1日目・夜
今回、視点が頻繁に入れ替わります。
また、かなり遊んだ文章になっています。
隣の市の手前、雑居ビルの立ち並ぶ地区。
日はすっかり沈み、遠くから細く千切れて流れてくる死者達の呻きが、少女達の頬を撫でる。
月に照らされた二人の顔は生気を感じさせない程青白い。それはきっと、月光の所為だけではないのだろう。
「あ……」
「着いた…」
「…………。」
「っあ、あぁ、やっとだな」
少女達は、疲弊していた。
肉体的にも、精神的にも、限界だった。
一日で何もかもが変わってしまったのだ、無理からぬ事だろう。
「あー、えと、で、うぅん…?」
「休める場所、探そう」
「あ、うん、そうだな…」
さきの頭は空腹も相俟ってきちんと回らず、思考と会話のスピードが噛み合っていない。先程の、たまへの気まずさもまだ燻っている。
一方のたまも「さきを守らなければ」という緊張感と、ゾンビをまた殺す事への罪悪感からか、かなり憔悴してきている。
二人は今夜の寝所を求めて彷徨った。
最早存在する意味のない信号を渡り、フラフラと脇道に逸れ、惑い、戻り、一歩踏み出す度、足に響く鈍い痛みに顔を顰めながら、安全な建物を探し続けた。
「ここら辺、何処もガラス割れてるね」「…ん」
「あっち行ってみよ」「あぁ…」
言葉数少なに、半ば体を引き摺るように歩く。
額に、首に、じっとりと汗が浮かぶ。
薄く微笑みを浮かべた口のように、月が二人を見下ろしている。
「あ、ダメだゾンビ一杯いるぅ…」「あー?それは、ダメだ、な…」「…はぁ」
「あー、もう、何でさ…も、無理動けない」「此処もダメか…」
彼女達の両手にぶら下げられた食糧入りのレジ袋が、時折地面に擦れて、ガシャガシャと音を立てる。
「うぅ…お腹すいた、袋重い」「私も…」「早く、安全な所に行きたいなぁ」
それがまた、少女達の空腹感を煽る。何時でも食べられる場所に食糧があるぞ、と。
「何時になったら休めるんだろうな」「…分からない」
それから暫く歩き回って。
「あ、此処…大丈夫そう」「…そうか」
少女らは、漸く比較的損壊が少なく、ゾンビが余り周辺に居ないような通りを見つけた。
それを喜ぶ余裕もなく、半分倒れ込むようにして、二人は通り沿いに立つ一つの建物へと入っていった。
*
やっとの思いで今夜の寝所に辿り着けた。
これが明日以降も暫く続くのか、と考えるだけで憂鬱である。
ただ今は、只管に疲れだけが満ちている。
兎に角何かを食べたい。そして命を脅かされる事なく、ぐっすり眠りたい。
今までは当たり前の事だった。私達は、何でもある国に生きていたのだから。それを、こんなにも渇求する日が来るとは、夢にも思わなかった。
損壊が少ないとはいっても、一階部分はそこそこ荒れていたので、私達は二階へと向かう事にした。
それまで引き摺るようだった動きは、最早溶け、這うような動きへと変わっていた。ゾンビよりもゾンビらしい動きだ。
手をつき足をつき、散乱したガラス片で肌を切らないよう注意しつつも、ズルズルと階段を昇っていった。
二階は、元々飲食店だったらしい。
やっとの思いで階段を上り切った私達の目に、幾つかのテーブルと椅子が入る。
雰囲気からして、夜のお店だろうか、道理でゾンビが少ない訳だ。
安堵の溜め息を吐きつつ、へたばり、引き摺り、椅子に座り込む。
提げていたレジ袋を床に放り、テーブルに突っ伏す。
乱暴に落とされたレジ袋が、ガシャン、と音を立てるのを横に聞き、目を瞑る。
先程よりも長く息を吐いて、それから、暫くして顔を上げ、何方ともなく笑った。無邪気に、遊び疲れた子供のように笑い合った。
「はぁ、やっと着いた!」「そうだね。…御飯食べよっか」
その言葉と共に、緩慢な動きでレトルトのパッケージを取り出す。
レトルトご飯の蓋を開け、これまたレトルトのカレーやら、ハヤシライスやらを掛ける。
レトルト尽くしだ。
その辺で売っているレトルトなので具材は小さく、グタグタに柔らかい。しかも、電子レンジ等が使えないので、嫌に温い。
今までなら、余り美味しくはないのだろうな、と思いつつ、無機質なプラスチックのスプーンを口に運んだ。
それでも美味しかった。
互いに一言も発さず、殆ど我も忘れて黙々と食べ続ける位に、美味だった。
「「御馳走様でした」」
はふ、と息を吐いてそう言うや、場の空気が弛緩した。
*
…今なら、たまに謝れる気がする。
たまの力だとか、覚悟を見くびるような事言ってごめん、と。
「なぁ、たま」「ん?」
「ごめん」「えっ、どうしたの、急に」
「さっきさ、全部倒すのは無理っつったじゃん」
「…?あぁ。」
「あれ、気にしてるんじゃないかって」
「危険も顧みずに戦ってくれてたのに、侮ってるみたいで、ちょっと無神経だったな、って」
そう言うと、たまは少し困ったように笑い、やや軽い調子で話し始めた。多分、私に気を遣ってくれているのだろう。
「あ〜、私、怒ってるように見えたかぁ」
「えっと、あれはそういう事じゃなくって…私が力不足なのは事実だし」
「そうじゃなくって、ただ、ゾンビを倒すのに罪悪感が湧いたんだよね」
「あれだって、元は人間だった訳だし、今日まで自分の人生があった筈なんだ」
「だから…何だろ?上手く言えないけど…んー、そう、数で数えたり、安易に"倒す"っていうのは、少し違うかな、なんて…」
「うん、そっか、そうだったのか…」
私は少し誤解していたらしい。
それに、"ゾンビ"に対する感情も、この一日で麻痺していたみたいだ。
思えば、ほんの少し前まで、私もゾンビの事を"元人間"として捉えていた筈だ。
しかし、何時の間にかその成り立ちから目を背け、数で数えられる、ただの"化け物"として認識するようになってしまっていた。
…本当にたまに対して失礼だったのは、ここなのかも知れない。
「うん」
「でもやっぱり、ごめん」
ゾンビ=化け物なら、何れは、たまだって化け物、という事になってしまうのだから。
勿論、そんな事にはさせないが。
「そんなに気にする事ないと思うけど…」
「さきが言うなら、うん、そうだね…いいよ、赦すよ」
たまは優しい。
「…ありがとな」
あゝ、いなくならないで欲しい。
例え、彼女がどう思っていたとしても。
*
気まずさが解けると、その隙間に別れの恐怖が絡みつく。
机や椅子でバリケードを築き、それから机を並べて簡易ベッドを作って、二人は眠った。
浅いような、深いような、不思議な眠りだった。