第七話 ―ラストアタック・2―
連絡がついたときは昼の十二時を回っていた。そして今は午後二時前である。
朝起きたらバースが反応しなくて、気が気じゃなかった。もちろん武人の携帯電話はつながらない。もしやと思って部活が始まる直前までテレビを見ていたが、結局空手部の練習をしている間に決着がついたらしい。
とりあえず無事なようだが、戻ってきたら二度と飛び出して行けないようにぶん殴ってやる―――そう息巻いていたしょう子だったが、二十美のマンションで落ち合おうと言われ、嫌な予感がした。
武人は二十美の正体を知らないはずだし、どうしてそんなところで……? 腑に落ちない疑問を抱えながら二十美の家のドアを叩くと、状況は予想を超えていた。二十美が出迎えてくれた先のリビングでは、スキンを装着したままの武人と……もう一人の派手なほうはミタモ?が、まったりテレビを見ていた。
「お、来た来た。お前はもうこれ見た? シュールだよなぁ」
それはこっちのセリフだ、と喉まで上がってきたのを呑みこんでテレビに目をやると、真っ赤に燃えながらパリの上空を飛ぶ三人の姿が映っていた。
「……謎の三人組は戦闘機による追撃も振り切るほどの猛スピードで世界中を飛び回っており……」
とアナウンサーが伝えるが、しかしどうだろう。拡大され、スローモーションになった映像では、三人が三人とも地上に向かって手を振っているように見えるが……。
「……何なの、これ」
まるで衝撃映像を集めた特番みたいに嘘っぽいが、報道しているのはちゃんとしたニュース番組だ。
「これはね、デコイだよ。いつまでも立ってないで、座ったら?」
家主でもないミタモが着席を勧めてくるが、とりあえず鞄を置いて腰を下ろす。
「形はコレだけど、異文化探求システムが他にないか調査しているのさ。それと同時に領空を無視して飛び回ることで、どの国にも所属していないことをアピールし、最後には……」
と、ここで番組が慌ただしくなる。
「……たった今入った情報ですが、通称「ホワイトヒーロー」を含む三人は突如転身し、大気圏外へ、宇宙へと、飛び出していった…そうです……」
アナウンサーも原稿を読んでいて、自分が何を喋っているのかわからなくなってきたのだろう。最後の方は声が小さくしぼんでいった。
「飛び出したデコイは火星との間にあるアステロイドベルトで自然消滅する。こうして「ホワイトヒーローは宇宙人(?)」となって一連の騒動は終了というわけさ。いや、君たちには本当に迷惑をかけたね」
そんなに軽々しく詫びをいれられても困る。
それに―――
「あれが武人たちの代わりなら、もう一人は誰? まさか…」
でも、それしかない。恐る恐る二十美の方を振り返る……。
「私よ」
特に何事という風でもなく、二十美は平然と答えた。
「どうして…!」
「……ある意味で成り行き上、かな?」
もったいぶった言い方に要領を得ないけれど……どうしたものだろうか。はたして武人が二十美のことを知っているのかどうか、下手に探りを入れると、かえってバレてしまう可能性もある。自分が隠し事が苦手なのはわかっているから口出しするのは控えるが、不安でしょうがない……!
「……さて。そんじゃあ、しょう子も来たことだし、俺とミタモは早々に行ってくるかな」
武人が立ち上がる。
「え? 全部終わったんじゃないの!?」
『今回の戦闘で武人は時間遅延機能を連続使用した。空間の歪みはミタモが修正したが、タケト自身は私の国で時間同調治療を受けなければならない』
「このままプロテクトスキンを外すと死んじゃうしね。ついでにタケトくんのユーザー登録も済ませてしまおうってことなのさ」
「そういうことだから、ちょっと行ってくるわ。あ、お前のバース子機も回収な。今日中には戻ってくると思うけど……お前、俺と一緒だって言ったら、門限何時くらいまでいける?」
ブレスレットを渡しながら首を傾げる。妙な質問だった。武人と一緒だったら? 何かあるのだろうか……。
「えと……確かに武人と一緒だったらウチの親はまだ安心するだろうけど、それでも常識的に考えて、十時くらい…」
「そっか。お泊りってわけにはいかないもんな」
「とっ、泊まり!?」
武人と、どこに…!?
「いや、俺も夜中に黙って抜け出してきたわけだし、丸一日以上音信不通だったらまずいだろ。明日だってまだ学校はあるわけだし」
「あ、そう…ね」
何だ、そういうことか……。
「お前と一緒にいたってことにして、何か適当な理由考えてくれよ。九時には戻るから……そういうの、できるんだよな?」
問われて、ミタモはまあねと手を振る。
「本国の大掛かりな装置を使えばね。指定時刻から三十分程の誤差は出るかもしれないが、たとえ向こうに五十年いても今日の午後九時ごろ(・・・・・・・・・)には帰そう」
「ビビらせんなよ……五十年なんて嘘だろ」
「五年はいるかもね」
「ハイハイ、お前の適当なジョークは聞き飽きた」
武人の反応に、ミタモも肩をすくめる。そうした二人の前の空間がぐにゃりと歪み、光で縁取った黒い輪ができる。未確認ヒーローのときに、しょう子はテレビでしか見ていなかったが、これが異次元への入り口らしい。「夜の海は吸い込まれるから覗いてはいけない」というが、それに近い、不気味な雰囲気がある……。
「じゃ―――……あー、ちょっと待てよ」
穴へ踏み出そうとした武人がUターンして、私の前に戻ってくる。何か言おうとしたのかジェスチャーするが、手は空回りして、言葉は出ないらしい。一度咳払いし、武人は自身のこめかみを指で叩く。
「バース、ちょっとだけスキン外せねぇ?」
『できない』
「一瞬、三秒だけ」
『無理だ』
「顔だけでいいから」
『…何を考えている』
その通りだ。「メジロ」のときはスキンを外した途端に倒れたというのに。
「…やってあげたら?」
ミタモが口を出してくる。ミタモが言うなら、さして問題ないのか…?
『……三秒だけだ。三秒すれば自動的に閉じるぞ』
「おう」
マスクの部分がしゅるりと消えて、顔が露わになった瞬間。武人は私の肩を掴み―――
がチッ――
「!? !?? !!?」
私は口元を手で押さえ、目を丸くして固まった。武人のほうは口に手をやる前にマスクが閉じる。
「痛って…歯が当たった」
「なっ……え!??」
今、武人、私に、キスした…!?
「ええっと……しょう子、こんなときに雑でアレだけど、好きだ。戻ってきたら付き合おう」
「………うん」
何を言われているのか頭が付いていかず、その場に固まったまま、生返事しかできなかった。それをどう取ったのか、武人は苦笑し――一度二十美の方を見てから、穴の中へ…。
「ぉお…?」
ふらりと膝をつく武人をミタモが担ぎあげる。
「案の上だよね。大丈夫、心配ないから。じゃあね」
二人は穴の中へ消えた。光の輪が弾けると同時に、黒い穴もぼんやりと薄く消えていく。
「……………」
いなくなって、じわじわと胸の奥が沸騰してくる。
武人が、まさかあんな……。当てたというか、当たってきた感じだが………間違いなく武人からのキスだった。しかも付き合うって……。
「わ…!」
頭をくしゃくしゃと掻いて悶えるが、はっと気付いた。
私を見ている、二十美の視線に―――。
急速に背筋が凍る。アイツ、二十美の前で、何て事を……!!
「あの…二十美…」
「……よかったね、両想いになれて」
ミニテーブルを挿んだ向こう側に座っている二十美。目も声も怒っていない。冷たくもない。しかし、気持ちも乗っていない。
その虚無感をかき消すように、二十美はフッと鼻で笑う。
「それはそれとして――。一時とはいえ、ようやく邪魔ものはいなくなった。初めてじゃない? 本当の意味で二人きりになれたのは」
目を細めて薄く笑う二十美にドキッとする。そうだ、武人はおろか、今はバースすらない……二十美に対する最後の手段がない…!
「鬼の居ぬ間になんとやら…。この間のお礼、まだもらってないよね?」
二十美はテーブルを脇に寄せ、ゆっくりと立ち上がる。この間とはいつ? しかし数日前はこの場所でそんな話をして、押し倒されて……!
「ちょっと……待って!」
「ダメ。一秒だってもったいない」
ゆっくり歩を進めてくる二十美。すぐに壁に追いやられる。抵抗しようとした腕は右も左もあっさり取られ、磔にされる。
「しょう子…」
二十美が何をしようとしているのかわかっている。でも唇には武人の痛みが残っている…!
「嫌……ホントにイヤ!」
「…………」
鼻先が触れ合いそうなほど迫った二十美はコンっと額を合わせ、自分から離れた。
「まだ何も言っていないのに、そんなにイヤイヤ言われたら傷つく」
「何もって…!」
「――ね、しょう子」
突然表情を変えた二十美に、私は喉元まで上がっていた文句を忘れてしまう。
「デートしよ?」
「…………」
今までとはどこか違う顔。完璧なようでどこかぎこちない微笑み。でもなぜか今までで一番柔らかくて、真に迫るものがあった。そんな不思議な二十美に、私は茫然としたまま手を引かれていた。
私と二十美は駅前に繰り出していた。
デートと言ったが、メインは買い出しだ。せっかくだから夕食を一緒に作って食べないかという。
……どこか変な感じだったが、断るのも変だ。何か下心なりがあるのかもしれないと考えたが、料理で籠絡しようということなのか? そのくらいしか思いつかない。
「しょう子は何が食べたい? …あ、間違えた。何ができる?」
二十美がからかうように言う。普通に楽しそうだ。警戒心も自然と緩んでしまう。
「…こう見えて、道場生に振る舞うご飯作るのを手伝ったりしてるから。野菜の皮むきとか、下ごしらえくらいは一通りできる」
「でも学校での話を聞いていたら、しょう子より盾林くんのほうが上手そうだけど?」
「………」
その通り…。火を入れると焦がしてしまい、盛り付けると崩してしまう。勢い任せでやってしまうからだと、いつもお母さんに言われている。そこで武人が上手くやるからまた腹が立つのだが。
「まあ…手軽でおいしく、カレーにしようか?」
「私が決めることじゃないし」
「じゃあそれで決定。ちょっと時間あるし、その辺見て回ろうか」
「どこ?」
「どこでもいいの、デートだから」
手をきゅっと握ってくる。
「あっ……離して、こんなの恥ずかしい…」
「大丈夫だって、女同士なんだし」
ね、と笑う二十美に胸が高鳴る。何かおかしい。これは………誰?
手を引かれるままにいろんな所を回り、いろんな話を聞いた。六十数年の人生経験はダテじゃなく、二十美はたくさんのことを知っていて、面白かった。学校では周りに話を合わせていただけなのだ。
私はいつの間にか夢中になっていた。今までならどこか緊張して接していた二十美とこんなに近く、自然に話せるのがすごく楽しかった。顔が近付いてきても唇を意識しない。手が触れ合っても特別なものを感じない。だからだろうか―――初めて、心の底から二十美を魅力的だと思えた。たった一~二時間の間に、私は彼女の虜になっていたのだ。
マンションに帰った私たちは、買ってきた材料を並べ、早速調理の準備を始めた。
買ってもらったばかりのエプロンをきゅっと締める。二十美がプレゼントしてくれると言ったときは悪いと思ったが、無いと困るし、高価なものでもなかったから受け取った。濃紺の無地だったが、ワンポイントに小さく子犬のイラストが入っている。私服も大人しい柄のものが多いから、こういうセンスなんだろう。派手なのを好まない私と趣味が合う。
「用意できた?」
「う……」
「何?」
「ううん…」
髪をアップで留めた二十美のエプロン姿が似合いすぎていて、思わず見惚れた。いくら実年齢が同じでないとはいえ………すごく大人っぽい。新婚の新妻といった感じだろうか。
「ん……そうだ、ちょっと来て」
台所からリビングに引っ張られた。私を座らせた二十美はクリップを持って後ろに回り、髪を梳きはじめる。何のつもりかすぐにわかった。
「あ…いいって、私、自分のヘアゴム持ってるから」
「すぐにできるから……はい、できた」
手鏡を渡される。クリップで丁寧に留められた髪、そしてうなじが綺麗に覗いていた。自分ではゴムで括るくらいしかしないから新鮮だ。しかも、
「フフ、お揃いね」
かあっと顔が熱くなった。同じ格好でも、私と二十美では程度が違う…。
それは調理の腕も同じだった。丁寧で手際よく、無駄がない。自分の方が倍動いているつもりが、自信のあった野菜の皮むきでさえ追いつくのがやっとだった。
「そんなに急がなくてもいいよ」
「別に、急いでなんて……あイタ!」
指を切った。人差し指を切るなんて素人だ。
「いたっ……ごめん、絆創膏――」
ちょうだい、というのを遮られた。二十美は私の左手を取り、血が滴るのをしばらく見た後、おもむろに赤くなった指を銜えた。
柔らかい舌が張り付いて、私の指を吸う。
「ちょ、ちょっと、二十美…!?」
手を引こうとするが、二十美は離さない……。
「やめてって…!」
もがくが、二十美はものすごい力だ。人の力を超えて……。
はっと息を呑んだ。二十美はその気になっている―――!
色っぽく口から指を離し、私をじっと見る。無表情で、だけど頑なで、意思の強い瞳。いつものような生々しいアプローチではないが、欲していることはわかる。
受け入れられるわけない、けど………私は根負けして、二十美から顔を背けてしまった。二十美は指先に静かに口づけ、また私の指を吸いこんでいく。
小動物にわざと指を噛ませ、反撃しないことで仲間意識を持たせると何かで読んだことはあるが、私のほうが折れてしまうのはどうしたものか。
二十美は私の切り傷を舐めとっていたが、やがて指そのものをねぶり始めた。
ぬるりと、舌先が指の腹をなぞる…。
「んっ…」
変な声を漏らしてしまう。指を舐められているだけなのに、なんだか……。
二十美は無機質に舐めているようで、息そのものは熱くなってきている。
「はつ…み…!」
二十美がゆっくりと指を離す。滴る唾液が私の指と唇を細く繋いでいて、二十美の蕩けた瞳が自分の知らない感情を呼び覚まそうとする。
「…はぁ…は……」
「ふぅ……はぁ…」
お互いの息遣いが耳に纏わりつく……。私の目は濡れたままの二十美の唇にくぎ付けになっている。そんな私を、二十美も見ている……。
動けない…声を出せない。何かアクションを起こしたら、それが引き金になって―――
「…ごめん、買い忘れていたものがあった。買ってくる」
「え…?」
二十美は雑にエプロンを脱ぎ棄てて出て行った。一人になった部屋に、自身の呼吸だけが聞こえる…。
「は…………はあぁ…」
脱力…。ペタリと座り込み、シンクにもたれかかった。
危なかった…。今、迫られていたら、私は………抵抗できただろうか。すでに雰囲気に呑みこまれていたから、きっと――……。
冷たくなった指先をギュッと抑える。まだ少し、血が滲んでいた。
出来上がったカレーは驚くほど美味しかったが、言葉は少ない。先ほどの気まずさが意地悪くトッピングされてしまっている。黙々とスプーンを口に運ぶ二十美はこの沈黙が平気なのだろうか……。
―――と、カチャリとスプーンの先を皿の上に留める。
「盾林くんの、どこが好き?」
「―――」
ジャガイモを丸呑みしてしまった。
「何、突然…!?」
「聞いてみただけ。どの辺が好きなのかなって」
世間話のように話すことじゃない、少なくとも私としょう子の間では――。何の意図があるのだろうか? 二十美は軽くふってきたくせに、退いてはくれなさそうだ。
「どこがって言われても……わからない…」
「……私に遠慮してる?」
「…………」
「別にいいよ。男らしいところが好きって言っても、拗ねたりしないから」
そういう問題……もあるか。
私は居住まいを正して、コップの水を一口含んでから切り出した。
「武人のどこが好きって言われても、本当にわかんない。いいところも悪いところも知ってるけど、そこが好きとか嫌いとかじゃなくて……その……いないと困るっていうか。ずっと一緒だったし………ずっと、好きだったのかも……」
「……へぇ…」
二十美の相槌が重い。望むから正直に答えたが、武人とこじれないだろうか? …そういえば、どうしてミサイル群との戦いで一緒だったんだろう。成り行き上ってどういうこと―――
「…私は?」
「へ…?」
「私は、どこが好き?」
クスリと、悪戯っぽく聞いてくる。
「好きっていうか…」
「ああ、好きなんて言ってなかったけ。じゃあ、いい所とか――」
「……好きだよ、二十美のこと」
二十美が硬直する。私は堰を切ったように気持ちを吐き出し始める。
「二十美は強引だし、怖いところもあるけど、一生懸命私のことを想ってくれているのはわかる。一方的なことも多いけど、譲るところは譲ってくれるし、すごく……愛されてるんだなって思う。美人だし、いろんなことを知っているし、人間的にも、同じ女としても惹かれる。憧れるよ。でも……身体は、困る」
スプーンを握ったままの右手を口元に当て、きゅっと拳を握った。
「別に気持ち悪いとか、そういうのじゃない……いや、いざそういう事にならないと本当はわからないんだろうけど………正直に、言えば……二十美とのキス、すごかったし……迫られる度にドキドキしてる自分がいる。それは驚いているからだけじゃなくて………私、いつのまにか二十美のことをそういう目で見ていたのかもしれない、し……」
顔から火を噴きそうで、死にそうなほど息苦しい。いっそのこと死んでしまいたかった。そしてそれは二十美も同じだったらしい。まさかの告白を受け、真っ赤になっていた。
「私のこと、そんなふうに見ているのに……身体は許せないんだ。どうして?」
どうして……どうして……どうして………。わからない……違う、決まっている。なぜなら……
「…盾林くんのほうが、好きだから?」
私は、残酷なのを承知で頷いた。二十美が長く息を吐き出すのが聞こえる。
「ごめん……私…」
「もし身体を求めないって言ったら――?」
「え……」
思いもよらなかった言葉に頭がついていかなかった。だったらいいという事ではないはず、わかっているはず。仮定の話? それとも本気…?
答えられずにいると、二十美は肩を竦めた。
「なんてね…。それは私の方が無理。そこまでは結晶核も許してくれないしね」
結晶核…二十美の心臓になっている、異文化探求システムのコア。
まさかそれがあるから私を求めているのか―――などとは、口が裂けても言わない。二十美を否定することだ。でも何かしら制限されているのなら……そうだ!
「その結晶核、外してもらえないのかな? ミタモさんの国で作ったものなんでしょ? もしかしたら二十美、普通の身体に戻れるんじゃない?」
「――そうしたら、私のしょう子への欲望も消えると?」
予想に反して暗い声が返ってくる。
「関係ないわ、そんなのあろうがなかろうが。私はね、しょう子……今この瞬間だって、いやらしい感情が溢れそうなの。あなたに触れたい、抱きしめたい……メチャメチャにしたい。あなたの全てを手に入れたい。そのためなら私………世界を滅ぼしてもいいと思ってるのよ」
ぞっとするほどの狂おしい愛情。私には早すぎる。でも……
「…どうしてそうしないの?」
「世界を滅亡させることなんて、いつでもできる」
「違う。どうして私を襲わないの?」
二十美は眉根を寄せる。
「今日はどこかおかしい。今までなら強引に私に迫ってきていた瞬間が何度もあった。指を舐めたときだって、あんな――……」
「止めてっ!!」
絶叫。その意味に気付いて、私は後悔した。
無意味に期待を持たせてしまっている。そしてそれがまた二十美を追いこんでいる。私は惨いことをしているのだ。
「あなたは求めていない……受け入れられない。そうでしょう?」
「………」
二十美は、もうそれ以上の問答は無用だと目を伏せる。私も止めた。
気持ちは通じているはずなのに、どうして仲良くなれないのだろう。気兼ねなく付き合えないのだろう。昼間の二十美との時間が、幻になっていく……。
「私たち、普通の友達じゃだめなの…?」
「…だめ。私があなたを一番愛している、これだけは譲れない。たとえ独りよがりだとわかっていても。だから………私はしょう子の前から消える」
「…何、それ」
「私は盾林くんとしょう子が仲良くやっているところを笑顔で見守れるほどお人好しじゃない。だから離れる、それだけのこと。縁がなかったのよ。私としょう子の時間は、もうお終い」
時刻は、九時―――
白い光が溢れて輪をつくり、空間が歪む。開いた穴からするりと、武人とミタモが出てきた。
「…っと、まだ早かったか?」
スキンを外した武人が空気を察したらしい……いや、最初から構えていた?
「いえ……ちょうどよかったわ。話は終わった。さっさと私を連れて行って」
二十美は立ち、ミタモの立つ穴へと進んでいく。
「ああ、そうだ。盾林くん」
「へ――」
尋常ではない勢いの平手打ちが武人に炸裂した。
「あなた達が幼馴染みであれ、真っ当にアプローチしたのは私の方が先よ。それを横取りするんだから、一発くらいは当然よね?」
「…一発かぁ?」
頬を抑えながら武人は失笑する。武人と何かあった? 武人は二十美のことを知っている?
「ま…待って! 何!? どうなってるの!?」
二十美に手を伸ばすが、触れる前にスキンが装着される。
「私は異文化探求システム……だからここにはいられない。でも協力すれば、処分は免れるのよね?」
応えるようにミタモが頷く。
「その約束は取り付けてきた。プログラムを補修し、安全性が確認されれば、向こうで特別市民権を得られる可能性もある。先は長いけどね」
何の話? 二十美はどこへ行く!?
「そういうことだから」
「何がそういうことなのよ!? いきなりわけわかんないこと言わないでよ!!」
食ってかかるが、逆に二十美に襟を掴まれた。
「じゃあ私と一緒に来る? 地球を、盾林くんを捨てて」
「そっ……」
「…そんな気もないくせに」
突き飛ばされて、武人の腕に受け止められる。
「これが自然なのよ。私はこの世界ではイレギュラー。だから、自分に合った場所へ行く。納得したとは言い難いけど、理解はしているわ。六十年以上生きたんだもの、多少は運命を悟れる……。でも嬉しかった、しょう子に出会えたこと。最後に燃えるような恋ができたこと」
「最後って……もう思い出のつもりなの!?」
「…………」
マスクで隠された二十美は、一体どんな顔で私を見ているのだろう……。
「…盾林くん」
「ん?」
「皮肉にも、あなたがある意味で一番私を理解してくれた。そして、しょう子のことも……。はっきり言って、唇を噛み切りそうなほど悔しい。でも、どう? しょう子は私への未練でいっぱい。わざわざ気を利かせて二人きりになる時間を作ったつもりだろうけど、失敗だったわね。私としょう子は両想いになったの」
愉悦を漏らす二十美だが、
「…だから行くんだろ」
武人の一言に、二十美は斜に構えた。
「……嫌い。盾林くんのそういうところ、本当に嫌い。しょう子は譲ってあげるの。忘れないで…! しょう子を裏切ったら殺しに来るわよ」
「へいへい…了解」
「………フ」
武人と二十美の間では、何か通じるものがあるらしい。私の知らない間に―――。
「まあ……二人とも元気でね」
二十美は、躊躇なく次元の穴へ入って行った。後ろ髪を引かれることもなく。
残ったミタモはスキンを着たままのくせに頭を掻くポーズをとる。
「えーと、彼女のことは責任持ってエスコートするから」
「あっちで割と予想外の目に遭わされた俺としては、信じていいのかわかんないな」
「ハハハ、タケトくんより彼女のほうがややこしいことになるだろうけどね。でも彼女は特殊だし、君たちを助けた功績もある。人道的に扱われるさ。君たちにはお世話になり、迷惑もかけた。この世界にいくらか死傷者も出してしまった。何もできないが、せめて僕が詫びよう。そして君たちの勇気に感謝する。ありがとう。さようなら」
そうしてミタモも黒い裂け目へと消え、光の輪は崩れて消えた。
「…………終わり、か…」
武人が呟く。
これで終わり。別世界からの来訪者は、季節の移ろいのように速やかに去って行ったのだった。
だけど……だけど…
「あ…れ…?」
視界がぼやける……熱い涙が溢れてくる…。
「う、ぐすっ……ごめ…」
「何で謝るんだよ。いいから」
「うん……」
瞼を抑えても涙はどんどん溢れてくる。いつ以来だろうか……私は頭が空っぽになるまで、ただ泣いた。二十美は自分が思っている以上に大きな存在だったことが初めてわかる。でも武人はただ黙って見てるだけだった。二十美のための涙だから、慰めてつけ込むようなことはなんか違う―――後でそう聞いた。男のプライドはよくわからないが、少しだけ武人が大人っぽくも見えた。
ようやく涙が収まると、武人はいつものとぼけたような顔で話しかけてきた。
「…しっかしミタモのやつ、一方的に喋って帰って行ったな。ああいうの、ホントそつなくこなすよな」
「…予想外って、どんな目に遭ったの?」
「ああ、それがさ…」
武人の右手のブレスレットから輪が生まれ、ぷつりと分かれる。それを私に渡してきた。
「バース、返さなくてよかったの?」
「また似たような事起きた時のためにって。ユーザー登録したからどの道俺しか使えないけど、責任の押しつけだよなぁ」
腕を通すと、ブレスレットが縮んでピッタリ収まった。
「それで?」
「あっちに行って、いきなり培養液みたいなのに入れられてさ。そのまま身体の検査されまくるわ、催眠学習装置でスキンの構造や使用規約を覚えこまされるわ、ぶっ通しで三十三日! ふやけるっつーの!」
『それだけ治療に時間がかかった。Dシステムを使いすぎたということだ』
数時間ぶりだが、バースの声が懐かしい。
「結局五十日、二か月近くも滞在してたわけだ。五年がハッタリだとは思ってたが、五十日も長いぞ…」
「……二十美は、もっと酷い目に遭うの?」
不安を洩らすと、武人は困った顔をした。
「さあなあ…。俺も事情聴取みたいなのを受けたけど、とりあえず五月さんは人間で被害者だと散々訴えはした。…内緒にするつもりはなかったんだけど、ミサイル群と戦う前に五月さんに呼ばれて一揉めしたんだよ。内容は……ちょっと恥ずかしいんだけど、どっちがしょう子を好きか、みたいな話でな」
武人が気まずそうに目を逸らすが、初めて聞かされたこっちはもっと戸惑う。
「ものっ凄い剣幕だったな。事情は詳しく聞いてないけど、あれで人間じゃないなんてことないだろ。お前に対する感情も、真剣そのものだったよ」
二十美、そんなことをしていたのか…。
二十美のことに思いを巡らせていると、武人が苛立ったように口を開く。
「……あらかじめ言っておくけど、俺だってお前のこと、本気で好きだからな」
「え!? あ……うん…」
改めて言われると……ずっと待っていた言葉のはずなのに、上手く返事ができない…。二十美がどういう気持ちで言ったのかはわからないが、武人に譲るといった。私だって武人のことが好きだと二十美に伝えたのだ。ちゃんと返事をしなくちゃだめだ。だけど、上手く言葉が出ない………。
重力も空気もなく、光もない。しかし一面フラットなように見えて、そこには確かに波と揺らぎがある。多次元空間の黒い波に揺られるようにして、二十美のシンプルスキンはミタモに自動的に牽引されていた。
「……よかったのかい?」
ミタモが通信で話しかけてくる。「何が」かは、言われなくてもわかる。無視したが、ミタモは一方的に続けた。
「未練たらたらなのは君のほうに見えたけどね。君は執着しないことで逆に彼女への愛を本物だとしたかったのかもしれないけど、伝わってないと思うよ?」
「…………」
「それとも、システムとしての自分を受け入れたから僕についてくることにしたのかな?」
「……確かに私をしょう子に引き合わせたのは結晶核。設定された目的のために対象は女性に制限されているし、しょう子を選んだ理由は遺伝子の相性がよかったからという一因もある。だけど……それを使いこなすのも私」
「ん? と、いうと?」
「血を分けた子供を産むのは、しょう子じゃなくてもいいってことよ」
マスク越しに指先を唇に当てる仕草をする二十美。それを見てミタモは押し黙った。二十美の真意を理解したからだ。二十美の能力なら、しょう子のDNAさえ取ってしまえば、そこから先は何でもできる―――二人の遺伝子を掛け合わせた子供でさえも……
「……ぞっとしたよ。その執着、恐ろしいほどに愛だね。それだけに後悔しないか心配だけど」
「大きなお世話よ……。到着までにまだ時間があるんでしょう? 少し眠るわ。話しかけないで」
「畏まりました、『お母様』」
「………」
多次元空間は体感時間も狂う。スキンの機能がなければ時間に呑まれ、空間に溺れてしまう。ナビに従って自動的にたゆたうのが一番安全である。そうしてミタモも無心になろうとしたとき。
「…っ…う…」
すすり泣く声が聞こえてきた。ミタモは通信回路を閉じようとしたのだが、しばらく逡巡した末、振りかえった。
「あのね、気分を悪くするかもしれないけど―――」