13 広がる被害
魔王の砦の眼前に広がる森とそこを抜けた先にある草原、その境界付近に数人の人影があった。
人影は全員男で、動きやすさを重視した軽装に身を包み車座になって座り込んで何ごとか話し込んでいる。
彼らの正体は全員が王国に仕える諜報・偵察部隊の一員で、森を抜けた先にある魔王の砦に潜入したリザン・ベクタールから砦内部の情報を受け取り定期的に王城に報告するためここで待機していた。
前日に定期報告のため城に仲間数人が向かうために交替したばかりで次の交代要員が来るのは十日は先になる予定だった。
その間彼らはまたある程度纏まった情報を報告するためにリザン・ベクタールからの報告を待っていた。
こんな何もない草原で座り込んでいては野生に生息している魔物や砦から人を攫いに出てきた、または砦に戻る魔物に簡単に見つかってしまうと思うが、彼らはその辺の対策はしっかりと整えていた。
諜報・偵察部隊に入隊するための条件の一つに隠蔽魔法というものがある。これは自分と周囲の景色を同化させ敵の目を欺く、奇襲・潜伏において強力な効果を発揮する魔法で、主に裏で情報収集などの任務を請け負うことが多いこの部隊には必須の魔法だった。
当然この場にいる全員が隠蔽魔法の使い手で、それぞれ自分に魔法を掛けて周囲の景色と同化していた。
だがとても便利に聞こえるこの魔法も完璧ではなくいくつか欠点がある。
一つは姿が見えなくなっても匂いまで消すことは出来ず、嗅覚が発達した魔物には簡単に見つかってしまう。そのため体臭を消す為の薬と併用しなければならない。
二つ目は周囲の景色と同化するといってもそれが可能なのは術者が動きを止めている場合に限り、もし魔法を掛けたまま身体を動かせばそこだけが周囲から歪んで見え魔法は解除されてしまう。
だがその点にだけ気をつけていれば今回の任務の様にただ報告を待つだけなら何も問題はない。……その筈だった。
最初に異変に気付いたのはこの小隊の隊長を任されている男だった。
何か理由があった訳ではない。ただなんとなく空を見上げただけだった。だがその結果、男はそれに気付いた。
最初は鳥か何かだろうと思っていたのだがじっと目を凝らして見ればそれが鳥などではないことはすぐにわかった。
「何だ……?」
小さく漏らした呟きに反応して周りの男達も異変に気付いた。
隊長が見ている視線の先を全員が追っていく。
そこには遥か上空を砦の方からこっちに向かって飛んで来る大量の黒い影が見えた。
それはハイジの体内から排出された魂の群れだった。だが彼らがそんなことを知る筈もなく突然現れた謎の物体にその場にいる全員に緊張が走る。
「隊長、あれは一体……?」
明らかな異常事態に警戒した声を出して男の一人が隊長に問い掛ける。
「わからん。全員動かず魔法を維持しろ!」
味方とは思えない正体不明の相手に対して、ここは下手に動かず様子見に徹してから城に報告することを選んだ。
隠蔽魔法を使っている今ならば安全に観察出来ると考えての選択だった。通常ならばそれは正しい判断だったのだろうがこの時ばかりはそれが裏目に出てしまった。
魂の群れが彼等の真上に差し掛かりそのまま通り過ぎるかと思われたその時、突如塊の一部が崩れ彼らのいる方に向かって下降し始めた。
「?!」
明らかに自分達に向かって来ていることに、あり得ないと思いつつも隠蔽魔法の効果がないことを悟る。
「魔法が効いていない⁈ 気を付けろ!」
数々の任務をこなし非常事態にも何度も遭遇して来た彼らは動揺はあれどすぐに次の行動に移った。
「敵の正体は不明だ、迂闊に近づくな!」
隊長の指示通り周りの男達は魔力を巡らせ身体強化をしつつ接近を避け回避に専念する。
だが次から次へと増える魂達にあっという間に周囲を囲まれてしまい、一人の男が接触を許してしまう。
その瞬間、男は絶叫を上げながらその場でのたうち回りすぐに動かなくなった。
それを見た他の男達は警戒を上げ更に距離を取るため動こうと周囲を見渡す。だがその瞬間彼らはその場に凍り付いた。
既に周りは前後左右だけでなく上空に至るまで魂達に隙間なく囲まれてしまっていた。外側から見れば半球状のドームの様に見えるだろう。
退路が完全に断たれたことで彼らの間で焦りが生まれるが、その中で隊長だけが未だ冷静さを保っていた。
何度も修羅場を潜り抜けて来た猛者であるこの男はいつまでも動きを止めていることなく部下に向かって次の指示を出す。
「攻撃を集中して一点突破する! 脱出したあとは散開しながら撤退しろ!」
隊長の命令の元に狼狽えていた部下達は足並みを揃えて行動に移す。
危機的状況であっても瞬時に己の役割を全うしようとする様は彼らの練度の高さと隊長への信頼を伺わせる。
彼らは一匹の生物の様に無駄なく立ち回りあっという間に脱出の準備を整えてしまった。
それを確認した隊長が号令を出す。
「放て!」
命令が出た瞬間前列二人組の男が魂の包囲網で一番密度の薄い箇所を目掛け連続して魔法を放つ。
「ファイヤーボール!」
「ウインドカッター!」
二人が放った魔法はどちらも初級魔法で威力は低いものの、消費魔力の少なさと特定箇所を集中攻撃するための連射性に優れていた。
放たれた魔法の効果を確認する間もなく彼らは一斉に武器を取り出し着弾予測地点に向かって走り出した。
多少のダメージは覚悟の上で着弾と同時に空いた隙間から脱出し、噴煙に紛れて出来るだけ距離を稼ぐ算段だった。
だがその計算は予想しない事態によって初手から崩れ落ちる。
彼らの眼前で魂の壁に吸い込まれて行く大量の魔法、その全てが魂に接触することなく魂の壁の中をすり抜けて行ったのだ。
衝撃に備えながら突破しようとしていた男達は全員驚愕に目を見開き急ブレーキを掛けて必死に踏みとどまる。
「なっ?! 馬鹿な、どうなっている!」
あまりの計算違いについに隊長の心にすら動揺が起こり、それが周囲にも広がってしまった。
自分達の隊長の狼狽えぶりを見て打つ手がないことを知った部下達は仲間が死んだ光景を思い出し恐慌状態に陥ってしまった。
「う、うわああぁぁぁぁぁ⁈」
「ひっ、く、くるな⁈」
「た、隊長おぉぉぉぉ!」
もはや作戦も何もなくただの獲物と化した男達は、逃げ場のない魂のドームの中を滅茶苦茶に魔法を放ちながら走り回る。
「くっ……!」
周りの状況に歯噛みしながらも何とか状況を打破しようとこの場の隊長は思考を巡らすが、そんな彼を嘲笑うかの様に魂の壁は中心に向かって迫って来る。
一人、また一人と魂に接触し絶叫を上げながらどんどん仲間が倒れて行く中、残るは隊長ただ一人になった。
「お、おのれぇ⁈」
剣を振り回そうが魔法を放とうが全くダメージを与えられないまま、腕を伸ばせば触れられる距離まで囲まれてしまう。
「あ、あぁ……」
ついに膝をついた男目掛け、我先にと魂達は一斉に群がって行った。
「っ――――――――――!」
魂達が過ぎ去ったその場所には砦と同じく物言わぬ数体の死体だけが残されていた。