理想論
「ん……」
私は、三つ並べたパイプ椅子の上に寝そべりながら、小さく身動ぎをした。
たまに「休んでいい」と言われ、バックヤードに引き上げてきてから、どれ位の時間が経っただろうか。
電気のない中では、よく分からない。椅子を並べるのだって、手探りでやった程なのだから。
「………………。」
チクタク。チクタク。
電池式の時計が時を刻む音だけが、真っ暗な部屋に小さく響いている。
どうしようもなく、私を憔悴させる音だ。
…眠れない。
たまと見張りを交代する事も何度か考えたが、何故か気が進まず、暗闇の中で言い訳がましく呻く内に、今になってしまった。
その間に幾度も頭を駆け巡ったのは、眼鏡の奥から虎視眈々と競合相手を狙う、たまの射殺すようなあの目だった。
彼女は、どうしてあんなにもこの状況に適応しているのだろう?
それは、ゾンビウイルスの所為なのだろうか?
私はもそりと身体の向きを変えつつ、そんな事を考える。
いや、「所為」なんて言っちゃあ失礼か。
その原因が何であれ、たまの変化は、少なからず私のためのものらしい。
それに、このパンデミックを生き抜く上では、望ましいものでもあるのだろう。
なら、素直に歓迎するべきか?
『殺すつもりだよ』
たまの声がフラッシュバックする。
…やはり、全く手放しには喜べない。
たまは、この二日間で、余りに「殺す」事への躊躇いを失くしてしまった。
たまの変化は急激であり、初めて私をゾンビから助けてくれた時とは、やはり違ってきているのだと実感する。
その変化の果てに何があるのかは、正直、見たくないと思っている。
しかし、その時が来たら、きちんと責任を持って見届けようとも思う。
嗚呼、嫌だ。
「私が、感傷的過ぎるのかな……」
ぽつりと呟いた一言は、誰に聞かれるでもなく、闇に吸い込まれていく。
兎角、二日経った位では、私はとてもこの状況に適応出来なかった。
こんな事が本当に起こるなど、それまで考えもしてこなかったのだから。
さっきまで話していた人間が、呆気なく死ぬ事。この現代で、食べ物なんていう原始的なものを巡って、他の生き残った人々と争うかも知れない事。自分が、人を殺す事。
考える訳もない。
「略奪者、か……」
たまはそう言ったが、そんな人々が本当にいるのだろうか?
勿論、このような状況下で略奪行為が発生し得るという理屈は分かる。あのコンビニから食料を盗ってきた私達だって、言うなれば「無人の略奪者」だろう。
しかし、実際に特定の「誰か」から物を奪っていくような人間がいる、というのは、中々想像出来ない事だったのだ。
「まあ、いるよな」
明日、私達はクチナシシティへと入っていく。
その中で「略奪者」と出会ってしまったら、私はどう振る舞うのだろうか。
…どうあれ、相手に諂いたくはないな。逃げるのでも、戦うのでも。
物資を相手に献上して、その場は見逃して貰ったところで、待っているのは緩やかな死だけなのだから。
それに、たまが戦う覚悟を決めているのに、それを汚すような真似はしたくない。
…今私の考えている事は、理想論かも知れない。
結局のところ、私は甘ちゃんなのだ。たまのように、現実への確固たる決意がある訳でもない。
実際にそんな場面に出くわしたら、形振り構わず生き延びるしかないのに、ただ理想を謳っているだけだ。そもそも、形振り構わずとも、無様に死ぬかも知れないのである。
「ままならないなぁ」
しかし、そんな理想を捨て切れずにいる。自己嫌悪に陥らずにいる。
それは中々不思議な感慨で、私は明るく自分を嘲り笑う。
その内に、私は浅い眠りへと落ちていった。




