第5話 再契約
『いいかい、私の可愛い娘、レジーナ。もし万が一、私に何かあったならクラウスとロルフを傍に置きなさい。……時期当主争いに巻き込ませないため王族と形だけの婚約を取り決めているが、もしお前が当主になることを望むのなら時が来れば、地下祭壇に続く扉が開く――』
父の言葉が脳裏に過った。
地下祭壇。
(もしかして『時が来る』というのは魔族の襲撃? それとも真実を知ったことで扉が開いた!?)
ともなればクラウスを救う道が開かれたことになる。
躊躇いはなかった。
大鎌が振り下ろされる瞬間、私は虚数空間ポケットに入れておいた宝石魔導具を放り投げ、即座に魔法防御壁を展開させる。
十、二十以上の半透明の硝子に似た幾何学模様の魔法陣が、大鎌の切っ先を防ぐ。
「小癪な」
大鎌の切っ先に力を入れると、硝子の砕ける音と共に魔法防御壁は崩れていく。そのたびに宝石魔導具を投げた。
大量に宝石を取り出し、ロルフに視線を向ける。
彼は切断された片腕を拾い上げ、自己修復を行っている途中だった。
「ロルフ、数十秒でいいから持ちこたえられる?」
「お嬢のご命令なら、叶えてご覧に入れます」
「クラウスはまだ動ける?」
「勿論です。お嬢様、どうぞ注文を」
「私を地下祭壇まで連れて行って」
「承知しました。我が主人」
クラウスは青白い顔をしていたが、すぐさま転移魔法で地下祭壇へと向かってくれた。
***
空気がひんやりとして、息を吐くだけで肺が凍りそうだ。
地下祭壇の天井は高く真っ暗だったものの来訪者に合わせて照明魔導具が反応し、間隔ごとにオレンジの光が煌々とつき始めた。
真っ白な石畳に存在する祭壇に、青白い光を放ち円状の魔法陣が浮かび上がっている。
その中央には当主の証である指輪があった。
『もしお前が当主になることを望むのなら時が来れば、地下祭壇に続く扉が開く。そこで――指輪をはめて土地神と契約をすることだ。契約に自分に何を差し出せるか。それによって得られるものが変わってくる』
そう父は言っていた。父は持てる全ての半分を渡したと言っていた。
では私が差し出せるものは、何があるだろうか。
何を差し出せば私の家族は守れるのだろう。
「ここから先はお嬢様お一人で向かってください」
「わかったわ」
「お嬢様、信じられないかもしれませんが、私は――自分から望んでこの土地に封じられることを望みました。聖女との賭けに負けたことで多くのものを得たのです」
「そう。……クラウス」
「はい」
「話をしてくれてありがとう」
「いえ。……お嬢様、ご武運を」
(クラウス、貴方はこんな時ですら私の名前を呼んではくれないのね)
クラウスの姿は半透明から霧散して消えていった。
この場所に戻ってきたことで本体に戻ったのだろうか。魔法陣の中には六つの翼を広げた巨大な人型の魔族が私を見下ろしている。
翼を広げただけで凄まじい風が髪を靡かせた。
(あれがクラウスの――本体であり、本来の姿)
真っ黒な長い髪に、石榴色とアメジスト色のオッドアイ、目鼻立ちが整った顔立ち。褐色の肌に、捻れた四つの角、赤黒い法衣を纏った――魔族が漆黒の鎖に繋がれ吐息を吐き出す。
じゃらじゃらと漆黒の鎖が、今も魔族の体に直接打たれている。
これがクラウスの本当の姿。
魔王の弟、エミール・フガング・ヴェルナー・ハイビッヒ。
その存在感にちっぽけな人間の魂はすり潰されそうになる。ああ、出来るのならもう何もかも投げ捨ててベッドに入って眠ってしまいたい。
全てを投げ捨てる――前世の私だったらそうやって逃げたかもしれない。でも、今は――この世界には私の大事な、守りたい家族がいるのだ。
(ここで引き下がったら、逃げ出したら、彼らに顔向けができない!)
精神圧の負荷に耐え、気丈にも微笑んだ。
こういうときに微笑むのだと教えてくれたのはヨハンナだ。
逃げるのなら飛び込めと叩き込んだのはロルフだった。
いつだって背中を押してくれたのは執事長のハンスやウィングス、ティムやレオたち。
「(そして私に試練を差し向ける役は――クラウス、貴方だったわね)……初めまして――エミール閣下……でいいのかしら」
「ああ。我が末端から情報は得ている。……見た目だけはあの聖女の生き写しのようだな。……それで小さな令嬢、お前は我に何を差し出す? 魂の三割、それとも奮発して五割か?」
「全部をあげるわ」
「――なっ」
「この先、そして死んだ後の魂も全部あげる。この土地という封じられた約束からも解き放つ代わりに、新たに二つ私と約束を結び直してほしい」
魔族の双眸が大きく見開いた。
その大きな瞳に私ではない誰かを見ているような気がした。
『いつか貴方を信用して全部を捧げる子が現れるわ、絶対』
ふと優しい女性の声が私の耳に届いた。
振り返るがそこには誰もおらず春風のような、母に似た優しい声が残る。
「ふっ、あははははっはははははははは! ああ、そうだな、聖女。お前の言葉は正しかった。数百年越しだったけれど、それでもこの賭も、お前の勝ちだ――」
(聖女……初代ナイトメア家の当主だった人?)
「それで、小さな令嬢、二つの約束とは?」
「私が伯爵当主を継ぐにあたって、スフェラ領を維持するための協力を執事として惜しまないこと」
「それで全ての封印が解除されるのならいいだろう。もう一つの願いは?」
「私の知っているクラウスを返してちょうだい」
その言葉に、魔族はお腹を抱えて笑い声を上げた。
突風にも似た衝撃に吹き飛ばされそうになる。
「そこまでアレに執心しているとは、ああ、俗に言う『愛』というものか」
「そうよ。クラウスは私の屋敷の大事な家族だもの。居なくなってほしくないわ」
「ん、んん? 恋人としてではなく?」
「そう、家族だもの!」
本当は心から好きで初恋の相手だからこそ契約に当たって、その思いに蓋をした。
彼に全てを差し出す代わりに、私は伯爵家当主になるのだ。
心も魂も全てクラウスに捧げて、残りの人生は伯爵家当主として生きるのだから――甘酸っぱい恋はここに置いていくべきだ。
エミールはそんな私の心を見透かしたかのように、目を輝かせて頷いた。
「断言するか。……まあ、いい。ここに契約はなされた。小さな令嬢、お前の得たものを受け取るがいい」
「――あっ」
いくつも繋がれていた楔が断ち切れ、代わりに中心に落ちていた指輪が鈍色に煌めく。幾重にも紋様が指輪の宝石に刻まれ私の左薬指に納まった。
父の時とは宝石の輝きが異なり、血よりも赤く人を惹きつける輝きを放つそれは五十カラットの指輪だ。
同時に手の甲から光る紋章が刻まれる。
契約の証であり、明確な繋がりを現す。
植物のアイビーに似た蔦が見えたがすぐに消えてしまった。
がちん。
最後の鎖が砕かれ、魔法陣の上に黒の燕尾服を着こなすクラウスが佇んでいた。
以前と異なるのは、彼の頭に四つの角が残っていることだろうか。六つの羽根もいつの間にか消えてしまっている。
「クラウス」
「まさか二つ目にクラウスを望まれるとは、本当にお嬢様は変わっていらっしゃる(まあ、そういう一族だからこそ、私のオモチャ箱であるこの領土での出来事は飽きませんでしたが)」
「復活したなら屋敷に侵入した魔族を八つ裂き――半殺しにするわよ」
「承知しました、私の主人。貴女の命運が尽きるその瞬間まで、お付き合いしましょう」
彼は白い手袋をはめ直し、タイを直した後で優雅に一礼する。
クラウスが消えてしまう危機は去ったが、脅威はまだ去っていないのだから。
次回は明日更新予定ですo(≧∇≦o)(o≧∇≦)o
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