人を破滅させるなら、自分も破滅させられる心づもりでないとね
これより語るは、一つの事件のお話。
されど、ディレイド王国の公爵令嬢たるマルティにとっては、死して尚、忘れられない出来事の記憶だった。
マルティはディレイド王国王太子の婚約者だった。品行方正、才色兼備、精明強幹。それらの賛辞を欲しいままにしていたマルティは、国母足り得る器の主であったが──戦乱の世で、貴族達の権力闘争が激しかったのが災いしたのか。
国外の来賓も多く集う舞踏会で、マルティの一族は国家転覆の冤罪をかけられた。王太子の現婚約者の座についた、とある令嬢一族と、マルティの家と対立していた派閥貴族達の手によって。
彼らの準備は用意周到だった。敵しか居ない中で偽りの汚名を背負わされた彼女の家は、またたくまに破滅へと追いやられた。彼女の請願に関わらず、両親含めた一族のことごとくが断頭台に送られた。将来の王妃候補という立場から、若くして国に多くの貢献を残したマルティはかつての名誉も貴族籍を剥奪され、無一文で路傍に投げ捨てられた──。
全てを失ったマルティは、冬の寒さに凍えながらも誓った。
必ずや、ディレイドの王族を。かの令嬢の一族を。それに与した貴族共を。自分を破滅に追いやったことごとくに報復してやると。
「──君、イイ目をしているね」
そして、時の運は彼女に味方をしていた。
ディレイドの第二王子・ライア。彼とマルティが劇的な出会を果たしたのは、この時だった。
ライアは様々な援助をマルティに施した。快適な寝床つきの住居、十分過ぎる衣服、温かな食事などの衣食住に始まり、マルティと志を共にする同士達の紹介や、マルティの家を追いやった冤罪の証拠集め……マルティに必要なことならば、なんでも手伝ってくれた。
なぜ、そこまで自分に力を貸してくれるのかと、マルティはライアに尋ねたことがある。
彼は今のこの国の在り方に疑問を抱いているのだと語った。長く続く戦から国を生き永らえさせるために国民の命をいたずらに消費し、自分達だけは何としても助かろうとする王族は勿論、それを煽りながら他国と甘い密約を交わす堕落し切った貴族達を正したいのだと。その弁には、確かな熱が宿っていた。
「君は、そんな陰謀に巻き込まれながらも、決してその高貴な志を失わなかった。受けた屈辱を晴らそうと貪欲に燃える君の瞳に、オレは惹かれたんだよ」
そんなことを、彼は照れ臭そうに言っていた。
かくいうマルティも、それにつられて頬を赤く染めたクチだ。
この人とならどこまでも行けるとマルティは強く信じれた。
雌雄の時に向けて、マルティとライアは短くはない年月をかけて準備を進めた。
二人の夢を叶えるために、男と女は手と手を取り合い、ひたすらに邁進した。
──そして今日、マルティは望んでいた大舞台にのぞみ。
彼女はとうとう、自身の夢の先を見ていた。
「おえぇっ」
マルティは吐いた。
恥も外聞もかなぐり捨てて、胃の中のものをべちゃべちゃ嘔吐し、体が示す拒絶反応の赴くままにさせた。
なぜか。
彼女の目の前に、地獄があったからだ。
運悪く現場に居合わせていた衛兵達が心臓を一突きされて死んでいる。あんなに死を望んでいた王太子が腹から真っ二つに割かれている。自分の座を奪った令嬢の皮膚がぐちゅぐちゅと啄まれて血まみれになっている。父と母に罵詈雑言を浴びせていた貴族達が醜い悲鳴を上げながら手足をもがれている……。
そんな殺戮の凶手を振るうのは、四肢を有してこそはいるが、頭や顔がどこなのかは定かでない黒いモヤの自律物体。虚ろな光が目玉みたいに黒の中で蠢いている、黒い毛玉の怪物。
「ぎっ、ひっ」
まだ息があったらしい王太子が体を痙攣させている。千切れた上半身で背をのけぞらせて、飛び出しそうなぐらいに見開かれた目玉がかつての婚約者たるマルティを捉えたかと思えば、彼の口がぱくぱくと魚みたいに動いて──
さくっ!
しかし、そこから音が紡がれることはなかった。
その前に、黒い怪物が彼の頭をシャーベットみたいに削っていたから。
ぷつん、とマルティの中で何かが切れた。
「あああああああああああああああああああああああああっっっ!!!!」
マルティの叫びがディレイドの王座の間に響き渡る。
「どうしたんだい? マルティ。キミが求めていたのはこういうものだったはずだろう?」
それを不思議に思ったのか。
ずっとマルティの隣にずっと居たライアが、優しい声をかけた。
「ど……どう、どうし……?」
彼が何を言っているのかが、今のマルティには分からない。
そうだ。そもそも彼はここ数刻ばかり、ずっと理解に苦しむことを口にしていた。
かつてマルティの家にかけられた罪が冤罪だったと証明されたあたり。より具体的には、自分達の悪事を明るみにされた王太子や貴族達が幼稚な弁解を口にしはじめたところでライアは、
「んー……こんなもんか。この手のタイプの絶望は、そろそろ食傷気味だよ」
今まで聞いたことのなかった軽薄な口調で、そんな失望を零したのだ。
「うん。今回はもういいや。早々にメインディッシュといこう」
彼が懐から何かをを取り出す。言いようのない寒気を感じた黒い液体。それがなみなみとつめられた小瓶。
床に放られた瓶が割れて、黒が床に広がる。それはぶくぶくと泡立ち、またたくまに怪物へと形を変えて、次の瞬間──周囲の者達を襲い始めたのだ。
抵抗は無駄だった。反撃は無意味だった。剣や槍を振るっても、この怪物達は物ともしなかった。恐らくその姿形に違わず、まともな物理攻撃が通じないのだろう。
だからこの場に居た生者達は、あっというまに、生きながらに解体されていった。舞踏会のパーティーで時たま行われていたクッキングショーみたいに丁寧に、ていねいに、誰かの悦楽として、その死に様を貪られた。
その果ての地獄が、今だった。
「フフ。思ったとおりだ。やっぱり、絶望に染まった君の瞳はキレイだね」
地面に片膝をついたライアの手がそっと彼女の頬に添えられる。マルティの目を覗き込む彼の眼には、何重にも渦巻く闇がヘドロみたいに湛えられていた。
「だから、その目をオレにおくれ」
────絶叫があがっている。
耳が潰れるぐらいやかましくて、甲高い。えぐられた両の眼の痕を押さえて、地べたで醜くもがき苦しんでいる……と考えたところで、それが自分のものであることにマルティは遅ればせながら気づいた。
「復讐を誓った連中を血祭りにできたて、本望だったろう? そんなキミの絶望を味わうことが出来て、オレもとても愉しかったよ」
恍惚とした表情を浮かべるライア。もしもマルティの目が見えていたならば、こんな頭のオカシイ状況でも一瞬、見惚れてしまっていたであろうほどに彼は妖艶に笑っていた。つまるところ、その時の彼の言に嘘偽りは一切なかったということだ。
「だからもう十分だ。君の絶望にももう飽きたから、死んでいいよ」
足音が遠ざかっていく。
マルティは必死に手を伸ばすも、その手は届かない。あの日みたいに誰かに取られるなんて、もっとない。当然だ。運命は役目を終えた者には決して傾かないのだから──
怪物が徘徊するフロアに一人取り残された彼女の末路については、語るまでもないだろう。
ディレイド王国の第二王子というガワを脱ぎ捨てて、嗜虐者は城を後にする。そういえば、この男の最期もえらくみっともないものだったなあと思い起こしながら。
散々、他者を貪るように生きていたのに、それが自分にかえってくるとなった途端、どうして多くの人はみっともなく泣き喚くのやら。きっと因果応報とか、天に向かって唾を吐くとか、そういう言葉を知らないのだろう。勿体ないものだ。
悪行に身をやつすなら、相応の覚悟を持って然るべきだろう。そうでなければスリルに欠ける。そんな悦楽はきっと愉しくない。
「さて。ローラシアの王女様やあの彼がやってくる前に雲隠れしないとなあ」
明日の夕飯は何にしようという口ぶりで、男は血塗られた城から去っていった。
その翌日。
一晩のうちに、ディレイド王国の首都が壊滅したという知らせが、世界中にとどろいた。
後の世でいう、世界大戦の真っ只中に起きた惨たらしい事件であり。
同時に、当時あまりに多くありすぎた惨劇の「一つ」として片づけられた、些細な事件だった。
うまい話には裏がある。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ……。
ライア = Liar (嘘つき) なので、当然本名ではありません。クソがよお。
こういう害悪通り過ごした虐殺者共がちらほら居たせいで、大戦が鎮められて数百年たった後も、禍根が残りまくっているというのが、こちら(https://ncode.syosetu.com/n9153ip/24/)の連載で語られていることです。