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朝色小夜曲  作者: 芦野
2/28

chapter2

本作はchapter1の続きとなります。未読の方はぜひそちらからお願いします。

0

真央は変わらないね、と私は周りの人によく言われる。

その言葉の真意は分からないけれど、そのままの意味で受け取るとしたら、あまり嬉しくはない。


小さい頃は今よりもずっと、怖がりなうえに引っ込み思案で、いつもママの後ろに隠れていた。

でもそんな自分を変えたいという強い、私は色んなことを自分なりに頑張ってきた。

高校生になってからは、先生やクラスの子に頼りにしてもらえることも増えてきて、ようやく少しだけ自信が持てるようになって。

 そもそも、私が自分を変えたいという願いを持った理由、それは百合がいたからだ。

……本人の前では恥ずかしくて絶対言えないけど、ずっと百合の隣にいたい。ただそれだけで、私は頑張ってこれた。



1

HR(ホームルーム)の時間、担任は『主役はお前らだからなーお前らで決めろよ~』と言うと、そそくさと教室を出ていった。

「ねえ、そういえば百合は劇のグループなんだよね?」

「そうだけど」

 それがどうかしたのだろうか。

「実は私も、劇のグループに入ることになったの。劇の方の人手が足りないって相談されて」

「ふーん」

 確かに劇のグループは、人数が足りないとか言ってたような気がする。うちのクラスは確かクラス展示もするらしいから、人が分散するのだろう。

うちの学校はクラスごとに文化祭で何をやるか、だけでなく、許可さえ降りれば、個人でも発表とかを単独ですることが認められている。

早い話、文化祭に何らかの形で参加すれば、別にそれがクラスの発表だったり、展示じゃなくてもいいのだ。

……まあ、許可さえ降りれば、っていう部分が大きな壁になって、結局はわたしみたいにほとんどの生徒が、クラス単位の発表とかに参加することになるんだろうけど。


「まあ、正確には両方のグループを兼任する、ってことなんだけどね、展示の方は余裕ありそうだし。ところで百合って何の担当になったの?」

「大道具」

「えーもったいないよー。どうして出ないの?」

「真央は出るの?」

「驚かないで聞いて……実は私、お姫様役やることになったの」

「ふーん」

 驚くほどのことではない。真央だったら適任だと思う。

「え、それだけ? もっと……こう、すごいなーとか感想はないの?」

 ずいっと、真央がわたしに迫ってくる。

「……前から思ってたんだけどそれ、わざと?」

 わたしとは違う真央のボリューム満点な胸元を、まざまざと見せつけられると、正直悲しくなる。

「何が?」

「何でもない」

 そう言ってわたしは劇で使うソファーに寝転がった。

「もう、また寝るつもり?」

「眠い……膝貸して」

「ちょっと……もうしょうがないなあ」

 頭を太ももに乗せると、真央は一瞬怒ったような声を出したけれど、あっさりわたしの要求を受け入れた。

 真央の肉付きのいい太ももは、やっぱり枕として申し分ない。

わたしはここが教室だということも忘れて、あっという間に眠りに落ちていた。

 

──そこは、向日葵(ひまわり)が辺り一面に咲き誇っていて、明るい黄色に包まれた世界だった。

 太陽の光が照りつけているのに、暑いとは感じない。やっぱりここは、夢の中だろう。

 そう思いながらもしばらく歩いていると、遠くに人が立っているのが見えてきた。

 

何をしているのだろう?

 

麦わら帽子に真っ白なワンピース。顔はよく見えないけれど、きっと若い女性だろう。

一歩一歩、少しずつその女性との距離が縮まってゆく。もう少しで顔が見える……そう思ったときだった。

 

強い風が突然吹いて、わたしは目を反射的に閉じてしまう。

風が収まり目を開けると、女性が立っていた場所で、向日葵の花びらが渦を巻いて、空に舞い上がっていた。


女性の姿はもうどこにもない。

だけど、まるで花びらは女性を運んでいくように、どこでまでも高く空に舞い上がっていって、最後には見えなくなってしまった。


辺り一面に、海のように広がる向日葵の中、女性が立っていたところだけ、花が消えて土が見えている。

待っていれば、そこに再び向日葵が咲くような気がして、私は立ったままずっと茶色の地面を見つめていた。

太陽はやがて沈み、再び太陽が昇る。何度も何度も繰り返し繰り返し朝が来て夜が来る。

 

それから100回、いや1000回、何度朝と夜が訪れても、そこから向日葵の花が咲くことはなかった。

 わたしは泣いていた。悔しいのだろうか、悲しいのだろうか、その理由は分からないのに涙が止まらない。拭っても、拭ってもすぐに溢れてしまう。

「これ、使って」

 突然、横から聞いたことのある声がした。それと同時にハンカチが差し出される。

 受け取って目元を押さえると、嘘みたいに涙が止まった。

「ありがとう」

お礼をいって、ハンカチを差し出してくれた人の顔を、見ようとしたところで、わたしは夢の世界から現実に引き戻された。


「んぅ……」

 見知らぬ天井……ではなくこちらを覗き込んでいた真央と目が合う。

「おはよ、百合。ずいぶんと長い時間寝てたね」

 時計を見ると、まるっと一時間の授業が終わるぐらいの間、わたしは眠っていたようだ。

「そんなに私の膝枕、気持ちよかった?」

真央は瞬きをしながら、こう尋ねてくる。

「うん、なんだか居心地が良かった」

「私も、百合の寝顔久しぶりに見れて良かった。やっぱり百合の寝顔は、可愛いなあって思ったよ」

というか、わたしが寝てる間、クラスの人たちに寝てる姿見られてかもしれない。

……うわ、なんだか急に恥ずかしくなってきた。

「……何それ」

 自分のことを自分で可愛いだなんて思ったこと、産まれてから一度もないけれど、まるで普段は可愛くないと言われた気がして、少しムッとしてしまう。

「嘘だって冗談冗談。百合はいっつも可愛いよ」

「はいはい」

 取ってつけたような言葉に、思わずため息が出た。


授業が全て終わって帰ろうとしたとき、真央がふと外を見る。

「あれ? 雨降ってきた」

真央につられて外を見ると、確かに雨が降り出してきていた。

「天気予報で雨降るって、言ってなかったのに……ママ、大丈夫かなあ」

雨は弱まるどころか、徐々に強さを増していく。そのうち遠くに稲光が見えた。

「どうしよ、帰れないよこれじゃ」

「傘持ってけば」

「そうじゃなくて、雷とか鳴りそうで怖いのに、外出たくないよぉ……」


真央は子供の頃から雷とか地震とかが、本当に苦手だったのだけれど、まさか今も、ここまで怖がりだとは思ってなかった。

「さっきまであんなに晴れてたのに、どうしてこんな天気になるの……もうやだ」

小さな子のように駄々をこねる真央を見てると、前にも何度か一緒に雨宿りをしたことを思い出す。


「きゃあ!?」

 さっきよりは近いけど、まだ遠いところの空が光って、しばらくしてからゴロゴロと音が鳴る。

「大丈夫?」

「大丈夫じゃないよぉ……」

真央は目に涙をためて、訴えかけてくるようにわたしを見てくる。

お化け屋敷とか、ジェットコースターとかは平気なのに、雷はどうしてそんなに怖がるのか、わたしにはよく分からない。


「ひゃあっ!」

 再び雷が落ちる。さっきよりもかなり近いところに落ちたのだろう、かなり大きな音が響いた。

「うぅ……」

流石に見てて心配になる。大丈夫なのだろうか。

「もう、呆れたみたいな顔して……私がこういうのダメなの知ってるくせに……」

真央の泣き顔を見てると、なんか少しほっとする。

「呆れてるっていうか、変わってないなあって」

「……それって呆れてるってことじゃん」

「ううん呆れてないよ。なんか真央らしいなって」

 わたしの言葉に、真央は困ったような顔をする。

「私らしってどういうこと?」

「うーん、なんて言っていいかよく分からないけど、落ちつく感じ?」

「それって、喜んでいいの?」

真央は怪訝そうな顔をする。

「まあでも」

言いながら、わたしは視線を顔から下に移す。

「変わった部分もあるけどね」

「え? ……バカ」

 しばらくして、真央はわたしの視線がどこを見ていたのか、気づいたようだ。


「あ……雨、収まってきたかな?」

「そろそろ帰ろ、また帰れなくなるよ」

「そうだね、ありがと」

また雨が強くなる前に、わたしたちは帰りを急いだ。


「ふう」

 ソファーに寝転がるとさっきまで寝てたのに波のような眠気がやってくる。眠りに落ちる前に、なぜか少しだけわたしは人肌が恋しくなった。


2

「だるい……」

 ただでさえ暑いのに、今日はずっと運動をさせられる。

体育大会はまだ分かるけど、今日の球技大会とかいう謎行事、絶対いらないと思う。

「百合〜そろそろはじまるから行くよ、ほら」

 真央に連行されて渋々ドッジボールに参加する。


飛び交うボールは、ただのお遊びの行事とは思えないほどの気迫に満ちていて、正直少し怖かった。

「それっ!」

ボールが真央の手に渡るたびに、見ている男子生徒達が歓声が上げる。

その歓声は真央のプレーだけではなく、大胆に揺れる胸元に向けられたものであることに間違いはない。

これだから男子は……呆れてしまう。

まあ、その気持ちは分からないでもないけれど。


「百合!ボール!」

真央の声で我に返る。間一髪でボールをなんとか受け止めた。

「ふう」

ボールを外野に投げて短く息を吐く。それからもボールを相手にぶつけたり、避けたり、とにかく動き回った。

「すごい活躍だったよ百合!」

「そんなことない、ただうろうろしてただけ」


試合は連戦連勝だった。特にわたしが頑張ったわけではないのだけれど、褒められて別に嫌なわけじゃない。

「も〜またそんなこと言って〜百合はもっと自分の成果を誇っていいんだよ。というか誇るべき」

「はいはい」

「あっ、そろそろバスケ始まるみたい。百合も見に行く?」

「パス」

「そう、分かった。熱中症とかならないように気をつけてね」

さっきまであれだけ動いていたのに、真央は走って応援に向かった。真央はいったいどこから、その元気が湧いてくるのだろう。


体育館を出て、外で顔を洗う。水の冷たさがとても気持ちいい。

「お疲れ様、活躍見てましたよ」

 蛇口から水を飲んでいると、この前の生徒会長様から声をかけられた。

「わたしよりも真央の方が、活躍してたと思うけど」

「ふふっ、貴女(あなた)のことしか見てなかったから、気づきませんでした」

椿原は、この前と同じような微笑みを向けてくる。

「……また、わたしのことからかってます?」

「さあ、どうでしょう」

 この暑い中でも椿原は涼しげな顔をしていた。

「ところで今、時間ありますか? 涼しい場所、知ってるんです」


椿原についていくと、そこは保健室だった。

「ここは、クーラーが利いているから……それに、貴女(あなた)に手伝ってもらいたいことがあるんです」

 そう言って椿原はにっこりと笑う。

その笑顔が、あまりにも美しすぎて……きっとこれまでもそういやって色んな人を手玉にとってきたんだな、と思った。


「……手伝って欲しいことって何ですか」

「奥のベッドに座っていて。準備してきますから」

「はあ」

 準備っていったい何を準備するのだろう。ベッドに座ってしばらく待っていると、クリップボードを手に持った椿原が戻ってきた。

「お待たせしました。じゃあさっそく始めましょう」

「始めるって何を?」

「うふふ、ちょっとしたアンケートです」

「アンケート?」

 手伝うって、なにかと思ってたらアンケートの回答だったのか。


「ええ、学校が公式に回答を集めるものではなく、生徒会がランダムに選んだみなさんに、聞いているものです」

「はあ」

「プライベートなことも質問させてもらうので、答えにくいものは無理に回答を求めたりはしないので」

答えて頂けますか? と言って、椿原はわたしを見つめて来た。

「別にいいですけど……あんまり時間がかかるのは、ちょっと」

真央にバレそうだし。

「確かに、あまり時間をかけてしまうと、球技大会を抜けていることがバレてしまいますからね。でも、安心してください、yesかnoで答えられる簡単なものなので」

そう言いながら椿原は、クリップボードについているボールペンをカチカチと、ノックした。

「はあ、分かりました」


「あまり深く考えずに答えて下さいね。では、質問です。貴女は自分の容姿を、他人から見て魅力的だと感じますか?」

クリップボードの紙を見ながら、椿原は聞いて来た。

「no」

 迷うことなくわたしは答える。

「……なるほど、では次の質問です。貴女は今好きな人がいますか?」

「no」

「なるほど」

 椿原は紙に何かを書き込んでいる。

……そんなことよりも、どういう質問なんだこれ。

「あの、この質問って、どういう意図で聞いてるんですか?」

「そうですね……学生生活の調査、といったところでしょうか」

「調査ねえ……」

それにしては質問の内容が、おかしい気がするが。


「では、最後の質問です。貴女の目にはわたくし、椿原花恋は魅力的に映りますか?」

「え?」

「あら? よく聞き取れませんでしたか?」

「いやいやそうじゃなくて……それって本当に、アンケートの質問なんですか?」

「ええ、そうですよ」

椿原はけろりとした顔をしている。

「……」

「さあ、答えて下さい」

「ちょちょちょっと……」

 蠱惑的な笑みを浮かべ、椿原はわたしに迫ってくる。距離を取ろうと後ずさりして気づいた。

仕切りのカーテンは固く閉じられ、近くの窓も鍵がかけられている。……もしかしてこれ、逃げられないのでは?


「今度は逃がさないから」

「ひゃあっ!?」

肩を掴まれてなす術もなく、わたしはベッドに押し倒される。

「こういうことされるの嫌?」

 嫌とか嫌じゃないとか、そういう問題じゃない。

「いや……その、冗談……ですよね?」

「にぶいのね、本当」

 心底呆れたといったような表情を椿原は浮かべる。

「まあ、いいわ。貴女がにぶいからこそ、チャンスが巡って来たのだし」

「……っ!?」

 力、めっちゃつよ……腕を抑えられて、身動きの取れないわたしを見つめながら、文字通り椿原は舌なめずりをした。

 近づく顔と顔、いや唇と唇がこのままだと触れそうな──

がらり、という扉が開けられた音で、飛びかかっていた意識が引き戻された。


 入口の方から足音が近づいて来て、閉じられていたカーテンが壊れそうな勢いで開かれる。

「なっ……ななな何してるの!」

 現れたのは真央だった。

「あら、桜井さん。どうされたのですか?」

「はぁ……いいから早く離れて! 二人ともそこに正座、今すぐ」


椿原とベッドの上に並んで座らさせられる。

「……で、いったい何をしてたの?」

 気まずい沈黙が流れたあと、尋問するような口調で、真央はわたしと椿原に質問して来た。

「いや、その……」

 どう答えればいいかわたしが戸惑っていると、椿原が笑顔を浮かべながらこう答えた。

「わたくしが朝倉さんに、アンケートの回答をお願いしたんです」

「アンケート? そんなのあったっけ?」

「生徒会独自でお願いしているもの、ですから」

「ふうん。で、どうして百合にあんなこと、する必要があるわけ?」

真央の口調はさっきと比べて落ち着いているけど、

「あら、どうしてそんなことを聞くんです?」

うわ怖。こいつ、絶対この状況を、ちょっと楽しんでるじゃん。

「どうしてって、そんなのベッドに押し倒されてるの見たからにきまってるじゃない」

「説明する必要はないですわ。だって、桜井さんの想像通りですよ」

「……椿原さん、私、怒ってるの分かりますよね?」

 真央は椿原に今にも掴みかかりそうな顔で、椿原を睨んでいる。

「百合さんではなく桜井さんが、どうしてそこまでムキになるんです?」

「……それは」

 真央が口ごもったところで、チャイムが鳴った。

「あら、もうこんな時間ですか、わたくしはこれで失礼致します。お二人も早く体育館に戻った方がいいですよ」

「ちょっと! まだ話は……」

まだ何か言いたげな真央を振り切るように、椿原は保健室から出ていってしまった。

「……」

 呆然と立ちすくむ真央に、どう声をかければいいか分からず、わたしはしばらくベッドの上に座ったままだった。


「ねえ百合」

「な、何」

 真央はゆっくりと近づいてきて、わたしの手を掴んで引っ張った。

「ちょ──」

 そのまま引っ張られて保健室を出る。

「……」

「ねえ」

「……」

話しかけてもずっと不機嫌な顔のまま、こっちを向こうともしない。

「ちょっと」

 ……どうしたものか。

「あのさ、どうしてそんなに怒ってるの?」

「分かんない。どうしてこんなにモヤモヤしてるんだろ、私」

 吐き捨てるように言って、真央は掴んでいたわたしの手をようやく離した。

「早く戻ろ」

「うん」

 それからは会話もないまま、わたしたちは体育館に戻った。

 まだ熱気の残る中、クラスごとに並ばされて教師の締めの話を聞かされる。

着替えて教室に戻る。

今日は帰りのHRもなく、そのまま解散となった。



3

私だけではなく、学生にとって期末テストという言葉は聞くだけできっと憂鬱な気分になる気がする。

「ふわあ……」

いつもより早く起きて、今日あるテストの復習を軽くする。

「真央ーご飯できたよ〜」

「はーい!」

返事をして下の階に降りる。

「いただきまーす」

トーストにかじりついて、テレビをつける。

朝から流れるニュースは、どれも見ていて気分の良くなるものではなかった。

「ふう。ごちそうさまー」

朝ごはんを食べ終えて、身支度を整える。

「よし」

スイッチが入るというほど大げさなものではないけれど、髪を二つ結びにすると、気持ちが引き締まる。

「よし」

制服を着てからもう一度鏡の前に立つ。改めて見ると髪を結んだリボンが、いつもよりも決まっている気がした。

「気をつけてね」

「うん」


「あっそうだ、今日は午前で学校終わりなんでしょ? 帰りに百合ちゃんを誘って、お昼食べてきたら?」

ママにお金を手渡される。

「ありがと。じゃあ行ってきます」

家の外に出て深呼吸をすると、少しだけ勇気が湧いてきた。

百合の家のチャイムを押す。一回、二回、三回目でようやく百合が出て来た。

「おはよ、学校行こ」

「……待ってて」

しばらくしてから、百合が制服に着替えて出てきた。

「あれ、どうしたのそれ」

「別に、気が向いたからつけただけ」

百合の前髪には、鮮やかなオレンジのヘアピンが飾られていた。

ヘアピンには、ガラスで出来た太陽が乗っている、すごく印象に残るデザインだ。

「ふうん……」

最近買ったのかな、もしかしたら誰かから貰ったものなのかとか色々想像が膨らむ。

結局駅に着くまで、私はずっとそのヘアピンが気になっていた。

「そういえば今日から期末テストだけど、百合はどう?」

「どうって?」

「いや、勉強どれぐらいしたのかなって」

「日本史は適当に教科書とか読めばいいし、数学も公式見直したらなんとかなるでしょ」

百合はいつもこんな感じなのに、それなりに勉強している私よりも、いい点数を取るんだ。

正直ズルいと思う。

「羨ましいなー、百合はいっつもそんなに余裕で」

「ふわぁ……まあなんとかなるでしょ」

百合はそう言いながら、呑気にあくびをしている。


「ねえ百合、今日テストだしお昼まで学校終わるから、ご飯でも食べに行かない?」

「……どこに?」

「うーん、百合はどこか行きたいとこある?」

「帰って寝たい」

「うーんしょうがないなあ……お願い」

少しわざとらしく、百合に向かって手を合わせる。

「はいはい」

「やった!」

そんなことを話しているうちに、私たちは駅についた。


最後の科目の美術が終わり、教室中が安堵や諦めのこもったため息で埋め尽くされる。

「桜井さんテストどうだった〜?」

「うーん、あんまり自信ないかなあ」

「またそんなこと言って〜桜井さんはいっつもいい点数取るじゃん」

そんなことないよ、と愛想笑いを返しつつ私の目は、百合がどこにいるか探していた。

「あっ……」

百合はそそくさと帰ろうとしている、呼び止めないと。

じゃあね、とみんなに挨拶をして百合を追いかける。


「百合、一緒に帰ろうよ。ほら、朝話したじゃん?」

下駄箱の前で、やっと百合に追いつけた。

「……ああ、そうだったっけ」

「もう、忘れてたでしょ」

「ごめんごめん……で、どこ行くの?」

「うーん、なにか食べたいものある?」

「重いものじゃなかったら、なんでもいいよ」

「そっか、じゃあ近くで探してみるね」

携帯で近くの店を探しているうちに、良さそうな喫茶店を見つけた。

いつもとは違う駅からしばらく歩いて、大きな通りから中に一本入る。

閑静な住宅街にある場所を、地図は示していた。

「あ、あそこだ」

やがて目の前に一軒の喫茶店が見えた。純喫茶サファイア。いかにもって感じの店名だと私は思った。

「いまどき純喫茶だなんて、珍しいね」

百合もどうやら興味を持ってくれたみたいで一安心する。

「でしょ? じゃ、入ろっか」


ドアを押し開けると、軽やかな鈴の音が鳴る。それと同時に、コーヒーのいい香りが漂ってきた。

「おや、学生さんかな? そこのテーブルにどうぞ」

カッコいいベストを着た、マスターらしき人が笑顔で迎えてくれる。そのまま私たちは通された席に向かい合って座った。


薄暗い店内にジャズだろうか、落ち着いた音楽が流れていて、とても落ち着く雰囲気で、なんだかわくわくする。

でも、こういう喫茶店でマスターらしき人が女性なの、ちょっと珍しいかも。

マスターはポニーテールが似合う、落ち着いた雰囲気の美人なお姉さんだった。


「どれにしよう」

メニューを見ていると、つい目を目移りしてしまう。とりあえず、コーヒーは頼むとしてあとはどうしようかな。

「ねえ、百合は何にする?」

百合はメニューをちらっと見て、すぐに決めたようだった。

「アイスココアとミックスサンド」

「うーん、私はアイスコーヒーとどれにしよう」


「はい、お水とおしぼりどうぞ。決まったら呼んでね~」

さっきのお姉さんが、おしぼりと水を運んできてくれた。ちょうどいい、聞いてみよう。

「オススメとかってありますか?」

私の質問に少し考えこんで、お姉さんはこう答えた。

「うーんそうだなあ、やっぱりナポリタンとかオムライスとかが定番かな」

「あ、じゃあその中だったら、お姉さんはどれが一番好きですか?」

「あ、でもあたしはミックスジュースが一番好きかも、あははごめんねー参考にならない答えで」

「へぇーそうなんですか……じゃあ私はアイスコーヒーとナポリタンお願いします」

「はいはい。お連れ様は注文決まった?」

「わたしは、アイスココアとミックスサンドでお願いします」

「はい、了解。飲み物はすぐ持って来るか、食事が終わった後かどっちがいい?」

私は百合と顔を見合わせる。

「じゃあ私は後でお願いします」

「同じで」

「はいはーい」

にっこり笑って、お姉さんは奥に引っ込んで行った。

注文をはきはきと伝えてるから、調理をする人がどうやら別にいるみたいだった。



「……前から聞こうと思ってたんだけど、誰かに告白とか、されたことある? ほら、百合ってモテるから」

「モテてない。……まあ、なくはないけど」

……やっぱりそうだろうなあ、百合可愛いし。

それにこの前みたいに……。

椿原さんが百合にキスしようとしていた、あの衝撃的な光景が、ふとよみがえってくる。

「どんな人?」

「あんまり覚えてない」

「ええっ?」

「あんまり知らない人だったから、記憶に残ってないんだよね」

平然と百合は言う。その口ぶりからすると本当に、記憶にないみたいだ。


「お待たせしましたー」

「うわあ美味しそう」

運ばれて来たナポリタンとミックスサンドは、どちらもすごく美味しそうで、私一人で両方食べてしまいたくなってしまうほどだった。

「飲み物が欲しくなったら、また声をかけてくださいね」

「はい」

「ごゆっくりどうぞー」


「……本当、美味しそうに食べるね」

「そう?」

頬杖をついて、百合は私をじっと見つめてくる。

「そんなにまじまじと私を見てないで、百合も早く食べたら?」

「うん」

百合は左手で、ストローが入っていた紙をもてあそんでいて、ミックスサンドには手をつけようとしていない。

何か考えごとでもしていてるみたいで、どこか上の空だ。


「食べないなら貰っちゃうよ?」

「半分食べる? わたしにはこれ少し多いし」

そう言いながら、百合は皿をこっちに渡してきた。

「え、本当にいいの?」

「いいよ」

百合は本当に華奢で羨ましい。でも、さすがにもう少しちゃんと食べた方がいいと思う。

「あ、ありがと」

「やっぱり、何かを食べてるときの真央って本当幸せそうだよね?」

「もう、からかわないでよ」

確かに私は食べることが好きだけど、改めてそう言われると恥ずかしい。

「だって、わたし真央以上に食べる人知らないし」

百合は少し意地の悪い笑みを浮かべて、サンドイッチを一口食べた。

「……私のことそんなふうに思ってたんだ」

「事実だし」

「もう……」

最近また少し制服がキツくなってきたことを思い出して、私は少しブルーな気分になった。


「ふう」

アイスコーヒーを飲みながら、少し店内の音楽に耳を傾けてみた。

音楽は全くと言っていいほど詳しくない私でも、どこかで聞いたことがあるから、有名な曲なのかな。

百合はまた頬杖をついて、カウンターの奥を眺めている。

その横顔は、私がいくら背伸びしても届かないほど綺麗で、同じ女の子として羨ましくなってしまう。



「そういえば百合は、進路どうするの?」

私はココアを飲む百合に、今日一番聞きたかったことを聞いてみた。

「真央はどうするの」

百合はグラスについた水滴を指でなぞりながら、質問を返してくる。

「私は一応進学しようかなあって」

「そう」

百合は長いため息をつく。

「百合もやっぱり進学するの?」

「どうだろ」

濡れた指を見つめながら、百合はそれ以上何も言おうとしなかった。


「そろそろ帰ろっか」

「うん、じゃあ私が誘ったんだしここは私が……」

「いいよ、ここ気に入ったし、わたしが出す」

そう言って百合は私の返答を待たずに、伝票を持っていってしまった。

「待って」

「いいから」

「でも……」

付き合ってもらったのに、ちょっと申し訳ない。

「今度ジュースでも買って? ね」

結局百合の視線に負けて、私は先にお店を出た。

「行こっか」

「うん」

来た道を戻って再び電車に乗る。あっという間に私達が降りる駅に着いてしまった。

「あっつい……」

そう言って百合は制服のリボンを外して、胸元をぱたぱたとあおぎだした。


「何?」

視線に気づいたのか、百合は私を見てくる。

「ううん別に」

どうしてだろう、ちょっとどきっとしてしまった。

「真央の方が立派なもの持ってるのに、わたしのなんか見てもしょうがないでしょ」

百合は悪い笑顔で、私の胸をまじまじと見てくる。

「も、もうやめてよ」

「しっかしすごいよね、また育った?」

「きゃあっ!?」

百合は私の胸を正面から堂々と揉んできた。

「あ、ごめんつい」

「ついって……」

どうして真顔でこんなこと出来るんだろう。


「あれ、デート?」

後ろから聞いたことのある声がしたと思ったら、晴海さんが走って来た。

この暑さなのにランニングしていたのか、ずいぶんと汗だくだ。

「暑苦しい、寄るな」

しっしっと、百合は追い払うような仕草をする。

「もう、またそんなこと言って」

百合はなぜかいつも晴海さんに辛辣で、何かあったのだろうかと気になってしまう。

「……うん。どうやらお邪魔みたいだし、ボクはランニングに戻るね、じゃあ」

そう言って晴海さんは屈伸をしてから、走り去っていった。

「相変わらず、暑苦しいやつ」

「そう? 私は晴海さんのこと、結構かっこいいと思うけどな」

「ふうん。じゃあね」

「うん」

百合は微妙な顔のまま家に帰っていった。


4

テストが終わり、夏休みはもう目の前。今から学校にわざわざ行かなくていい日が待ち遠しい。

「ねえ、百合一緒に帰ろ」

「別にいいけど」

帰ろうと教室を出たところで、今日も真央に声をかけられた。

生徒達の波をすり抜けて、下駄箱で靴を変える。

「あっ……」

橘さんがわたしに気づくと、気まずそうな顔をした。いったいどうしたんだろう。


「行こっ」

「あ……」

黙ったまま立っていると、真央にスカートの裾を引っ張られた。そのまま何も言わずに校舎の外に出る。

「ねーどこか寄って帰ろ」

そう言って真央は腕を組んできた。柔らかい感触と体温を感じて、つい右腕に意識がいってしまう。

「暑いからとりあえず離れて」

「むー、いいじゃん別に」

「それに……」

「それに?」

「いや、やっぱりいい」


なんだろう、どこからかものすごく視線を感じる。

ちょっと気味が悪い。

「ねえ百合、どこ行く?」

どこでもいい、と言いかけて思いついた。

「ちょっと行きたいところ、あるんだけどいい?」

「うん、もちろん!」

嬉しそうな真央の顔を見て、少しほっとする。


電車に乗って、学校と家の途中の駅で降りてから少し歩く。

ここはあまり大きくないけれど商店街があって、色々な店があるからたまに学校帰りにふらっと買い物をする。

「ところでどんなお店に行くの?」

どんな店、か。

「うーん、ガラスの製品とかを扱ってる雑貨屋かな」

「へー」

意外、という反応を真央はする。


「ここ」

目当ての店は、商店街のメインの通りから、一本外に出た路地にある。

「看板とか店名とか出てないけど、入って大丈夫なの?」

「うん、今日はやってるはずだよ」

不安げそうな真央を導くように、わたしはドアを押し開けた。同時に、チリンチリンと風鈴の音が響く。


「おっ百合久しぶり〜」

奥から作業着姿の女性が出てくる。

「どうも」

「あれ、そっちの子ははじめましてかな? もしかして彼女さん?」

相変わらずの軽口に、わたしは少し呆れつつも安心した。

「違いますよ。えっとこれが例の真央です」

「あー! この子が真央ちゃんか、本当に可愛い子じゃん」

「あ……あの」

珍しく真央があたふたしている。さすがに何の説明もせずに連れてきたのは、まずかったかもしれない。

「えーと、この店の店主の和沙かずささん」

「おっす、百合とは一応5年前ぐらいからの知り合いで、まー常連さんの一人って感じかな」

「えっと、桜井真央です。その……よろしくお願いします」

「あーいいのいいの堅苦しいのは苦手なの、どうぞごゆっくり〜」

そう言うと和沙さんは作業の途中だったのか、中に引っ込んでしまった。

「変わった人……だね」

「まあ、いつもあんな感じだから、気にしないで。とりあえず色々見てみよ」

「う、うん」


相変わらず狭いスペースの中に、所狭しと色んなものが置いてある。

壁掛け時計、この店のメインのガラス細工、他にも色んな小物や雑貨があって、どれも色使いが綺麗だ。わたしは見ていて飽きないけど、真央はどうだろう。

「どう? 何か気に入ったものあった?」

「うん。すごいねここ」

真央はキラキラと目を輝かせて、ぬいぐるみを手に取っている。どうやら気に入ってくれてみたいだ。


「あ、これ」

ふと、置かれていたリボンが気になった。

色々な色の中から淡いピンクのものがわたしの目を引く。

「それってリボン?」

「そう」

これ、とさっきのリボンを真央に見せる。

「似合うんじゃない」

「本当?」

「つけてみよ」

「えっ、自分でやるからいいよ」

「いいから」

真央の髪を結んでいたリボンを片方外して、ピンクのリボンを結んでみる。うん、やっぱりよく似合っていた。

「少しリボンにしては長めだけど、それが逆に良いかも、自分でも見てみたら」

手鏡を差し出すと、真央は少し恥ずかしそうな顔をした。

「わあ……このリボンかわいい」

「でしょ、やっぱり似合うよそれ」

「じゃあ、これ買おうかな。百合は何か買うの?」

「これ買おうかなって」

わたしはリボンの隣にあった、黒のヘアピンを手に取った。

「じゃあそろそろ行こっか? すみませーん」

奥に声をかける。

「はいはーい。あっありがとね〜」

真央の分も一緒に会計して、同じ紙袋に入れてもらった。


「また来てね〜」

和紗さんは外に出るまで手を振って見送ってくれた。

「ふう、じゃあ帰ろっか」

「そうだね」

アーケードを戻って駅に向かう。

「あ、そうだこれ」

歩いている途中、真央に紙袋を渡す。

「あ、ありがとう。なんかプレゼントもらったみたい」

「いやいや、ちゃんとお金もらったし」

「そうだけど……なんか百合から直接渡されると嬉しくて」

真央はなぜだか、照れたように笑う。


「そういえば、今年はどうなの?」

「?」

電車の中で真央が唐突に聞いてきた。

「その……もうすぐ誕生日じゃん、百合の」

「……そうだったっけ」

自分の誕生日だから、忘れてたわけじゃない。でもそれ以上に自分の誕生日が近づいてくると、複雑な気持ちになる。

今年ももうすぐ()()()が来るのか。

「よかったら、今年は一緒に祝わせてよ」

「……別に、気をつかわないでいいのに」

「そんなことないよ、だって大事な……」

真央はどうしてか、突然話すのをやめた。

「真央?」

「ううん、なんでもない……大事な友達の誕生日だから、お祝いしたいのって普通じゃない?」

そう言って笑う真央の横顔は、少し寂しそうに見える。

その理由がわたしにはよく分からなかった。



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