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A国から逃げ隊  作者: 瓜
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暗闇

 走って、走って、走って、走って、走って。

 心臓が破裂しそうな程に、肺が千切れそうな程に、体中の血が酸素を求めて悲鳴を上げる程に。

 ふくらはぎの筋肉は限界まで張り詰めて、痛みと緊張感に、火が点いたのではないかと思う位だ。


 私は、必死に逃げた。

 暗闇の中、何度も枕木に躓き、文字通り先の見えない恐怖に怯えながら、逃げ続けた。

 半ば私に引き摺られるようにして、さきが続く。

 どれ程の距離を走ったのか、目で推し量る事は不可能だった。

 ただ、私の左手を包む温かい体温と、人間らしい柔らかさを支えに、只管地下トンネルの出口を目指した。

 見えもしないのに、視界はグラグラと揺れ、耳の中で声と息と足音とが乱反射した。埃っぽい、土臭い空気が鼻腔を満たし、走り過ぎで妙に渇いた口内に、ねっとりした塩味が纏いついた。

 ぐらぐらと、アンバランスな五感が私の脳を掻き乱した。

 最初は、私を逃がすまいと、追いかけてきた住人らであったが、暫く鬼ごっこ(そんな可愛いものでもなかったけれど)を続けて、此方が彼らに危害を加える気はないと、解ったようだ。

 そんな私達を深追いするつもりもなくなったらしい。

 明かりの無い空洞に響く、ハァハァという息遣いは、段々と減っていった。

 私と、さきと、最後まで追いかけてきた一人。

 その一人の、荒い息が聞こえなくなった辺りで、一旦歩を止める。

 後ろを振り返っても、彼らの声はしなかったし、気配も感じなかった。

 途端に、貧血と、脱力感から来る眩暈に襲われる。

 はぁ、と息をつき、さきの手を握る力を弱める。

 遠方に、明るい日の光が見える。それを確認して、ゆっくり膝を折る。

 疲れた。何も考えたくない。背を丸め、目を閉じる。

 逆光で、さきの顔は分からなかった。


 *

 手を引かれ、状況を理解する事もないまま、線路を走った。

 背後から、悲鳴と怒声の混合物が押し寄せる。

 まるで波のように、暗い空洞に反射し、速度と(心理的な)質量を以って私達を呑み込む。

 たまは、浅く早く息をしながら、殺意の激流から逃れようともがいた。

 濁流、或いは津波は、徐々に弱く、小さくなってゆき、最終的に小波さざなみとなって私達の体を運んだ。

 二人は流され、流され、ようやく一応の安息地へと流れ着いた。

 距離にしたら、大した漂流でもないだろうが、何度となく足を取られ、止まる事もなく進み続けたため、酷く疲弊していた。少なくともたまは。

 ただ、私も、ある意味では疲れていた。

 そう、それは、先程の女性の言葉──


「感染者!感染者です!」


 俄かには信じられなかった。

 たまが、感染者?

 こんなにも知的に、己の意思を持って振る舞えるのに、あのゾンビ共と同じだと?

 そうは思えない。そうであってはいけない。

 だって、たまがいなくなってしまったら、私はどうすれば…

 居るのが当たり前、当たり前なのに。

 でも、あの住人らがたまをゾンビ達の同類としたのには、確かな根拠がある筈で。

 その"根拠"とやらを、この目でしっかり見てしまったら、私はどうなるのだろう。

 外が近い。見たくない。

 真夏の太陽が、残酷な笑みを貼り付けて世界を見下ろしている。

 顔を顰め、崩れたたまの手を取る。

 たまは今、何を考えているのだろう。私には、知りようもなかった。


 *

 差し込む陽光に照らされ、さきのシルエットが浮かび上がる。

 静かで、凛とした居住まい。

 ある種の決意を感じさせる黒々とした影。

 さっきの騒動については、誤魔化しようがない。

 間違いなく、問い詰められる。


 嗚呼、嫌だなぁ。

 虫がいいかも知れないけど、隠しておきたかった。

 この世に別れる、その時になるまでは。

 出来る事なら、天原港に着くまでは。

 無理だった可能性、そこに着く前に完全なアンデッドと化す可能性もあったけれど。

 なるべく、長い間。

 距離を置かれたくなかった。

 憐れまれたくなかった。

 別れの宣告をしたくなかった。

 ふっ、と時が来て、ひっそり且ついきなり、彼女の側から消え失せたかった。


 そんなの不可能だって、解ってた癖に。

 あゝ。

 彼女を国外へ逃がすのが使命、何て言う割には、自分本位だね。

 何で隠していたんだろう?


 あ、そっか。

 そもそも、彼女と別れたくなかったんだ。

 可笑しいねぇ。

 その選択肢を選んだら、二人とも動く屍体になって、何時か朽ち果てるのを待つだけなのに。

 もう、私は人間じゃあないのに。

 さきの側にいる事を、選べる訳がないのに。

 馬鹿だなぁ。どうしようもない馬鹿だ。

 きっと、ウイルスに頭をやられて、賢い判断が出来ないんだ。

 むしろ、そうであって欲しい。


 だって、そうでなかったら…

 やっぱり私、駄目な奴だな。


 本当、最後の最後まで。


 さきの事、全然考えてなかった。

 私が一緒にいる方が、どう考えても危険なのに。


 ごめんなさい。赦してなんて言えない。


 ゆっくり、ほんの少しずつ、日が傾いてゆく。

 昼下がりの陽光は、私の偽善を照らし出す。


 嫌とは言えないが、堪らなく恐かった。


 *

 たまの影は、葛藤の間に揺れる。

 やがて、輪郭のみ白く浮かび上がった手が、震える彼女の頭にそっと乗せられた。

広げた風呂敷、畳めるか不安。


<補足>

何故二人は地下住人から逃げ切れたのか


元々彼らは、自分達の命を脅かす者にのみ攻撃するという方針です。

また、化け物になってしまったとはいえ、ついさっきまでは普通に動いていた元人間・ゾンビを壊すのは、偲びない、申し訳ない、といった気持ちもあるようです。

パンデミック初日だから、完全には割り切れていないだろうしね。

むしろ、数時間で一帯のゾンビを排除し、自分達だけの体制を築いているって、考えてみれば凄い有能なんじゃ…?


ともかく、主人公ら二人は、戦わずに逃げたため脅威ではないと判断され、そこまで深追いはされませんでした。

最後まで追いかけてきた人は、ここらへんの判断を迷っていたのでしょう。


まともに戦っていたら、多分前話で話が終わっていました。

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