ep4
パソコンのタイプ音が、心地の良いリズムで部屋に響いている。
そのキーボードを叩いている老人が、嗄れた声で徐に口を開く。
「目が覚めたか」
その声の向かう先は片目を無くした死神。彼だった。
薄暗い部屋の中で、そっと死神は目を開く。彼の狭い視界の中には、その言葉を発したであろう老人が、彼の前にあるディスプレイからの光に照らされて、薄気味悪く映っていた。
その老人の髪は殆ど白く染まり、顔には深い皺が多く見える。
部屋の暗さも相まってか歳は80を軽く越えているような様子だ。
しかし、その見た目と相反して、彼のキーボードを叩く手の、指の動きには一切の迷い、乱れが見えない。
毎日のようにキーボードを打っているような若い人よりも、格段に早い速度で、何よりも一切のミス無く、何かを打ち続けている。
死神の頭には様々な疑問が浮かんでいるだろう。死にかけて起きたら、全く知らない場所にいたら、誰でも混乱する。しかし、彼の場合は混乱ではなく、疑問を問う順番を考えていた。
「死神は、死から拒まれたか。ここは安全な場所じゃて、ゆっくりとその頭を綺麗にするといい」
手を止めることなく、ゆったりとした口調で老人は語りかける。
「ここは、どこです」
「儂が所有するビルの一室じゃ、ここには不思議な奴らが住み着く。主を無くした名無やら、社会から弾かれた者がな。お前さんもそのうち会えるじゃろう」
「貴方は……」
「儂も同じじゃ。この大きな社会のはみ出しもの。いや、はみ出しものならまだいいか。そうじゃな、膿みたいなものよ。健全な社会は儂に、居場所すらないと説く、そんな存在じゃ」
「いや、貴方は私を助けてくれた。私にとっては、少なからず恩人にあたる」
「ふむ。物事は常に1つしかない。しかし、それを見る視点は人の数程存在する。その視点、忘れるでないぞ」
「ああ……なんて呼べばいい」
「儂には名前は無い。これといって呼び名も無いが、確かにないと困ろう。このビルの者は儂を、大家と呼ぶよ。ふ……今の儂にとってはピッタリかものう」
「大家、わかった」
確認するように、その名を改めて呼び、頷く死神に向けて大家は更に話を続ける。
「そうじゃ、お前さん。2つ、話しておくことがある」
「……なんだ」
「そう気張るな。大したことは無い。1つ目はお前さんの目の事じゃ」
「あ、あぁ。情けない」
「儂がお前さんを見つけた時には、もうその目は無かったのでな、代わりに儂の義眼、心眼を入れておいた。儂にはもう不必要な代物でな」
「ただの義眼では無いのか……その心眼は」
死神は無くした方の目を、手で確認するように静かになぞりながらそう尋ねる。
「あぁ。物を見るってのは、光を見ることと同義じゃ。その心眼は闇をみる。お前さんの残った眼では見れぬものじゃろう」
「闇を、みる」
「そのうち嫌でもわかる。少しでも主探しの役に立たせれば、それでいい。その眼で疑問が出来たら儂の所を尋ねるといい」
「分かった……何故、大家、貴方が主を知っている」
「そう生きた視線を向けるでない。ゆっくりと話そうぞ」
「……すまない。主の事となるとどうも」
「名無とはそういう生き物じゃ、そこには何も言うまい。して、話の続きじゃが。お前さんの主は生きておる。だからこのビルの一室、そこをお前さんが使うといい」
「いいのか、そんなに良くしてもらって」
「なに、無料でとは言っておらんよ。ここの家賃は儂の仕事の手伝いじゃ。なに、普通の名無の仕事と思えばいい。お前には、お前さんの主に近ずける仕事を回してやる。それでどうじゃ」
「それは、私にとっては願ったりだ。是非、お願いしたい」
「決まりじゃな。この鍵に書いてある部屋を使うといい。また何か分かったらお前さんに話そう」
「何から何まで、ありがとう」
「いいや、構わんよ。ほれ、さっさと行け」
大家に促され死神は自らの部屋へと向かった。
死神が大家の部屋から出ていった時、ボソリと大家は呟いた。深い溜息と共に。
「儂は、全てが見えていると思っていた。そのせいで主を無くした。死神、お前さんなら、見えて尚、全てを取り戻せるかもな」
なるべく1日1話進められるように頑張っていきたいと、思っております。
ガッツリ会話オンリーですみません