第十五話 ー トルコ
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トルコ ―
バスはイランとトルコの国境に差し掛かる。イラン出国の際は聞くところによると、麻薬所持者には厳しい罰則が課されると。悪くすると死刑に処せられる。だから、手荷物の検査は厳しいものであろうと想像していたが、予想外に簡単であった。トルコに入国する際もスムーズに行った。いよいよヨーロッパとアジアの、そして、キリスト教とイスラム教の接点の国を横断することになる。最終目的地であるイスタンブールまでアト1000キロの地点で2回目の野宿。北に真っすぐ進むと「黒海」がある。夜が明けて早朝、出発。
イスタンブール着。この都会はボスポラス海峡を挟んでヨーロッパ・アジア両岸にまたがっている。バス同乗の日本人仲間とフェリーで公官庁が集中しているヨーロッパ側のイスタンブールに。それから、ホテル探し。4人用の部屋しかなく、安いホテルなので仕方がないかという具合で、少し落ち着いてからガラタ橋へ。夜も遅くなったので、ホテルに戻ると二人のヨーロッパ系の若い旅行者と相部屋になる。明朝、私たちはブルー・モスク(正式名はスルタンアーメット寺院)へ向かう。綺麗な寺院だ。入場の際、靴を脱がなければならないが、そのまま中へ持って入れた(今はビニール袋で靴を包んで脱がずに鑑賞できるようだ)。他に面白かったのはトルコ式のトイレで、個室内には水道の蛇口と水汲み用の小さなバケツが備え付けられている。これは手で局所を洗浄したり、排泄物を流すためのものだ。
イスタンブールのパノラマビュー ブルー・モスク(右に見える大きな建物)
トルコ風呂も興味深い。相棒と一緒に行くとキレイなお姐さんと思いきやプロレスラーまがいの三助さんがいて洗ってくれるが、洗ってくれるというよりも垢をむいてくれると言ったほうがよい。トルコには1週間以上滞在したが、私は鉄道でイスタンブール急行を使ってドイツのミュンヘンにまもなく向かう。相棒はかねてからトロイの遺跡を見たいと言っていたので、トルコ観光はまだ続けるそうだ。
それから、トルコは親日家が多いのにびっくりした。これには歴史的な背景があって小話を一つ。トルコのエルトゥールル号が日本と繋がりを作るため、1889年に出港。明治天皇にトルコからのプレゼントを届けた。しかし、帰りに強風によって沈没。その時、和歌山の串本町の住民がトルコ人を助けて食料などを分け合い、皆が祖国に帰るまで世話をした。その後、1985年にイラン・イラク戦争が勃発した折り、日本に感謝しているトルコは、イランに残された日本人215名をトルコ航空の飛行機で迎えに行った。このようにしてトルコ人は日本に恩返しをした。




