性悪メイドは勇者を許さない
「ああ、もう嫌だ。死にたい」
僕が言うと目の前にいる女性がすごく楽しそうな声を出した。
「そうですね。死にましょう。今すぐ死にましょう。それがいいです」
女性の名前はメディア・クサン。メイドである。だけど、彼女の忠誠心は僕にではなくお金にあるらしい。だから、彼女は僕にまったく関心がない。
「普通、雇い主を止めるもんじゃないの?」
「えっ? ご主人様のようなすべてにおいて悲観的で無気力。生産性はなく。ただ浪費を続ける人間に生きる価値はないです。だから死んでもいいと思いまして」
彼女はひどく驚いた顔をして僕を見た。鏡のように光沢のある黒髪と色素の薄い月のような瞳が僕を写す。彼女のような髪や瞳はこのあたりではあまり見かけない。だけど、僕は彼女の日本人に似た姿を気に入っている。
確かに僕は彼女が言うようにひどく悲観的でなにかを成せるような行動力もない。だが、昔からこうだったわけではない。そう、こう見えても昔は勇者だったのだから。
「僕が死んだら失業だよ。いいの?」
「はい、構いません。給料は前払いで頂いていますし。私ほどの敏腕美少女メイドとなれば引く手あまたです。ご主人様のような社会不適合者のもとでなくとも、素晴らしい職場がいくらでも待っています。むしろ、ここに居続ける方が社会的損失だと言っていいくらいです」
メディアはひどく冷たい表情で笑った。
「ああもう嫌だ。死のう」
僕は頭を抱えると机につっぷした。頭の上からメディアの明るい声がおりてくる。
「だから、死んでいいですよ。いつも口先だけだから心配もされないんです」
「でも、だってさ。なにもすることがないじゃないか?」
「それはご主人様が何もしないからです。たまにはちょっと外に出てベヒモスを狩ってくるとか、海で海竜を捕まえてきてはどうですか?」
いくら僕が元勇者だからといってそれはあまりにはっちゃけすぎじゃないだろうか? 魔王を倒したときだって入念な準備をしたのが僕だ。なによりいまさらそんな魔物を倒さなくても魔王討伐の恩賞で懐は十分に潤っている。
「ちょっとどころじゃないよね」
「はい、率直に言いますと討伐に失敗して死ねばいい、と申しております」
「もうやだ。無理やり異世界に召喚された挙句に理不尽になじられるとか、もう限界だよ」
僕は学校の帰り道でぴかっと光ったと思ったら異世界に召喚されていた。しかも召喚したのはヨボヨボのおじいさん国王で、可愛い女の子が付けてもらえるということもなかった。魔王が美少女という展開があるかと思ったら完全な化物で、倒す以外の選択肢はなかった。僕は不幸だ。
「だから、死んでいいですって」
邪魔くさそうな声を出してメディアが掃除を始める。ばたばたとハタキで本棚の上に溜まった埃をはらう。主人が居るというのにどうしてこんな真似ができるのだろう。
「勇者になんてならなければ良かった……」
「そうですねー。せめて、この世界にとどまらず元の世界に帰ればよかったのに」
メディアの言葉が僕の胸をかき乱す。呼吸が浅くなる。猛烈な息苦しさが僕を襲う。そう、僕は帰れば良かったのだ。魔王を倒した僕にはその選択肢もあったのだ。だが、それは選べなかった。だって、僕のいなくなった世界は僕を必要としていなかったのだから。
魔王を倒したあと王様は、僕がいた世界がどうなっているか見せてくれた。両親は僕の失踪を「あら、そう」とあっさりと受け入れた。僕の部屋はそのまま弟に受け継がれ、クラスメイトたちは僕がいなくても楽しそうに暮らしている。僕が戻ってもそこに居場所があるとは思えなかった。
「居場所がないんだ」
「ここにもありませんよ。だってこの世界には魔王はいませんから」
「でも、だって!」
続く言葉はない。僕は異世界にもどこにもいないようなものだ。いくら魔王を倒した報酬でお金があろうと、幽霊のような僕には意味がない。中途半端、それが僕だ。
「さて、仕方ない。ご主人様の武勇伝を聞いてあげましょう。すっからかんの人に限って昔の武勇伝を話したがるものですからね」
そう言ってメディアはハタキを持っていた手を止めると、僕の隣に腰をかけた。
僕がこの世界に召喚されたとき、王様から与えられたものが二つある。一つは、この世界の言葉を理解する宝珠だ。これがないと僕はこの世界の言葉がわからない。だから僕はこの自動翻訳機とも言える宝珠をずっと首からさげている。
もう一つは勇者だけが持てる聖剣ベリアスだ。これは異世界から来た人間しか持つことができない。超人的な身体能力に加えてほぼすべての攻撃魔法が使えるようになるというチートな武器だ。この世界の人間がこの聖剣をもつと強力な力に耐えられずに全身の血管から血が噴き出して死ぬらしい。おかげで僕の付き人をしてくれた二人の騎士はこの剣に近づくことさえしなかった。
「よくぞ、召喚に応じてくれた勇者よ。我が国は忌々しき魔王の攻撃によって国土を蹂躙され、多くの街が奪われた。どうか聖剣を持って魔王を打倒してくれまいか」
そう言って王様は僕に頼んだのだ。
そして、僕は聖剣を持って多くの魔物を倒した。なかでも魔王軍四天王と呼ばれる魔物たちは強かった。なによりも彼らの部下は、統率のとれた動きをするので随分と苦しめられた。たまに村や町に出てくる魔物は本能のまま襲ってきたが、彼らはそうではなかった。まるで人間のように仲間との連携を考えていた。
だが、一人二人と四天王を順番に倒していくと魔王軍の統制は悪くなった。おかげで、一気に城や砦を取り返しやすくなった。魔王の居城にたどり着くころには魔物の攻撃は散発的になっていた。魔物も逃げ腰のか、やけくそのように攻撃を仕掛けてくるだけで手応えがないほどだった。あまりに簡単なもので僕はすこし拍子抜けしたくらいだ。
僕はRPGゲームのように敵の本拠地に近づくほど敵は強くなると思っていたので、かなりの準備をしていたのだ。だというのに魔王城では反撃してきたのは少しだけで多くの魔物は逃げ出していた。流石に魔王は僕を倒すつもりか王座で待ち構えていたが、ガウガウとこちらを警戒するように吠えるだけで、「よくぞ、ここまで来た。どうだ、われの配下にならぬか?」など言ってくることもなかった。
「世界を滅ぼそうというお前の野望もここまでだ」
なんてセリフを用意していたのに僕は言うこともできなかった。魔王は鋭い剣のように長い爪で聖剣を数合受け止めたが、魔力を開放した一撃でへし折ることができた。あとはあさっさりしたものだった。魔法で昆虫のような外骨格を壊して剣でとどめを刺した。
付き人であった二人の騎士は、
「流石は勇者様。見事な太刀筋でございました。これで我が国は豊かになります」
「まさに一騎当千とは勇者様のことですなぁ。魔王城から逃げた雑魚は王国軍が補足しておるはずです」
と、言って僕を褒めたたえた。
魔王城を出るとすでに王国の軍勢がかなり近くまでやってきていた。彼らは逃げた魔物たちを倒している最中だったので、僕も最後に少しだけ力を貸した。大規模魔法で魔物の群れを焼いたのだけど、それだけで王国軍は歓喜の声を上げた。
「ざまあみろ!」
「これで俺たちの天下だ」
「勇者様! 万歳!」
僕は彼らの歓声を背に王都に帰還した。王都では王様が僕たちを待っていた。
「さすがは勇者だ! よくぞ我が国の窮地を救ってくれた。全ての国民に変わって礼を述べさせて欲しい」
このときだった。僕がいなくなった世界がどうなっているのか見せてもらったのは。非情な現実にうなだれる僕をみて王様はひどく心配してくれた。そして、この世界に残るなら屋敷も財産も用意しよう、と約束してくれた。結果、僕はこの異世界でのんびりと何をするわけでもなく生活しているのだ。
僕が話し終えるとメディアは、僕の顔をじーと見つめてから大きなため息を吐いた。
「ご主人様の頭には本当に脳みそが詰まっているのですか?」
「……いくらなんでもひどくない? 人に話させておいてさ」
僕が非難すると彼女はやれやれという表情を見せた。
「はっきり言いましょう。ご主人様は本当に勇者だったのですか?」
どういう意味だろう。僕が勇者じゃないというのだろうか? でも王様も騎士たちも僕を勇者と呼んでいた。いまは使わなくなって久しいけど聖剣ベリアスだって僕のものだ。勇者といえば伝説の剣がつきものだし、問題があるようには思えない。
「いや、勇者だよ。間違いない。他のなんだというのさ?」
「分かりました。質問を変えましょう。ご主人様は魔王軍との戦いでヘンだと思われたことはありませんか?」
魔王軍との戦いは激戦だった。僕一人で襲いかかってくるたくさんの魔物を倒さねばならなかった。でも、勇者はそういうものではないだろうか。卓越した力で奇跡のような勝利を起こすのだ。
「いや、別に? 普通だよ。襲ってくる魔物を倒したんだから。四天王は強かったけど、ヘンなところはなかったよ」
「そうですか。では、魔王はどうですか?」
「魔王って言うには弱くて驚いた。でも、僕は聖剣を持っていてすべての力が底上げてされていたのだから強くて当然なのかもしれない」
そう、聖剣は凄かった。剣の心得がない僕でも持つだけで達人のような動きができたし、魔法は思い浮かべるだけで発動した。騎士たちは聖剣の力を恐れていたけど僕にとってはこれほど心強い武器はなかった。
「控えめに申します。ご主人様は大量殺戮者です。しかもそれを理解していないのだからなお質の悪い」
「待ってくれ! 僕が大量殺戮者だって? 魔物は数えられないほど倒したけど人は殺してないよ」
あまりの言われように僕は声を荒らげた。魔物は倒されるべき生き物のはずだ。それともメディアは魔物保護の活動家なのだろうか。イルカを殺すな、というように魔物を殺すな、とでも言うのならそれは間違っている。魔物は人を襲う。そうなれば間違いなく被害が出るのだ。
「ご主人様。魔物とはどういう生き物だと思っていますか?」
「そりゃ、人を襲う害獣だよ。バジリスクやドラゴンのようなものだ。魔王はそういう生き物を操って王国を滅ぼそうとしていた。だから、僕は町や城を取り返すために戦ったんだ」
「普通にお考え下さい。害獣が町を占領しますか? 城でお行儀よく整列してご主人様を迎え撃ちますか?」
それは魔王が操っているのだからそれくらいするのじゃないだろうか。確かにその辺で暴れているドラゴンなどは本能だけで生きているから、町は壊す。畑は荒らす。そこに居ついて占拠しようとはしない。
「魔王軍にいるような魔物なんだからするんだよ」
「ご主人様。軍というのは基本的に国に属するものです。なら、勇者様が戦ったのは魔王軍であり魔王国になるのではないですか?」
「……そうかもしれない。でも、魔物にはかわりないよ。人じゃない」
そうだ。魔物は魔物だ。
「いえ、あなたが戦ったのは人です。ご主人様が自分で言ったじゃないですか。四天王を倒したら一気に魔王軍の統制が悪くなった、と。それはそうですよね。四天王を四人の将軍だと考えれば普通のことじゃないですか。魔王軍を率いていた将軍が殺された。配下は指揮指令が行き届かないから乱れてしまう」
「嘘だ。あれは間違いなく魔物だった」
「ご主人様。聖剣を握ってみてください」
彼女は壁に掛けたままになっている聖剣を指さすとひどく悲しそうな顔をした。僕は立ち上がると壁に掛かっている聖剣にそっと手をかけた。久々に握った聖剣は暖かく僕に強力な力を与えてくれているのが分かる。僕が剣を握ったまま振り返ると、メディアがいた場所には醜悪な姿をした化物がいた。それは今すぐにでも僕を襲ってきそうな様子だった。
だけど、今の僕にはそれが誰なのかわかる。放り捨てるように聖剣から手を離すと化物が消えた。そこには僕を寂しそうに見つめるメディアがいた。
「聖剣というものは神や天使が聖なる力を与えたものという考え方もありますが、多くの場合は、英雄の象徴です。英雄は敵を殺戮するものです。そこに慈悲や優しさはいらない。ならいっそう敵が人に見えなければ躊躇することはない。悲鳴や命乞いが聞こえなければ非情でいられる。それはそういう聖剣です」
つまり、僕が魔物だと思っていたのは人だったのだ。
考えちゃいけない。僕は思考を止めたかった。だけど、それは止まらなかった。
魔王城で散発的に攻撃してきたのは、魔王に最後まで従った兵士なのだ。そして、魔王は僕になにかを伝えようとしていた。だけど、僕にはそれが何かわからなかった。僕はそれを理解できずに殺した。そして、魔王城から逃げ出して王国軍に追われていたのは、考えるまでもない魔王城にいた民間人だ。彼らは必死で逃げたのだ。だけど、王国軍に追い詰められた。
絶望しただろう。
助けてくれと懇願したかもしれない。
それを僕は焼き捨てた。
王国軍が喜んだのは魔物が死んだからじゃない。対立していた国が滅んだからだ。
「嘘だ。そんなの……」
「嘘? 何がです。すべては示されているじゃないですか? あなたは体よく利用されたんです。異世界から呼び出した何も知らない青年。それに対立する民族を殲滅させる。それがこの国の国王が選んだ方法です。おかげで私は一人ぼっちです。あなたが殺したんですよ。家族も友達も皆、あなたが殺したんです」
彼女の顔を僕は見ることができなかった。
視線を逸らした僕をメディアは許さなかった。足元を見つめる僕の髪をひっぱると強引に前向かせた。メディアは泣いていなかったでも怒ってもいなかった。ただ、ひどく汚いものでも眺めるような無機質さで僕を見ていた。僕はもう目を逸らせなかった。
「僕を殺すのか?」
「ええ、ご主人様に仕えることになったときは殺そうと思っていました。でも、気が変わったんです」
彼女はそう言って微笑んだ。
もしかしたら、彼女は僕を許したのかもしれない。そうだ、僕はあの国王に騙されていたんだ。それは僕のせいじゃないはずだ。彼女も被害者だ。だけど、僕も被害者だ。僕たちは被害者同士、仲良くできる。
「そう、僕たちは同じ被害者だ」
「ええ、そうです。だから、一緒に王国を滅ぼしましょう。国民は私の家族のように生きながら焼き払い。王族にも敬意を払うことなく首を断ち切り、胴を落としましょう。そして、すべてを奪い尽くしてやりましょう」
僕は何も言えなかった。
「どうしたのです。ご主人様? 私たちは同じ被害者なのでしょ? その剣で復讐しましょう」
悲鳴が聞こえる。それは声にならない僕のものだろうか。それとも彼女のものだろうか。
かなり前にハムカッタさんから提案のあった『異世界召喚され世界を救い、裏切られることなく恩賞や地位を与えられるもののPTSDに苦しむ召喚勇者』を書こうとしたのですが、結果的に召喚勇者にPTSDを与える小説になってしまった気がします。すいません。