chapter1
※この作品は、現在chapter〜とAnother chapter〜の2つを公開しています。
どちらの√も同じキャラクターと世界を共有していて、(簡単に言うと恋愛ゲームのように√別に進行していくような感じの)複数のエンディングを持つ作品になっています。
このchapter1は、ゲームのパッケージや説明書のような役割を持っていて、大まかな作品の雰囲気や、キャラクター達の設定を読んだ人に掴んでいただけることを、目標に作っています。
Another chapterの方から読み進めても特に問題はないですが、どちらかといえばこちらのchapter1から、順番に読んでいただいた方が色々捗るかと思います。
1
──人は変わる。
朝起きたときのわたしと、夜眠るときのわたしは同じようで、でも確実に違うわたしになっていて。
それは仕方ないことだって分かってる。
分かっていても、それでも、わたしは考えてしまうんだ。
あのときのわたしから、変わらずにいられたら……なんて叶わないことを。
わたし、朝倉百合には友達と呼べるような人がほとんどいない。
まあ、だからといって、日々の生活に不便を感じている訳でもないし、余計な人付き合いに労力を使うぐらいだったら、家で寝ている方がいい、というのがわたしの偽らざる本心だ。
そんなわたしの平凡な生活が、大きく変わり始めたのは、高校3年生の5月末のことだった。
「ふー」
「ひゃあっ!」
ホームルームの時間にまどろんでいたわたしの耳元に息が吹きかけられる。
「まーた寝てたの? もう、文化祭の説明聞かなくて大丈夫だったの?」
起きるなり小言を言われる。
わたしにわざわざ説教をしにくるのは、桜井真央、彼女以外にはいない。
真央は数少ない、というかほとんど唯一と言っていい友人で、幼なじみだ。
家が隣同士なのもあって、わざわざ朝起こしに来たりする。
なんというか世話焼きで、口うるさいところもあるけど、彼女がいなかったら、わたしはとっくに学校をやめることになっていた。
「去年も一昨年も文化祭はあったし、別にいまさら説明なんて」
「今年は私たちが上級生なんだから、下級生を引っ張らなきゃいけない立場だよ、それに」
「あーもう、分かった、分かったから。で、どんな話だったの?」
お説教が始まる流れを察知したわたしは、ひらひらと手をあげて降参する。
「もう……うちのクラスは展示制作と劇のグループに分かれることになったから、話し合って決めろって」
「ふーん」
適当な返事をして、わたしは真央から視線を外した。
「ねえ、百合はどうするつもりなの?」
「別にどっちでもいい」
「それもだけど、そうじゃなくて……」
「……?」
真央がこんなふうに口ごもるのは珍しい。いつもだったらなんでもはっきり言ってくるのに。
わたしは外していた視線を真央に戻した。
「百合、急にどこかに行ったりしない?」
「……」
突然何を言い出すの? って聞き返すことは、前科があるわたしには出来なかった。
「最近特に、心配になるの。今度は私に何も言わないでいなくなったりしないでね、ちゃんと約束して」
「……うん」
真央の震えた声に、わたしは頷くのがやっとだった。
「……約束だよ。じゃあもう授業始まるから席戻るね」
そう言って真央は、自分の席に戻っていく。
……本当は今すぐにでもどこか遠くというか、ここから消えていなくなりたい。だなんて、あんな顔されたら言えるわけなかった。
授業が終わると、学校から逃げるようにわたしは教室から出た。
駆け足で階段を降りて、下駄箱でローファーに履き替えて校門をくぐる。
家についたわたしは制服のままソファーに倒れ込んだ。
「疲れた……」
思わず今の心境を表す言葉が漏れる。
ソファーに寝転がっていると、疲れていたのかわたしはすぐに眠ってしまった。
──夢を見ていた。
風が運ぶ海の香り。裸足で砂浜を歩いたときの、やけどしそうな熱さ。
頭の奥をマドラーでかき混ぜられたように、沈んでいたの記憶が蘇って、ただ苦しかった。
……あの頃のわたしが、今のわたしを見たらきっと失望するだろう。
でも、過去のことは、今さら頑張っても変えることなんて、できないのに。
苦しさの後に押し寄せてくるのは、ただただ深い後悔で……。
目が覚めると、ぶるっと身体が震えるほど寒かった。
全力疾走でもしてたみたいに汗だくで、制服のまま寝てしまったのが原因だろう。
シャワーを浴びてから、ペットボトルの水を一気に飲む。
窓を開けると、朝の少し冷たい風がリビングに入ってきた。
「ふう……」
しばらく外の風に当たっていると、少し気分が晴れてきた。
いつもだったらこのまま二度寝するところだけど、目が覚めちゃったし、わたしはいつもよりずいぶん早いけど、学校に行くことにした。
多くの生徒が登校してくる時間じゃないから、校内はいつもと違って静かで居心地がいい。
といってもまだ教室が開いてるか分からないし、時間を潰すためにわたしは図書室に向かった。
校舎の端にある図書室は日当たりがあまり良くないせいか、結構肌寒く感じる。
本は好きでも嫌いでもないから、今まであんまり来たことはなかったけど、静かな雰囲気は居心地がよかった。
適当な雑誌を読んで時間を潰していていると、誰かがこっちに近づいてくる。
「あ、朝倉さん。図書室に来るなんて珍しいね」
誰だろう、聞き覚えのない声だ。
声の主の顔を見ても、ぱっと名前が出てこなかった。
わたしの名前を知ってるってことは、たぶん同級生なんだろうけど。
「えっと、あたし橘。橘綾子 」
橘……? そういえばそんな名前の人、クラスにいたような気がする。
「あ、ああ橘さん」
「去年もその前の年も、3年間ずっと同じクラスだったのにひどいなぁ、そんなに影薄いかなあたし?」
顔と名前が浮んでなかったのをごまかそうとしたけれど、どうやら向こうにはバレていたらしい。
「いや……その、わたし人の顔とか名前覚えるの苦手だし」
まあ、クラスメイトの名前というものは普通に学校生活を送っていれば、ある程度は頭に入っていくものなんだろうし、3年間一緒のクラスだったら、それぐらい知ってると思うのも無理はない。
「まあ、そんな気はしてたけど。朝倉さん、桜井さん以外のことは眼中に無いって感じがしてたし、本当べったりだもんね〜まるで付き合ってるぐらい」
「えっ!?」
いやいや、確かに仲がいいのは真央しかいないけど、さすがにそれは大げさだ。
「あれ違った? でもあたし朝倉さんが、桜井さん以外の人と喋ってるのを見た記憶、あんまりないけどなぁ」
「……そうだけど、わたしが真央と付き合ってるわけないじゃん」
「あっはは、意外と朝倉さんって面白い人なんだね、もっと冷たい人かと思ってた」
そう言って明るく橘さんは笑う。
快活そうな表情と、高い位置でまとめられたポニーテールが印象的で、どちらかといえば目立ちそうな彼女のことすら全く覚えていないのは、さすがにちょっとわたしが悪いのかもしれない。
「ね、せっかくだから堅苦しく呼ばないで気軽に呼んでよ。あたし、さん付けとかで呼ぶのも呼ばれるのも苦手だし……ね?」
「そう言われても……急にはちょっと」
「橘でも、綾子でも、あだ名でもなんでもいいよ〜。あっそうだ、あたしはなんて呼べばいいかな?」
「……わたしも別に、好きに呼んでもらっていいけど」
「おっけーじゃ、あだ名考えとくね。じゃ、また教室で、バイバイ」
そう言って橘さんは図書館から出ていった。
2
わたしが通う私立三間桜高校は、それなりに歴史があるらしい。
元々は女子校だったんだけど、少子化うんぬんで10年前ぐらいから共学になった、と真央から聞いた。
制服が他の学校と比べて可愛いらしく、今でも全体の半分を大きく超えるぐらいを女子生徒が占めている。
真央は校名の由来とか、ほかにも色々話してた気がするけど、あんまり興味がなかったし覚えてない。
「もうすぐ球技大会だけど、百合はどの競技がいいの?」
球技大会、今日のHRはその話だった。
種目はサッカー、ソフトボール、バスケットボール、バレーボール、ドッジボールでどれか一つには最低でも参加しないといけない。
「ドッジボール」
「うーん、じゃあ私もドッジボールでいいかなあ」
「ちょっといいかな?」
真央と話していると、横から声をかけられた。
「あのさ、もしよかったらバスケちょっと助けてくれないかな? 人足りなくてさ」
「げっ……」
思わず声が出てしまった。
「その反応は流石にひどいなぁ、ボクをなんだと思ってるのさ」
話しかけてきたのは、晴海詩音。まあ、一応知り合いではあるんだけど……コイツとはあまりいい思い出はない。
わたしは中学生2年生の途中までバスケ部に入っていて、晴海も同じバスケ部だった。
わたしが部活をやめてからは、特に話す機会はなかったのだけれど、同じ高校にわたしがいると知った晴海は、熱心にわたしをバスケ部に誘ってきた。
放課後に教室に押しかけてきたり、勝手に入部届けを出そうとしたり、それ以外にもあの手この手で猛プッシュをかけられて、正直うっとうしいとかいうレベルじゃなかった。
しばらくして、晴海が本格的に部活に打ち込むようになり、一度勧誘は止んだけど、3年生になって同じクラスになってからはまた勧誘に来るようになった。
「で、引き受けてくれる?」
「嫌」
「えっ即答!?」
目を見開いて驚く晴海。なぜあれだけ嫌がっていたわたしが引き受けると思ったのか。
「今ドッジボールに決めたところ、人が足りないなら他をあたって」
「いやさあ、実はさっき確認したんだけど、女子の人数的に何人かは二種目出ないと行けないみたいでさあ……お願い!」
両手を合わせて、拝むように晴海はわたしに頭を下げる。
たかが球技大会なのに、どうしてここまでするのだろう。
相変わらず晴海の熱心さは、どこから来るのか理解できない。
「私は別にいいと思うよ、久々に百合がバスケするところ見てみたいし」
悪い笑みを真央は浮かべる。
「そもそも人数が足りないなら、他の運動部の誰かを誘えばいいじゃない。なんでわざわざ……」
「百合だからわざわざ誘ってるんだよ。キミ以上にバスケが上手い人、ボクは知らないからさ」
相変わらず恥ずかしげもなく、晴海はこういうことを言う。
真っ直ぐわたしを見てくるまなざしは、中学のときから全く変わっていなかった。
「買いかぶるのはあんたの勝手だけど、嫌なものは嫌」
そう言って机に突っ伏す。これ以上話すことはないという意思表示をして、晴海が諦めるのを待った。
しばらくそうしているうちに、晴海は誰かに呼ばれてどこかにいったようだ。
「ねえ、晴海さん行っちゃったけど、良かったの?」
「ただでさえめんどくさいのに、種目まで増えたらやってられない」
顔だけを真央に向けて答える。
「またそんなこと言って……晴海さん悲しそうにしてたけど」
「あいつはそんな簡単に傷つくようなタイプじゃない」
「久々に百合がバスケしてるとこ見てみたいってのは、私も晴海さんと変わらないよ。あのときの百合、本当にかっこよかったから」
「……」
バスケの話が出るたびに、嫌な思い出が思い出される。
「もうそうやってすぐ机に突っ伏して、ほら起きなさい」
「やめて、やめてって」
真央はわたしの脇腹をつついたあと、脇をくすぐりだす。
「ほらほら〜起きないとやめないよ〜ふふっ。本当に百合って脇触られると弱いよね」
「分かった、分かったから」
身をよじりながら、必死に抵抗するわたしをしばらくもてあそんで、真央はようやく満足したようだ。
「はぁ……はぁ……」
「ご、ごめんつい、百合……大丈夫?」
周りを見てみると、こっちを見て女子生徒たちが何かひそひそ話している。……付き合ってるとかいう噂が出る原因が、ようやく分かった気がする。
「保健室行ってくる」
雰囲気に耐えられなくなったわたしは、教室を出て保健室に逃げ込むことにした。
歩いていてもなんだか体が弛緩して力が入らない。
真央にここまで本気でくすぐられたのは、いつぶりだろう。
「あっ……いた」
気が抜けたところで、今度は階段を踏み外して足をくじいてしまった。
「なんなのもう……」
思わず恨み言が口をついて出る。さっきの晴海のことといい何だか今日は面倒くさいことばっかりだ。
「あら? こんなところで何してるんですか?」
上から声がして、女子生徒が降りてくる。
長い黒髪に目を引かれてそれから、見惚れてしまった。
うわ……美人。それに、モデルかなんかやってるのかってぐらいスタイルもいい。
「……ちょっと保健室に」
「あら、大丈夫ですか? もしよかったらわたくしが付き添いましょうか」
「だ、大丈夫です」
ちょうど今、怪我したところだけど、元々どこか悪いわけでもないし、わざわざ誰かに付き添ってもらうほどじゃない。
「うふふ、そう言わずに」
そう言うと、彼女はわたしの肩を抱いてきた。
「ちょっと……大丈夫ですって」
「足首、痛めているんでしょう。階段を降りるの、辛くありませんか」
「……お願いします」
どうやら足をくじいたところを、見られたらしい。
「はい、もちろん」
肩を支えられ階段を降り、廊下をゆっくりと歩いて保健室の前に着く。
「ありがとう」
「お礼なんていいですよ。ここに用事があるのはわたくしもなので」
を開けて保健室に入っていく。わたしもそれに続いた。
「また生徒会長様は……と思ったらあんただけじゃないんだ。そっちの子はどうしたの?」
養護教諭は目をぱちぱちとして、わたしの顔を見てくる。
「ちょっと足をくじいて……」
「あーなるほど、そこ座ってちょっと待ってて」
養護教諭に促され椅子に座る。
「少し押すよ、痛かったら言ってね……どう?」
「大丈夫です」
「了解。ほいほいっと……はい、これで冷やしてしばらく座って安静にしておいてね」
「ありがとうございます」
氷が入ったビニール袋を足首にあてる。ひんやりとした感覚が広がってきて気持ちいい。
「じゃあ先生は少し用事で出て来るから、授業終わっても痛みが引かなかったらそこにある電話でかけてきてね、じゃあ」
そういって養護教諭は、急いで外に出ていった。
「足、大丈夫ですか?」
「ああ……はい、大丈夫です」
ねえ、といいながらさっきの女子生徒がわたしの隣に座ってくる。
「貴女が噂の朝倉百合さん、ですよね。一度、お話してみたいと思ってたの」
「は……はあ、噂になった覚えはないんですけど」
距離が近い。それに、どうしてわたしの名前知ってるんだろう。
「わたくし、椿原花恋です。一応、生徒会長をやらせて頂いています」
生徒会長……そう言われると、どこかで見たような気がしてきた。
「噂通り、いえ、それ以上で驚きました」
椿原はなぜか、うっとりとした眼差しを向けてくる。
「いや、だから何を……」
距離を離そうとするわたしに構わず、どんどん顔を近づけてくる。そろそろ冗談ではすまないところまで来ている。
「ねえ、いいかしら」
椿原はそういってさらに、体を寄せてきた。
「ちょ……ちょっとちか……」
このままだと本当にキスされそうで、思わず手で押しのけてしまった。
「あら残念、結構ガード堅いんですね」
「……」
冗談だったらやめてください、と言いそうになったけど、さっきの雰囲気は冗談っぽさを全く感じなかった気がする。
「うふふ、ごめんなさいね。少しからかいたくなってしまいました」
「からかいたくなったって……」
いやいや、あれが冗談だったらさすがに洒落になってない。
「ところで朝倉……いえ百合さんは、今お付き合いとかしてる人とかいるんですか?」
「……はあ?」
思わず真顔になってしまった。おとなしくなったと思ったら今度は何を聞いてくるんだ。
「例えば……桜井さんとか」
「付き合ってない! いったい誰がそんなこと」
「あら、違うんですか。……でも、いつも一緒にいて、ときおり周りのことも気にせずに、いちゃついているって、生徒会の子が言っていっていましたから、てっきりそうだと」
「……だから付き合ってない」
「うふふ、貴女ってずいぶん可愛い反応するんですね」
「……そうですか」
わたしが深いため息をついたところで、チャイムが鳴った。
足はどうやら大丈夫みたいだし、教室に戻るか、そう思ってわたしはソファーから立ち上がった。
「あら、もう帰ってしまうんですか?」
「授業あるんで」
「そうですか、ではまた」
寂しそうな顔をする椿原に曖昧に返事をして、わたしは保健室を出た。
3
「はあ……」
そろそろ家を出ないちいけない時間になっても、わたしはいつも以上に学校に行く気分になれなかった。
制服に着替えるのを諦めて、家を出る。
いつも乗る駅の隣の駅まで歩いて、わたしは学校とは逆方面行きの電車に乗りこんだ。
電車の中で携帯が鳴る。表示された名前は予想通り真央だった。
出るまで何回もかけてきそうだし、電源を切る。
「……ふう」
街の方まで出てきたはいいが、特に何をしようという予定はない。
少し迷ってからわたしは、駅前のドーナツショップに入ることにした。
まだ時間が早いからか、店内は思ったよりもがらんとしている。
ドーナツを2つとアイスミルクを頼んで席についた。
アイスミルクを飲みながらぼんやりとしていると、見覚えのある人から声をかけられる。
「あれ〜どうしたのこんなところで」
「あ、えっと橘さん」
「あ〜今一瞬考えたよね、ひどいなー」
わざとらしく頬を膨らまながら、私の前の席に橘さんは座ってきた。
「そういえばゆーちゃんも学校サボり?」
ゆーちゃん? わたしのことなんだろうけど、その呼ばれ方はさすがにちょっと抵抗がある。
「まあ……そんなところ」
「そうなんだ〜あたしも1人で退屈してたの一緒に食べよ?」
「もう座ってるのにわざわざ聞くの?」
「あっはは、まあね」
そう言って橘さんは、チョコレートがかかったオールドファッションを美味しそうに頬張る。そのままあっという間にたいらげると、今度は私のドーナツを見つめて来る。
「そういえば、ゆーちゃんって細いよね〜何かしてるの?」
「?」
何かってなんだろう。
「ほら、もう夏服に変わるし、女の子は特に色々気になるじゃん? 体のライン出ちゃうし……」
ああ、なるほどそういうことか。
「わたしは特に何もしてないけど……」
「えっ!? もしや食べてもお腹がプニらないタイプだったりする?」
「どうだろ、気にしたことないや」
「ぐぬぬぬ……許せない」
全女子を敵に回すような発言だよ、とドーナツを持ちながら橘さんは熱弁する。
「ところで、これから予定とかなかったら、映画とか付き合ってくれない? 恋愛モノなんだけど、ほら、今CMやってるやつ」
「ええ……」
恋愛モノ……恐ろしく気がすすまないけど。
ためらうわたしに構うことなく、橘さんは両肘をついて頬杖をしながらじっと見つめてくる。
「……分かった。つき合う」
「本当? やったぁ!」
ガッツポーズをして、満面の笑みを橘さんは浮かべる。
真央のこといつもお人好しだって言っているけど、わたしもたいがいそうかもしれない。
そう思いながら、わたしは残りのドーナツを口に入れた。
「あのさ……橘さん。いい加減わたしのこと、ゆーちゃんって呼ぶのやめない?」
ゆーちゃんって、他の誰かにそう呼ばれてた気がするから、なんだかむず痒くなってくる。
「え〜どうしよっかなあ」
人差し指を口元に当てて、橘さんはいたずらっぽい表情を作る。
「じゃあ、橘さんじゃなくて……せめて下の名前、綾子って呼んでくれたらやめてもいいよ」
「ちょっとそれは……」
「えー?」
「……あ、綾子?」
「うんうんやっぱりそっちの方がいいよ」
「う、うん」
何も考えず反射的に答えてしまったけど、下の名前で呼ぶのはやっぱり抵抗がある。
わたしたちは駅周辺の人混みを抜けて、滑り込むように近くのショッピングモールに入った。
店内に入ると、まだ体がクーラーに慣れていないせいか、足先がやけに寒く感じる。
「百合ちゃんは、映画とか好き?」
「ジャンルとか、内容によるかなあ」
「そうなんだ」
映画の始まる時間までまだ少し時間がある。わたしたちはポスターを眺めて時間をつぶしていた。
「そういえばこれ、真央が見たいって言ってた映画だったっけ」
なにげなく、半分ひとり言を呟くように口にした言葉に、橘さんは怒ったような顔をした。
「今一緒にいるのは桜井さんじゃなくて、あたしだよ?」
「あっ……そのごめんなさい」
「もー百合ちゃんは女の子なのに、女心を分かってないよ。誰か女の子と一緒にいるときに、他の女の子の話とか絶対ダメだよ。ギャルゲーだったら、好感度急降下間違いなしだからね」
……ギャルゲー?
それにしてもどうしてわたしは、女の子の取り扱いを女の子から説教されているのだろう。
「まあ、百合ちゃんが桜井さんとべったりなことは知ってるし、あたし、そんなに怒ってないから気にしないで」
「……それはどうも」
わたしは結局橘さんが、本気で怒っていたのかよく分からなかった。
「……あっ、そろそろ映画始まるよ」
「そうだね」
軽く返事をして、わたしは橘さんの後を追った。
「僕にはキミしかいないんだ」
「わたしにも……あなたしかいないの」
映画の内容は、一言で言うとものすごくつまらなかった。ありきたりならまだしも、無理に予想外な展開にしようとして、話がなんか散らかっている。
もし自分一人で来ていたら、間違いなく途中で席を立っていたと思う。
わたしは無言でポップコーンを食べながら、携帯の電源を入れた。
「……うわ」
予想通り、何回も電話がかかって来ている。これは後で間違いなくお説教が待ってそう。
陰鬱な気分をコーラで流し込んで、橘さんの方に視線を向ける。
「う……ん」
寝てた。いや爆睡していた。橘さんは薄暗い映画館の中でも分かるほど、口を開けて気持ち良さそうに眠っている。
起こした方がいいのだろうか。一瞬迷ったけれど、橘さんの肩を軽く叩いてみる。
「あれ……あたし寝ちゃってた?」
周りの迷惑にならないよう耳元に口を近づけて、そっと話す。
「あのさ、わたし正直この映画つまらなくてさ。もしよかったら外、出ない?」
「でも」
「いいから、わたしが出たいの」
「あっ……」
多少強引かな、と思いつつ橘さんを連れて映画館を出た。
「ごめんね、無理やり連れ出して」
「そ……その……」
橘さんはわたしから目をそらして、赤面している。何秒間かの沈黙のあとで、わたしは彼女の手を握っていることに気づいた。
「あっごめん」
慌てて手を離す。
「……」
糸が切れた操り人形のように、橘さんはピクリとも動かない。
「あの、本当ごめんね。嫌だった?」
「嫌じゃない。嫌じゃないんだけど……」
「顔、真っ赤だけど大丈夫?」
熱でもあるんだろうか。
「ちょちょちょちょっとタンマ! 10秒、10秒待って」
橘さんは近づこうとしたわたしを、手で制した。
「……うん、もう大丈夫。あっそうだ、もう少し付き合って欲しいんだけどいい?」
「いいけど」
わたしの答えを聞くと、橘さんは早足で行ってしまった。
橘さんは駅の方へと歩いていく。
「今から、あたしの家……行かない?」
「え?」
電車の中で橘さんはとんでもないことを言ってきた。
「うそうそ冗談、確かにあたしの家の方角だけど」
いたずらっぽい笑みを橘さんは浮かべる。
「それで結局、どこに行くの」
「それはついてからの、お楽しみ」
「……はいはい」
そんなに教えたくない場所って一体どこなんだろう、思わずため息に似た声が出てしまった。
「ここって公園?」
「うん、そう。寂れてるけどいい場所なんだよここ」
橘さんがわたしを連れてきたのは、マンションとマンションに挟まれた道路の脇にある、小さい公園だった。
わたしたちの住んでるところから、そんなに離れてない場所だけど、見覚えがなかった。
初めて来たはずの場所なのに、どこか懐かしい雰囲気が漂っている。ずっと前からここにあったけど、今はもう誰にもかえりみられていない、そんな場所。
この公園はこんな言葉で表現するのが、きっとぴったりだろう。
「あたし、この公園に小さいとき、毎日のように来てたんだ。うち、共働きだったから、ずっと家にいるのに飽きちゃって」
わたしたちは公園の隅にあるベンチに、腰を下ろしていた。
「ここから少し離れたとこにね、大きい公園があるんだ。だけど知らない子と遊ぶのってあたし恥ずかしくて、いつもの誰もいないこの公園にいたの」
「そうなんだ」
「ほら、そこにブランコがあるでしょ……今はもう使えないみたいだけど」
小さな滑り台は塗装が剥がれ落ち、ブランコは錆びていて、立ち入り禁止のロープが貼られていた。
遊具どころか、砂場すらないこの公園は、小学生どころか、それより小さい子供にとっても、退屈だと思う。
「特等席だったんだあそこ、あのマンションがまだ今ほど高くなかったら、夕日が沈むのがすごく綺麗に見えて……ここ夕日を独り占めしてるのは、あたしだけだって思ったら少し強くなれるような、そんな気がしてたんだ」
だけど、と橘さんは続けた。
「いくら綺麗でも、ずっと一人で見てたらそのうち寂しくなってきちゃってさ」
橘さんは力なく笑う。
「そうだ、あたしばっかりこんなこと話してたら悪いよね、百合ちゃんは小さいころどういう子だったの? よかったら教えてよ」
「どういう子だったかあ……別に変わったことは何もしてなかったと思うけど」
急にどういう子だった? と聞かれても自分ではよく分からなかった。
「そう……だよね。ごめん、あたしなんか変なこと聞いちゃって」
それからはなにを話すわけでもなく、ただ二人でベンチに佇んでいた。やがて、空が茜色に染まってゆく。だけど言っていた通り、沈んでゆく夕日はマンションの陰に隠れて見えなかった。
「今日は無理やり付き合わせちゃってごめんね。でもあたしは百合ちゃんとこうして遊べて、すっごく楽しかったよ」
「……わたしも楽しかった」
「もしその言葉すっごく嬉しい。よかったらまたこうやってだかけようね。サボり仲間として」
「うん」
「じゃ、ばいばい」
「また明日」
軽く手を振って橘さんは小走りで行ってしまった。
わたしも帰るか、軽く伸びをしてから駅の方に向かって歩いていく。
そういえば……やっぱりわたしも小さい頃、この辺りに来たことがあったような。
ふと何か思い出しそうな気がして、立ち止まって少し考えた。
……だけど、掴みかけた記憶はわたしの手をすり抜けていってしまった。
なんだったんだろう? そう疑問に思ったけれど、駅に着くまでにわたしは考えることをやめてしまっていた。
「ん?」
家の前に誰か立っている。その人影と距離が縮まっていくと、正体はすぐ分かった。向こうもわたしに気づくとこっちに駆け寄って来る。
「何してたの? こんな時間まで」
「真央こそどうしたの、わたしの家の前で突っ立って」
……まさか、学校が終わってからずっと待ってたのか?
「だって学校にも来ないし、電話にも出ないから、もしかしたら何かあったんじゃないかって思って」
大げさだって言おうとして、言葉を飲み込む。
真央の手が微かに震えている。どうやら本気で心配してくれていたらしい。
「ごめん、今日は学校に行けるような気分じゃなかったし……でも、明日は行くから」
「……分かった」
安心した、といった表情を浮かべて、真央は大きくため息をついた。
「明日は朝迎えに行くから、ちゃんと起きて来てよね。おやすみ」
「うん」
真央が帰っていったのを見届けて、わたしも家に戻った。
熱めのシャワーを浴びてから、部屋着に着替えてソファに寝転がる。
普段とは違う疲労感に誘われて、わたしはすぐに眠りに落ちていった。
4
ピンポーン、と甲高い音に、重いまぶたをこじ開けられる。
こんな朝から誰だ、と考えているうちに昨日の真央の言葉を思い出す。
まだ完全に頭が起きないまま体を起こして、ふらふらと玄関まで歩いてドアを押し開ける。
「あ、やっと起きてきた。おはよ、早く着替えて来てね」
曖昧な返事を真央にして、家の中に戻る。
顔を洗ってから歯を磨く。鏡に映った自分の姿を見て、髪が随分と伸びて来たことに気づいた。
そろそろ切りに行きたいけど、どうしよう。
制服に着替えてからカバンを手に持って、再び玄関に戻る。
「……というかまだ早いじゃん」
家に鍵をかけながら、わたしは思わず呟いていた。
「百合がいっつも遅いだけ、毎日遅刻ぎりぎりじゃん。でも、今日はいつもより顔色いいよ、目の下にクマもできてないし」
「そんなにいつもひどい顔してない」
「もう、してるって」
なんて、たわいないやり取りをしながら、学校に向かって歩いていく。
学校の最寄りまでもうすぐというところで、真央は並んで座っていたわたしの肩をつついた。
「ねえ百合、昨日クラスで文化祭のグループ分けがあったんだけど、百合はどうするの?」
「……グループ分け?」
「前に言ったじゃん、展示製作と劇の発表の2つのグループに分かれるって」
「……ああ」
そういえばそんな話があった気がする。
「どっちにするつもりなの?」
「決めてない、いつまでなのそれ」
「今週中。紙が後ろの黒板に貼ってあった気がするから名前、ちゃんと書いておかないと」
文化祭という言葉がすでに面倒くさい。なんとか上手く楽なポジションに収まりたいけど、どうしたものか。
そんなことを考えていると、学校の最寄り駅に着いた。
改札を抜けて駅を出てから、わたしは軽く背伸びをした。
学校まではここから歩いて数分だから、のんびり歩いても始業時間よりかなり早く、教室に着きそうだ。
「真央ちゃんおはよ〜」
「桜井先輩今日も早いんですね」
まだ学校に着く前から、真央は何人かの生徒から声をかけられている。
「みんなおはよう」
朝からそんなに愛想よくできる真央は、正直すごいと思う。
ただ少し不思議なのは、男女問わず交友関係が広くて結構人気者なのに、本人の口から浮いた話を聞いたことがない。
もしかしたら、内緒にしているだけかもしれないけど。
何人かに囲まれている真央から離れて、少し早歩きで学校に向かう。
校門を抜けて自販機でココアとお茶を買ってから、ローファーから履き替える。
自分の席に座って、鞄を机の横にかけたところで橘さんが声をかけてきた。
「百合ちゃんおはよ〜」
「おはよう」
「今日は早いんだね」
「……まあね」
適当な返答をして、視線を橘さんから後ろの黒板に移す。黒板の端にマグネットで紙が二枚貼ってある。あれがさっき真央が言ってたやつか。
「ねえ、文化祭のどっちやるか決めてたりする?」
視線を橘さんに戻して、わたしは聞いてみる。
「あたしはまだ名前書いてないけど、劇の方にするつもり」
昨日一緒にサボったし、てっきりわたしと同じように行事なんてどうでもいい、っていうわけでもないのかな。
「あっここにいた。一緒に登校してたのになんで勝手に一人で先に行っちゃうのって……あれ? 綾ちゃんどうかしたの」
勢いよくドアを開けて、真央はこっちに近づいてきた。
「あ、おはよー。百合ちゃんと、文化祭について話してたの」
「へ〜百合が」
橘さんの言葉を聞いて、真央がじっとこっちを見つめてくる。
「桜井さん、まだ劇の発表ってまだ人入れる?」
「うん、全然どっちでも大丈夫だよ」
「よかったあ、じゃわたし名前書いとこっと……よし」
橘さんは名前を書きにわたしから離れたところで、今度は真央がずいっと近づいてくる。
「で、百合は、どっちにするの?」
「真央はどっちに名前書いたの?」
真央の質問に質問で返す。
「わたしは展示製作にしたよ」
「そう」
答え自体にはさほど興味は無かったし、正直どっちでもいいけど、真央と同じグループだと、サボるのはより難しいかもしれない。
「桜井さんー!ちょっといい?」
「あ、うん今行く」
真央がクラスの人に肩を叩かれて連れて行かれていく。それを見送ってわたしは机に突っ伏した。
「ねえ、百合ちゃん……」
しばらく無言の時間が流れたあとで、橘さんがわたしの肩を軽くつついてくる。
「?」
机に突っ伏したまま、視線だけを橘さんに向ける。
「……」
唇をきつく結んだまま、橘さんは何か言いたそうな顔をしていた。
「……どうかした?」
視線に耐えられなくなって、わたしから口を開くが、橘さんは何も言おうとしない。
「ごめん、何でもない」
わたしがどうしたらいいか困っていると、橘さんは逃げるように教室の外に走って行ってしまった。
体を起こして橘さんを追いかけようとして、やめた。
追いかけたところで、またああやって黙られたらどうしようもない。
「はぁ……」
真央もわたしにどうして欲しいか、たまに分からないことがあるけれど、さっきの橘さんも、それと同じぐらい分からない。
今さら考えてもしょうがないと分かっていても、突然ああいう態度を取られると、気分がいいものではない。
わたし、橘さんに何かしたのだろうか。
チャイムが鳴り、わたしは再び机に突っ伏した。
「あ」
昼休みに入ってから、昼を用意していないことに気づいた。
さすがになにか食べるものがいるし、今から行っても大したものは残ってないだろうけど、購買に行くか、と椅子から立ち上がる。
教室から廊下に出たところで、真央とはち合わせた。
「あ、百合どこ行くの?」
「購買」
「あっ、だったら一緒にお昼食べようよ」
「いつもの一緒に食べてるあの人達は?」
「えっと……ああ、なんか今日用事あるみたいで、一人で食べるのも寂しいから、ね」
「別にいいけど、購買寄ってからでいい?」
「ふっふっふ……いいからいいから」
「ちょ、ちょっと」
真央に手を掴まれて教室の中に連れて行かれる。
小走りで自分の席に戻ると、真央は竹で出来たバスケットを持ってきた。
「じゃーん! 実は百合の分も作って来たんだ」
「……」
どうしてわたしの分まで作って来ているのだろう。
「もう、時間もったいない、行くよ」
「はいはい」
階段を降りて空き教室に入る。机を向かい合わせにして、真央と向かい合わせに座った。
「じゃあ、食べよっか……どう?」
バスケットの中身は、サンドイッチだった。
「どうって……まだ食べてないけど、何か変わってるのこれ」
「前に私がサンドイッチ作ったときに、今度は食パンじゃなくてバゲットで作ったのが食べたいって言ってたの、忘れた?」
そんなこと言ったっけ? そもそも前に真央が作ったサンドイッチを食べた記憶すら、全くない。
「やっぱり忘れてたんだ。もういい……やっぱりあげない」
「ごめんごめん、わたしが悪かった」
何はともあれ、せっかく作ってくれたんだったら、ありがたくいただこう。
「もう、はいどうぞ」
許してくれたのだろうか、真央はわたしに一つサンドイッチを差し出してきた。
受け取って食べる。口に入れた分を咀嚼してもう一口、もう一口とわたしは無心で食べ進めた。
両手で頬杖をつきながら真央は、じっとわたしを見ている。
「美味しい?」
無言でわたしが頷くと、真央は満面の笑みを浮かべた。
「よかった、気に入ってもらえて」
百合は味に結構うるさいから、と言いながら真央もサンドイッチに手を伸ばした。
別に自分ではそんなことないと思うけど。
しばらくわたし達は無言でサンドイッチを食べた。
「ごちそうさま」
「どういたしまして」
わたしが朝買ったココアを開けて飲んでいると、真央が物欲しそうな顔でわたしを見てくる。
「いいな〜私もココア飲みたくなって来ちゃった」
「……もう一本買ってこよっか?」
「うーんそんなにいっぱいは、いらないかな」
「飲む? まだ半分くらい入ってるし」
「へ!?」
ココアを差し出すと、真央は何故か顔を真っ赤にした。
受け取ろうと伸ばしてきた手もぷるぷる震えている。
「ほ、本当に飲むよ、いいの?」
「別にいいよ」
わたしから言い出したのに悪いはずがない。どうかしたのだろうか?
「じゃ、じゃあ飲むよ、ほんっとうに飲むからね!」
「だからいいって言ってるのに」
中身がこぼれそうなほど手を震わせながら、真央は一気にココアを飲み干した。
「それ、捨てといて」
「え、捨てるの?」
「だって、全部飲んだんじゃないの?」
「そうか……そうよね、あはは」
「……変なの」
教室を出たところで、ちょうど昼休憩の終わりを告げるチャイムが鳴る、わたしたちは小走りで教室に戻った。
「あっつ……」
学校の帰り、コンビニで買った棒アイスを咥えながら、公園のベンチで休んでいると、ボールがわたしに向かって転がってきた。
「お姉さーんボール取って!」
膝に絆創膏を貼った、小学生ぐらいの女の子がこっちに手を振っている。
ボールを拾い上げて投げ返してあげると、女の子はこちらにお辞儀をして、一緒に遊んでいる仲間達のところに戻って行った。
今では外で走り回るなんて、頼まれてもやりたくないけれど、自分も小学生ぐらいのときまでは、こうやって外でボール遊びをしていたことを思い出して、少し懐かしい気持ちになる。
「へー、キミもそういう顔するんだね」
ボールで遊んでいる小学生達を何の気なしに眺めていると、後ろから声をかけられた。
「なんだ、あんたか」
声の主は晴海だった。まだ学校が終わってから一時間もたっていないし、今日は部活休みなんだろうか。
「どうしたのさ、こんなところで」
「別に何も」
「ふーんそうなんだ……あっ、いいもの持ってるじゃん。ボクにもアイスちょうだい」
晴海はわたしが、コンビニの袋を持っていることに気づいたようで、帰ってから食べようと思ってたアイスをねだってくる。
「なんであんたに……」
「もちろんお金は出すからさあ……お願い」
まあ、家にもストックあるし、いいか。それより汗だくで隣にいられるとこっちも汗かきそうだし。
「……見てて暑苦しいから、さっさと食べたら」
「本当? やったぁ!」
カップアイスを食べながら、晴海はわたしに聞いてくる。
「そういえば、来週スポーツ大会だけどキミは何の種目に出るんだっけ?」
そういえばそんなのがあったな……今から気がめいる。
「ドッチボール」
「だったら体育館か、一緒だね」
「言っとくけど……」
「いやいや、もう誘わないよ。メンバーもう決まってるし。でもせっかくだし試合だけでも見に来てよ」
「嫌」
「ちぇー、ちょっとぐらい考えてくれたっていいじゃんか。それにボクだって、あのときよりだいぶ上手くなったんだよ」
「ふーん」
晴海は手元だったりの技術で勝負、というよりもコート中を動き回る根性タイプだった。
とにかくコイツ、シュート下手くそだったし。
「あー信じてないな? 実はボク、今キャプテンしてるんだよ」
「あんたがキャプテン?」
晴海がキャプテンとして、他の生徒をまとめている姿が、全然想像つかない。
「本当本当。球技大会も本気で出るし、ボク絶対活躍するから、見に来てよね。じゃ、ランニングに戻るよ」
そう言うと晴海は駆け出して行った。
相変わらず見てて羨ましくなる。その元気はいったいどこから来るのだろうか。
遠ざかる晴海の背中を見送ってから、私は家に帰ることにした。
家に着くとわたしはすぐにシャワーを浴びた。
「ふう……」
ソファーに座ってサイダーを飲む。
乾いた喉が爽やかな甘さと炭酸の刺激で、少し憂鬱だった気分が落ち着いた。
サイダーを飲み干すと、今度は冷凍庫からアイスを出した。
何となくテレビをつけても特に面白い番組もやっていないし、することもない。
「……何してるんだろ、わたし」
晴海の姿を過去の自分と重ねてしまって、今日何度目かのため息をついてしまう。
いつまでも、こうしていたらいけないことは分かっている。
でも、だったらなおのこと、わたしはこれからどうしたらいいんだろう。
答えの出ないことをだらだら考えているうちに、夜はふけていく。
そのうちわたしは現実から逃げるように、眠りに落ちていった。