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White Hero  作者: 夢見無終(ムッシュ)
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第三話 肉薄するエモーション ―B part―

 門は少しだけ開いていた。

 創立記念日である今日は、学校業務は全て休みであると聞いている。授業もなければ部活もない。当然門は閉まっていて、教師もいないものだと思っていたが……念のため制服で来てよかった。

 恐る恐る門をくぐると、脇から声が掛かってきた。

「こんにちは、牧原さん」

 柔らかく、落ち着いた声。五月二十美の声。私は小さく息を吐いて緊張を押し殺し、彼女と向き合う。

「誰もいないと思ってたけど?」

「生徒はね。教師は休みの日でも忙しいみたいよ。テスト問題作ったり。大変だよね」

「………」

「フフ、ちょっと不安? 大丈夫、ちゃんと許可はもらってるから。行こう?」

 門を閉め、五月二十美のあとに続く。

 無人の校舎は、異様なほどの静けさだった。完全下校直後ともまた違う。人がいた痕跡…熱のようなものが感じられない。まるで忽然と人がいなくなってしまったような、廃墟に似た冷たさがある。

 そんな中、私は彼女と二人きりだ。告白やその返事というのは本来どこでどうするものなのだろうか? 電話やメールで済ませるのは個人的に論外だと思うが、しかしこんな特殊な状況もない…。

 連れられた先は屋上だった。五月さんが閉まっているはずのドアの鍵を持っていたのだが、もう尋ねなかった。

「少し曇ってるね。もう夏の日差しだからちょうどいいけど、ね?」

 屋上に出て空を仰いだ彼女が振り向く。私は出入り口から数歩のところで足を止めていた。

「その……この間の返事なんだけど」

「うん」

「……やっぱり、無理っていうか……」

 俯いていた顔を上げ、ちらりと彼女の様子を窺う。全く動揺しているようには見えない。むしろ余裕のある微笑みで私を見ている。

「…理由を聞いていい?」

「それは、だって………私たち、女同士だし…」

「……たとえば愛し合っている恋人同士の内、一人が大怪我で寝たきりの状態になったら、愛情はなくなってしまうと思う?」

「は?」

 突然、何を言い出すのか?

「別に…なくなりはしないと思う」

「私もそう思う。だって想いは心が紡ぎ出すものだもの。それは肉体を超えて伝わるものじゃない? それが同性でも心の繋がりには関係ない。それとも―――」

 ドアを背負って逃げ場のない私の頬に、彼女の指が触れる――。

「エッチすること、考えた?」

「なっ…」

 手を振り払って顔を背ける私を、彼女は静かに笑う。まるで子供を相手にするように。

「何もおかしなことじゃないよ。心が求めれば身体も求める。恋愛に限ったことじゃない、自然なことよ。でも……考えてみてくれただけでも嬉しい。私の気持ちを受け止めてくれているってことでしょう?」

「そういうつもりじゃ…」

「じゃあ盾林くんが気になる?」

「え…!?」

「付き合ってない、恋愛感情はないと言うけど、でも気になる。きっと物心ついたときからの仲なのよね」

「武人は関係ない――」

「慣れた間柄だけど、家族や兄弟とは違う微妙な距離。常に最も近い異性だった……少なくとも貴女にとっては」

「……………」

「否定できない、か。でも私の気持ちだって、貴女たちの十数年の積み重ねに負けないつもりだから」

 私の肩を押さえつけ、彼女が迫る―――。

「しょう子を一番好きなのは私」

五月二十美は真正面からはっきりと言い切る。

「一番大切に考えているのは私。つかず離れずで距離を保っている盾林くんじゃない…!」

「あ…」

「本当の恋愛感情を、私が教えてあげる……」

 その囁きが私を麻痺させる――……。

 私は彼女から逃れられず、されるがままに抱かれた。

 違う違うと感じてはいたが、実際にはまるでレベルが違った。私に対する彼女の想いは強く、深い。出会ってからわずか一カ月、でも私が武人に抱いたことのない気持ちを彼女はぶつけてくる。その熱が伝播したのか、私の頭はどんどん沸騰していく。

 吐息が交じる至近距離で、目が合う――。

 言葉はない。しかし合図だというのはわかった。私は首を縦にも横にも振れず、ただ目を逸らすだけ。彼女はそれを承諾だと理解したのか……いいや、最初から伺いなど立てていない。キスすると、無声で宣言しただけだった。

 唇が、重なる。と同時に、胸元をぐっと擦り寄せられる。脚の間に割り込んでくる彼女の膝に抵抗しているうちに、今度は舌が唇の隙間を突いてくる。頑なに拒む私から一度離れた彼女は、予想もしなかった蕩けた瞳で見つめながら、熱く荒い吐息を私に吹きかける。

「ね…?」

 それは懇願か、誘惑か。理性は焼け落ちる寸前で、考えることを諦めかけていた。そして身体も抗うのを止める……。

 気持ち悪いと思ったのは最初だけだった。初めてのディープキスは苛烈な刺激に満ちていた。これが快感なのかはわからない。でも口の中に溢れる未知の感触に背筋は捩れ、それを押さえつけるように彼女の腕が絡みつき、私は溶けていく自分を感じていた。

 もう………いいんじゃないか?

 彼女を受け入れたわけじゃない。でも欲望と感情は理解できた。私が彼女と同じような気持ちを持てるか、彼女を同じように愛せるかは、実際に付き合ってみないとわからないのではないか。それで彼女に対する見方も変わるかもしれない。武人もそう言っていた。そう、武人が言ってたんだ………


『――――――!!』


 バチイッッ!!

「…!? …!??」

 真白な光に目がチカチカする。静電気にしては強いような……というか、今の時期に静電気?? それに五月二十美は離れてうずくまっているが、私は何ともないようだった。

「だ、大丈夫…?」

 右手を伸ばそうとすると、

『近づくな、ショウコ』

「え?」

 突然バースが喋りだしたことに戸惑う。と、五月二十美が私の右腕をものすごい力で掴み上げた。

「痛っ…!」

「まさか、あなたも持っていたとはね。盾林くんだけだと思ってたのに」

 リストバンドを剥ぎ取ってブレスレットを睨む。

「え、何…?」

『ショウコ、離れろ! 結晶核の反応を確認した! 彼女は異文化探究システムだ!』

「……へ?」

 頭が追い付かない。異文化探究……敵…!? それじゃあ――

「人間じゃない…!?」

 技をかける要領で五月二十美の腕を捻って抜け出す。向こうは目を丸くしたが、すぐにフッと笑う。

「これも合気道なの? 実体験するとすごいのね、不思議な感じ」

「何!? アンタ何なの!?」

 距離をとって身構える。それを見て、五月二十美はつまらなそうに息をついた。

「そのアンチシステムの言うとおり、私はあなた達の言う異文化探究システム」

「うそ………。も、目的は何? ……まさか、武人とバースを狙うために私に近づいたの!?」

「ばーす? よくわからないけれど、盾林くんはどうでもいい。私の目的は最初からしょう子だけ」

私…?

『どういうことだ?』

「フ、どういうことだと思う?」

「バースの声が、聞こえて…?」

 ありえないことだった。バースの声はブレスレットに触れないと聞こえないはず。骨振動スピーカーと同じようなものだと聞かされていた。

『今はあえてこちらから特別な電波を飛ばしている。そして受信できるという事実こそが彼女をシステムだと証明しているのだが、しかしありえない。システムが人間の形態をとることは絶対にない。なぜなら、人間の作り上げた文化の探究がシステムの目的であって、人間そのものが研究の対象ではない。人間一個体は文化ではなく生態だ。ゆえに探究システムの擬態対象から外されているはずだ。プログラムとしてありえない!』

「擬態じゃないわ。私は人間そのもの。身体に結晶核を持っていることを除けばね」

 五月二十美が指先で自身の胸元を撫で下ろす。そこに結晶核があると言わんばかりに。

「偶々そこに落ちてきたシステムと融合した人間―――それが私。だから人間であり、システムとしての目的も持っている。私の目的はね、単一性社会の構築よ」

「……?」

 私が首を傾げると、五月二十美はクスリと笑って付け加えた。

「女だけの世界をつくるの」

「え……はあ!?」

 突拍子もない提言に唖然とする。

「そんなの、できるわけないでしょ!?」

「最近話題の万能細胞ってあるでしょう? 培養することであらゆる臓器になりうる可能性を秘めている、まさに現代医療の希望。でもまだ研究段階で、実用化には至っていない。一番の問題は培養の難しさ……調整を誤ると癌化してしまう。でもシステムを内包する私ならそれを完璧に制御することができる。融合した私の結晶核は有機細胞の操作に秀でているからね。わかる…? 女性同士で受精卵を生みだすことも可能なの」

「そんなこと…!」

 馬鹿げている! でも武人は言っていた。異文化探究システムは際限なく進化し続け、やがて夢想を現実に変えると。そもそもこのシステムもバースも、地球よりはるかに技術の進んだ世界で作り出されたものなのだ。不可能とは言い切れない。

「長い計画の末、ようやくここまで時代が辿り着いた。あとは実行に移すだけ…。あなたにもその手伝いをしてほしいの」

「手伝い? 私が、何を――」

「私の子供を産んでほしい」

「………!!!」

 いよいよ絶句した。

「人体実験のために私の身体を狙っていたっていうの!?」

「そんなふうにとらないで。あなたがいいと思ったから選んだのよ。それに今すぐというわけでもないわ。きちんと――」

「今だろうが後だろうがお断りよ! アンタ、言ってることおかしい!!」

「……確かに、非常識かもね。私はその非常識を常識にしようとしているの。でも残念……しょう子はもう少し大人だと思ってたわ。仕方ないか、キスもしたことなかったんだから」

「なっ…!?」

 思わず口元を拭うが、感触は口の中に生々しく刻まれている。

 薄ら笑いから一転、真面目な顔になって五月二十美は述べる。

「あなたはされるがままに私とキスをした。私を受け入れられないのなら抵抗したはずよ。拒絶せずに期待させるような素振りをすれば、相手を傷つけるだけだもの! そうしなかったのは、あなたが他人を本気で想ったことがないから。本気で人を愛し、悩んだことがあれば、私の言葉も少しは理解できたはずよ」

「う…」

 一言一言が私の胸に深く刺さる。

 言う通りだ……でも迫ったのは向こうからで、システムの目的のためだったんじゃないのか? しかし、今言われたのはそのことを知る以前の私のことであって……なら、私はどうして彼女を拒絶する? 同性だから? だけどキスは拒まなかった。状況に流されたとはいえ……。わからない。自分の気持ちがわからない。どうすればいいのかわからない………。

『――ショウコ! ショウコ!! 言に惑わされて自分を見失うな! 相手は異文化探究システムだ。まずはこの場からの脱出を図り、タケトに応援を求めるべきだ!』

 武人に応援……

「なるほど、ホワイトヒーローにやっつけてもらうんだ? 化け物女なんか死ねばいいって?」

 ホワイトヒーロー……武人が、五月二十美を――……!?

「……私が戦う」

『何!?』

「は!?」

 バースと五月二十美の声が重なる。

「武人が戦うってことは、武人が人に手をかけるってことになる」

『人ではない、システムだ!』

「無理……絶対に無理。そんなことをしたら武人は壊れる。でも私のためにアイツは絶対にやる。そんなバカなことをこれ以上看過できない! 武人の代わりに私が…!」

『無茶を言うな! 私の本体を持っていてもショウコはプロテクトスキンを装着できないのだぞ!?』

「相手は車とかじゃなくて人間なんだから……どうにかなるでしょ!」

『ショウコ!』

 戸惑いを残しながらも構える私に、五月二十美はぞっとするほど冷たい視線を浴びせてきた。

「混乱しているとはいえ……なんてバカなの、しょう子。正直、呆れた。いいわ、かかってきなさいよ。学校で空手、家で合気道に打ち込んでいれば怖いものなしなのよね? やってみれば?」

 無遠慮に近づいてくるのは、自信の表れか? あっという間に、一挙動で届く距離に…!

「くぅっ…やァッ!」

 顔面に正拳突きを放った。が、寸止めしてしまう。行き場のない私の拳を一睨みした五月二十美は、強烈な平手打ちを浴びせてきた。一瞬、意識が飛ぶ。足が浮いたような気さえする。これが平手打ち? 冗談じゃない! やはり、人間じゃない……!

 膝から崩れそうになる私は襟首を掴まれ、片手で引き上げられる。今度ははっきりと爪先が浮いた。

「口だけ? それともやっぱり盾林くん頼み? さっさと呼んだら? 叩き潰してあげるから…!」

「武人にはっ……やらせない…!」

「……そう!」

 一層目元に険しさを増す五月二十美。軽々と投げ飛ばされる。

「痛っ…!」

『やはり無理だ! 目標は生態操作に優れている。あのパワーも本来脳が制御しているリミッターを外し、且つその衝撃に耐えうるように自らを強化しているゆえに成し得ることだ。生身の人間では勝ち目はない!』

「うるさい! どっちにしても逃げられないでしょうが!」

 位置取りが悪い。屋上に出た直後はすぐに逃げられるようにドアの前から動かなかったのに、今はドアは五月二十美の向こうだ。

 唇を噛んだそのとき、一瞬視界が暗くなる。直後、何事もなかったように元に戻ったのだが、手先の違和感で何があったのかすぐにわかった。

 プロテクトスキンを装着している…!

『あくまで緊急の措置だ。実際には認証エラーにより何一つ機能を使えない。脳波コントロールシステム、ACシステム、反重力制御はもちろん、パワーの補助もないぞ。君は何一つ強くなってはいない。あくまで鎧を纏っただけだ。しかしこれで強行突破すれば―――』

「これならなんとか戦える……!」

『ショウコ!』

 再び構える私を前に、五月二十美は頭を抱えて見せた。

「そこまでして盾林くんのために頑張りたいと。ああそう……」

彼女の肌の表面から何かが浮き出て、変形していく。その姿は―――

「プロテクトスキン!?」

 見慣れた姿が……おそらく今の自分と瓜二つの姿が、目の前にある。

『違う。姿を真似ているが、構成素材のほとんどは有機質、骨と皮だ』

「骨…!?」

 言われてみれば色が微妙に違う。純白ではなく黄味がかったアイボリー。

「あなたたちにとっての切り札の姿は逆にプレッシャー? どうにしろ…」

 五月二十美がにぎり拳を振り下ろす。ドアノブがひしゃげてふっ飛んだ。

「このまま逃がしはしない。逃げるつもりもないんだろうけど、盾林くんのために」

「………」

「…ルールを決めましょうか。そうね、膝を着かせたらしょう子の勝ちでいい。そしたら、盾林くんに手を出すのは止めてあげる」

 藪から棒の提案にしょう子は迷ったが、呑むしかなかった。本来ならシステムとの戦いは殲滅戦だ。異文化探究システムには必ずトドメをささなければならない。しかしその手段である波動衝は使えない。破壊は不可能。ならば、武人を巻き込まずに五月二十美を撃退できる「勝負」は都合がいい………向こうもそのことをわかっているはず。

「…私が負ける条件は?」

「参ったと言えば。しょう子が参ったと言うまで、何分でも何時間でも何日でも付き合ってあげる」

 前言撤回。絶対に負けないという自信の表れ……ではなく、計算の結果か。

 じりじりと、間合いを測る。対して五月二十美は棒立ちだ。偽スキンのマスクの向こうで溜息をついたようだった。

「私とキスして、どうだった? 満たされなかった?」

 ここにきて不意打ちの一言だったが、さすがにもう慌てない。

「動揺を誘うつもり? その手は食わない」

「フ……動揺しているのは私の方。よくも自分を好いている相手を殺すなんて言えるわね」

 低い声音が良心を抉る―――。

「そんなに盾林くんが好きなら、そう言えばいいじゃない!」

「違う――」

 ――五月二十美が仕掛けてくる! 三発の高速ジャブ、返しのフックからさらに一歩踏み込んでっ…!?

「ぅわっ…!?」

 ヒジ!? 辛うじて顔をガードするが、その勢いのまま放つ後ろ回し蹴りを腹に食らう。十メートルくらい吹っ飛んで転がり、屋上を囲む金網のフェンスにぶつかってようやく止まった。

 さっきまでの雑な攻撃が嘘のように、あまりに見事なコンビネーション! ムエタイか、はたまた総合格闘技か。生身だったら……ガードどころじゃなかった。

「一発くらい反撃してくるかと思った。まあ、空手と合気道って組み合わせは相性が悪そうだけれどね」

 五月二十美の言う通りだ。空手と合気道では決定的に違うところがある。それは重心の位置だ。打ち込むために前に移動する空手と、捌いて受け流すことが主体の合気道では構えからして違う。攻守で別れてしまっている。効果的に両方を使いこなすのは限りなく難しい。

 さらに続く五月二十美の攻撃。速く、重く、しかも精巧だ! ガードの隙間からきれいに突きを当ててくる―――かと思えば、腕を掴まれて力任せに床に投げつけられて呼吸が止まる。技もくそもない、パワーが違う…!

「どう? 参った?」

「く……誰が…!」

「…そう」

 また叩きつけられる。まともに受け身もとれない……。

「参った?」

「んっ…な、わけ…」

 今度は踏みつけられた。ビシリと割れたのは私の下のアスファルトだ。四回、杭を打ち付けられるように踏まれ、五回目に蹴り飛ばされてまたフェンスまで転がった。

「あ…う…!」

 起き上がれない…!

『ショウコ、しっかりしろ! これ以上は無理だ! 撤退するべきだ!』

「い、いや…」

『意地を張っている場合ではない! スキンが機能していない現状では十分に衝撃を吸収しきれず、ショウコの肉体はかなりのダメージを受けている。しかも損壊した装甲は自己修復できない。このままでは大破するまで時間の問題だ!』

「参ったしろっていうの…!?」

『降参すれば私は破壊され、サツキハツミを含めた異文化探究システムに対抗する手段がなくなる! 結局タケトを守れなくなるのだぞ!?』

「じゃあ、アイツを倒す……!」

『ショウコ…!』

 フェンスに指を引っかけて立ち上がる私を遠くで眺めて、五月二十美は拳を握りしめていた。

「どうしても諦めないの…? どうしても…!」

「そんな、弄るようにされて諦めるわけないでしょ……だって降参しろってのは、アンタは最初から手加減する気だってことなんだから」

「…!」

 頭のてっぺんが傾いた。図星か。

「まだまだチャンスはあるんじゃない……負けるかっての!」

「―――いい加減にしてよッ!!」

 五月二十美が地面を踏み鳴らし、床が砕けた。

「わかった……そのアンチシステムを粉々にしてあげる。最初からそれさえなければ、こんなことにならずに済んだ…!」

 ぐっと身体を沈ませた五月二十美が一直線に突進してきた! それはもはや獰猛な獣の如く、牙を突き立てることに余念がない。だから加減も忘れたのだろう、人外のスピードで迫ってくる。

 狙い通り――……!

 身体のふらつきを呼吸で整え、ゆるりと構える。

「カウンター狙い!? できるわけない!」

 五月二十美の言うとおりだ。重量はともかく、速さや硬度で考えれば、正面から走ってくる車にパンチするようなものだ。しかもタイミングを誤れば今度こそスキンは大破してしまう。

 私は神経を研ぎ澄まし、その瞬間まで力を溜める……………飛びかかってきた、今!!

「バース、スキン解除っ!!」

『!?』

「なっ!?」

 果たしてスキンは解除されなかった。超高速演算できるバースも判断に迷ったのだろう。それは別にかまわない。実際にジャケットが解除されようが、どうでもよかったのだ。狙いは一つ、繰り出そうとした五月二十美の拳を止めること…!

 躊躇して振り上げた腕を止めた五月二十美、しかし空中だからその勢いまで止めることはできない。ガラ空きになった胸に左手を添えた右掌を当て、ぐっと受け止めるコンマ00Ⅹ秒……その刹那――

「ヤあ――――ッッ!!!」

 踏み込み、溜めた力で真っ直ぐ、一気に押し出す!! 

 ベキベキベキっ……!

「あッ…か……ッ!?」

 マスクの向こうから呻きが漏れる。右腕に十分な手ごたえ、そして偽スキンの胸元に大きなヒビ。衝撃で私の身体も後ろにとばされたものの、決定的なダメージを与えた!

 偽スキンを解除して元に戻った五月二十美はおぼつかない足取りで後退するも、踏みとどまった。歯を食いしばるその表情は鬼気迫り、目は血走っている。意地でも膝を着かないつもりだ。

 いや―――

「うっ………くぅ…っ!」

 胸を押さえたまま、蹲るように倒れる。頭に回っていたアドレナリンによる興奮が一気に冷め、私は青ざめた。

「ちょっと…!」

『迂闊に近づくなショウコ!』

「私が勝った! だからもう何もしない!」

『それは根拠には…』

 バースを無視して五月二十美に駆け寄ると、せき込みながらいくらか血を吐いている。

「だ…大丈夫なの!?」

「ガホッ……折れた肋骨が肺と心臓に刺さったけど、すぐ治る……」

「治るって…」

「あなたこそ、ケホ…どうなの、トドメを刺すチャンスでしょ……さあ、どうぞ」

 ごろりと仰向けになる五月二十美。私を見る目は、諦めにほんの少し恨みがましい色が入り混じっていた。

「……バース、スキン解除」

『しかし…』

「どうせ今の状態じゃ結晶核は壊せない。違う?」

『…その通りだ』

 スキンを解くと、手足に酷いアザがあった。おそらく制服の下にはもっとたくさん…。

「盾林くんはもっとひどい目に合わせるわよ……命を奪うかもしれない。今、殺しておかないと―――」

「膝を着いたら負けって言ったのは嘘? 大体、私はアンタを死なせたいわけじゃない」

「? 盾林くんの代わりに自分がやるって言ったのは…?」

「武人はきっと義務感でアンタを潰す。でもその結果、罪の意識で壊れてしまうのは間違いない。私はそれが嫌なの。狙いは私なんだから、私がケリをつければいい。それに……武人に嫌われることもしたくない」

「フ……盾林くんのこと、よくわかってるんだ」

「アンタは私のことがわかってない」

「ん…?」

「武人武人って……! 確かに武人は特別なヤツだけど、アイツが自分のすべてじゃない! 今日だって私は私の意志でここに来てるの! なのにアンタはことあるごとにアイツを引き合いに出して、一体何なの!? こっちは最初っからアンタたちシステムと戦うのに命賭けてるわけじゃない! だからっ………ああもう、ぐちゃぐちゃしてわかんなくなった! とにかく、アンタは意志が通じるんだから、自重して余計なことさえしなければ私はそれでいい! アンタの目的も気持ちもわかるけど、どうしてそうややこしくするのよ!」

溜まっていた胸の内をぶちまけると、五月二十美は目を点にして、呆然としていた。自分でも何を口走ったのか、何を言いたかったのかわからなくなって、凝視されると恥ずかしい……。

「ふ…くくく……」

「な…何がおかしい?」

「案外、つけ入るスキがあるのかと思って」

「はあ…?」

「単一性社会を作るって言ったでしょっ…」

 五月二十美が身体を起こすのに手を貸す。

「あれには一つ条件があるの。何だと思う?」

「さあ?」

「…愛が要る」

「………」

「おかしなことじゃないでしょう? 愛のない生活なんて文化的じゃないし、私は嫌。一緒に暮らし、まして子供を産んで育てていくのなら、愛し、愛されたい」

「そ、それはそうだろうけど……」

 いつの間にか触れ合わせてきた指先を徐々に絡めてくる。私は手先で拒むが、五月二十美は離さない。さっきまで肩からがガクガクと震えていたのに、まさかもう回復している!? 

「しょう子じゃないと駄目なの。本当は私、転校する前の日からしょう子のことを知っていた。ううん、しょう子がいるから転校してきた。アンチシステムが落ちてきたのを感知した私は経過を探るために拾った人物を追った。そして、あなたが現れた。一目でこれは運命なのだと感じた……大げさに言ってるんじゃないのよ? あなたが異文化探究システムを認知していることは、私にとって最大の僥倖なの。知っていれば、私が六十年以上生きていると言っても信じてくれる」

「六十年…!?」

「終戦時、私は占領軍の兵士と日本人の母との間に生まれた。父親を知らず、母親にも捨てられて死にかけていたところで偶然結晶核と融合した幼児が、私」

『なるほど。それで得た能力でテロメアを操作して、若さを維持しているわけか』

「そんな話を……私は、認めざるを得ないと…」

 そう答えると、五月二十美は少し寂しそうに笑った。

「普通の人間は私がどんなに説明しても信じてくれない。真実を知るのは時が過ぎてから……。得体の知れないモノへの恐怖、あるいは擦り減らない若さへの妬み……今までも何人かと付き合ってきたけれど、みんな私を怖れていなくなった。積み重ねた愛が一瞬で崩れ去る喪失感は、氷河に突き落とされるように冷たくて痛い…」

「だから私……?」

「だから、じゃない。条件が揃ったのは単なる偶然。でもそれが嬉しいのも確かよ。しょう子と暮らして、子供ができて、育てて、幸せに死ねるのなら、一緒に老いてもかまわない……!」

 抱きしめてくる五月二十美に抵抗しながら、考えてみる。これは……もうプロポーズの域なんじゃないだろうか。この数分で話したことが何一つ与太話でなければ、彼女は文字通りすべてを曝け出してきたわけだ。

だけど……

「………ごめん。そういうのはちょっと……重い、というか…」

 返答にぽかんと口を開ける五月二十美。今までで一番素の表情なのではないだろうか。しばらくして、彼女は一人苦笑した。

「ハハ…そりゃそうだ、まだキスも知らなかったんだから。ああもう、一人で舞い上がっちゃっただけなのね。それとも盾林くんがいないうちにって、焦ったのが裏目に出たか。ちょっと必至過ぎたのよね?」

「わからないけど、子供産んでってのは正直引くでしょ…」

「話の成り行き上だったんだけど、まあ……好きな人に嘘つきたくないしね」

「いや、だから…」

 はっきりと断りの返事を紡ごうとした唇を唇で強引に塞がれる。下唇を痛いほど強く吸って額を合わせてきた五月二十美の瞳は真剣で、挑戦的だった。

「や、止めて…!」

「あきらめない。しょう子は一生に一度の、たった一人しかいない人間なんだから」

「負けて手を引くんじゃなかったの!?」

「システムとして盾林くんと対決することからはね。私としてはそれで返り討ちにできれば万々歳だったけど、もういい。実力でしょう子をものにする。私にもチャンスはあるみたいだし」

「チャンス…?」

「しょう子も私のこと、まんざらでもないんでしょう?」

 顎の下を擽られながら甘い声で囁かれて、私は反応が遅れた。

「ななっ…何で!? どうしてそうなるわけ!?」

「最後のカウンターのとき、アンチシステムの装甲を解除するフリをしたのは、生身なら私が攻撃できないと思ったから。つまり私が本当はしょう子を傷つけるつもりがないと、大事にしていると、愛していると信じてくれたからなのよね?」

「ええ…?」

 ポジティブシンキングにも程がある。ボコボコにされていたあの状況下、そんな深いレベルで私が肯定的に考えられるはずもない。

「狙いとしてはそうだったけど……でもその気持ちを利用しただけで」

「それはそれ。私を理解してくれたのは本当に嬉しい。心臓が止まるかと思った」

「……心臓といえば、胸はどうなったの。肋骨が刺さってるって」

「大体は治った」

 大体って…本当にどうやって?

「確かめてみる?」

 五月二十美が私の右手を取って、なんと自らの左胸に押し当てる! 他人の胸に触ったことなんてない。驚くべき柔らかさに指先がうろたえる。

「やっ!? 何してんのよ!?」

「他人のって、案外不思議な感触でしょう?」

「バカじゃないの!? 離して!」

「私の結晶核は心臓と融合している。今なら―――私を仕留められる」

 五月二十美の言葉に私は凍る。左胸に、心臓に添えられた手。その手首に光るバース。

 汗が噴き出る…。今、波動衝を繰り出せば…………無理だ、そんなこと。そもそもバースの機能は使えない、し…

「…変なこと言わないで」

 震える声でそう言うのがやっとだった。

 五月二十美は微笑むと手を離し、私の頭を撫でた。

「フフ…まだいろいろ早過ぎたのね、しょう子には。じゃあ……三年後に改めて返事を聞くことにするわ。私の気持ちを知ってくれたから、今は……我慢する」

「……わかった」

 それから二人、校舎を降りた。いつもと同じ、1.5人分開いた距離で。こちらがこっそり様子を窺っても、彼女は私に目もくれなかった。

 そのまま校門にさしかかったところで、無言だった彼女が後から声をかけてきた。

「しょう子。好きよ」

「……私は好きじゃない」

「私は、好きよ…」

 想いを打ち明ける彼女の眼差しは、三年過ぎても忘れられそうもなかった。





「さ、上がって」

「ん…」

 広い2LDKにはシャレたものはなかった。テレビやパソコンなんかの家電製品は一通り揃っているが、カーテンやベッドなどの家具は何もかもが無地で華やかさがない。趣味らしいものはまるで存在せず、書物といえばリビングのミニテーブルに積み重なっているノートと教科書、あとは何種類もの週刊誌と新聞くらいだ。

 越してきたばかりというよりは、いつでも出ていけそうな感じだ……。

「で、なに?」

「いや、ね…?」

 立ったままもったいぶるような五月二十美に首を傾げたその時、どんと突き飛ばされた。ベッドにしりもちをつく私の上に妖しい瞳の彼女が跨ってきて、すぐに察した。

「さ、三年後の約束は!?」

「三年は気持ちの整理をするためにあげる時間。でもその間にしょう子に好きな相手ができて付き合うかもしれない。それ自体は仕方のないことだけど、私にはフェアじゃない。だって告白したのは私が先だもの」

「屁理屈でしょ、それは!」

「愛情はエゴよ。待つ間の不安を埋めるために既成事実が欲しいと思うのはおかしい?」

「既成…っ!?」

 彼女がシャツのボタンを一つ、二つと外していく。隙間から豊かな膨らみを覆う白いレースのブラが覗いて……

「うわっ…止めて、止めてよ! 私、こんな、女同士で、そんな趣味……性癖じゃない!!」

「男としたこともないくせに?」

 せせら笑う二十美が覆いかぶさってくる。触れそうで触れ合わないわずかな隙間が緊張を煽り、息が詰まる。

「身体の相性なんて食べ物の好みと同じ………慣れればよくなるものよ?」

「――――」

 吐息でくすぐりながら、信じられないセリフ―――。しかし一度として見せたことのなかった妖艶な笑みが、その言葉に真実味をもたせてしまう。隙を窺うように近づいてくる唇から逃れるように首を逸らす間に、彼女が艶かしい手つきで私のシャツのボタンも外していく…。

「…しょう子の身体って、結構エロい」

「え!? やっ…!」

 首筋に添えられていた手が肌をなぞりながらシャツの下に潜り込んでいく。はだけて剥き出しにされた鎖骨から彼女の侵略が始まって――――……



「…はっ…はっ…は……」

 真っ白だった。頭の中が真っ白で、何も浮かばない……。

 やがて聞こえてきた鳥の囀りで我にかえって、自分の右脇を振り返る。

 ………五月二十美はいない。

 続いてパジャマを脱ぎすてて己の身体を確認する……何も痕はない。

 時計をみれば五時五十五分。目覚ましが鳴る五分前で、間違いなく自分の部屋だ。

「はあぁ…」

 よかった、夢か…。目覚ましのセットを解除し、パチパチと頬を叩いて安堵する。

 あまりにも生々しい夢だった……。

「二十美と、あんな……う…」

 実体験のように明確に覚えすぎていて赤面する。ベッドの上で何度も何度も……まさに悪夢だ。

 昨日の五月二十美との出来事がインパクトありすぎたからだろうか? まさか自分が欲求不満だとは考えたくない……。

 …しかし変だ。夢は自分の記憶が創りだしている。武人が隠しているエロ本をこっそりチラ見したことはあるが、私に大して知識はない。まして、あんな……とか、あんなこととか、全く知らないことばかりだ。どうなっている? 無意識?

『ショウコ、夢身が悪かったようだが』

「え? うん…何、朝っぱらから」

 バースが朝一番に話しかけてくるのは珍しいことだった。

『たった今、サツキハツミから言伝を預かった』

 バースとは離れていても直接通信できるらしい。

「……なんて?」

『ショウコには自分のバイオセルを与えたから、昨日つけた痣はもう消えているだろう』

 痣と聞かされてドキリとした。夢で全身につけられたキスマーク……ではなく、バースのスキン越しに殴られた青アザだ。昨日は家族にばれない様に、もう夏が来ているというのに長そでで一日過ごしていた。

「治ってることは治ってる……けど、バイオセルって何?」

『バイオセルに関しては大まかなデータしか送られていないが、言うなれば有機ナノマシンだ。超人的パワー、再生能力、老化の操作や擬態スキンの生成は、すべてこのバイオセルによるものだ』

「ん……んん? いつそんなのもらったっけ…?」

『屋上で接吻した時が最も可能性が高い』

「は…!」

 キスされた、あの時に――!

『唇の接触から二十六秒後にサツキハツミが舌の挿入を開始し、それから二十一秒後にほぼ無抵抗になったショウコの口腔に唾液と混ぜておよそ七秒間―――』

「わかった、もうわかったから解説いい!」

 というか私、一分近くもしてたのか……そっちのが信じられない。

『バイオセルの生成時と起動時にはシステムとしての力を使うようだ。それで私は結晶核の反応を感知し、蓄電していたエネルギーを緊急放出した。しかし目的が不明だ。このバイオセルは体組織に吸収されない特性を持つ。ショウコの体内においても、おそらくはサツキハツミのコントロール下にあるはずだ』

「二十美が感知している? まさか発信機代わりとか…」

『サツキハツミの目的の一つはショウコの肉体だ。データ収集と健康維持だけが目的ならばいいが……』

「…が? 何かあるの?」

『受け取ったデータにはないが、神経系に働きかけて脳に干渉できるようだ』

「え…ちょっと待って、何それ…」

『意識を乗っ取るとまではいかないが、例えば都合のいいイメージを刷り込んだり――』

「イメー…あああ! 夢はアイツのせいか!」

 早朝なのに思わず叫んでしまった。すぐに声のボリュームを落とす。

『夢がどうかしたのか』

「……二十美に都合のいい夢をみた」

『理にかなう。推測は間違いなさそうだ』

「冗談じゃない…! バース、何とかして!」

『何をだ?』

「バイオセル! 体内から駆除して!」

『現状では至難の業だ。機械式のナノマシンなら電磁波の照射で機能を停止させる手段もあるが、有機体では簡単にはいかない。バイオセルの有機成分を専用の消化酵素で分解するなどの方法が考えられるが、それを開発するためには高度な化学技術と設備が必要だ。ACシステムで開発が可能かは試してみなければわからない』

「そうすると武人に説明しなきゃなんないじゃない! やってくれるわ、あの色情魔……!」

 直接言って止めさせて、その上で一発ビンタでも食らわせてやる―――頭の中がグラグラと二十美への怒りに染まる。小癪な微笑み顔が浮かんで消えず、それこそが狙いなのかもと気付いたのは、空手部の朝練が終わって教室に戻る渡り廊下の途中だった。まさかと思いつつも、余計に腹が煮えくり返って仕方がない。

 しかし―――

「えー、五月さんはご両親の急な都合で転校することになった」

 呆気にとられた……姿すら見せなかった。復帰早々で驚きまくっていた武人に何かあったのかと視線で尋ねられるが、こっちもそれどころじゃなく、曖昧に首を振るしかなかった。

 やっぱり私のせいか。次に会うなら三年後………。

 三年というのは長いのだろうか? 短いのだろうか? 二十美にしてみれば、あれだけ好きだ好きだと訴えておいて三年間もお預けって、果たして我慢できるものだろうか。あの夢が二十美の願望だとすれば、夢の中のセリフはそのまま彼女のメッセージだ。私が誰と付き合ってもいいと言ったのは、約束で束縛しないという彼女なりの譲歩? なら、夢の中で私を欲しがったのは譲れないわがままなのか。いや……ひょっとすると予告なのかもしれない。三年後にああしたいと……。

 あんな………口にするのも到底不可能な濃密な情事、三年経てばできるものなのか? とても想像できない……。

「…私って、エロいのかな…」

「え!?」

 部活の後片付けを終えて講堂を出たところでつい漏れ出た一言を、後輩の竹本に拾われた。何やってるんだ私……竹本は開いた口が塞がらないといった様子。

「その…私ってほら、女らしくないかなって、ねえ?」

 すぐに弁明したのだが、

「……先輩、彼氏さんに何か言われたんですか?」

「彼氏?」

「水曜日にいつも一緒に帰ってる……え、違ったんですか!? みんな言うから、てっきりそうだと……」

「ああ……あはは…?」

 武人か。言われ慣れているが、そう真剣に悩まれても困る。

「ま、確かにアイツに言われたようなもんだけどね……」

「そうなんですか? 先輩メチャクチャ女らしいと思いますけど……今だって」

「今? 何で?」

「だって男の人にそんなこと言われて悩むのって乙女の発想ですよ」

「乙女…」

「あっ、そんな、何て言うか……生意気言って、すみません」

「謝らなくていいって、私のほうから聞いたんだし!」

 とはいえ、忌憚のない意見は意外と衝撃的だった。他人から乙女と指摘されることのなんと気恥しいことか。実際そうなのかもだけど……。

「でもおかしいですね。彼シさ――…」

 竹本が慌てて口を塞ぐ。

「いいよ、通称彼氏で。で、何がおかしいって?」

「えっと…彼氏さんは先輩の可愛らしさっていうか、そういうのわかってるのだと思ってました。なんとなくですけど……」

 そうなのだろうか? 私自身が自覚していないのに? でも竹本はおろか、空手部の面々が皆そう感じていたというのなら、私一人が己を知らなかっただけなのかもしれない。もちろん自分で認めはしないが……

 と、メールが着た。

「……彼氏さんですか?」

 竹本は遠慮がちに聞いてくるが、その目は興味津津だ。そして実際に武人からの呼び出しメールだから間が悪い。

「ごめん、寄るとこできたから」

「あ、はい…。あの――」

「ん?」

「先輩、エロ…っていうか、スタイル抜群にいいです。頑張ってください!」

 ……何のフォローだろ。何を頑張るんだ。問い詰めたら長くなりそうで止めた。

 待ち合わせ場所はいつもの榊神社。先に下校して私服姿の武人は、遠目に見て何か考え込んでいるようだった。

「何、急に呼び出して」

「ああ……まあ座れよ」

 バッグを置いてベンチに腰掛けるが、武人はなかなか話を切り出さない。

「…何なのよ。道場あるから早くしてほしいんだけど」

「ん……五月さん、どうして転校したんだろうな」

 心臓が止まるかと思った。バース、何か喋ってないだろうな……。

「いや、知ってるわけないわな。あー、ホントはそんなことじゃなくて………」

「何…!?」

「俺はお前のこと………十分女らしいと思う」

「……ん?」

 コイツは照れながら、突然何の話!?

「え……ごめん、どう反応すればいいのかわからない…」

「反応すんな。ああそう、でいいんだよ! だからほら……この間お前、真剣に悩んでたみたいだからさ。なんか、あんな話の展開になるから俺も上手く答えられなかったし、フォロー…じゃない、ちゃんと俺の評価を伝えとかなきゃなんないと思って……それだけだよ」

 それを聞いて、ふと―――気持ちが動いた。

「その時の話だけど、告られたのは私なの」

「ああ」

「驚かないの?」

「言っただろ、お前は殴るけど、女らしいっつーか……だから告られることもあるだろ」

「…その人、私のことを本気で好きで、結婚してほしいって」

「はあ!? ぶっ飛んでるなソイツ……」

「でも嘘じゃない。本当にするつもりだと思う」

「おいおい大丈夫か? お前、変なのに引っ掛かってんじゃないだろうな? 学校の奴じゃないだろ、そんなこと言うのは!? 結構年上で……まさか教師じゃないよな!? いや、それとも道場の練習生か……ありうるな!」

 真剣に悩み始めてしまった。が、武人の予想なんてその程度だ。

「断ったけど、まだ早かったからまた三年後に返事を聞きたいって」

「早いのは当たり前だ! そんで諦めないのか! 変態っぽいな…!」

「フ…それは間違いじゃないかも。でも本心から私のこと好きだよ。私のために一生賭けてって言ったら、絶対そうしてくれる……そんな人」

 武人が息を呑むのが聞こえた気がした。

「…付き合ってもいいと思う?」

「お前のことだろ……聞くなよ」

「付き合ったら、もう武人とこうして会えない。疑われるようなことできないから」

 武人は返事しない。迷っているというよりは、そこまで考えが及んでいなかったのだと思う。だから私たちは周りにからかわれても平気だったんだ。

「あの人の私への執着はすごいよ。心も体も全部ほしいって」

「何だ、体もって。そんな気持ち悪いヤツいるかよ。その話、本当はウソだろ」

「三年待つけど、本当はすぐに私が欲しいって」

「やめろやめろ、そんなわけのわからん見栄張るのやめろって――!!」

「武人は……平気なの?」

「……何が言いたいんだお前」

「告られたとき………武人が気になった」

「…………」

 武人は大きく息を吐いて、手で目元を覆った。

「………告白すると、な」

 告白―――思わず身構える。

「いつだったか、お前が家に来た時……なんか俺、ちょっとムラムラしててな」

 ……え?

「なのにお前は襟元の緩い服着てて、隙間から谷間がチラチラ見えてるんだよ」

「ちょっ……何言ってんの!?」

「その時ふっと思ったんだ。コイツ、押し倒しても拒まねぇんじゃねぇのって」

「……!」

 武人は眼を隠したまま。私も顔を見るのを避けた。

「そりゃ一時の衝動だったよ。でも拒まないって考えた根拠は、長い付き合いだから、お前が俺に気を許してると思ったからだ。なんっつー傲慢な………最低だろ? 後になって、気の迷いでもそんな考えを持った自分に嫌気がさして、ひどく後悔した。だから惑わせるようなことを言うのはよせ」

「……ごめん」

 なぜ謝っているのかもいまいちわからないまま、気まずい時間が過ぎていく。手が汗ばむのは夏の日差しのせいだけじゃない……。

「……帰る」

 武人がふらりと腰を上げる。

「俺は余計なこと気にしないようにしてんだから、お前もあんまりややこしく考えるな。その………あーっ、帰る!」

 境内から去っていく武人。姿が見えなくなって、ようやく深呼吸した。

『…差し迫った会話のようだったが』

 さすがのバースも遠慮がちに話しかけてくる。

「なんか……追い込みすぎたかな。焦った……」

 武人の気持ちが知りたかった。恋人でなくとも、友達以上だ。武人と恋愛関係になるのが想像できないと言いつつ、武人以外は考えられないのも事実。特別に好意を持っている相手はやっぱり武人だけ。二十美とのことがあってようやくそのことに気付いたのだ。なのにまさか、こんな展開になるなんて………。

『結局はどういうことなのだろうか』

「何が?」

『タケトが自らの性衝動を抑制する理由だ。もちろん理性としての感情制御はあるだろうが、しかしタケトはショウコならばと考えたのだろう? なぜ自らを責める? ショウコを嫌悪しているということなのか?』

「それは……」

 …違う。たぶん、本能的な欲望が許せなかったんだ。自分のプライドが傷ついたのか、それとも、私に邪まな欲求をぶつけようとしたことに後悔したのか………いや、それはどうだろう。それなら私のことを………それなりに、大切に思ってのことになるのでは。もし私のことを鬱陶しいと感じているのなら、距離を置いてもいいはずだ。いくら物心ついたころから高校まで同じ環境にいるとはいっても、違うクラスになることは何度もあった。疎遠になる機会はいくらでもあったのだ。私が構ったから? それとも………いいや、自分に都合よく考えすぎだ。

 ただ、一つだけわかったことがある。

 ――――お前は女だろ、もっと自覚しろ。

 幾度となく言われたセリフ。それは武人のフェミニズムだと思ってたが、違った。今も「気にしないようにしている」のなら………武人は私に性的な欲望を抱きながら、ずっと我慢してきたことなるんじゃないだろうか。

「うわ……」

 熱くなる顔面を膝に抱えたバッグに埋めた。

 衝動と感情は別………いや、武人のことはいい。問題は私が武人をそういう対象として、男として見ていなかったということだ。もちろん私も開けっ広げだったつもりはない。男と女としてきちんと線引きして付き合ってきたつもりだ。だけどそれは所詮、自分なりでしかなかったんだ。

 重い……。

 ――――乙女の発想ですよ。

 竹本の言う通りだ。恋をファンタジックに、どこかで妄信していた。

 ――――しょう子にはまだ早過ぎたね。

 二十美のセリフが響いてくる。自分の性欲を明かした二十美が異常だったんじゃない。私が子供だっただけだ。

 望まなかったこととはいえ、二十美との経験で自分が少し大人になった気がして、武人より優位に立ったつもりでいた私……なんてバカなんだ。

『ショウコ? 気分が悪いのか?』

「……頭が悪い」

『ふむ? 異常は認められないが』

 明日から、また武人と普通に話せるだろうか。いや、武人は普通に接しようとしてくれるだろう。問題は私か。しかしどれだけ避けても、異文化探究システムが現れれば嫌でも武人と話さなければならないわけで……

 ………ん?

「…バース」

『何だショウコ。結論は出たのか?』

「アンタ、武人とも同じようなこと話してるんじゃないでしょうね?」

『…………』

「ああぁー…!」

 もう一度突っ伏する。沈黙は肯定だ。

青春の苦さを味わった夏の日だった――――。






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