第33話 人間の真似事
クラウスは間の抜けた声を上げた。
ああ、彼はこんな風な顔もできるのね。そう思うと少し胸がスッとした。いつも私を振り回そうとしている彼が、私に振り回されているのは何とも気分がいい。
「貴方は火種と言うけれど、モルガナの一件は彼女が欲張ったことが要因なだけでしょう。貴方のしたことは視点を変えれば、その人にとっての可能性であり希望でもあった」
「お嬢様」
そう絶望の淵に立った者にとって、クラウスの火種を蒔く行為は希望の光に映っただろう。受け取った本人が欲張らずに、身の丈に合った力を使い続ければ破滅とは違う選択肢が得られる可能性だってあったはずだ。
モルガナの件も偽造は違法ではあるが、契約書を盾に好き勝手せずに身の丈に合った生活に止めておけばあんな終わり方はしなかった。
私の契約だってそうだ。
私を殺しに来た魔族が言っていたように、全てが茶番の上に用意された遊戯だったとしても私は自分でこの道を選んで後悔していない。
クラウスは気まぐれだとか、暇潰しと一括りにしてしまうかもしれないが、受け取り方次第で祝福にも変わるかもしれないのだ。
きっと彼は、そのことに気付いていない。
「貴方が蒔いたものを、私が潰すなんて傲慢だと思わない?」
「ですが、それでお嬢様に火の粉が降り注いだら――」
「その時は振り払うまでよ。モルガナのような連中相手なら遠慮する必要も無いでしょう」
「え、あ」
「何を驚いているの? スフェラ領において人道に外れた違法行為は見逃せないけれど、情状酌量の余地がある者を暴き立てて取り立てる気なんてないわ。自分の私利私欲のために他者を虐げ、私の領地を食い物にする連中は別だけれど」
「ああ――本当にお嬢様は最高です!」
ギラギラとした獣のような目に、凄まじい熱量を感じた。
これはクラウスの地雷を踏んだのだろうか。
距離を取ろうとするものの、私の片手は彼の頬に固定されたままだ。接着剤のように全くもって動かせない。
「クラウス」
「はい。なんでしょう、レジーナ様」
「作業、止まっているのだけれど」
「そうでしたね。失礼しました」
手を離してくれたクラウスにホッとしたのも束の間で、がちゃん、と金属音が響く。
心なしか左手が重い。
嫌な予感しかしないのだが、確認しない訳にもいかず視線を落とすと左腕に黒い手錠が見えた。しかも鎖がジャラジャラと付いている。
「………………」
こんなことをする人間は一人しかいない。
「これでよし」とクラウスは自分の右腕に同じ黒い手錠を装着していた。手を伸ばして阻止しようとしたが遅かった。
「これでお揃いですね」
「……そうだけれど、今度は何のつもり?」
また新しい遊びだろうか。本当によくわからない。
彼ほど私を振り回す人はいないだろう。
「これで物理的にも肉体的にもまた一つ、お嬢様との距離が縮まったと言うことです。術式が定着すれば手錠は消えて、私とお嬢様は影を通して行き来ができますし、お嬢様のピンチに私が颯爽と姿を現すことができる優れものです」
「…………今までとあまり変わらないように思うのだけれど。クラウスはいつも神出鬼没でしょう」
「全然違います。それにこれで少しはお嬢様への信頼を回復したいと思っての証です」
ロルフに引き続きクラウスまで、この数日でどんな心境の変化があったのだろう。
ただ何というか人間味を帯びたと言うべきか。正直、何を考えているのかは全く分からないが。
(もしかして新しい遊戯?)
「人を愛するという感覚は初めてですから勝手がよく分かりませんが、先人たちの教えを見習いたいと思っております」
(ん? んんんんん!?)
耳を疑うワードが聞こえたのは、幻聴だろうか。
とりあえず手錠は私の精神的に良くないので外して貰った。
(「外さないと執事職を解雇する」と言ったら、渋々だけど外してくれて良かった)
「……レジーナ様」
「ん?」
クラウスは私の灰色の髪を一房掴むとキスを落とす。あまりにサラッとするので一瞬、何が起こったのか理解出来なかった。
髪へのキスは「その相手を愛おしく思っている」というものだ。
一瞬で悪女の仮面が剥がれ落ちて、頬が熱くなる。
「な、本当に何を考えているの!?」
「おや、愛情表現のつもりでしたが、やはり消極的過ぎましたかね。その愛らしい唇に触れても?」
「ダメよ。そういう冗談は好きじゃないわ」
何を考えてその結論に至ったのか――は、このさいどうでもいい。
今は全力で抵抗しなければ、と本能が叫んでいる。
「冗談ではないのですが……。まあ、お嬢様が眠っている時に何度か触れていますので、今さら許可を取る必要もありませんが」
「あるわ! と言うか寝込みに何をしているのよ!?」
「ふふ、ああ、その顔も子ウサギのようで可愛らしい」
「クラウス!(やっぱり私をからかって楽しんでいるだけね!)」
「ああ、本当に可愛らしい方です」
「クラウスが壊れた!?」
「お嬢、ジャック・ド・フルノーを連れてきたぞ――連れてきました」
言い直しながら部屋に顔を出したのは、ロルフだ。
まだ執事らしい言動には遠いものの、いいタイミングで声をかけてくれた。話を聞くためロルフに客間まで案内を頼んだのだが、何故か腰に手を置かれてエスコートしはじめる。
「ロルフ?」
「お嬢、もしあの道化師に変なことされそうになったら、私の名を呼ぶように。どこにいても駆けつけるからな」
「う、うん?」
抱き寄せて密着させるロルフの圧に負けて頷く。
クラウスに対抗しているのだろうか。
二人が何故張り合っているのか――私が契約を結んでから分からないことばかりが増えていく。





