19 脱出
オーガを倒した後、僕はすぐにでも池に入りたかったけど思い直してまずは散らばってしまった荷物を拾い革袋の中に片付けることにした。
片付ける際に気付いたのだけどオーガに止めを刺したこのナイフ、無茶な使い方をしたせいで刃がボロボロになっていた。
これじゃあ戦闘に用いることは出来そうにない。まあ果実の皮を剥く位なら出来そうなので一応取っておこう。
一通りの片付けが終わりようやく水浴びが出来る様になった。
僕は来ている服を全て脱ぎ捨て素っ裸になり池に飛び込んだ。
ザバッ。
頭まで全て水の中に潜り数秒経った後勢いよく水面から飛び出る。
「ぷはあああ! あぁ、気持ちいぃぃぃぃ!」
全身を水の心地良い冷たさと爽快感が駆け抜けて行く。
一ヶ月以上もの間に溜まった身体の汚れがボロボロと身体の表面から流れ落ちていく様だ。
僕は背中から水面に倒れ込みそのままぷかぷかと暫く浮き続けた。
十分程経った頃僕は身体を起こし今度は片腕が届く範囲で身体中をごしごしと洗い流す。髪の毛は油でギトギトになっていてすっきりするまで少し時間が掛かった。
一通り身体を洗った後、僕は少し離れた所まで水の中を歩いて行く。
「さてと……この水ってこのまま飲んでも大丈夫なのかな?」
見た限りでは水は透き通っていて飲んでも問題なさそうに見える……。でも元都会暮らしの現代っ子には池の水をいきなり飲むというのは抵抗がある。
「まあオーガも飲んでたし……大丈夫かな?」
この場所でオーガを発見した時のことを思い出しながら池を眺める。
「いや、オーガが飲んでるから大丈夫っていう考えもおかしいよね……」
自然とオーガの行動を判断基準にするほど感覚がズレてきていることに僕は愕然とする。
「そもそも僕は人間であいつら魔物だし。いや、今の僕って人間って言えるのかな……? 魂吸収してパワーアップって、訳の分からない身体になってるし…………はあ、もういいや。水くらい今の僕なら大丈夫だろ」
自分が得体の知れない身体に変化していってることに少し悲しくなり溜息が出るが、今は割り切ることにした。
僕は両手をお椀の形にくっつけて表面の水を掬い口に持って行く。
「ずずっ……ごく」
冷たい水が喉を通って行くのが心地いい。
久しぶりに飲んだ水はとても美味かった。
今度は口を直接水面に付けて飲む。
「んぐっ、んぐっ……ぷはっ!」
好きなだけ飲み続け満足した僕は口元を腕で拭い身体を水中に沈める。
「ああ~……」
全身の力を抜き水中を漂う心地良さに身を任せながら現状と今後のことに考えを巡らす。
森の深部に入り込んでからそれなりに時間は経っている。ここを抜けるにはまだまだ時間が掛かるだろうけどそれ程難しいことではない様に思える。
オーガを倒したことで手に入った力は今までとは比べものにならない程強大だ。だからと言って油断する訳ではないけどこれならこの先のモンスターと遭遇しても早々に死ぬことはないだろう。
それに聴覚を全力で広げて進めば魔物の位置を確実とはいかなくても察知することが出来る。そうやってなるべく戦闘を避けて進めば割と早くこの森から出られるはずだ。
そこまで思考を巡らせたところで今日のところはとりあえず休み明日に備えることにする。
僕は今後の方針を決めると池から上がった。
身体を拭く物もないので火を熾し、少し乾かしてから着替えようと思ったのだけどそこで今まで着ていた服が所々泥や血がこびり付いて汚れていることを思い出した。
「せっかく身体を洗ったのにまたこれを着るのはなあ……」
このまま着てはまた汚れが付いてしまうので池で汚れを落としてから着ることにした。
僕は全裸のまま汚れた服を持って池に行き水に浸けて洗い出す。片腕だけなので擦り付けて洗うことが出来ず、ジャブジャブと水の中に出し入れするだけになってしまう。
長い間ほったらかしにしていたので染みついた痕や汚れは落ちないけど表面が綺麗になるだけでも十分だろう。
僕は洗い終わった服を近くの枝に引っ掛け火を熾して乾くのを待つことにした。
一先ずやることは終わったのでどうしようかと思い池を眺めていると、右手の茂みからガサガサと物音がした。
少し驚いてそっちを見るとまたもオーガが姿を現した。
「げっ」
さっき辺りを調べたときには付近には何もいなかったはずだけど水浴びをしてる間に近づいていたらしい。
突如現れたオーガは僕の姿を捉えると観察するようにじっと見つめて来る。
このオーガはさっき倒したオーガと違い初めて見た時と同じで体長三メートル程で茶色の体皮をしていた。
じっと見つめて来るオーガを僕も同じ様に見つめ返す。
それにしても……。
上半身裸で筋骨隆々な巨躯を誇るオーガ(多分雄)と全裸の人間(男の子)が互いに見つめ合っているというのは傍から見ると少々危ない気がする。
こういうのは確か腐った脳をお持ちの方々には喜ばれると、孤児院で暮らしていた年上の子から聞いたことがある……。
などと、どうでもいいことを考えていたら見つめ合っていたオーガが動き出していた。
「ガアアアアア!」
オーガは手にしている木でできた棍棒を振りかぶり真っ直ぐ僕に向かって走って来る。
僕はその様子をじっと見つめている。
少し前までこの巨躯が迫って来る恐怖と威圧感に気圧されそうになっていたのに今は完全に落ち着き冷静にオーガの動きを観察出来ている。
急激な自分の変化に内心驚きつつも僕は動き出すタイミングを見計らう。
僕がオーガの攻撃範囲に入った瞬間オーガが棍棒を振り下ろす。
(視える……)
僕の両目はオーガの動きを完璧に捉えていた。
正確に僕の頭部に振り下ろされる棍棒を左に一歩ステップを踏むことで軽々回避する。
「ガア⁈」
自分の攻撃を軽々回避されたことに驚き隙を晒しているオーガに瞬時に肉薄すると僕は左の拳に力を籠めて引き絞る。
(さっきのオーガには効かなかったけど……)
さっき戦ったオーガには自分の拳は全く効果が無かったが、今の自分なら通用すると僕は頭のどこかで確信していた。
僕は躊躇うことなく引き絞った拳をオーガの脇腹目掛けて振り抜く。
ズンッ!
放った拳が凄まじい衝撃音と共にオーガの脇腹にめり込んでいく。
「グゲアアア⁈」
まともに喰らったオーガはあまりの威力に悲鳴を上げ腹を押さえて蹲る。
(お、おおっ!)
ここまで効くとは思わず僕自身この威力に驚いていた。
オーガは膝を地面に着いた状態で蹲っているため頭部の位置が低くなり攻撃が届くようになっている。
そのチャンスを数々の死闘を潜り抜けて来た僕が見逃すはずがなく、オーガ目掛けて踏み込みながら膝を曲げ腰を低く落とす。曲げた膝と身体を伸ばす勢いを利用して引いた左腕を掬い上げる様にオーガの俯いた顔面に叩きこむ。
ガゴンッ!
「ガ……グァ……」
叩き込まれた衝撃でオーガの顔が跳ねあがりその勢いに上体が引っ張られ起き上がる。
今の一撃でオーガは既に意識を失っていたけど僕の攻撃はまだ終わらない。
振り上げた腕と踏み込んだ足を引き戻し腰だめに構える。
起き上がったオーガの上体が倒れ込んで来て白目を剥いた顔が構えを取った僕の目の前に晒される。
「はっ!」
鋭い呼気と共に突き出した拳が再びオーガの顔面を捉える。
ドゴンッ!
重い音を響かせながらオーガの顔面に突き刺さった僕の拳が敵を仕留めた確かな手ごたえを伝えて来る。
ずるっ。
腕を抜くとまともに喰らったオーガは拳の形に陥没させた顔面を首の中に三分の一程めり込ませ死んでいた。
「マジで?」
僕もまさかオーガをここまで一方的に倒せる様になるとは思わず、あまりの身体能力の向上具合に驚愕する。
でもこれで今の自分がどれ位戦えるのかがわかった。思いがけず始まった戦闘だったけど得る物は十分あったと言える。
僕は上機嫌でオーガの死体に踵を返そうとしたのだが、
「うげえ……」
ふと手を見ると殴った際に噴き出たオーガの血や体液が付いてべたべたしているのが目に映った。
さっきまでの気分は吹き飛び気持ちの悪さに眉を顰める。
今度から魔物を殺すときは気を付けようと僕は心に固く決め、手に付いた汚れを落とすため池に向かった。
その日はいつもの果実と来る途中に狩っておいたホーンラビットを焼いて食べた。最初はオーガの肉を焼いて食べようとしたけどあまりに硬く筋っぽいため断念した。
その後は特に何もすることもなく翌日まで休んだ。
身体が強化されたことで魔物に襲われた時の心配が減り精神的にだいぶ余裕が出来た僕はしっかり休息を取ることが出来た。強化されたことで身体の回復力なども上がっていることも理由の一つだろう。
目を覚ました僕は軽く身体を動かして体調を確かめてから朝食を取り、その後は荷物を纏めてすぐ出発した。
僕は最初水もなんとかして持って行こうと思ったけど、入れる容器がないため諦めた。またしばらく果汁で我慢する日々が続くようだ。
出発してから四時間、時々魔物と戦闘になりながらかなりのハイペースで進んでいるが全く疲れない。これも身体能力が上がった影響だろう。
ここまでくる間にオーガ以外にもグレーウルフを二回り大きくした狼や体長がどれだけあるのかわからない程巨大な蛇等、リザンさんに教えて貰った知識にはない強力な魔物と戦ったけど苦戦はしつつも大怪我を負う程ではなかった。
更に倒せば倒すだけ強化される身体の御蔭で奥に進んで行くほど逆に戦闘が少し楽になっていった。
ただ、残念なことに今日まで使い続けていた相棒とも言える斧が遂に限界を迎えた。幾度目かの戦闘中、魔物に叩きつけた際に柄の半ばからぽっきりと折れてしまったのだ。刃が殆ど潰れていて斬撃武器と言うよりただの鈍器になりかけていたのだけど、今の僕の腕力で魔物に叩きつけ続けたために劣化が進んでいた普通の斧の耐久力では耐えられなかったのだろう。
僕は今まで共に戦い続けてくれたことに感謝し、その場で斧を供養した後先に進んだ。
その後は主武器が壊れてしまったため素手で戦闘を行って来たけど強化された身体能力を駆使して何とか渡り合うことが出来た。
どんどん元の身体から離れているがこの世界で生きていくには何よりも力が必要だ。特に元々体力が少ない子供で何も知らずこの世界に迷い込んだ僕には尚更である。もう受け入れるしかあるまい。
今の自分を受け入れることで僕は心のどこかがすっきりとし、気が楽になるのを感じた。やはり気にしない様にしつつもどこかで気になっていたのだろう。
なんだか新しい自分に生まれ変わった気分を味わいながらどんどん森を進んでいく。
それから休憩を挟みながら進み、更に二時間程経ち森の中に僅かに木漏れ日が射す様になった頃魔物の足音を感知した。
最初は道を変えて進もうとしたけどよく調べてみると相手の足音がやけに小さいことに気付いた。
僕は慎重に近づいて行き足音の主を探るとそこにはホーンラビットがいた。
「えっ?」
僕の口から疑問の声が漏れる。
この森は深部に近づくにつれて魔物の強さが上がっていき、それまでに見た弱いモンスターは生息しなくなっていく。
つまりここにホーンラビットが生息しているということは――――
「抜けた……」
そう、ついに深部を抜けることが出来たのだ。
「は、はは……はははは!」
思わず笑いが零れる。
それもそうだ。ここまで来れば今の僕にとっては雑魚の魔物しかいないのだ。
もはや森の出口は目と鼻の先である。
興奮が最高潮に達した僕は慎重に進むことなど忘れて駆け出した。
途中魔物が道を塞ぐように出現したけど僕は速度を緩めることなく魔物を蹴り飛ばし、殴り飛ばし、時には踏み潰しながら結果を確認することすらせず前だけを見て走り続けた。
全力で走り続けて約二十分。
遂に森の出口に辿り着いた。
森を抜けた途端遮る物のなくなった空から太陽の光が降り注ぎ僕の全身を照らす。
久しぶりに感じる暖かさと眩しさに目を細めて身を任せる。
一度目を閉じて深呼吸した後、ゆっくり目を開けて視線を前に向ける。
目の前にはかつて目にした草原が広がっている。
次はここを越えて街道を見つけなければならない。
見渡したところ魔物の姿は見えない。問題はどれ位距離があるかだけどリザンさんの話では歩いても数時間の距離だと言っていた。
道標になる物が何もないのでなるべく真っ直ぐ進むよう気を付けながら僕は歩き出した。
暫く歩いて後ろを振り返るとさっきまでいた森がだいぶ小さくなっていた。こうして離れた所から見てみるとあの森がどれだけ巨大かが分かる。
端から端まで数キロに渡って伸びている。あのすべてに魔物が生息していると考えるとよく森を抜けられたと思う。
少しの間感慨に耽った後、身体の向きを戻し前に進む。
二時間が経つ頃、草原の先に街道らしき物が見えた。
リザンさんの話よりだいぶ早くここまで来れたけど身体が強化されて普通より早く歩くことが出来たからだろう。
「もう少しだ」
僕は必死に逸る心を押さえ、それでも早足になりながら街道を目指す。
街道を目にしてから数十分。僕はついに街道に辿り着いた。
街道の左右を見回しても人気は無い。草原を抜けてから都市までは距離があると言っていたから馬車でも通れば何とか乗せて貰えないかと思っていたけど無理そうだ。いや、たとえ見つかったとしても今の僕の格好では怪しすぎて素直に乗せてくれるとも思えないが。
やはり歩くしかないのだろう。
と言ってもここまでずっと歩いて来たのだ。僕の体力なら今更どうということもない。
体力的にも精神的にも僕は既に小学生の域を逸脱していた。
この世界に転移してから考えられない様な苦難にばかり遭って来たのだから当然とも言える。
僕はさっさと気持ちを切り替えて都市に向けて歩き出す。




