2 奴隷になりました
気絶から目が覚めた後、当然ながら夢であるはずもなく周りの景色は変わっていなかった。
意識を失っていたためどれくらい時間が経ったのかはわからないけど僕達は未だに森の中を進んでいた。
それから三十分程経った頃に、ようやく森の出口らしき場所が見えてきた。
森を抜けたところで視界に入って来た光景に息を呑む。
太陽を完全に覆い隠す曇天の下、背後には雲すら突き抜けんとばかりに聳える切り立った岩から成る山脈を背負い、高さは三十メートルを超えるだろう城壁に囲まれた圧倒的な威容を誇る城砦が存在していた。
僕が阿保みたいに口と目を見開いて驚いている内に豚人間は城砦に向かって歩を進めていく。
砦の中に通じているらしき門まで行くと、そこにも鎧に身を包んだ豚人間が二人いた。おそらく門番なのだろう。
狼もどきに乗った豚人間が門番と少し言葉を交わした後(僕にはフゴフゴ言っているようにしか聞こえないため内容は全くわからない)、門番は門に近づいて行き、二人で門を押し開けた。
荷台が通れるくらいまで開いたところで荷台が進み始める。
門を通り抜けるとどこからともなく豚人間が大勢やって来て、荷台に乗った僕達を一人ずつ抱え上げどこかに運び始めた。
抵抗したところで無意味なのはわかりきっているので大人しく運ばれていく。
運ばれている途中で周りを見渡して見ると、僕と同じ人間や、獣の特徴を持つ獣人達が数多く動き回っていた。
ここは僕のように魔物に拉致された人間や獣人たちが無理やり連れてこられて、労働力として働かされているのだろう。
僕が見た限りでは荷台に乗っていた人達よりも更にひどい目をしていた。
数分程周りを見渡していると僕達は灰色の石造りの建物の中に連れて行かれた。
入れられた者から順番に身ぐるみを全て剥がされる。腕が縛られているため脱げなくなっている服は引き裂かれた。素っ裸にされた後、階段を下りてさらに奥に連れて行かれる。
どうやら地下に向かっているようだ。
連れて行かれた先には扉があり、その前に、僕より先に連れて行かれた者達が一列に並ばされていた。
どうやら順番にあの扉の奥に連れて行かれるようだ。
「いやだああああああぁぁぁぁぁ⁈」
僕が列の最後尾についた直後、扉の向こうから悲鳴が聞こえてきた。
悲鳴は直ぐに聞こえなくなったが並んでいる者たちに動揺と恐怖を与えるには充分だった。
中には顔を蒼褪めさせて震えている者や泣き出している者までいる。ちなみに僕もその中の一人だ。
震えている間にも列はどんどん進み、遂に僕の順番が来てしまう。
扉を潜るのを躊躇っていると後ろから豚人間に背中を突き飛ばされて無理やり進まされる。
部屋に入ると豚人間に猿轡を噛まされた後、肩を押さえつけられて膝をつかされた。
背後からパチパチッと火の爆ぜる音と共に誰かが何かを持ち上げる気配を感じたと思うとその気配が僕の元に近づいてくる。
この後自分が何をされるのかが何となくわかってしまった僕は力の限り暴れようとするが肩を押さえつけている豚人間はビクともしない。
「んんんんん⁈」
背中に熱の塊がどんどん近づいているのを感じ最早恐慌状態だ。
(いやだ! 来るなぁ! お願いだからからやめてええぇぇぇぇぇ⁈)
抵抗虚しく遂に熱の塊が僕の背中に押し当てられる。
ジュウウウウウ!
「ヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ⁈」
背中が焼ける音と共に凄まじい激痛と灼熱感が襲って来る。
頭の中から痛みと熱以外の情報が消えていき意識が全て背中に向かう。
叫びたくても猿轡をしているためそれも叶わず獣のような呻き声を発することしかできない。
数秒だったのか数分だったのかそれだけの認識すら曖昧になり、ようやく熱の塊が離れていく。
「~~~~! フヴー、フヴー」
未だに熱と痛みは消えないが、解放されたことで体中から力が抜けていく。同時に意識も薄れていき。僕の体は前のめりに倒れていく。
最後に見たのは目の前に迫る真っ黒で硬そうな地面だった。
「んん……?」
体に感じる硬い感触に目を覚ます。
石畳の上で寝かされていたようで体のあちこちが痛い。他には背中が少し熱っぽいくらいだろうか。
思考ははっきりしているようだ。嬉しくもなんともないけど意識を失う前に何があったかもちゃんと覚えていた。
僕は今いる場所を確認するため周りを見渡すが、二メートル四方の石の壁に囲まれているだけで外に出るための木で作られた格子状の窓が付いた扉がある他には何も見当たらない。
まるで牢屋だ。
いや、まるでではなく実際そうなんだろう。
僕は自分を囲む暗く狭い空間に腹の底から恐怖が湧き上がるのを感じた。じっとしていることが恐ろしくなり立ち上がってみる。
扉に近づき押したり引いたりしてみるが全く動かない。予想はしていたが外には出られないようだ。
「ん?」
と、そこで僕は服を何も身に着けていないことに気付いた。先程からやけにスースーすると思ったらこれだった様だ。
部屋の中を見回すと、先程は暗くて気付かなかったがよく見れば隅の方に何か布らしき物があることに気付いた。持ち上げて見てみるとどうやら上下の衣類の様だ。それを確認するとさっそく袖を通してみる。
あまりいい生地は使ってないようでなんだかザラザラチクチクしていた。下も穿いてみるが下着はくれなかったようなので直接身に着ける。やはり違和感があるし、どこにとは言わないけど擦れると少し痛かった。
「この後どうしよう……」
すでに考えられる範囲で今出来ることは終わってしまった。この小さな部屋の中では出来ることなどたかが知れている。
「おい? 聞こえるか?」
やることが無くなって脱出する方法でも考えるかと思っていると、いきなりどこかから声が聞こえてきた。
「⁈ だれ⁈」
突然の自分を呼ぶ声に肩をビクリと震わせ声の出所を探る。
「こっちだこっち。 壁の下を見てみろ」
壁の下?
どういうことかと、声の聞こえてきた方の壁を探っていくと一部分だけ床から十五センチくらいの高さまで崩れている所があった。
そこに顔を近づけて声を掛けてみる。
「ここ?」
「おお、気付いたか! ははっ、ようこそ新入り君。一人で退屈してたところでな」
やけに明るい声と共に返事はすぐに帰って来た。
「あなたも捕まってるんですか?」
「当然だろ。こんなところで人間や亜人が自由にしてられる訳がない」
声からして男だろう。僕と同じくここに捕まっているみたいだ。それも僕より長くここにいるようだ。
(チャンスだ! 出来るだけこの人から情報を聞き出そう!)
そう考えた僕は早速気になっていたことを男に聞き始める。
「ここはどこなんですか?」
「ん? 知らないのか? ここの近隣諸国じゃかなり問題になってて、国民の間でも話題になってる筈なんだが」
どうやらこの周辺にはいくつかの国が存在するようだ。
「えっと、ここに連れてこられるまでずっと人里離れた山奥で暮らしてたもので。世間の事には疎いんです」
いきなり異世界からやって来ましたなんて言っても信じて貰えないだろうと思い。咄嗟に考え付いた言い訳で誤魔化しておくことにした。
「へえ、それじゃ仕方ないか」
意外と簡単に誤魔化されてくれた。
「それで、なんで問題になってるんですか?」
僕が質問すると壁の向こうの声は少し呆れ気味になった。
「そりゃ問題にもなるさ。お前だってここの様子を見ただろ。魔物がこれだけの城砦を築こうとしてるんだ。しかもそれを指揮してるのが魔王の一人かもしれないって話でな。どこかの国に攻め込むつもりなんじゃないかって不安ばかり募らせてるよ」
「魔王?」
話の中に出て来た、いかにもファンタジーな単語につい反応してしまう。
「まさか魔王も知らないのか? どんだけの田舎にいたんだよ……」
「いや、まあ……」
そんな事を言われても困ってしまう。こちとら魔王どころかさっきの話で出た近隣諸国の一つも知りませんから。
「はあ……。まあついでに教えてやるよ。いいか? 魔物の中には稀に強力な力を持った個体が生まれることがあるんだが、そいつらが何らかの方法で進化を重ねて、より上位の存在に至ることで魔王が生まれると言われているんだ」
なかなか興味深い話だった。でも、今までの話からするとこの世界には魔王が何人もいる様に聞こえるんだけど、よく人類は繁栄出来たなあ……。
まあ国がいくつもあるみたいだし人間や、この人がさっき言っていた亜人と呼ばれる者の中にも強い奴がいるのかもしれない。
「へえ。ちなみに魔王って何人いるんですか?」
「現在確認されているのは五人だな」
五人というのは多いのか少ないのかよくわからない。
「じゃあ、この城砦の建造を指示してるのがその一人なんですね」
「まだ姿を見た訳じゃないから可能性の話だが、これだけの魔物の数を統率してるんだ。確実に魔王が関わってるだろうな」
今更になって自分がとんでもなく危険な場所にいるのだと理解した。
「ここを出る方法はないんですか?」
自分に色々教えてくれたこの男なら何か方法を知っているんじゃないかと、一縷の希望にかけて訊ねてみる。
「無いな」
だが小さな希望はあっさり絶たれる。
「大体そんなもんがあったら俺は今ここにいないさ」
それはそうだ。そんな都合のいい話が転がってるわけがない。
わかりきっていた結果に落胆している僕に壁の向こうの声は更に追い打ちをかける。
「それにな、気付いてないみたいだから教えておくが自分の首を触ってみろ」
首?
それがどうしたんだと思いながら自分の首に手を持っていく。すると何か硬い金属のような感触が指に伝わって来た。
なんだこれと思いながら触っていくと、どうやらそれは首の後ろまで繋がって輪になっている所謂首輪だということがわかった。幅は一センチ程でぴったりと首に巻き付いている。重さは全く感じず呼吸も特に妨げられることはないようで、指摘されるまで気づかないほど違和感がない。
「なにこれ?」
僕の呟きに壁の向こうから答えが返ってくる。
「それは隷属の首輪だ」
「隷属の首輪? なんですかそれ?」
名前からしてあまり知りたくないけど、今後のことを考えるとここで聞かないわけにもいかない。
「隷属の首輪は主に奴隷になった奴につけられる物で、これをつけている者は首輪の所有者の命令に対して絶対服従。命令に反する行動や自殺、首輪を無理やり外そうとすれば装着者の全身に激痛が走るようになっている」
そんな……、それじゃあ、もう僕は自分の意志で行動することも出来ないのか。
こっちの世界に来て何度目かわからない絶望を僕は味わうが、まだ終わりではなかった。
「だが、それはあくまで普通の隷属の首輪の場合だ」
普通の場合? どういうことだろう?
「俺たちの首についてるのは、ここの魔物だか魔王によって効果が足されているようでな、もう一つ、自動回復の魔法が掛けられている」
やはりこの世界には魔法もあるんだなと僕は思ったが、それよりも気になることがある。
「自動回復? わざわざそんなものを付けるなんて随分親切ですね」
これだけの仕打ちをしてきたくせに、魔物や魔王にも多少の慈悲はあるのだろうか。そう思っていると男は続ける。
「本当にそう思うか……?」
壁の向こうの声のトーンが今までのものより一段下がった。その声には会話を始めてから一度も感じられなかった怒りの感情が含まれていた。
それを感じ取った僕は思わずゴクリと唾を飲み込む。
「その魔法が発動する条件は首輪の装着者の生命活動に支障が出る程のダメージを負った場合だ。例えば腹を剣で刺されたり全身の骨が折れたりしたときに最低限動き回れるぐらいまで回復する。ついでにこれは外傷だけでなく精神の均衡も保つようになってる」
それだけ聞くと装着者の身を守るためにも聞こえるがそうではないのだろう。男の話はまだ続く。
「ようするに何があっても死ぬことは無いし狂うことも無い、出来ないってことだ」
その言葉を聞いた瞬間、僕の体がブルリと震えた。
それはつまり……。
「気付いたか? つまり俺たちは死ぬほどの拷問を受け苦しみ泣き叫ぼうとも、自ら死を選ぶことも発狂して自我を失うことも許されない。寿命が尽きるか即死でもしない限りここで奴らの奴隷として暮らすしかないんだ」
「そんな……」
あまりの事実に、辛うじて口が開くが続く言葉が出てこない。
僕は目の前が真っ暗になっていくのを感じた。
もう自分には自由は無いなどと信じたくは無かった。
だが己の首にある存在がこれが真実で現実だと囁いてくる。
「これからどうすれば……」
「さあな。精々魔物共に目を付けられないように気をつけるんだな。最悪な場合だと生きたまま奴らの餌にされるらしいぞ」
返事を求めた呟きではなかったのだけど、壁の向こうからは大して役に立たなそうなアドバイスと碌でもない追加情報が返って来た。
「ああ、そういえば名前を聞いたなかったな。何て名前だ?」
「御神ハイジ……」
既に会話を続ける精神的余裕は殆ど無かったが、なんとか呟くように答える。
「ミカミハイジ? 変わった名前だな」
「ハイジでいいです……」
話すことに疲れて対応も適当になっていく。
「そうか。なら俺のことは、そうだな……」
少し考える間があった後、そいつは名乗った。
「リザン、と呼んでくれ。どれくらいになるかわからんが、まあこれからよろしく頼む」
こうして遅くなった自己紹介の後、気力を振り絞りいくらか情報を引き出すとリザンさんが眠いと言い出したのでその日はお開きとなった。
こうして僕は未来を失った代わりに顔も知らない話し相手を得ることでその日を終えた。