第八話 ー インド(3)
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インド(3) ―
北インドに位置するアグラに早朝到着。旅の途中で出会った旅行者から必ず見たほうがいいと言われていたのがタージマハルというお墓だ。
大楼門をくぐり抜けると庭園と泉池を有した総大理石の建物が真正面に見える。一見すると宮殿と見間違えするほどの美しい白亜のこの墓廟に魅了されるが、シャー・ジャハーンというムガール帝国の皇帝が愛妃ムムターズ・マハルを偲んで造らしたもの。この妃は夫と戦場に赴いて14人目の子どもを産み、その後、経過が思わしくなく36歳で他界したが、その時の遺言に「私のために世界で一番綺麗なお墓を造って下さい」と。その後、22年という長い年月を掛けて完成をみたのがこのタージマハルだ。
タージマハル - 宮殿ではなく実は、霊廟
タージマハルに近づいて壁を見るとレリーフや象嵌細工がかなり凝ったものであることがわかる。これらアラベスク模様を眺めているとインド人が英語で話し掛けてきた。
「今、映画のロケ中なのだけど、ツーリスト役を頼んでもいいかい?」
「映画の撮影? オッケー」と別に断る理由も見つからないので、引き受ける。
「オッケーだね。じゃあ、建物の中に入ろう」
内部はというと外側の壁で見たようにあらゆるところにアラベスクが施してある。彼は私を二つの棺の前に連れて行って説明する。
「俳優が74歳の皇帝ジャハーンの役を、女優が妃のマハルを演じる。ジャハーンは1666年に亡くなったのだけど、妻のマハルに会いに来る」
「1666年に?」と私は首を傾げた。
「そうだ。アグラ城からやってくるんだけど、君は妃の姿は見えないし、会話があっても気付かないというふうに演技して欲しいんだ。皇帝ジャハーンは息子によってアグラ城内に7年間、幽閉された。妻恋しさに死後、ここにやって来るんだよ」と彼は言い足す。
夢物語にしては滑稽だと思うが、一応、ストーリーは呑み込めた。スタッフが入れ替わり立ち代わり傍らを往来する。照明が設置され、映像カメラマンやマイク持ちも近くにやってくる。
「アクション!」と屋内に響く声。
私は急に緊張する羽目になる。そうするとどこからともなく、可愛い系の美人と言うのであろうか、純粋無垢という感じの女性が現れ出る。彼女は小さいほうの棺の前に立って誰かを待っている様子。私は近くを通り過ぎるが彼女は気付かない。暫くして白髪の紳士然とした老人が現れる。彼は大きいほうの棺の前まできて、はたと歩みを止める。
「カット!」と大きな声。
先ほど私を誘導した彼が再び、やってきた。
「ありがとう。撮影はうまく行ったよ」
もう終わったのかとあっけにとられたが、ともかくほっとして出入り口を見遣ると観光客が相も変わらず忙しく行き来しているし、ロケのスタッフもいつの間にか消え失せていた。
私はその日のうちにイスラム教国、パキスタンへと急いで向かうのだった。