学園都市の闇
プロローグ
何かが吊られていた。それが、人であると分かるまでかなりの時間を要した。
この状況になって、間もないのだろう。定期的に縄と体がひしめきながら揺れている。
その姿を、目に映す青年、邪道 瞬はこれを現実であると直視できず現実逃避に思考を巡らせていた。
「姫ちゃん、警察と大家に連絡してくれるー?」
「はい!」
場に似つかない甘い声で支持を出すのは、俺の勤める会社の社長。
威勢のいい声を出し、駆ける女性は秘書兼受付役の西宮 雨さんだ。
何でこうなった……。
笑えるくらい震えている腕で頭をかきむしる。
真っ赤に燃え上がった体と頭に、凍えるように冷たい掌が肩にかかる。
「瞬君―? 今日はもう帰っていいよ。 取り敢えず入社試験は中止ね」
「いや……でもッ!」
喉の奥が震えながらも声を絞り出す。
そうでもしなくては罪悪感が拭えないと判断したからだ。
「帰れつってんのが聞こえないの? あんたは邪魔なの」
心臓がドキリと、冷たく高く鳴った。同時に、頭がクラリと揺れた。
「は……はい……」
緊張で枯れきり、引きつった喉で、声を発した。
酷く重たい足で、この場を後にする。
「どうして……こうなった」
薄い意識の中で、事の発端まで思い返す。
第一話
夕焼けに染められる街並み。
絶え間なく人が歩き続け、消えては増え、消えては増えを繰り返す。
その中に二人の青年が歩いていた。
スーツとしても通用するであろうデザインの制服を着こみ帰路に着く。
そこには瞬の姿があった。これといって特徴的なところも無く、おかしなところも無い。よく言えば模範生、悪く言えばどこにでもいる生徒だ。
「なぁ、帰りに飯食いにいかね? 俺今日仕事ないし、お前も、バイトないだろ?」
もう一人の青年の名は、友情 陣。金髪でネクタイもどこで買ったのか分からない様な奇抜なデザインだが、それは個性的とプラスに評される程度のもので問題は無い。
「確かにバイトは無いけどさ、会社の面接があるんだ」
制服の襟を正し、フンスッと誇らしげに語る。
「お前面接まで行ったのか! 良かったなー、そのうちお祝いしねーとな」
「ありがと。まぁ、お前みたいに何千万とか稼げないだろうけど頑張るよ」
「そうそう、頑張ればどこでだって稼げるって。あっ、じゃあここで。 えるかちゃんによろしくなー」
「わかったよ。じゃーな」
軽く挨拶をして、陣は駅に向かう。
陣を最後まで見送りその後も、途絶えることのない人の波をただ見つめていた。
陣の乗った電車が見えなくなった時、先ほどの会話を脳裏で反芻させていた。
「どこでだって稼げる……か」
そうつぶやき、バックから付箋だらけの雑誌を取り出す。
表紙には、人材求む、の字がデカデカと飾られていた。
大きくため息を吐き、駅に背中を向ける。
子供の落書きの様に乱れる人ごみに紛れた。
街のバカでかいテレビは、今日も夕方のニュースと学園都市の学円株価の変動を伝えていた。
学園都市。
その名の通り、学生が学園内で都市を造り各々の生活を歩む場所。
授業もあるし、単位だってある。もちろん、単位があれば誰でも卒業する事ができ、晴れて社会人になる事が出来る。
しかし、単位を所得し、いい成績を取ったとしてもここでは絶対的な評価に繋がることは無い。
つまり、それだけではいい大学や就職先に着けないという事だ。
では、ここで評価を得るにはどうするか。
それは、普通の単位ではない特別単位が必要だ。
特別単位とは、生徒が円滑なコミュニティをつくり、勉学に励み、会社で相応の働きが出来ているのか。
そこを評価する単位だ。
学園の方針は、勉強だけでは無く仕事のできる学生を送り出すという方針のため、この制度は実に理にかなった制度だ。
学園都市では就職が第一とされる。
入学して一か月以内に職に就けないものは負け犬と侮蔑される。
しかし瞬は、職に就いていなかった。就職活動すら、することは無かった。
否、できなかった。
何故なら、入学初日で一か月間の停学処分を下されていたからだ。
「本当にここかなぁ?」
雑誌にうずめていた顔を上げ、またうずめ、また上げるを繰り返す。
「やっぱりここ……」
げんなりとした表情を映しだす。
雑誌には、「月給二十万円から最大一千万まで! アットホームな会社で新入生も安心! 気になる方はスマイリーファイナンスへ」
と、表示されているがとてもアットホームそうではないし、とても一千万円も用意できそうな環境でもなかった。
会社は二階にあり、スマイリーファイナンスと看板が掲げてある。
それだけならまだいい。しかし、都内の裏路地と呼ばれるやばい地域に建っているうえ、一階の焼肉屋の前に貼ってあるスマイリーファイナンスのチラシもうさん臭くて目も当てられない。
「多重責務者でもOK! 一千万まで融資いたします!」
どう考えても闇金だ。求人雑誌には、事務作業と書いてあったが客を港に鎮めるのも事務作業の中に入っているのかもしれない。
入ったばかりの新入生であればここで回れ右をしても良かったが、瞬には跡がない。
前に進まなくては、と自分を励ましながら階段に足を踏み入れる。
刹那、二階の室内から
「ふざけてんじゃねぇぞ! 貸した金は返すんだよッ!」
と、頭が痛い瞬に追い打ちを掛けるように怒声が通り過ぎる。
ため息をつきたい衝動を抑えドアノブを捻る。
ドアの奥では、斜め上をいく光景が繰り広げられていた。
黒服でこわもての生徒を恫喝してる……わけでなく、学園都市でトップ5に入るお嬢様学校の制服を着ている女の子が、男子生徒を怒鳴り散らしていたからだ。
男子生徒の表情は見えないが肩を震わせ耐えているのは背後からでも感じ取れた。
女子生徒は、遠目から見ても可愛らしいと感じられる風貌だ。オオカミの様に銀色に輝く瞳が凛々しさを増長させる。
腰まで伸びている銀髪もさすがお嬢様学校といえるものだったが、趣味の悪いネックレスと怒っている表情のせいで第一印象はほぼマイナスになってしまう。
「ご融資の相談ですか?」
突如、死角からの質問に体を仰け反らせる。声の主を見ると、胸のあたりに秘書 西宮 雨と書いてあるプレートを付けた女性が立っていた。
彼女は黒縁の眼鏡を掛けていておしとやか、という印象。
小さくポニーテールにした氷のように青白い髪は、見ているだけでイオンを感じ、心を癒してくれる。
背丈は、瞬とそう大差はないが幼さを残した顔立ちは、可愛らしさを大きくプラスしているように感じた。
「いや、面接に来たんですが……」
「あぁ。邪道 瞬さんですね。少々お待ちください」
そのまま、立ちすくんでいると怒鳴る声も徐々に収まる。
「もういい帰れ!」
「すっすいませんでした!」
待ってましたと言わんばかりのダッシュで外に逃げ込む。
「それでー。そこにいる僕は何の用なのかなぁ?」
先ほどまでの般若のような顔はどこかに消えここには、可愛らしい顔だけが残った。
それを聞いた雨さんがキッチンから顔を出し、
「彼は、邪道 瞬ですよ。社長が面接をすると仰っていたではないですか」
と、伝えた。キッチンといってもコンロに、流し台だけの質素なものだったが。
「そうだった! よろしくね瞬君。僕は、黒金 みちる。社長って呼んでね!」
「はい。社長」
「じゃあ早速入社試験を始めよー。履歴書見せて」
「はい、どうぞ」
鞄から用意してあった履歴書を渡す。
「うんうん、ありがとー。……ってあれ?」
一通り眺めた後、不満げに肩を落とす。
「何ですか?」
「なんで、停学になった事書かないの?」
「……え?」
目を見開いて驚く。社長の言った通り瞬は履歴書にそのことは書かかず、ばれないだろうと多寡をくくっていた。
「なんで……知ってるんですか」
「君を採用しようとした理由がそれだからね」
事件で思い出すのは一つ。一方的な暴力。
「暴力……ですか」
「暴力というより、ブランド? 僕たちは金貸しだから、それなりにイッちゃってる人が欲しいの。だから、新入生で暴力事件を起こした君を狙ってたわけ。まぁ、外見は普通だったから少し残念だったけどね。で、どうする? 一回だけ履歴書を書き換えるチャンスをあげる」
「ペンは、こちらに」
雨が、手の平に乗せたペンを向ける。
これはいわゆる人生の分岐点というやつかもしれない。
日の当たる仕事に就いて楽しくできるか、日陰者の仕事で、表の人間から怯えるように暮らすか。
だが、瞬は後には引けない。自分のためにも、えるかのためにも。
ペンを取り、履歴書に書き込む。暴力事件の経験あり、と。
「おっけい。 じゃあ入社試験だね!」
社長はキャピッという効果音の入りそうな顔でウインクをした。
「え? ……もう社員になったんじゃないんですか」
「なるわけないじゃん」
さいころの目が変わるかの様にコロコロ表情を変える。
そのたびに与えられる心臓への負担は尋常ではなかった。
「……すいません」
「わかればよしっ、そこは褒めてあげよう。じゃあ早速おさえにいこー」
「おさえる?」
「そうだよー。さっき出てった奴の家具一式全部ね」
それが、記憶の最後だった。
あの後、ドアが開かなくて無理やりドアをこじ開けた。
そうしたら……。
「くそッ!」
やり場のない拳をコンクリートの壁にぶつける。
異臭を放つ路地裏が、自分にはふさわしく思えた。
「はぁ……」
思い出すだけでも体が潰れそうな一日を終え、瞬は帰宅する。
いまだに痺れが残る手でカギを使い開錠する。
「あれ」
ドアは開かなかった。つまりカギを使う前に開いていたという事だ。
今度こそとカギを使い中に入る。
部屋は狭い方だったが生活に困るほどではない。そもそも、家に何もないため解放感に溢れていた。
一か月外出禁止で家具を買いに行けなかったがこのままでも案外いいかもしれない、と思ったが帰った後座れるものが無いのはつらい。
「……ただいま」
「おかえりなさいっ!」
ドアを閉じた途端、何かが瞬の腹にタックルをかます。
それは、薄麦色の髪を揺らす少女だった。
彼女は、久留巳 えるか。
先の事件で出会い、無職になった瞬に責任を感じ、停学中一緒にいてくれた女性だ。
内向的で、あまり自分を出すのが苦手な彼女だが、瞬のためにいろいろと頑張ってくれ、実に感謝している。
「会社……どうでしたか! 他の社員さんは優しそうでしたか! それから……」
「まぁ、落ち着け。とりあえず、中に入らせてくれ」
次から次へと矢継ぎ早に囃し立てる彼女を落ち着かせリビングに入る。
鞄をえるかに預け、上着を脱ぎ床に座り込む。
まるで、長年の夫婦の様にこの動きをしたが実は今日が初めてだ。
「で? どうでした。会社良かったですか?」
「まぁ、いい会社……かな」
「そうですか……。安心しました。私、すごく責任感じてて……でもこれで少し軽くなった気がします!」
「あぁ……頑張るよ」
絶対にいえない。闇金屋で働くなんて。
「ごはん用意するから少し待っててくださいね」
「あのさっ」
「? どうかしました?」
「……いや、何でもない」
「んー? まぁ何かあるなら言ってください。私も力になれるように頑張りますから」
「……ありがと」
「いえいえ。それが彼女の務めですから」
「いつ彼女になったんだ」
「瞬君、ひどいです」
「冗談だよ」
そのやり取りで瞬は落ち着きを取り戻した。
絶対にやめられない。卒業まで。
肺に大きく空気を入れ、すぐ吐き出し気持ちを入れ替える。
築三十年は、ありそうなドアのノブを捻る。
「おはようございます!」
「「合格おめでとう!」」
途端、空気が弾ける。
中では、社長と雨さん、それと、見知らぬ男が拍手をしている。昨日の殺伐としていた雰囲気がまるで夢の様だった。
「え?」
「おめでとぉー。試験に合格したね」
「試験?」
「うん、昨日首つりを見たでしょ?」
「……はい」
「あれは、本当はね、偽物なの。君が、首つり見た後ここに来れるか試したかったの」
「……じゃあ、あの男の人は?」
「生きてるよー。ほら、あの人。おーい。須佐くーん」
「あまり馴れ馴れしくしないでください社長」
「まぁまぁ、いいでしょ社長だし。取り敢えず、自己紹介しといて」
須佐と呼ばれた男は、制服ではなく高級スーツに身を包み髪をワックスで適当にセットされていた。エリートというイメージを詰め込み完璧という言葉を再現した様な人間だ。
ただ一つ問題なのは女のように顔が可愛らしいく、身長が低いという所だ。
「俺の名前は、良谷 須佐だ。馴れ馴れしくするなよ。どうせずぐ辞めるんだろうからな」
「そっか、よろしく。須佐君」
「須佐君などと呼ばないでくれ、あと馴れ馴れしい! 絶対に友達になんかなってあげないんだからな!」
「まぁまぁ、いいでしょー。取り敢えずおめでと。そしてようこそ、スマイリーファイナンスへ!」
先ほどよりも大きく息を飲む。
ついに、俺は闇の世界に入る。そして落ちていくのだろう限りなく下まで。
でも覚悟は決めた。決して揺らぐ事のない覚悟。
刹那、ドンッという音と共に扉が開く。
「すっ、すいません。おっ、お金を貸してください」
冴えなさそうな男が緊張の面持ちで入る。その姿を見つめた社長はフッと笑い。
「この客は君に担当させてあげよう。がんばりたまえ、新人君!」
俺の肩を叩き、社長は後ろに下がった。
初の仕事に手足を震えさせ、ドキドキしながら言葉を選んだ。
「いくら、ご融資いたしましょうか?」