Another chapter8
この章はAnotherchapter1〜7の続きとなっています。未読の方はぜひそちらからどうぞ
1
わたくしは何のために椿原花恋として生きているのでしょう。
ここ最近、ベッドの中ではこんなことばかりを考えてしまうのです。
「……」
あの人のせいでいつもより疲れてしまっているからでしょうか。
──それだけじゃないでしょう?
……そうです。
朝倉百合、彼女のこともわたくしの心配事のひとつです。
元々、優等生タイプの人ではないでしょうから数日学校に来なかった。というだけはさほど驚かないのですが……さすがに週を跨いで七日間も続けて学校を休んでいるのですから、ただ事ではないでしょう。
わたくしも何度か電話やメールをしてみたのですが、彼女からはなにも返答がなかったのです。
それとなく、桜井さんに探りを入れてみたところ、どうやら百合さんの家庭の方で何かがあった。ということだけは情報を得ることが出来ました。
彼女自身の生き死にに関わるようなことではなさそうですが、尋常ならざることがあったのは確かでしょう。
……もしかしたら、このこともあの人が何か余計なことをしたのでしょうか。
こんな飛躍しすぎたような想像も、ありえないことだと断言しきれないのがあの人の恐ろしいところなのです。
「会長、おはようございます」
わたくしが生徒会室に入ると、副会長以下の生徒会役員が一斉に立ち上がって挨拶をしてきました。
「……おはようございます」
この光景はもう慣れてしまった、言うならば毎週月曜日の恒例行事みたいなものですが、たかだか高校の生徒会なのにここまでしなくてもいいのにと、少し可笑しく思えてしまいます。
「……それでは各クラスの文化祭実行委員に文化祭についての計画書を提出するように、副会長から連絡をお願いします」
「はい、かしこまりました」
「では、今日はここまでにしましょう」
夏休み明けの文化祭が現生徒会最後の行事になるのですが、正直に言ってしまうと、わたくしの中でこのことはさほど重要ではありません。
わたくしにはその他に、まだやらなければいけないことがたくさんあるのですから。
生徒会の会議が終わったあとも、残っていた雑務をこなすためにわたくしは生徒会室に残っていました。
「……あ、あの、今いいですか」
声をかけられて、初めて自分の目の前に女子生徒が立っていることに気づきました。
「どうされました?」
「えっと……あのあたし、3-Aの橘です」
「ええ、橘さん覚えてますよ。文化祭のことについてですか?」
確か文化祭で行う喫茶店の衣装について許可を取りたいと、前にも生徒会室に来ていたような気がします。
「はい。文化祭の計画書についてです」
「分かりました」
それならわざわざ生徒会室まで来なくても、と一瞬思ってしまいましたが、笑顔を作りながら渡された書類を一応見てみることにしました。
「どうでしょうか……」
「概ね問題ないと思います。ですが、この衣装の案が少し気になりました」
出された計画書は、ある一点を除いたらいわゆる一般的な模擬店の範疇を出るものではありませんでした。
「前回副会長さんにもそこをダメだしされまして……でも、メイド喫茶としてやるのがダメならせめて衣装だけでもと思って……」
「なるほど」
確かにメイド服には、どこか甘美な趣がありますから。その熱意が分からないわけではありません。
「実はあたしのお母さん三間桜のOGで、三年生のときにメイド喫茶をやったって聞いて、どうしてもあたし達もやりたいと思ったんです」
「……分かりました。もう一度検討してみますので」
よろしくお願いします、とわざわざ頭を下げて橘さんは生徒会室を出て行きました。
「そういえば」
わたくしは橘さんの話を聞いて、実際に文化祭でメイド喫茶を行った年があるのを調べてみようと思いました。
おそらく無いとは思いますが、彼女が適当な理由付けをしたかったための嘘かもしれないので……それとあとひとつ思いついたことがあったのです。
確か生徒会準備室の本棚に歴代の卒業アルバムがあったはずなので少し探してみることにしました。
「……」
最初に手に取ったのは、わたくしのお母さんが卒業した年度のアルバムでした。
実は三代にわたって、椿原家の女性は全員三間桜の卒業生なのです。
アルバムをめくっていくと、椿原圭と下に名前が書かれた写真を見つけました。
お母さんのこの写真を見るのは、どれくらいぶりでしょうか。
家にも同じアルバムがあるのですが、普段は物置部屋にしまいこまれてしまっていて、なかなか見ることができないのです。
「……」
写真のお母さんの年齢に追いついたという実感は、正直今でもまだ湧いてきません。
それなりの立場や権限を与えられて、家の仕事にも関わっているのに、この写真のときのお母さんに今のわたくしではどうしても勝てる気がしないのです。
……わたくしはこのまま努力を続けていたら、いつかはお母さんの背中に追いつけるのでしょうか。
そんなことを考えながら、そっとアルバムを元に戻しました。
それからしばらくは、様々な年度のアルバムをぼんやりと眺めていました。
「……これは」
そろそろ最後にしようと手に取ったアルバムで、わたくしは思わぬ人の姿を見つけたのです。
クラスの生徒達が集まって映っている集合写真のページに、百合さんによく似た女子生徒が満面の笑みを浮かべてピースをしていました。
いえ、よく似たというよりもほとんど生き写しと言っていいほどです。
この女子生徒は、わたくしの見立てが間違っていなければ、百合さんと深いかかわりがある人に違いないでしょう。年度的に、母親にあたる人なのでしょうか。
「……でもこの人は違う」
ここまで似ているのに、決定的に百合さんとは違う何かをわたくしは感じていました。
百合さんには強く惹かれるようなものを感じるのに、この人からはそこまでのものは感じられなかったのです。
──自分の左胸に手を当てて考えてみましたが、その理由がわたくしには分かりませんでした。
2
「……」
久々にちゃんと家に帰ってきたけど、なんだかまだ自分の中で色々と整理がつかないままだった。
どうやらお母さんはわたしのことを、本当に見捨てしまおうと考えているみたいだ。
そういう結論を出したくはないけれど、現実的に考えてみると、それ以外の答えが見つからない。
「あなたには会わないそうよ」
「どうしてですか」
わたしを病院で待っていたのはお母さんではなく、林堂恭子という女性だった。
彼女は、以前わたしの家庭教師をしていた人で、正直頼まれたって会いたくないぐらい苦手だ。
でも、今はそんなことがどうでも良くなるぐらいにわたしは感情的になっていた。
「さっきの話では面会謝絶になるような病態じゃないですよね。……だったらどうしてなんですか」
「理由は言えない。いいえ、言わないということよ」
「……」
「あなたの気持ちは分かるけれど、今何を言っても無駄だってこと、分かるでしょ」
諭すようにそう言われると、わたしはこれ以上なんて言っていいのか分からなくなってしまった。
次の日も、そしてその次の日も、わたしはお母さんに会いたい、と食い下がった。
大丈夫、心配しなくていいからね、とたった一言言ってくれればそれだけで良かったのに。
わたしは拒絶されたんだ。
そう自覚した途端に涙が止まらなくなった。
それからは毎日面会に言っては拒否されての繰り返しだった。
わたしは家に帰って通うつもりだったけど、恭子さんがなぜか病院のすぐ近くのマンションの部屋を貸してくれることになり、そこから病院に通っていた。
毎日通ったところで何も変わらないって分かっていたけど、わたしにはこうすることしか出来なかった。
「……ふう」
仮とはいえ、部屋に帰ってくると途端に気が抜けた感じになる。
何か時間を潰せるようなものがなかったか、鞄の中を漁っていると、入れっぱなしになっていた本を見つけた。
「……」
ブックカバーとかをつけてなかったにしては、綺麗な表紙をそっと撫でてみる。
『蝉と蛍』というタイトルを見て、この本を自分で買ったことを思い出した。
葵から勧められて読もうと思ったんだけど、途中まで読んだところで止まっていたはずだ。
おもむろに本を開いてみると、中に明るい青色の花が描かれた栞が挟まっていた。
「……」
わたしは結局この本を読まずに、元の場所にしまい込んでしまった。
──そんなことがあって、恭子さんに「そろそろ家に戻って学校に行きなさい」と呆れながら言われたのをきっかけに一旦家に戻ることになって、今に至るわけだ。
……本当だったら、今日から学校に行くように言われていたのだけど、今はまだそんな気になれそうになかった。
「……電話しとこうかな」
そう思い立ったところで、この前電話で喧嘩したことを思い出す。
「──わたしがどうしようと真央には関係ない。もう、放っておいて」
口に出した瞬間にやってしまったと気づいた。でも、気づいたときにはもう遅かった。
「もういいよ……ごめん。私がバカだった」
そう言って電話を切った真央の声を思い出すたび、わたしは謝らないと、という気持ちよりも、これ以上真央のことを傷つけたくないっていう気持ちが、電話をかけようとしていた手を止めてしまう。
昼前までどうしようか悩んで結局、わたしの足は学校とは反対側に向かって進み始めていた。
この前も来た駅前のゲームセンターに着いたところで、昨日からなにも食べてないことを思い出した。
別にお腹が空いたってわけでもないけど、適当に何か食べることにしよう。そう思ってわたしは近くのドーナツショップに向かった。
「ふう……」
適当に選んだドーナツとパイを詰め込むように食べて、水を一気に飲む。
別に急いでいるって訳じゃないけど、なんとなくここに長居する気になれなかった。
「……何しよ」
クレーンゲームって気分でもないし、とりあえずゲームセンターの奥に進んでいく。
しばらく来てなかったけど、ここの雰囲気はあんまり変わらないな。
様々な筐体が発する音が、他の場所にはない雑然とした雰囲気を作り上げている気がする。
この雑然さの中にいると不思議と落ち着く。
──思えばこうやって高校をサボって、こんなふうにゲームセンターに入り浸っていた時期があった。真央が朝起こしにくるようになってから、ここに来ることはほとんど無くなっていったけど。
一人で家に居づらかったときや、学校に行きたくないときに、こうやってよく時間を潰していた。
どこか懐かしい気分で、シューティングゲームや、リズムに合わせてボタンを叩くゲームとか、ダンスをするゲー厶とかを一通り触って、最後にわたしが行き着いたのはメダルゲームだった。
メダルを入れて、入れたメダルのうちのいくらか払い戻される、ただそれの繰り返し。
冷静に考えてみればなんでこんなことをしているのか分からない。だけど、時間をひたすらに無為にすごさせてくれるこの筐体はわたしを癒してくれているようだった。
ルーレットが回り、機械が今までにないぐらいに大量のメダルをわたしのもとに払い出す。
その様子をただ眺めていたそのときだった。
「百合さん!」
突然声をかけてきたのは椿原だった。
3
「それにしても、どうしてわたしがゲームセンターに居るかもって思ったの?」
「それは……なんとなくです。学校に来ていないみたいですし、メールの返事もなかったのでとにかく心配で……」
なかば連行されるような流れで車に乗せられて、わたし達はサファイアにきていた。
「ごめん」
「いいんです、そんな」
申し訳なさそうな顔をされても、わたしの方が困ってしまう。
「……桜井さんから少しだけ聞いたのですが、大丈夫だったんですか」
「大丈夫だったっていえば大丈夫なのかな、わたしは」
椿原は心配そうな表情のまま、わたしをじっと見つめてくる。
「お母さんが、仕事中に倒れたって電話があって」
「……!」
わたしの言葉に椿原は大きく目を見開いた。
「まあでも、一応は落ち着いたから。……まだ入院してるから正直心配だけどね」
そこでわたしは話すのをやめてしまった。こういうことをあまり他人にするべきじゃないと思ったからだ。
「大変だったんですね」
予想とは違って椿原はそれ以上詮索してはこなかった。
「ねえ、どうして椿原さんはそこまでわたしのことを心配してくれるの?」
わたしの質問に椿原はふっと笑う。
「本当、にぶいんですね」
「……え?」
「でも、百合さんはそこがいいんですよ」
答えをはぐらかして、なぜか満足気に椿原はコーヒーを一口飲んだ。
「そういえばそのオレンジ色のヘアピン、とても素敵ですよ、どこかで買われたものなんですか?」
「え、ああこれは……友達から貰ったの」
「そう、なんですか」
「あんまり似合わないかもなーって思ったりもするんだけど、せっかくもらったものだから」
「そんなことないですよ。そのヘアピンをプレゼントした方は、百合さんのこときっとよく分かっていると思います」
確信を持っているように言われると、どうして椿原がそんなこと言えるんだろうかと、なんだかちょっとトゲトゲしい感情が湧き上がってきた。
「ちょっと手洗ってくるね」
そう言ってわたしは一旦席から立った。
「ふう……」
手を洗った後で、鏡に映った自分と目が合う。
やっぱり改めて見てもわたしにはこのヘアピンは明るすぎて、似合ってないような気がした。
「わたしのことをよく分かってる、か」
さっきの言葉を反芻するようにして、呟いてみる。
葵はどうだったんだろう、わたしのことどれくらい分かっていたのかな。
もし、今のわたしを葵が見たらなんて思うんだろう。
そんなことを考えながら、わたしは席に戻った。
「百合さん、このあとお時間ありますか?」
そろそろ帰ろうと思ったところで、椿原の方から切り出してきた。
「時間はあるけど」
「それなら、わたくしの家に来ませんか?」
「え、どうしたの」
「百合さんにどうしても見てもらいたいものがあるんです」