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朝色小夜曲  作者: 芦野
26/28

Another chapterED 前編

この章はAnotherchapter1〜12の続きとなっています。未読の方はぜひそちらから読んでいただくことをオススメします。

1

もう時間がない。分かっているはずなのに、わたしはほとんどずっとソファーの上から動けなかった。

8月5日は何もする気になれなかった。

椿原とのことで、やっぱり自分の中のエネルギーを使い切ってしまったんだろう。

働かない頭を働かせることが出来ないまま、一日が無意味にに終わってしまった。


8月6日の朝は頭痛から始まった。

「……」

睡眠時間が足りなかったわけではない。多分、精神的な部分の影響が大きいと思う。

 顔を洗ったところで、鏡に映った自分と目が合った。

──ひどい顔だ。

腫れぼったいまぶたに、情けない表情。

でもこれが今のわたし、どうしようもない自分自身だ。

今日も外は雨が降っている、台風が去った後にまた次の台風が来ているらしい。


気がつくとわたしは傘をさして外に出ていた。

「……」

傘を叩く雨音がどうしてだか心地良い。

水たまりに足を踏み入れると、スニーカーの足先から水が沁み込んでくる。

バカなことしてるなって分かっていても、なぜだか足を止める気にはなれなかった。

「……はぁ……はぁ」

ただ歩き続ける。

全部、全部、頭の中に渦巻いているもの全部。

空っぽになるまで、無心になれるまで、歩きたい。

……ううん。歩かなくちゃいけない気がした。

「……ねぇ」

どこかから声が聞こえた気がした。でも、それでもわたしは足を止めなかった。

「百合! ……百合ってば!」

突然後ろから肩を掴まれた。

「……なんだ真央か、どうしたの?」

そっちこそなにしてるのって聞きかけて気づいた、右手に下げられたビニール袋。どうやら買い物帰りみたいだ。

「もう、どうしたの? じゃないよ。どうしたのこんな天気なのに」

「うーん。強いて言うなら散歩、かな」

「本当?」

「本当。そういう気分だったってだけ」

「ふーん」

明らかに怪しんでるし、どう言い訳したものか。

「ちょうどそろそろ帰ろうと思ってたとこ」

「じゃあ私も一緒に帰る」

真央はわたしの隣に立って一緒に歩き始めた。


「もしかして、何か悩み事? 私でよかったら相談乗るよ」

「悩み事ってほどでもないよ。ただ色々決めないといけない時期だから」

「……それを悩み事って言うんじゃないの?」

「そうかもね」

そっけなくそう返すしかなかった。心配してくれているの、分かってるけど、だからこそこれ以上心配させたくなかった。

「……ねえ百合」

「ん?」

足を止めて真央は神妙な顔をする。

「私、確かに頼りないけど、話を聞くことぐらいなら出来ると思う……だから、変に気をつかわれたくないし、遠慮して欲しくない」

真央はいつもわたしをたしなめてくるときみたいにこう言うけど、顔はいつもとは違って怒っていない。

むしろ、どこかちょっと悲しそうな顔をしていた。

「……」

「私、百合が思ってるより百合のこと心配してるんだからね」

「……ありがと、でも大丈夫」

「それならいいけど……」

まだ不安そうな顔をしながらも、真央はそれ以上何も言ってこなかった。

「じゃ、またね」

「……うん」

ちょっと大げさに腕を振ってみせる、真央も腕を振り返してきた。


真央の優しさが、今のわたしには危険過ぎた。

ずっと抱えている色々な気持ちが決壊して、溢れてきちゃいそうで、怖かった。

……今、あの胸に飛び込んで泣いたら、きっと楽になれる。

でも、わたしはそれをしなかった。いや、したかったけどなんとか我慢したっていう方が正しいかもしれない。

これはわたし自身の問題で、誰かに相談したって解決出来ることじゃないし。もし仮にそれで解決したってわたしは結局何も変わらないし変われない。

だからここで真央に頼るのは違う、そう思った。


「はぁ……」

気持ちを切り替えようとシャワーを浴びて、いつものようにソファーに倒れ込む。

わたしはいつしか考えることをやめていた。

……もしかしたらちょっと、ヤケになってしまっているのかもしれない。

でも、お母さんの前に立ったら、どれだけ言葉を考えても伝えられる気がしなかった。

どれだけ取り繕った言い訳を用意したって、きっと無駄だから、自分の気持ちを正直に伝えて後はもう委ねるしかない。

そんな、諦観に似た考えが最後にわたしの導き出した答えだった。


──波の音が聞こえる。

一定の感覚のようで、ちょっと違うような独特なリズムがなんだか心地良くもあり、ちょっと不思議でもあって。

視線を波打ち際から移してみる。

小さなオレンジ色のくまのストラップがついている車いすが、そこにはあって。

「……」

でも、そこにいるはずの人はいない。

いるはずがないのに、そこにその人がいないことをわたしはまだ、受け入れられていない。

(あおい)……」

そうだ、葵はもういない。あの声がもう聴こえてくることも、もうないんだ。

とっくの昔に分かっていたことだけど、それでもずっとこの砂浜からわたしは歩き出すことが出来なかった。

ずっと、ずっとここにいたいけど、でももうわたしはここにいられない。

ずっと追いかけていた、砂浜に残った車輪の跡。それをじっと見つめてからわたしは、踵を返した。

……ダメだ、いつまでもここにいちゃ。

歩かなくちゃ。わたし自身の足で。


目を開けると、見慣れた天井がそこにはあった。

なんだかちょっと眩しいし、輪郭がにじんだ丸がいくつも見える。

でも、もう泣いていられない。

自分の頬をぱんと、一回両手で叩いた。

これからどうするか、ようやく決心できたのかもしれない。


2 

嘘をついてはいけない。そんなこと、と誰もが分かっているはずなのに。

──どうして人は嘘をつくのでしょう?

「花恋、お母さんのことはいいから、貴女は自分のために時間を使いなさい。人生の時間は有限よ」

お見舞いに行くたびに、わたくしにいつもお母さんはそう言ったのです。

「お母さんの病気はすぐに治るわ」

今になって。……いいえ、きっとそう言われたときから心のどこかでわたくしは、それが()()()()だと気づいていたのでしょう。

でも、それでも子供だなんて思わずに本当のことをお母さんには話して欲しかったのです。


「家のことはお姉ちゃんがどうにかするから、花恋は自由に自分のやりたいことを探していいよ」

──あの姉はそう言っておきながら、何もかもを投げ捨てて家を出ていきました。

自由に自分のやりたいことを見つけなさい。口にする人にとってはとてもいい言葉に聞こえるでしょう。

でも、そう言われた方は違います。

全部が全部、押しつけられたとは思ってはいません。ある程度は自分で納得して受け入れた部分もあります。

それでも、わたくしは心のどこかでずっと葛藤し続けていたのでしょう。

これが、本当に自分のやりたいことだったのかと。


「……」

百合さんにちゃんと謝ろう。そう決めたはずなのに、なかなか実行に移すことが出来ませんでした。

「あれ〜どしたの浮かない顔して」

「ノックぐらいしてください」

姉とは一応は和解という形をとりました。といってもまだ許したわけではないですが、今までのこととこれからのことの責任を取らせないといけないので。

「百合ちゃんとはどう? あれから」

「余計な詮索しないでください」

「ごめんごめん。でも、このままってわけにはいかないでしょ」

茶化すつもりで来ていたら部屋から追い出すつもりでしたが、様子からするとどうやら違うようです。

「……いちいち姉さんに言われなくても、分かってます」

百合さんがはっきりと拒絶をしないのをいいことに、わたくしは色々とやりすぎてしまいましたから。


不意に携帯電話が鳴り始めて、驚いたのもあるのですが、それ以上にその相手の名前に、心臓が止まりそうになるぐらい驚きました。

「……! もしもし百合さんですか?」

「うん。今、電話大丈夫?」

「はい、もちろんです」

あんなことをしてしまった後ですから、百合さんの方から電話をかけてくれるとは、思ってもみなかったです。

「そんな大したことじゃないけど、一応相談というか報告があって」

「……どうされたんですか」

いつもの百合さんとは違う声色に、電話を握る手に思わず力が入っていました。

「もしかしたら、学校やめることになるかもしれなくてさ」

「え?」

全く予想していなかった言葉に、思わず固まってしまいました。

「まだ分からないんだけど、そういうことになるかもしれないってだけ、でもそうなったとしても心配しないで。わたしは大丈夫だから」

「そう……なんですか」

突然のことにとまどいと、それとほんの少しの安堵の気持ちで心が乱れていました。

「話はそれだけ、じゃあね」

「……あの!」

百合さんがどうしてこんな電話をかけてきたのか、いまいち頭の中で理解で追いついていませんでした。それでも、切られてしまう前に、どうしても言わなければいけないことがあることをなんとか思い出せました。

「何?」

「もう一度二人きりで会ってちゃんとお話させてもらえないですか?」

「うん、分かった」

少し考えるような間があってから、百合さんはこう答えてくれました。

「ありがとうございます」

「……じゃあ、またね」

「はい、また」

電話を終えると、身体から力が抜けていきました。

「ふう」

「どうだった?」

「……まだいたんですか」

姉がいることをすっかり忘れていました。気をつかって出ていってくれていたら良かったのに。

「ま、気負い過ぎないようにね」

軽く肩をぽんっと叩いて、姉は部屋を出ていきました。

「……百合さん」

姉がようやくいなくなった後、わたくしはもう一度、携帯電話をぎゅっと握りしめました。


3

「……」

「百合、あなた何か変わったわね」

「そう、ですか?」

お母さんの家に向かう車の中で、恭子さんは独り言のようにそう呟いた。

「ええ、とっても。何だか憑き物が落ちたみたいね」

「……」

憑き物って、もうちょっと他の言い方はないんだろうか。

「到着しました」

「ありがとうございます」

運転手の人にお礼を言って、わたしは車から降りた。

「……ふぅ」

短く息を吐いてから、インターホンのボタンを押した。

「3階で待っているから上がってきなさい」

「はい」

もうどこにも逃げ場はない、覚悟を決めないと。そう自分に言い聞かせてから扉を開けて中に入った。

「……」

画材特有の鼻につく匂い。ここに来るのは初めてだけど、お母さんがこの家をどういう目的で借りているのか、なんとなく察しがついた。

螺旋階段を一歩、また一歩と上がっていくたびに、自分の脈動が激しくなっていくのが分かる。


「あ……」

リビングらしき部屋に出たところで、お母さんと目が合った。

その鋭い眼差しに足がすくみそうになる。

それでもわたしは目を逸らさずにお母さんの前に立った。

「そこに座りなさい」

「は……はい!」

自分でも声が上ずっているのが分かる。まだ何もしてないのに冷や汗が早くも出始めていた。

「──百合、わざわざ呼びつけたりして悪かったわね」

透明なテーブルを挟んでお母さんと向き合った。

「いえ、そんな……身体はもう大丈夫なんですか」

何だかお母さんの顔色が前にあったときよりも、良くない気がする。この前のこともあるし、正直とても不安になった。

「貴女が心配することじゃないわ」

「……ごめんなさい」

「まぁそんなことはいいの。それより貴女がこれからどうするつもりなのか、聞かせてちょうだい」


「……わたしは……」

いけない、落ち着かないと。そう何度も自分に言い聞かせても声が出てこない。

「戻って来る気になった?」

何も言葉を発せずにいるわたしに業を煮やしたのか、お母さんはそう語りかけてきた。

「……それは違います」

お母さんの言葉を否定することは怖かった。

でも……それでもわたしは、自分の気持ちをお母さんに伝えなきゃいけない。

「わたしは、お母さんのもとに戻るつもりはありません」

「……そう、だったら貴女どうするつもり?」

お母さんは表情を変えないまま、じっとわたしを見つめてくる。

「何も決まってません。でも、このままじゃダメだってことは分かってるんです」

震える左腕を右腕で押さえてから、大きく息を吸った。

「これがわたしの覚悟です」

学校に行ってわざわざ貰ってきた退学届。それと家の鍵をお母さんに差し出した。

「わがままを言ったのに、今まで自由にさせてくれてありがとうございました」

深々と頭を下げる。わたしに出来ることは、もうこれ以上何もない。


「貴女の気持ちはよく分かったわ。……いつまでもそうしてないで顔を見せて」

どうしてかは分からないけど、お母さんは微笑んでいた。怒っていたり、真顔じゃないお母さんの表情を見たのはいつ以来だろう。

「……そのトランクケースひとつだけで、本当にこれから生きていくつもりなの?」

お母さんの言葉は優しい口調の裏に、とても重いものがこもっていた。

「……はい」

自信なんて、あるわけがない。それでもわたしは大きく頷いた。

「たとえ嘘だとしても、そう言えるだけ進歩したわね」

お母さんはそう言うと一度目を閉じてから、ふっと息をはいた。

「……高校はちゃんと卒業しなさい、そこから先はわたしは何も言わないわ」

「え」

「家もそれまでは好きに使っていいわ」

「……いいんですか」

「ええ。ただそこから先は貴女一人で生きるのよ。これからはちゃんとその自覚を持ちなさい。どういうふうに生きて、死ぬのか選ぶのは自分自身なのだから。……話はこれで最後よ」

「……はい」

本当はもっと言いたいこと、伝えたい気持ちがあったのに、それ以上言葉が出てこなかった。


「進路とか決めたらまた連絡しなさい」

「はい」

まだ、自分の気持ちがお母さんにちゃんと伝わったのか、ちょっと不安だったけど、少しは自信、持てたのかもしれない。

「もっと胸を張りなさい、いつまでもそんな顔してないで」

車から降りるとき、恭子さんはわたしの背中を軽く叩いてこう言った。

「……頑張ります」

わたしがそう返すと、車は走り去って行った。


シャワーを浴びてからソファーに倒れ込む。

疲れは当然あったけど、それよりもほっとしたという安堵感の方が大きい。

「……頑張る、か」

そうだ、頑張らきゃいけない。

ちゃんと頑張れるのかは正直自分でも不安だけど、少しずつやってみるしかない。

「ん?」

急に携帯が鳴り出す。誰だろうと思って画面を見ると、椿原花恋と表示されていた。

「もしもし」

「ごめんなさい、今電話大丈夫ですか?」

「うん」

わざわざ電話をかけてくるなんてどうしたんだろう。

「この前のことで、百合さんの都合がいい日を教えてもらえないですか」

ああ、そういえば直接会って話したいって言ってたな。

「明日以降だったらだいたいいつでも大丈夫だと思うけど」

「でしたら、明日の夕方5時頃お迎えに行ってもいいですか」

「うん」

要件はそれだけだろうか、そう思って口を開きかけたときだった。

「……あの、百合さん」

「どうしたの?」

「この前のこと、本当にごめんなさい」

急に謝られたので言葉に詰まってしまった。

「……あーえっと、気にしなくていいよ」

もう済んだことだし、わたしは正直それどころじゃなかったから。全然気にしていなかった。

「……百合さんはちょっと優しすぎます。怒ってくれてもいいんですよ?」

電話越しでも、椿原がホッとした様子が伝わってきた。

「何か困った事があったら、力にならせてくださいね」

「ありがと」

「それではまた明日」

「うん」

そのままソファーに寝転んでいるうちに、わたしは眠ってしまっていた。


4

「ふわぁ……」

久々によく眠れた気がする。何だか身体がいつもより軽い。

軽く身体を伸ばしてから、身支度を整える。

「……そうだ」

椿原が来るのは5時だったはず、今はまだ昼過ぎだしかなり時間がある。

改めて家の色々なものを整理することにした。

どうしても持っておきたいものはスーツケースに詰め込んだけど、それ以外の残しておいたものを改めてどうするか決めておかないといけない。

「これも……いらないか」

残っていた雑貨や、捨てられずに取っておいたものを分別しながらゴミ袋のなかに放り込んでいく。

そんな作業をしているうちに、気づけばもう夕方になっていた。

「……やば」

急いでもう一度シャワーを浴びて、髪を乾かし終わったところでチャイムが鳴った。

「おはよう、って時間でもないか」

「……ふふっそうかもしれませんね」

一瞬、椿原はぼーっとわたしの顔を眺めたあと、恥ずかしそうに笑った。

「どうぞ、乗ってください」

「あ、うんありがとう」

椿原にエスコートされて車に乗り込む。

「……そういえば、どこ行くの?」

「秘密です」

微笑まれてごまかされてしまった。


「ここって」

見覚えのある場所に車が停められる。

「はい、わたくしの家ですよ」

もったいぶってるからどこに連れて行かれるんだろうって思ってたけど、椿原の家だった。

「でも、今日は一味違うんですよ」

「そうなの?」

「ええ、ついて来て下さい」

椿原に連れられて、家の中を改めて案内された。

今まで通り抜けるだけだった場所や、今まで入ったことのない部屋まで、普通他人には見せないようなかなりプライベートな空間まで、わざわざわたしに見せてきた。

「では、次はわたくしのお気に入りの場所にいきましょう」

「それって?」

「すぐ隣の部屋ですよ。ここです」


「すごい……」

今までの部屋よりもかなり広い。それにここはまるで小さな図書室みたいな雰囲気がある。

「小さい頃はよくこの部屋で絵本だったり、小説やマンガだったり。とにかく色んなものを読んでいたんです」

「本当にすごいね、ここ」

背の高い本棚がたくさんあって、ジャンルを問わず様々な本が綺麗に整頓されて並べられていた。

「奥に行きましょうか」

椿原についてさらに奥に進むと、大きくて平らなソファーがあることに気づいた。

「少し横になりましょうか」

「え、ここに?」

普段ソファーで寝ているわたしが言うのもなんだけど、椿原がそんなこと提案してくるとは思わなかった。

何というか、ちゃんとしたベッド以外には横にならないイメージを勝手に持っていたから、ちょっと意外だったというか。

「よっと……」

横になってから気づいた。天井が丸い形の天窓になっていて、

「本を読んで、ときおりこの天窓から空を眺めることが好きだったんです」

「いいね、なんか落ち着く気がする」

「ええ、とても」

そう言って椿原はまた微笑む。

しばらくしてから、椿原はおもむろに立ち上がった。

「そろそろ行きましょうか」

「うん」


その後椿原の部屋で、しばらくくつろいだ後のことだった。

「……あの、百合さん」

「?」

「運命って信じますか?」

真面目な顔をしてそんなことを聞かれると、こっちもちょっと真剣に考えてしまった。

「まあ、どっちかっていうなら信じるかな」

「……わたくしは今でも信じているんです。運命の赤い糸というものを」

そう言って椿原は自分の左手の小指を立てた。

「笑ってもいいんですよ。バカバカしいって」

椿原はふっと微笑んでこう続けた。

「でも、もしそんなものが本当にあるのだったら、ちょっと素敵だなあってわたくしは思うんです」

「ロマンチストなんだね」

「ふふっ、そうかもしれません。……それで、自分の赤い糸が誰に繫がってるんだろう。ふと、そんなことを考えていたんです」

椿原は一度目を伏せてから、わたしの方に向き直った。


「運命の赤い糸、わたくしの小指からは、百合さんに繫がってるじゃないかって思ってるんです」

椿原はそっと立てた小指を撫でて、元に戻した。

「百合さんの小指には、もうすでに別の赤い糸があるかもしれません。でも、それでもわたくしはそう信じたいんです。……わたくしにとっての運命の人はきっと、百合さんただ一人なのですから」

そう言うと、椿原はわたしの手をそっと握ってきた。

「わたくしの手を取って、一緒に歩いてもらえませんか」

「……」

握られた手から熱が伝播してきたように、自分の顔が火照っていくのが分かる。

「いいんです。今すぐ答えを求めているわけじゃないですから。……ゆっくり考えてみてもらえないですか」

椿原はそう言うけど、すでにわたしの中で答えは決まっていた。

「──ねえ」


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