第二話 バード・ストライク ―B part―
そして訪れた火曜日、午後六時二分。四度目の勝負の時。
これまでで一番鳥の数が多いかもしれない。もはや夏色の眩しい日差しを遮るように、鳥の群れが飛ぶ。そしてその下には鳥に負けないくらいの数の見物客、取材にきたテレビ局、その整理をする警察―――……。
「上も下も大騒ぎだな」
『緊張しているようだが、期待は大きいか?』
「別に。誰に頼まれたわけでもないのに、期待もクソもないだろ」
『私が依頼したが』
「……そういえばそうだな。後でお前の国から報酬もらえねぇの?」
『難しい』
「タダ働きか。ま、ヒーローってそんなもんだよな。でも俺って結構Mだし、逆境ほど燃えるってな?」
『エムとはなんだ?』
「マジメの略に決まってんだろ」
『――バカなこと言ってないで、さっさと始めたら?』
しょう子から冷めた声で通信が入り、俺は肩を竦める。
「そっちはOKか?」
『さっきからずっと待ってるんだけど?』
駅前から少し離れたDEN・NETタワーの展望台でしょう子はカメラを構えている。DEN・NETタワーは市のシンボル的建築物で、七階立てのビルの中はショップやアミューズメントパーク、その上のタワーは電波塔になっていて、ラジオやテレビのスタジオも入っている。タワーの展望台はここらで一番見晴らしがよく、どの方角も見られるのだが、入場料が学生一人千円でちょっと高く……
『あとでお金払いなさいよ』
「……バース、必要経費も出ねぇの?」
『当てにしないでほしい。ショウコ、カメラをもう少し上に向けてくれ………メジロを確認した。カメラのモニターにマーキングするので目標を追ってくれ』
『了解。こっちも逃さないから、武人……』
「ん?」
『だから、その………頑張んなさいよ!』
「ああ…?」
ぶつりと通信が切れた。
「いよいよアイツの我慢も差し迫ってきたか。結構プレッシャーだな」
『…逆効果だったか』
「何が?」
『いや…。差し迫った状況というのは間違いではない。いい加減、人目を引き過ぎている。この辺りで勝利し、いいところを見せておこう。私という存在の沽券にも係わる』
「上手く使えない俺のせいか。えらく挑発的だな」
『そういうつもりではなかったが』
「ま…いいや。その挑発、乗った。俺にも意地とプライドが、雀の涙ほどはあるんだよ!」
タワーの展望台の上―――アンテナの頂点から、俺は飛び立つ。
鳥の大群よりさらに上空に上がり、急降下、同時にステルスを解除する。初速から数秒で最高速に達するホワイトヒーローの軌跡は、さながら一筋の飛行機雲のようだ。
『少し右だ、タケト』
「捉えてるよ!」
風圧でぶれるモニターの中で赤くマーキングされたメジロ……今日はいつになくはっきりと見える!
残り二十メートルと迫ったところで、こちらの接近に気付いたメジロが逃亡を図る。操る他の鳥を目くらましに使い、紛れ込む気だろうが―――
「関係ねぇよ! 食らえ!」
左腕パーツに内蔵した新しい装備をメジロに向けて発射する。すると一帯の鳥たちがフラフラと隊列を乱していく。
『成功した。生成したガスはどの鳥も万遍無く酩酊状態にしている』
「しかしメジロには効いていない。が……」
薄くなった鳥の壁を補強しようとメジロが他の鳥を呼び寄せるが、メジロに近づいた先からまた戦線離脱してしまう。
「クックックッ……アッハッハッハッハ! どうだこのチキン野郎が! テメェが大丈夫でも、染みついた臭いに周りの鳥が耐えられねぇ! 今のお前は丸裸だ!」
連敗の反動か、笑いが止まらねぇ。完璧に作戦に嵌った…!
『む? 興奮している場合ではない。メジロが逃げるぞ』
「させるか!」
メジロの飛ぶ先に回り込む。集めた鳥がコントロールできなくなったため、敵は逆に身動きできなくなっているのだ。これは予想外の効果だった。あとは―――狙い撃つだけ。
「外すなよ……そして他のに当てんなよ!」
『問題ない――』
右腕のエアガン(違法)をメジロに向け……見事に撃ち抜いた! 弾を受けたメジロは一瞬跳ね、下を飛んでいた鳥にぶつかりながら落ちていく。
『言ったはずだ。沽券に係わると』
「ヒューッ、やるじゃねぇの! 決まったのか?」
『いや、この威力では結晶核を破壊することは難しい。しかし翼はもげた。デリケートな部分ゆえに、すぐに再生するのは難しいだろう。急げタケト。地上の衆目が届く距離でメジロに波動衝を当てるべきではない』
「了解!」
また急降下、風に煽られて少しずつ東に流れていくメジロを追う。
「――しかし上手くいったな、『カナリヤ殺し』」
『作戦名にいささか問題がありそうだが、作戦自体は見事だ。よく考案した』
「汗臭いのを気にして制汗スプレー買ってるしょう子を見て思いついた。全く、しょう子さまさまだ」
『そんなことを言えば、またショウコと揉めるのではないか』
「あ? 大丈夫だろ、聞こえてないし」
『…確かに先ほど通話は切ったが、回線は常にオンラインで、こちらの会話はショウコに筒抜けだぞ』
「お前……そういうことはもっと早く…」
ギイイイィぃぃぃ―――ッ
「うおああぁ!?」
『む!?』
ガラスを引っ掻くような音が、振動となって世界を揺らす―――――そう、世界が揺れているのではないかと錯覚するくらいの大音量だ。しょう子が腹いせに通信越しに嫌がらせしているのかと勘違いしかけたが、そうではないらしい。目下に広がる街のあらゆるところで人が悶絶しているのが確認できた。
「何だっ…どうなってる!?」
『…もう一体、異文化探究システムの反応を感知!』
「何だと!!?」
『発信源はDEN・NETタワーだ』
「―――!」
『しかもこのインパルスの波長は……まずいぞタケト』
はるか遠くに見える山々、地平線の彼方から、一斉に影が飛び立つ。影は湧き上がるように、鳥、鳥……!
「どうして…」
『タワーがメジロの音波を増幅して発信している。今はスピーカーからだけだが、これが電波に乗ればあっという間に世界中に影響が広がるぞ! まずは―――』
俺はバースの話を聞かずに飛ぶ。向かう先は、タワーの展望台―――!!
『タワーより、まずはメジロを抑えるべきだ! 今なら確実に仕留められるし、元を断てば当面の事態は解決する』
「そんなのよりしょう子が先だ!」
『ショウコは……問題ない、気絶しているだけだ。スピーカーに近いが内側にいるから影響はそれほどでも…』
「ちょっと黙ってろ!」
ガラス張りの展望台に近づき、中をのぞく。望遠鏡の陰にしょう子が倒れているのが見えた―――
『待て…待てタケト! ガラスを突き破るのはよせ! この高度は風が強い! 外側からガラスを割れば、舞った破片がしょう子に刺さりかねない!』
「くっそ…!」
仕方なく非常階段のドアをこじ開けて中に滑り込む。タワーの中の人はみんな倒れていて動かない……もちろんしょう子も。
「しょう子! オイしょう子っ! 返事しろ!」
『プロテクトスキンを装着したまま名前を呼ぶのはまずい、自重するべきだ。冷静になれ!』
「うるせぇって言ってんだろ!」
と、抱きかかえたしょう子がゆっくりと瞼を開けた。
「あ…れ…?」
「しょう子、大丈ぶっ…!?」
しょう子が顔面に張り手を食らわせてきた。もちろん大したダメージはないのだが…
「誰が汗臭いのよバカ! 私がスプレー買ってたら悪い!?」
「お前、今はそんなこと…!」
「わかってるわよ! だから行きなさいよ、私に構ってないで!」
ふと、しょう子なりに檄をとばしていることに気付いた。確かに、俺が気遣われていたら本末転倒か。
頭に上った熱が冷めていく……。
「本当に大丈夫なんだろうな」
「くどい。早く行って………アンタにしか、できないんだから」
つくづく女というのは卑怯だと思う。たとえ飽き飽きするほど見慣れた幼馴染でも、そんなセリフを言われたらやる気を出さないわけにはいかないだろ……!
「よしっ、一発やり返してきてやるから待ってろよ」
「あ―――うん…」
「どうした…?」
「何でもない…! ほら、さっさと行く! このうるさい音を止めてきてよ!」
「おうよ!」
シッシッと手で払って追い立てるしょう子を尻目に、新たな反応の方へ突き進む。敵の居場所は外部のスピーカー……ではない。階下、ビル七階の放送局内、ラジオブース!
「ここか! ……で、どれだ!?」
『ミキサーにつながっているコンピューターだ! 即時完全破壊を推奨する!』
言われるまでもない。気を失っているスタッフを除け、パソコン本体をチョップで叩き潰す。が、音は止まない…?
「あ!? 壊れただろ!?」
『すでに中身は通常のパソコンのそれではない!』
「んニャロっ…!」
ならば、とパソコンから伸びているコードを片っ端から引きちぎる。電源が落ち、通信ケーブルが切れ、音は止まる。とりあえず一安心……我ながらよく機転をきかせた。
しかし―――一瞬沈黙したパソコンは、亀裂から触手のように無数のケーブルを飛ばしてきた! しかも、その内の数本に手足を絡め取られる。
「うおっ…気持ちわるっ!」
『基盤の機能はすべて結晶核が担っている。そこに繋がるケーブルをさながら神経の如く張り巡らせ、タワーを占拠するつもりだ!』
「毎度毎度、極端にスケールでかくなりやがって……鬱陶しいんだよっ!」
コードをちぎった俺は、音響機材を載せている鉄製の棚に手を伸ばす。支柱をACシステムで二振りのロングダガーに変えると、素早く触手の中心部に突き立て、引き裂く! ぼとぼとと落ちるコードの隙間から垣間見えた一瞬を逃さず、赤黒く明滅する結晶核を鷲掴みする―――
「その怪音波を止めろ!!」
結晶核を握る右手が輝く。波動衝を受けた核は黒い煤となり、今度こそ動きを止めた。
「ハッ! タワーを取り込もうとする割りに、小さな脳みそだったな」
『……起源を同じくする私としては、高性能だと言ってもらいたい』
バースが拗ねた。プライドが傷ついたらしい。異文化探究システムをはっきり敵としておきながら、コイツは何なんだろうな。
「さて、あとはメジロだな。ったく余計な乱入があったが、ようやく終われるな」
『いや……そう上手くはいかないようだ』
「ん?」
展望台に戻ると、ほとんどの人が意識を取り戻していた。もちろんしょう子も無事だったのだが、皆一様に外を見て、こちらに気づかない。俺もつられて目線を移すと………その光景に、目を疑った。
「……マジか…」
『先ほどのタワーによる増幅音波で呼び寄せた大群……その数はもはや測定不能だ』
再び現れた鳥群の影。これまでの比ではない。
「あっ、タケ……」
こちらに気づいたしょう子が名前を呼ぼうとして口を噤む。続いて他の人間も気付き、一斉に視線が刺さる。しかし続けざまに起こる事態に追いつかないのか、動揺するが言葉はない。俺もどう反応していいのか、立ち尽くすしかない…。
「が……がんばって、ホワイトヒーロー…!」
唐突に、しょう子が叫ぶ。名前を呼べないのはわかるが、しょう子に呼ばれたらあまりに間抜けだろ……と肩を落としかけていたら、
「そ、そうだ、がんばれ!」
「何とかしてくれ!」
「あてにしてるぞ!」
展望台は一斉に俺への―――「ホワイトヒーロー」への声援に包まれた。
「っと…」
『ポーズをとって応えたらどうだ』
「お…おお!」
とりあえずぎこちなく手を上げ、マスク越しだがしょう子に目で合図して、俺はタワーから飛び出す。
『ショウコに感謝するべきだ。先ほどので『ホワイトヒーロー』が民衆の味方だと認識されたことだろう。これからはヒーローっぽい演出も随所に組み込んで人心を得ていこう』
「やってるこっちは必死なんだがな……そんなテレビっぽくできりゃいいが。とにかく名前はダサいし」
『後ほど思案しよう。目の前の目標を処理してからだ』
「ああ…」
鳥の群れは思ったよりも高々度に陣取っていた。入道雲すら覆い隠さんとする巨大さ。広がる雲海の中で一つの生き物のように羽ばたくそれは、沈みかけた赤い夕陽を浴びて真っ赤に燃えているようだった。
「まるで火の鳥だな……」
『なるほど、構成する鳥は一片の羽毛の如くある。巨大な一羽の鳥とも言えるだろう。両翼間一キロに及ぶ怪鳥だ。そして目標はあそこに』
バースが火の鳥の一点、目に当たる部分を拡大する。
「……ツバメだぞ?」
『形態を変化させたようだ』
「メジロであれだったのにツバメになったらお前っ……どうしろと!?」
『距離や風速の問題はあるが、狙撃自体は不可能ではない。追い立てるまでが勝負だ』
「またそんな、俺次第みたいに……。何千何万という群れからスイミーを掬い上げろってか?」
『スイミー?』
「卓越した指揮で同胞を奮い立たせ、天敵を撃退した伝説の異端児だ」
『…今の我々の立場ではあまりゲンのいい名ではないな』
「機械がゲンとか言うな。まあ……どうなんだ? ガス作戦でいけそうか?」
『目標はタワーの増幅効果でおよそ周囲二十キロの鳥を集め、手勢を増した。加えてツバメになったことで格段にスピードを増し、海を越える能力を得たが、それだけだ。周囲の鳥の能力が上がったわけではない』
「さっきみたいにガスを直接浴びせれば結果は同じか…」
とはいえ、そこまでの壁が厚みを増しているのは脅威だ。それに、群れはずっと「火の鳥」状態だ。メジロの時はイナゴの群れのようにただ固まって飛んでいただけだが、今は動きに乱れがない。まるで軽トラがUFOになったときのような……不気味な気配を感じるのだ。
『タケト? どうした?』
「いや……ちょっとした武者震いだ。ガスの残量はどのくらいだ?」
『効果的に使えるのはあと二回だ』
「もう鳥はうんざりだ、さっさと片付けようか…!」
大きく息を吸って―――突撃! かなりのスピードで飛んでるはずだが、なかなか距離が縮まる気がしない……いや、近づいてきた。近づけば近づくほど、まるで端の見えない壁に突き進むような、圧倒的な巨大さに身震いする。
これはスイミーを狙ったマグロたちがビビるのも道理だ。しかし物語と一つ異なるのは、俺がバースというハイスペックな鎧で完全武装していることだ。時速百キロオーバーの車の衝突にも余裕で耐えている。いくら群れようが、鳥が怖いはずもない…!
「行けぇっ!」
ぶち破る勢いで突っ込む。しかし手ごたえはなく、まるで何事もなかったように火の鳥の頭を突きぬけた。ツバメは……!?
直後、俺は暗闇に包まれた。鳥、鳥、鳥、鳥……! 俺はわけもわからず、鳥に呑み込まれている!
「うおああっ!?」
俺を覆っていた鳥の膜がはがれていく。無意識のうちにガスを使ってしまっていたのだ。当然、ツバメは近くにいない。
『落ち着けタケト! どれほど纏わりつかれても効きはしない!』
「ああっ……悪い、パニくって一回使ってしまった!」
波に攫われ、溺れる感覚に似ていた。冷静に考えれば、鳥は俺を避けるように散り散りになり、止まったところに群がってきただけなのだ。
しかし……俺は息を呑む。軽トラの時との決定的な違いに、今さら気がついた。この鳥には目がある。操られているとはいえ、意志がある。俺に向けて明確な敵意を持っているのだ。その視線は数百、あるいは数千……すべてが俺を捉えて放さない。圧倒的な数の視線を前に、俺は本能的な恐怖に支配されつつある。
「バース……窮鼠猫を咬むってことわざ、知ってるか?」
『旧ソ…? よくわからない。今、必要なことか?』
「まあ聞け。追い詰められたネズミがキレて、思いもよらない逆襲をするってことだ。それって実際、よくあることだと思うか?」
『今がまさにその時だと? 私にはそう認識できないが。タケトがそう心配せずとも、私は万事に備えているつもりだ』
「ん…?」
『あちらがどれほど追い詰められたネズミであったとしても、我々はトラだ。牙を突き立てようとしたところで、叩きつけるだけだ。そういうことなのだろう?』
「いや…アレ? まあ……そうか。そうだな…!」
何を勝手に追い込まれてるんだ俺は! 追い詰めているのは俺たちの方だ。そうだ――ヤツは所詮、陰に隠れるだけが能のチキン野郎なのだ。恐れることなどない…!
「ようし……もう一回いくぞ!」
『今度は焦るな。最後のガスを外せば、また次回に持ち越しだ。慎重に……』
「いや、今使う」
左手首の噴出口を己に向け、噴出―――。
『なるほど、その手があったか!』
「これほどのバリアもねぇだろ。奴に近づいて纏わりつけば、鳥の群れは削れていく。焦って飛び出せば狙撃の的だ」
再び火の鳥の頭めがけて飛ぶ。火の鳥はくちばしを伸ばすようにまたいくらかの鳥を差し向けてくるが、こちらに近づいたものから隊列を離れていく。危険を察知したのか、ツバメは火の鳥を反転させて逃げに入る。スピードを上げて追うのだが―――
『…避けろタケト!』
「んなっ――!?」
巨大な両翼から羽が―――鳥が分離し、まっすぐ向かってくる。顔面を急襲する最初の一羽は避けたが、続く雪崩のような鋭いくちばしとの正面衝突は、決して軽くない衝撃で俺を打つ。
「うぐっ…おあっ! バースっ…!」
『それほど大きなダメージではない、しかし…!』
覆った腕の隙間から足元をのぞき見る。俺にぶつかったトンビが次々と地上へと落下していく。あるトンビはくちばしが割れ、またあるトンビは首の骨が曲がっているらしいのが見えた。ガスを吸う間もなく突進すれば問題ないという腹か。それでこんな決死の特攻をさせて……!
「くそ、あのチキンがっ…!」
トンビの自爆ミサイルが止み、はるか遠くへ離れていくツバメを睨む。
『今の攻撃でスキン表層の28%を損耗した。キズが付いた程度だが、付着していたガスの成分はほとんど失われてしまい、効果は期待できない』
「…………」
『一度撤退しよう、タケト。武器の補充をしなければ』
「……ダメだ。メジロでなくなったってことは、もうあの木梨氏の家に戻ることもない。なら奴は俺達から離れようと移動するだろう、そうすると今までのように戦うのは難しくなる。俺だって普段の生活があるんだ。海外遠征で一日以上行方不明になったりすれば誤魔化せねぇよ。それに………アイツは気に食わねぇ。エイリアンの分際で地球の動物を使い捨てに利用しやがるとは何様だよ! 許せねぇ…!!」
俺の歯ぎしりを聞いたバースは何を考えたのか、しばらく黙っていたが、
『……手段がないことはない。奥の手だが…』
「何!?」
『時間を操作し、目標の動きを遅くする』
…俺はしばらく言葉が浮かばなかった。
「じか――お前っ……そんな装備があるならどうしてもっと早く言わねぇんだよ!」
『万能ではない。操作が非常にデリケートな上、危険が伴う』
「危険? どんな」
『時間遅延機能は重力コントロールの応用による。簡潔に説明すると、設定した極小点に重力負荷を与えて空間に干渉し、擬似的なブラックホールを作る』
「ブラックホールっ…!?」
宇宙にある高重力の穴。光すら吸いこんで見えないからブラックホール。ブラックホールにハマると時間が徐々に遅くなり、やがて停止するらしいと小学校のころ図鑑で読んだ覚えがある。
『あくまで疑似的なものだ。初動の段階では空間に穴は開かない。現地現在の空間状況で半径二十メートルの空間のみに絞れば、残りのエネルギーで最大三十八分は時間操作を維持できる』
「…余裕じゃん」
あまりにも嘘みたいなウルトラ兵器の登場に俺は胸が躍ったのだが、
『軽く考えないでくれ。Dシステムは次元跳躍システムの副産物に過ぎない。また、空間の綻びは一度できると連鎖的に広がる可能性がある。さらにその他の要因を踏まえれば、実際に使用できるのは体感時間にして数秒だ』
「数秒…って何秒だよ」
『七秒』
なな……途端に息が詰まる数字だ。
『それ以上は絶対に駄目だ。なぜならタケトが…』
「…あー、オーケーオーケー…。七秒にすべてをかければいいんだな? いかにもヒーローらしい展開だよな。わかった……そいつでいこう」
『私は推奨しない。だが、タケトの判断に任せる。重ねて言うが、七秒までだ。それ以上は―――』
「わかってるって、しつこいな。ツバメに接近して発動、掴んで波動衝ってことだろ。動きがノロけりゃワケねえさ」
『重力波のチャージに二百五十秒かかる。その間、目標を中心に周回運動しつつ、徐々に距離を縮めよう。悟られれば勝機を逃す』
「まさにラストチャンスだな。絶対ケリをつけるぞ!」
『了解した。責任は果たそう!』
責任とは何のことだ? 突然気合いの入ったバースに内心首を傾げる。
ツバメ率いる火の鳥を追い、一定の距離を保ちながら、ゆっくりと回り込む。火の鳥を形成する鳥のいくらかが失われたとはいえ、それでも八百メートルを超える巨体だ。それに移動すればまた鳥は補充できる。その気になれば、どこまでも巨大になれるのだ。
モニターに赤くマーキングされたツバメを追いつつ、チャージ状況を表示するゲージにも目を配る。四分後に七秒限りのクライマックスタイム……テレビヒーローならアツい展開なのだろうが、実際にやってるこっちは不安でドキドキだ。
だけど今回だけはあきらめない。奴はしょう子に手を出しやがった。なら一発小突いとくのが、ガキのころからの俺の役目だ…!
『チャージが完了した』
「うおおおっ!!」
背後に回った瞬間、最大速度でツバメを目指す! 雲を切る速さでツバメに肉薄するまで五秒とかからないはずが、敵もさるもの。すぐに無数の壁で自身を覆い隠そうとする。だが、それでも……!
「くのあぁっ――!」
『システム起動! カウント開始!』
ぐらりと空気が変わる。まるで水中に飛び込んだように周りの景色が重く感じる。鳥の群れはスローに…………すごい、ほぼ止まっている。
『――6、5、4―――』
重なる枯葉を払いのけるように鳥を搔き分け、ツバメを……捕まえた!
『3、2…』
だがそのとき、俺は動きを止めてしまった。
何だこの感触は? 柔らかさは? 羽根の細さは? 細かい毛並みは?
これが擬態? 全くの別物? 機械? 地球に害をもたらす壊れたシステム? でも、手の中のこの小ささは……
『タケトッ!!!』
「―――!」
ぐしゃっ。
空間が元に戻った瞬間。波動衝を受けたツバメは水風船が割れたように血を飛び散らせた。俺はしばらく、呼吸することを忘れた。
やがてマスクについた血飛沫が黒い煤に変わり、風がさらう。日が沈んで暗くなった空に、ツバメだったものは呑まれて消えた―――。
いつもの榊神社裏で、しょう子と落ち合う。
「やっと終わったあ! 最後の方はビビったけど、惨事にならなくてよかったよな」
「………」
しょう子は返事をしない。
「どうした? もしかしてあの大音響のせいで耳が聞こえにくくなったりとか……」
「私っていうか……アンタは大丈夫なの?」
「は? 何で? そりゃ鳥に体当たり食らったりしたけど、ダメージなんかあるわけないじゃん。なあ?」
白いスキンの胸を叩くが、バースも返事をしない。というか、ツバメを始末してからほとんど喋らない。
「? ま、やっと倒してめでたしめでたしってわけだ。今日は気兼ねなく眠れるな」
「……大丈夫ならいいけど」
右手を口元に当てながら俺を見つめ、しょう子は訝しがる。
「何を心配してるんだよ? 問題ないだろ?」
『いや、最大の問題が生じてしまった』
「んん? ようやく口を利いたと思ったら、今さら何の問題があるってんだよバース……つーか、いい加減スキンを外せよ。さっきからお前がロックしてるんだろ」
『なぜすぐに仕留めなかった…』
「あ…?」
『七秒が限界だと言ったはずだ!!』
ヘルメットの中でバースの声が反響する。音量のオート調節機能もバースに限っては例外らしい。
「お前、ホントに耳元なんだから怒鳴るなよ! 怒ってんのか!?」
『私にそんな感情は存在しない。いや……あるいは人間の怒っている状態に酷似しているのかもしれないが』
何を言ってる? 壊れたんじゃないだろうな。
「七秒を超えたっても、ほんのちょっとだろ? 実際どのくらいオーバーしたんだよ?」
『約三秒だ』
「ハハ、三秒!? 七秒が十秒になったからってそんな違いがあるのか? 空間に歪みができたりもしてないんだろ?」
『空間は正常だ。だからこそタケトに問題が生じる』
「? わかるように話せよ」
『よく聞けタケト………一時的、一定空間とはいえ、我々は時空間に、世界に干渉したんだ。世界は若干の歪みなら自己修正する。汚れた河川がやがて浄化されていくようにだ。同じようにDシステムを使用したあの空間、そこにあった物体は、世界に正しく修正される。具体的にいえば……タケト、君には歪んだ空間分の時間が一気に加算される。君は遅い時間軸の中を普通に動き回っただけのつもりかもしれないが、相対的には超高速運動していたことになる。いや、これでは説明が足りない。我々がコントロールしていた空間は一瞬とはいえ独立していた。つまり―――』
「聞いてもわかんねえよ! 結論を話せ、結論を!」
『スキンを脱いだ君の身体は、一瞬でおよそ五日間の時を過ごす。眠らず、飲まず、食わず、休むことなく五日間動き続けたのと同じ状態になる。全身の筋肉と内臓が悲鳴を上げ、しかも脱水症状かつ栄養失調だ。タケトの肉体如何では、さらに深刻な状態になる可能性もある』
「………は……」
しばらく言葉も浮かばなかった。それはしょう子も同じだったらしい。
「冗談じゃねえよ…」
『冗談ではない』
「どうして言わなかった!?」
『伝えようとしたところで君に遮られた。どちらにしろ、絶対に七秒を超えてはならないと通告したはずだ』
「お前っ…!!」
『……これから先、どうするかを考えなければならない。スキンは位相空間に対応する機能があり、このまま装着していれば問題ない。しかし、もし脱ぐのなら医療機関の近くで…』
「脱ぐに決まってるだろ。俺には日常があるって言ったはずだ。このままヒーローになりきる覚悟なんて、俺にはない」
「武人…」
しょう子が小さな猫のような声を出す。中学・高校になって、完全に上から俺を見ているようで、時々、昔と同じように俺を心配する。そりゃ俺も相当ガキくさいだろうが、しょう子は根本的に変わっていないところが――……
「…私が付き添う」
「え…」
「何?」
「あ、いや……悪い」
二重の意味でしょう子に謝る。前言撤回というか、修正。結局俺は、肝心なところでしょう子に助けられっぱなしだ。どうこう言える身分じゃないな……。
『では緊急措置のとれる大病院まで移動しよう。私も変化をできるだけ緩和できるように試みてみる』
「……バース、さっきは責めたけど、な」
『ふむ…?』
「お前が説明したって、俺は時間遅延機能を使っていた。お前の忠告を聞いていながら油断した俺が悪いんだ。責任押し付けるようなこと言って、すまなかった」
『……謝罪するべきではない、タケト。君のおかげで世界は救われたのだ。私は君の自己犠牲精神に関して口出しできる立場にないが、しかし君のもたらした結果は称賛に値する。そうは思わないか、ショウコ?』
「……そんなわけないでしょ。周りを顧みないで迷惑かける奴はただのバカよ。調子に乗ってヒーローごっこしてるからドジ踏むのよ。あー、腹立ってきた! スキン脱いだら一発引っ叩く!」
「ヒーロー叩くなよ…。しかも今から倒れますってときに」
鼻息の荒いしょう子にうんざりしたのだが、
「本当にもう、こういうのはやめてよね……」
ぼそりと独り言のように漏らした一言が俺の頭に妙にこびりついて、消えなかった。