15 森へ
ここからようやくハイジが活躍していきます。
頑張って強くなっていくハイジを見守ってあげてください。
門を出ると目の前には視界一杯に広がる巨大な森が存在していた。
右を見ても左を見ても森が広がるばかりで他には何も見えない。
後ろにあるのは切り立った岩が連なる山脈と、それを背にした忌々しい魔王の砦だけ。僕には森へ進むという選択肢しか残って無いようだ。
それに、リザンさんに教えて貰った知識の中に森を抜けた先にある草原(僕が最初に目を覚ました場所だ)を越えて街道に沿って北東に進めば王国領内の都市があると言っていた。今はそこを目指して進むことにしよう。
覚悟を決め、僕は森へと向けて足を踏み出す。
奴隷生活で知ったのだけどこの砦の周辺は常に空を雲が覆っていて太陽の光が殆ど射さない。そのせいで森の中は常に薄暗く、更に巨大な木々が生い茂っているため視界があまり良くない。
そういえばとふと思う。
自分が初めてこっちの世界に来てこの森に入った時もこんな雰囲気だったな、と。
でもあの時と今では色々と違うこともある。
上下とも私服を着て五体満足だったあの頃に対し、今では上下ぼろぼろの粗末な服に裸足、おまけに右腕を消失した状態。唯一の気休めに武器として砦に落ちていた小さめの斧を一本持って来た。
持って来たと言っても子供の筋力に片腕、おまけに日々の過酷な生活のせいで体力が落ちているので、なるべく体力を温存するために引きずっている状態だ。
こんな状態と装備で魔物の生息する森を抜けなければならないのだから少し前だったら絶望して立ち竦んでいたと思う。
でも僕はあの砦で死を望む程の絶望と諦めを散々味合わされて来たのだ。生きた先に何も無かったあの頃と違って今は確かな希望がある。それを考えればまだまだ気力は充実している。
まだ心に余裕がある内に先を急ごうと僕は足の回転を速める。
そうして進み二十分程経った頃、視線の先に見覚えのある姿があった。
この世界に転移して初めて遭遇した魔物。
そう、あのウサギもどきだ。
リザンさんにこの魔物のことを聞いたら正式名称はホーンラビットという名前だと教えてくれたのだけど見た目そのまんまだった。
そのホーンラビットはまだこっちには気付いていないようで、丸くて可愛らしいお尻を僕の方に向けながら全く動かない。
昼寝でもしているようだ。
本来だったら小さくてもこもことした身体を丸めて昼寝をしている様は、魔物とはいえ見る者に癒しを与えるのかもしれない。
でも僕にはそんな姿を見てもいきなり襲われて逃げた挙句にオークに捕まった時のことを思い出し、癒されるどころか黒くてドロドロとした恨みと怒りしか湧いてこない。
今だったら気付かれないうちに通り過ぎることも可能だけど僕はそれを選ばなかった。
今後、魔物と戦うことになった時のことを考えて、あの無防備な姿を晒しているホーンラビットを練習台にさせて貰おうと思った。
僕は極力足音を立てない様に背後からゆっくり近づいて行く。
十メートル――五メートル――、
どんどん近づいていくが向こうはまだ気付かず眠っている。
あと数歩で斧の間合いに入る。
(あと五歩……四歩……三……二……一――今だ!)
斧の間合いに入った瞬間、思い切り斧を振り上げ上体を逸らす。
「⁈」
後は振り下ろすだけという時、そこで予期せぬ事態が起こる。
ずっと眠り続けていると思っていたホーンラビットが突如身体を起こし僕の方に勢いよく振り向いた。
「ギギャ!」
ホーンラビットはその赤い双眸に僕の姿を捉え、高い鳴き声を上げながら角を僕に向けて飛び掛かって来た。
今の僕は斧を振り上げて身体が伸びきっているため、いきなり別の動作に切り替えることは出来ない。
「くそっ!」
仕方なしに僕は振り上げた斧を飛び掛かって来るホーンラビット目掛けて振り下ろす。
でも一瞬判断が遅れたせいか、斧はホーンラビットが既に通り過ぎた所に深く突き刺さる。
斧を潜り抜け僕の懐に入り込んだホーンラビットは僕を串刺しにすべく、鋭く尖っている角の先端を腹部目掛けて突き出してくる。
「あああ!」
僕は身体を思い切り横に傾けて倒れ込む様にしてホーンラビットの攻撃を躱す。
本来だったら右腕が存在する場所をホーンラビットが通り抜けていく。
僕はすぐに立ち上がり斧を引き抜く。
全身からは冷や汗が噴き出ている。
恐らくあのホーンラビットは僕の存在に気付いて待ち伏せていたのだろう。不意を突くつもりが逆にこっちが突かれてしまうなんて、あの見かけにすっかり油断してしまった。
「ギギャギャア!」
地面に着地して僕を振り返ったホーンラビットが不快な鳴き声を上げて威嚇してくる。
頭の中に前と同じ様に逃走という考えが浮かぶがそれを必死に追い払う。
今この魔物と戦えず逃げ出すようではこの先より強力な魔物と遭遇した際に生き残ることはきっと出来ない。
そう覚悟を決め、僕は武器を構えホーンラビットと向き合う。
向こうもこちらの様子を窺っているようで動かない。
暫くお互い見つめ合っていると先に痺れを切らしたホーンラビットが地を蹴りつけ駆け出して来た。
僕は高速で接近してくるホーンラビットの動きに合わせて今度は斧を握っている腕を身体ごと引っ張り横薙ぎに振るう。
襲い掛かる斧をホーンラビットは大きく跳躍することで回避しそのまま僕の顔面に向かってくる。
今度は焦らずに相手の動きをよく見ることができた。
僕が身を屈めることでホーンラビットは頭上を通り抜け、完璧に回避することに成功する。
でも回避することは出来てもこっちの攻撃が当たらない。腕が片方しか無いために武器の細かい扱いが出来ずにどうしても大振りの動作になってしまうのだ。 これじゃあ素早く小回りの利くホーンラビットが相手では簡単に躱される。
それに加えてそれなりの重量を持つ斧を振り回しているのだ、このままでは先に体力が尽きてしまうだろう。
目の錯覚だと思うけどホーンラビットもそれを理解して残酷に嗤ったような気がした。
段々と焦りが出てくる中、僕はふと最初にホーンラビットに襲われた時のことを思い出した。
そしてあるシーンが頭に浮かんだ瞬間、閃いた。
周りを見渡し実行が可能なことを確認すると、僕はすぐにある物の前に自分の立ち位置を変える。
移動を終えてホーンラビットに向き直れば今度こそ仕留めてやると言うように牙を剥き出しにして唸りを上げている。
一際深く身を沈めたかと思うと地面を蹴りつけ今までで最高の速度を出しながら迫って来る。
僕はすぐに回避動作に入ろうとするのをグッと我慢しギリギリまでホーンラビットを引き付ける。
残り二メートルを切りホーンラビットが跳躍したところで僕は真横に身体を投げ出し避ける。
目標を失ったホーンラビットはそのまま僕の真後ろにあった大木に突っ込み、その角を深々と刺し込んだ。
僕はすぐに身体を起こし斧を握った手に力を籠める。
ホーンラビットは慌てて角を引き抜こうとしているけど勢いを付けたせいでかなり深くまで突き刺さり簡単には抜けなくなっている。
「うおおおおおお!」
僕はもがき続けているホーンラビットの背中に振り上げた斧を思い切り振り下ろす。
ブシュウウッ!
切り裂かれたホーンラビットの背中から鮮血が吹き出し視界を赤く染め上げ、肉を切り裂きめり込んでいく感触が斧を握り締める手に伝わって来る。
切り裂いていく途中の肉の中で止まりそうになる斧に更に力を込めて強引に最後まで振り切る。
「はあっ、はあっ!」
ずるりと斧が手から滑り落ち赤く汚れた地面に横たわる。
「はあー、はあ……ふう」
乱れた息を整えて顔を上げる。
視線の先には背中をバックリと切り裂かれ血をぼたぼたと流しながら、角を木に刺してぶら下がったまま絶命しているホーンラビットがいた。
だいぶ深く切り込んだようで、開いた背中から内臓らしきものが垂れ下がっている。
かなりグロテスクな光景だけど砦でもっと酷い光景を見続けた僕なら耐えられないことではない。
と、ホーンラビットが死んだことを確認していると不意に何かが自分の中に流れ込む様な感覚を感じた。
何が起きたのか、今感じた感覚に意識を集中させようとしてみるけど既にその感覚は消えていて何だったのかは分からない。
多少の気持ち悪さを覚えながらもその場はとりあえず後回しにすることにした。
それに――
「ふう、勝った……」
僕はそんなことを気にするよりも一つの壁を乗り越えた達成感に心が満たされていた。
かつて砦の中で一方的に植えつけられた痛みと死の恐怖。
でも今回、奴らよりも遙かに小さくはあるが自分の力で魔物を倒したことで、自分でも魔物に抗うことが出来ると確信できた。
今日この時、僕は確かな一歩を踏み出した。




