6話 心理の奥で嬉しさをかみ締めて
体育大会は、9月開催だった。
事情により、開催時期が変更され5月後半に変わっていた。
独特の熱気が運動場に渦巻き続ける。
皆、自分たちが所属している組を応援しているのだが。
里咲はテントの下で佐枝ばかり見ていた。
アナウンスが流れ、次の種目に出場予定生徒は各テントから出る。
この学校では、男子100m走は花形のためか。
学年別に3回行う。先ほど、終わったいたのが1年生の男子100m走だった。
次は、2年男子100m走だ。
「よっしゃー、行こうか」
周りの女子が、間髪入れず。
「「「がんば――! 翔悟!」」」
同じクラスの女子数人が少しだけ嬌声のような、声援を送った。
「帰宅部エースの実力を」
「早く行って来い!」
里咲は翔悟の背中を軽く叩いた。応援の意味を込めて。
白い石灰で書かれたレーンの前方にある集合場所へと向かって翔悟は走り出した。
まだ、競技は始まっていないと言うのにけたたましい声援が運動場を埋め尽くす。
◇◇◇◇◇
翔悟の周りに大きなグループが、形成されていた。
理由は彼が、男子100m走で1位を取ったこと。
翔悟の近くにいる里咲。
そきに佐枝とそのグループが加わったことで、大きくなっていた。
その中心に翔悟、里咲、佐枝、伊藤、池川、枕木が集まり。
昼食中だった。
「既視感、ハンパねぇなこれ」
里咲には、少し意味が分からなかった。
そんな思いの間も流し目で、佐枝を見守る里咲。
トレーニングウエア風のジャージと紺色のハーフパンツを身に着け。
空色の弁当箱を左手で持ち、食事中だった佐枝はそれに気づいていたが。気づかない振りを続けるのだった。
◇◇◇◇◇
外は、良い天候に恵まれ。昼休みの校舎は、いつも以上に静まり返っていた。
周りには誰もいない、音楽室。
グランドピアノは、弾き手を失い沈黙していた。
遮光性カーテンが音楽室に光を届けない。
音楽室から目を離した里咲は、外を眺める。
今までの日常は、里咲にいわせて貰えば。非日常だった。
女子と中学生になってから、ある意味で始めて。
個人的な会話をしたのは、あの女子2人に孤独を感じたから。
だだ、それだけだった。
本当は、そういうキャラでは無いと自分でも思っている。
校舎の深奥ともいうべき場所に座する音楽室は、静かであった。
里咲晟冬は、静かな場所が好きだ。
物事を考えるとき、音楽室の前ほど最適な場所は無いと彼は思っている。
昔は、人と話すのは得意ではなかったからこそ。自慢に走ったのかも知れないな。
そんなことを里咲は、窓ガラスに投げ掛けていた。
遠くから、この場所を目指して歩いてくる女子生徒。
騒がしい教室に戻ろうとした里咲の瞳に佐枝が映った。
開きかけた唇を、固く閉じる。
“特に話すこと”はなかった里咲は、予定通り教室へと向かい始める。
片思いを、だだの好意に変えて。心にそっと仕舞い込み。
もう、交わることが無くてもいいと思い。
佐枝から目を逸らすのと同時に2人の体が、垂直に重なった。
動きを止めた佐枝とは逆に、里咲はゆっくりと歩き続ける。
「ねっ、人生は選択のひとつひとつで。運命は変わると思わない?」
立ち止まった里咲は、唾を飲み込み。歩き始めようとしたら。
「平穏を装ってるみたいに、私には観える」
里咲が踵を返す。
「えっと……」
言葉では感じることができなかったが。驚きの後に、喜びの感情が湧き上がっているようだ。
「科学者に大切なのは、観察力って知ってる」
さえた紅梅色の可愛らしい唇を一瞥した里咲きは、視線を瞳に合わせ強く佐枝を見つめる。
今までのような、目を逸らしたい気持ちを感じることはなかった。
「なら、どんな風に見えるんだ? 俺は」
佐枝は、ゆっくると深呼吸。
「他者を支配したい欲求」
体の前で右掌を上に大きく反す。
「知識欲の塊」
左手も同じように返した。
「たまに出てくる自慢癖」
軽く音を立て、体の前で両手を合わせる。
「他にもあるけど、今の親密度ならここまでかな」
「そこまで。分かっていて、近づいてきたのは佐枝さんだけだ」
右手でポニーテールを触りゴム紐を取り払う。
ポニーテールが崩れ、ロングヘアへと変わった。
開かれた窓から入ってきた風によって佐枝の髪がなびく。
どうせならと里咲は、決意する。
「ねぇ、付き合ってみない」
「……俺と、付き合えよ」
始まりは、簡潔にも見えた。
言い方は、2人とも強気ではあったが。言葉に込められた意味は同じだった。
“そばに居たい”
2人の間に、認識の違いがあったとしても――。
◇◇◇◇◇
分からない。
どうしたらいいのか、分からない。
本当の深奥に根ざした素で、大事なこといってしまった自分が信じられなかった。
久しぶりに感じる後悔に苛まれる。
「なにやってんだ、ばか!」
部屋の中で叫ぶ。何も変わらないとしても、叫びたかった。
原因は……。
佐枝と仲が良くなったのは最近のことだろ。
そんな軽口を叩いていい仲でも、親友の親友でも無いのに。
ベッドに飛び乗り、枕を殴りつける。
左腕を引き、枕に打ち込む。痛みなんてありもしない。クッションな感覚しか存在しない。
うっすらと埃を感じる。
「でも……」
よくよく考えれば、不思議でもあった。佐枝は枕木と同じで、俺の暗黒面を知っているんだろ?
そのころの俺をそばで見ていて知っているはずで。
たった数ヶ月で、文字通り人が変わってしまったいい意味で。
「でも」
目蓋を閉じて、天井を見上げると白色のLED照明の光が目蓋に刺さった。
うっすらと見える光とは、対照的に嬉しい。
俺は、嬉しかったんだ。
少しでも、理解してくれたことが――。