日常は砂糖菓子のように脆く
以前書いたプロットの、小説版です。
ストーリーは固まっていますが、細部が決まってないので、更新は遅くなります。
いつにも増して厨二病ですが、生温かい目で見てやって下さいませ。
終わり、というものは、往々にして突然訪れる。
朝起きて、学校に行き、授業を受けて…今日も、そんな一日だった。そうなる筈の一日だった。
ささやかな、私の人生の一頁。
いつも通り、何の代わり映えもしない、在り来たりな日常。
それは、もう終わってしまったのだ。
そして、これから先、二度と取り戻す事は出来ない。
事の始まりは、ほんの少し前、12時21分頃に遡る。丁度、4時限目の授業が終わるかどうか、といったところだった。
あの瞬間について、私は、上手く表現する言葉を持っていない。
強いて言うならば、パンデミックが起こった。
よく、B級ゾンビ映画何かに出ている、あのシーン。
突如として大量に発生するアンデッド、逃げ惑う人々。金切り声と破壊音。
正にあんな感じだ。
あの光景が、丁度、私の目の前で再生されたのだ。
ただ、映画とは違う、安っぽいパニックではない。
血飛沫も、鉄錆の臭いも、生々しく私に迫ってきた。
齎される悲鳴と断末魔は、スピーカーを通さずに、直接私の鼓膜を震わせた。
私は、ただただ動く事も出来ずに、呆然と立ち尽くすばかりだった。
*
正確に何時だかは憶えていないが、昼頃、というかさっき、人間の大量ゾンビ化が起こった。
友人は殆ど死んだ。しかし、今のところ、私は生きている。
僅かに異変の前兆はあったと、今更ながらに思う。
今日は、余りに静かだったのだ。
まるで、この学校だけが、全世界から切り取られてしまったかのように。
そよ風さえ吹かず、毛幅ほども木々は揺れない。鳥の鳴き声一つも聞こえなかった。
眩しく校舎を照らす日の光。
その光の差し込み方くらいしか、外界で動いていると分かるものはなかった。
まるで、その他の自然現象は、一迅の風と共に、何処かに飛び去っていってしまったかのように。
だからなのか、まあ、不思議な言い方ではあるが、教室にあれらが雪崩れ込んで来た時も、私がそう慌てる事はなかった。
何処か、ひどく現実味がなかったから。
何故か、そのうちこんな日が来る気がしていたから。
きっと、そのどちらでもあるのだろう。
ただ、フィクションの定石で、奴らに噛まれたら私もマズいんだろうな、などとぼんやり思いつつ、只管に椅子を振り回して暴れた。
白い、真っ直ぐな日差しと、黒く、辺りに撥ね飛ぶ血。
全く真逆のコントラストが、当たり前のように其処彼処に散らばっていた。
何だか、白昼夢を見ている気分だった。
でも、まだ腕に鈍い痺れが残っている。
私は、多分殺した。よく憶えていないけれど。
偶には「面倒臭い」と思う日もあるが、今日ばかりは、きちんと部活に行っていて良かったと思う。
お陰様で、途中で体力が尽きる事もなく、殆ど無傷で生き延びる事が出来たのだから。
不幸中の幸いというやつだ。
しかし、粗方奴らが片付いた後で、今更ながら腰が抜けてしまったのは、情けなくって、とても人には言えない。
…まあ、秘密にする相手も、もう此の世に居ないのだが。
「…はは」
自分の置かれた状況が、私の身には重過ぎたもので、ぼんやりとしてしまう。
だって、そうだろう?
今日一日で、私は余りにも失い過ぎた。
自身の命以外は、何もかも此の手から零れていったのだ。
…しかし、困ったな。
やっとの思いで鍵を掛けたはいいが、このままでは教室から動けない。
まだ外には、奴らがいるのだ。
*
最初は鈍く、段々と鋭くなっていく痛みに、私はハッと我に返る。
スローモーだった世界が、急速に元の早さへと戻っていく。砂嵐の混じったモノクロな視界が、鮮やかに色づく。
「私」は、現実に引き戻される。
痛みの原因は、考えずとも直ぐに分かった。
私の白い腕に食い込む、黄ばんだ、ベットリと血で汚れた歯。
とても生き物だとは思えない、氷の冷たさを持つ、刃。
プツリ、と皮膚に穴が開く感覚。
「いった…!」
ジワリ、と血が滲む。
傷付いた肌から体温が流れ出し、代わりに、死者の、冷たく無機物的な温度が注ぎ込まれる。
なんて事だ、最悪じゃないか。
咄嗟に出てきたのは、そんな、バカみたいな感想以外の何物でもなかった。
悪い事に、私は、ゾンビに思い切り腕を噛まれてしまったのだ。
此処は現実で、映画の世界でもゲームの中でもないが、大抵こういうのは良くないと、相場が決まっている。
手遅れの感は否めないが、私は慌ててゾンビを引き剥がす。
肌に突き刺さっていた刃物を、強引に抜く痛み。血と肉を持っていかれる苦痛。
しかしそれこそが、今の私と彼らを隔てるものだ。
きちんとした、まともな痛覚。誇らしく、愛すべき感覚神経。
そうだ。もしかしたら、まだ助かるかも知れないじゃないか。
ふっ、とそんな希望が湧く。
人間、いざとなれば、火事場の馬鹿力が働くらしい。
私が思い切り力を籠めると、存外簡単にゾンビは離れた。
…私の腕と自身の舌の間に、ひんやりとした粘性のある液体を伝わせつつ。
「うぁ……」
気持ち悪い。酷く不快だ。
じくじくと痛む腕を抑え、私は、鈍間なアンデッド共の間を駆け抜ける。
ああ、嫌だ、厭だ、イヤだ!死にたくない!死にたくない!
そんな声が、脳内を跳ね回っていた。
鼻までずり落ちた眼鏡が、飛び跳ねてガタガタと振れる。
上下に揺れる視界に酔いつつ、私はトイレの個室を目指す。
兎に角、そこで腕の止血をしよう。
*
…この教室に鍵を掛けてから、どの位経った?
何時間も経ったような気がする。が、時計を見ると、実際は数分しか経ってない。
長い。1秒が何時間にも引き伸ばされたみたいだ。
教室内は静まり返っていて、でも時々、何処かでガラスの割れる音がする。
座り込んだ私の足元から、乾きかけの血糊が伸びている。
どす黒い血痕を辿っていくと、死体の山へと行き着く。
喰い喰われ、殺し殺された元人間達の残骸。
つい先程まで、普通に喋り、普通に動き、普通の学校生活を謳歌していた彼ら。
しかし、最早その体は原型を留めておらず、言われなければ、とても人だったとは思えない。
あり得ない方向に曲がり、苦しみに悶えた格好のまま、投げ出された手足。ボロ切れの様に切り刻まれた皮膚。縺れた髪の毛に、血に塗れてヌラヌラと光る臓物。
あの中には、私の友人も何人か居るんだろうな。
しかし、どれが彼らなのかは分からない。見分けられないのだ。
それが悲しい。とても。そして淋しい。どうしようもなく淋しい。心細くて堪らない。
冬でもないのに、指先がとても冷たい。
私は、自分で自分の体を抱きしめ、身を縮めて目蓋を閉じる。
次に目を開けたら全て夢、なんて事にならないかな…などと思いながら。まあ、とどのつまりは現実逃避だ。
そして、誰かが、閉め切られた教室の扉を叩いた。