第八話 ―ヒーローになるとき―
いわゆる最後っ屁のつもりだったのだろうが、「しょう子が未練たらたら」というのは、かなり的を得ていると俺は感じている。しょう子がこうして沈黙したままなのがいい証拠だ。
今までしょう子と五月さんがどういう切っ掛けで出会って、どういう話をして、ナニをしてきたのか………気になりまくりである。歯をブチ当てた出かける前のキスは割と投げやり且つごまかしだったし、告白は五月さんのためにも言っておいたほうがいいと考えたからで……結局のところ、告白とか付き合うとか、五月さんの後押しあってのことなのだ。
もちろん、適当な気持ちでしょう子にアタックしたわけではない。誰かに取られるのは嫌だとはっきり思ったし、焦りもした。しかし五月さんほどの強烈な愛情は今の俺にはない。実際のところ、幼馴染みから逸脱できるのだろうか。
いや、それは言いわけだ……。
だからじれったくなって、張り合うように「俺だって本気で好きだ」と、押しつけるように言ってしまった。告白の返事を強要させようとしてしまった。だが、おそらく事情を説明されないまま、唐突に別れを切り出されて傷心のしょう子。今は求めるべきじゃない。それでなくとも、「いなくなったから付き合おう」という展開はさすがに許されないだろう……。
完全に失敗した……。俺としょう子は向かい合ったまま、ずっと沈黙を続けていた。時計の針が時間を刻む音が耳に痛い……。
……もういっそ、押し倒してしまおうか。でも九割九分猛反撃されるだろう……瀕死の重傷を負ったら、ここで俺は誰にも気付かれないまま死んでしまうのか………って、あれ?
「…なあ、しょう子」
「え、あっ…何?」
「ここ…っていうかこの部屋ってさ、どうすればいいんだ?」
「え……」
しょう子も固まった。
「カレーを食べたらしい跡があるが、片づければいいのか? で、鍵閉めて……その鍵はどうする?」
「……知らない」
二人揃って頭を抱えた…。
『問い合わせてみよう』
「「は??」」
腕環のバースの申し出に、目が点になる。
「え…そんなことできるのか?」
『当然だ。救援要請をしただろう。サツキハツミと話せるよう、ミタモに連絡してみよう。少し待ってくれ……』
…そして十数秒後。
『…今は気まずいから話したくないそうだ』
俺はコントのようにつんのめってしまいそうになった。向こうも後で知ったのだろう。
「あれだけ今生の別れみたいにして、すぐにそんな事務的な会話できないよな…」
「…バカみたい。もう帰る!」
脹れっ面になったしょう子だったが、肩からは力が抜けて、背中は嬉しそうだった。
「…で、鍵はお前が持っとくの?」
「当たり前でしょ。女子の部屋の鍵を渡せるわけないじゃない」
「それはそうだ」
五月さんのマンションを出て、帰りの途についていた。この世界は一日も経っていないが、俺は五十日ぶりの帰宅だ。家のベッドが懐かしい。
しかしその前に小腹も空いた。するとまあ、しょう子の抱えているカレーの入ったタッパーに目がいく。当然の流れだ。
「カレー、作ったのか?」
「うん」
「二人で?」
「…主に二十美が」
あ、機嫌を損ねたらしい。前におにぎりを酷評したからな。
だが、しょう子はすぐに俺の欲求に気付いたらしい。
「味見する?」
「お言葉に甘えて。バース、ACシステムでスプーン」
『私的利用だ。許可できない』
「けち」
タッパーの端のほうを、指先でちょっとだけ掬う。
「…ウマッ!」
「びっくりよね。お母さんのと全然違う」
「レシピ教えてもらった?」
「もらってない」
「勿体ねぇなぁ」
大通りを過ぎて、住宅街に入る。夜も更けていて、辺りにはすっかり人の気配がない。家までもう少し。
「…気になる?」
しょう子がひとり言かと間違えるような小さな声で呟いた。
「何が?」
「私と二十美の関係…」
「身体の中に結晶核が入ってて、しょう子を狙ってたってことか?」
「まあ、そう…。武人が知ったら戦うことになると思ったから、言わなかった」
「らしいな」
「その……わかってると思うけど、あれで結構激しいっていうか」
「…ん?」
いかん。「激しい」をどう捉えたものか、マジで悩む。
「前に話した、告白されたって相手……二十美だったの」
「それは知ってる。本人から聞いた」
「二十美から!?」
驚くしょう子。さすがに五月さんから聞いてなかったのか。
「今だから明かすけど、あの日……えっと昨日になるのか? 昨日の晩に具体的にどんなことがあったかって言うとな。しょう子と付き合うにはお前は邪魔だーみたいな流れで俺をボッコボコ。それで初めて、あー異文化探求システムなんだなー、と実感した」
「ボコボコって、どのくらい…」
「何度か宙を飛ばされたぞ。あ、肩を骨まで握り潰されたり。バースは早くスキンを装着しろっていうし」
「装着しなかったの!?」
「でもな、ヤバいケガさせるたびに治すんだよ。それでまた殴るんだけど」
「よく人格崩壊しなかったわね…」
「なんていうかな………あの時、すでに色々諦めかけてたんじゃないかって思うんだよ。そんなつもりがなかったら自分から正体を明かさなかっただろうし、俺をこっそり始末することもできただろう。最後に恨みやら葛藤やらを晴らしたかったんだろうな……。散々しょう子とのキス自慢もされたし」
「ええっ!?」
「あれはハッキリ覚えてるな……。『腰が砕けるようなキスでしょう子の初めてを奪った』とかなんとか」
「うわっ! うわっ!!」
しょう子が両手で顔を覆う。
「それから押し倒したとか、身体を許して――」
「――そこまではしてない!!!」
「…許してくれないのは俺のせいだとか、恨み辛みをたくさん」
「……二十美のバカ…!」
半泣きになりながら彼方の五月さんを呪うしょう子。というか、その反応が真実味を増すのだが。
「…まあでも? その程度、俺にとっちゃどうってことなかった。しょう子のファーストキスの相手は実は俺だしな」
「!」
しょう子は立ち止って目を見開き………首を捻る。
「そんなこと―――…あったっけ?」
「やられたほうは覚えてるんだよ! 幼稚園に行く前だったから、四歳くらいだったか。親同士が話している目の前で、お前いきなりベロチューかましてきたんだよ」
「あっ――た、ような……」
「あの時が初めてだったよな…お前に泣かされたの。苦い思い出だ……」
「苦いって、小さいころの話じゃない。それだったら、歯が当たった方がよっぽどだし!」
「そりゃテクニックでは五月さんには適わねぇだろうけど」
「当たり前でしょ!」
「否定しないの!? つーか、なんて話してるんだ、俺達……」
声の通る夜中の道端でする話じゃないよな…。
「本音を言えばな……拘ってるんだよ。五月さんに負けたくないっていうか…。理解できたのは最後の最後だけど、しょう子に対する気持ちは同じで、いくらか通じ合ったものがあるんだよ。だから……俺は彼女の分まで、お前と向き合わなければならないと思う」
「あ……じゃ、じゃあ…」
俺の前に回って行く手を阻むしょう子は、俯いたまま、
「…する? 今度は上手くいくように……」
――俺は喉を鳴らした。
「…上手くいくように、は余計だ」
平静を装いつつ、俺は辺りの気配を探る。人気の少ない細い路地とはいえ、誰にも見られていないな…。
街灯の明かりから少し離れ、薄暗い中……肩に手をかけて、少しずつ引き寄せる。カタカタ震えているのがバレバレだろうが、お互い様だ。
「顔、上げろよ…」
「ん…」
固まったまま、なかなか顔を上げない。俺が顎に指をかけると、くすぐったそうにピクリと肩を揺らし、その仕草に眩暈がする。こいつ……こんなに可愛かっただろうか? 疑問は不安に変わる。
五月二十美の影が垣間見える…。くそ、予想外に強敵だ。彼女とのことを気にしていないフリするのはかなりキツい。
ともすれば、メチャメチャになるほど俺を刻みつけて、しょう子の中の五月さんを塗りつぶしてしまいたくなる。
その一方で、気絶しそうなほど緊張してもいる。向こうに出かける前、よくも意地と勢いだけでキスをこなせたなと思う。歯が当たったなんて些細なことだ。
掌に触れるしょう子の頬が熱い……。
俺は拙く唇を当てた。柔らかい感触が嘘みたいだ。これが十年以上隣にいた、幼馴染みなのか。ちっとも知らなかった。
唇を離すと、照れ隠しなのか、しょう子が肩に額を押しつけてきた。
「……へたくそ…」
そうは言われてもこっちは放心状態……あー、つくづく俺はガキで、男らしくない!
意を決して、俺はポケットから秘密道具を出した。
「えっと…ほら」
押しつけられるようにして受け取ったしょう子は、その飾り気のないリングを見て、神妙な面持ちになる。
「バースの子機はもうもらったけど…」
「違う! これはなんというか、アマタナ……つまりバースの本国に行ったとき、報酬として貰ったんだ。地球の現金とかオーバーテクノロジーに当たる品はダメってことだから、そんなのしかなくて…。一応、それはお前の分で……指輪だ」
「え…!」
しょう子は手の中でコロコロと転がし……俺に返した。受け取れないというのは、つまり……
「…武人が、つけて」
……ホント、いつの間にこんな男殺しの技を身につけたんだ。
差し出されたしょう子の左手をとって、俺は薬指へ輪を通す……。
「……かなり大きいんだけど……」
不機嫌な声を上げるしょう子。自分はこんなに指が太くないと言いたいんだろうが、こっちもサイズなんかわからない。
「そこは、ほれ」
指輪はバースのブレスレットのごとく、縮んでピタリと収まった。
「これ、オーバーテクノロジーなんじゃ…」
「失くすなよ。ACシステムでも作り直せないんだからな。俺のはやらねぇぞ」
こっそり自分の指にペアの指輪をはめる俺を見たしょう子の顔が、ぱっと咲く。
「うん…!」
抱きついてきた。恐る恐る腕を回すと、細いくせにボリュームがあるというか…ものすごく抱き心地がいい。
「私……ずっと武人のことが好きだった」
「それは、こっちだってそうだ…。けど安心してたし、でも不安でもあったんだよな。心のどこかで、しょう子は俺のことが好きに決まっていると信じ切っていた。でも、もし違ったら、これまでのお前まで失ってしまう……」
「有り体に言えば、ビビってたってことでしょ?」
離れて、しょう子が意地悪く口の端を釣り上げる。
「お互いさまだろ? いい歳して照れ隠しに殴ったりしねぇよ…ぐほぁ!」
一発ボディブローが炸裂する。こいつに指輪って、ただの凶器なんじゃ……。
拗ねたように先を行くしょう子に追いついて、また並んで歩きだす。二人の間は、これまでよりちょっと近い。
「でもこっからが大変だぞ……。付き合うことになったなんて言ったら、学校の連中はキャーキャー騒ぐだけかもしれないけど、俺らの家族はソワソワしだすぞ」
「あー…」
「どのくらいまで進んでるの?ちゃんとしたお付き合いしてるの?将来はどう考えてるの?とか、もうチクチクと。重蔵さんに至っては、道場の跡取りにさせようと修行を強いてくるかもしれんしな」
「あはは…無いともいえないかも」
角を曲がれば牧原家というところで、しょう子が腕を引く。
「ん?」
「もう一回…」
雰囲気で何のことかはすぐに分かった。
付き合うと女は人が変わるって何かで見たが、こいつはこんなになるのか。俺のほうがおかしくなりそうだ…。
「もう家の前だぞ…」
しかし、しょう子は譲らない。俺だって撥ねつける気はない。
二度目は迷わなかった。いや、三度目? 四度目? いいや……ちゃんと恋人になって、初めてのキスだ。
興奮を抑えきれず、俺たちはまた唇を重ね―――……
「ぬぁっ!?」
「「あ」」
真っ白になった。角の向こうから現れた重蔵さんに見つかったのだ…!
『前途多難だな……』
バースが初めて独り言を言った…。
俺は今日から、しょう子のヒーローになる―――。
(終わり)
終わり……ですが、まだ続きます。
次は週末に掲載予定。