Another chapter10
この章はAnotherchapter1〜9の続きとなっています。未読の方はぜひそちらから読んでいただくことをオススメします。
1
「──ねえねえおかあさん! かれんね、大きくなったら、おかあさんのお仕事を手伝うの!」
小学校に入学するかしないかぐらいのときに、ふとこんなことを言った記憶があります。
「そう。おかあさんも楽しみにしてるね」
今でも、そのときのお母さんの笑顔を忘れることが出来ません。
子供心にも、いつもと違うその笑顔が本心からのものではないことを感じ取ることができたのです。
「……」
今、お母さんはわたくしがしていることを喜んでくれるのでしょうか。
ただ一言、貴女は間違ってない。
だから頑張りなさいと、背中を押してくれればどれだけ気持ちが楽になるでしょうか。
でも、その願いが叶うことはきっとないでしょう。
──わたくしがお母さんと会えることはもう、ないのですから。
「こんな時間にすみません。今からお時間ありますか? 百合さんの声が聞きたくなったので……少し付き合って貰えませんか」
ここしばらく百合さんの声を聞けていなかったので、夜遅いのにもかかわらず、つい電話をかけてしまいました。
「……いいけど」
「疲れてるんじゃないですか? でしたら──」
いつも以上に沈んだトーンの声を聞いて、あえてわたくしは明るい声を作ります。
「いいよ、別に。わたしもちょうど誰かの声が聞きたいなって気分だったし」
誰か、ではなくて貴女の声が、と言ってくれることを少しだけ期待しましたが、やはりそれは求め過ぎでした。
「無理、されていないですか?」
「大丈夫。それでどうしたの?」
もしかしたら気を使われたのでしょうか、内心不安になりますが、それを表に出さないように気を付けなければ。
「特にこれといった用事は本当にないんです。ただもうすぐ夏休みに入ってしまうので、百合さんに学校で会えなくなると思うと、なんだか急に恋しい気持ちになってしまって」
「大げさ」
「大げさじゃないですよ。好きな人とは少しでも多くの時間を一緒に過ごしたいですから」
彼女はどうやらにぶいようですから、はっきりと自分の気持ちを伝えるしかない。この前のことをきっかけに、わたくしは改めてそう決めたのです。
「……はっきり言うんだね、そういうこと」
照れたような声に、思わずわたくしも顔がほころびました。
「うふふ、だって、百合さんはにぶいんですから」
百合さんの反応を確かめてみようと思って、わざとからかうようにこう続けてみました。
「同じようなこと、真央にも言われたことあるけど、自分じゃよく分からない」
百合さんの口からその名前を聞いた瞬間、思わず携帯電話を握る手に力が入ります。
「……そういうところが鈍感なんですよ」
「え?」
「でも、百合さんがにぶい人でよかったです」
彼女がもし自分に向けられている感情に気づく人だったら、きっともう、桜井さんの気持ちに気づいていたはずでしょうから。
「……わたしにも分かるように教えて」
「いいんですよ。百合さんはそのままで」
そうはぐらかすと百合さんは、それ以上深くは尋ねてはきませんでした。
「そういえば、百合さんはどんな人を好きになったんですか?」
「どうしたの急に」
「この前、わたくしが今までに誰かのことを好きになったことありますか? と聞いたときに、あるって言っていたじゃないですか」
「……そんなこと聞いてどうするの」
「純粋に気になっただけですよ。それで、百合さんの心を射止めたのはどんな人だったんですか?」
露骨に聞かれたくない。といった感じでしたが、わたくしはより深く聞かずにいられませんでした。
もちろん百合さんのことを知るため、という理由でもあるのですが、それ以上に強い嫉妬心がわたくしを駆り立てていたのです。
「……結構年が離れてたんだけど、とにかく話しやすくて、まるで太陽みたいに明るくてあったかい人だった」
子供に絵本を読み聞かせるように、ゆっくりと百合さんはこう話し始めました。
「小説を読むのと絵を描くことが趣味で、いちごやマーマレードのジャムをそのまま食べるぐらい甘いものが好きで、いつも笑ってるのに、たまにすごく悲しそうな顔をしたり……大人のくせに子どもっぽくて、でもやっぱり大人で……それに」
「……」
「……ごめん、こんなことが聞きたいわけじゃなかったでしょ」
わたくしが今感じている気持ちが、もしかしたら電話越しに伝わったのかもしれません。何かに気づいたように、百合さんはそこで話すのをやめました。
「そんなこと、ないですよ」
目を閉じて、わたくしは落ち着いたようにそう答えましたが、内心は穏やかではありませんでした。
──彼女に自分のことをこんなに優しい声で語らせる人はいったいどんな人なんだろう?
そう自分の中から声が漏れてきそうになります。
「今の、忘れて」
そんなこと言われても、忘れられるわけないじゃないですか、と思わず言ってしまいそうになりましたが、彼女には見えないのに、笑顔を作ってこう言いました。
「分かりました。百合さんが望むのなら、何も聞かなかったことにしますね」
「……うん。そうして」
「それではまた」
「じゃあ」
さっき電話に出たときのような声に、百合さんは戻っていました。
でも、わたくしはそのときと同じ声でいられたのでしょうか。
電話切った後、そんなことをずっとわたくしは考えていました。
2
「ん……」
七月最後の日。わたしは学校もないのに、目覚まし時計の音で目が覚めた。
しばらくぼーっとしてからようやく、休みの日に目覚ましをかけていた理由を思い出した。椿原に誘われて出かける予定があったんだ。
「ふわぁ……」
昨日は久々に寝付きが良かった気がする。ソファーに横になってからの記憶がないし。
軽く背伸びをしてから身支度を整えて、わたしは家を出た。
「ふぅ」
いや、暑い、今日も外は暑すぎる。
よろしければお迎えに行きますよ、と言われたんだけど、なんとなくで断ったことを少し後悔しながらわたしは駅に向かった。
「……」
学校に向かう方向の電車は、今が夏休み期間中の土曜日ということもあって、混んでるかもしれないと思ってたけど、別にそんなことはなかった。
「ふう」
両隣に人がいないだけで、電車はこんなにも快適な乗り物なるんだ。
そんなことを思いながら、わたしは窓の外をぼんやりと眺めていた。
「──いつまでこんな生活をするつもりなのかしら?」
電車がカーブを曲がって大きく揺れるのと同時に、この前のお母さんの言葉が頭の中で響いてくる。
──八月七日、貴女の誕生日の日に、これから自分がどうするつもりなのか、わたしが納得できるような話をしにきなさい。
心底呆れ果てたような口調でそう切り出されたとき、誇張ではなく本当に心臓が縮んだような気がした。
「──納得ってそんなのどうしたら」
「これからどうするつもりなのかってことよ。この時期にもなって自分の進路すら考えていないようでは、このままにはしておけない。当たり前でしょう」
「……」
「いずれにせよ、あのとき自由にさせるって判断をしたのは間違いだったわ」
「待ってくださ……」
すがりつくようにわたしが発した言葉がお母さんに届く前に、電話は切られてしまった。
……本当はこんなことしている場合じゃないんだけど、自分のこれからを考えようとすると、途端に体も頭も全く働かなくなってしまう。
やりたいこともないし、これからどうしたいのか、どうするべきなのかも考えつかない。
家にいても仕方ないしと、むりやり自分を納得させて椿原の誘いを受けたのだった。
まぁ、誰かに連れ出して貰わないと自分からは外に出なかっただろうし、今考えてみると断らなくて正解だったかもしれない。
「あ」
ふと携帯で時間を確認したら、自分が思っていたほど、指定された待ち合わせの時間まで余裕がない。
歩くペースを少し早めて、わたしは目的地に向かった。
「ごめん、待った?」
「いいえ。わたくしもついさっき着いたばかりですから」
どう考えてもしばらく待っていたみたいだけど、椿原は微笑んでこう答えてきた。
「では、行きましょうか」
「うん」
「今日の百合さんとのデート、とても楽しみにしていたんです」
「そうなんだ」
デート、か。そういえば真央と一緒に出かけたとき、二人で出かけるんだからデートだよ。とか言ってたような気がする。
「……百合さんは、今どこか行きたい場所とかありますか?」
「うーん特にはないけど。そういえばどうしてここで待ち合わせなの?」
遊びに出かけるのなら、普通は街の方だと思うんだけど、ここはわたしの家と学校の中間ぐらいの駅から少し歩いたところにある商店街だ。
「こういう場所に久しぶりに来てみたくなったんです。ここなら街に出るよりも、ゆっくりとした時間を感じられるような気がしたので」
「なるほど」
まあ、特にどこか行きたい場所があった訳じゃないし、別にいいんだけど。
「百合さんはこの辺りにはよく来るんですか?」
「小さい頃は結構来てたかも。でも最近はあんまりかな」
お母さんの仕事の都合でこの辺りを離れることになってからは当然来ることもなかったし、戻ってきてからもそう頻繁には来ていない。
「わたくしも同じようなものですよ」
そう言って椿原は微笑んだ。
なんだか前に来たときよりも、シャッターが閉まったままの店が増えたような気がする。
ノスタルジックとまではいかないけど、少し寂しいような気分でわたしは椿原と並んで歩いていた。
「何か雑貨を買いたいと思っているのですが、百合さんはどうですか?」
「いいんじゃない」
目的もなくふらつくのもあれだし椿原に任せるか。そう思ってからふと思い出した。
「……そういえば、今日はやってるか分からない店があるんだけど、行ってみる?」
「ぜひ」
椿原はにっこりと笑って頷いた。
3
「看板とかも出てないから、中々分かりにくいんだけど、ここだよ」
百合さんに案内されてきたのは、商店街のメインアーケードから一本外に出た路地にあるお店でした。
「よっと」
百合さんがドアを押し開けるのと同時に、軽やかな音がわたくしたちを迎え入れてくれました。
「おっ、百合久しぶり〜」
「お久しぶりです」
奥から出てきた女性は朗らかな笑顔で、百合さんと言葉を交わしていました。
「あっ、もしかしてそっちの子、うわ〜スタイルもいいし〜それにすっごく美人さん! 百合も中々やるじゃない」
「えっと、和紗さん。彼女は……」
「はじめまして、わたくしは椿原花恋と言います」
「……あーご丁寧にどうも、あたしは中秋和紗。変わった名前でしょ? ちなみに字は中秋の名月の中秋に、和風の和に糸へんに少ないで和紗ね。良かったら覚えておいてね〜」
「よろしくお願いします」
一瞬間が会ってから、その女性は自己紹介をこうしてくれました。中秋和紗さん。と頭の中で字を思い浮かべてわたくしは笑顔を作りました。
「百合とは五年前ぐらいからの知り合いで、まぁ簡単に言うと常連さんの一人って感じかな。まあ、そんなにかしこまらないでゆっくり見ていってね〜」
「ありがとうございます」
そう言うと彼女は軽く手をあげて、店の奥の方に戻っていってしまいました。
「素敵なお店ですね。それにとっても愉快な方ですね」
「ははは、あの人はいつもあんな感じだから。まあきっとこういう仕事してる人は、ちょっと変わってる人が多いんじゃない?」
偏見だけど、と言いながら百合さんは店内を見渡していました。
奥には工房があるのでしょうか、そちらと比較すると小規模な店内のスペースには、溢れかえるほど様々なものがあって、目移りしてしまいそうです。
その中でも、とりわけわたくしが心惹かれたのはガラスを使った小物が並んだコーナーでした。
切子のグラスや、置物、ブローチ、様々な色が並んでいて見ているだけで心が踊ります。
「百合さんは、何か欲しいものはありませんか?」
「んーどうだろ」
「ではせっかくですから、お互いに選んでプレゼントするのはどうですか?」
少し甘えるような声を出して、百合さんに視線を送ってみます。
「え、わたしが選ぶの?」
困ったような百合さんの表情に、思わずキュンとしてしまいましたが、わたくしは笑顔を崩さないまま、こう続けました。
「はい。お願いします」
「……うーん」
腕を組みながら悩む素振りをする横顔を、わたくしはじっと眺めていました。
最初は不思議に思っていたのです。
透き通るような、という表現がこれほどしっくりくるような肌と、あどけなさと、思わず見惚れてしまうような美しさが同時に主張している顔立ち。
それに何よりも、憂いを帯びた眼差しに心奪われるのはわたくしだけではないはずです。
でも、彼女に関わろうとするのはほんの一部の人だけなのですから。
わたくしにとっては好都合、と言っていいのでしょう。
「こういう鳥の小物とか、どう?」
「アクアマリンみたいに奇麗な色ですね」
「うん、確かにそうだよね。じゃあこれ、わたしからのプレゼントにしようかな」
満足げに微笑む百合さんのこの表情を見られただけで、今日ここに来た価値がある。
そう心から思えました。
わたくしも百合さんにプレゼントするものを考えながら、店内をゆっくり見ていたそのときでした。
「……!」
それを見つけたとき、思わず声が漏れてしまいそうになりました。
ヘアアクセサリーはどうだろうかと、ふと目をやった場所に百合さんの髪に飾られているヘアピンと似たものが並んでいたのです。
「……」
少し探してみたところでは、百合さんがつけていたものと同じものはありませんでしたが、同じオレンジ色のものはいくつか見つけることが出来ました。
友達から貰ったの、という言葉を思い出しながらその中の一つを手に取ってみます。
その友達さんはどういう思いを込めて、オレンジ色のヘアピンを贈ったのでしょう?
わたくしはヘアピンをあった場所に戻しました。
「どうですか?」
「うん、でも本当にあれだけでいいの?」
「ええ、もちろんですよ」
「本当?」
「はい」
微笑みながら頷き返すと、ずっと不安そうにしていた百合さんの瞳から、安堵の色がようやく見えました。
「じゃあ、わたし先に会計するね。すみませーん」
百合さんが奥に向かって呼びかけると、小走りで和紗さんが戻って来ました。
「はいはーい。あっありがとうねー」
「外で待ってるね」
「はい」
一足先に会計を済ませた百合さんが、外に出たところでわたくしも選んだ商品の会計をしました。
「お願いします」
「ありがとねー」
「……あの、少し聞いてもいいですか」
買ったものが入った紙袋を受け取りながら、わたくしは気になったことを尋ねることにしました。
「うん? なにかなー」
「百合さんが今日つけていたヘアピンは、ここの商品なんですか?」
「そうだよーよく気づいたね、あれはうちの商品」
和紗さんは目を見開いてから、わたくしをじっと見つめてきます。
「このにあるものと少しデザインが違いますよね、同じものはもうないんですか?」
「あー……あれは頼まれてオーダーされて作ったやつだから、一点物なんだよね」
和紗さんの返答に困ったような間と表情から、ひとつ浮かんだ考えがありました。
あくまでもただの想像で、もしかしたらという程度のものですが。
百合にあのヘアピンを渡した人と、この前百合さんが電話で話してくれた人は同じ人、なのかもしれません。
「……そうだったんですね」
でもそれを今、直接尋ねることはきっと得策ではない。そう考えてそれ以上質問するのはやめました。
「ごめんねー」
「いえ、そんな謝らないでください」
「良かったらまた来てねー」
軽く会釈をしてから、わたくしは店の外に出ました。
「お待たせしました。では行きましょうか」
「うん」
その後は、商店街をのんびりと探索しました。シャッターが閉まっているお店が思っていたよりも多かったのが少し残念でしたが、開いている店の数と比べてまだ、人通りは多いような気がします。
「そろそろどこか涼しいところで休憩しましょうか」
「……そうだね、流石にちょっと疲れた」
「百合さんはどこか行きたい場所はありますか?」
「……任せる」
「分かりました、車を呼びますので少しここで待ちましょう」
彼女はあくまでもついてきてくれているだけで、わたくしと同じぐらいこの時間を楽しんでいるわけではない。
うちわのように手で顔をあおぐ表情を見て、なんとなくわたくしはそう感じてしまったのです。
やはりこの前の反応からも察するに、彼女の心はまだわたくしから遠い場所にあるのでしょう。
「やっぱり外は暑いね、当たり前だけど」
「そうですね」
車の中で会話を交わしながら、頭の中では様々な考えが巡っていました。これからどういう話をしよう、わたくしが選んだプレゼントは喜んで貰えるのかどうかとか、考え始めるとキリがないようなことでも、心配になってしまいます。
「そういえば今どこに向かってるの?」
百合さんの声で、わたくしはふと我に返りました。
「サファイアです。この前一緒に行った」
「あー覚えてる、あの喫茶店だよね」
「はい」
微笑みながら頷き返すと、百合さんの表情が緩みました。
「お嬢様、まもなく到着します」
「ええ、ありがとう。帰りはまた連絡するわ」
先に車から降りて、百合さんに手を差し伸べます。
「え、あ、ありがとう」
一瞬ためらった後に、百合さんはわたくしの手を握ってくれました。
握った手のひらの感触と体温に、自分の胸の鼓動が高まります。
「あ……えっと」
いつまで手を握ってるつもりなの? と百合さんは視線で訴えかけてきますが、この機会を逃すわけにはいきません。
気づかないふりをして、手を握ったままサファイアに向かいました。




