失意の魔剣士と四人の少女1
「ああん? 引退冒険者だぁ?」
俺がそう答えると、男たちはその視線を俺の足元に向けた。
そして、俺が杖を突いているのに気付くと、馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「はっ、なんだ杖付き。怪我して引退した間抜けか。引っ込んでな、痛い目見るぜ」
「悪いが、そうはいかない。どうにも、おせっかいな性質でね」
俺がそう応えると、三人は顔を見合わせて笑い、そして、いきなりこちらめがけて殴りかかってきた。
「だったら、次は墓ン中に引退してやがれ! 間抜け野郎が!」
言いつつ、先頭の男が俺の顔面目掛けて拳を振り下ろしてきた、のだが。
(……遅い……)
なんと遅いパンチだろうか。
動きは滅茶苦茶、動作は見え見え。
のたくたとしたそれは、トロールのあくびのように間延びしていて、いつまでもやってこない。
まともに相手をするのも馬鹿らしく、俺がその腕を軽く払ってやると、そいつは勝手にバランスを崩し、積み上げられていた木箱に顔面から突っ込んでいった。
「ギャッ!」
「なっ……!? て、てめえ!」
情けない声を上げてそいつは崩れ落ち、慌てた残り二人が挑んでくる。
二番手の、やはり恐ろしく遅いパンチをわずかに顔を逸らして避けると、ハエを追い払うように平手をくれてやる。
バチン、と音がして男の顔に赤い手の後が残り、そいつは吹き飛び、地面を転がった。
「なにっ!?」
それを見ていたもう一人が驚きの声を上げ、慌てた様子で後ずさる。
逃げ出すのかと思ったが、奴は距離を取り、その手をこちらめがけて突き出してきた。
「ちっ、格闘に覚えがあるやつだったか! なら、俺の魔術を食らわせてやるっ……魔力よ、炎となりて我が敵を打ち払え!」
言葉とともに、男の手の先に、拳ほどの大きさの火の塊が生まれ出る。
それを見て、俺は思わず感心してしまった。
「ほう。貴様、見た目によらず、マジックユーザーか」
マジックユーザーとは、複数ある魔術のうち、特に元素魔術という系統を扱う者のことを言う。
元素魔術とは、体内にある魔力を変換し、自然現象を引き起こす術のことを指す。
つまり、炎や氷を生み出し、攻撃や防御に使うことを得意とする者のこと。俺のパーティメンバーだったアニも、そんなマジックユーザーの一人だった。
……もっとも、アニの使う魔術は、たった一撃で城壁を吹き飛ばすレベルで、今目の前の男が使っているチンケなそれとは、比べ物にならなかったが。
「そのすまし顔を、焼いてやるよっ! 食らいやがれッ、≪炎撃≫!」
言葉とともに、男が炎の塊を撃ち出してきた。
炎撃は、高温の炎を飛ばし、敵を攻撃する初歩的な魔術だ。
しかし……これも、やはり遅い。
トロトロと飛んできて、いつまでもやってこない、気の抜けた魔術。
こいつらは本当に、これで戦っているつもりか? 弱すぎる、あまりにも。
これならば、やせ細った、死にかけのゴブリンのほうがまだ手強い。
そんなことを考えながら、俺は手にした杖で、男の放った炎の塊を打った。
すると、それは跳ね返り、撃った本人めがけてまっすぐに飛んでいき。
そして、驚いている奴の髪に取り付いて、激しく燃え上がった。
「えっ!? あっ、ひっ、あっつうううううういい!」
男が絶叫を上げ、火を消そうと必死に地面を転げまわる。
そうして、髪の毛が半分ぐらい燃えたあたりでどうにか火は消え、三人組は恐怖に怯えた顔で立ち上がると、そのまま俺に背を向けて逃げ出した。
「ひっ、ひいっ、やべえ! こいつ、魔法を打ち返しやがった!? ありえねえ!」
「てっ、てめえ、覚えてろよ! 俺たち【正当なる金貨】にたてついて、この街にいられると思うなよっ!」
逃げながらも、なにか負け惜しみを言っている男たち。
なんとも情けない。
あの程度の連中がデカい顔をしているとは、この街のレベルも落ちたものだ。
「やれやれ。……おい、大丈夫か?」
なんにしろ、くだらない争いは終わり、俺は背後の子供を振り返る。
老婆はいつの間にか逃げたようだが、子供の方は呆然とした表情でまだそこに立っていた。
(むっ……)
そこで、ある事に気づく。
少年かと思ったが、赤髪のそいつは、どうやら少女のようだ。
赤色の大きな瞳に、どことなく愛嬌のある顔つき。
身長は低く、年齢はおそらく十二歳ぐらいだろうか。
ほっそりとした体に、ぴっちりとした服を着ていて、体つきはどことなく野生動物の子供のような、しなやかさを感じさせる。
なんにしろ、まだ子供だ。
荒っぽいことをして怖がらせてしまっただろうか。
そう思ったの、だが。
そいつは、しばらく何が起こったのかわからない、といった表情をしていたが、ゆっくりとその顔が怒りに染まっていき。
そして、ついに爆発し、あろうことか俺に対して怒鳴り声を上げたのだ。
「なんだ、お前……悪そうなやつ! なんのつもりだ!」
……悪そうな奴……?
……なんて失礼な奴だ。
初対面の相手に、悪そうなやつ、などと。正直、傷つく。
そりゃ俺はアルのように明るくないし、顔が怖いと言われることもあったが、悪そうな顔をしているつもりは、断じてない。
「なんのつもりだ、と言われてもな。これでも助けたつもりなんだが」
「助けた、だとぉ……!? なんだよ、頼んでもないのに勝手に! あいつらは、俺がぶっ飛ばしてやるつもりだったんだぞ!」
俺、ときたか。
見た目通り、野蛮な性格をしているようだ。
そのまま少女は悔しそうに地面をバンバン蹴ると、ぐっと俺の方を指さして、なおも吠えた。
「ていうか、やっぱりお前怪しい! この街の大人が、俺のことを助けてくれたりするもんか! 俺のことを騙すつもりだな、悪いやつ! そうはいかないぞ!」
「……何を言っているんだ、お前は。俺は……うおっ!?」
どうにかなだめようとするが、その瞬間、少女は野生動物のように跳ね飛び、俺の顔面目掛け、いきなり殴りかかってきた。
それが、先ほどの男どもとは比べ物にならないほど鋭く、さしもの俺も慌てて避ける。
「うそっ!? 俺のパンチが、外れた……いや、かわされた!?」
地面に着地した少女が、驚きの声を上げる。
よほど自信があったのだろう。
……驚いてるのは、こちらなのだが。なぜいきなり殴りかかってくる?
しかし、なるほど。たしかに、今の一撃ならば、先ほどの奴らなど相手にならないだろう。
こいつ……ただの子供ではない。
ちゃんとした、戦闘訓練を重ねている!
「おまえっ! 避けるな!」
「そう言われてもな。黙って殴られてやる謂れはないぞ」
がむしゃらに殴りかかってくる拳を、少しずつ移動しながら避ける。
鋭いとはいえ、意表を突かれなければどうということはない。
初撃には驚かされたが、少女の攻撃は単調で、次に何をしてくるかは読みやすい。
しかし、足が悪くてもこれぐらいならなんてことはない、と思い、続く大ぶりの一撃を避けた、その瞬間。
少女の拳が、俺の背後にあった石壁に当たってしまった。
しまった、少女は拳を傷めてしまったのではないか。
そう心配している俺の目の前で、驚くべきことが起こった。
なんと、厚い石壁にビキビキとひびが入り、そして……轟音とともに、砕け散ったのだ。
「なにっ!?」
信じられん。
石壁はしっかりとした作りで、大人がハンマーで殴ったとしても、簡単には壊れそうにないほど頑丈に見えた。
それを、こんな小柄な少女が、拳で殴り壊すとは!
「あっ! 馬鹿、お前が避けるから、壁を壊しちゃったじゃないか! ごっ、ごめんなさい!」
少女が慌てた様子で叫ぶ。
だが、石壁を破壊するほどの力を、俺に向けていることは気にしていないようだ。
(……危険だな、こいつは。いろんな意味で)
加減も知らず、これほどの力を振り回すとは。
相手を殺してしまうかも、とは考えないのか?
こいつを、このまま放ってはおけない。
「どうやら、お前には教育が必要なようだ。こい。指導してやる」
「なにをっ……! こいつ、まだ調子に乗るのか! ぶっ飛ばしてやる!」
怒り狂った少女が、イノシシのように突進してきて、勢いよく拳を突き出してくる。
何も考えのない、力任せの愚直な一撃。
それを、俺は左手を突き出して、軽く受け止めてやった。
「なっ……!?」
「どうした、何を驚いている。拳を受け止められたのは、初めてか?」
驚愕の表情を浮かべている少女を見下ろし、言ってやる。
すると、少女は屈辱に顔を歪ませ、さらにがむしゃらに拳を放ってきた。
「こんなわけあるかっ! このっ、このぉ!」
「遅い遅い。なんだそれは。それで攻撃しているつもりか? あくびが出るぞ」
左右の連続パンチを、一歩も動かず、左手だけですべて受け止めてやる。
力は強いが、動作は見え見えだ。
「トロ臭い拳だ。お前は壁を殴るしか能がないのか? 動作もバラバラ、隙だらけだ。そらっ、そこのガードが空いているぞ! ここもだ!」
「がっ!? ぐっ!」
少女の防御が甘いところに、加減しつつも、手にした杖をビシビシと叩き込む。
すると少女の顔はみるみる怒りで赤くなり、叫びながら、再び跳び上がった。
「嘘だろ、こんなわけないっ……! このっ、舐めるなぁ!」
俺の顔面を狙う、破れかぶれの一撃。
この期に及んで、さらに大振りをしてくるとは、単細胞め。
俺はヒョイと顔を動かしてそれを避けると、そのまま少女の腕をひっつかんだ。
「あっ!」
「馬鹿め、覚えておけ。窮地の時ほど、小さく振るんだ。少し頭を冷やせ……そら!」
「えっ……うっ、うわあああああああ!?」
言いつつ、勢いよく放り投げてやると、少女は鳥のように宙を飛んでいき、そして運河のど真ん中へと落下した。
どぼん、と巨大な水柱が上がり、慌てて少女が浮かんでくる。
必死に手をばたつかせながら、こちらを睨んでいる少女に、俺は笑みを浮かべて言ってやった。
「自分が強いと勘違いしているから、こういう目に合うんだ。これに懲りたら、力を振りかざすのはやめるんだな」
「ちくしょう、おぼえてろぉーー!!!」
河の流れに運ばれて流れていく少女が、悔しそうに叫ぶのが聞こえる。
やれやれ、元気な奴だ。
まあ、あの調子なら溺れることはあるまい。
「おっと、いかん、時間を使ってしまった。ロベルトのギルドに急がねば」
そうつぶやき、周囲の人間が恐ろしげに見つめてくる中、一人歩き出す。
しかしその時、左手がわずかに傷み、見てみると、少女の拳を受け止め続けたそこは、真っ赤に腫れあがっていた。
(……ふん。本当に、力だけは大した奴だったな)
思わず笑みがこぼれる。
巨人が振り下ろす棍棒を受け止めた時でも、こうはならなかった。
将来が楽しみな奴だ……その前に、無謀ゆえに死ななければ、だが。
まあ、この街にいれば、また会うこともあるだろう。
そんなことを考えつつ、俺は歩を進めた。