夜間胸中、斃せよゾンビ
見切り発車で書き始めたら、時系列的に後のものを先に書き終わってしまいました。
あと本当に話が進まない。
もう、すっかり夜も更けた。
消えた街灯に、割れた街灯。人工の明かりが全くない中でも周囲の状況が分かるのは、ひとえに、私の目が暗闇に慣れたからである。
月が綺麗だ。
未だ文明社会の面影を色濃く残す景色の上に、ぽっかりと満月が浮かんでいる。
月は、ゾッとする程明るくて、こんな場所で見るには不自然なくらい妖しくて……私は思わず息を洩らす。
周囲に人影はない。
時折、人だった者が通りかかる事はあるが、皆、虚ろに行き過ぎていくばかりだ。
私は、戯れて彼らに手を振る。私達、お仲間だね、と。
私は、駐車場のタイヤ止めの上に腰掛け、ペットボトルのジャスミン茶を飲んだ。
今は、ゾンビがコンビニに入ってこないよう、見張りをしているのだ。
時々、店内にあった汗拭きシートで首や膝裏を拭きつつ、目の前に伸びる道路をじいっと見張る。ふわりと、メントールの爽やかな匂いがする。それでも少し、左手がべたつく。
…誰も来ない。
勿論、その方がいいのは確かなのだが、如何せん一寸ばかし暇である。
「…ちょっとだけ」
私は、言い訳じみた言葉を漏らしながら、そろそろと小さめのビニール袋に手を伸ばした。
今夜見張りをするに当たり、一つに纏めて持って来たものだ。
「えーっと、蝋燭とライターは……っと」
シャカシャカ。
湿った夜気の中に、私の、ビニール袋を弄ぶ音が、か細く流れていく。
「…あった!」
花火用の蝋燭とライターだ。
今が丁度夏で良かった。でも本当は、ちゃんと花火に使いたかったな。
誰に見せるでもない苦笑いを浮かべつつ、私は蝋燭を小袋から取り出し、ライターで火を点ける。
灯った火が、向日葵の花弁のように揺れた。
そういえば、小さい頃は、100円ライターのレバーは、重くてとても押せたものじゃなかった。
だが、今は、こうも容易く火を点けられるんだ。
「……………………。」
「うん」
一瞬、ほんの一瞬だけ、過去に戻りたいという気持ちになっていた。
しかし、その気持ちも、ライターの火花と共に散って消えた。
蝋燭の火が揺らめく。
私は、火が消えないように、先程食べ終わったプリンのカップを上に被せる。
そこで一旦辺りを見渡したが、やはり誰も来ない。
安堵した私は、再びビニール袋の中に手を伸ばし、ボールペンと小さなノートを取り出した。
少し、これまでにあった事を整理しようと思ったのだ。
「うーん……」
私はペンを弄ぶ。
『はじめに』
それから少し迷って、こんな風に書き出した。
『私の名前は、瑞穂たま だ。華見川高校に通う、高校二年生である。』
『家族構成は、父の…いや、彼らが生きている事を信じて、敢えて書かないでおく。』
「えっと……」
『私は、ゾンビウイルスの感染者だ。現時点では、ゾンビ化の原因がウイルスかどうかは分かっていないので、ゾンビウイルスを取り敢えずの呼び名とする。』
『今は、7月13か14日の深夜だったはずだ。』
「……………………。」
『私は、友人の 三雲さき と共に、天原港を目指している。彼女をA国から逃すためだ。』
『さきは、まだゾンビウイルスに感染していない…多分。ゾンビウイルスの感染源は、今のところはっきりとしていない。咬傷から感染する事は確かだ。』
『私自身は、助かりたいとは思っていない。しかし、このノートを見る人がいるのなら、さきの事を、是非とも助けて欲しい。』
そんな事を書いてから、私は、ノートの端に『誰に向けて書いてるの?』と付け加えた。
今のところ誰に見せる訳でもないが、少し気恥ずかしかったのだ。
『何故かは分からないが、私は、ウイルスに感染してからも、自我を保っている。』
文字が小刻みに震える。書き始めるのに、少し、覚悟が要った。
『しかし、それも長くは保たないだろう。』
『さきにはあまり言ってないが、少しずつ自分が人間でなくなっていくのを感じる。そして、一度失った人間性はもう二度と取り返せない気がしている。』
『具体的には、前よりも食欲がある。感覚が鈍くなった気がする。それから、人を殺すのに、あまりためらわなくなった。力がずっと強くなった。』
『今はこうして文を書いているが、いつ症状が脳にまで来るか分からない。』
『いつか、人を食べたいなどと思うようになるのかもしれない。それは、その時になってみないと分からないけれど。』
『ゾンビ達が人間を襲う理由は分からない。人を食べるためなのか。ウイルスをばら撒くためなのか。それとも、何か他の理由があるのか。』
『結局のところ、そんなものはないのかもしれない。私は一度、完全なゾンビになりかけたが、彼らが人に惹きつけられる理由は分からなかった。』
『恐い。』
『さっきは助かりたいと思わない、と言ったが、やっぱり嘘だ。やっぱり死ぬのは恐い。』
『ただ、生きていたら、いつかさきを殺してしまうんじゃないかと、ひどく不安になる。』
『どうせなら、人として死にたい。しかし、死ぬのが恐くなくなったのだとしたら、その時は、きっと私は人じゃなくなっているんだろう。』
『そして……』
「止めよう」
私は、ぽつりと呟いた。
「今は、考えたくないな」
そこで、逃げるように話題を転換する。
『私達は、華見川高校から山城線と京枝線を辿り、そこから環状三号線沿いに歩いてきた。明日の朝には、梔子橋地区に入る予定だ。』
「ヴぁ……ぁ」
私がそんな風にペンを走らせていると、不意に、じっとりとした夜風に乗って、濁った声が流れてきた。
そこで、私は顔を上げる。
顔を上げた先、遠くの夜闇の中から、一人のゾンビ少女が歩いてくるのが目に入った。
「ゔ、ヴぅ」
死人は、フラフラとした足取りで此方に向かってきている。
今のところ、此方に対する明確な害意は感じない。大方、偶々、彼女の歩く方向にこのコンビニがあったというだけの話だろう。
しかし、ここで私が何もしなければ、彼女は、コンビニの店内に入っていって、さきの存在に気づくかも知れない。そうなってからでは最早手遅れだ。
私はノートとペンをタイヤ止めの端に置き、足元に転がしたモップを取ると、静かに立ち上がった。
そのまま、ツカツカとゾンビ少女に歩み寄っていく。
彼女は何の反応も示さない。
「ねぇ」
私は、彼女の前に立ち塞がる。
自分でも、何でそんな行動をしたのかは分からない。
何故、直ぐに彼女を殺さなかったのだろうか。同情か?罪悪感か?無駄だって分かってる。
「貴方には、私が貴方の仲間に見えるのかな?」
勿論、私の問いにもゾンビ少女は答えなかった。
…そんなのは分かり切っていた事だ。
「……………。」
「しょうがないか」
私は、モップの柄で彼女を殴りつける。
しかし、辺りが暗かったためか、柄は、彼女の側頭部を掠めるだけに終わってしまった。
「あ」
「ヴぁ、あ!ぅヴ!」
その途端、彼女の様子が一変する。
一際大きな濁声を上げ、私に掴みかかってきたのだ。
「おっと」
私はそれを避け、一歩後ろに飛び退く。
私は最初、彼女の行動は、攻撃に対する反撃のつもりなのだろうと思った。
自分と同類だと思っていたから無視していたが、攻撃されたので、反撃を試みる。
それは至って論理的な考えに思えた。考えというよりは、ある種の闘争本能にも似たものなのかも知れないが。
「しまっ…」
しかし、飛び退いた先で、私は小さな段差に蹴躓いてしまう。
一瞬よろめいた私に、死体の少女はすかさず組みついてくる。
「あー…」
噛まれる。
私は、そう確信した。
犠牲者の動きを封じ込め、噛みつき、或いはその肉を喰らい尽くす。
それこそが、私がここ暫くの間に見てきた、ゾンビ達の攻撃手段だった。
例外はない。
だから、例え私がゾンビの成りかけに過ぎなかったとしても、彼女は噛みついてくると思ったのだ。
だが、死体の少女にそうする様子はなかった。
私の腕を拘束してから、振り払われるまでに、噛みつく時間くらいはあっただろうに、彼女はそうしなかったのである。
「……?」
ウイルス感染者の私に「噛みつき攻撃」は無駄だと感じたからだろうか(攻撃にはなるので、普通に有効だと思うが)。
「あ、ダ、ゥえ」
それにしては、様子がおかしい。
「…何か言おうとしてるの?」
私はゾンビ少女に問いかける。やはり、彼女は答えない。
ただ、私の腕に縋りつくだけである。
「……………………。」
「何を…」
ゾンビ少女は、喉奥からゴボゴボと音を立てる。
この音に、何か意味はあるのか。私には判らなかった。
「…ううん、駄目だね」
「悪いけど、此処から先に行かせる訳にはいかないんだ」
これ以上は無益だ。
そこで私は、少女を振り払い、つんのめった彼女の頸椎と後頭部に、数発の打撃を加えた。
それから、彼女の崩れ落ちる身体を背後から支えて、道路の傍にそっと横たえる。
「ごめんなさい」
献花の一つでも出来れば良かったのだが。
彼女に謝罪しながら、私は、ふとした考えに行き着いていた。
ゾンビは、人間に、いや、自分を助ける力を持っていそうな存在に、助けを求めているのではないか?
あくまで、これは一つの思いつきだ。
間違っている可能性もあるし、個体差があるのかも知れない。
彼女が私に組みついてきたのは、私を敵だと思ったから。
それ以上の攻撃をしてこなかったのは、私が同類だと気づいたから。
それだけのシンプルな話かも知れない。寧ろその方が、ゾンビが人間を喰い殺す理由の説明にもなって、説得力があるのだ。
では、「助けを求めている」という説は、完全に切り捨てられるものなのだろうか?
「なんで、人に噛みつくんだろう…」
それを考えるなら、この一点がどうしても気にかかる。
私は、ブラシの柄を地面に突き立て、周囲を警戒しながら考える。
「人間から生命エネルギー的なものを分けて貰おう、とか……?」
「んふ、そんな訳ないかー」
私は笑みを漏らす。
自分で言っていて、馬鹿げた考えだと思った。
「生命エネルギー」だなんて、あまりにも漠然とし過ぎだろう。
でも、まあ、突き詰めて考える事から、何かが生まれるかも知れない。
生きている人間の権利であり、義務でもある「思考」を、続けようじゃないか。
私は、タイヤ止めの傍からジャスミン茶を持って来て、喉奥に流し込んだ。
鼻腔にまで、ふわりと香りが昇ってくる。その感覚が、とても人間的なのだ。少し悲しい。
「うーん」
「生命エネルギーっていうと、ちょっと曖昧かなぁ」
「でも、生きている人間からのみ得られる何かが欲しいなら、噛みつく理由にはなるよね?」
「それが『助けて欲しい』っていう感情に由来するのかは分からないけど……」
「それに、生きている人間から得られるものって、何だろうね?」
「熱とか?あとは、分解されてないDNAとかかな?」
「そもそも、私達が『ゾンビ』と呼んでるものは、本当に死んでるのかな?」
私は、自分の右腕に顔を寄せる。冷んやりとしている。
「まあ、身体は冷たいけど……」
「…分かんないや」
ゾンビ達を構成する細胞が、どのように働いているのか。
私達は、「ゾンビ」という新たな存在に対し、どのように「死」という概念を当て嵌めれば良いのか。
結局のところ、何一つとしてそれらしい答えは浮かび上がってこない。
私は小さく呻いて、さきのいるコンビニを振り返った。
「はぁ」
「それよりも、まずは、ちゃんとコンビニを見張ってないとだよね」
私は、もそりと呟く。
要するに思考放棄だ。自らゾンビに近づこうというのだ。
私は、少し自虐的な気分になって嗤う。
しかし、実際のところ、ゾンビ達の目的が何であれ、さきは必ず襲われる。
それならば、本来やるべき事はシンプルな筈だ。
何も考えず、ゾンビを蹴散らす。
それこそ最も効率が良くて、ゾンビについてあれこれ思いを馳せる、というのは、二の次にした方が良いのだ。
下手をすれば、ゾンビに情を湧かせるような考えは、ない方が良いものでさえあるのかも知れない。
彼らは助けなんて求めていない。
全ては殺戮衝動だ。
そう思っていた方が、人間側としては楽なのである。
罪悪感を抱かないために、攻撃を躊躇わないために、思考を放棄する。それだって、立派な生存戦略だ。
「でも、何なんだろうね」
「この胸騒ぎは」
私は、数刻前の会話を思い出しながら、梔子橋の方をじっと見据えていた。




