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White Hero  作者: 夢見無終(ムッシュ)
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第三話 肉薄するエモーション ―A part―

 昨日は本当に忙しい一日だった。部活上がって家に帰り着くなり、例の鳥が出たといって武人に呼び出された挙げ句、その武人を病院に連れて行った。

 いや、連れて行ったというのは正しくない。病院前でプロテクトスキンを解除して倒れた武人を抱え、助けを呼びに駆け込んだ。最初は熱中症かと思っていた医師たちは、みるみる衰弱していく武人にあたふたしたが、何とか大事に至らずに済んだのだ。

 しかし、その後が厄介だった。

「どうしてこんなことになったんだね!?」

 当然の質問に、

「さあ……歩いていたら、突然倒れたんです」

 無理があったが、そう言い張るしかなかった。しかし医師に対してはそれでもよかったが、自分の親や武人のご両親に説明する時がどうにも辛い。それまで何をしていたとか、本当は何があったんだとかしつこく問いただされたが、持ち歩いていたカメラの映像から「メジロ」の現場にいたことがバレ、それが逆に都合よく事態を導いた。メジロはもちろんのこと、「タワー」の怪音波発信など、原因不明のことが連発した場所だから、武人もそれに関係があるのではないかと勝手に結論付けられたのだ。ある意味それは嘘ではないから、もう自分から口出ししなかった。とにかく武人は入院しなければならないし、ホワイトヒーローであると明かすこともできなかったのだから。



 

「――でさ、ホントはどうなのホントは、牧原」

「………」

 武人が入院した翌日、三時間目後の休み時間。武人がいなくてヒマなのか、小島康祐が絡んできた。

「ん? どうしてそんなにブスっとしてるわけ?」

「別に」

 答えつつわざとらしくため息を吐いたが、小島はこちらが鬱陶しいと思っていることに勘づきもしない。いや、わかって退かないつもりか…。そして教室の面々もどことなく聞き耳を立てているのは、やっぱり一緒にいて事情を知っているであろう私の言葉が気になるらしい。

「どうもこうもない、武人が勝手に倒れた。それだけ」

「いやぁそうは言うけどさ……学校帰ってから、一~二時間くらい二人きりの時間があったわけじゃん?」

 朝の段階では武人が入院したとしか担任は説明しなかったが、小島はどこかから情報を仕入れてきたらしい。いや、ただの勘かもしれないけど。

「……何が言いたいの?」

「だから……たとえばデート中に激しく体力を消耗するようなことがあったとか――ぐふぉっ!??」

 踏み込みつつ、腹に刺さるような正拳突きを食らわせてやった。

「ごめん、本気でやった」

 ――気持ちの上では。一応は軽く当てただけのつもりだったが、運悪く鳩尾に直撃したらしい。

「じょ、じょーくだろ……ううっ…」

 悶絶して丸くなる小島。と、五月さんがまあまあと仲裁に入ってきた。

「ダメよ牧原さん、腹立ててもグーで殴っちゃ」

 そして蹲っている小島に近づく。

「小島君も、今のはちょっとないかな。女の子敵に回しちゃうよ?」

「……わるかっ、た…」

「はい、じゃあこの話はなし。盾林くんのことは牧原さんだって心配してるに決まってるんだから、突っ込んで聞くものじゃないでしょう」

 小島に話しかけるようで、教室中に聞こえるように話す五月さん。この一言で、私への追及は一応止んだのだった。




 放課後。部活を終えて帰ろうと校舎から出ると、五月さんと鉢合わせた。

「牧原さん、帰るんでしょ?」

「そうだけど……」

 彼女は今まで残っていたのだろうか。部活には入っていないと聞いていたけど。

「じゃあ一緒に帰らない? いいでしょ?」

「いいけど……」

「フフ……『けど』ばっかり」

「えっと……別に嫌とかじゃないんだけど―――」

「『けど』? わかってる。方向同じなのかってことよね」

「………」

 二人きりで校門を出るが、正直、何を話していいかよくわからなかった。彼女が転校してきて一カ月経つが、ほとんど話をしていない……。

「牧原さんとまともに話するの、もしかしたら初めてかもね」

 胸の内を読まれたのかと思って、すぐに返事できなかった。

「牧原さん、朝と夕方は部活で、休み時間も何か寝むそうだし」

「体力的に、ちょっと持たないから」

「帰ってから家で合気道やってるって聞いた。がんばりすぎじゃない? 遊びにもいけないでしょ」

「いつもってわけじゃないから、平気」

「ふうん……」

 会話が途切れる。こんなもんだろう。彼女はすぐにクラスに打ち解けた人気者、片や自分は部活に道場に明け暮れる体育会系。人づきあいは普通だと自分では思っているが、一般女子ほど女の子らしいことはしていない。そう考えれば「女の子代表」みたいなオーラ全開の五月二十美とは住んでいる世界が違うのかもしれない。

……そのことが自分の中で、どこか複雑なしこりのように引っ掛かってもいる。しかし、はっきりした理由は出てこない。

「お見舞い、行くの?」

「え?」

「盾林くんの」

「ああ…。一応私も倒れた時に側にいたし……それと関係なくとも、武人の家とは昔から家族ぐるみの付き合いだから。見舞いというか、使い走りにされるかな」

「……案外、心配そうじゃないのね」

「へっ? いや、そんなことは……」

 と言いかけて、じゃあ否定してどうするんだと思い返して結局濁した。こういうときの切り返しが下手でいつも武人にバカにされる。刷り込まれた拒否反応が出て、強引に話題を変えた。

「あの…昼間はありがと。ちょっと本気で小島を殴っちゃったから、内心焦ってて……」

「フ…自分で堂々と『本気でやった』って言ってたのに」

「あれは言葉のアヤで………あのときクラスのみんなに向かって言ってくれたから、助かった」

「病人のことを面白半分で聞くのはどうかと思うしね。それに………牧原さんが盾林くんのこと話すの、聞きたくなかったから」

「え…?」

 それって、どういう―――

「じゃあね牧原さん、また明日」

 何も言えないまま、でも彼女は視線に何かを含ませて、別れる。最後に言い放ったセリフがチクリと胸に刺さって、消えなかった。




 それから、少しだけ五月さんと話す機会が増えた。話すといっても皆の輪の中で混ざってのことで、武人と会話しない分だと思えば不自然でもなんでもなかった。しかしあの帰り道のことが、どことなく気になる……。

 その週末の日曜日、部活の休憩時間に後輩と買い出しに出たしょう子の前に、私服姿の五月さんが現れた。少し大人っぽい服を十二分に着こなしている。しかしそれでいて派手でなく、いつも通り柔らかい物腰だった。ぱっと見た感じ、大学生でも通用しそうだ。

 会釈されても、すぐに応答できなかった。後輩の竹本がどうしたらいいのかと私に無言で伺ってくる。

「あ…すぐ戻るから、先行ってて」

「はい」

 通り過ぎざまにぺこりと頭を下げる竹本は、ひょっとしたら五月さんを私の同級生だと思っていないのかもしれない。この雰囲気なら、それも不思議じゃない。

「部活中?」

「休憩時間。ポカリ買いに」

「ふうん。そういえば、明日盾林くんが退院するんだってね」

「え!?」

 そんなこと聞いていない……。

「お見舞いに行ってないの?」

「別に、行かなきゃいけない理由もないし……」

「そう? ちょっと意外。毎日通ってるのかと思ってた」

「私たちはそんな関係じゃないから」

 あれ? どうして武人みたいなことを言ってるんだ? 見舞いに行くなら一体どういう関係だっていうんだ? 

何をイラついているんだ、私………。

「部活がんばってね。熱中症には気をつけて」

 颯爽と去っていく五月二十美。ふと、Tシャツに道着姿の自分に無性に腹が立った。




 五月さんの予告通り、武人は翌日に退院した。が、学校には来なかった。退院祝いも兼ねて様子を見てこいと親に言われ、盾林家に見舞いに行くと、武人は布団に包まってまったりくつろいでいた。半ば呆れつつも、どう声をかけたものかと部屋の入口で立ちつくしていたら、ミノムシ武人がごろりと寝返った。

「いやあ、三日間くらいはマジで死ぬかと思ったけどさ、食べ物口にしてからすぐに体調戻ったわ。考えてみりゃ、単純に過労だもんな。食って寝て点滴受ければそんなもんか」

「あっそ…」

 スキンを脱ぐ直前のビビりっぷりを忘れたようにのほほんと話す武人。少しイラッとしたが、それも一応は名誉の負傷のようなものだ。文句も言いにくい。

「学校は? いつから登校するの?」

「それがさ、もう少し自宅で様子見ろって。原因不明だからまたいつ同じ症状が出るかわからないってさ。そんなこと有り得ないんだけどなあ」

「……そうとも言えないんじゃない? またあのシステムを使えば―――」

「…ん?」

 …今、誤魔化した。伊達に幼馴染じゃない、すぐにわかる。

「アンタ、いざというときはまたやるつもり!?」

「どういう時だよ。あれは確かに反則技だけど、考えてみれば無敵ってわけじゃないぞ。どれだけ相手を捉えてもコアに届かなきゃ意味がない。この前は偶然擬態されたのが鳥だったけど、軽トラみたいなのは同じようにはいかないし。制限時間からして外の装甲は事前にひっぺ返さなきゃなんないだろ、でもそれができる相手ならそもそも使う必要はないわけで―――」

「そんなうんちくはどうでもいい」

「うんちくじゃなくて、段取りで…」

「理屈とか関係なくアンタは使うわ。子供のときからそういう性格だし」

 睨むと武人は言葉を詰まらせる。しかしすぐに肩を竦めて見せた。

「何を神経質になってんだよ。つーかガキの頃と一緒にするな! ほら、さっさとバースを返せ」

 バースことブレスレットは、今は私が持っている。病院で無理やり外されそうになったのを預かって、そのままだった。

「今は必要ないでしょ、療養中なんだから」

「大丈夫だって言ってんだろ。それこそ、いざって時がきたらどうする!?」

「出るな。いなくなったりしたらまたややこしくなるじゃない」

「そんなの、後でどうにでもなるだろ」

「また私にどうにかさせる気!?」

 口にして、今のはまずかったとすぐに後悔した。武人だってやりたくてやってるわけじゃ……いや、そうじゃなくて、私自身は協力するのが面倒なわけじゃない。ただ、武人がほっとけないだけで、それなのに今のは……

「…返せよ、バース。二つとも」

 二つ。子機もろとも。私の助けはもういいと言っている。

「なんでよ…」

 確かに文句を言った。でもそんなにあっさり私を手放せるの? 私の力なんて必要ない? 私が女だから? そういうのが、私は嫌なのに……!

「……渡さない。アンタが無茶したら、どうせ私が尻拭いさせられるんだから」

「知らんふりすりゃいいだろ!」

「…ああもう! 黙れバカ!!」

 転がる武人を思い切り踏みつける。

「いったっ……止めろお前、一応病み上がりだぞ!? それに……見えるしっ…!」

「はあっ!? あ……っ!!」

 制服で、スカートだった!! 慌てて裾を押えてその場に座り込む。何をやっているんだ私は…!

 お互いに気まずくなって重い空気が漂う中、前触れなく部屋のコンポの電源が勝手に入った。

『私としては、タケトの体調を測るためにも一度返却してほしいのだが』

 バース……ラジオを利用したのか。意外に器用な真似をするくせに、やっぱり空気を読まない……。

「しょう子……とにかく一旦返してくれよ。お前が持ってても仕方ないだろ。それにバースとこの前の戦いの反省会とか、今後の課題点についても話したいしさ」

『まだ身体が回復しきっていないというのに次の戦いのことを考えているのか! そこまで協力的になってくれるとは、感謝の念に堪えない…!』

「単にヒマだから話し相手が欲しいだけでしょ…」

「…あん?」

 また誤魔化した。今度は確信犯だ。

 少し考え、私は右手に着けていた二つのリングの内の一つを武人に放り投げた。

「サンキュ…ってこっちは子機だろ」

「話だけならそれで十分でしょ」

『親機と子機の違いは大まかにプロテクトスキン装着機能だけだ。二人の要望を合わせれば、間をとって子機ということで落ち着く』

「何言ってるんだバース、緊急時に俺が出られねぇだろって!」

「緊急時でも出るなって言ってんの、私は!」

 睨みあうと、またバースの音声が割って入ってくる。

『前回は二体の消去に成功している。残存する異文化探究システムはおそらく数えるほどだろう。このタイミングで覚醒する可能性は極めて低い。今しばらくは平穏だと予測する』

「オーバーテクノロジーの申し子にしてはお粗末なほど楽観的だなバース……そういうときほど出るもんだって、前にも話しただろ!?」

『君の方こそ勘違いしているのではないか、タケト。私たち個人装備型驚異排除武装システムは、現地民を守るのが第一目的だ。その一人である装着者が犠牲になることを想定していない。したがって、現地民に不安要素があるというのなら私は自身の使用を推奨しない』

「何…!? お前、さっきは協力的でありがたいって言ったじゃねぇの!」

『その通りだ。しかしショウコにも一部システムを提供している以上、二人の意見が一致しないならば無理強いすることはできない』

「くっ、屁理屈を…!」

 武人は歯ぎしりして、やがてあきらめたのか子機を右腕にはめた。

「わかったよ……どうせ数日のことだ。それにバースは何だかしょう子の味方だし、しょう子はしょう子で俺を踏むし」

「…忘れなさいよ」

「自分で蹴っといて忘れろって、どんなタチの悪いチンピラなんだよ」

「それは謝るから! 見たんでしょ、スカートの中…」

 口に出して、舌打ちした。つい気になって言ってしまったが、ヤブヘビだったか…?

「んなの……覚えてるわけねぇだろ」

 バースの子機を腕に通しながらぷいと顔を背ける武人だが、

『体調はいいようだ。すっかり元気だな、タケト』

「このタイミングで妙な発言すんなバース! い、いや誓って言うが、何だ、その…そんなアレはあるはずもないぞ!?」

「………」

 …ナニを弁明しようとしているのかわからないが、とにかく屈辱的なものを感じたので一発引っ叩こうとして―――唐突に、五月さんの顔が浮かんだ。

 私でなく、彼女なら? 武人はどう反応したのだろうか。

 ……なぜそんなことを考えているんだ、私……。

「しょう子?」

「……変っ態!」

 身構えていた武人に転がっていたクッションを叩きつけて、私は逃げるように帰った。




 次の日も武人は休み。明日まで休んで、明後日は創立記念日で休校だから、ほぼ一週間ごろ寝ということになる。授業も大分間が開いてしまっている。今日はノートを持って行ってやるか……。学校からの帰り道にそんなことを考えていると、彼女に出くわした。

「もしかして、と思っていたけど、本当に会っちゃったわ」

 五月二十美は微笑んでそんなふうに言う。どういうことかと首を捻りかけたところで、この間一緒に帰ったときに別れた場所だと気づく。時間もちょうどそのくらいだ。制服姿だが、手に袋をさげているとこからして、買い物でもしていたらしい。

「…ちょうどよかったのかもしれないわね。少し、付き合ってくれない?」

「私、今日は家の道場あるから――……」

 そこで言葉を飲み込んでしまった。彼女に睨まれ……いや、見詰められただけだ。怒っても笑ってもいない。ただその眼差しがあまりに強くて、私は気圧されるように口を噤んでしまっていた。

「…大事な話。いい?」

 真っ直ぐな瞳にドキッとして……胸の奥がズキリと痛む。その痛みの理由は、もう何となくわかっている。

 連れられたのは、なんと榊神社だった。さすがに境内裏まではいかないが、それでもこの場所に武人以外の人間と入るのは、何年ぶりかわからないほど久しぶりだ。

「この前見つけたんだけど、ここって静かでいい場所よね。…って言っても、昔から住んでいる牧原さんなら知っていることか」

 返す言葉も見つからずに黙っていると、五月さんの声が硬くなった。

「盾林くんと付き合ってるんでしょう?」

「――――」

 それが大事な話? やっぱり、それが……

「……そういう関係じゃない」

「それは盾林くんのセリフ。口裏合わせてるの? みんなには内緒だとか」

「だから、そういうのじゃ…」

「じゃあ、あなたはどうなの? 牧原さんにはそんな気持ちはないの?」

「………」

「盾林くんには好意的よね? こまめにアプローチしてるように見えるけど、あれは違うの? それとも無意識?」

「知らない…!」

「幼馴染以上の関係じゃない? あれだけくっついていて?」

「違うって言ってるでしょっ!!」

 どうして大声で否定するのか。何を焦っているのか。本当は気づいている。

 五月二十美は小さく息を吐き、私に問う。

「なら……私が気持ちを打ち明けても、問題ないわけね?」

 ああ―――はっきりとわかってしまった。私はこの人に武人を取られるのが嫌なんだ。

 武人とは幼馴染。それ以上のことなど今までなかった。想像しようとしたこともある、でもまるで浮かばなかった。好意はある、好きなのだと、思う……でも、恋愛感情じゃない。限りなく近いのかもしれないけど、まだそうじゃない。ならどうしてこんなに嫉妬するのか? それは多分、私に独占欲があるからだ。武人とは気兼ねなく互いの家に行き来できる関係だが、もし彼女ができれば、その特権がなくなってしまう。いや、特権とかじゃなくて……特権を得るまでに積み重ねた時間を丸ごと奪われるのが、想像を超える苦痛なのだ。

 そして五月二十美なら、私と武人の間に易々と滑り込んでしまうだろう。真正面から、正攻法で、至極自然に。私のみっともないこだわりなんてすぐに無価値になる――そう私も認めてしまっている。付き合いの年月なんかで覆るはずもないくらい、彼女は綺麗で、聡明で、何より女らしい……。

 勝てるはずなんて、ない。

 しかし目の前が真っ暗になったその時―――思いがけないことが起こった。

 いつの間にか近づいてきた五月二十美。頭の中がぐちゃぐちゃになっていた私の右手を取って……口づけた。

「は……?」

 何をしている? どうして私の手に……?

 目が合う。さっきと同じ真剣な瞳が、私を―――……。

「あ…!?」

 触れていただけの彼女の唇が指を吸ったのがわかった。私は慌てて振り払う。

 まさか……まさか………!?

 五月二十美は何も言わない。いや―――

「また、明日……ね」

 変わらない真っ直ぐな瞳で、彼女は去って行った。




 武人の家には行かなかった。道場にも出なかった。帰ってからベッドに身を投げ出して、そのままだった。

 頭は冷静になってきた。でもそれに反比例して胸の内は落ち着かない。

 事あるごとに意味ありげなセリフを残してきた五月二十美。でも武人が好きだとは今まで一度も言っていない。私の勝手な勘違いだったということなのか…。

それなら、あの口づけの意味は?

 彼女の視線の先にいるのは……

「いや、まさか…」

 ありえない…。まさか彼女の意中の人間が………そんなはずないだろう。

 でもあの目は本気だった。二人きりであんなことして、冗談で済むだろうか。彼女が本気なら、私はどうすればいい?

 五月二十美を思い浮かべる。そういえば、あの表情は初めて見た。学校では見せない、私だけが知っている顔……。

 しばし物思いに耽り、大きく息を吸おうとして―――はっとした。無意識のうちに右手を口元に当てていた。彼女が口づけた指を、自分の唇に……!

「やっ…!」

 右手を放す。同時にどっと汗をかく。

 前に武人に言われたことがある、考えるときにする私の癖だ。でもこれじゃまるで、私が彼女のことを思い出しながら間接キスしているみたいで……

 もしかして、彼女は知っていたのだろうか? 私の癖を。それで私の手に…? そうだとしたら、彼女は転校してからずっと私を見ていたのか? そんな……でも私の手に………あ。

「……バース?」

『何だろうか』

 答える右腕に絶句した。そうだ、コイツ、ずっと見て……!

「たっ…武人には何も言っていないわよね!?」

『どれを指しているのかわからないが、プライベートなことに口出しはしない。私の使用目的外だ』

「………ならいいけど」

 また冷や汗をかいた。本当に、バカな私……。




 翌日―――水曜日の放課後。部活が終わって逃げるように校舎から出た私の前に、彼女は現れた。

 夕方、放課後、校舎前―――。デジャブじゃない、まるっきり先週と同じ光景。

 もう確実だ。五月二十美は水曜日に私と武人が待ち合わせて帰っているのを知っている。だから今日、このタイミングなら私が一人だとわかっていたんだ。

「…………」

 向き合っても言葉はない。昨日のことが気まずくて、今日は彼女を避けていた。だけどはっきりさせなきゃいけないだろう。このまま無視し続けるわけにもいかない……。

 私は自分から彼女を連れだした。下校時刻前、食堂付近には人気がない。さらに食堂の裏に回れば、おそらく誰にも聞かれない。日当たりのいい場所ではないけれど、影が姿を隠してくれて都合がよかった。

 私はしばらく口籠っていたが、決心して切り出す。

「あの……昨日のことなんだけども……」

 彼女は何も言わない。私をじっと見詰めるだけだ。

「昨日のアレの意味は、その………私ってこと? 武人じゃなくて、私のことが……」

「…そう。あなたのことが、好き」

 息を呑む。真正面から告白されたのは初めてだ。しかも相手は女……どうすればいい!? 

 いや、わかっている。返事だ。返事をしないと!

 …何て? 何て言えばいい?

「えっと、その……私、女なんだけど…」

「私もよ」

「五月さんは……そういう趣味なの?」

「…趣味とかじゃない」

 固い口調で返してきた彼女が迫って―――唇を奪われた。私が驚く間もなく重なった唇は、生々しい彼女の余韻を残してそっと離れる。

 一瞬……数秒? わからない。魂を奪われていたみたいだった。

「本気なの」

 囁く彼女の吐息が唇の隙間に入ってくる。間近に迫る彼女の瞳はあまりに深く、吸い込まれそうだ。背中を撫でられるような、ぞくりとする感触。息苦しくて、熱い……。

「明日の昼の二時、学校で待ってる。そのときに返事を聞かせて…」

「…………」

 五月二十美はいつの間にか消えていた。私は一人、魔法をかけられたように立ち尽くしていた。




 武人は今日も部屋で寝転がってテレビを見ていた。しかも―――

「ここでこのアクションだよ。アツいだろ?」

『こういうのが現地ではウケがいいのか。参考になる。しかし、なぜ敵方は一体ずつヒーローにぶつけてくるのだ? 一個体当りの性能はともかく、組織とヒーローの彼我の戦力差は絶対的だろう。物量戦に持ち込めばヒーローは苦戦必至だというのに、あまりに非効率的だ。壮大な目的の割にこの戦略では、悪の組織の首領は部下から支持されないのではないか?』

「わかっていないなバース。一対一で挑むのは怪人にとってもプライドなんだよ! 矜持! ロマンなんだよ!」

『そこまで信念を持っているようには見えないが。どちらかといえば何も考えず、衝動的に破壊活動を行っているようにしか』

「違うんだよバース! それこそ悪が悪らしい要素であって………つーか番組的なルールだよ! お約束なんだよ! 察しろよ!」

 バースと特撮ヒーローのビデオを見ている……。

「しょう子? どうして立ち尽くしてんだよ? また困ったことになるぞ……って今日はジーパンか」

 忘れろと言ったのにしっかりからかってくるが、反応できる状態じゃない。

「何やってんの…?」

「研究」

『現地の文化に倣い、ヒーローとしての在り方を学んでいる。これで我々も正義の味方だ』

なるか! まったくいつまでも、子供みたいに……!

「消して」

「なんで?」

「いいから!」

「はあ? ったく…」

 テレビを消しつつやれやれと起き上った武人は、ポンと座布団を放り投げた。

「ほら、座れよ」

「え?」

「何か話があるんだろ?」

「………まあ…」

 なんだかんだで、見透かしているのはいつも武人の方だ。毒気を抜かれていざ目の前に座ると、途端に話が切り出しにくくなった。

「? 何だよ?」

「えと、あ……ほら、授業のノート。大分遅れてるんでしょ」

「ああ、助かる。一応は自分で進めてみたけど、家だとやっぱやる気でなくてさ。あー、結構進んでるな…」

「で…あのっ、相談が、あるんだけど……」

「ふん?」

「告られたこと………ある?」

 武人がノートをめくる手を止め、凝視してくる。何だか自分が告白したような錯覚に陥って、思わず目を逸らす。

「告られたって……誰に?」

「だ、誰って……私の話をしてるんじゃないでしょ!? 武人がどうかって聞いてんの!」

「俺? …ねーよ、どんな神の仕打ちか知らんが。わかりきったこと聞くな」

「あ、うん…」

 少しほっとした…。

「で? いい人止まりでモテない俺に何のお悩み相談?」

「むくれないでよ。それで、その……告白されたら、どうしたらいいと思う? やっぱり断った方がいい?」

「は? 意味わかんねぇ。それってもう半分断るつもりなんじゃねぇの? 好きじゃないんだろ?」

「好きじゃないけど嫌いでもないっていうか……なんていうか、思いがけない相手だったから戸惑ってるのよ。相手は、かなり本気みたいだし……」

「ふうん……。今日告られたのか?」

「今日というか、昨日というか………いやだから私のことじゃないってば!」

「一言もそんなこと言ってないだろ」

 しかしもうバレバレ……本当に私は嘘が下手だ。

「なるほど、自分には好意がないけど相手は自分のことが好きで、特に断る理由もないと」

「理由がないことはないけど、向こうは納得しないだろうし……」

「結局、付き合いたいのか? 付き合いたくないの?」

「だから付き合うとか考えたことない相手なんだってば!」

「じゃあ考えてみればいいんじゃないか? デートして、まあその先イロイロ……その相手とできるかどうか」

 デートして……キスとか? その先……や、わかんないってそんなの! でも、キスはもう実際に……

「…お前、妄想力全開だな。耳まで真っ赤だぞ」

「はっ!? な、何言ってんのよ!?」

「そもそも自分のことじゃないのに何を想像してるんだよ」

「~~~っ」

 苦し紛れに裏拳を放ったが避けられた。照れ隠しにしても情けない…。

「とにかくアレだな、微妙な状況なんだな。うーん、そうだな……人によるよな、そういうのは。自分にその気がないから断るってのもあるし、とりあえず試しに付き合うって人もいるし」

「試しに? そんな中途半端な気持ちじゃ相手に失礼じゃない?」

「そうとも言えないだろ。相手のことを知ろうっていう気持ちの現れとも言えるし、相手にしてみればのっけから断られるよりチャンスがある。結果的に正解だったってこともあるだろう」

「…そっか」

 一理ある。

「経験ないのに、どうしてそんなふうに答えが出せるの?」

「ハッ、人畜無害な男を舐めんなよ。他人の相談だけは結構受けてるんだぜ? あくまで近くに康祐がいないときにな……。お前の方こそ、女子の間でそういう話するだろ?」

「する、かもしれないけど………真剣に話を聞いてたことなかった…」

 武人にしか話せなかったし、武人しか話す相手がいなかったのも事実。女友達は割といるつもりだが、果たして女子としての付き合いがあるかというと、今は疑問に思えてくる。五月二十美を見ているとよくわかる……。

「武人は……五月さんのこと、どう思う…?」

「おう? え…ちょっと待て、待てよ、もしかして……」

 まずい、口が滑った! 相手が五月二十美だと気付かれた…!?

「もしかして…………五月さん、俺のことを?」

「…………」

 ガッカリした。そして腹が立った。

「全っ然ッ違う!」

「な、なんだよ。そんなに全力で否定しなくてもいいだろ。言ってみただけなのに……」

 ヘコむ武人。案外、その気があったのか?

「何だよ、告られたのは五月さんか? それとも誰かに告ったのか? まあ五月さんは美人だし、物腰穏やか丁寧だし、賢いし……あー、ちょっとシニカルなとこあるよな。でも冗談がわかるって感じで俺は好きだけど」

 好き…か。もし彼女が好きなのが武人だったら、武人は付き合っていたのだろうか。しかし実際の対象は私であって……いや、でも―――

「わ……私は、どう…思う…?」

「………は?」

 武人が目を丸くする。それはそうだ、このタイミングで……私は何を言いたい? 何を聞きたい? 武人の口から……。

「え? えっと、何? お前、張り合ってんの?」

 面白がる武人。カーッと顔が燃えるのが自分でもわかった。

「いいから! さっさと言いなさいよ!」

 脇のテーブルを叩くと武人に失笑された。

「言えって言うなら、まあ……。マジに言っていいの? 覚悟しろよ? 怒るなよ?」

「…怒らない」

「じゃあ言うぞ。暴力女」

「――――」

 言い返せない。今テーブルの上に乗っている拳は否定のしようもない。

「…他には」

「イマイチ要領悪いし、ときどきドジ踏むし、まれにスゲェことするし―――」

 過去を振り返ってみる。あった。幾度となくあった。指摘通りの事実が…。

「おい? まさか泣かないだろうな…?」

「な、なんでよ…。他は」

「ちょっと無愛想なところはあるかもな。俺は馴れてるからあんまり感じないんだけど……でも周りから頼られてるみたいだし、そこは高評価じゃねぇの? 面倒見はいいよな。他は……あー、絶対、絶対にキレるなよ? 暴れるなよ?」

「何…」

「…エロい」

「エロっ……!?」

 感情が沸騰するのを通り越して、逆に冷めた。

「何よエロいって。どういう意味!?」

「や、何っつーか……あくまで大勢の意見として? スタイルいいなーってそういう話であって。別にお前が猥褻だとか、そういう邪まな含みはないんだぞ? 男側からは隠れた最大評価というか……」

「そんな目で見てたの!? 信じらんない!!」

「だから屈折した意味はないんだって。体型いいって、持って生まれた才能みたいなもんじゃん」

「だとしても、よりによって…! 可愛いとか、そういうのもあるでしょ!?」

「えー? お前さあ、可愛いとか子供扱いされて嬉しいか? あー、確かに可愛いよ、カワイイ。これでいいか?」

「なんかムカつく!」

「あとは、まあ………個人的なことだけど、結構世話になってるかな、と……」

「……………」

 そういうことを言われると怒れない。そしてイライラする。私の求めている答えじゃない…。

「…武人も私のこと、エロいって思ったことあるの?」

「は、はぁ!? 何言ってんのお前…!?」

「子供扱いされて嬉しいのかってさっきのセリフ……私のこと、女として見てるから言ったんでしょ?」

「いや、それは……そうだよ。だからいつも言ってるだろ、もっと自覚しろって。世間的には俺達、もうそれなりに男と女なんだから」

「そういうことじゃなくて…!」

 そうじゃない、違う。違うけど、何て言ってほしい?

「私って……女らしくない?」

「えっ!? だ、だから…………俺が男らしいと思えるくらいには、なあ…?」

………なんだそれ。

 


 帰り道でため息吐くと、バースが話しかけてきた。

『いいのか? 満足に相談できなかったのではないか?』

「…プライベートに干渉しないんじゃなかったの?」

『その通りだ。しかし悩みがあるままでは異文化探究システムが現れた時にタケトと連携が取れないのではないか? 私は現地の文化や習慣に疎く、上手く相談にはのれないが、協力はするぞ』

「あっそ…。ありがたいけどいいわ。武人にどうにかしてもらおうって気はなかったから」

『ショウコはときどきそういったタケトを突っぱねる様子を見せるが、何か理由があるのか?』

 そんなあからさまな態度をとったつもりはないが、よく見ているな…。

「……小学生の時だけどね、私は物心ついたときから合気道やってて、苛められてる子から頼られてよく男の子とケンカしてた。でもあるとき大ごとになって、上級生の男子が集団で出張ってきて。さすがにどうにもならなかったんだけど、そのとき武人が割って入ったのよ。私が女だからって代わりに一人で立ち向かっていってさ……しかも善戦したし。妙に反射神経いいっていうか、勘がいいとこあるから」

『なるほど、確かに今日もショウコの不意打ちを避けている』

「そんなことがあってからいよいよウチのお祖父ちゃんが気に入っちゃって、家族単位ですごく仲良くなって、それ自体はよかったんだけど、でも実のところ、武人は精神的に参ってたんだって」

『何かあったのか』

「元々人を殴れない性格なのよ。やられたことより傷つけたことのほうがショックだったみたい」

 よく覚えている。上級生と大ゲンカした後、一カ月近く武人は喋らなかった。あの頃はわからなかったが、おそらく人を殴った恐怖にずっと苛まれていたのだろうと思う。

『『メジロ』のときに躊躇したのは、そんな精神的な一因があったからか』

「それで三秒超えたの!? …それもらしいっちゃらしいか。一度私を助けて、周りに期待されてしまって、だから私に危害が及ぶようなことがあれば率先して前に出る。そのくせ一人でどっか傷ついてんのよ。私はそういうのは嫌……いつまで経っても負い目を感じるのは。それじゃ対等の関係にはなれない。でも武人にとっては、私はいつまでも庇う対象なのよ」

『それで学校では空手を、家では合気道を習い、鍛えているのか。タケトに頼らなくてもいいように』

「そういうことじゃないのは気付いてるんだけどね。でも私が強かったら、少なくとも殴り合いの場面で出張らせなくて済むから」

『……私は悪いことをしてしまったようだ。そんなタケトを巻き込んでしまった』

「いいのよ、もう。関わっちゃったものはしょうがないし、アイツもわかってるんでしょ」

 ―――わかっていないのは、私の気持ちだけだ。






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