Another chapter3
この作品はanotherchapter1-2の続きです。未読の方はぜひそちらからどうぞ
1
高校三年生になってから、今まで以上にわたくしは日々の雑務に忙殺されてしまっていました。
でもそれは、わたくしが椿原花恋であるために仕方のないことだと、納得して受け入れたはずなのに、ときどき不安に駆られるときがあるのです。
その不安から逃れようと、わたくしはまた忙しい日々に戻る。そんな繰り返しをしていたある朝、これまでの人生で感じたことのない感情を抱く出会いが、なんの前触れもなく訪れたのです。
溜まってしまっている生徒会の雑務を少しでも片付けてしまおうと、いつもより早めに登校した日のことでした。
「……っ!」
視界に入った一人の女性に、思わず見惚れてしまったのです。
わたくしはこの女子生徒が噂に聞いていた朝倉百合、その人だとすぐに確信しました。
『そういえばさーやっぱ、怖かったよ朝倉』
『お前マジであいつに話しかけたのかよ』
休み時間に教室で、普段は苛立ちしか感じない男子達の会話が、そのときはなぜか気になったのです。
『俺も聞いたことあるぜ、あいつ何回も補導されてるって』
朝倉百合、という名前をそれ以前にもどこかで聞いたことがあったからなのでしょうか。
『でさ、ちょっと休み時間に声かけてみたんだけど、当然のように無視』
『うわー』
『ひでーな』
『まあでも、食い下がった訳よ、そしたらなんて言ったと思う? 「あんた誰? キモいんだけど話しかけないで」って』
『やば』
『うわー辛辣ぅー』
『そのときの顔がえげつないぐらい怖くてさ~やっぱあいつ性格ヤバいわ』
『まああんだけ顔よくてもあの性格じゃなぁ』
『だよな~どうせだったらやっぱ性格とバランス取るんだったら桜井の方が──』
下卑た会話の内容は心底どうでもよくて、少しでも聞き耳をたてたことを心の底から後悔したのですが、それと同時に朝倉百合、という顔も知らない人の名前が頭に残ったのです。
木陰のベンチに座っている姿がまるで一枚の絵画のように、飛び込んで来て胸が高鳴ったのです。
これが、一目惚れというものなのでしょう。声も、彼女がどんな人なのか全く知らないのに、わたくしの心は一瞬にして彼女に対する興味で埋め尽くされたのです。
この機を逃したら、きっと一生後悔する。
そんな焦りにも似た感情に突き動かされて、わたくしは勇気を百合さんに声をかけたのです。
実際に顔を合わせて話してみると、聞いていた噂と実際の百合さんが違うことに容易に気づくことが出来ました。
愛想を振りまくことなく、ただ正直過ぎるだけで、むしろ心根は人一倍傷つきやすくて繊細な、優しい人ではないでしょうか。
ただ、自分のことについてちょっと無自覚過ぎるところはわたくしも直して欲しいなと、わたくしはほんの少しだけ思うのです。
百合さんとときおり話をしたりして、ようやく彼女の警戒心も薄れてきたのかな、と思っていたある日のことでした。
「失礼します。花恋様、今よろしいでしょうか」
自室のベッドでくつろいでいると、ノックとともにメイドの声がしました。
「ええ」
体を起こしてからそう返答すると、すぐにドアが開かれました。
「明日葉様のことで少しお伝えしておいた方がよろしいかと思うことがありまして」
「何かあったの?」
本来わざわざ明日葉のことでわたくしに伝えに来ることはないのですが、お父様とお母様が今家を空けているので仕方なくといったところでしょうか。
「どうやら学校帰りに塾に行かずにゲームセンターに行っていらっしゃったみたいです」
「……そう、だから今日帰って来るのがいつもより早かったのね」
困ったような顔をして俯いている彼女は、どうやら明日葉にわたくしが注意することを求めているのでしょう。
「分かりました。わたくしが直接話をするので、明日葉をここに呼んで」
「かしこまりました」
頭を下げてメイドは明日葉を呼びに行きました。
「……ふぅ」
自分の時間を使ってまで明日葉と話をする価値はないのですが、お父様もお母様もいないのですから仕方ありません。
「で、何の用?」
明日葉は部屋には入ろうとせず、ドアの前で不満げな顔をしていました。
「今日塾に行っていないみたいだけど、どうしたのかしら?」
「アンタには関係ないでしょ」
「ええ、関係ないしどうでもいいわ。でも、最近お母様から随分とお説教されていたのに、懲りていないのかって思っただけよ」
「……っ」
明日葉は下唇を噛みながらわたくしを睨みつけてきました。今お説教をしても、きっと彼女は聞き耳を持たないでしょうから、ただ時間の無駄になるだけでしょう。
「……はぁ。今日のことはお父様とお母様には黙っておいてあげますから、端的に誰と何をしていたかだけ言いなさい」
「……ちょっとゲームセンターに行ってただけよ。別に何も悪いことしてないし」
別に悪いことをしていたと、わたくしは言っていないのに、自分から言うあたり多少は罪悪感を感じているのでしょう。
だったら最初から大人しくしておけば、面倒なことにならないのに。
「一人で行ったの?」
「違うけど」
「じゃあ、学校の友達?」
「……別に誰だっていいでしょ」
わたくしも別に知りたいわけではないのに、そういう態度を取られると癪に障ります。
「言えないようなろくでもない人でしょ、どうせ」
「はぁ!? そんなことないし!」
予想通り明日葉はムキになって言い返してきました。
「じゃあどんな人なの?」
「……この人、アンタなんかよりよっぽど美人よ」
明日葉は得意げに携帯電話のカバーを外して、裏面に貼っていたプリクラをわたくしに見せてきました。
「……まさか」
予想外の人がそこには写っていたのです。
「あら~? どうしたのぐうの音も出ない?」
「確かに綺麗な人ですね。ただ、あなた本当にこの人とお友だちなの?」
「ふ~んだ! 負け惜しみ? 優等生きどりのアンタとは違ってこういう友達もいるのよアタシは」
そう言うと乱暴にドアを閉めて明日葉は去って行きました。
「……」
──どうやら、明日葉と話したことは結果として正解だったみたいです。
今のうちに手を打っておく必要性に気づけたのですから。