12 変化
ハイジの体内に取り込まれた黒い宝玉は己の意志を持っていた。いや、生まれたというのが正しいかもしれない。
フォービスに作り出され、名前も持たずただ対象の魂を吸い込み内部に蓄積するだけの存在だった筈が、数百年にも及び魂を取り込み続けたことで、取り込んだ大量の魂が持つ生前の情報、その中にある宝玉に向けられた負の感情が混ざり合い一つの自我が生まれた。
生まれたと言ってもそれはとても小さく薄らとしたもので、ただ己という存在が在ることを認識するだけの物でしかなかった。
だが今回、人の体内という外界と隔絶された空間に入ることで宝玉の中で初めてはっきりとした自我が生まれた。それは自己保存の本能。
今まで己が存在していた環境との急激な変化に対して宝玉は初めて身の危険を感じ、自信の身を守るため思考する。
結果として己の力だけでは今いる場所からの脱出は不可能だと判断する。
それならばと宝玉が次に取った行動は己を包み込んでいる肉体に己の中に蓄えられている魔力を浸透させ意のままに支配することだった。
結論を下した宝玉はすぐに実行に移す。
宝玉は己を取り込んだ肉体全体に魔力の糸を伸ばしていき、肉体の活動を維持する核を目指す。
本来なら支配する対象が既に持っている魔力を自身の魔力で上書きしながら進めなければならなかったが、何故か宝玉を包む肉体には魔力が存在せず作業はあっさりと進んでいきついに肉体の核とも言える場所に到達する。
それは全ての生命体が共通して持っているもの――――すなわち心臓だった。
心臓に到達した宝玉は魔力で心臓を隙間なく覆い尽くす。
ついに下準備を終えた宝玉は肉体を支配するために全身に巡らせた己の魔力に一斉に命令を下す。
命令を下された魔力は肉体に浸透していき肉体の支配権を奪おうとする。
だがここで宝玉にとって不運が起きる。
それはハイジが宝玉を飲み込む直前に獲得したスキルによるものだった。
リザンに渡されたあの魔道具、正式名称を「願い星」というのだがこの魔道具の発動条件は二つあった。
一つ目は魔道具の所持者が一切のスキルを保持していない事。
二つ目は魔道具を所持した者が混じり気のない一つの純粋な願いを強く想うことだった。
そしてその条件を満たすことにより与えられるのは願いの内容そのものの力を宿したスキル、というとんでもない効果だった。
本来この魔道具は伝説に残るほどの価値があるのだが、この魔道具を手に入れたリザンは大した情報を得ることが出来ない下位の鑑定スキルしか持っていなかったため殆どその価値を知ることが出来ず、さらに他の上位鑑定スキルを所持している者に見て貰うこともしなかったため単なるお守りとして所持していた。
価値に反したあまりの扱いに魔道具が不憫に思うが、そのおかげでハイジの元に巡って来たとも言える。
そしてハイジの自由への願いによって獲得したスキル、『解放者』はこのスキルとスキルの所持者や所持者が対象とした者/物に支配や拘束に対する解放/完全耐性を与える。
その能力によって肉体を支配しようと浸透してきた敵性魔力を消滅させ始めたのだ。
だが宝玉はそんなことは知る由もなく、消えた魔力を補うために更に大量の魔力を放出する。
しかし結果は変わらず、それどころか宝玉が更に大量の魔力を使用したことで脅威と判断したスキルが能力の範囲を拡大し魔力を生み出す中心である宝玉事態を消滅させようとし始めた。
宝玉は抵抗を試みるが手の打ちようがなく、己の身が綻び始め中に蓄えられていた魔力と一緒にその源である魂がどんどん抜け出ていくことに気付いた。
ほぼ一瞬で総魔力の約三割を失い、このままでは己の存在を維持することすら出来なくなる。
己の力でこの肉体から出ることは不可能。支配しようとしても逆に己の存在を消滅させられてしまう。
宝玉は己の存在を守るために最適解を模索し、そして結論に至る。
それは『共存』
その結論に至った宝玉は肉体を支配するために伸ばした魔力の活動をすぐに停止させ、今度は肉体の支配権を奪おうとすることなく、己の魔力と肉体を同調させるため活動を再開する。
その結果、宝玉の目論見は成功し先程から宝玉を消滅させようと能力を行使していたスキルは宝玉の行動を無害と判断したのか能力の行使を停止した。
それを確認した宝玉は更に肉体との同調を進め、己の本体を肉体の核である心臓に寄生するように融合させる。
この結果、宝玉は自身の身を守ることに成功し、同調した肉体を媒介として今までより微量となってしまうが対象の魂を吸収することも可能とした。さらに肉体と宝玉が融合したことによる副産物としてスキル『解放者』の能力と併用することで吸収した魂が持つ情報(生前の肉体の強さやスキルなど)を一部開放し、ハイジの肉体に僅かながら反映することが出来る様になった。
本人の知らぬ間に体内で起きた異常は一先ずの終息を迎える。
だが体外ではここからが始まりだった。
ハイジのスキル『解放者』によって宝玉の呪縛から解き放たれ外界に飛び出した魂達は、解放された喜びと自分達を苦しめ続けた者への憎しみに囚われ周囲にいる者達に見境なく襲い掛かっていた。
最初に犠牲となったのは部屋の中にいたオークと奴隷達だった。
魂達は標的とした者の体内に入り込む。すると体内に潜り込まれたオークや奴隷達が突如絶叫を上げ苦しみ出した。
ある者は床をのたうち回り、またある者は眼を血走らせ訳も分からず腕を振り回し暴れ回っている。
やがて苦しみだした時と同じ様に唐突に動きを止め、そのまま倒れ込み動かなくなった。
そんな光景が部屋中で見受けられ、あの上位個体のオークであるバイスも他の者と同じ様に倒れ伏していた。
今や部屋の中で立っているのはフォービスだけである。
当然そのフォービスにも魂達は群れを成して襲い掛かっているのだが、フォービスを包み込む半球状の結界に行く手を阻まれていた。
だが魂達が触れている部分の結界が段々と黒く染まり始め、少しずつ結界を侵食していく。
「ちっ、絞り滓の分際でええぇぇぇ!」
結界が侵食されているのを見てもフォービスにはまだまだ余裕があったが、未だ収まる様子を見せず魂を噴き出し続けるハイジと周りを襲った自分の知識には無い現象を見て万が一があるかもしれないと判断し、やむを得ず撤退を決意する。
「小僧おぉぉぉぉぉ! 貴様は絶対に許さんぞぉ! 我が悲願を潰した罪は必ず償わせてやる!」
ハイジの方を一瞥し憎しみに満たされた眼差しを向けた後、魔法を発動する。
魔法を発動した瞬間フォービスの足元に魔方陣が浮かび、強い輝きを放ったかと思うと次の瞬間にはフォービスの姿は消えていた。
フォービスが消えた途端、フォービスを包んでいた結界も消え去り、標的を失った魂達は獲物を求めて部屋を飛び出す。そのまま屋敷の敷地内からも飛び出し怨嗟の声を響かせながら外にいる者達に無差別に襲い掛かる。
いきなり現れた魂の大群に、作業をしていた奴隷達や魔物が呆然としているうちに魂達は次々と襲い掛かる。
砦のいたる所から部屋で起こった事と同じ現象が起きそこかしこで悲鳴が上がる。
やがて悲鳴は聞こえなくなり砦からは一切の音という音が消え静寂が支配する。
自分の獲物を見つけられなかった魂達は更なる標的を求め上空へと舞い上がり、砦の外に滅茶苦茶に散らばっていく。
砦の中に存在するのは最早ただの肉の塊となった魔物と奴隷達の死体。そしてたった一つの生命の鼓動のみ。
この日、周辺諸国を騒がせた魔王の砦は魔王と一人の少年を除き全滅した。




