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朝色小夜曲  作者: 芦野
8/28

ED

このパートはぜひchapter1〜7までを読んでから読んでください。

1

張り詰めた空気の中に、色々な種類の感情が込められている行事。

それが卒業式だと私は思う。


「ふわぁ……」

だというのに、一つ前の席で百合は緊張感なくあくびをしている。

「……もう」

少し呆れつつも、なんとも百合らしい仕草に思わず頬が緩んでしまう。

卒業証書の授与と在校生の送辞が終わり、次は卒業生の答辞、校歌斉唱があってようやく卒業式は終わりだ。

「卒業生代表、椿原花恋」

「はい」

椿原さんがゆっくりと壇上に上がる。

「桜の花のつぼみを見ると、春の訪れを感じる季節になりました──」

1年生の秋から生徒会長をしていたからか、こうやって大勢の前で話すのは慣れているのだろう。本当に堂々としていてすごいな、と思った。


高校生も今日で終わり。この制服を着るのもこれがきっと最後。そう思うと思わず、涙が出そうになってしまう。

本当に色んなことがあった高校生活だった。だけど、思い残すようなことは何もない。

卒業式の日にそう胸を張って、自分に言えてよかった。

「──最後になりましたが、学校生活を支えてくださった先生方に心からお礼を申し上げるとともに、これからの三間桜高校の更なる発展を願って答辞とさせていただきます」

答辞を読み上げたあと椿原さんは、深々と頭を下げて壇上から降りていった。

校歌を歌い終わり、卒業生の退場が始まる。花が飾られたアーチをくぐると、思わず涙が出そうになって……。

保護者席から手を振るママの顔を見た瞬間、我慢の限界が来てしまって、涙が溢れ出してきてしまう。

教室に着いてもしばらくの間、私は涙が止まらなかった。


「さっきまでずいぶん泣いてたけど、大丈夫?」

「もう、感動してない百合の方が変だもん」

私とは対照的に百合はいつも通り、ずっと気だるそうにしていた。

「……別に感動してない訳じゃないよ」

「そんな風には見えなかったけど?」

教室を出て、百合と一緒に校庭を歩く。まだ多くの生徒が校内に残っていて写真を撮ったり、下級生が卒業生との別れを惜しんだりしていた。


「ねえ、百合あれ」

「?」

校庭の隅で見つけた桜の木。その枝には花が二輪寄り添うように咲いていた。

「二輪だけ、もう咲いてる桜があるよ」

「ほんとだ」

「満開の桜を見るのもいいけど、こういう風に咲いてる桜も綺麗」

「うん」

頷く百合の横顔と桜の花びらを交互に見る。

「今日で卒業ってなんだか不思議な気分だよね」

「確かに、あんまり実感ない」

百合と並んで桜を見て話しているだけで、さっきまでの寂しさが消えていって、幸せな気持ちになる。

百合と一緒にいるときだけ感じられるこの気持ちは、これからもずっと続くと思う。

私たちがいつかお婆ちゃんになったとしても、きっとこの気持ちは変わらない。


でも、あのときの私が今の私を見たら、きっと驚くだろう。


──百合に私の気持ちを伝えた文化祭の日の夜は、本当に一睡も出来なくて。


不安で不安で、ネガティブな想像だけがどんどん膨らんでいってて、朝が来るまで後悔とでも、これでいいんだという気持ちがぐるぐると交互にきていた。

だけど、朝になってから百合に突然連れて行かれて、百合のお母さんと話をすることになったときは本当に驚いた。

どうしたらいいか分からないまま、百合のお母さんと三人で話をした。


「お母さん、わたしこれからどうするか決めました。だから聞いてくれますか」

「ええ、だってそのために来たのでしょうから」

「……わたし、お母さんのところには戻りません。……だけど、お金もいらないです」

百合の手は震えていたけれど、はっきりと決意がこもった眼差しを今でもはっきりと覚えている。

「どういうことかしら」

百合のお母さんもじっと百合の目を見つめていて、その眼差しは、隣に立っているだけの私まで、足がすくんでしまうほどの強さがあった。

「お母さんにとって、わたしはただ邪魔なだけって分かってます。だからお母さんのところに戻ったとしても、きっと迷惑になるだけだと思います」

百合の頬を汗がつたって、それを見ていた私も思わず息を呑んでいた。

「でも、わたしは一生お母さんの娘でいたいんです。だから、そのお金も受け取れないです」

「……」

百合のお母さんは百合の言葉を聞いているときも、眉ひとつ動かしていなくて、その内心が全く分からなかった。

「わがままを言っているのは分かります。だけど、わたしはどっちも選べません。本当にごめんなさい」

私も百合につられて思わず一緒に頭を下げた。

「あなたが言いたいことは分かったわ。もういいです、とりあえず家に帰りなさい」

「……はい」

言われるがまま、百合は部屋の外に出ようとする。私もあとを追って部屋を出ようとしたときだった。

「真央さん、貴女には話があるからここに残って」

「えっ……はい」

百合は驚いた顔で振り返る。だけどいつの間にか部屋の外にいた恭子さんに、そのまま連れていかれてしまった。


「……」

「……」

いきなり二人きりにされて私はずっとおどおどしていた。

「……ごめんなさいね呼び止めてしまって、あの子は先に帰らせるけど、あなたもちゃんと家まで送り届けるから安心して」

「は、はい」

「……そうだ、あなたはチョコレートは好きかしら? よかったらこれどうぞ」

「ありがとうございます」

勧められて食べないわけにもいかなかったから、食べたけれど緊張で味が全くしなかったのを、はっきりと覚えている。


「ごめんなさいね、あの子のことだからろくに説明もしないうちに、貴女をここに連れてきたのでしょう」

「いえ……そんな」

百合のお母さんは、さっきまでと同じ雰囲気のままじっと私を見つめてきたけれど、その口調はさっきまでと違ってどこか優しかった。

「まあ、それはともかく……実はこの前真琴から聞いてたの。あなたが百合のことを好いてくれているってこと」

「えっ!? ……あ、あのその」

予想してなかった言葉に、誇張ではなく本当に心臓が飛び出そうになる。それと同時に一気に身体が熱くなった。

「それは一時の気の迷いじゃない? 本当によく考えたのかしら?」

さっきの百合に向かっていたときみたいに冷たい口調に、思わずたじろぎそうになったけど、かえって決心が固まった。

「はい」

深く頷いて、じっと百合のお母さんの目を見つめる。

「……あの子はああ見えて、本当に傷つきやすくて繊細で。それなのに、誰かに素直に助けを求められずきっと、貴女を傷つけてしまったこともあるんじゃないかしら」

百合のお母さんは、そこで一度言葉を切って瞬きをした。

「どうして、それでも貴女はあの子を選んだの?」

「……確かにそういうこともありました。でも、私はそれでも百合さんの隣にいたいんです」

「……」

「私、百合さんのおかげで変われたんです。ずっと怯えてた私の手を取って、連れ出してくれたんです」

百合のお母さんは、ずっと私の話を黙って聞いていた。

「小さい頃からずっと、今も私の憧れなんです。今まで辛くて挫けそうでも、百合さんがいてくれたから頑張ろうって思えたんです」

話しているうちにだんだんと緊張が解けていって、なんだろう、不思議と自信が湧いてきていた。

「だから、私には百合さんがいないとダメなんです。百合さんにとっての私は頼りないと思いますが、精一杯努力します。だから私を百合さんの側にいさせてください!」

そう言って私は深々と頭を下げた。

「あなたの気持ちはよく分かりました。顔をあげて下さい」

そう言って百合のお母さんは紅茶を一口飲んで、すっと立ち上がった。

「ふつつかな娘ですが、どうぞよろしくお願いします」

私が差し出された手を握り返すと、百合のお母さん今までとは別人みたいな優しい笑顔を浮かべていた。

「あの子を、百合を支えてあげてね」

「……はい、頑張ります!」

私はあの、百合のお母さんの安堵したような顔と声を、きっと一生忘れることはない。


──まさか百合のお母さんがそこまで言ってくれるなんて、思ってもいなかったなあ……。

「さっきからぼーっとしてどうかしたの?」

「ううん。なんでもない」

そんなふうに百合と佇んでいると、晴海さんがこっちに走ってきた。

「ねー写真撮ろ!」

「あ、うんいいよ」

晴海さんに合わせて私もピースをする。

「はい、撮るよー」

シャッター音が鳴る。無事に写真は撮れたみたいだ。

「百合とはいいの?」

「本当は三人で撮りたいけどさー、多分嫌だって言うと思うからいいや。じゃあね!」

残念そうに笑ってから、風のように晴海さんは他の生徒の方に走っていった。


「はぁ、やっと行った」

「もう、せっかく来てくれたのに、そんな言い方しちゃダメだよ」

「わたしが写真嫌いなの知ってるでしょ」

「そうだけど……」

百合はどうして晴海さんにこんな冷たくするんだろう。


「真琴さん待ってるだろうし、そろそろ帰ろ?」

「うん、じゃあ最後に……」

百合に抱きつくようにして、腕を組む。

「……学校では今まで通りにするんじゃなかったの?」

「学校に来るの今日で最後だし、せっかくだからいいじゃん」

呆れたような表情をする百合に、ちょっと甘えてみせる。

「わたしは別にいいけど、まだ結構人いっぱいいるよ」

「いいの」

今日で最後だし、周りを気にすることなく百合とこうしていたかった。

それに百合と私のこと、ちょっとだけ自慢したい気持ちもある。

「ねぇ桜井先輩とあの人って……」

「やっぱりあの噂本当だったんだ」

「すごいね~あの二人」

そうは言っても、周りの人の視線を感じると、なんだかちょっぴり恥ずかしいけど、それよりも嬉しくなってきてしまった。

「なんでそんなに楽しそうなの?」

「ずっとこうしたかったの、我慢してたから」

「……そう」


そうこうしているうちに、あっという間に校門に着いてしまった。

「あ、来た来た、もう腕なんて組んじゃって羨ましいな~」

ママが手を振りながらこっちに歩いてくる。

「じゃ、真央写真撮ろ、せっかくだし」

「うん」

「あっじゃあわたしが撮ります」

百合はママからデジカメを受け取って、シャッターのボタンを押した。

「はい、撮れましたよ」

「ありがとーよく撮れてるよ。じゃあ次は三人で」

「えっと……」

ママも百合が写真嫌いなことを知ってるはず。だけど、あえて三人でと言ったのだろう。

「あっ、ごめんちょっとシャッター押してもらっていい?」

「あ、はい」

ママが近くにたまたまいた橘さんに、デジカメを渡す。

「ほら、百合ちゃんも入って入って!」

「は、はい」

百合はママの勢いに押されて渋々頷く。

ママが真ん中に入って右手で百合の肩を、左手でわたしの肩を抱いた。

「これで大丈夫ですか?」

「うんありがとね。……じゃあ写真も撮ったし帰ろっか」

「うん」

「はい」

私と百合は頷いて車に乗った。


2

「お邪魔します」

「やだもう、お邪魔しますなんていちいち言わなくてもいいのに」

「はは……」

真琴さんに乾いた笑いを返す。

確かに、わたしが桜井家にこうやって来ることはもはや当たり前になっている。

「それにしても、何だか感慨深いなあ。あんなにちっちゃかった真央や百合ちゃんが高校卒業だもんねえ。……年を取るわけだ」

ため息をつきながら真琴さんはキッチンに向かった。

「着替えたよ、百合」

「あ、うん」

真央と入れ替わりでリビングを出て、制服から着替える。

「ふぅ」

ふと部屋を見渡すと、いつの間にかわたしの色々な私物が増えたなあと思った。元々真央の部屋だったのに、気づいたらわたし用のタンスが用意されるようになり、今では共用の部屋みたいになっている。


着替えを終えてリビングに下りると、真央が近寄ってきた。

「ねえ、百合少し外歩こうよ」

「……めんどくさい」

「いいじゃんほら、行くよ」

「はいはい」

ソファーに座る前に、玄関に連れて行かれる。

「行ってらっしゃい」

「うん」

「はい」

真琴さんに返事をして、わたしたちは外に出た。


「なんだか、百合とこうやって歩いてるだけですごく楽しい」

「どうしたの急に」

あれから真央とこうやって一緒に歩くことが、当たり前かもしれないけど増えた気がする。

「百合は楽しくないの?」

「ただぶらぶら歩いてるだけでしょ」

「もう、どうしてそんなムードないこと言うかな~」

「ムードって言っても、いい加減この辺りは見飽きたし」

「あっじゃあ、公園久々に行こうよ」

「……いいけど」

公園、文化祭があった日に真央から告白されたあの場所だ。


「うーん、やっぱりこの公園いいよね。落ち着く」

「まあね」

木陰のベンチに並んで座る。

「なんか最近暖かくなってきたよね、やっと春になった感じがする」

「うん」

確かに先週ぐらいから急に春が近づいてきたのか、風が暖かく感じるようになってきた。

「もう私達も来月には大学生かあ」

「実感ないけど」

「そうだよね。……でも、まさか百合と同じ大学に行けるなんて思わなかったよ」

「大げさ」

わたしよりも何倍も真央は努力してたから、受かるのが当たり前だと思っていた。

「ううん。三間桜に入ったのもギリギリだったし、今回の大学入試もきっとそうだったと思う」

「そう?」

三間桜に入ったときは知らないけど、それでも大学入試はそこまで苦戦しそうじゃないと思っていた。

それに、恭子さんがみっちり教えていたみたいだったし。あの人、すっごくスパルタだけど、その分必ず結果に結びつけてくれる人だから。

「恭子さんもあの子は絶対大丈夫だから、百合がしっかりしないでどうするのって怒られた」

「へえ、そうだったんだ」

真琴さんは真央に近所の女子大を勧めてたけど、真央はどうしてもわたしと同じ国立大学を受けるって譲らなかった。

まさか、お母さんに迷惑かけたくなかったから国立大学を選んだってだけなのに、こんな大事になるなんて。

結果として真央や真琴にずいぶん迷惑をかけてしまった。

「でも、本当によかった。百合と離れるの絶対に嫌だもん」

「……はいはい」

いまだに面と向かってこういうことを言われると、正直照れる。


「なんか、百合のお母さんに会いに行ってからすぐ受験勉強をし始めて、その、わたしたち恋人らしいことあんまり出来てないよね」

「そうかな」

「うん、水族館とクリスマスイヴと、初詣ぐらいしか一緒に出かけられてないし」

「別に一緒にどこか行くだけが、らしいことじゃないと思うけど」

「そうだけど、やっぱり私はそういうこともしたいって思うの」

やけに真央は焦ったよう言うけど、正直合格が決まってからは色々遊んだと思うんだけどなあ。

「これからゆっくりでいいんじゃない。そんなに焦らなくても。……そろそろ帰ろ、喉乾いた」

「……そうだね」

そのまま何気ない話をしながら家に帰った。


「ただいまー」

「あっおかえり、もうちょっとでご飯出来るから下で待ってて」

「うん」

「分かりました」

並んでソファーに座ってテレビを見ていると、ほどなくして真琴さんから出来たよと声がかかった。


「ふー美味しかったよね」

「うん」

ご飯を食べ終わったあと、上の部屋に戻ってわたし達は部屋でくつろいでいた。

「私カキフライ好きだなー」

「それにしても真琴さんずいぶん飲んでたけど、大丈夫なの」

「うーん、寝ちゃったけど明日仕事休みみたいだし、いいんじゃないかな?」

ママはお酒好きだけどすぐ寝ちゃうんだよね、と真央は笑いながら言う。その様子からみると本当に大丈夫そうだ。

「先にお風呂行ってきていい?」

「うん。……あっ、背中でも流そっか?」

「はいはい」

ニヤニヤしながら聞いてくる真央に適当に返して、わたしはお風呂に向かった。


「ふぅ」

そういえばシャンプーも、わたしが普段使ってるのと同じものがいつの間にか置いてあったし、真央が気を使ってくれてるんだろうなあ。

そう思いながらシャンプーを泡立てて、髪を洗っているときだった。

「入るよ」

「えっ!? ちょっ……何しに来たの」

いきなり乱入してきた真央から慌てて目を逸らす。一瞬見えてしまったけど、間違いなく一糸まとわぬ姿だった。

「何って背中流しに、嫌だって言わなかったし」

いやいやいやそういう問題じゃない。

「確かに嫌とは言ってないけど、いきなり侵入してこないでもいいじゃん!?」

「予告したらサプライズの意味無いでしょ、ほら髪も私が洗うから、任せて」

有無をいわさずわしゃわしゃとわたしの髪を、真央は洗い始める。

「……」

真央に髪を洗ってもらうのって、こんなに気持ちいいものなんだ。

美容室でももちろん髪を洗ってもらったことはあるけど、なぜだろう、全然違う。

そのあまりの心地よさに、わたしはただされるがままになっていた。

「流すよ」

わたしはお母さんにお風呂に入れられてる子供かなにかかと、半分自分に呆れているうちに流し終わったようだ。

「ふぅ」

「じゃあ次は背中流すね」

「……今日はどうしてそんなに積極的なの?」

「いいじゃん別に」

「もしかして何か企んでる?」

わたしの言葉に、背中をスポンジで洗っている真央の手が一瞬止まった。

「企んでるって言ったら、どうする?」

「別にどうもしないけど」

正直さっきからどきどきしっぱなしだけど、わたしは必死に平静を装った。

「なーんだ、残念」

それにしてもやけに念入りに洗うな、わたしの背中ってそんなに広くないと思うけど。

「前から思ってたけど、百合って本当背中綺麗だよね」

「そう?」

自分の背中を見る機会なんてないし、実際どうなのかよく分からない。

「うん、本当。なんだろう、同じ女の子なのにこんな違うんだなって……そろそろ流すね」

「うん」

背中がシャワーで流される。

「……で、いつまでいるつもり?」

わたしが湯船に浸かっていても、真央はまだ外に出ようとしない。

「小さい頃はママと一緒に三人でよくお風呂入ってたじゃん」

「いや確かにそうだけど……」

わたしの抗議を無視して、真央は体を洗い始めたる。

「……」

いい加減この状況は心臓に悪すぎる。

「ふぅ……よっと」

「あれ、もう出るの?」

「暑いから」

逃げるようにお風呂から出る。わたしは体と髪を乾かして部屋に戻った。


「ふわぁ……」

真央がなかなかお風呂から出てこないし、待ってるうちに眠たくなってきた。

電気を消して目を閉じる。

「……」

不思議なものでいざ寝る体勢に入ると、なぜかさっきの真央の姿がちらついて眠れない。

何度も寝返りをしていると、ドアが開く音が聞こえた。

そのまま隣に来るのだろうと思っていたけれど、様子がおかしい。

何をしてるんだろう。そう思っていると、足に人の重みを感じる。

「ねえ、百合、起きてるでしょ」

「……ん」

恐る恐る目を開けると、目の前に白のベビードールを身にまとった真央がいた。

「……」

服というにはあまりに薄すぎる布越しに、真央の柔らかそうな肌が主張してきて、正直わたしは見惚れてしまっていた。

「何か言ってよ、勇気出して着てきたんだから」

真央は顔を真っ赤にしながら、覆いかぶさるように体を寄せてくる。

「いや、その、なんていうか……」

真央の顔を直視出来ずに視線を逸らす。

「似合ってない?」

「いや、似合ってるけど露出がちょっと……ね」

「だって、百合こうでもしないとそのまま寝ちゃいそうだし」

「だからってこんな急に……ひゃっ」

真央に肩を掴まれる。

「私、本気だよ。じゃなきゃこんなことしない」

やっぱりいくらなんでも今日の真央は積極的すぎる。

「わ、分かったから落ち着いて」

「やだ」

真央は恍惚とした目でわたしを見つめた後、顔をじりじりと近づけてきた。

「ちょっ……」

これから起こるであろうことを予想して、心臓が痛いほど高鳴っている。


「んっ」

視界の全てが覆われて、そのままわたしの唇と真央の唇がそっと触れ合った。

きっと、ほんの数秒のことだったんだろう。

だけど、その数秒は今まで真央と過ごしてきた時間の中にはないような熱をもったものだった。

「ねえ、もう一回してもいい?」

真央はうっとりした顔でわたしを見つめてくる。そんなのずるい、嫌だなんて言えるわけない。

「……いいよ」

さっきよりも深いキスをしながら、お互いの指を絡み合わせてぎゅっと繋ぐ。

「……っはぁ」

わたしと真央を結んでいた半透明な糸は、唇を離すと一瞬で消えてしまって。

それがどうしようもなく切なかった。


「ねえ、本当にいいの?」

体勢を入れ替えて、今度はわたしが真央の上に腰かけるような形になっていた。

「……はぁ、本当百合はなんというか」

真央はため息をつくと、わたしの頬に右手を伸ばしてくる。

「私、百合が思ってるよりも、百合のこと好きだよ」

その言葉に顔が真っ赤になっているのが、自分でも分かった。

「もう、どうして百合が真っ赤になるの。首筋とか耳まで……ふふっ可愛い」

「そんなこと言われて動揺するなって方が無理」

「だって、ストレートに言わないと百合は鈍感だから、分からないだろうし」

「……そんなことない」

言われなくても、真央はわたしのことが好きだってことぐらい分かってる。それにわたしだって……。

「ううん、だって今もそう。私の気持ち、分かってないでしょ」

怒ったようなすねたような顔で、真央はわたしの左手首を両手で掴んできた。

「ねえ、これなら分かる? 今、私がどうして欲しいか」

そのままわたしの手を自分の胸元に導く。その柔らかい感触の奥から、真央の鼓動が伝わってくるようで。

「……百合」

「うん、分かってる。わたしだって、ずっと真央とこうしたかった」

「……だったらなんで……ひぅっ」

真央の胸をそっと揉むと、今までとは比べものにならないぐらい心臓が高鳴っていた。

指に伝わってくる、どこまでもわたしを受け入れてくれそうな柔らかさと、恥ずかしそうに悶える真央の姿に、完全に抑えていたものが弾け飛んだ。


「なんか、幸せって感じ」

「……わたしも」

わたしたちは、いつもとは違う心が満たされた倦怠感に包まれていた。

「もうすぐ朝になっちゃうね」

「……顔がニヤついてるよ」

「ふふっ、だって嬉しいんだもん。……やっと本当に百合の恋人になれたことを実感できてるから」

「……恋人イコールそうじゃないと思うけど」

「もう、そうだけど普通はそういうものでしょ」

そう言いながら、真央は幸せそうに笑う。

「まあ……ね」

「だって何ヶ月も経つのに、そういう気配なかったら不安になるよ。本当に私のこと好きになってくれてるのかなって」

「受験直前にそんなことしてたら、勉強に身が入らなくなるだろうし」

それにわたしだって我慢してた。

「……それに真央のこと大事に思ってるから、うかつに手を出せなかったの」

「……もう一回言って」

「やだ」

「もう一回!」

正面から真央に抱きつかれる。柔らかい素肌の感触が伝わってきて、ものすごく心臓に悪い。

「……そこまで言うならもう一回するから覚悟して」

「えっ? ちょ、ちょっと待ってよ!?」

「何いってるのか、聞こえない」

わたしはそのまま真央を押し倒した。



「……ん」

「おはよ、百合」

結局朝になっても重なりあってたせいで、二人して昼過ぎまで眠ってしまっていたみたいだ。

「何か飲む?」

「……ホットココア」

「おっけー」

真央が戻ってくるまでの間で服を着て、カーテンを開ける。

「んー」

軽く背伸びをしながら朝の日差しを浴びる。時間でいうとあまり眠れていないはずなのに、不思議と体が軽い。


「はい」

「ありがと」

ベッドの上に座って、ココアを飲みながらぼんやり外を眺めていると真央が横にきて肩にもたれかかってきた。

「ねえ、百合」

わたしの肩にもたれかかってきながら、真央は聞いてくる。

「どうしたの?」

「今日の空の色いつもより綺麗な気がするの」

「……そう言われてみるとそんな気がする」

雲がほとんどない、まさに快晴といっていい青い空を、それからしばらくわたしたちは眺めていた。



──これからわたしはどうなるのだろう。

そんなふうに不安になるときもあるけれど、真央がこうやって隣にいてくれれば、大丈夫だろう。

「……ずっとこうしていられたらいいのに」

永遠に続くもの、変わらないものなんてないって分かっているけど、今はただ真央とこうしているだけでいい。

「そうだね」

微笑む真央に頷き返す。

わたしも同じように、きっと上手く笑えているはずだ。

だってわたしも同じ気持ちでいるのだから。



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