オマエヲクッタ
「なぁ……、これってマジヤバじゃね?」
「あぁ、本気でヤバいやつだと思う……」
じゃり じゃやり じゃりり
二人の歩く音だけが反響する。湿り気を帯びた闇。
光など手元のスマホ以外にない。スマホの画面に見るバッテリー残量は62% 余裕がないわけじゃない。だけれど不安に駆られてライト機能を消し、今は画面の仄かな明かりだけを頼りにしていた。
トンネルというよりは洞窟。荒々しく削られた壁面の陰影が不安を搔き立てる。
なんでこんなところに入ろうと思ったんだ、僕は。
他愛もない、誰かの話題の提供だった。
大学サークルの仲のいい数人と話している最中に、まぁよくあるネタの一つ。
『大学の先の道にあるあれ、県境の廃線になった鉄道のトンネル。
あそこって出るんだってよ』
こんなの、ちょっと女子と距離を縮めるためのツールの一つに過ぎない。一過性の、日常的イベントの一つぐらいのものでしかない。そんなノリで誰かが一言、何気ない感じで言葉を投げかけた。
『じゃあさ! 今から行かね?』
『いいねぇ! 退屈してたっしさ、刺激たんなくね? 最近!
いいじゃん!』
ノリとその場の勢い。噂の真偽なんて二の次。
とはいえ、そんな暇つぶしに付き合おうなんてバカな奴は2~3人がいいところ。プラスその場の勢いに逆らえず曖昧に返事し、気が付けば賛成派に回される数人。そして
『え~~~、あたしこれからバイトだし!』
『そういうのは、ちょっと……』
『いやいやいや、ヤバくないっすか?』
否定派の出現。
そんなものは、この場の勢いを増すための効果音に過ぎない。反応した時点で加勢してるのと同じ。
結局、肝試しの割には車二台に満載で行くツアー。
大学を出発したところで、ちゃっかり助手席に乗ったアスナが僕に聞こえる程度の声で言った。
「タケザワ先輩……、これってマジにヤバくないですか?」
「……、まぁあれじゃね? 何にもないって。
そういうオチだよ。」
これは自分に言い聞かせた言葉だったろうか。
もう少しで噂のトンネルに近づこうかというところで、先を走っていた1台が停まり、側道へと寄せた。乗っていた女子の一人が車酔いしたとかいう話だった。
当然に、こういう流れになってくると同情に便乗して数人が帰る話になる。当たり前の流れ。
そして当初の目的外の目的、実際のところ本来の目的へと誘導する奴も現れる。これも自然な流れ。
もうさっさと帰りたい派と
『せっかくなんだしさぁ、焼肉でも食って帰らね? 腹減ったじゃん!』
妥協案に見せかけて、イベントを続行する派。
目的は違えど、行動の方向性は一致。当然に、僕ら「仮称)トンネルの亡霊を探す会」は解散という流れ。引き返すということでは一致している。二次会の人数は想像してるより少ないとは思うけど。
『具合悪くなった人は無理しないで帰った方がいいよ。くだらない暇つぶしなんだし。』
この言葉は肯定なのか否定なのか。
『せっかくここまで来たってのもあるしなぁ。』
なんだ? 誰が続行を希望しているんだ? この空気読めないのかよ。
『はいはい、いつもの焼肉屋ね!
先に行ってろよ! 土産話持ってくからさ!』
結局のところ「帰る派」と「帰りを待つ体で焼肉屋でダベる(本来の目的)派、
そしてどういうわけかトンネルへと向かう三つの派に分かれ、二台の車は進行方向を真逆とした。
前と後ろ、つまり前進と後退。過去と未来。いったいどっちがどっちだか。
僕は軽くハンドルを握り、ハイビームで照らす何もない夜道の先をぼやっと見ていた。
「ねぇ、タケザワ先輩。
……引き返しましょうよ。」
「なんだよアスナ、トイレにでも行きたくなったか?」
僕は彼女の言葉を軽い冗談で茶化す。
後部座席からは僕らの話など気にも留めていない、興味本位で付いてきた隠れカップルがいい雰囲気になっている。人の車でイチャつくなよな。
んま、「隠れ」という冠詞で考えれば僕らもそうだったけれども。
「そうじゃないですけど……」
「まぁ、ちゃっちゃと見たら、適当に盛って話せばいいじゃね?
話題作りみたいなもんだって。こんなの。」
言ってて自分の言葉に思えない。見栄か虚勢か。
結局、トンネルの先へは僕と友達の二人だけで入ることになった。
興味本位でついてきた奴らにしたって、この老朽化したトンネルの入り口を見たら昼間だって(物理的な危険を考えてみても)入りたいとは思わないだろう。
だけれど僕は、ここまで来た使命感なのか土産話のリアリティを求めてなのか、入る選択をした。
「先輩……」
僕らはスマホの明かりを頼りに、トンネル内へ二人だけで進んだ。
なんとなくアスナの声に後ろ髪をひかれる思いだったが、トンネルに入ってある程度の結論を出さないと、ここまで来た意味がない気がした。
トンネルの中は薄暗い、
そう思ったのは入ってから十数歩ぐらいなもので、その先は完全な闇だった。
湿気か地下水か、時折、
落ちる雫の音。そして僕らの足音と微かな息遣いだけが漆黒の中に響いた。
不思議だ。暗闇に身を置くと、僕の四肢、身体。そういう物理的な存在証明が損なわれ、ふわふわとした感覚に襲われる。まるで僕という存在が、もうすでに無くなったかのように。
逆に精神的なもの、神経系統だけが研ぎ澄まされる。視覚、聴覚、嗅覚。そしてそれ以外の器官から感じる何か。数メートルに満たない視野とその先の何もかにも飲み込むような闇。足元から聞こえる靴裏からなる音、そして息遣いと心音。黴臭い匂い。皮膚感覚でわかるヤバいってやつ。
そもそもこの先に出口はあるのだろうか。ゴールは存在するのだろうか。
「なぁ……。」
「なに?」
異様なほどに声が反響する。まるで自分の声じゃないかのように。
「そろそろ引き返した方がよくね?」
「……、うん。」
「どこまで行けば終わりかわかんねぇよ、これ。」
「僕もそう思ってた。」
その瞬間に何か、うまく表現できない何かが頭の中をよぎる。何だ、この違和感は。なんで僕はしゃべっているんだ?
「つかさぁ……、お前……
いや、名前さ……、なんだっけ?」
「は? 何言ってんの?
やめろよ! そういうの……、こんなところで。
まじビビるじゃん!」
「いや、……すまん。」
誰だっけ? 隣にいる奴。名前が出てこない。誰だっけ?
友達……、友達というか同じサークルの奴。名前が出てこない新人は、確かに他にもいる。
でもなんだ。なんで一緒に入った奴なのに。
ここまで一緒だったのに。
隣の奴の手元をちらりと見る。
見覚えがある。そのスマホ。いやそのスマホケース。
当然だ。だってそのスマホケースはアスナと……
歩む速度が遅くなっていき、そして僕はとうとう立ち止まった。
「なぁ……
もう引き返そう。」
足元を照らしていたスマホの明かりを、隣の奴に向ける。
「てゆうかさ、お前こそ誰だよ?」
スマホの頼りない明りに照らされた「隣の奴」が僕に問う。
薄闇の中に浮かぶ奴の顔は見覚えがあった。薄れゆく記憶を必死に手繰り寄せる。
だけれど、誰だっけ? 名前はなんだっけ?
いやそれよりも……
僕は誰だっけ? 名前は? なんで自分の名前が出てこない。なんで言えない。
自分の名前なのに……
「僕は……」
「僕の名前はタケザワだよ。」
「え……?」
仄かな明かりに照らされたタケザワと名乗る男が呆れたように、それでも優しく、そして憐れみを含んで微笑む。
見覚えがある顔。見覚えのあるその微笑。そしてその声。
当然じゃないか。お前は……
アスナとおそろいで買ったスマホケース、そこから漏れる光に僕は照らされた。
「んじゃ、次の人が来るの待っていてくれよな?
適度に噂は流しておくからさ!」
「あ……………」
タケザワがゆっくりとした足取りで引き返していく。
僕はここで……、僕は誰かを……
「先輩っ! 大丈夫でした?」
「ん、ごめんごめん。待たせて。
なんともないよ。」
僕は駆けよってきたアスナの頭を撫でる。
他の二人は車の中かな? こんなところまできて楽しそうだこと。
んま、恋仲ならどこに居たってラブロマンスなんだろうけれどもさ。
「も~、心配したんですからね?
ちょっと見てくるなんて言って、ぱぱっと入って行っちゃうから!」
「ハハハ。
んま、こういうのはすぐ終わらせたいじゃん。」
僕はアスナに微笑み返し、車へと乗り込む。
ちょっと不満そうにしながらもアスナが助手席に乗った。ルームミラー越しに後ろの二人を見る。吊り橋効果ってやつ? トンネルに入ってないのにお安い効果だこと。彼氏が彼女の肩を抱きしめながら強がりな言葉で僕を迎える。
「なぁ、なんかいた?」
彼氏君、名前はなんだっけ? ……、まぁいいや。
「いないって!
あ~、でもこの場合は居たって言った方がいいのかな?」
「え~! ヤバいってヤバいって! 早く帰ろ?」
うん、彼女さんはあれだねぇ。早く二人っきりになりたい感じかな?
いいねぇ、生存本能からのアレって!
「いやほんと、早く戻って焼肉食べたいよ、僕は。」
エンジンをかけ、ハンドルを切り車をトンネルから反転させる。
「ねぇ、先輩……
トンネルの奥、何かいました?」
「ん?
あぁ、崩落しててさ。先には進めない感じだったよ、あそこは。
そこの手前に朽ちかけた祠があっただけかな。」
「その……、大丈夫だったんですよね?」
「ふふっ。
まぁ新しい贄を捧げたし、しばらくは大丈夫なんじゃない?」
「ニエ?」
「久しぶりに焼肉が食べたいってことだよ!」
「も~、先週食べに行ったばかりじゃないですか。」
「そうだっけ?
でもま、僕にとっては長年待った感じなんだよね。」
ちょっと赤らむアスナの横顔をちらりと見て僕は微笑む。
本当に久しぶりだ、この感覚は。
アクセルを踏み、街明かりの煌めく街へと急ぐ。
「ほんと、先輩が一人でどんどん入っていくから心配したんですからね?」
「うん、ごめんって。」
あぁ、ほんと。
君が来てくれてよかったよ。タケザワ君。