っています。本来の主役であるご友人には申し訳ないですが僕の中での一番はオリヴィアです。それをお忘れなきよう」
そういって微笑めば、ぱちくりと目を瞬かせて何言ってるんだろうという不思議な表情を返してもらった。おかしいな、ここは普通照れるところでは。
「ありがとうございます、なんだか気を遣わせてしまいましたね……オリバー、会場内ではお互いに自由行動でも構いませんからね」
「いえ、ご一緒しますよ。あぁでもヘルナンデス嬢と積もる話もあると思いますし、友人にだけ一緒に挨拶してもらえればそれでも構いません」
「……ありがとうございます」
その寂しげな笑みに疑問を浮かべると同時に馬車はヘルナンデス邸へと到着した。
「シュナイダー公爵家オリバー様とキャンベル伯爵家オリヴィア様のご入場です」
そう告げられると予想通りザワリと空気が揺れる。学園を卒業後姿を晦ましていたシュナイダー公爵家の息子の登場は流石に影響があるようで、改めて自分の身分の高さを実感する。僕の目的を知っていた父はのらりくらりとかわしていたようだが、流石に奴隷商にいたとは言えないので知らないうちに勝手に留学していたことにした。しかしこのことも最低限の人にしか言っていないので世間から見れば急に現れた放蕩息子、といったところだろうか。間違ってはいないが。
流石にこちらを向く視線に居心地が悪くなっていると、腕に添えられた手が小刻みに震えていることに気づいた。予想以上の注目を浴びてしまったことに心の中でオリヴィアに謝りながらなるべく自然に会場の端へと足を向ける。
「あれが噂のシュナイダー公爵家の次男ですか」
「今までどこにいたのか……息子が同級生で……」
「隣に居るのはキャンベル伯爵の……」
「あぁ、例の」
「伯爵も随分と頑張りましたなぁ」
自分のことは何と言われようが気にしないが、オリヴィアに関する話にはしっかりと耳に入れておく。引っかかりのある言い方が気になっていると今度は年の近い令嬢令息の方からの声が聞こえてきた。
「なんであんな醜い子が……不釣り合いにもほどがあるわ、私の方が……」
「よりによって何故あの子なのかしら……何と引き換えに公爵家との繋がりを得たのかしらねぇ」
「弱みでも握られたんじゃないのか?まさかあの身体で篭絡されたとでも?」
「ははっ、ないない。可哀想に、既成事実でもでっち上げられたんじゃないか?」
「なんかの魔法にでもかけられてたり……」
「シュナイダーだぞ、その辺の魔法なんて効かないさ」
「でも婚約したとも聞いてないし……今夜だけのパートナーでは?」
「それはあり得るな、友人の婚約が羨ましくなったんだろ」
嫌でも聞こえてくるその内容に静かな怒りが込み上げる。
暫くこういった場からは離れていたので忘れていたが社交界とはそういう場所だったと思い出した。
誰かを蹴落とし、誰かを貶め、心無い言葉を平気で言い同調し仲間を作る。
(……反吐が出る)
僕たちのことについて何も知らないくせに、自分が正しいとばかりの言葉を吐いて出す。
本当にどこの世界でも変わらない。
「……ごめんなさい」
隣から聞こえた微かな声に意識を戻す。オリヴィアを見れば顔面蒼白になっており立っているのも辛そうな状態だった。抱え上げ移動する方がいいのだろうが、そんなことをして目立つのはきっと彼女は望まないだろう。組んだ腕を外し腰を引き寄せ身体をかばうように身を寄せる。なるべく慎重に壁際に連れていくと、コップに水を入れ差し出した。その間も周りに見られないように柱の陰に入るのと同時に認識祖語の魔法をかけた。
「オリヴィア、大丈夫……ではないですよね」
「……お水、ありがとうございます……大丈夫です、久しぶりだったので……すぐに慣れますから」
「……こんなことに慣れなくていいんですよ」
「……いいんです、それよりオリバー様に迷惑をかけてしまって申し訳ないです」
「……」
呼び方が戻っている。余裕すらないはずなのに僕のことを気遣う彼女のどこが醜いというのか。普段の彼女からは想像できないほどの怯え具合に心が痛む。
「オリバー様、私、マイラから特別に部屋を貸してもらっているんです……人目を気にせず、会うために……私はそこにいますので、オリバー様はここでご友人とお過ごしください」
「ではそこまでエスコートします。帰りも迎えに行きますから」
「いいえ、大丈夫です……付き合わせてしまって、本当に、ごめんなさい」
「オリ……!」
エスコートの為に腕を差し出す前にオリヴィアは足早にその場を立ち去った。物陰を縫うように、慣れた足さばきで一直線に。
何度そうやってその部屋へと向かったのだろう。何も悪いことなどしていないのに、隠れながら、怯えながら、それでも友人を祝うためにこの場にきた彼女の心情は計り知れない。もっと配慮すべきだった。見習くんが言いかけたのはきっとこういうことだったのだろう。浮かれ切っていた数分前の自分を殴りたい。
(……追いかけるべきなのだろうか……でもまた気を遣わせてしまうなら……)
マイラ嬢へ挨拶した時にでも部屋の場所を聞くしかないな、とどうしようもない感情を飲み込みながら一度魔法を解き、友人への最低限の挨拶だけ済まそうとホールへ足を踏み出した。
しかし、ホールを横切る途中で寄ってくる令嬢に道を遮られる。こいつらは僕が誰と入って来たのか見てなかったのだろうか。苛立ちを覚え始めた頃、オリヴィアとの婚約は公になっていないことを思い出す。そうなると事情を知らない令嬢たちを手荒に扱うわけにもいかず、丁寧に断りを入れながら前へと進むが全く進んでいる感じがしない。
「あの、シュナイダー様はあの方とどういった関係ですの?」
「あの方、とは」
「キャンベル伯爵令嬢ですよ、今日は一緒に入場されましたよね?」
オリヴィアの外堀を埋めるチャンスが到来し、待ってました、と質問に飛びつこうとする前に他の令嬢たちが次々と言葉を発す。
「あぁ、奴隷商の」
「嫌よねぇ、いくら女性も仕事ができる時代とは言え、よりにもよって奴隷商なんて」
「噂では奴隷たちと仲良くしてるらしいですわ」
「汚らわしい……その見た目にお似合いだけれど」
「そうですわね」
嘲笑を含んだその会話に静かに限界が超えたことを悟る。つま先で床を二回たたいた後タァンと高い音を立てて床へと足を叩きつけた。ピタリと静かになる空間に、注目を浴びているのが分かる。
「……少し黙っててくれませんか?」
「……!んんっ!!?」
一人の令嬢が口を開きかけてその声が発せないことに気づく。その周りにいた令嬢や遠くにいた令息も自分の口が開かないことに気づいたのか、くぐもった声がそこかしこで聞こえてくる。
「この会場内にとある魔法をかけました……その対象者は僕の婚約者を侮辱した者……あぁ、安心してください、本日の主役が登場した際にはきれいさっぱり解けるので」
不安から涙目になっている令嬢たちをくるりと見渡す。先程までのうっとおしい甲高い声が無くなり、恐怖の色が混じるその瞳に僅かながら爽快感を覚える。これもあくまで自己満足だが、何もしないという選択肢は自分の中には無かった。
そんな中パチパチとこの場に似つかわしくない拍手を送りながら現れた男に声をかけられる。
「相変わらずオリバーの魔法は便利だね、本当に何でもできる」
「ヘンリー、君も来てたのか」
ヘンリーは学生時代の友人であり伯爵家の嫡男で、僕の目的を知っても尚付き合いが続いた稀有な友人である。彼はミルクティー色の長髪を肩で結び中々に甘い顔をしているため騙されやすいが、とんでもないやんちゃ坊主で周りが振り回されるタイプの人間だ。
「俺にも言わずに勝手に留学するなんて寂しいことするね……でも成果はあったみたいでよかったじゃん」
「悪い、時間が惜しくて……あぁ、漸く見つかったんだ」
さりげなくヘンリーがこの場から離れてくれたおかげで会場の方も徐々に話し声が大きくなる。勿論先程までの和やかさは消え失せたが。窓辺近くに落ち着くと近くに居たウェイターからグラスを受け取り軽く合わせた。
「お前まで喋れなくなってたら絶交するところだったぞ」
「うわ、よかったぁ……あ、別に彼女のことなんやかんやいうつもりはなかったよ?」
「分かってる、お前が他人を貶すときはよっぽどの時だしな」
「見た目よりからかい甲斐があるかどうかの方が大事だから」
「……ほどほどにしておけよ」
学生時代の振り回された記憶が浮かんでは消え、今はまだ見ぬヘンリーに見初められる相手を心から同情した。
「で、お前の想い人はどこに居るわけ?」
「……気分が優れないから部屋で休んでる」
「あー……そりゃこんなところに居たら具合も悪くなるわなぁ……」
「……オリヴィアには悪いことしちゃった……浮かれてて、こんな事態になるなんて予想すらしてなかった」
「……お前、学園卒業後一回も王家主催のパーティーに出てないよな?」
「出てないけど……」
「それじゃ彼女があんなにも悪く言われるきっかけも知らないよな?」
「は?なにそれ」
「俺も詳しくは分からないんだけど明らかに周りの反応が変わったのは卒業後最初の……どうやら第二王子と彼女との間に何かがあったらしい」
「……第二王子……」
「あー待て待て、第二王子は現在五歳、当時は三歳だ、安心しろ」
「……まぁいいや、で、何かっていうのは?」
「それが何かあったっていうのは全くって言っていいほど出てこないんだ……噂すらもな……ただし第二王子の泣き声が聞こえたのは事実、そして彼女が色々と言われるようになったのもその直後から……だから二人の間に何かあったんじゃないかって言うのが俺の勝手な憶測」
「……」
(第二王子……第一王子は確か僕たちと同じ歳のはず……王族……)
「ん~」
「え、まさかなんか知ってる?」
「いや……王族について何かあったはずなんだけどな……思い出せないな……」
思い出せるのは第一王子の顔のみで、そもそも第二王子が居たことは知らなかった。腕を組みうんうんと唸っているとひときわ大きな拍手が鳴り響く。どうやら本日の主役のお出ましらしい。ヘンリーと顔を見合わせ壁に持たれていた身体を起こし中心へと戻っていった。
………
バタンという音と共に部屋の中へと入った私はその場にしゃがみ込んでしまった。耳に残る囁き声と誰もいないはずなのに感じる視線、震える身体を抱きしめるように膝を抱えた。
慣れていたはずだった。こうやって人の目に晒される時にはいつも以上の覚悟をもって出席していたのに、言われている内容だっていつもと変わらないのに。
「……戸惑ってたな……」
隣で私を気づかわしげにみる視線も、私といることによって彼にもたらされる被害も、私の評価を知った後の彼の態度も、どれも全て知りたくなかった。
「……やだなぁ……」
せっかく仲良くなれたのに、少しだけ信じ始めていたのに、自分を受け入れ始めていたのに、彼は真っすぐに私に向き合ってくれているのに、何も知らない他人の言葉でこんなにも私はぐらついている。
認められるなんて思っていなかった、立場も身分も見た目も何もかも釣り合ってないのは分かっていた、けれど家族のことを、公爵家のことを、そしてオリバーのことを悪く言われるのは耐えられなかった。
「……ごめんなさい……」
抱える膝の間から見える紺色にオリバーのことを思い出して、私は暫くの間そこから動くことが出来なかった。
それからどのくらい経っただろう。飲み物と軽食を運んでくれた顔見知りのメイドがノックしたのをきっかけに重い腰を上げる。ヘルナンデス家の使用人は私のことも知っており、何も見ないふりをして対応してくれるのがありがたい。けれど今日は私の様子があまりにも酷かったせいか、冷たいタオルを目元に当て赤みが引いた後化粧と髪型を直し、崩れたドレスの着付け迄行ってくれた。お礼を言えば冷たい飲み物を手渡され、水分補給してくださいね、と言い残して去っていった。
彼女の気遣いに感謝しつつ飲み物に口をつけていた私は知らなかった。このメイドの報告によってマイラとオリバーがタッグを組み、婚約発表パーティーが阿鼻叫喚の地獄へとなり果てていることに。
「ヴィア!!!!!」
「マイラ……婚約おめでと……うっ!?」
「ヴィアごめんねぇぇぇ!!!」
どれだけその部屋にいたのか分からなくなって来た頃、ノックもそこそこに開いた扉の先にいたマイラに飛びつかれて謝られる。せっかくの綺麗なメイクとドレスが台無しになってしまう前に落ち着かせるように背中を叩いた。
「なんで貴女が謝るのよ」
「だってぇ……あんな奴らまで呼ばないといけなかったし……なんで婚約パーティーだけは同伴しなきゃいけないのかしら……こんなしきたり滅べばいいのに……」
「こらこら、物騒なことを言わないの……そういう出会いの場になるから仕方ないんだよ」
後ろから落ち着いた声が聞こえ視線を上げると物腰柔らかそうな笑みを携えた男性がいた。
彼がマイラの婚約者なのだろう。いったん彼女から離れ姿勢を正す。
「初めまして、キャンベル伯爵令嬢。ハウバー伯爵家のダニエルと申します……どうぞ名前でお呼びください。こちらでの挨拶となりましたこと、誠に申し訳ありません」
「初めまして、キャンベル伯爵家オリヴィアと申します。私のこともどうかオリヴィアと。こちらこそおめでたい日にこのようなことになってしまい申し訳ありません……改めてご婚約おめでとうございます」
「いやいや、貴女は何も悪くありませんよ……それに、マイラとオリバー殿がしっかりと灸をすえてましたので」
「……はい?」
彼の言葉にマイラの方を見ると私は悪くありませんとでも言いたげに得意そうに腕を組んでいた。
それに聞き間違いだろうか、オリバーという名前も聞こえた気がするのだが。
「……オリ……シュナイダー公爵令息はどこにおりますか?」
「……ここにいます」
ダニエル様の後ろに隠れるように、というより魔法で本当に隠れていたオリバーが顔を出す。
態度からして何かをやらかしたことは一目瞭然で、何をしたんだという思いが顔に出ていたのか目を逸らしながら小さな声で話し始める。
「その……マイラ嬢に挨拶した時に丁度ここのメイドからオリヴィアの様子を聞いて……憤慨していた彼女と……その……」
「『僕/私の大切な婚約者/友人を泣かせた……だと……!?』と言いながら会場全体に魔法を展開してましたね……マイラは対象者を特定する魔法を、オリバー殿は無効化するものと見たことのない最早呪いのような魔法を使ってました……ちなみに私は特定した対象者のちょっとした秘密を暴いていました」
「えっ、ダニエル殿も展開していたんですか?気づかなかった……」
「ふふ、私の得意なことの一つです」
「いや、えっ?この話についていけてないの私だけ……??」
せっかくの婚約披露だというのに何をやっているんだろうか。
戸惑いが大きく反応に困っているとマイラがまた抱きついてきた。
「ここにいる人たちは皆ヴィアの味方だから……話したこともない人たちの言葉に傷つかないで」
「マイラ……ありがとう……でもそれとこれとは別で、自分のこと以外で他の人を攻撃しちゃダメでしょ!」
「攻撃はしてないよ!!特定しただけだもん!!」
「私も秘密を暴いただけですし」
「ぼ、僕も……」
「オリバーは後で詳しく話を聞かせてください」
「はい」
しゅんとするオリバーに抱き着いたままのマイラ、そしてそんな様子を面白そうに見ているダニエル様。皆が私のためにしてくれたという事実は疑いようもなく、じんわりとした嬉しさが広がりまた目に涙が浮かぶ。
マイラを抱きしめ返し三人の名を呼んだ。
「……私のために、ありがとうございました」
一度流れるとまた止まらなくなってしまい、マイラの肩を濡らす羽目になってしまった。
少しして落ち着くと改めて二人の婚約を祝い、用意していたプレゼントも無事届いたようで一安心する。そのタイミングでふと、マイラが私たちの方を見て首を傾げた。
「そう言えばヴィアって婚約したの?私聞いてないんだけど」
「その……ちょっと訳があってまだ婚約はしてなくて……」
「僕は今絶賛アプローチ中です」
「ですが、先程も『僕の婚約者』と大々的におっしゃってましたね」
「い、いずれそうなるから良いかな、と思って……あと周りから固めたかったし……」
ダニエル様の突然の追撃にオリバーは私の様子を窺うようにこちらを見る。
魔法を展開した時の台詞は聞き間違いではなかったのだと一つ息を吐いた。
公の場での発言というものは次の日には貴族階級全員の耳に入ることとなる。それが公爵家という肩書なら尚更だろう。オリバーは自分の身分の高さをあまり自覚していないきらいがある。そこが長所でもあるのだろうがこういった場では一番気を付けなければならないことだ。
「……このままいけば恐らくそうでしょうね」
「正式に決まったら絶対に連絡してね!オリバー様とはヴィアのことで色々お話しできそうだし!飛んで行って祝福するから!」
「……ありがとう……」
色々と思うところはあるが、今は私の私情を挟む時ではない。
二人の方へ話を戻し馴れ初めについて聞くことにした。
………
「……」
「……」
帰りの馬車の中、とても心地いいとは言えない空気が場を支配していた。
原因は分かっている僕(とマイラ嬢)の暴走だろう。寧ろそれしか心当たりがない。
謝ろうにも僕から先に言葉を発していいものか悩んでただ手をいじることしか出来ないでいると、小さな声で僕の名前を呼ぶのが聞こえ顔を上げる。
目の前に座るオリヴィアは窓を眺めたまま暫く口を噤んでいたが、どう思いましたかと呟いた。
「どう、とは?」
「……私の評判を聞いたのでしょう?浅ましくも公爵家との繋がりを望んだ醜い女……それが世間が私に対する評価です」
「事実無根の評価など取るに足りません、相手にするだけ無駄ですよ」
思い出しただけでも腹立たしい。憶測と噂でしか話を出来ない連中など相手をするだけ無駄なのだ。それでも騒ぐ奴は先程のように黙らせばいい。それぐらいの権力と地位があることは自分でも分かっている。
「……けれども噂というものは事実かどうか関係なく広がっていくものです……そしてそれは私だけでなく、私の周りにいる人たちにも影響を及ぼします」
「オリヴィア」
「私は!……私は、私といることで……公爵家の皆さんのことも……オリバーのことも……悪く言われるのが嫌なんです……!」
こちらを向いたオリヴィアの目に大粒の涙が浮かび端から流れ消えていった。
不謹慎にもそれを綺麗だと思ってしまった僕を許して欲しい。
「今日思い知らされました……貴方と過ごす日々が心地よくて、自分の評価を忘れていたんです……」
「そんなの……」
「言わせておけばいいと?……無理なんです、私が……耐えられない……」
両手で顔を覆い俯く彼女になんて声をかけていいか分からない。
僕は本当に心当たりのないことならば誰に何と言われようと自分たちさえ幸せならば構わないという考えを根底に持っている。けれどもオリヴィアは自分より周りのことを大切にする心優しい人だ。根本的な考えが違うからきっとこの話は平行線に終わる。だからこの後彼女が何というかは大体想像がついた。
「……だからお願いです、オリバー……私とは」
「だめですよ」
その後に続く言葉は例え一時的な感情のものだとしても聞きたくない。かぶせるように言葉を吐けばオリヴィアは小さく首を振った。
向かいの席を立ち隣に並ぶように座ると一言謝ってから彼女を抱きしめる。きっと泣いている顔は見られたくないだろうから。小刻みに揺れる背に手を触れ、落ち着かせるように擦った。
「だめです、オリヴィア……それ以上の言葉は続けないでください」
「……っ、で、も」
「貴女が何か悪いことをしたのですか?人に迷惑を掛けたのですか?……そんなことしてないでしょう?なら何と言われようが僕たちは堂々としてればいいのです……勿論それが貴女にとって難しいと分かったうえで言っています」
「……」
「それに、今回久しぶりに社交界に出たことによって少し気になる話がありました……貴女にも関わることです」
自分に関わりのある話というところにまたオリヴィアが反応を見せたので、噂のことじゃありませんよと付け足す。
「ですがこれはまた後日……気持ちが落ち着いた時に話しましょう」
ヘンリーの話を確かめるのも必要ではあるが、まだ確証もない。悪戯にオリヴィアの気持ちを揺さぶることもしたくないし、次に会う時までに出来る限りの情報を集めておかねば。
オリヴィアを抱きしめたまま思考しているうちにキャンベル家へと馬車が到着する。速度が緩やかになるのが分かり彼女に声を掛けようとしたが、泣いて体力と気力が落ちたのか眠りの世界に誘われていた。転移で彼女の部屋に送り届けることも可能だったが、誰かには今日のことを説明しておいた方がいいだろうと思い扉が開くと彼女を抱えて馬車を降りた。
「おかえ……は?……お部屋に案内いたします」
「流石見習くん、理解するのが早いね」
扉を開けたのは執事見習くんで、僕が抱えたオリヴィアの様子を見て一瞬で判断し誘導を開始する。
部屋にたどり着くまでの間、なるべく人目に触れない道を通ったのかすれ違ったのはニ、三人で部屋に入ると専属の侍女が驚いた様子で駆け寄ってきた。
彼女をベッドにおろすと身の回りの世話を侍女に頼み、僕と見習くんは外へと出る。
「ご説明をお願いします」
「早いって……これ、渡しとくよ」
指を鳴らし出てきたものを彼に渡す。そこには僕とマイラ嬢の魔法で特定した人物、それにダニエル殿の魔法で暴いた秘密を記載してあった。彼は最初の数行を読んだだけでどういったものか理解したらしく大事そうに懐へと閉まった。
「有効活用して、責任は僕がとる」
「……畏まりました」
「あ、あと目を覚ましたオリヴィアが僕と離れたいとか言い出したら全力で引き留めてね」
「畏まりました、全力で応援させていただきます」
「絶対そう言うと思った……まぁでも、落ち着いたらこっそり僕に連絡くれると嬉しいな……多分、オリヴィアからは連絡来ない気がするから」
「……よく分かっていますね」
「そりゃあね」
これ以上詳しい話を聞こうとしないのは先程出した証拠とオリヴィアの様子で察しているのだろう。部屋の前から離れると彼は静かに玄関へと誘導した。
「……君の忠告、もっと真剣に聞いとくべきだったよ」
「……私も変な意地を張ってしまい伝えるのが遅くなってしまいました、申し訳ございません」
「いや、あの異様さは忠告されてても防ぎようがないし想像を超えていた……結局は同じ状況になっていたかもしれないさ」
己の不甲斐なさを噛みしめながら廊下を歩き玄関へと辿り着く。ここまででいいと告げ一人馬車に戻り、発車すると同時に目を瞑って今日の出来事を整理し始める。
(先ずはヘンリーの話のすり合わせと……第二王子の存在だな……第一王子の情報しかないや……)
思い出そうと頑張ってもやはり記憶の中に第二王子はどこにも出てこなかった。
それどころか整理しようと振り返る度にオリヴィアの悲しげな顔が浮かんで全く集中することが出来ない。進まない思考に溜息を吐いて外を見ればいつの間にか雨が降っていた。
オリヴィアを初めてみたのは十六歳の時。
妹の観ていた令嬢物のアニメのモブとして登場したのが彼女だった。
名前もない、台詞もない、女神の生まれ変わりが魔王の生まれ変わりを引き取る時に一瞬だけ出てきた奴隷商の女性。それがオリヴィアだった。
誰にも気に留められない、物語の根幹に全く影響を与えないイラストだけの女性を僕は推しとして好きになった。もともと主人公やヒロインより当て馬のようなキャラやサポートキャラを好きになる傾向があったのだが、まさかモブが推しになるとは自分でも驚きで、勿論グッズも二次創作もないものだからひっそりと推し活を楽しんでいた。
僕がこの世界ではない記憶を持っているのは五歳の時に使った予知魔法の影響だ。
本当にお遊びで兄とともに展開した予知魔法だったのだが、何がどうなったのか、予知ではなく僕の前世の記憶を読み取ったのだ。そしてその時に、和島豊という名前の一人の男性の生涯を映画を見るような感覚で鑑賞した。五歳の僕はその負荷に耐えられず三日ほど高熱を出してうなされたらしい。
熱が下がった後は和島の人生を経験したせいか、物事の捉え方も、思考回路も年齢の割に大人びたものになってしまい、どういう身の振り方をすればいいのか分からなくなっていたのだが、どうにか年相応の振る舞いを演じることで乗り切った。そのせいかこちらの世界で言う平民だった彼の仕草や口調などがうつってしまったのは予想外だったが。
そしてこの世界が前世で観ていたアニメの世界線だと気づいたのはこの国の建国神話を学んだ時だった。和島が何度も繰り返し観ていたおかげでアニメの中の年号、人物、エピソード、事件、その他細かいところまで覚えていたから。年号を確認すればまだそのアニメの話が始まる数年前で。だから彼女もここにいるという確信を持った。
和島豊が推していた奴隷商の女性が存在していると。
僕は彼の人生を垣間見ただけで彼自身ではない。けれどもあれだけ何かに夢中になれるということは素直に凄いことだと思うし、何より僕自身がその女性に興味が湧いてしまった。
ただし、こちらが持っている情報と言えば【魔王の生まれ変わりを奴隷として所有している奴隷商を持った女性】という絞り込みのできないものだった。アニメでは金髪碧眼としてイラストが描かれていたので同じ容姿を持つ女性の奴隷商を片っ端から調べたがピンと来る女性がおらず、魔王の生まれ変わりもいなかった。恐らくこちらの世界ではモブではないので本当の容姿は違う色なのだろう。なので出来る限り他から情報を拾うため、先ずは魔王の生まれ変わりを探すことにした。彼の身体的特徴はこの世界においても珍しいため見つけることは女性を探すより簡単であろう。そうなれば必要最低限の教養と身の守り方を知らなければならない。今の僕は前世での行いが良かったのか公爵家という高貴な家柄に加え、魔法に優れた家系であったから何不自由なく色々なことを学ぶことが出来た。家族には奴隷商の女性を探しているということだけ打ち明けており、記憶のことは言わなかった。それでも次男という立場からか好き放題出来たため、ありがたくこの状況を受け入れ学校卒業後に人知れず奴隷となった。
奴隷と言ってもこの世界の奴隷は名前こそあれだが、前世で言う【アルバイト】のような扱いであまり抵抗が無かった。中には法律の目を避けて本当にひどいところもあるようだがそんなのはごく一部だけだろう。
しかし、流石に身分が身分なだけあって一般の奴隷商では買い取ってもらえなかったため、貴族相手の奴隷商に自分を売り込んだ。あちらも面倒ごとを抱えたくないのか中々首を縦に振らなかったので、僕が目的の人物を見つけたらそこに自分を売ること、僕の買値は無償であること、その代わり魔法を使った雑用を何でもこなすといった契約付でどうにか買い取ってもらえることになった。
その後探していた【赤い目の男の子】が見つかり、そこへ僕は売られた。
ハイド商団が説明してくれたおかげでここの奴隷商でも同じような扱いをしてもらい、あとはただただ彼女がここの奴隷を買い取りに来る日を待つだけだった。
『……皆様初めまして、この度新しく皆様の主となったオリヴィアと申します』
ヴェールをかぶったその女性が僕たちの前でその名を名乗る。
(和島、彼女の名前はオリヴィアというらしいぞ)
前世の僕に語り掛けながらどこか満たされた気持ちになっていると不意に彼女がヴェールを取った。
黒いヴェールの下から現れたシルバーブルーの髪に闇夜に輝く金色の目、少し肉付きの良い体型も身長の高さであまり気にならないが、堂々と話してはいるけれど、どこか寂しげな眼差しが少し気になった。
(……僕の好みも前世に引っ張られたのかな)
目の前の彼女を好きになるには十分の出会いだった。
最初こそ無理矢理紐づけた関係だったけれども、ここ最近の彼女からは恋慕ではなくとも好意的な感情を感じ取ることが出来ていた。このままオリヴィアが流されて婚約まで持っていければ何の問題もなかったのに。
「……ま、障害があったほうが燃えるって言うし」
窓に打ち付ける雨が流れるのを見ながらオリヴィアの心が少しでも早く回復することを願っていた。
………
目を覚ましたのはすでに日が昇った後だった。
重い頭を抱えながら昨夜のことを思いだす。
最後の記憶はオリバーの腕の中だった。
「あ、目が覚めましたかお嬢様」
「アニス……」
「心配なさらずとも服装を変えたのも布団を掛けたのも私ですよ」
「……運んだのは?」
「勿論オリバー様です」
「……そう」
「……」
部屋に入ってきたアニスが心配そうにこちらを見つめた後、何も言わずに私の身支度を整え始めた。いつもの私なら羞恥と自身の不甲斐なさに騒いでいたことだろう。けれどももう会うこともない相手に対して恥ずかしさも何もない。
幸せな夢だった。泡沫のような、そんなひと時の幸せな夢。
オリバーには終ぞ回答を貰うことが出来なかったが、こちらから一切連絡しなければきっと何事もなかったように婚約の話も消えるだろう。父と母には公爵家とやり取りをするために迷惑をかけてしまうだろうが、そもそもまだ婚約は成立してないのでそこまで影響はないはずだ。一つ気がかりなのは昨日のオリバーの婚約者発言だが、ほとんどの人たちはきっと本気にしないだろう。
(……やはり私のようなものが誰かと並び立ってはいけないのよ)
私だけなら何と言われようと我慢できる。けれども私の周りに被害が及んではいけないのだ。それだけは絶対に。
「……お嬢様……」
「……支度終わったのね、ありがとう……朝食は商団の方で食べるから準備してくれる?」
「……畏まりました」
アニスは多分今後の私の行動に気づいている。
暫くは商団の方に引きこもりになるであろうということを。
その間、面会を謝絶するであろうということも。
………
「ねぇ、ちょっと、連絡まだ?」
「三日前にもこちらから連絡するまで待って欲しいと申し上げたはずですが?」
門番に呼び出されたので渋々向かえばふてくされた顔の男と目が合う。
律儀にも屋敷の中へ入ってこないことは評価できるが連絡なしの訪問はお断りしたい。
そしていつの間にか俺がこの男の担当のようになっているのが解せない。そもそもこちらはまだ見習いだというのに公爵令息の相手を任せてもいいものなのだろうか。
「……オリヴィアは?」
「変わらずですよ、商団から戻ってきてません」
オリヴィア様は予想通りこの男との縁を切ろうとしている。次の日からずっと商団で過ごし本邸には戻ってきていない。心配した旦那様と奥様が様子を見に行かれるも本人が大丈夫だと言う以上戻すに戻せない状況となっている。心の傷というものは見えないし、癒そうにも本人にしか傷の大きさも深さも分からない。下手に動くと更に大きな傷を与えることだってある。八方塞なこの状況でこの男を接触させることは良くないだろうという使用人たちの判断から連絡はしていなかったのだが、向こうも向こうで業を煮やしたのか三日前に急に現れて追い返され、そしてまた今日やってきている。眼鏡越しで分かりにくいが心なしか目の下のクマが濃くなりこの前よりやつれているように見えて眉間にしわが寄った。
「……何か調べものでも?」
「ん?まぁ、ちょっとね」
「私でも気づくような体調管理をしないでいただけますか、オリヴィア様なら確実に気が付きます」
「え……もしかして心配してくれてる……?」
「あくまでもオリヴィア様が悲しむであろうという予想を基に話しているので、私としてはこのままくたばってもらった方が都合がよろしいのですけれど」
「言うねぇ……もう少しで手掛かり掴めそうなんだ、だからそれまではオリヴィアとの懸け橋になってくれると嬉しいんだけど」
「オリヴィア様の口からお願いされない限り絶対嫌です……しかし、オリヴィア様のご様子を報告することぐらいなら承っても構いません。なので暫くはここに来ないでいただけますか」
「あ、そう?じゃあ遠慮なくお願いしようかな……これ、僕直通の通信機……使い方は分かる?」
「ええ」
「よろしく、あと、一応これも渡しておく」
「……届かなくても文句言わないでくださいよ」
「分かってるって」
前回と同様に花束を俺に預けるとそれじゃあと言って転移魔法でどこかへと帰っていった。
預けられた花束は前回と同じ、愛と信頼を意味する花でまとめられている。
前回の花束は商団に渡した後オリヴィア様のところまで届いたのかは定かではないが、届いていればいいなと思う。決してあの男のことを認めたわけではないのだが、現状オリヴィア様の心を動かせるのは彼だけだろう。彼女の心身が好転するなら気にくわない男にでも縋らなければならない。
「……早めにお願いしますよ」
調べものが何なのかは分からないがこちらに話さないということはそれなりの機密事項に首を突っ込んでいる。あの男が苦戦しているのだ、公爵という地位ですらままならないことなのだろう。そうなるとその先は一つしかないわけだが、一介の使用人が首を突っ込んでいい話でもないので憶測はここまでにしておこう。
自分の出来る範囲のことをこなすべく、花束を抱え本邸へと戻った。
………
あれからどのくらい経っただろう。
商団に設けた自室に籠りきりになってからは仕事をこなす以外ずっとベッドに横になっていた。
ここには私が許可した人しか入れないため外聞は悪いが問題は起こらない。時々父や母、それにアニスと三兄弟も様子を見に来てくれて、心配をかけているのを申し訳なく思いつつも婚約の話が立ち消えるまで本邸には帰らないつもりだった。
数日前にそれとなく父に聞いたら婚約の話は無かったことにしたいという旨を公爵家の方に送ったという。それを聞いて少しだけ肩の力が抜けた。どこかで泣きたいような気持もあったけれどもそれには目を背け心の奥底にしまう。そんな気持ちは抱いてはならないのだから。
だからそんな緊張の糸が緩み始めた時にやってきたアニスとレイに何の警戒もしなかった。
「お嬢様、先に謝りますね」
「後でどんな罰でも受けます」
「え……?」
三人で食事を兼ねた穏やかなティータイムを過ごしていると唐突に二人が立ち上がって魔法を展開する。見たことのない式の魔法に反応が遅れ、展開した魔法の光に目を瞑ると身体があたたかいものに包まれた。耳元で聞こえる私の名に、なんで、と思わず声が漏れる。
「会いたかった……オリヴィア」
「……どうし、て」
「……申し訳ありませんお嬢様」
私の身体を包んでいるのは会いたくなかったオリバーで、そしてその肩越しにアニスが泣きそうな顔をしながら言葉を紡いでいた。
「私がオリバー様に頼みました……勝手に、申し訳ありません」
「私も共犯です、先程の魔法はこの自室に彼を呼ぶためのものでした……オリヴィア様、どうか早計な判断をしないで……一度だけ、この男を信じてあげてください」
優し気な眼差しで私を見つめた後アニスとレイは深く頭を下げて部屋を出た。扉が開きっぱなしなのでその先に待機しているのだろう。その間にもぎゅうぎゅうと抱きしめられる手に力が入り、最早少し苦しくなってきていた時にふと力の抜けた彼がもたれかかりその身体を支えきれずソファにともに倒れる。覆いかぶさったのは一瞬ですぐに彼は自力で起き上がった。
「ごめ……申し訳ありません、安心したら一瞬意識が飛んでしまいました」
「……」
身体を起こした先で見たオリバーの顔はとても健康的と言えるものではなく、この状況以前に心配する気持ちが勝ってしまいソファから立ち上がると強制的に彼を横に寝かせる。戸惑う彼を無視して眼鏡を取り手近にあったブランケットをかけた。
「……少しでいいから寝てください」
「でも」
「……貴方の話を聞くまでは逃げませんから」
「……約束、です……よ」
相当限界だったのか語尾は閉じる瞼とともに消えていった。
規則正しい呼吸が聞こえ始めたので一旦離れると、廊下に控えていた二人にそれぞれ指示を出す。
アニスには私の身支度を、レイには自室の整理とオリバーの観察を頼んだ。
気まずそうにしていた二人だが、私を想ってやったことを咎めるつもりはない。
現実から目を背け周りに任せて逃げていた私にも非はあるのだ。
「……色々と聞きたいことはあるけれど、私のためを想っての判断なのでしょう?」
「はい」
「なら、私はその判断を信じるわ……一度だけね……それと、あなたたちがそこまでの行動に出るほど心配かけてごめんなさい」
頭を下げれば驚いたように二人が息を飲む。そしてすぐに二人も頭を下げた。
レイと別れ私は着替えた後、乱れた髪をアニスに結い直してもらい部屋に戻るとすでにオリバーが起きていた。相変わらずひどい顔をしているが幾分顔色が良くなったのでホッとする。
「久しぶりですねオリヴィア」
「……お久しぶりです、オリバー様」
「……呼び方、戻ってしまったんですね」
「……ご用件は何でしょう」
オリバーの向かいのソファに腰を下ろすも彼の顔を直視することが出来ず俯いたまま話を続ける。そんな私の無礼な行動を気にもせず彼は続けた。
「オリヴィア、今から貴女にいくつか質問をしますので答えてください」
「はい」
「貴女は今から二年前の王家主催のパーティに出席していますね?そしてその後に開催された王家主催のパーティにはどれも出席していない」
「……はい」
「その時第二王子と会いましたか?」
「……第二王子……?会ってないと思いますけど……」
「では第二王子の泣き声は聞きましたか?」
「泣き声……っ?」
「お嬢様!」
「オリヴィア様!」
思い出そうと考えていると唐突に突き刺すような頭痛が起こり顔をしかめる。ふらついた私に駆け寄ろうとした二人を手を上げて止めた。痛みは一瞬のことですぐに消えたから。
「……ありがとうございます、今ので確証が持てました」
「……何の、確証ですか?」
「オリヴィアの悪評は作られたものだという確証です……ただ、これ以上の話はここに居る人たちを巻き込んでいい話ではないので後日、日程が決まり次第またお伺いしてもいいでしょうか?」
「日程……?」
「国王への謁見の日程ですよ」
考えるように顎に手を当てたオリバーが行きつけの店の予約を取るように軽く答えた返事に私は暫く理解が追い付かなかった。
………
オリバーが来た日から私は本邸へと戻った。アニスとレイにもう一度信じてみると言った以上、彼の行動の真意が分からずとも信じて身を任せるしかないからだ。両親にも心配をかけたことを謝ると、父からも謝罪されることになった。オリバーが来た件に関して父も一枚噛んでいたようで、公爵家に婚姻無効の事実は伝えていないということも謝られた。全てが終わった後でも遅くはないという父の言葉に何も言えずこちらも流れに身を任せるしかない状況となってしまった。
肝心のオリバーは体力的に限界を迎えたのかフラフラと揺れる身体のまま転移で自宅へと戻っていった。心配しないで、という言葉を残して。
それから十日ほど過ぎたある日、訪問の旨を伝える魔法便とともにオリバーがやって来た。あの日とは見違えるほど元気そうに見える彼の様子に安堵したものの、王への謁見が明日に決まったという知らせを聞いて危うく口に含んだ紅茶を吹き出すところだった。
「詳しいことは明日、謁見の時にお話しします……こちらは僕と父が出向くので、出来ればオリヴィアとともにキャンベル伯も出向いてくれると嬉しいのですが」
「謁見というのは、どういった内容で?」
「オリヴィアの現状について、です……申し訳ありませんがこれ以上のことは答えられず……」
「……分かりました。明日、私も参りましょう」
「お父様……」
不安が滲んでしまった声に私の背中をそっと撫で大丈夫だと囁いてくれる。
明日の待ち合わせ時間を確認しそれぞれが準備するためにその場で解散となった。
………
「突然のことだというのにお時間をとっていただきありがとうございます」
「顔を上げなさい……公爵が珍しい申し出をしてきたから気になっただけのことよ」
王城につき謁見室へと案内されるとそこには国王夫妻、それに第一王子であるクリスティアンがいた。
キャンベル伯とオリヴィアはまだこの中におらず、扉の外で待機してもらっている。
朗らかな笑みを浮かべる国王は賢王と言われるだけあって流石の貫禄だし、隣に並ぶ王妃も静かに様子を窺っていた。クリスティアンだけは何故か考えるように顎に手を当てていたが数秒後あぁと一人納得していた。恐らく学生時代同級生だったことを思い出したのだろう。仲良くどころかクラスが同じだったこと以外何の接点もない人間をよく覚えているものだ。そのあたりは流石二人の息子であり、アニメの主人公だっただけはある。
「ありがとうございます……出来ればここから先の話は出来る限り目と耳を減らしたいと思うのですが可能でしょうか?」
「ふむ……では人払いはするが公爵と御子息には魔力封じの道具を嵌めてもよろしいかな?シュナイダー家の魔法は予想外のものもあるからな」
「畏まりました」
一人、また一人と護衛の数が減り、最後に残った護衛騎士が僕たちに魔力封じの腕輪を付けて部屋を出た。
「で、どういった要件だった?」
「あなた、くだけるのが早すぎます」
「王妃様の言う通りですよ」
扉が閉まるのと同時に国王は姿勢を崩し言葉も崩す。父から聞いてはいたが本当に幼馴染なんだなと態度には出さないように驚きを隠した。本来ならクリスティアンと僕も同じような関係になっていたのだが、そういったことに興味のなかった僕に両親も無理に接点を作ろうとはしなかった。
「卒業以来だな、オリバー・シュナイダー」
「ご機嫌麗しゅう、殿下……私のような者を覚えていただいているとは光栄です」
「いや、正直に言うと雰囲気が変わっていて思い出したのは先程なんだ……ただ、君の魔法の凄さは覚えているさ」
(……割とぶっちゃけるタイプ……)
予想外の性格と裏表のない笑顔に抱いていた緊張が解れる。しかし、ふと我に返り身を引き締めた。これがこの人たちの力なのだから。
「息子が相談したいことがあると頼みこんできましてね……内容が内容だけに確認していただきたく参りました」
幼馴染としての会話に区切りがつくと父が少しトーンを落として僕の背中を軽く押す。
国王が目を細めてこちらを見た。話してみろという合図だと受取僕は口を開く。
「今回はこのような機会を設けていただきありがとうございます。これから話すことは第二王子、アルフレッド様と一人の令嬢に関することとなります」
「ふむ、その令嬢というのが控えているキャンベル伯の長女のことかね?」
「はい、そしてこの話には王家特有の魔法が関わってくるため、この場に同席することはしませんでした」
「なっ……?!」
声を上げたのはクリスティアンだった。そして声こそ上げなかったが国王夫妻が驚いていることもわかった。それもそうだろう、王家特有の魔法について知っているのは当事者とその伴侶のみ、つまり一介の公爵令息が知っていていいことではないからだ。
「……シュナイダー公爵令息、そのことは……」
「予知魔法です」
誰から聞いたのか、という問いが来る前に間髪入れずに答える。
これまた予想外の答えに国王も口をつぐんだ。
「五歳の時に試した予知魔法で私は自分が二十歳になるまでのこの国の成長を見届けました。それ以上は身体が耐えられなかったのか見ることは叶わず……信憑性のない話にはなりますが、信じていただくためにその時に見た主な出来事を時系列順に書き記したものを後程献上します……そしてその中で王家に関する魔法を知ることとなりました」
信じてもらうには嘘と本当を少しずつ混ぜて話すことだ。和島の記憶を辿り、どうにかクリスティアンの秘密を知る回の話を思い出したのだ。クリスティアンがヒロインに自分の秘密を打ち明けるシーンを。
「……他人から見た人の印象を操作出来る魔法、ですよね」
僕の言葉に反応したのはやはりクリスティアンだった。まだ年齢も若くそこまで表情管理が出来ないのだろう。本当に僅かだが変わった表情に自信を持った僕は真っすぐに国王を見つめた。数秒見つめ合った後子供のような顔で笑顔を作った彼に少し驚く。
「……ははっ、ギル!お前の息子は面白いな!!流石シュナイダー家の子供だ!」
「誉め言葉として受け取っておきますよ」
「公爵令息……オリバーと言ったか?ものはついでだ、どこまで知っている?」
「王家直系の血筋にしか使えないこと、対象者はその効果を感じ取れないこと、使用者は対象者とその対象者に魔法をかけた使用者のことも分かるということです」
「これは驚いた、全部分かっているのか」
「父上!」
「案ずるな、ここまで話したということは魔法契約を結ぶことぐらい覚悟しておるのだろう」
なぁ、と声を掛けられたのではい、と返す。機密事項を知った以上、こちらもそれなりの覚悟はしている。魔法契約というのは正式名称を「暗黙秘」と言い、契約に記された事項を契約書の持ち主以外に話そうとした場合、その契約者の命をもって黙らせる強力な魔法契約だ。父を巻き込んでしまったのは申し訳ないと思うが、そもそも他に話すような人ではないので問題ないだろう。
「それで、そのことがどういう風に関係がある?」
「……キャンベル伯爵令嬢はとある時期から一部の人たちにあからさまな悪評を立てられるようになりました。ひどいときは初対面の人ですら、彼女に嫌悪感を持ったと言います……そしてそのある時期というのが、二年前の王家主催のパーティが開かれた頃です」
「……二年前か」
「えぇ、私は留学しており出席していなかったのですが、友人が参加しておりまして……その際第二王子の泣き声が聞こえたという証言がありました」
「……もしや、アルフが令嬢にこの魔法をかけたとでも?」
「その可能性が高いので確かめていただきたいというのが今回の謁見内容です……キャンベル伯爵令嬢にはその日のパーティに参加していたということ、第二王子に会っていないということ、そして泣き声も聞いていないということも確認済みです」
「なるほどな……二年前ということはアルフは三歳か……状況を説明しろと言っても無理だな」
「こちらでも状況を把握しようとしたのですが……いかんせん二年前のことでどの情報も確かなものではなく……ただ、いくつか話を聞いた上での仮定としては、第二王子とオリヴィアが出会い頭にぶつかり、驚いた第二王子が無意識に発動させたのではないかと思います」
王家の魔法は対象者がかけられたことを認識できない。だからオリヴィアは第二王子と会ったことすら忘れてしまっている。そのうえ自分でもその評価が正しいものだと信じ込んでしまうので、オリヴィアの極端なマイナス思考もこのせいだと僕は予想している。
悪用されると恐ろしい魔法だ。本人の意思や能力に関係なく自身や他人を良く見せることも悪く見せることも出来てしまうのだから。それは立場が上になればなるほど、少し印象を変えるだけで小さな雫が大きな波紋になるように広がっていくだろう。
「あり得ない話ではないな……王妃、アルフを連れてこれるか?」
「えぇ、今の時間なら起きているでしょう」
王妃が席を立ち部屋を出る。
その間、この魔法について気になっていたことをついでにぶつけてみた。
「私はこの魔法の効果を予知魔法にて知ることが出来ましたが、一つ疑問があります」
「なんだ?」
「……この魔法に影響されない人が一定数いるということです」
「……」
「ここからは私の憶測となりますが、魔法にかけられる前に対象者のことを好ましく思っていた人には効果が無い、もしくはかけられた後でも負の感情を持っていなければ影響しないといった抜け穴がありますか?」
「……いいところをついているな、だがそれに関してはいくら契約を結ぶとしても答えられん」
「……畏まりました、出過ぎたことを言いました」
「よい……それより、キャンベル伯爵令嬢と其方はどういう関係だ?接点も婚約の話も無かったように思うが」
「え?」
急な話の転換と楽しそうに変わった声色に思わず間抜けな声が出てしまう。視界の端でクリスティアンが呆れたような顔をしているのが見えた。
「……父上は人の色恋話が好きなんだ……」
「……この流れで、ですか?」
「あぁ……多分この謁見が決まった時からこの質問をしたくてたまらなかったんだと思う」
出来る範囲で答えてやってくれ、という意図を感じ取り別に隠しているわけでもないのでかいつまんで僕とオリヴィアのことを話す。楽しそうに聞いている国王はただの気のいいおじさんの様だった。
「そうか……仮にアルフがかけた魔法のせいだとしたら彼女にはとんでもない心労と迷惑をかけてしまったな」
「……この質問も答えていただけるか分からないのですが、魔法の効果を取り消した時、他の人はそれまでの自分の行いを覚えているのでしょうか」
「……覚えている……その時の感情はそのまま残ってしまうのだ、今になって思えば何故こんなに嫌っていたのだろうという疑問とともにな」
「……そうですか」
ということは、見習くんに渡したリストにある人たちとは距離をとるべきだろう。正解こそ分からないが、少なくともオリヴィアにいい感情を持っていない人たちということは決定しているのだから。
「……お待たせしました」
控えめな声とともに王妃が戻ってくる。手を繋がれて入室した第二王子とともに。
「さて、ではご令嬢にも入室いただこうか……二人の魔法契約はこの謁見が終わるまで待つが、余計なことは話さないように」
また王としての顔に戻った国王に礼をすることで承諾の意を表し少し横に立つ位置をずらした。
現在中に使用人がいないのでクリスティアンが謁見室の扉を開く。
待機していた二人は扉を開いたのが第一王子であることに気づいて素早く頭を下げた。
「キャンベル伯爵、そして伯爵令嬢、こちらまで来てくれるか」
国王の声とクリスティアンの案内で僕たちの隣に並んだ二人は最上級の礼をとった。
「顔を上げなさい」
その声は先程より柔らかく、楽な姿勢をとった二人……正しくはオリヴィアを暫く見つめていた。
その瞳がクリスティアンの方を向き彼が頷くと国王は一度目を閉じまた開いた。
「二人ともよく来てくれた、実はシュナイダー公爵と公爵令息から相談を受けていてな……今令嬢を目の前にして確信を得たところだったのだ」
「……娘が何か……?」
「そう身構えずとも良い……寧ろ令嬢には感謝せねばなるまい」
「……感謝……ですか?」
「あぁ、アルフ……第二王子にかかった呪いをその身に肩代わりしてくれていたようだ」
「え……?」
(そういうシナリオか)
王家の魔法のことは話せない、けれどもオリヴィアの魔法を解かねばならない。そして解けるのはかけた本人のみだったはずだ。まだ五歳という年齢の第二王子に責任を取らせるわけにはいかず、今回は存在しない第三者を悪者に仕立て上げるようだ。
「呪い、ですか?」
「あぁ、公爵令息がそれに気づいたようで確認のために今回の謁見を望んだようだ」
オリヴィアがこちらに視線を送ってきたが答えるわけにもいかず困ったような笑みで誤魔化した。
「そしてその呪いを解きたいと思う……クリスティアン、アルフレッド、二人なら解けるだろう」
「畏まりました」
「え、僕も……?」
戸惑うように王妃を見る第二王子に王妃が耳元で何かを囁く。不安そうではあるがしっかりと頷き兄のもとに来た彼はしっかりと兄の手を握った。
「キャンベルはくしゃくれいじょう、僕をかばってくれたことかんしゃもうしあげます」
「え、あ、いいえ!私の方こそお役に立てていたなら何よりです……!」
「私の方からも感謝と、そして謝罪を……二年という長い間辛い思いをさせてしまい申し訳なかった」
「そんな……!顔をあげてください……!」
顔に恐れ多いと書かれているのがはっきりとわかるほど困惑しているオリヴィアの姿があまりにも必死で思わず笑みをこぼす。そのまま二人の王子は繋がれていない方の手でオリヴィアの手を握った。
「ちょっと待ってください!手を握る必要ありませんよね!?」
「うわ驚いた……なんだ、嫉妬か?心が狭いな」
「狭くて結構!!!第二王子殿下はまぁ百歩譲って良いとしても殿下は触る必要ありませんよね!?」
「アルフの魔力が安定してないんだ、輪を作って全体の流れを見た方が制御できる」
これ見よがしに繋がれた手を強調するクリスティアンは面白い玩具を見つけたようににんまりと笑っていた。これは今後もネタにされる気がする。
「ほら、こうしている間にも繋ぐ時間は増えていくぞ?」
「はあ!!?!??」
「殿下……愚息をからかうのもほどほどにしてください……それにキャンベル伯爵令嬢の方も限界が近そうですので早めにお願いします」
後ろから父に肩を押さえられ身動きが取れないでいると、オリヴィアの顔が真っ赤なことに気づき軽くショック受けた。
(僕以外のことであんな顔するなんて……!)
その姿を見て国王とクリスティアンが微笑ましそうな目で見つめていることが分かり、似た者親子めと心の中で悪態をつく。
「おや、二人とも固まってしまっているね……さて、アルフ……解除の呪文は分かるな?」
「はい!」
「ではいくぞ、せーの」
二人の口から唱えられた言葉は聞き取ることが出来なかった。恐らく通常の解除魔法と違うため他の人に聞かれないよう誤魔化しの魔法がかけられている。何かが弾けるような音が聞こえると二人はオリヴィアから手を離した。
「うん、無事に解けたね」
「あ、ありがとうございました」
見た目で分かることでもないので解除されたと聞いてもオリヴィアはピンとこないだろう。
しかし、これでオリヴィアは正当な評価を得られ、今までのような陰口も減るはずだ。
「さて、呪いを肩代わりしたのは偶然だったとはいえ迷惑をかけたことは間違いない……何か詫びの品を送りたいと思うのだが……何か希望はあるかね?」
「い、いえ……私のようなものが殿下のお役に立てていたのならそれ以上は何も……」
「随分謙虚な……ふむ、では少しでも対外的な名誉の回復をさせてもらおうか……今度の王家主催の夜会、そこでクリスティアンとのダンスを披露してもらいたい」
「え……」
「何言っ……っ!!!!」
とんでもないことを言い始めた国王に思わず口と手が出そうになるが、察した父が素早く口を塞いで身体ごと抑え込まれてしまう。オリヴィアも何と返事をしていいのか分からないのか、キャンベル伯と国王を何度も視線で往復していた。
「何もファーストダンスを踊れと言っているわけじゃないんだ……落ち着いたらどうだ、オリバー?」
「!!?!??!」
終いには笑いをこらえながらこちらを挑発するクリスティアンに更に腹が立ってくる。ファーストダンスなんてとんでもない。そんなことをしたらオリヴィアがクリスティアンの婚約者候補と捉えられてしまうではないか。しっかりと父に抑えられている僕を横目にクリスティアンがオリヴィアの手を再び取りその甲に唇を寄せた。
「私に貴女と踊る機会をいただけると嬉しいのですが」
「……はい……お願い、します……」
ここまでされてはもう断れない。それに誰とでもクリスティアンと踊れるわけではない。彼が声をかけるということは社交界での地位に大きく関わり、一目置かれるようになるのは必然だ。それに国王の言葉を二度断ることは出来ない。オリヴィアもそれが分かっているからこそ、その申し入れを受け入れたのだ。分かっている、分かっているが、無性に腹が立って仕方がない。
「では、次の夜会の時に……勿論オリバーにも招待状は送るから安心してくれ」
「当たり前ですよ!!!」
漸く父の拘束が解けた僕はオリヴィアに駆け寄りクリスティアンが触ったところを指で擦る。汚くはないと思うのだが、と首を傾げる彼を睨み返すとわざとらしく肩をすくめた。
「……今後もなかなか良い関係が築けそうだな公爵?」
「……昔の自分たちを見ているようで息子が可哀想に思えてきますよ」
「え、どういう意味で言ってる?」
その後、キャンベル伯とオリヴィアは先に部屋から出され、残った僕たちは魔法契約書にサインをする。その間王妃が第二王子に今回のことを噛み砕いて話していた。第二王子もそろそろ自身の魔法について理解をしてくる頃だろう。今回は不慮の事故であったが、こんなことが二度と起こらないことを願うばかりだ。
部屋を出ると一気に緊張が解け思わずふらついてしまう。自分ではそこまで感じていなかったが、流石に精神的なものがあったらしい。それを父に支えられると頭を雑に撫でられた。
「……よくやった」
「……すみません、契約に巻き込んでしまって」
「そんなことは気にしていない……他人のために奔走したお前を誇らしく思うよ」
「……」
急な賞賛にくすぐったい気持ちが湧き上がってどうしていいか分からなくなる。滅多に人を褒めない父からの言葉というものは思った以上の感情を引き出させるものだった。
「それに、ほら……彼女が待っているぞ」
その言葉と視線の先を辿れば、離れた場所でこちらを窺うオリヴィアがいた。父が僕の背中を叩き、そちらへ向かうように促す。
「キャンベル伯には話を付けておこう……お前は彼女を送り届けてから帰ってきなさい」
「……はい、ありがとうございます」
「……遅くなっても構わないが……くれぐれも帰ってくるように」
「なっ、帰りますよ!!」
父からの言葉に素早く返事をすると、僅かに微笑んでその場を去っていった。その背を見送りながら、そんなに余裕がなさそうに見えるのかと頬を触る。流石にまだ婚約もしてないのに手を出すほど馬鹿ではないのだが。
一度深呼吸をして顔を整える。クリスティアンのせいでみっともないところを見せてしまったから少しでもかっこよく見せなくては。
………
先に部屋を出た私は父が馬車を手配する間、離れたところでオリバーが出てくるのを待っていた。先に馬車が来てしまったら待ってて欲しいと頼むつもりだったのだが、幸いまだ馬車は来ない。
私が身勝手な理由でオリバーを突き放している間にも、彼は私のためにあんな風になるまで調査をし、そしてその原因まで突き止めた。国王への謁見など、いくら公爵家と言っても簡単に出来ることではない。私のせいでシュナイダー家にも相当な迷惑をかけたはずだ。どんなに謝罪をしても足りないし、どんなに……感謝をしても足りない。
私にかかっていた呪いというものが何なのかは分からない。けれども呪いが解けた後のオリバーの安堵した顔から、きっと私の悪評に係わるものだったのだろう。私自身、呪いが解かれた後に胸の奥にあった暗くて重い感情や頭の中を占めていた霧のような負の言葉が薄まり軽くなったように感じていた。今までのことが無かったことになるほど心の傷は浅いものではないけれど、少なくとも謂れのない悪評に立ち向かうだけの心の余裕が生まれたように思う。
どうすれば、この感謝を伝えられるのだろう。
どうすれば、彼にこの恩を返せるだろう。
(私から彼に返せるものなど……あるのだろうか)
何でも手に入れることのできる立場にある彼に、すぐには返せるものが見つからない。
どうしたものかと頭を悩ませていると謁見室の扉が開き公爵とオリバーが出てくる。その場で何かを話す彼らの邪魔をしないよう物陰から様子を窺っていると話を終えたらしいオリバーがこちらに向かってきた。
「オリヴィア!」
笑顔で駆け寄ってくる彼はやはり大型犬を彷彿とさせる。私の前で立ち止まった彼に、姿勢を正してしっかりと腰を折った。
「オリバー・シュナイダー様、この度は私のことでご迷惑をかけてしまい大変申し訳ありませんでした……そして呪いのこと……原因を突き止めて、更には解除まで話をまとめていただき本当にありがとうございます」
「えっ、いや、顔を上げてください!そもそもオリヴィアに確認もとらず僕が勝手にしたことですから!」
「それでも、貴方には私を見捨てるという選択肢もあった……そうしなかったことも、感謝しかありません」
「……そんな選択肢は最初からありませんでしたけどね」
上から降ってくる優しい声に姿勢を戻す。照れくさそうに微笑む彼の姿に私も笑みを返した。
「……貴方はお礼なんていらないと言うのでしょうけど……私に出来ることがあるならばどんなことでもするつもりです……勿論、たかが伯爵家の令嬢に出来ることなど限られていますが」
「何を言ってるんですか、オリヴィアにしか出来ないことがあるじゃないですか」
「……なんでしょう?」
私にしか出来ないことというのが何だか分からず首を傾げると、彼はにっこりと笑って私の手を取った。
「お礼なんていりませんが、何かしないとオリヴィアは気にしますよね?ですので、僕とデートしてください」
「……そんなことでいいんですか?」
「そんなこととはなんですか!オリヴィアと一緒に行きたい場所は沢山あるんですよ!」
「あ……」
そういえばオリバーと会う時はいつも家の中ばかりで外で何かをしたという記憶が無い。私に気を使ってばかりの彼に甘えていた私は彼の気持ちを考えたことが一度でもあっただろうか。今更気付いたという申し訳なさもあり、改めてそれはお礼にはならないと伝えようとするもどこに行こうかと悩んでいる彼の耳には入らなそうだった。
「早速ですが行きましょう!父がキャンベル伯に話を通してくれているので、この後は自由ですから!」
「え……?!」
握った手をそのまま引かれ、あれよあれよと馬車に詰め込まれる。いつの間に来ていたのか、うちのではなく公爵家の馬車だと気づいたのは出発してすぐのことだった。
隣に座ったオリバーは繋いだ手をそのままに機嫌が良さそうに窓の外を見ている。どこに行くのかは分からないが窓の外を流れる景色を見るに城下町、その中でもショッピング街に向かっているようだ。顔を隠すような帽子も、ヴェールもなく外に出るのはいつぶりだろうか。かつての記憶を思い出し、思わず握った手に力が入ると隣から大丈夫ですよ、という声がかかる。
「貴女にかかった呪いは解けました、もう以前のような視線はないでしょう……勿論この世の全ての人が自分に好意的なわけではないですが、今までのような謂れのない噂話や悪評はないはずです」
「……はい」
「それに隣には僕がいますから、多分オリヴィアより僕の方が目立つと思いますよ……なんせ久しぶりに顔を出した他人の婚約パーティーで魔法を連発した問題児ですから」
「……自慢げに言うことではないのでは……」
「あ、でも服装は動きやすい方がいいですよね……これだと嫌でも目立ちますし」
パチンと指を鳴らした彼は謁見用の礼服から動きやすい私服へと二人の服装を変える。さりげなく揃いの仕様になっていることには触れないことにした。
そうこうしているうちに目的の場所に着いたのか馬車が止まる。御者が扉を開けて先にオリバーが降りるとこちらに向かって手を差し出した。外はまだ明るく、顔を見ればどこの誰かと気づかれてしまう。一瞬伸ばした手を止めるが、再び伸ばしてオリバーの手に重ねた。彼を信じると決めたのだから。
そうして久しぶりに遮るものが何も無い状態で外へと出ると、いつも感じていた纏わりつくような視線が無いことに気づく。馬車を降りてオリバーの隣に並んでも、眉を顰めるような人も、こちらを見て何かを囁くような人もいない。数人がこちらを見ている気配はあるが一瞬でその視線も別の方向へと向かっていく。今までとの明らかな差に暫く動くことが出来ないでいると、大丈夫だったでしょう?と声がかかった。
隣で優しく笑う彼に目の前が滲むが、こんな人通りのある場所で泣いてはオリバーが不審に思われてしまうとどうにか我慢をして笑みを作った……絞り出したお礼の言葉とともに。目尻に彼の指が当たり涙を拭われるとじゃあ行こうかと、重なった手が腕へと移動しエスコートをされる。人目を気にせずデートが出来るというこの状況が、自分には縁のないことだと諦めていたシチュエーションが、現実に起こっていることに胸の奥がきゅっと締め付けられた。けれどもそれが誰でもいいことではないということも分かっている。隣に居るのがオリバーだから、きっとそう感じるのだろう。
(……あぁ、そうか……目を背けていただけだったのね……)
恐らく自覚したのはマイラの婚約パーティーだろう。どうして彼に私の悪評を聞かれたくなかったのか、どうしてあんなにも彼を遠ざけたかったのか、どうして彼が悪く言われるのが嫌だったのか。
一度受け入れてしまうと何をどうやっても彼が良く見えてしまう。
同時に彼からもらった沢山の思いやりと純粋な好意に何も返せていないことに気づく。勿論当時はまだしっかりとした想いが無かったので仕方がない部分もあるが今は違う。
(……私から、伝えることが……出来るのかしら)
こんなこと呪いを解く前の自分だったなら考えることもしなかっただろう。あのまま距離を取り続け、彼を拒み、一人暗闇に囚われていたに違いない。それほどまでに呪いにかかっていた時の私は視野と思考が狭くなっていたから。
感謝の意味も込めてどうやって伝えようかと考えていると、いつの間にか目的の場所に着いたらしく店内へと入っていく。どうやらカフェらしく、店員に案内され席に着いた。ここでもいくつかの視線が気になるが以前ほど意識せずにいられるようになっていた。それよりも目の前にいるオリバーとの時間を大切にしようと、しっかりと彼に向き合って過ごすためにメニューへと目を通し始めた。
いくつか店を周りディナーを食べ終わると帰宅のためにまた馬車に揺られる。周りの景色から自宅に近づいたことを察し、こっそりと購入していたものを鞄の中から取り出してオリバーへと差し出した。
「……今日は本当にありがとうございました、オリバー……これは今の私の気持ちです……受け取っていただけると嬉しいのですが」
「いつの間に……!いいんですか?僕が勝手に連れ回しただけなのに……」
「連れ回したなんて……私も楽しかったですし……でも開けるのは私がいなくなってからにしてくださいね……恥ずかしいので」
「……そう言われると開けたくなるのが性ですが……我慢します、ありがとうございます」
手のひら大の小さな箱を彼に渡し、次第に緩まる馬車の速度に身支度を整える。
私を自宅におろすと、また連絡しますね、と言って馬車は今来た道を戻っていった。
その馬車が見えなくなるまで見送った後、漸く私は中へ入る。最後に贈ったものに込めた意味が正しく伝わることを願いながら。
………
「……はあ……流石に疲れたなぁ……」
オリヴィアを無事に自宅へ送り届けた後、誰もいない馬車の中で横になる。行儀が悪いとは思いつつも、もう立っていることすら面倒になってしまって身体を投げ出した。しっかり休んだつもりでいたのだが、全てが終わったことで漸く緊張の糸が切れたらしい。
第二王子のかけた魔法は綺麗に解けていたらしく、街中へ出ても、お店に入っても彼女のことをとやかく言う人はいなかった。僕たちに向けられた視線も興味本位のものが多く、嫌なものは感じなかった。これが普通なのだと、今までが異常であったのだと、彼女が少しでも思ってくれたならいいと思う。
勝手に降りてくる瞼をどうにかこじ開けて仰向けになり、帰り際にオリヴィアから渡されたプレゼントを見つめる。
初めて向けられた彼女の心からの笑顔を思い出し、勝手に頬が緩んでいくのが分かった。
「……流石に起きて開けるか……」
箱を包むリボンに手をかけたところで今の状態を思い出し身体を起こす。座席に胡坐をかくように座り直して改めてその箱を開けると、中にはガラスケースに入ったピンクの薔薇が一輪とその周りにカスミソウが敷き詰められていた。どうやら生花ではないらしく、保存の魔法がかかっており半永久的に飾れるものなのだろう。
「……花言葉は、感謝……」
僕にこれを渡すということは、今まで僕が贈った花の意味も正しく伝わっているのだろう。再び横になった僕は両手で持ち上げるようにその箱を掲げどこに飾ろうかと見つめている中、ふと思い出したようにその中の花を確かめる。
「……え……いや……いや、流石にそこまでの意味は……ない、よね……?」
ピンクの薔薇、そしてカスミソウ……どちらも感謝という花言葉の他に別の意味を持っている。
一輪の薔薇は【運命の人】、それがピンクならば【愛を誓う】、カスミソウは【幸福】。
もう一つの意味を考えて一気に顔が熱くなった。
「待って、え、これって自惚れてもいいやつ……?オリヴィアが選んだのかな、それともお店の人がこの組み合わせにした……?感謝以外の意味はない……?」
余計なことに気づいたおかげで混乱し始めた頭に、これを渡した時のオリヴィアの言葉がよみがえる。
『……これは今の私の気持ちです』
「……マジでどっちだ……」
胸の上で箱を抱えて天井を見つめる。どちらともとれるその言葉に僕は都合のいい解釈をすることに決めた。
「……どっちの意味もあったってことにしておこう」
例えもう一つの意味が無かったとしてもそれでいい。ショッピングを楽しむオリヴィアの姿と僕に向けられた笑みだけで今日は十分過ぎるご褒美をもらっているのだ。大事に箱を抱えながら、漸く僕は目を閉じることが出来た。
………
「……本当に、なんで俺がこの男の相手をしなきゃいけないんですかね……」
「そんな冷たいこと言わないでよ見習くん、君じゃないと僕の相手が出来ないって認められてるってことじゃないか」
「なんて不名誉な……」
口では悪態をつきつつやるべきことはしっかりとこなす彼の動きはまだ見習いとなって数ヶ月だとはとても思えない。きっと元々が器用で頭も良いのだろう。
「それに僕の愚痴の相手になってくれるのも君しか居ないし……あー思い出したらまた憂鬱になってきた……」
「まだ駄々をこねているんですか?オリヴィア様の名誉回復のためなら安いものでしょう」
「……殿下とのダンスを安いものなんて言うの君ぐらいだよ……そりゃオリヴィアに利があるから譲るけど、そうじゃなくてさぁ……気持ちの問題って言うか……」
今日は王家主催の夜会が開かれる日だ。今回は国王主催ではなく殿下、クリスティアン主催の夜会となっている。したがって招待される人たちも比較的若い人が多い。若者の間で噂が回るのは一瞬だ、そこでオリヴィアが殿下と踊れば瞬く間に馬鹿げた噂は落ち着くだろう。こればかりは僕がどんなに頑張っても難しいことだったのでありがたい反面、少し気にくわない。
「今回も独占欲丸出しのドレスを贈っておきながら何を言っているのやら……しかも選択肢が無かったですし」
「ドレスの形は選べたでしょ?」
「色の話をしているんです……全く、たまたまドレスコードのない夜会だったから良かったものの……」
今回も前回同様に紺色のドレスを数点贈っている。そして今日は最初からオリヴィアの色を差し色として使っていた。僕の贈ったドレスを着てくるという確かな確信があったから。
因みにあの謁見の日以降今日までまともにオリヴィアに会えていない。会えていないというか会えなかった。僕も彼女もともに体調を崩したからだ。僕は今までの不摂生が、彼女は二年という長い期間の魔法を解呪した反動らしい。本来あの魔法はそんなに長期間かけていいものではなかったようだ。だから久しぶりに会う彼女に少し緊張している。
「……お待たせしました」
いつかと同じ控えめな声が聞こえ振り向くと、前回より少し大人っぽいドレスを纏ったオリヴィアがいた。目の前まで来た彼女の手を取り唇を寄せる。綺麗です、と呟けば微笑んでお礼を言われた。
見習くんに見送られ馬車が走り出す。道中は久しぶりに会ったということもあり近況報告だけであっという間に時間が過ぎた。城についてともに降りるも、彼女は以前ほど緊張していないようだった。
「……大丈夫そうですね?」
「……緊張はしています……今日は別の意味でも緊張することがありますし……でも」
並んだ彼女が窺うように僕を見て、もごもごと口を動かす。聞き取れなかった僕が少し近付けば、彼女の方から腕に手を絡めてきた。
「オリバーがいるから、多分大丈夫です」
「……えっ、かわ……」
急なオリヴィアのデレに語彙が無くなり素の僕が出てきてしまう。にやけた顔を見せないようすぐに口元を隠すが抑えきれないこの感情をどうしたらよいのだろうか。
(待って、待って、待って、えっ、どうしちゃったのオリヴィア??何???触らせてくれなかった野良猫が自らすり寄ってくるような唐突なデレは何???)
「……オリバー……?ごめんなさい、こんなこと言われても困りますよね……」
「あっ、まって!!違います!!僕の方こそごめんなさい、オリヴィアが可愛すぎて自分を押さえるのに必死で……」
沈黙を悪い方へ受け取った彼女が身を引こうとした気配を察知して素早く離そうとした手を上から抑える。僕の言葉に安堵したのか彼女はまた同じ位置に戻ってくれた。
「じゃあ、行きましょうか」
「はい」
煌びやかな会場へと一歩を踏み出す。名前を読み上げられると前回と同様それなりの注目が集まった。この読み上げの時だけは誰が来ても注目されるので仕方が無いとは思うのだが、心配になり隣のオリヴィアを横目で確認する。不安げではあるものの、以前のように震えているわけではなく、顔色もそこまで悪くはない。さりげなく周りの声を聞いても、目立つような悪口を言うものは少なかった。寧ろ僕のことを問題児として扱う声が聞こえちょっと悲しくなってくる。やらかしている自覚と実績があるので何も言えないが。
「ヴィア~」
「マイラ!貴女も来ていたのね」
「お久しぶりです、オリバー殿、そしてオリヴィア嬢」
「ダニエル殿とマイラ嬢もお元気そうで何よりです」
聞き覚えのある声に振りむけばダニエル殿とマイラ嬢がこちらに寄ってきた。あの騒動以来だが、すでに戦友のような居心地の良さを二人には感じていたので、この再会は純粋に嬉しい。マイラ嬢は僕たちを暫く見つめて首を傾げた。
「……ねぇ、ヴィア……この前も思ったけど貴女たち本当に婚約してないの?どう見てもそうは思えないんだけど……」
「えぇ、まだ……してないわ」
「まだ、ですか」
「でも後二週間ってところまで来たんです……!婚約発表の時には来ていただけると嬉しいです!」
「……二週間後に何の約束をしてるのよ」
「その……私が彼を信じれるかどうかを証明する日……?」
「信じられるかを証明……??え、オリバー様に何か弱みでも握られてるの??」
「何でそうなるんですか!違いますよ!」
オリヴィアとマイラ嬢の会話につい突っ込みを入れてしまう。僕たちのことを話すには経緯も説明しなければならないが気軽に言えるような内容ではないためどうしてもあやふやな回答になってしまう。訝し気にこちらを見るマイラ嬢の追撃をどうにか躱していると、入口の方ではなく会場の前の方から読み上げる声が聞こえ、その場にいた全員がゆっくりと礼をする。王家の方々が入場し席に着くと主催のクリスティアンからの挨拶が始まった。挨拶の途中一瞬目が合ったのは気のせいだと思いたい。
挨拶が終わると、ダンスフロアに降りてきた殿下が一人の令嬢の手を取った。名前は分からないが、確か同じ公爵家の令嬢だった気がする。ファーストダンスは基本的に婚約者、もしくはその候補となるべき人と踊るのが基本だ。決まっていない人は白い花をどこかに身に着けているので、その場で申込み相手を探す機会にもなっている。勿論強制ではないので踊らない人も一定数いるが、流石に年齢が若いので踊る人もそれなりに多い。殿下の相手は白い花をつけていないので、恐らく彼女が婚約者なのだろう。
ダニエル殿がマイラ嬢の手を取って進んだので、僕もオリヴィアに手を差し出した。断られないとは分かっているが、流石に少し緊張する。無事に承諾を貰ってフロアに進んだところで思い出したように声を出した。
「あの、オリヴィア……僕、一応練習はしてきたんですけど公の場で踊るのはこれが初めてで……何か粗相があれば遠慮なく言ってください」
「……私も家族や親戚以外の方と踊るのは初めてなので……何かあってもお互いさまにしましょう?」
「そう言っていただけると気が楽です」
優雅な音楽が流れると、ペア同士で一礼しダンスが始まる。今日に向けて猛練習してきたが、先程の言葉を聞いたオリヴィアがさりげなくリードしてくれているのでありがたい。男としての面子はこの際気にしない。僕の面子よりもダンスの成功の方が優先である。この後に殿下とダンスを踊るオリヴィアが僕と比較しないかは少し心配ではあるが。
「……次の時までにはもっと練習してきますね……」
「十分だと思いますよ?私、初めての時もっとひどかったですもの」
「いえ、この後殿下と踊るでしょう?比べるまでもなく殿下の方がリードも魅せ方も上手いですから」
そう、これはつまらない嫉妬。自業自得ではあるのだし、比べるような相手でもないのは分かっているのだが、好きな人を前にして自分より出来る相手というものはやはり気にくわない。
「……オリバーもそんなこと思うんですね……」
「僕を何だと思っているんですか……オリヴィアに関することでは誰にも負けたくないんですよ」
意外そうにオリヴィアが呟くので思っていることをそのまま伝える。丁度曲調が緩やかになり、次の曲への切り替えに入った。再び礼をし、名残惜しいが殿下へと次を譲らねばならない。
「あ、いたいた……久しぶりだねオリバー」
「……殿下もお元気そうで何よりです」
「相変わらず不機嫌を隠そうとしなくていいね、一曲だけだから我慢してくれよ」
「オリヴィア、あんまり殿下とくっついちゃ駄目だからね、あと終わったらすぐに迎えに行くからその場から動かないでね?」
「お、オリバー……」
「凄い、ここまで無視されるのは初めてだ……だが、私も君に一つお願いがあるんだ」
そう言って隣に並んだ令嬢が一歩前に出る。先程殿下と踊っていた令嬢だ。
「お初にお目にかかります、エリザベス・テューディと申します」
「初めまして、オリバー・シュナイダーと申します」
「オリヴィア・キャンベルと申します」
綺麗なカーテシーを披露した彼女はテューディ公爵家の長女だったらしい。このタイミングで紹介する殿下に少し嫌な予感がするので先に釘を刺すことにした。
「殿下が踊っている最中一人になるから僕と踊れとか言いませんよね?先に言っておきますが嫌ですよ」
「ははっ、そんなに露骨に嫌な顔をしないでくれ……本当はそう頼む予定だったんだが彼女が足を捻ってしまってね……壁際で一緒に控えていて欲しいんだ、君なら安心して彼女を預けられる」
「……怪我してるなら先に言ってくださいよ……ついでに治しておくので早く終わらせて帰ってきてください」
「分かった分かった、じゃあお前の姫を少し借りていくな」
「……よろしくお願いします」
オリヴィアが僕の手を離し殿下の手を取る。分かっていた状況ではあるが実際に目の当たりにすると思った以上に気分が悪い。後でもう一回踊らせてもらおうと秘かに誓い、僕は残されたテューディ嬢へ腕を差し出した。彼女も静かに僕の腕を取り壁際へと移動する。
「怪我をした箇所と状態を教えていただけますか?」
「右足首……特に外側に鈍い痛みがあります、少し腫れているようです」
「分かりました、では冷却シート……患部を覆うように冷やす魔法をかけておきますので冷たすぎたら言ってください」
壁に背を預けると狙いを定めて魔法をかける。冷たさの確認をして落ち着くとダンスフロアへと視線を移した。殿下とオリヴィアを見つけると、嫌でも目で追ってしまう。思い出したように周りの反応を見ると、驚きと疑問、そして羨望の眼差し、嫉妬ややっかみの視線もあるがこれは予想の範囲内の数だろう。また二人に視線を戻すと隣に居る彼女が笑う気配を感じる。
「……本当にキャンベル嬢がお好きなのですね」
「……えぇ、そうですね……先程は失礼な態度をとってしまい、申し訳ありませんでした」
「ふふ、いいえ……クリスから話は聞いてましたので気にしておりませんわ」
「失礼ですが、いつ頃から殿下と?……あ、防音にしてあるので小さい声でしたら周りには聞こえませんよ」
「一年前には打診がありました……今日が初めて公に披露する機会となりましたけどね」
「そうですか……殿下主催と聞いたので何かあるとは思っていたのですがそういうことだったのですね」
「……ですので今日くらいは弱みを見せたくありませんでしたの……治療してもらったおかげでこの後も気づかれずに済みそうで安心しましたわ」
「お役に立てたなら良かったです……うわ、最悪」
「あら」
僕の視線に気づいた殿下がこれ見よがしに近づいてきたので思わず防音の魔法が消えそうになるがこぶしを握ってどうにか耐えた。オリヴィアは踊ることに精一杯で気づいていないようだ。分かっててやっているし、僕もそれを分かっているからこのぐらいで済むのだけれど。
「ごめんなさいね、クリスはああいうところがあるから……」
「知ってます、でもこちらが本当に嫌がることは絶対にしてこないのでそれも腹が立ちます」
「……そのへんの距離の取り方は上手いのよねぇ……それにシュナイダー様への悪戯心もありますけれど、恐らく私に向けてのアピールもあるようですわ」
「……え?まさか嫉妬して欲しいってことですか?貴女に?」
「ふふっ、可愛いところもあるでしょう?」
「……いいこと聞きました」
「貴方の大事な人をお借りしたお返しになったかしら?」
「ありがとうございます……これで僕もいつか反撃が出来そうです」
この国の第一王子の婚約者ならば、それなりの面倒に巻き込まれることも多いだろう。だからいざとなれば最低限の対応が出来る僕に彼女を預けていったのだと思っていたが、僕ならば彼女に絶対に手を出さないという確信があったから預けていった、という方が真実に近い解釈だろう。意外と可愛いところがあるじゃないか。
また曲調が変わり、僕たちの前に二人が戻ってくる。テューディ嬢を再びエスコートし殿下と相対すれば、その隣で何故か真っ赤になっているオリヴィアの姿に心臓が落っこちるような感覚を覚えた。
今聞いたばかりの殿下の本心が彼女の妄想や、嘘だとは思えなかった。だからオリヴィアとは何もないはずなのに、何がどうやったら彼女がここまで真っ赤になるようなことがあるのだろうか。
「え、オリヴィア……」
「オリバー、助かった……オリヴィア嬢もありがとう」
「こちらこそ、素敵な時間を過ごさせていただきました……ありがとうございました」
オリヴィアが言った言葉は礼儀として何も間違っていない。定型文のようなものだと分かっている。それでも、そんな顔でそんな言葉を僕以外の男に言わないで欲しい。
「……では、これで私たちは失礼する……また近いうちに会おう」
僕を除く三人がいくつかの会話を重ねた後、そう言っていつもの調子で声をかけた殿下がテューディ嬢とともに去っていく。二人が去っても動かない僕を不思議に思ったオリヴィアが声をかけてきたので反射で手を掴んで転移した。転移した先は誰もいない城の庭園で、そのままの勢いで彼女を自分の腕に閉じ込める。
「お、オリバー……?!」
「……殿下に何を言われたの?」
「え……?」
「そんなに顔が真っ赤になるほど嬉しい言葉でも言われた?それとも、殿下と踊ってアイツのこと好きになっちゃった?」
「な、にを言って……」
「そう言えば呪い解いてもらった時も顔赤くなってたよね?やっぱりオリヴィアもああいうのがタイプってこと?なら、アイツみたいな顔になれば、君も僕のこと好きになってくれる?」
「ちょっと、オリバー……!」
僕の腕を抜け出そうともがく彼女に余計不安な心が顔を出す。オリヴィアのことも殿下のこともテューディ嬢のことも信じてる、信じようとしているのに、何故か考えてしまう最悪な展開を跳ね除けたくてもっと彼女を抱く腕に力が入った。
「ずっと、ずっと好きだったのに……やっぱり駄目ってこと……?主人公ってだけで、こんなにも簡単に他人の心を動かせるものなの……?あの話とここは、違うんじゃないの……?」
「……オリバー・シュナイダー!!」
フルネームで呼ばれ、ふと意識が現実に戻ってくる。抱きしめる拘束を弱めればその隙間から伸びてきた手が僕の両頬を挟んだ。自然と目が合い、怒っているような、困惑しているようなオリヴィアが目の前にいる。
「……急にどうしたんですか?お酒でも飲みました?それに、主人公とは何のことです?」
「……オリヴィア……なんで、あんなに、赤くなってたの……?」
「……貴方とのことを聞かれたんです」
オリヴィアを前にして少しだけ冷静さを取り戻すと、もう一度質問を投げかける。すると、少し視線をずらしながら恥ずかしそうに彼女は呟いた。
「……一方的な関係ではないのか、迷惑には思ってないか、貴方のことをどう思っているのか、どうなりたいのか」
「……」
「丁度、私の中でも自覚したばかりの気持ちを整理したくて殿下のいくつかの質問に答えていきました」
「なんて、答えたの?」
「それは……内緒です」
「……今から殿下に聞いてくる」
「何言ってるんですか?!」
魔法を使おうとした僕の手を彼女の手が押さえて握る。なんで僕より先に僕への想いを殿下が聞いているのか。腹立たしいあの顔を思い出していると、それに、とオリヴィアが続けた。
「殿下の顔がどうこう言ってましたが、別にタイプではないです……整っていますし、美しいとは思うので近くに来られると流石に照れますけど」
「じゃあ、タイプは?」
「………………」
「え?」
「……クロンキー宰相みたいな顔です」
「……クロンキー、宰相…………?!!?!えっ、あのイケオジ?!!?」
ここにきて予想外過ぎる名前が出たことに驚きが隠せない。国王の右腕とも言われるクロンキー宰相は僕の父ぐらいの年齢だったはずだ。確かに年齢の割に若く見えるし、渋さやかっこよさはあるが、まさかオリヴィアのタイプがそういった人だとは思わず、似せようにもどうしようも出来ないことにまたショックを受ける。人生経験を積み重ねて出来るあの独特な余裕は、いくら前の人生分の経験があろうとも今の僕には再現できない。
「いけおじ……?と、ともかくタイプはあくまでもタイプですから……好きな人とは違います」
「……好きな人……?」
只でさえショックを受けているところに更にショッキングなワードが振ってきて今度こそ思考が止まる。反対にオリヴィアはその想い人を思い出しているのか徐々に顔が染まっていった。
オリヴィアには悪いけれど、好きな人がいるからと言って僕が彼女を手放すかと言えばそんなこと出来るわけが無く。どんなことがあっても二週間後には婚約するし、結婚まで持っていく。どうにか僕の方へ気持ちを傾けたかったけれども、それが難しいというのならば、せめてその好きな人に成り代われば、彼女は愛してくれるだろうか。それとも今までの情から、僕のことは受け入れてくれるのだろうか。
「……なんでそんな疑問形なんですか」
「え、だって、オリヴィアの好きな人なんて知らない……」
「なんでそこだけ自信ないんです……?私の周りにいる男性なんて一人しかいないじゃないですか」
「……一人……?殿下や見習くんたちは……?」
「婚約者がいる男性を好きになるほど非常識ではないですし、レイたちには家族のような愛情はありますよ」
「……僕……?」
「……他に誰がいるんですか……ずっと、貴方の気持ちに応えられなくてごめんなさい」
握られた手にぎゅっと力が入る。再び真っ赤になったオリヴィアに僕は思いっきり自分の顔を叩いた。パァンという綺麗な破裂音が響くと驚いた彼女が慌てたようにその手をこちらに延ばしてくる。その手を摑まえてまた自身の腕の中に閉じ込めた。今度は丁寧に、優しく包むように。
「夢じゃない……」
「夢の確認で叩いたんですか……!?」
「大丈夫、もう治ってるから」
さっきのテューディ嬢と同様に頬を冷やして治していく。その熱さと冷たさにこれが現実であるという事実が自分の中に沁み込んでいく。
なんて幸運なのだろう。偶然思い出した前世で、そこで推していた人が今、自分のことを好きだと言っている。モブの彼女ではなく、この世界に生きるオリヴィア・キャンベルという令嬢が、和島豊ではなく、オリバー・シュナイダーという一人の男を。
「貴方がくれた想いを、少しずつ返していければいいなと思っています」
「……もしかして、オリヴィアがくれたあのプレゼントって……」
「……オリバーがくれる花にはいつも意味がありました、だから私も先ずはそれで伝わればいいなと思いまして」
「……僕すっごい迷ってたんだよ……都合のいい解釈していいのか、それともそんな深い意味はないのか……」
「貴方……変なところで自信が無くなるんですね、私にはあれだけ色んなことを言っていたのに」
「だって、まさかオリヴィアがそういう意味の好意を持ってくれてるなんて思わなくて……二週間後には婚約するんだし、そこからまた頑張ればいいかなって……」
「……私が貴女のことを好きではなくても婚約したってことですか?」
「一応ね、呪いを解く前のオリヴィアも僕のこと嫌ってはいなかったでしょ?だから一緒にいれば好きになってもらえるチャンスはあったかな~って」
「……そう、ですね……少なくとも友人以上には思ってましたよ」
「あれ、意外と好感度高かったな」
オリヴィアと話しているうちに次第に心に余裕が生まれてくる。先程までの余裕が無く思い込んでいた僕は何だったのだろうか。そこまで考えてふと、あの憎らしい顔が思い浮かぶ。僕は彼らの魔法を【他人から見た人の印象を操作出来る魔法】と定義づけていたが、もしかしたらもっと幅があるものなのかもしれない。一度仮説を立ててしまえば先程までの自分の様子にも合点がいく。殿下のことだ、オリヴィアに色々聞いていたのも、僕たちを進展させようとという愉快犯……親切心からなのだろう。結果的にまとまったから良いものの、こじれていたら賠償請求しても許されたはずだ。
一度抱擁を解くと適当に転移してきてしまったため会場に戻るために歩き出す。ここに来た時よりもぐっと近くなった距離に思わずにやける顔をどうにか戻そうとするが自然と緩んで戻らない。
「……そういえば、オリバーはさっきまでの話し方が素なのですか?」
「…………え……あ、もしかして、ずっと敬語外れてました……?」
「庭園ではずっとそうですね」
「え~……っと、そうなんですね……全然気づいてなかった……」
「……貴方が話しやすいならどちらでも構いませんよ?」
「いえ、流石に砕けすぎるので……あと身の振り方も引っ張られてしまうので、今後もこちらで大丈夫です」
「そうですか……」
「……え、もしかして残念がってます……?」
「……!」
「……素の僕の方が好きってこと?」
「ちがっ……どちらもす、素敵ですけど……新鮮だったので……」
「へぇ……じゃあたまにはこっちでいっか」
組んでいた腕を外してオリヴィアの腰に手を回し、引き寄せるように力を入れれば一瞬で真っ赤になる彼女に殊更に気分が良くなった。素の僕を彼女が受け入れるということは、少なからず和島のことも受け入れられたような気がして嬉しくなる。
会場に戻った後、僕たちを探していたらしいマイラ嬢が何かを察したような顔をしていたが特に触れることなく夜会は幕を閉じた。お互いの気持ちが分かったとはいえ、今はまだ婚約者候補。婚約を早めることも考えたが、最初に提示した条件の通り二週間後の結果を見てからにすることにした。もう心配はいらないとは思うが、オリヴィアには僕の愛が疑う余地もないことを証明したかったから。
………
あの夜会から約二週間がたった。
オリバーの話では正確な日にちまでは分からないそうなので前後数日は様子を見ていたのだが、今日、国王が大々的に女神の生まれ変わりの存在を公表した。そして話していた通り、我が家に殿下と女神の生まれ変わりが乗った王家の馬車がやってきてアダムを引き取ることとなった。勿論この国の重要人物が二人外出するとなればそれなりの護衛もいるので近所ではちょっとした騒ぎにもなってしまったのだが。
この五か月の間に色々なものを吸収し、しっかりと育ったアダムは元奴隷とは思えないほど見違えて私やキャンベル家の人たちに懐いてくれた。女神の生まれ変わりに会った時には自分がどういった存在かを理解したらしく、自分の名前も思い出したが、ここにはアダムとしてたまに顔を出してよいかという可愛らしいお願いをされ、勿論二つ返事で了承する。その間一緒にいたオリバーは殿下と何かを話していたが、殿下の少し渋るような顔が見えただけで他は何も聞き取れなかった。
王家の馬車を見送り屋敷の中も落ち着くと、私はオリバーとともにガゼボに来ていた。五か月前のここから、私たちの関係が始まったのだ。奴隷とその主人として出会い、公爵令息と伯爵令嬢という立場に変わって、そして今もう一度関係性が変わる。
「オリヴィア、僕の婚約者になってくれますか……勿論結婚を前提に」
「……私で良ければ、お願いします」
色々という言葉では片づけられないほどの出来事が今日に至るまでにあった。オリバーに出会わなければ私はまだ呪われたままで、自分のことをもっともっと嫌いになっていっただろう。外に出ることすら臆病になり、他人の視線と嘲笑、陰口にいずれ自分が追い詰められていたはずだ。彼をきっかけに私は、私のことを大事にしてくれた人と私が大事にしたい人に目を向けれるようになった。だからと言って今は全く気にならないかと言えばそうではない。時折感じる悪意のこもった視線や陰口は今も私を苦しめる。それでも以前ほど自分を追い詰めることはしなくなった。それ以上に、自分が信じた人たちの言葉を信じると決めたから。
私の返事を聞いたオリバーが左手を取り、その薬指に指輪をはめる。驚いていると彼の薬指にも揃いの指輪がはめられており、目の前が滲んでいった。人はあまりにも幸福を感じると涙がでるものらしい。その指輪をなぞりながらオリバーが微笑む。
「結婚式は王室御用達の教会を借りれるから楽しみにしててくださいね、勿論知り合いだけでひっそりとやりますけど」
「えっ」
「さっき殿下とちょっと……快く承諾してくれたから気にしなくて構いませんよ」
先程の渋い顔をしていた殿下を思い出し疑問に思っていると彼の手が顔に伸び、流れた涙を拭うように動いた。そのまま軽く上を向かされると頬に柔らかいものが当たる。それが彼の唇だと理解した時には涙は引っ込み一気に顔に熱が集まった。
「これ以上は今はお預けですかね」
「……!」
繋いだままの手が引かれ、彼に抱き締められる。
長かった、と呟いたオリバーに、私は抱き締め返そうとした手を戻し彼の胸を軽く押し返すと、予想外の反応にこちらの様子を窺うために覗き込んだ彼の唇を掠め取った。恥ずかしさのあまり、彼の腕から抜け出して背を向ける。
「……ん?!ちょ、えっ、オリヴィア?!もう一回!もう一回お願いします!」
「今日はもう無理です」
「じゃあ僕からしていい?」
「ちょ……!」
あっさりと身体の向きを変えられると今度はしっかりと唇が触れ合う。触れ合った時間は短いが互いの感触はしっかりと伝わり、先程とは比べ物にならない恥ずかしさが全身を駆け巡った。
「……真っ赤で可愛いね、オリヴィア」
「……ここで素を出すのはずるいですよ……!!」
嬉しそうに笑う彼に何も言えなくなり、私も勝手に口角が上がる。
今まで気付かないうちにもらっていた沢山の愛を、オリバーをはじめ皆に返していけるように。
私たちを撫でるように風が吹き、ガゼボの周りで咲いていた花が揺れる。
その風に背中を押されるように、私は大きく一歩を踏み出した。
END
お読みいただきありがとうございました。
いくつか投稿しましたが、拙い文章に反応がいただけて嬉しい限りです。
また思いついたら投稿していきます。




