1.不審な二人
多くの人々が列を作り、トルーデンの街の象徴である石像に祈りを捧げている。彼らは熱心に祈りを捧げた後、神官の持つ寄進箱に幾枚かの銅貨――時には銀貨を入れて帰っていく。
その光景を広場の端から眺める二人組がいた。一人は濃い鋼色の髪と瞳もつ筋骨隆々とした長身の若者。もう一人は外套のフードで顔を隠しているが、線の細さや雰囲気から女性だろう。
二人の視線は人々の頭上を越えて真っすぐに石像へと注がれている。大剣を地面に突き立て、遠くを見据える鎧姿の麗人。魔王討伐を成し遂げた勇者リノアリアを模った石像だ。
聖堂教会の伝える『正しき神』がこの世界を創造し、数多の命を芽吹かせ、尽きる事のない恩恵で満たした。その正しき神に逆らいその座を奪わんとしたのが『悪しき神』。『悪しき神』はその呪いより魔人族を生み出し、『正しき神』の産み落とした人類と戦わせ、強靭な肉体と闘争を好む獰猛さを与えられた『魔人族』は多くの命を奪った。
『正しき神』がその子らを守る為に『聖剣』を与えれば、『悪しき神』は力の源となる『角』を魔人族に与えた。
『正しき神』と『悪しき神』、それぞれの子である人類と魔人族は終わる事のない争いを続け、幾星霜の時が流れた。
そして数十年前、人の住まう地に『魔王』を名乗る魔人が現れた。人類を襲う魔人の口から時折語られる事があっても、その姿を見た者は誰もいなかった魔人族の王。
突如として人間の土地を侵略した『魔王』に『聖剣』を賜った数多くの『勇者』が挑み、犠牲を払って追い返すも、再び『魔王』は現われた。追い返しても追い返しても『魔王』は現われ、戦場となった地は荒れ果て、傷を負い住処を失う者があふれかえった。
数えきれない『魔王』との戦いの中で常に先頭に立ち『聖剣』を振るい続けたのが聖導教会にその剣を捧げた『勇者』リノアリア。両者の戦いは回を重ねる事に激しさを増し、十数度の対決の末、ついにリノアリアは『魔王』と相討った。
それが世に語られる勇者の中の『勇者』リノアリアの物語。ホウランド王国の南端に位置するこのトルーデンの街は『勇者』リノアリアの故郷なのだ。
◆◇◆◇
「……似ていないな」
「そうでしょうね。これはリノアリアの偶像だもの」
どこか楽し気な男のボヤキに、こちらは心底うんざりしている風な女の声が応える。
「リノアリアの功績を利用しやすくするための、都合の良い既成事実。リノアリアはこのような女性だった。リノアリアはこの地に生を受けた。リノアリアはこのように語った。ここにあるのはそんな紛いものばかり。ただ一つ本物の遺髪さえ、家族から買い取ったものよ」
応える女の声は冷ややかで、言葉を重ねる毎に棘を増していく。
『勇者』リノアリアが『魔王』を討ったのがおよそ40年前。彼女の生まれ故郷とされるトルーデンの街では聖導教会の神殿が建て直され、彼女を模った石像を中心に祈りや集会用の広場も作られた。そうして多くの巡礼者、観光客がトルーデンの街を訪れるようになり、辺境国家の田舎都市は巡礼地として生まれ変わった。
魔獣の生息域を多く抱え、魔獣の脅威と戦いながら魔獣を狩って糧を得る。この地で生まれた者はこの地で戦い、この地で死んで土に還る。
何百年と続いたその生活は大きく変わり、現在のトルーデンの街では聖導教会に属するほぼすべての国から多種多様な民族が訪れ、ひしめき合う混沌とした活気を得ている。彼らが寄進として収めた財貨がどのような使われ方をしているのかは、一部の神官の緩み切った肥満体と華美な装飾品でうかがい知ることができた。
「なるほど、『見る価値がない、見ればそれが分かる』と言っていたのはこういう事か」
「このやり方が気に入らないのなら好きにしていいのよ?」
「焚きつけるな。俺はそこまで短慮ではない」
女の声は冷え冷えとした毒を孕み、男は下手くそな大道芸を楽しむような陽気さ。どちらも目の前の光景を批判しながら、その態度は対照的だ。
「もしリノアがこれを見たら、一体どうするのかしら」
「神官どもの尻を蹴りあげ、細かい事は笑い飛ばすのではないか? 後は照れ隠しで石像を叩き壊したかも知れん。そういう可愛げもあった」
「理解者気取り? アナタのそういうところ、すごく腹が立つわ」
女は鬱々とした感情を受け流されて矛先を若者に向けた。
「すまない。街中で魔法を撃ち込むのは勘弁してくれ」
「――っ!!」
どこまでも暖簾に腕押しな男の態度についに女が激昂しかけるが、寸でのところで踏みとどまる。先ほどから二人を訝しげに見ていた衛兵が、とうとう持ち場を離れて近づいて来たからだ。
「行きましょう」
衛兵に追いつかれないように、けれど人目を引かないように人込みに紛れ込みながら二人は会話を続ける。
「リノアの生まれた村なら、明日の朝早くに出れば日暮れに間に合うけれど」
「そこも何もないのだろ。ならば、先にここで腰を落ち着けたい」
女は一度探るような目線を向けてから溜息をつく。
「分かったわ。宿を取る前に冒険者ギルドで登録を済ませましょう」
「うむ」
◆◇◆◇
トルーデンの冒険者ギルドで冒険者登録を希望する者は多い。どのくらい多いかといえば、少ない日で数十人、多い時期なら数百人が連日続く。
それは『勇者』リノアリアにあやかろうという願掛けであり、既に他の街で登録しているベテランや、冒険者になる気のない観光客までもが、お守りや記念品に登録タグを欲しがるからだ。
『勇者』リノアリアが冒険者であった事などないのだが、教会が高値で販売するゴテゴテした意匠の護符よりも、冒険者の登録タグの方が普段身に着けるのに具合が良いからだろう。
無駄と分かっていても登録情報を一定期間保管しなければならない冒険者ギルドにすればいい迷惑。土産用にタグを別売りしても、登録料を払って正規のタグを欲しがるのだから頭の痛い問題になっている。
「登録をしたい」
冒険者ギルドの受付のスミナは、露骨にならないように気を付けて目の前の若者を値踏みする。
歳は二十半ばぐらい、平均より頭一つ分以上長身で随分とガタイがいい。着ているのはありふれた野良着の上に旅装外套、一見して分かる武器は持っていない。加えて女連れ。女性の方は入口付近から動こうとしない。
体格だけ見れば荒事の多い冒険者として有望そうだが、この若者には冒険者になろうとする者の雰囲気――未来を夢見る子供っぽさや、切羽詰まった様子がない。
何より、これだけ体格が良いとそばにいるだけで圧迫感を覚えるものだが、そういうものも感じない。それは表情や声が穏やかで暴力に慣れた雰囲気が無いからだ。
品定めしたスミナの予想では真面目な職人かなにかで、余所から夫婦か恋人同士でトルーデンを訪れた手合いだろう。ギルドにとっては迷惑な冷やかしだ。
とは言え、そんな連中に一々腹を立ててもいられない。しかし、パートナーを冒険者ギルドまで連れてきて目を離すのは感心できない。
普通、冒険者ギルドと言えば荒くれの集まる悪所かその手前で、決して気を抜いていい場所ではない。
そんなスミナの心情を察してか、二人の冒険者が入口付近で立ちっぱなしの女性に近づき、手を伸ばせば肩を掴めるくらいの距離で馴れ馴れしく話しかけている。
ここで若者がパートナーの危機に気付いて駆けつければ様になるのだが、背後の異変に気付く素振りも無い。なのでスミナは若者への興味を失う。
真面目で優しそうでも、いざという時に頼りにならなければ男として大きな減点。付き合う相手としても、何より眺めて愉しむ相手として面白みに欠ける。
女性に絡んでいる二人は見た目はゴロツキだが、正体はギルドから治安維持の巡回を依頼している冒険者。隙の多い観光客をちょっと脅かして危機感を持たせたり、本当に悪質な輩が近づかないようにそれとなく守っているのだ。
だから、女性が助けを求める素振りを見せてから教えてやればいい。
スミナは女性の様子にも気を配りながら、数えきれないほど繰り返した言葉を口にする。
「冒険者の登録ですね。登録料は銀貨二枚になります」
ここで普通の倍の登録料に鼻白む者もいるのだが、若者は躊躇いなく二枚の銀貨を差し出して登録用紙に必要事項を書き込んでいく。
代筆を頼む者も多いと言うのに若者はスラスラと用紙を文字で埋めていく。
ゴツゴツした手が滑らかに羽ペンを操る。その手慣れた様子に一度は失せた好奇心を刺激されたスミナは、つい若者の手元をのぞき込んでしまう。自然と背後の女性と冒険者の様子が視界の外になり――
「うわっ!」
「なん、うおわぁ!」
突然の悲鳴に視線を向ければ、女性に絡んでいた二人が床に倒れてジタバタともがいている。スミナが気を取られた一瞬の間に何があったのか、引き付けでも起こしたのだろうか? それも二人同時に?
「進んで喧嘩を買うのは珍しいな」
「こういう手合いは、最初に実力を見せてやらないとメンドクサイのよ」
立ち上がろうとしたスミナの機先を制するように、若者が振り返りもせず連れの女性に声をかけ、女性は心底面倒くさそうな声で反した。
「そうか。よし、これで頼む。転んだ時に頭は打っていないな?」
「そのくらいは気を配ったわ」
書き終えた登録用紙をスミナの方に寄越してから、ようやく若者は振り返って騒ぎの方に向かう。
「これで私に護衛紛いのお節介は必要ないって分かったでしょ?」
女性が芋虫のようにもがく二人を見下ろしたまま手を振ると、二人を縛っていた半透明の何か水のようなものが霧散した。
「……あんた魔法使いだったのか」
「すまない。リズは元から機嫌が悪かったんだ」
「保護者面しないで、アナタが見るからにデクノボウだから余計な親切心を起こしたんでしょ。分かったならさっさと用事を済ませなさい」
女性が涼やかな声で次々と若者に悪態をつくのにスミナは鼻白でしまう。しかし、見たところ大した怪我もなく、女性も冒険者達の目的を理解しているのでややこしい事にはならずに済みそうだ。
「ホッ」と一息ついてから、スミナは目の前に置かれた登録用紙を手に取った。この用紙に書くことは少ない。名前、年齢、出身地、売り込める特技や技術だけで、当然出鱈目を書く者も多いのだが。
名前はバイス。
歳は二十四。
出身地はサリビア平原。
特技は狩猟、拳闘、無形魔法、剣術、槍術、弓術、薬草の判別と採取、薬品の調合等々、他にもいくつも読みやすい字で書き込まれている。
スミナの予想に反して冒険者向けの特技が並ぶ。その見慣れた単語の中に見慣れないものがいくつかある。物騒な出身地もなかなか気になるが、最もスミナの目を引いたのは。
「拳闘?」
意味は分かる。殴り合いが得意という意味だ。だが素手の戦いを長所として売り込む意味も解らず、少なくともスミナの知る範囲で需要のある特技(?)ではない。他の街では事情が異なるのだろうか?
拳闘士とかいう職業があると言うのはどこの国だったか?
スミナはもう一度、今度は念入りに若者――バイスを観察する。
大柄で筋肉質に引き締まった身体をしていて、手は大きく皮は厚く硬そうだ。そのくせ背筋が綺麗に伸びて姿勢が良いのは職人や冒険者らしくない。それならどんな職業らしいのか考えてみても、よく分からない。
パートナーのトラブルに落ち着いて対処して、散々に悪態をつかれても堪えた様子がないのは鷹揚な性格なのか鈍いだけなのか。
コツコツ下積みを重ねて来た若い職人。そんな最初のイメージが崩れて、考えれば考えるほどバイスという若者が何者か分からなくなって、一度は失せた興味が沸々と湧いてきた。
何より、リズという連れの女性からして普通ではないのだ。スミナは魔法に詳しくないが、リズの態度や周りの反応からして相当な実力者だと予想できる。これは久々に当たりではないか?
と、そこまで考えてスミナは重要な事を思い出す。トルーデンの冒険者ギルドは登録する人数こそ多いが、実際にトルーデンで活動する者は少ない。リズとバイスの二人もこれっきりで居なくなってしまう可能性がある。寧ろ実力者であれば拠点が他にある事が多い。
「……はぁ」
代り映えのない日々の退屈しのぎに、ギルドを訪れる人々の背景を想像するのがスミナの趣味だ。
いつもは想像してこっそり愉しむだけなのだが、たま気分が乗って入れ込みすぎる相手がいる。そしてこれと目を付け期待した相手ほどその場限りで、余計に退屈になってしまうのだ。
「近くの狩場が分かる地図はどこで売っている?」
「ふぇっ? ああ、地図ですね、それなら――」
だから仲裁を終えたバイスにそう尋ねられた時、思わず変な声が漏れてしまった。狩場の情報を求めると言う事は、少なくともしばらくはトルーデンで活動するはず。
――バイスだけがギルドに登録して、リズと呼ばれた魔法使いの女性が登録していないのは何故?
――二人の会話からリズが一方的にバイスに突っかかっているように見える。そんな二人の関係は?
――特技に矢鱈と多くの事を書いていたが、果たして一つ一つの腕前はどれほどなのだろうか?
勝手に期待して落胆して、それからまた期待して。さて次はどうなるのか? そうやって形のない未来のを夢想するだけでも、繰り返しの日々に潤いが持てる。
でも、どうせなら退屈じゃない未来を見せてくれたらありがたい。ほんの少し浮かれた気分でそんな事を考えるスミナ。
まさかこの二人をきっかけに、退屈する暇もない日々が訪れようとは流石のスミナも夢にも思っていなかった。
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