chapter4
この作品はchapter1から3の続きです。未読の方はぜひそちらからお願いします。
1
朝早く起きなくてもいい。それだけで夏休みは素晴らしいものだ。
「ふわぁ……」
ゆっくりと身支度をしてソファーに座ると、珍しく空腹に襲われた。
この暑い中何か買いに行く気にはならないし、かといってこのまま座っているわけにもいかない。
「よっと」
テーブルの上の携帯を手に取ってピザを頼んだ。
「……ふう」
冷たい紅茶をグラスに注いでからソファーに戻ると、携帯が鳴り始める。
電話は真央からだった。
「どうかしたの」
「ねー百合今日暇だよね?」
「忙しい」
応対が面倒くさくなって電話を切る。しかし、すぐに電話が鳴り出した。
「もう、切ることないじゃん」
「で、どうしたの?」
やっぱり、最近真央から連絡が来る頻度が増えた気がする。
「今日ちょっと買い物付き合ってよ」
「こんな暑いのに外出たくない」
「えー」
「……真央だったら、声かければ誰か捕まるでしょ」
わたしがそう言うと、長いため息が電話越しに伝わってきた。
「私は、百合と一緒に買い物に行きたいの」
「え?」
どうしてわたしと?
「一緒にいこ、ね?」
どうやらどうしてもわたしを連行していきたいらしい、こんな日は家でぼーっとしてたいのに。
「……何買いに行くの?」
「服とか、水着とか」
「水着?」
「どういうのがいいか分からないから、誰かの意見聞きたいなーって思って」
ああ、なるほどそういうことか。気軽に水着を見せられる人、ということでわたしを選んだのか。
「まあ、いいけど、さっきピザ頼んだからちょっと待ってて」
「もう、いっつもそんなものばっかり」
「だって家から出たくないし……あれだったら真央も食べる?」
少し考えるような間があって真央はこう尋ねてきた。
「いいの?」
「いいよ」
「じゃあ、今から行くね」
「はいはい」
電話を切ってからすぐチャイムが鳴る。本当にすぐに真央が外に立っていた。
「ジュースでいい?」
「あ、うん」
グラスとジュースを用意したところで、真央の服装に目が行く。
「珍しいね」
「え?」
「いや、胸元が開いたワンピースなんて着るんだなあ、って思っただけ」
なんだかそう言うと、普段からじろじろ見てるみたいで、少し気まずい。
「どう?」
「そういう服もいいと思うよ、似合ってる」
「うん……それならよかった」
服を軽く褒めただけなのに、そこまで嬉しそうな顔をされると逆に申し訳ない気分になる。
「あっ」
ちょうどいいタイミングで、チャイムが鳴った。
「ピザの配達に来ました〜」
「はい」
鍵を開けて外に出る。
「底が熱いので気をつけて下さい。はいちょうどですね、ありがとうございます」
ピザを受け取ってリビングに戻ると、真央がものすごくいい笑顔で迎え入れてくれた。
「わー! 早く食べよー」
さっきはそんなもの、なんて言ってた人と同じ人とは思えないほど嬉しそうにする真央が、なんだか子どもみたいで可愛かった。
「はいはい」
ピザを頬張る真央は、とても幸せそうだ。
「本当、真央はよく食べるよね」
健啖家、という言葉は真央のためにあるのではないか、わたしはそう思う。
「うーんそうかなあ、百合が食べなさすぎなだけだと思うけどなあ……」
真央は急に沈んだ表情になった。
「いや別にいいんじゃない、わたし真央が食べてる姿、好きだよ?」
「本当?」
えへへ、と笑って真央はピザに手を伸ばす。
「あーでもなあ、最近ちょっと気になってきて……鏡で見るとね、やっぱりもう少し絞らなきゃなあって思うの」
それをピザを食べながら言うのか。と思ったけど、言うと大変なことになりそうだし、黙っておいた。
「ねえ百合」
「何?」
「百合ってさ、最近ずっと髪伸ばしてるよね。何かあったりするの?」
ピザを食べ終わったあとで、真央が聞いてきた。
「何も無いよ。今はそういう気分ってだけ」
ふうん、と言いながら真央はわたしの目をじっと見てくる。
「小さいときって、私より百合の方が髪長かったよね。覚えてる?」
「そうだったっけ」
「うん。今でも覚えてる。腰ぐらいまで伸ばしてたよね」
「ああ」
そう言われてみると確かにそうだった。今と比べてみると、小さいときはかなり髪を長くしてたと思う。
「百合がこっちに戻って来て最初に会ったときに、髪短くしたんだって思ったもん」
「わたしも久々に真央を見たときに、髪型変わったなあって思ったよ。おさげ、似合ってるなって」
まあ、髪型よりも気になった部分があったんだけど。
「小さい頃のロングヘアーより、今ぐらいの長さの方が百合には似合ってる気がするなあ、あくまで私の感想だけどね」
「そう」
わたしはグラスに残っていたサイダーを、一気に飲み干した。
「あ、もうこんな時間。そろそろ買い物行こうよ」
「はいはい」
真央に急かされて外に出る。
「あっつ……」
肌を刺すような日差しに、思わずため息に似た言葉が漏れてしまう。
「で、どこに行くの?」
「もう決まってるからついて来て」
「……はいはい」
真央の笑顔を見て、嫌な予感が胸をよぎった。
……これは相当長くなりそうな気がする。
「じゃ、次行こ」
「まだ行くの?」
家の近くの店で服やカバンを見るだけでなく、学校とは逆方向行きの電車に乗って、街の方まで連れてこられた。
「うん、次はあそこ」
「ええ……」
何軒も連れ回されて疲れてきたのに、まだ真央は満足していないらしい。
「ここの店、水着の品揃えがすごいんだって」
「ふうん」
確かに、洋服の店というよりも水着の店と言っていいほど中は水着で溢れていた。水着といってもワンピースみたいなものだったり、ビキニだったりと種類は実に様々ですごい。
「これ、着てみたら?」
目についた白のセクシーなビキニを手に取って、真央に見せる。
「もう、そんなの着れるわけないじゃん。そんな露出するの恥ずかしすぎるって」
怒られてしまった。わたしは結構似合うと思ったのだけど。
「これとかどうかな?」
さっきから真央が持ってくるものは、なんだか地味で可愛くないデザインばっかりで、それじゃあせっかくの武器が台無しだと思う。
「地味じゃないそれ」
「もう、私が着る水着だからって、さっきから派手なのばっかりじゃん」
せっかくグラビアアイドルみたいな、立派なスタイルをしているのに、もったいないな。
「とりあえず自分で選んだの着てみたら?」
「うん、そうする」
そう言うと真央はいくつか水着を持って、試着室に入っていく。
「覗かないでよ」
「……そんなことするわけないじゃん」
わざわざ真央は釘を刺してくる。まるでわたしが、着替えを覗いたことがあるみたいに言われるのは心外だ。
「開けていいよ」
中から真央の声がしたのを確認してから、わたしが試着室のカーテンを開ける。
「……おぉ」
オフショルダーのビキニの上に、なんでパーカーなんか羽織ったのか、と思ったけどなかなかどうして似合ってる。
「何、その反応」
「そのパーカーもかわいいし、パレオがついた水着も可愛いし、いいセンスしてると思うよ」
「そ、そうかなあ」
「買うなら絶対今までのじゃなくて、それがいいよ」
「そこまで言うんだったら……そうする」
思ってたよりもレジが混んでいたので、会計が終わるまでの間、わたしは店の外で待つことにした。
何をするでもなくぼーっと立っていると、誰かが背後からこっちに近づいてくる。
「あら、奇遇ですね」
振り返る前に、声で誰だか分かって少し自分でも驚いた。
「こんなところで、何してるの?」
「わたくしは少し街を歩きたくなって、貴女は?」
改めて見ると椿原は本当に目立つ。
ずいぶんと背が高いとは思ってたけど、今日は学校とは違って少し底の高い靴を履いているせいか、なんだか今までより上から見下されいるように感じる。
「わたしは買い物の付き添い……かな」
「どなたの?」
「真央のだけど」
わたしの答えに、椿原はかすかに眉をひそめた。
「本当、桜井さんと仲がいいんですね」
「まあ、腐れ縁ってところかな、わたしと真央は」
「腐れ縁……やっぱり貴女と桜井さんは、何かの鎖で繋がれているんでしょうね」
「鎖って……」
ずいぶんと大げさな言い方をするな。
「百合、お待たせ」
そんな会話をしていると、真央が店から出てきて、こっちに駆け寄ってきた。
「あら、桜井さん」
「どうして椿原さんがここに?」
真央は椿原に話しかけられて、ようやくわたしと椿原が一緒にいたことに、気づいたようだ。
「ええ、本当に偶然、わたくしがここを通りがかったときに、百合さんに気がついたんです」
そう言って椿原は笑顔を浮かべる。
「そうなんですか」
前、保健室でああいうことがあったせいか、真央はそう言って笑っていたけど、なんだろう目の奥が全然笑ってなくて。
正直、なんか怖い。
「もしよろしかったら、これから3人でどこか行きませんか?」
突然の提案に真央と顔を見合わせる。
「でも、行くってどこに?」
「行きつけの喫茶店に、これから行こうと思っていまして」
少し待っていてくださいね、と椿原は携帯を取り出した。
「今から車を出してもらえないかしら。ええ、あの喫茶店までお願い。……お待たせしました、では車が迎えに来るので行きましょうか」
電話を終えた椿原は、そう言って勝手に歩きだしていく。
まだ行くって言ってないのに、まるでわたしたちも行くこと前提みたいな……。
「ど、どうするの」
「どうするのって、これ行かないって選択肢なさそうな感じじゃない」
とりあえずわたしは椿原の後をついて歩く、そしてぴったりくっつくようにして、すぐ後ろから真央もついてきている。
少し大きな通りに出ると、前に見たことがある高そうな車がこっちに近づいて来て止まった。
「お待たせしました、どうぞ」
「し、失礼します」
助手席から降りてきた女性は、なぜかメイド服を着ていて、その女性に促されるままわたしは車に乗り込んだ。
「どうぞ桜井さんも、乗ってください」
「は、はい」
わたしの隣に座った椿原に言われて、最後に真央が車に乗り込む。後部座席にちょうど3人で並ぶ形になった。
「お嬢様、よろしいですか?」
「ええ」
椿原が返事をすると車が動き出した。
ところでいったいどこに連れていかれるのだろうか、乗ってしまったあとから不安になってくる。
「あの、椿原さん。どこに向かってるんですか」
しばらく走っていると、真央がわたしも聞きたかったことを質問してくれた。
「わたくしのお気に入りの喫茶店です。ここからだと、15分ぐらいでしょうか」
「その喫茶店の名前って?」
今度はわたしが椿原に尋ねる。
「ええ、サファイアという名前です」
サファイア……どこかで見たか、聞いたような名前だ。
「百合、もしかしてこの前のお店じゃない?」
「この前……ああ、あの喫茶店ってそういえば、サファイアって名前だった気がする」
真央に言われてはっきりと思い出した。あのお姉さんがマスターをしているあの喫茶店だ。
「あら、もしかしてご存知なんですか?」
「真央とこの前のテストが終わった日に初めて行ったよね」
「うん、そうそう」
わたしの言葉に真央は明るくうなずいた。
「そうなんですか、あの店はあまり目立たないところにあるので少し意外です」
椿原は驚いたように瞬きをする。
「そういえば百合、文化祭のことなんだけど」
「何?」
「やっぱり──ひゃっ!?」
真央が続きを言おうとしたちょうどそのとき、急にブレーキがかけられて、体がぐっと前に投げ出されそうになる。
「失礼しました、野良猫が急に飛び出して来たので。お怪我はないですか?」
運転をしているメイドさんがこちらに顔を向けて、確認をしてきた。
「お二人とも大丈夫でしたか?」
「はい」
「大丈夫」
椿原に聞かれたので答えを返す。
さほどスピードが出ていなかったし、シートベルトをしていたので大丈夫だ。
「出して」
「はい」
椿原の言葉で車は再び走り出した。
「もうすぐ着きますので、降りる準備をお願いします」
「ええ」
まもなく車が路肩に止まる。
「こちらでよろしいですか」
「ええ、ありがとう。帰りはまた連絡するからここに迎えに来て」
「かしこまりました」
「ありがとうございました」
2人で車を降りてからメイドさん達にお礼を言うと、会釈を返された。
「それでは行きましょうか」
車に乗っているときと同じ並びでわたしたちはサファイアに歩いていった。
2
「……」
「……」
何だろうこの微妙な雰囲気。テーブルを挟んで正面に真央、そして隣に椿原。
まさに両手に花といったところなのに、全然嬉しくない。
「はい、どうぞ」
「どうも」
椿原からメニューを手渡される。前来たときに頼まなかったアイスココアにしようかな、そう思いながらメニューを眺めていると、椿原が横から覗き込んできた。
「貴女は何を頼みますか?」
「アイスココアにしようと思ってるけど」
「そうですか、ではわたくしも同じものを」
「真央は何に……」
メニューから真央に視線を移す。
「アイスコーヒー、ミックスサンド、ホットケーキとチョコレートパフェ」
「え、そんなに?」
ピザを食べてから、そこまで時間たってないと思うのだけど。
「何か?」
「いや、別に何も……」
ものすごく怖い笑顔を返される。どうやらずいぶんと、お怒りらしい。
「すみません」
椿原が手をあげて店員の人を呼ぶ。
「はーい」
この前と同じ、美人なマスターがやってくる。
「アイスココアを2つ、それと桜井さんは何でしたっけ?」
「アイスコーヒー、ミックスサンド、ホットケーキ、それとチョコレートパフェをお願いします」
一息でそう言うと、真央は運ばれてきた水を一気に飲み干した。
「かしこまりました、飲み物は全部一緒に持ってきますか?」
「はい」
「了解でっす」
椿原が頷くと、笑顔でマスターのお姉さんは奥に引っ込んでいく。
「そういえば百合さんって趣味とかあるんですか」
飲み物が運ばれてしばらくしてから、椿原はわたしに顔を寄せてこう聞いてきた。
「趣味かあ……」
改めて聞かれると何も思い浮かばない。
「そういえば百合、最近絵とか描いてないの?」
「描いてない、そもそもあれは──」
その続きを言おうとして思いとどまる。ココアを一口飲んで、いったん仕切り直した。
「あれはただの気まぐれだし」
「へえ」
真央はわたしの目をじっと見ている。
「桜井さんはどんな絵を見たのですか?」
「私が好きだったのは向日葵とか、空とかの自然がモチーフの絵が多かったかなあ」
「それは素敵ですね。わたくしにも今度見せて下さいね」
「……気が向いたら」
真央に余計なことを喋られて恥ずかしくなる。あんな絵、今考えたらとても誰かに見せられるような出来じゃない。
「お待たせしました〜」
そんな話をしていると、真央が頼んだミックスサンドとホットケーキが運ばれてきた。
「パフェも今持ってきますねー」
「はーい」
言いながら真央は早速ミックスサンドに手を伸ばす。
「お待たせしました、チョコレートパフェです。ごゆっくりどうぞ〜」
「ねえ百合、ホットケーキ食べるでしょ?」
「どうしたの急に」
真央はミックスサンドを半分ほど平らげると、急にわたしに聞いてきた。
「はい」
わたしは食べるとは言っていないのに、ホットケーキが刺さったフォークを差し出してくる。
「自分で食べるからいいって」
「あーん」
どうやらわたしの意志は、今の真央には関係ないらしい。
「さすがにそれは恥ずかしいって……」
「もう、何も恥ずかしいことないじゃん」
「うふふ、本当にお二人は仲がいいですね。でも、わたくしがここにいることもお忘れなく」
そう言う椿原は笑顔だったけど、真央と同じぐらいなんだろう圧を感じる。
「ちょっと手洗ってくる」
とりあえずこの空気から逃げようと、席を立つ。
「はー」
水で軽く顔を洗って、長いため息をつく。
「うふふ、ため息なんてどうされたんですか」
気がつくと、椿原が隣に来ていた。
「別に」
「ふふっ、ごめんなさい、百合さんと桜井さんのデート、邪魔してしまって」
「いやそんな……別に、デートとかじゃないよ」
相変わらず椿原は、距離が近い。
「わたくし意外と嫉妬深いんです。それに、まだ諦めてませんから」
耳元で囁かれた言葉が、椿原が去った後でもずっと頭の中に残っているようだった。
「……ふう」
「どうしたの」
「いや別に」
あれ、どこに行ったのだろう。テーブルに戻ると椿原はまだ戻ってなかった。
「ふーん、ならいいけど」
真央はそう言って、最後の一切れのサンドイッチを口に入れる。
「そういえばあの生徒会長さんは、どこ行ったの?」
「百合は会ってないの?」
「さっきトイレで会ったけど、先に戻ったと思ってた」
先にトイレから椿原が出たのだから、普通は先に戻ってるだろうと思うのだけれど……どこにいったのだろう。
「ふーん」
パフェを食べる真央は、何か考えているようだった。
「すみません、お待たせしました。急にわたくし帰らなければいけなくなってしまって……会計は済ませて置いたので、お先に失礼します」
小走りで戻ってきた椿原は、明らかになにか焦っているようで、何かあったのか聞けそうな雰囲気ではなく、そのまま出ていってしまった。
「どうしたんだろ、あんなに焦って」
「ね、椿原さんっていつも余裕を通り越して、なんか風格ある感じなのに」
真央は不思議そうにしていたし、わたしも同感だ。大丈夫だろうか。
「わたし達も帰る?」
「そうだね」
席を立ってマスターのお姉さんに確認してみると、本当に会計を済ませていたらしい。
「どうしよう私、色々頼んじゃったのに」
「今度あったときにでも、返せばいいんじゃないの」
話しながら店の外に出ると、さっき椿原に乗せられてきた車が店の前に停まっていた。
「あれ、あの車って……」
わたしが疑問に思っていると、中からさっき運転をしていたメイドさんが降りてくる。
「お嬢様から送っていくようにと、おおせつつかっていますので、どうぞ乗ってください」
「は、はあ」
とりあえず言われるがまま車に乗り込む。
「どちらまで向かえばいいですか?」
「どうする?」
「ここから一番近い駅まででいいんじゃない?」
「うん」
真央の言葉に頷く。
「かしこまりました」
メイドさんがそう言うと、車はゆっくりと走り出した。
「何かあったんですか?」
さっきの椿原の様子から何かあったんだろう、さすがに気になったので尋ねてみる。
「お嬢様から何も聞かされておりませんので、お話できることはありません」
「そう……ですか」
やっぱり何かあったとしか思えないけれど、わたしがこの人から聞き出せることは何もなさそうだ。
「こちらでよろしいですか」
それからは会話もなく、すぐに知っている駅についた。
「はい」
「ここで大丈夫です」
わたしたちが返事をすると、車は駅前のロータリーに停められた。
「あ、あのこれ椿原さんに渡してもらえないでしょうか。私たちの分のお金です」
「いえ、受け取れません。お嬢様から『こちらからお誘いしたのでお代は結構です』と言いつけられているので」
「でも」
「お気持ちだけで結構ですと」
真央がどうにか渡そうとするも、メイドさんは決して受け取ろうとしなかった。
「だったら椿原さんにありがとうございました、と伝えておいてください。お願いします」
終わりそうにないやり取りを聞いていても、らちが明かないのでお礼だけでも伝えておいてもらうように頼む。
「かしこまりました。お嬢様にお伝えしておきます」
ようやくメイドさんが頷いてくれた。
「降りよ」
「分かった」
まだ納得がいっていない顔の真央を促して、車から降りる。
「はあ、どうしよう」
「まあそんなに気にしなくても、いいんじゃない?」
電車に乗り込んでも、真央はまだ不満げな顔をしていた。
「ふわあ……」
電車の揺れで、なんだか急に眠たくなってきた。
「ねえ百合」
「ん?」
目を軽くこすってから、真央の方を見る。
「百合に相談したいことがあって」
「相談?」
普段とは違う、やけにかしこまった口調に、なんだかただならぬものを感じた。
「大学どうしようかなあって思ってさ、百合に意見聞きたいなって」
どうしてわたしにそんなことを聞いてくるのだろう。
「真央が自分で考えて、決めることじゃないのそれは」
「そうなんだけど、そうじゃなくってさ」
真央は困ったような顔をする。
「なんていうか……その、百合がどうするのかってのを聞いてから、私もどうするか決めたいなって」
「どういうこと?」
「前聞いたときは決まってないって言ってたけど、百合もそろそろこういうこと考えてるのかなって、思ったから聞いてみただけ。どうなの?」
真央が何を思ってこんなことを聞いてきているのか、わたしにはいまいち分からなかった。
「何も考えてない」
これから自分がどうするかなんて考えてない。
というよりも、考えられる状況にわたしはいない。という方が正しい。
「……そっか」
真央はそれ以上深く聞いてはこなかった。
だけど、不安そうな横顔を見ていると、なんだか自分から距離を作ったのに、申し訳ない気持ちになる。
「また今度買い物に付き合ってね、約束。ほら、小指出して」
家の前で別れるとき、真央がわざわざ指切りを求めてきた。
「どうしたの急に」
「いいじゃん、それとも嫌なの?」
「別にいいけど……」
差し出された右の小指にわたしの同じ指を絡める。
小さいときは、よくこうして色んな約束をしたような気がするけど、今やるとなんだか子供っぽくて、わたしはちょっぴり恥ずかった。
「指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます、指切った」
絡み合わせた小指から、真央の体温がわたしに伝わってきた。同時にわたしの体温も真央に伝わったのだろうか。
「じゃあ、またね」
「うん」
指切りを終えると、小走りで真央は家の中に入っていく。その後ろ姿を見送ってからわたしも家に帰った。
「ふう」
すぐにシャワーを浴びて汗を流してから、ソファーに倒れ込む。まだ寝るには早い時間だけど、今日はこのまま眠れそうな気がする。
「……」
ソファーの上で横になって、直接目の前に右手をかざす。
さっきの指切りの感触がまだ残っていることが、わたしには不思議だった。
「……なんでだろ」
小さいころやっていたときには、意識することがなかった暖かさ。
あのときよりも真央が暖かくなったのか、それとも小さいときにわたしが感じなかっただけなのか。
「ふわぁ……」
その答えが出る前にわたしは眠りに落ちていた。




