Another chapter5
この章はAnotherchapter1〜4の続きとなっています。未読の方はぜひそちらからどうぞ
1
「……」
珍しく授業中、わたしはノートを開いていた。
雨音がうるさくて寝れそうな気がしない、というのもあるけれど、不思議と今日はだるさというか体の不調を感じなくて、やる気になってるとまではいかなくても、たまには授業でも聞いてみるか、という気まぐれだった。
今日こんなに体調が珍しくいい夢を見たからだろうか。
まあいい夢と言っても、具体的にどんな内容だったのかはっきりとは覚えていない。ただ、眠りから覚めるのが嫌だ、と思ってしまうぐらいには、いい夢だったということぐらいしか覚えていなかった。
……どうせだったらいつか見た悪夢を忘れて、今日みたいないい夢を覚えておけたらいいのに。
夢にかかわらず嫌なことばかり覚えている自分は、なんて暗い人間なんだろう。
「文明開化はこうして──」
そういえば、昨日一緒に昼ご飯を食べる約束してたんだった。生徒会室の前に来いって言ってたような。
「……ふわぁ」
あくびをしたところでちょうどチャイムが鳴る。いつもだったらこのまま一眠りするんだけど、今日はそうするわけにはいかない。
鞄からメロンパンと飲み物を取り出して、わたしは教室を出た。
「百合さん」
生徒会室の近くまで来たところで、後ろから声をかけられた。
振り返ると、椿原が笑顔を浮かべていた。
「来てくれたんですね、約束通り」
「まあ」
約束、というほど大げさなものかと一瞬思ったけど、約束には違いない。
「あ、そういえば」
「?」
「桜井さんには見つかりませんでしたか?」
生徒会室の前に着いたところで、椿原はこう聞いてきた。
「真央に見つかったら何かまずいの?」
「ふふっ、もしかしたらまずいことがあるのかもしれないですね」
椿原は鍵を開けながら、いたずらっぽく笑う。
「そういえば、どうして生徒会室なの?」
椿原の後について中に入ったところで、思わず気になったことが口に出た。
「本当でしたら屋上とかの方がいいのでしょうけど、あいにく今日は雨ですし」
そこで椿原は一度言葉を切ってわたしに向き直った。
「まあでも本当は屋上、立ち入り禁止なんですけどね、生徒手帳にも書いてありますよ」
「へえ」
流石は生徒会長様。生徒手帳なんて入学して以来開いた記憶がないわたしとは違う。
「先ほどの質問に答えをするのならば、実は一緒にお昼を食べようと思っているのは、生徒会室ではないんです」
「??」
今のわたしの頭上には、クエスチョンマークが浮かんでいるに違いない。
だって、生徒会室に入っておいて生徒会室で食べるつもりはないってどういうことだろうか。
「生徒会室を使ったことのない生徒は、たぶん知らないであろう場所があるんです。この部屋の奥に」
そう言って椿原は再びわたしに背を向けて歩き始める。
部屋の中央に置かれた長机と椅子の横を抜けて奥に進むと、もう一つ扉があることに気づいた。
「生徒会準備室?」
扉にはそう表札が掲げられている。
「ええ、理科室などと同じように、生徒会にも準備室があるんです」
椿原はそう言いながら、ポケットからさっきとは違う鍵を取り出して鍵穴に差し込んだ。
「と言っても、ただの備品や資料置き場なんですけどね」
中は教室で使われているのと同じ机が一つと椅子が二人分、あとは両脇に本棚が置かれているだけで、通り抜けた生徒会室と違ってどこか整然としている印象をわたしは受けた。
「結構広いんだ」
「実は昨日掃除と片付けをしたんです。今日のために」
「……わざわざ?」
「大したことではありませんよ。それにここは、わたくしの学校でのプライベートルームのような場所ですから」
そう言いながら椿原は椅子に座る。わたしも同じようにもう一つの椅子に座った。
2
「百合さんはやっぱりココアが好きなんですか?」
ココアを飲むわたしに椿原は尋ねてくる。
「うん、まあそうだけど。どうしてそう思ったの?」
「百合さんと初めて二人で話したときも、飲んでましたから」
「……そうだったっけ」
そういえば真央にも、昨日似たようなことを言われたような気がする。
「ええ、わたくしの記憶が正しければ、ですけどね」
そう言って椿原は笑う。
「椿原さんはいつもお弁当なの?」
「そうですね、何か特別なことがなければ」
勝手な想像だけど、わたしと同じようにパンとかを買ってるのかと思ってた。
「毎朝作ってるの?」
「本当はそうしたいんですけど、なかなか難しくて……家の人に頼んでしまっています」
椿原はなぜか申し訳なさそうな顔をする。
「そうなんだ」
「でも、献立は自分で決めるようにしてるんです。やっぱり食べるものは健康の基本だと思うんです」
「……へえ」
わたしには到底真似できそうにないことを、さも当然のことのように言う椿原は、素直にすごいと思う。きっと、彼女はこれ以外にも色々気を使っていることがあるんだろう。
「そういえば、百合さんって今日学校終わった後、何かご予定ありますか」
「特にないと思うけど」
「でしたら、わたくしのお気に入りの場所に付き合ってもらえませんか?」
「お気に入りの場所って?」
正直、どんな場所かちょっと興味がないわけではない。
「それは行ってからのお楽しみです」
「まあ、別にいいけど」
「……よかったです。断られてしまったらどうしようかと」
椿原は胸に右手を当てて、ほっとしたといった顔をする。
そのリアクションが少し大げさに見えたけど、わざわざつっこむのはやめておいた。
「そろそろ教室戻る?」
わたしの言葉に椿原は、左手につけている腕時計を見た。
「そうですね、もうそろそろ次の授業が始まる時間ですし」
「では、授業が終わったら東門の前で待っていてくださいね」
「……ああうん」
一瞬なんのことかと思ったけど、ついさっき椿原のお気に入りの場所とやらに付き合うって言ったんだった。
「約束ですよ」
椿原は笑っているが、目の奥がなんだか笑ってない気がするのが若干怖い。
「ちゃんと行くから安心して」
どうやら椿原はちゃんとわたしがくるのか不安らしい。
「それでは、また後で」
「うん」
思ったよりも授業が始まるまで時間がない。椿原の後ろ姿を見送らずに、わたしは急いで教室に戻った。
3
「あっ、百合ちょっと待ってよ」
授業が終わった後、教室を出てすぐに真央に呼び止められた。
「ねえ、一緒に帰ろうよ」
「今日はパス、予定あるし」
わたしの言葉が予想外だったのだろう、真央は驚いた顔をする。
「……そうなんだ」
「うん」
わたしが頷くと、真央は笑顔を作った。
「じゃあ、また明日ね」
「うん」
下駄箱で靴を履き替えて、椿原に指定された東門へと向かう。
一秒でも早く、学校から抜け出したい生徒達で溢れかえる正門と違って、東門はまさに裏門って感じであまり人がいない。
しばらくぼーっと待っていると、椿原がこっちに小走りでやってきた。
「すみませんお待たせしました。もうすぐ迎えが来るので、一緒に乗ってください」
「うん」
それから本当にすぐに、高そうな車が走って来てわたしたちのすぐ側に止まった。
「お待たせしました、どうぞ乗ってください」
「……あ、はい」
助手席から降りてきた女性はなぜかメイド服を着ていて、そういえば明日葉を迎えにきた人も、メイド服を着ていたことを思い出した。
「お嬢様、よろしいですか?」
「ええ」
椿原が頷くと、車はゆっくりと走り出した。
「そういえば椿原さん、そろそろどこに行くか教えてもらっても?」
「『サファイア』という喫茶店です。今どき純喫茶を名乗っている、少し変わったお店なんです」
椿原は微笑みながらわたしの質問に答える。
「へえ」
サファイアという名前がいかにもって感じでなんか好きだ。ちょっと楽しみになってきた。
「そういえば、来週球技大会がありますね。百合さんは何に出るんですか?」
球技大会、言われてみればそういえばそんな行事があった気がする。
「そもそも決めたのかすら分からない」
「そうですか……ではバスケットボールに参加されたらどうでしょう?」
わたしの答えに苦笑した後で、椿原はこう聞いてきた。
「遠慮しとく」
「でも、中学生のときはバスケットボール部に所属されていたのでしょう?」
「……どうして知ってるの」
思わず問いただすような口調になってしまった。
「この前、部費の申請に晴海さんが来たときに言っていましたよ。『ボクが知っている中で一番上手い選手だった』と」
「……」
あのバスケバカは本当……。
「わたくしから聞いたわけじゃないんですけどね、夏の大会に向けてどうですか? と質問したらなぜか百合さんのことを話し始めたんです」
……あのバカ、どうしてそう余計なことを関係ない人にべらべら喋るのか。
「あれだけ話を聞かされたら、実際に百合さんの勇姿を見てみたいなあと思ってしまいました」
椿原はそう言ってふっと笑う。それはきっと、悪意のない純粋な好奇心のあらわれなのだろう。
もしもそう思えなかったら、わたしはきっと不機嫌になってしまっていた。
それぐらい、わたしはバスケにいい思い出がないのだ。
「もうすぐ着きますので、降りる準備をお願いします」
そんな話をしているうちに、目的地に着いたみたいだ。ほどなくして車は路肩に止められた。
「帰りはまた連絡するわ」
「かしこまりました」
「では、行きましょうか」
「うん。ありがとうございました」
一応メイドさんに向かって軽くお礼を言ってから、椿原の後に続いてわたしは車を降りた。
少し大きな道から一本中に入った路地。辺りは家が立ち並んでる住宅街といった所に、サファイアは佇んでいる。
外観からとても雰囲気があって、きっとこういう店には根強い固定ファンががついているんだろうとわたしは思った。
「いらっしゃいませー」
テーブル席に座ったところで若い女性の店員が、水とおしぼりを持ってきた。
「注文が決まったらまた呼んでねー」
「あ、はい」
なんだろうこの店の雰囲気からすると、もっと硬派というかかしこまった感じの店員さんが来ると思ったけど、ずいぶんとフランクな感じだったのがちょっと意外だった。
「彼女、今はこのお店のマスターなんですよ」
「そうなんだ」
今は、ということは前は別の人がマスターをしていたのだろうか。
「百合さんはどうしますか? わたくしはいつもここで何を頼むのかは、決まっているので」
「えっ、そうなの」
改めてメニューを見ると結構種類が多くて困ってしまう。
「ゆっくり考えてくださいね、百合さんと少しでも長くこうしてお話ししていたいので」
「ごほっ……」
水を飲んでいる途中に、そんなことを言われたから思わずむせてしまった。多分冗談だと思うけど、ちょっと照れてしまった自分が恥ずかしい。
「大丈夫ですか?」
椿原はわたしを見てにっこりと笑う。
「……大丈夫」
わたしと話しているときの彼女は、笑顔を浮かべていることが多いような気がする。
まあ彼女のような美人に、笑顔を向けられるのは正直悪い気はしないけど、同時にすごく怖い。
どうしてわたしなんかに、そんな甘い言葉を投げかけてくるのだろうう。
でもその理由を聞いても、きっとはぐらかされるような気がする。
「椿原さんはちなみに何頼むの?」
気を取り直してメニューを決める作業に戻る。
「わたくしはいつも本日のコーヒーです。今日もこれにしようかなと」
「……うーん」
じゃあわたしも同じものを、と言いたいところだったんだけど、コーヒーは砂糖とミルクを入れてもなお、苦く感じるから苦手だ。
「ミックスオレにしようかな」
甘いものならどれでも良さそうだし、ぱっと目についたミックスオレにすることにした。
「そういえば妹さんにも聞いたんだけど、椿原さんのお母さんってどんな人?」
注文が済んで少ししたところで、今度は姉の方に同じことを聞いてみた。
「……そうですね、とても厳しい人でしたよ」
椿原は懐かしむような口調でこう答えた。
「厳しいってどんなふうに?」
「子どもだから、で普通なら済まされてしまうようなことでも見逃して貰えませんでしたし、やりたくないって駄々をこねて、途中で何かを投げ出すことも許して貰えませんでした」
「……辛くなかったの?」
椿原に初めて親近感が湧いた。わたしにも同じような経験があったからだ。
「そのときは本当に嫌いになったこともありましたよ。……でも、今ならわかるんです、お母さんはわたくしを世界で一番大切に思ってくれていた人だと」
「……」
「結果として今のわたくしにとって、何かしら役になっていることがほとんどですから。とても感謝しています」
わたしは言葉を失っていた。それと同時に、椿原に嫉妬と憧れが混ざったような複雑な心情を抱いていた。
……もし、わたしも我慢していれば、彼女のように胸を張ってこう言えたのかもしれない。
そう思うと、途中で逃げ出した自分がどうしようもなく嫌になる。
「お待たせしましたー」
ちょうどそこで、さっき頼んだ飲み物が運ばれてきた。
気分を変えようとミックスオレを一口飲む。その甘さで少し落ち着けた気がした。
「そろそろ帰りますか」
「そうだね」
それから椿原ととりとめのない話をしていたら、いつの間にか結構遅い時間になっていた。
「お家までお送りしますよ」
「あーえっと、帰りにコンビニに寄りたいから最寄り駅までで大丈夫、ありがとう」
「分かりました。……じゃあ、出発して」
椿原がそう言うと、車はゆっくりと走り始めた。
当たり前だけど、車から見る景色はいつもの電車からのものとは違って見える。
「わざわざ送ってくれてありがとう」
「いえ、わたくしの方から誘ったのですからこれぐらいはさせてください」
「じゃあまた」
「ええ、また誘わせてくださいね」
椿原と別れて、コンビニで適当に食べ物と飲み物を買って家に帰る。
「ん?」
わたしの家の前に見慣れない大型のバイクらしきものと、目立つ外見の女性が立っていた。
向こうもわたしに気づいたみたいでこちらに手を振ってくる。
「あっ、待ってたよー」
ウエーブのかかった明るいブラウンの髪と、黒のチューブトップがまずわたしの目を引いた。
そしてレザーのジャケットと、短い丈のダメージジーンズから覗く肉感的な肢体に思わず気を取られそうになる。
でも、それ以上にわたしの心を支配していたのは、見知らぬ人が自分の帰りを待ち伏せていた、という恐怖だった。
「……どちら様ですか」
それに、初めて会ったはずなのに、向こうはどうしてわたしのことを前から知っているように親しげにしてくるのだろう。
「あーまあそうだよね、じゃあはい」
からからと笑いながら、その女性はわたしに名刺を差し出してきた。
「えっ?」
受け取った名刺に書かれていた名前を見て、思わず声が出てしまった。
「驚いた?」
椿原蓮佳、その名前を頭に入れてから改めてその女性の顔を見ると、特に目元がさっきまで会っていた彼女にそっくりなことに気づいた。
「ちょーっとこれからお姉さんに付き合ってくれない?」
そう言って蓮佳さんはわたしを見つめてきたのだった。




