第七話 ー インド(2)
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インド(2) ―
ヴァラナシ(ベナレスとも言う)はヒンドゥー教徒の聖地だ。ガンジス川で沐浴する人たちを見ることができる。ガート(階段状の親水施設)に着くとこの川はどす黒く濁っているのがよくわかる。川の中央に牛の死体が漂い、岸辺には半分腐敗した牛がプカプカ浮いている。その近くで老若男女が川に足を浸けたり、歯ブラシで歯を磨いたり、肩までザブッと浸かったりしている。幼い時からこういった環境に慣れ、風習に倣っておれば、抗体ができるであろうが、私はこの光景を見て川に近づくのもためらってしまった。
ヴァラナシ ガンジス川で沐浴する人々
私が宿泊したところは安ホテルで、そこにも日本人がいた。すぐに親しくなって、2、3日後、彼は映画を一緒に見に行かないかと尋ねる。「言葉がわからなくても楽しめるよ。インドの映画は踊りと歌がほとんどだ」と。一度行くと病みつきになる。面白くて3、4回は見に行った。現在ではハリウッドならぬボリウッドと名が知られるようになったが、当時も今と変わらず、歌と踊りの娯楽映画と言って差し支えないだろう。
「明日、サルナートに旅立つよ。サルナートはここから北へ10キロ程行ったところ。そこでお釈迦さんが初転法輪をしたんだ」と先の日本人が言う。
「初転法輪?」
「釈尊が初めて仏教の教義を人びとに説いたのをそのように言うんだ。サルナートは鹿野苑とも言われてる」
「へえ、詳しいんだね」
「ガイドブックにそう書いてある」と彼は笑いこけて、「一緒に来る?」と誘う。
「いや、遠慮するよ。からだの調子がいまいちなんだ」
彼は翌日、別れの挨拶をして旅立った。
インドの5月下旬はまだ暑い。日中の気温は40度を超えている。ホテルでは料理ができない。外食はと言うと辛いものが殆どで辛くないものを探すのが大変だ。熱暑で神経には障るし、又、食べなければ衰弱の一途を辿る。ネパール以来の下痢が再発し、私は一時、クリシュナ寺院に身を寄せた。食べ物はタダ。カレーが出てくると日本のカレーの色とは程遠い灰色だ。辛子が相当効いているので辛くて半分はいつも残す羽目になる。その後は下痢。正露丸の粒の数が日増しに多くなってゆく。6、7錠辺りになると今度は便秘でからだの調子がおかしい。3日後、再び、酷い下痢に見舞われる。こういった状態が続いたので、ゆっくりとした療養もかなわず、次の目的地、アグラへと旅支度を始めた。