Another chapter11
この章はAnotherchapter1〜10の続きとなっています。未読の方はぜひそちらから読んでいただくことをオススメします。
1
「そういえば、さっき買ったプレゼントまだ交換してなかったですね」
運ばれてきたコーヒーを一口味わってから、思い出したように椿原はこう言って包装された袋を差し出してきた。
「気に入ってもらえれば嬉しいです」
「ありがと、じゃあわたしも渡しておくね」
わたしは結局、さっきの鳥の小物にしたけど椿原はどんなものを選んだんだろう。ちょっと気になる。
「わたくしのプレゼントは家に帰ってから開けてくださいね」
「え、うん分かった」
そう言われなかったらこの場で開けてしまうつもりだったけど、別にどっちでもかまわないしいいか。
「……」
「百合さん」
「ん?」
何をするでもなく店内の装飾を眺めていると、椿原が話しかけてきた。
「先ほどからどんなことを考えられているのですか?」
「いや、別に何も」
「ずいぶんと物憂げな表情をされていたので」
「……そんなに?」
ぼーっとしていただけなのに、椿原の目にはそう映ったらしい。
「はい、とっても」
コーヒーをまた一口飲んで、椿原はふっと笑う。
「本当に何も考えてなかったよ。そんなに変な顔してた?」
「変な、ではなく、とても可愛らしい顔をしていましたよ」
「やめてよもう……」
もしかしてわたし、遊ばれてる?
本当に、椿原はなんというか掴めない変な人だ。
「そうでした、百合さんに聞いておかないといけないことがあるんです」
「?」
「百合さんがもしよろしければ、メイドとしてわたくしの家で働きませんか?」
「……あの話本気だったんだ」
この前電話で話したときにも、同じようなことを言われたことがある。そのときは冗談半分だろうと聞き流していたのだけど……どうやらそうじゃなかったらしい。
「でも、メイドと言っても普通の仕事となんら変わりないですよ。まずはアルバイトからでもいいですから、ね?」
椿原はそう言って微笑みながら、封筒を差し出してきた。
「中は雇用契約書と、そのほか必要なものが入ってます。一度目を通してくださいね」
それに、と言葉を切ってから椿原はこう続けた。
「わたくしは、百合さんのこと終身雇用したいと考えていますから」
「……そ、そうなんだ」
なんか、さらっととんでも無いことを言われた気がするけど、とりあえず曖昧に頷いておく。
「嘘とか冗談ではないですよ。本気で思っていないのにこん、なこと言わないです」
「……」
「わたくしは嘘はつくこともつかれることも嫌いですから」
そう言う椿原は微笑んでいたけれど、どうしてだろう目は全然笑ってないような気がした。
「……いつも何というか、忙しそうにしてるけど、疲れないの?」
同じようなことを真央にも思ったことがある。
「もちろん疲れたって思うこともありますよ。でも、わたくしの肩に乗っているのは自分のことだけじゃなくて、椿原で働く人のことも背負っています。その人たちのことを考えたら、そんなことばかり言っていられないですよ」
さっきまでと違って椿原は真剣な顔をしている。
「やめたいって思わないの?」
「思いませんよ。椿原の家を継ぐこと、それがわたくしに課せられた運命だと信じていますから」
「……」
運命、そのたった二文字の言葉で片付けるのには重過ぎるものを背負っているように見えるのに、どうしてそんなふうに堂々としていられるんだろう。
……わたしには出来ないな。
声になって出そうになったこの言葉を、わたしは飲み込んだ。
2
「すみません、ちょっと電話に出てきますね」
「あ、うん」
少し不機嫌そうな顔で携帯を見つめてから、椿原は席を立った。
「……ふう」
それにしてもここは本当に雰囲気がいい。なんだろう、流れる時間が他の場所よりも少しゆったりしているような気がする。
店内の装飾だったり、かけられている音楽だったりがこの落ち着く空間を作り出しているのかもしれない。
「──すみません! 本当に急で申し訳無いのですが、わたくし帰らなくてはいけなくなってしまって……後のことはメイドの一人に頼んでおいたので、百合さんはここで待っていてくださいね」
一方的にこう告げると、椿原は行ってしまった。
「……どうしたんだろ」
普段椿原は微笑みを浮かべながら落ち着き払っている印象があるけど、そんな彼女があそこまで慌てるんだし、何か大変なことがあったんだろう。
そんな漠然とした想像をしながら、言われた通りに待っていると、この前のボスっぽいメイドさんがやってきた。
「このままお待ちください。すぐに迎えが来ますので」
「は、はい」
「……」
とりあえず言われた通りに待っているのだけど、じっとそばに立っていられるとものすごく居心地が悪いというか、なんというか落ち着かない。
普段は大して見ることのない携帯を開いてみたり閉じてみたり、グラスに残った水をわざとゆっくり飲んで時間を潰そうとしていた。
「おっまたせー! 朝倉ちゃんごめんねー待ったでしょ」
やってきたのは蓮佳さんだった。
「いや、そんなことは……」
いや確かに結構待たされた気がするけど、それよりもどうして蓮佳さんがここにいるんだろう。
というか迎えに来るって言ってたけど、どういうことなんだ。
注文を済ませると、蓮佳さんはメイドさんを手招きして呼んで、二言三言耳打ちをする。
「かしこまりました」
そう言ってメイドさんは行ってしまった。
「──さてと、二人きりになれたことだしまずは何から話そっかな」
コーラフロートをかき混ぜながら、いたずらっぽく蓮佳さんは笑う。
「あーそうだ、朝倉ちゃんこの前お姉さんがせっかく忠告したのに無視したでしょ、まずそのことからだね」
「忠告?」
そんなことされてたっけ、と一瞬考えて思い出した。
「花恋と二人きりで会わない方がいいよって、お姉さん言ったと思うんだけどなあ」
「その、ごめんなさい」
「ううん。別に謝って欲しい訳じゃないよ。別に、花恋と仲良くなることをやめて欲しいってわけじゃないんだ。でも、お姉さんの忠告を無視したってことはさ」
スプーンでアイスをすくって食べてから蓮佳さんは、じっとわたしを見た。
「面倒なことに巻き込まれる覚悟があるってことだよね?」
冗談めかした口調なのに、全然目が笑っていないのがものすごく怖い。
「……面倒なことってなんですか」
「うーん、花恋から何をどれぐらい聞いてるか分からないから難しいんだけど、まず話さないといけないのは……」
蓮佳さんは短く息を吐いた。
「お姉さんがものすごーく花恋に嫌われてるってとこからした方がいいのかな? なんとなく分かってるかもしれないけどね」
「……それはまあ」
わたしが蓮佳さんと会ったんじゃないか、と問い詰めてきたときのことを思い返すと冷や汗が出そうになる。
まあ、そのときの口ぶりからして流石に蓮佳さんのことを嫌っているということはわたしにも分かる。
「色々あってお姉さん、ちょっと自分探しの旅とか、まあ簡単にいうとふらふらしてたんだよねー。結果としてそれが原因で花恋には相当大変な思いをさせちゃったから、嫌われてもしょうがないんだけど」
蓮佳さんはグラスについた水滴を指でなぞってから、肩をすくめた。
「それに、これからもっと嫌われるだろうことをしないといけないっていうのが辛いところなんだよね」
「……」
嫌われることって、なんですかと聞こうか迷ったけど、なんだか怖いしやめておくことにした。
「で、ここからが本題ね。朝倉ちゃんに頼みたいことがあるの」
「……なんですか」
「今じゃなくて、ほんの少しだけ先のことになると思うんだけど、力を貸して欲しいときがくると思うんだ。そのときに私、ううん。花恋のこと助けてくれないかな」
そう言うと蓮佳さんはわざわざ立ち上がって、頭を下げてきた。
「そ、そんな助けるってどうすれば」
それに花恋をってどういうことだろう。
「それは必要になったときに教えるよ。そのときにお姉さんのお願いを聞いて欲しいんだ。もちろん朝倉ちゃん……ううん貴女にしかできないことを頼むから」
「……」
わたしにしか出来ないこと、そんなこと言われても正直困ってしまうというか。全然話の内容が読めない。
「本当にそんなこと、あるんですか」
「あるよ。そうじゃなきゃこんなこと言わない」
「……分かりました、わたしに出来ることだったら」
蓮佳さんの力強い眼差しに半ば押された感じだけど、わたしは頷いた。
「ありがとう。このことはお姉さん忘れないから」
そう言って蓮佳さんはわたしの手をぎゅっと握ってきた。
3
突然の電話で百合さんとの時間を奪われたことに、わたくしはいらだちを覚えていました。
それにその電話の内容が本当ならば、あの姉が家に帰ってくるということですから……こちらもどういう対応をとるか考えないといけません。
「……そう、分かった」
再びかかってきた電話で、姉がやって来る時間のおおよそのめどがつきました。
あち一時間ぐらいで来ると言ってきたのなら、一時間半といったところでしょうか。
「シャワーを浴びてくる、携帯はもっていくから何かあったら電話をかけて」
そうメイドの一人に告げてわたくしは部屋を出ました。
「……」
いつも使う入浴剤とは違うものを入れた浴槽に身体を沈めて、わたくしは目を閉じました。
今さら戻って来るなんて一体どういうつもりなんでしょう。
──何にも考えてないんじゃない?
確かにそうかもしれません。ただ、最近わたくしの周りの人に余計なことを触れ回っていることから考えると……何かあると考える方が確実でしょう。
──あ、じゃあお金の無心とかかな?
その可能性もあるでしょう。でも、それだけならここまで目立つ動きをするでしょうか。そんなことをしなくても済むはずです。
「……」
それに百合さんのことも気になります。……ひとまず後でお詫びの電話かメールをしないといけません。
「……ふう」
お風呂からあがって身支度を整えたところで、メイドの一人から姉がもうすぐ家につくという連絡がありました。
姉と顔を合わせるのは本当に久々です。彼女が家を出ていってからは、これが初めてになります。
……でも、だからといって嬉しさや喜びといった感情はわたくしの中に全くありませんでした。
「……遅い」
あの人はもうすぐ、という言葉の意味を知らないのでしょうか。
「花恋様、蓮佳様が到着されました」
「分かりました」
本当なら出迎えに行くべきなのでしょうが、わたくしは椅子に座ったまま動く気になれませんでした。
「んー久々の実家は落ち着くね〜」
能天気に笑いながらこっちに歩み寄ってくるのが自分の姉だと思うと、なんだか頭が痛くなりそうです。
「……お久しぶりです」
「えーどうしたのそんなキャラじゃないじゃん」
テーブルを挟んで向かい合ってもなお、笑っている姉の顔が今まで一番憎らしく映ります。
「それで、何のご用ですか?」
湧き上がってくる苛立ちを抑え込みながら、わたくしはこう質問をしました。
「まあそう焦らないで、久々の姉妹の時間なんだし」
「……貴女はそんなことのためにわたくしを呼び出したんですか」
「そんな怖い顔しないでよ。大事な話があるから呼んだに決まってるじゃない」
相変わらずの人を食ったような軽薄な態度に、わたくしはテーブルを拳で叩きました。
「……だったら!」
「朝倉百合ちゃん、あの子」
「え?」
唐突に出てきた名前に戸惑うと同時に、嫌な考えが頭をよぎります。
「さっきも会ってたんだけどさ、やっぱりあの子本当に可愛いよね、私も好きだなー。……ただ、かなり難しい子だと思う。気づいてないかもしれないけど」
「余計なお世話です。それにもし家の事情に百合さんを巻き込むつもりなら、容赦しませんよ」
「……まぁ、可愛い妹が入れ込む子なんだから、リサーチしとかないとでしょ。あ、資料ここにあるけど見る?」
差し出された紙の中身は正直少し気になりましたが、わたくしはそれを受け取りませんでした。
「……結構です」
「何にせよ、簡単に思い通りに出来るようなタイプの子じゃないよ。……特にあの子はお母さんが厄介そう。やめとくなら今のうちだよ」
「貴女にそんなこと指図される筋合いはないですし、百合さんにこれ以上余計なことをしないで下さい」
怒りで震えそうになる右手を握りしめながら、わたくしは姉を睨みつけました。
「そう言うと思った。だからさ、もう花恋は自由にやりなよ」
「どういう……ことですか」
「言葉通りの意味だよ。私が戻ってきたんだから花恋がもう無理する必要はないってこと」
「ふざけないでください」
「ふざけてないよ」
「あのとき全部投げ出して家を出たくせに、何をいまさら言ってるの!?」
「……」
「黙ってないで何か言ったらどうなんですか?」
「……花恋の言う通りだよ。あのとき私は家を出た、それは紛れもない事実。ただ、今の椿原の家の状況でそんなこと言ってられないのも事実でしょ?」
「……」
やはり、姉も知っているんでしょう。
「このまま行ってしまえば何もかも、手放さざるを得なくなる。それは花恋も分かってるはずだよね」
実は、今椿原の家は主に金銭面で、危機的な状況にあるのです。
「それはもちろん分かってます。けど」
「だからといって私がいまさら何をするつもりだって言いたいんでしょ? 答えは簡単」
得意げな顔で姉はこう続けました。
「私がパパに変わって当主になる。それだけのこと──っ」
自分が姉の左頬を平手打ちした、ということに数秒たってから気がつきました。
「気が済んだ?」
姉がそう呟くように言うのと同時に、メイド長に腕を掴まれました。
「花恋様、それ以上はいけません」
そう諭されても、冷静になれるわけがありません。
「いいから離しなさい。貴女なら分かるでしょう、この程度で収まらないってことぐらい」
「当主が危険に晒されている以上、それを見過ごすわけにはいきません」
「……貴女までそんなこと言って」
「花恋様、落ち着いて聞いて下さい。蓮佳様が当主になられるのはすでに決まったことなのです」
「そんな」
一番信頼を置いている彼女のその言葉で、自分の腕から力が抜けるのが分かりました。
「カオリの言うとおりパパと、今のママはもちろん椿原の家にかかわる人全員。花恋と明日葉ちゃん以外にはもう通知済み。今、この家にいる人はみんな納得してくれてるよ」
無言で周りに視線を向けても、誰一人わたくしと目を合わせようとしませんでした。
「……みんな知っていて黙っていたんですか」
「私がそう指示したからね。正式に決まる前に花恋がこのことを知ったら、何するか分からないからさ」
「聞きましたよね、姉が何か良からぬことをしようといないか。でも、何も知らないってそう答えましたよね」
「……やめなよ。私がそう頼んだんだし」
姉の言葉はもはや自分の耳には届いていなかった。
「貴女も、あなたもアナタもアナタもアナタもアナタも
アナタも、嘘ついて……どうして? 今までわたくしがしてきたことは全部無駄だったと言いたいんですか?」
「花恋それは──」
「……もう、いいです」
椅子から立ち上がると、視界が反転するぐらいの立ちくらみに襲われた。
「花恋様、大丈夫ですか」
「……放っておいて」
それ以上の言葉を口にする気力もなく、階段を上ったことだけは覚えている。
意識が飛んだわけじゃないけど、自分の部屋に戻るまでの時間の記憶が抜け落ちていた。
「……バカみたい」
私は何のためにこれまで無理していたんだろう。
何のために演じて、繕って、過ごしてきたのだろう。
自分やりたいことも我慢して、この家の将来のことばかり考えて毎日働いてきたはずなのに。
誰も私の味方になってくれないんだ。
みんな、こんな状況になって帰ってきた姉の方が、今まで頑張ってきたはずの私よりもいいんだ。
もし姉と私の年齢が逆だったら、今頃一人で部屋にこもってはめになるのも逆になったのかな?
ふと浮かんだ疑問に答えてくれる人すら、きっと私の周りにはもう、いないんだ。
泣きたいはずなのに。
怒りに狂いたいはずなのに。
それすら今の私は出来ない。
突然電池を抜かれたロボットみたいに、何をすることなくただそこに存在することしか出来ない。
いっそ私という存在がこのまま消えてしまえれば、いいのに。
そしたらきっと、お母さんが迎えに来てくれる──そんな気がするから。