第六話 ー インド
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インド ―
インドと言えば、魂のふるさと、悠久の大地、古い歴史と数多くの遺跡、これら全ての魅力をひとことで言い表されない。人物はと言うと、ゴータマ・シッダールタ、ガンジ―、ネルー首相、詩聖タゴールが思い浮かんでくる。シッダールタは一般に「釈迦」の名前で知られる。仏教の開祖であり人間の一生は生老病死、宇宙は成住壊空の繰り返しと説く。ガンジーは非暴力主義者であり惜しむらくは凶弾に倒れたことだ。
もう半世紀近く前の訪印なので、私はどこをどう旅行したのかはっきり記憶にないが、インド滞在は一カ月に及ぶ。しかし、次の3つの場所はなぜかよく覚えている。ブダガヤ、ヴァラナシ、アグラだ。順次、追ってみよう。
インド ホーリー(春祭)
ネパールからインドの空港に降り立った途端、熱暑を感じる。リムジンバスでニューデリーに向かう。近代的な建物が立ち並んでいて欧州となんら変わらないが、オールドデリーは旧市街地で古い建物が多い。私はからだが不調なこともあってここデリーでは半日の観光のみ。3日後、鉄道とバスを利用して、おおよそ千キロを走行しインドの東の方に位置するブダガヤに行く。
ここは釈尊が悟りを開いたという菩提樹があるところだ。しかし、往時の菩提樹は枯れて他のところから運んできた菩提樹に植え替えられたという。ホテルはというと安宿だが、若い日本人旅行者がよく利用するようで、溜まり場的な雰囲気を醸し出している。私が着いた時には既に十数人の日本人客が寝泊りしていた。この宿泊客の中に20代後半と思われるカップルがいて、女性は目のクリクリした美人顔。話すと自分のことを「僕」と言う。これを初めて聞いた時は面食ったが、話し続けると慣れて来るものだ。後の話になるが、ブダガヤを離れて1年くらいして、私たちはパリの地下鉄で突然出会うことになる。まるでフランスからインドにワープしたかのようで、私たちはしばし呆然と向かい合った。
当ホテルは雑草の生えた大きな広場の前にポツンと一軒あるのだが、お釈迦さんが悟りを開いたという菩提樹はこの広場の端にあった。今はこの菩提樹を柵が取り囲んでいるが、当時はなかった。又、お寺は目立たなかったのか、付近にあったという記憶がない。ところで、ブダガヤを訪れて以来、次の二つの疑問がずっと頭にこびり付いて離れない。お釈迦さんはなぜ苦行を止めて少女の差し出した乳粥を飲んだのだろうか。又、なぜ悟りを開くのに樹の下でなければならなかったのだろうか。
ある夜、ホテルの明かりを目指して歩いていると前方1メートルぐらいのところでやにわに女性が立ち上がる。用を足していたようだが、その周りに2、3人の子供の姿が浮かび上がる。まさか私が真正面に歩いてくるとは思わなかったのであろう。それほどこの辺りは真っ暗闇なのだ。
インドでは時間がかたつむりの速度で進む。このことに関しては面白い話がある。ある日本人がインド人と約束の時間と場所を決めた。しかし、待てど暮らせどそのインド人は姿を現さない。しびれを切らしたこの日本人は仕方がないのでホテルに戻る。すると、約束の時間から8時間後に当のインド人から電話があった。
「ミスター、あなたを探したけどどこにもいない」
「どこにもいないって、約束の時間をとうに8時間も過ぎてるよ」と日本人。
「ああ、時間に遅れた」とインド人。
「1時間は待ったけど、酷いじゃないか!」と日本人は怒り始める。
「えっ、今日中にちゃんと着いたろ? だから約束は守ったよ」と。
笑うに笑えない話であるが、このように時間の概念、感覚が日本人とインド人とでは全く異なるのだ。
ブダガヤでは地上の薄明かりと満天に散りばめられた星々の光、風に揺らぐ木の葉の囁き、時折り聞こえる泊り客の笑い声に私は癒されんばかりである。胃腸の回復の兆しが見え始めたのを機に、ヴァラナシへ近いうち、旅立つことに決めた。