第二話 ー タイ国
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タイ国 ー
香港で2泊してタイ国へと向かう。首都バンコックでは日本で知り合ったタイ人の友人が迎えてくれた。彼の家には母親と妹がいるので寝食は共にできないが、学生の多い安全な宿屋を探してくれて、その後の10日間の滞在を容易にした。妹さんは学生で時間もあるので観光案内役を買ってくれるとのこと。
4月の半ばを過ぎた都会のバンコックは気候もあろうが、車の往来が激しいので、二酸化炭素の排出量も多いのか、とても暑い。冷房完備の茶店を探し出して、一日に幾たびか行ってからだを冷やす。妹さんと約束をして、市内の外れにあるストゥ―パ(卒塔婆)を見学した。このストゥ―パはタイ国内のあちこちにある。旅行者ということもあって現地の事情に疎いのでタイ人の彼女がいると心強い。中心街を抜けると暑さは和らいで、空気も新鮮な香りがして心地よい。見物したストゥ―パはさほど損傷もなく、色とりどりなのだが、ケバケバしているという印象を私に与える。彼女と記念写真と洒落込んだり、はしゃいだりして、楽しい一日を過ごした。
アユタヤ遺跡 菩提樹の根に挟まった仏頭
私の友人は日曜日にアユタヤ遺跡巡りを提案する。車で二時間程の距離。現地に到着すると遺跡がまとまってあるわけでもなく、あちらこちらと長い距離を移動しなければならない。「ホラ、あそこで人が根っこの間から覗いているよ」と私。「人でなくて仏頭だ」と彼は応える。「へえ、子供がふざけて根っこに頭を押し込んだのかな?」と言うと、「違う。仏の頭が転がり落ちて幾世紀も掛け、木の根っこが頭を押し上げて、あのような形になったんだよ。でも、そのように聞いている話しだけどね」と。又、ここには日本人町があって、今は古びて何もないが、山田長政と言えばこちらではちょっと知られているサムライだと彼は説明してくれる。このサムライは戦国時代の日本で生まれ、堺の商人・呂宋助左衛門と同時代の人だ。当時、朱印船貿易が盛んだった。
やがて暗くなってきたので、その日の観光はこれで終わりにして帰路に就いた。